2018年3月25日日曜日

20180325 主に書籍からの抜粋引用 集英社刊 サミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』下巻 pp.109-111より抜粋引用

本日の首都圏は天気も良く、気温も上がり過ごし易かったものと思われます。ブログの方は相変わらずですが、おかげさまにてどうにか続いており、おそらくこの調子で行くことが出来れば、今月末には940記事まで到達することが出来るのではないかと思われます・・。

さて、あるいは地方においても同様であるのかもしれませんが、昨今の首都圏の状況は一種騒然としたものがあるように思われます・・。今後これがどのようなカタチにて収束していくかは分かりませんが、いずれにせよ、経済的利益のみを正義であると考え続けていると、こうした状況が生じるのかもしれません・・。また、それと関連して、以前よりしばしば指摘されてきたことではありますが、我が国はさきの西欧的な近代化と同様、資本主義においてもまた適応し過ぎたのかもしれません・・。しかしながら、その一方で、我が国古来の良俗を復活させることを主張する方々が正しいのかと考えてみますと、これもなかなか難しいように思われます。
そうしたことから、三島由紀夫の言は、まさに現在にこそふさわしいのかもしれません・・。
『無思想な事大主義?』

集英社刊 サミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』下巻 pp.109-111より抜粋引用
ISBN-10: 4087607380
ISBN-13: 978-4087607383

『中国の台頭は日本にとっては大きな難題で、日本はどちらの戦略をとるべきか、意見が大きく割れている。なんらかの交換条件、たとえば中国の政治的・軍事的優位を認めるかわりに、経済問題での日本の優位を認めさせるなどして、中国に順応しようとするべきだろうか?あるいは日米同盟に新しい意味と活力を与えて、中国と均衡を保ち、封じ込めるための提携の核となるべきか?中国からなんらかの侵略があった場合にそなえて、自国の軍備拡張を試みるべきか?おそらく日本は、この問題にたいするはっきりした結論をできるだけ先おくりするだろう。
 中国との勢力バランスを保ち、封じ込めるための意味ある試みの核になるのは、日米軍事同盟しかないだろう。時間はかかっても、日本がこの目標にそって同盟関係を見直すことは考えられる。日本がそうするためには、次の点で自信をもてるかどうかによる
(一)アメリカが世界で唯一の超大国でありつづけ、世界の問題に積極的に指導力を発揮しつづけれるか、
(二)アジアにおける軍事的プレゼンスおよび影響力を広げようとする中国と戦うことをアメリカが確約するか、
(三)莫大な資源という犠牲を払うことなく、戦争という大きな危険なしに、アメリカと日本に中国を封じ込める力があるか、
アメリカがはっきりした決意も公約も示していないし、その可能性も低いので、日本は中国に順応することになるだろう。一九三〇年代と四〇年代に、日本は東アジアを征服するという一方的な政策を追求して、壊滅的な結果を招いたが、この時代をのぞいて日本は歴史的にも、自国が適切と考える強国と同盟して安全を守ってきた。一九三〇年代に枢軸に参加したときでさえ、日本は当時の世界政治のなかで最も強力な軍事志向をもつ勢力と考えた相手と提携したのである。二十世紀の初めに日英同盟を結んだが、当時の世界情勢でイギリスが指導的国家だということを認識していたのだ。一九五〇年代になると、同じように世界で最も強大で、日本の安全を守ってくれる大国であるアメリカと日本は提携した、中国と同じように日本も、国内政治が階層的なので国際政治の問題も階層的なものと考える。日本のある著名な学者は以下のように述べている。

日本人が国際社会における日本の立場を考えるとき、日本の国内モデルから類推することが多い。日本人は国際秩序を、日本の社会の内部では明らかな、縦の組織形態の関連で特徴づけられる文化の形態を外部に示すことだと考える。国際秩序をこのように見るのは、長きにわたった前近代の日中関係(進貢システム)で得た経験によるところが多い。

