2022年4月17日日曜日

20220417 1800記事を目指しつつ思ったこと、鬱状態と離人感克服のためのブログ記事作成?

当記事を含めて、あと2記事の投稿により、総投稿記事数が1760に到達します。そうしますと、当ブログ開始から丸7年となる、来る6月22日までの、およそ60数日の間に、残り40記事を投稿することにより、丸7年間で1800記事を投稿したことになりますので、これを均しますと。10日のうち、丁度7日ほどは、新規の記事投稿を行ってきたことになります。これは当初、1000記事に至るまでの、(ほぼ)毎日1記事投稿していた時期と比べますと、若干頻度が下がったとは云えますが、それでも、この程度の期間、継続することが出来たのであれば、自らへの評価としては「まあ、悪くはない」と云えるのではないかと思われます・・。

また、この程度(1760記事)まで、どうにか至りますと、1800記事への到達も、これまでよりも多少、現実味を帯びてきますが、しかしながら、未だ先は長く、そして首尾よく6月22日までに(1800記事に)到達するためにも、今しばらくの期間、こうした記事作成を続ける必要性があることは、やはり、いくらか気を重くさせます・・。

しかしながら、この記事作成に際しての「気が重くなる」現象自体は、かなり以前からあり、それが顕著に強くなったのは、以前にも述べましたが、1000記事到達以降しばらく経ってからであり、また、この「気の重さ」に乗じて、しばらく記事を作成しないでいると、更に気が重くなり、記事作成が辛くなることから、昨今であれば、当ブログの安定した継続のためにも、おそらくは5日程度も、当ブログを休止することは出来ないだろうと思われます・・(苦笑)。

そこで、今回目標としている1800記事に到達することが出来ましたら、今度こそは、しばらくの期間、当ブログでの記事作成どころか、ツイッターなどのSNS全般からも離れてみたいと考えています。あるいは私の場合、休息や整理期間を充分設けずに、次の行動に移ってしまっていることが、度々あるのではないかとも思われます。

私にとってのそれは、2013年9月での学位取得から、アルバイトをしながら求職活動を続け、何度か(かつての)専攻分野での求人もいくつかありましたが、その分野では採用されることはなく、そのまま、とにかく応募し続け、そして、どうにか採用して頂いた職も、私にとっては(おそらくはもったいなくも)あまり熱心に打ち込むことが出来るものではなく、そこから、以前にはあった「情熱」のようなものが明らかに減衰していることが判然としました。以前の私は、どちらかと云えば活発に動く方ではあったのですが、この2013年からの求職活動の時期から、あるいは、以前の投稿記事にて述べた、継続する軽い鬱状態がまた強くなり、さらに「燃え尽き症候群」といった状態もあり、色々と動いてはいるものの、それらの意味を、あまり実感として理解することが出来なくなっており、端的には「離人感」と称するものであると思われますが、これは、2010年に師匠が去られた後から。自分なりに(ある程度)培ってきたと考えていた歯科生体材料学分野での知識・知見や技術などが、あまり世間で求められるものではないことを知った時に感じる、ある種の絶望感に近い感覚が発端にあり、こうした感覚が未だ現在、自分に根付いているからこそ「離人感」をおぼえ、そしてまた、それをどうにか健全なカタチで克服するためにも、当ブログを続けているのだとも云えるかもしれません・・。

また、おそらく、以前、私にブログ作成を勧めてくださった方々は、上述のことの半分以上は、傍目で見ていて、気が付かれていたのではないかとも思われます・・。

ともあれ、この継続する鬱状態や離人感の健全な克服のために作成している当ブログではありますが、その起点にあるものは、以前に経験した、あまり一般的ではない出来事であり、また、その結果として、現在、こうした、あまり(以前の専攻分野である)歯科生体材料学とは、あまり内容的には関係がないブログを作成していることは、捉え様にもよりますが、私としては、全く意味がないことではないようにも思われるのですが、さて、如何でしょうか?

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。
















2022年4月15日金曜日

20220415 欝々とした気分が続く中でも当ブログを続ける理由・・

これまで7日間連続で記事投稿をしてことが分かり、昨日は記事作成を止めて、先日から読み始めた書籍の続きを読み進めましたが、出て来る単語や、その意味合い、そして、その背景にある、世界観のようなものが、これまで、しばらく読んだものと異なるためか、読み進めるのに多少の苦労がありますが、こちらもまた、しばらく読み進めて行きますと、徐々に感覚を取り戻していくのではないかと思われます。

さて、この新たに読み進めている書籍は、我が国の古代を扱ったものであり、この分野の著作は、以前、自分なりに盛んに読んでいた時期がありましたが、関東に戻ってからは、ありませんでした。また、こちらの分野は、目にした遺跡や古墳などといった、実際に存在するもの、そして、その時の状況とも結び付いて記憶していることが多く、読み進める中で、書かれた地名や状況から、そうした記憶が想起されることも度々あります・・。

そのため、少し暖かくなってきますと、こうした状況の記憶が想起され易くなると云えるのですが、そうであっても、2020年来からのコロナ禍により、あまり遠方への外出が躊躇われますと、ある種の諦念が強くなり、そうした(遠出する)希望自体も徐々に減衰してゆき、そしてまた、その分野での、これまでに培った知識や知見なども、引き出し難くなっていくのではないかと思われるのです。つまり、端的には、興味が減衰すると忘れてしまうということだと思われますが、こちらは、私の場合、去る2009年以来、概ね継続していると云え、あるいは、こうしたブログのような発散もしくは発信活動を続けていなければ、それらの記憶は失われてしまい、そしてまた、より精神的に困難な状況に至っていたのではないかとも思われます。

つまり、2009年末頃から続いていると思われる欝々とした気分、デプレッションは、時に上下に波形を示しつつも、概ね、その調子を保持したまま、現在にまで至っているということになりますが、こうした継続する軽い鬱気味のような状態を、根本的になおすためには、どのようにすれば良いのかと考えることも度々ありますが、それはやはり、ありきたりではありますが、当ブログを続けてみることではないかと私には思われるのです・・。

これまで