このように日本の同盟にたいする感覚は「基本的にはバンドワゴニングであって、バランシング」ではなく、「最強国との提携」だった。日本で長く暮らしたある西欧人は、これと同意見だ。日本人は「不可抗力を受け入れ、道徳的にすぐれていると思われるものと協力するのが、他のほとんどの国よりすみやかだ。そして道徳的に不確かな、力の衰えはじめた覇権国からの横暴な態度を非難するのも一番速い」。アジアでのアメリカの役割が小さくなり、中国のそれが増大するにつれ、日本の政策もそれに順応するだろう。事実、すでにそれははじまっている。日中関係の基本的な問題は、キショール・マフバーニーの見るところ、「どの国が一番か?」ということだ。答は明確になりつつある。「口にだして公言したり、了解を示してはいないが、まだ北京が国際的にかなり孤立していた一九九二年に、日本の天皇が中国を訪問したのは意義深いことだ」

日本の指導者たちや国民が、過去数十年と同じかたちで最強国アメリカの傘の下にいるほうが、理想的にはよいと思っているのは間違いない。しかし、アジアにおけるアメリカの影響力が小さくなると、日本は「再びアジア化」すべきだとする考えが日本国内で勢いを増し、東アジアの舞台で中国が改めて強い影響力をもつのは避けられないと考えだすだろう。たとえば一九九四年の世論調査では、ニ十一世紀にどの国がアジアで最大の影響力をもつかとの質問に、日本の一般市民の四十四パーセントは中国、三〇パーセントがアメリカだと答え、日本だと答えたのはわずか一六パーセントだった。一九九五年に日本のある高官が予想したように、日本には中国の興隆に順応するだけの「自制心」があるだろう。そのあと彼は、アメリカにそれがあるだろうかと質問した。最初の予想は当たっていそうだ。あとの質問にたいする答は不明である。』

現在までに日本列島各地において生じた、もしくは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害により被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。


~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5



2018年3月24日土曜日

20180324 正義の源泉として思想そしてその基となる小説・モノガタリ?

本日の首都圏は日中気温も上がり過ごし易く、また日が暮れた後も、以前ほどの寒さは感じられなくなりました。こうしたことから季節の推移が実感しますが、また明日はさらに暖かくなるとのことです。

さて、昨日投稿分の記事は以前の『バズり』ほどではありませんでしたが、投稿翌日にして200人近い方々に読んで頂きました。これは最近投稿した記事の中ではかなり多くの方々に読んで頂いた部類と云えます。自身のブログでは、しばしばこうした宗教・思想方面の記事が投稿されますが、これらはなかなか大事であると思われると同時に、どうしたわけか(現在の)我が国では見事に閑却している要素ではないかと思われるのです・・。

こうした国独自の宗教・思想といったものの存在の実感なくして、その上に構築される正義・法律・憲法などは理想のない空虚なもの、あるいは上手く潜り抜けるためのお上からのお達しのようなものとなるのではないでしょうか?

こうしたことは戦後しばらく経って(1960年代頃か)一部の人々に云われるようになりましたが、この時期においては戦後の復興そして更なる経済成長の真っ只中にあるという事情により、多くの人々に真剣に考えられることはありませんでしたが、しかし、本質的にはそれと同じ問題が現在に至るまで、我が国社会においては存在し続けているのではないでしょうか・・?

そして、この宗教・思想の欠如といったものは、どのような状況より露見するのかと考えてみますと、それは施政者側のさまざまな説明・答弁などの蓄積から、何かしらの思想的な一貫性を見出すことが出来ないことからではないかと思われます・・。
もちろん、思想があればそれで良いというわけではありませんが、しかし、最終的に正義の根拠となるような思想がなくては国民の上に立ち施政など出来ないのではないかと思われるのです・・。
我々は一応、その正義の根拠と経済的な発展が組み合わさった政策を評価して施政をお願いしているわけですから・・。
一方で、もしも経済的な発展だけを念頭におくとすれば、たとえば国策として近隣の小国を軍事力にて制圧し、その国力を収奪すれば良いとも云えますが、さすがにこれは現在では国際的に許されません・・。とはいえ、これが百数十年前でしたらまた事情が違っていたのでしょう。

また、かつてのこうした事情とは現在の国際社会においても少なからぬ影響を与えているわけですが、もちろんそれは我が国においても同様であり、あるいは見方によれば、我が国が現在あるように此岸性一辺倒の無宗教・無思想とも見受けられる社会になってしまったのかと考えてみると、それは極東にある小国が西洋的な近代化をどうにか成し遂げ、そしてそこから続く健全な発展を封じ込められたからではないかとも思われるのです・・。

おそらく、そこには我が国の責任もあるとは考えますが、しかし、そこには少なからず西欧列強の圧力もまたあったと思われます。

その一方で、私は自虐史観というものは分かりませんし信じませんが、しかし近代以降、現在に至るまでの我が国とは、国内における施政と同じことを、支配下となっていた現在の諸外国に対して行っていたのだとすると、それはやはり、ことある毎に糾弾されるだろうし、また信用されることも少ないのではないかと思われるのですが、このようなことを述べること自体が非国民的な利敵行為なのでしょうか・・?

正義とは、少なくとも母国に対する惑溺とは別ものではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

そして、一貫する思想の重要性もまた、その辺りにあるのではないかと思われます。また、宗教のない我が国の場合、それだからこそ小説・モノガタリが重要になるのではないかと考えるのです・・。ある程度普遍的な考えかもしれないが、我が国の場合、小説・モノガタリの先に思想・哲学そして正義といったものがあるのではないだろうか・・?


ともあれ、今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年より現在に至るまでに日本列島各地にて発生した、今現在も継続的に発生している地震・大雨・水害・火山噴火など大規模自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。


~書籍のご案内~

昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5























2018年3月23日金曜日

20180323 主に二著作からの抜粋引用 冷戦後の世界規模での宗教の興隆と我が国の場合・・

其の1 
集英社刊 サミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』上巻 pp.163-164より抜粋引用
『(冷戦後の)グローバルな宗教復興をもたらした最も顕著で重要な、そして最も強力な原因は、まさしく宗教に死をもたらすとされていたものにほかならない。すなわち、二十世紀後半の世界に巻き起こった社会、経済、文化の近代化の嵐である。これにより、長いあいだ確立されていたアイデンティティの基盤と権威の体制とが崩壊した。人びとは農村部から都市へと流入し、故郷との絆を断って、新しい仕事についたり、職を失ったりした。彼らは見知らぬ多くの人びとと接触するようになり、新しい人間関係のなかにおかれた。彼らはアイデンティティの新しい根拠、新しい安定した社会、新しい道徳律の体系を求め、そこでみずからの存在意義と目的とを見つけようといたのである。宗教は、主流の宗派であれ原理主義であれ、これらの欲求をみたしてくれた。リー・クワンユーは、東アジアについてこう説明している。

われわれは一、二世代のうちに工業化をなしとげた農業社会である。西欧では二百年、あるいはそれ以上の年月をかけて行われたことが、ここでは五十年あるいはそれよりも短期間のうちに起ろうとしている。非常に短い期間に、すべてが押しつぶされそうに詰めこまれているのだから、混乱や誤作動があるのはやむおえない。韓国、タイ、香港、シンガポールなどの成長いちじるしい国々を見ると、一つの驚くべき現象に気づく・・・宗教の興隆である。祖先崇拝、シャーマニズムといった古い習慣や信仰だけでは、もはや完全な満足は与えられなくなった。人間の存在意義、なぜわれわれはここにいるのかといった疑問に対し、より高いレベルの答を求める動きがある。これは人びとが社会のなかで周期的に大きなストレスを経験していることと関係がある。

人間は、理性のみによって生きていくものではない。彼らは自己の利益を追求するうえで計算し、合理的な行動をとる前に、まず自身を定義づけなければならない。利益追求の政治を実施するには、まず自己の存在を規定する必要がある。社会が急速に変化するとき、確立していたはずのアイデンティティは崩壊し、自己を新たに定義しなおし、新しい自己像を構築しなければならなくなる。自分は何者か、自分はどこに帰属するのかといった問いへの答えを求める人びとに、宗教は魅力的な答えを与えてくれる。宗教集団は、都市化によって失われた地域社会にかわって、小さなコミュニティを新たに創出してくれるのである。』

其の2
講談社刊 加藤周一著 『日本人とは何か』 pp.116-117より抜粋引用
『では(戦後)日本の田舎ではどうか?
きだみのる氏は「部落には宗教はない。宗教の屍があるだけだ」と断定し、次のような注目すべき観察をした。

それは村のお彼岸会であり、檀家たちがお経を聞き、読経料二百円ずつ出した後で、きだみのる氏が住職や総代たちと酒を飲んだ時に考えたことである。


『彼岸の今日の儀式、費用、それらはすべて今日の部落の生活の現実に対して何の意味も持ってはいない。住職も部落の連中も懲罪の場としての地獄も亡霊の存在も信じていはしない。住職は生活のためにそれを信じている振りをしているかも知れない。しかも他のものは全く意味をもたない伝統の歯車のまにまにこのような儀式を行っているのだ』と(「群像」一九五六年十一月号)。


田舎では、仏教も天皇崇拝も、まだほんとうに生きているという考えは、日本人の観察者の中にも少なくない。

しかし、そういう観察者の大部分は都会の住人であって、部落の人々にとってはよそ者である。

部落の事情をほんとうに理解することがむずかしいのは、外国人にとって日本の事情を理解することが困難なのと似ているかもしれない。外からの観察者にとっては、田舎に宗教がみえ、内からの観察者にとっては宗教の屍がみえる。ということは、田舎には都会よりも、宗教殊にその信仰ではなく、その儀式的な面がよく保存されているということなのであろう。「住職は生活のためにそれを信じている振りをしているかもしれない。」―ときだみのる氏はいう。それを見破るためには、氏のように長い間部落に住みこむ必要があるだろう。調査票を配布して、回答を集めるやり方で、それを見破るのは、むづかしい。ところが政治・社会・文化現象の全体にとって、宗教が何らかの影響をもつか、もたぬか、もつとすればどういう影響であるかは、信じているのか、信じているふりをしているのかということによって、決定的に左右されるはずである。しかもそれだけではなく、この信じるのでもない、信じないでもない、「信じるふりをする」という態度のうちには、宗教と関連しての日本的なものの典型があらわれているかもしれないのである。』

近年から現在に至るまでに列島各地にて発生した、もしくは今現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害により被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。



~書籍のご案内~

昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5







2018年3月22日木曜日

20180322 今回の風邪・体調不良から思ったこと・・

本日の首都圏は昨日と比べ気候も良く気温も上がり、比較的過ごし易い一日でした。また先日来の風邪・体調不良のため上手く声が出ませんでしたが、ここに来てようやく回復しつつあります。

普段はあまり気にすることがありませんが、普通に声が出るということは大事なことであり、これが出来ないと日常生活においても多くの支障があることを痛感しました・・。

また、昨年の3月も風邪をひいていた記憶があるため季節の変わり目とは、体調もまた季節に合わせて変化し、そしてその影響も受けやすくなっているのかもしれません。

そういえば、当ブログを始めた時期と丁度同じ時期に帰郷しましたので、ブログと同様、あと数ヶ月にて関東地方の在住期間が三年になります。さすがに三年程度在住すると慣れたのではないかと思われるところですが、残念ながら未だに関東地方の気候風土に慣れたという実感はありません・・(苦笑)。特に冬の寒さに関しては何やら寒さの質に相違があるのではないかと思われるのです・・。

また、季節にも多少関連することですが、現在の関東地方在住時に時折所用にて地方に出向くことがありますと、大抵の場合、その地方独特の自然環境より生じた『大気』といったものを感じます。おそらくこれが地方の特性・特徴(地域性)に対して何らかの影響を与えていると思われますが、その科学的な観点からの作用機序・メカニズムは、そう簡単には理解出来るようなものではないように思われます・・。

さて他方で、そういった意味で関東地方、特に首都圏、東京では、こうした自然環境に基づく地域独特の『大気』といったものは希薄であるように思われるのです・・。あるいはそのような環境の方がさまざまな創造的活動を行うに際しては都合が良いのかもしれません・・(これは未だに疑問です)。

ともあれ、自身はこれまでに在住したいくつかの西日本地方都市の気候風土に適応した後、再び関東・首都圏に住むことになりましたので、それは無意識あるいは身体レベルから不本意と感じていることから、未だに季節の変わり目にて体調を崩すようにも思われるのです。

それ故、今後は気候が比較的温暖で温泉が多く、柑橘類がよく採れるような地域に住みたいです。おそらく自身は、これまでの経験から、そうした『大気』を生み出す地域と、身体レベルでの親和性を持つに至ったのではないかと今回の風邪・体調不良を通じて体得したように思います。

ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年から現在までに列島各地において発生した、もしくは今現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模な自然災害により被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。


~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5












20180321 主に書籍からの抜粋引用 集英社刊 サミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』上巻 pp.100-102より抜粋引用

本日の首都圏は朝からの降雨で気温も上がらず、久々に冬が戻ってきた感がありました。
今現在なお、若干病み上がり気味の自身としては、こうした日は若干辛いものがありますが、明日以降はまた天気が回復し、気温も上昇するとのことですので、それに期待しようと思います・・。

さて、本日投稿分の記事は、つい先日読了したサミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』内の記述を以って充てようと思います。さきほど改めてこの記述を読んでみますと、概ねその通りであると思うと同時に、非西欧社会である我が国の社会においては、少なくとも日常的には聞くことが出来ない意見であるように思われました・・。そしてまた、人文社会科学系分野の重要性とは、一つにそういったところにあるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか?

*以降、書籍からの抜粋引用です。
集英社刊 サミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』上巻 pp.100-102より抜粋引用
ISBN-10: 4087607372
ISBN-13: 978-4087607376

『有史以来、世界の言語の分布は世界の勢力の分布を反映してきた、最も広く使われる言語ー英語、マンダリン、スペイン語、フランス語、アラビア語、ロシア語ーは現在も過去も最高の勢力を誇る国の言語であり、それらの国々は他国の人々にこれらの言語を使うよう積極的にうながした。
勢力分布が変化すると使用言語の分布も変化する。世界の各地に、「イギリスとアメリカは二世紀にわたって植民地や商業、産業、科学、金融などの分野で力を発揮し、高等教育、政治、防衛、技術などの分野ではかなりの遺産を残した」。イギリスとフランスは自分たちの言語を使うよう植民地に強制した。しかし、旧植民地の大部分は独立後、程度や成功の度合いに差こそあれ、帝国の言語ではなく自国の言語を使おうとしてきた。ソ連の最盛期には、プラハからハノイにいたるまでロシア語がリングアフランカとして使われてきた。ロシアの勢力の衰退にともない、二次言語としてのロシア語の使用も減衰していった。他のかたちの文化についても言えることだが、国力が増すと、その国の言葉を話す人が言語に関して独断的になり、他国の人びとはその国の言葉を習得しようとする。
ベルリンの壁が崩壊した直後、統一ドイツが新しい巨大な怪獣になるかと思われたころには、英語に堪能なドイツ人が国際会議でドイツ語を話す傾向が目立った。日本の経済力に刺激されて日本人でない者が日本語を習おうとしたし、同じように中国が経済発展をとげると中国語ブームが起こった。
香港では急速に英語にかわって中国語が支配的になりつつあり、東南アジアに進出している中国人が大きな役割を果たしていることもあり、それらの地域における国際ビジネスの交渉ではだいたい中国語が使われるようになっている。
他の文明に比して西欧の力が徐々に衰えるにつれて、英語をはじめとする西欧の言語が他の社会で使われる機会や、社会と社会のコミュニケーションに使われる機会は徐々に減っていくだろう。遠い将来のある時点で、西欧にかわって中国が世界で支配的な文明になれば、英語は世界のリングアフランカとしての地位をマンダリンにゆずることになるだろう。
旧植民地が独立をめざして動きだし、独立が進むにつれて、ナショナリストのエリートたちは自国の言語の使用を奨励し、またはみずから使用して、帝国の言語を抑圧するようになった。
そうすることで、彼らは自分が西欧の植民地主義とちがうことを示し、彼ら自身のアイデンティティを確認したのである。しかし独立後、これらの社会のエリートたちは一般大衆と自分は違うことを示す必要もあって、英語やフランス語あるいは西欧の他の言語を流暢にあやつることでそれを示した。その結果、非西欧社会のエリートたちは自分たち自身の社会の住民よりも、西欧人や同じエリートを相手としたコミュニケーションの方がうまくいくというような事態がしばしば見られる(似たような状況が十七世紀と十八世紀の西欧でも見られ、出身地の異なる貴族たちはたがいにコミュニユケーションはフランス語で問題なくできたが、自国の地方の言葉は話せなかった)。
非西欧社会では二つの正反対の傾向が見られる。一方では、大学レベルで英語がますます使われるようになり、資本と顧客を獲得するための世界的な競争で卒業生が効率よく働けるように準備している。他方では、社会と政治の両面からの圧力で、一般にますます自国語が使われるようになっている。』

昨今より現在までに列島各地にて生じた、もしくは今現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模な自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。


~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5






2018年3月20日火曜日

20180320 著作の読了から思ったこと 読書における相転移、高等教育での応用について

先日来より読み進めていた国際政治学の著作上下巻を本日電車内にて読了しました。以前にも書きましたが、この分野の著作は近年読んだことがなかったため、苦労しましたが、読了してみますと、やはりそれなりの達成感を感じます。そしてまた『今後もこの分野の著作であれば、ある程度は読めるのではないだろうか?』とも思うに至ります・・(笑)。

また、振り返ってみますと、自身は概ねそのようにして、いくつかの分野での知識を積んできた自覚がありますので、現在では、これはこれで一つの学問に対する正攻法であると考えています。

また、そうした行為が蓄積しますと、次に生じるのは、一種の相転移であるのか、ある程度基礎の習得が為された言語にて書かれた同分野の著作を読解することが出来るようになるといったことであるように思われます。

また、そうした段階(相転移)を経るに際して、相応しいと思われる分野とは実証性・再現可能性が問われる自然科学系学問分野ではないかと思われます。

この段階(相転移)においては歴史・文学といった国々によって異なる知識の集積・体系を持つ学問分野では実際問題として扱い難いのではないかと思われます。

もちろん、歴史・文学といった人文社会科学系学問は一国の文化の要ではあるのですが、同時に本質的にその学問分野に付随する実証性・再現可能性などの普遍的性質をマトリックスとして他言語を学ぼうとする場合においては必ずしも相応しいものとは思われません。

くわえて、以前から指摘している我が国の全般的な性質といえる即物性・此岸性を加味して考えてみますと、より一層強く云えるのではないかと考えます。

つまり、我が国の特徴的な性質とも云える即物性・此岸性と自然科学性学問の真髄である実証性・再現可能性とは親和性があり、これは今後、更なる高齢化が進む我が国の高等教育の進路について考える上で熟慮してみる価値があるのではないかと思われます・・。

自身の考えるその一つの試案は、現今の人文社会科学系学部・学科の定員を減らし、これまで専門学校・短期大学・大学のルートが併存している医療・介護資格養成校を全面的に四年制大学化し、そこでの専門教育に含まれる知識の普遍的性質を基軸として他言語を効果的に習得することが出来る仕組みを構築することです。

そして、そうしたことがある程度出来るようになれば、自然と身に着いた習性にて歴史や文学などの著作を楽しむことが出来るようになるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

そういえば、本日読了した著作はサミュエル・ハンチントン著『文明の衝突』上下巻であり、大変興味深い著作であったことから、後日、特に興味深いと思われた記述を抜粋引用してみようと考えています。

また当著作内で東アジア、我が国についての記述は、現在であっても当て嵌まる部分が多いように思われますので、興味をお持ちの方は是非御一読をおススメします。

近年より現在に至るまでに列島各地において生じた、もしくは今現在も継続している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模な自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。

*ChatGPTによる改編文章
先日より読み進めていた国際政治学の大部な著作を、本日電車内にて読了いたしました。近年この分野の書物を読む機会がなかったため苦労しましたが、読了後には一定の達成感を覚え、今後も継続的に読解できるのではないかという感触を得ました。

 振り返れば、私はこれまでも未知の分野の著作を読み切ることで基礎を習得し、徐々に理解の幅を広げてきました。この過程は、一定の段階に達すると理解の質が飛躍する、いわば「相転移」と呼べる現象を伴います。そして、この相転移が最も生じやすいのは、実証性と再現可能性を基盤とする自然科学系の学問であると考えています。自然科学は普遍的な言語構造を持ち、国や文化による解釈の揺らぎが少ないため、他言語での習得にも適しています。

 一方、歴史や文学などの人文社会科学は、各国固有の文化的前提を伴うため、普遍性を基軸とした言語習得には必ずしも適していません。我が国の文化的特質とされる即物性・此岸性を踏まえても、自然科学の普遍性は高等教育の再構築において重要な鍵となると考えます。

 私が提案したいのは、人文社会科学系学部の定員を適正化し、医療・介護資格養成を目的とする教育機関を四年制大学に統合することです。四年制大学において、医療・生命科学を基軸とする普遍的な知の体系を学び、その延長として他言語を効果的に習得できる仕組みを整備すべきだと考えます。基礎的な普遍知が定着すれば、その後に歴史や文学に触れることも自然な知的営みとして成立するはずです。

 本日読了したサミュエル・ハンチントン著『文明の衝突』は、東アジアと日本の位置づけに関して、多くの示唆を含んでいました。刊行から年月を経た現在においてもなお有効性を保つ指摘が多く、改めて精読する価値があると感じました。後日、特に注目すべき箇所を引用・紹介する予定です。

 最後に、近年相次ぐ地震・水害・火山噴火などにより被害を受けた地域の復興と、安全の確保を心より祈念いたします。


~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5













2018年3月19日月曜日

20180319 国際政治学関連の著作を読んでいて思うネガティブなことについて・・

当ブログを始めた詳細な時期に関しては、これまであまり気に留めていませんでしたが、気になりましたので、さきほど調べてみますと、最も古い記事は2015年 6月22日投稿のものでした。そうしますと、今年の同日まで記事作成を行うと丁度3年間記事作成を継続したことになります。以前から目標として述べている1000記事の投稿はもちろんですが、それと同時にさきの3年間の記事作成の継続もまた、出来れば達成してみたいです。

他方、以前より読み進めている国際政治学の著作が、残り数十頁ではあるものの昨今の体調不良のため若干停滞気味ですので、とりあえずはこれを読了し、そして著作文中にあった面白い記述を抜粋引用しブログ記事としてみたいと考えています。

この著作を読むにあたり、近年、国際政治学関連の著作を読んでいないため、それなりに苦労しつつも読んでいますと、これまで知らなかったことが種々書かれており勉強になります。また、あくまでも感覚的なことではありますが、一つに我が国の社会全般において不足しているのは、こうした種類の認識ではないかとも思われるのです・・。

つまり、『ある程度シリアスに世界が我が国をどのように見ているか』といったことですが、おそらく明治時代以前の我が国とは、それを気にせずに、ある程度までは充足していた社会であったことから、それが本来の姿であるのかもしれませんし、また、その時代においてはたしかにそれで良かったのかもしれませんが、しかし現在とは、たとえ社会全般がさきの本来の姿に戻りつつあるとしても、その一方では、さまざまな情報が国際レベルにて日常的に行き来している社会でもあるのです。

つまり新聞・テレビなどに頼らなくとも、インターネットにより、ある程度精確に、その国の傾向・特徴(民度も)などが分かってしまうのです。しかし、そうであっても通常では考えられないような行動をしてしまうことが、自身をも含む我が国全般としての特徴ではないかと思われるのです・・。

そして、それがそうしたことを論点として他国より指摘・糾弾されますと『内政干渉だ!』とばかりに反論をするのは、それこそ論点をずらしているのではないかと思われるのです・・。

こうしたことは、さまざまなことに適応することが出来ると思われるのですが、特に強く感じるのは我が国の一部のアイドルやアニメに対してです・・。

自身はそれを憎むわけではありませんが、たしかに一面において我々日本人には、ある種の本能に基づく欲求をあまり隠すことなく、そしてアイドル・アニメなどといったカタチとしてその欲求を何かしらの文化にまで洗練・昇華した気にはなっているものの、傍目にはその本質は何ら変わっていないといったことが往々にしてあるのではないかと思われるのです・・。

本能に近い原始的な欲求に基づいた文化コンテンツばかりが(まさに)商業的に量産され、また、そうしたものが何の違和感もなく・憚ることもなく社会に受け入れられ、繁栄している社会・国とは、やはり傍目から見ますと、少なくとも尊敬に値する文化水準にあるとは見做されないように思われるのですが、さて如何でしょうか?

それでも私は自身と同様、今後の我が国に期待しています。

現在までに列島各地にて発生した、もしくは今現在も継続している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害により被害を被った
(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。


~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5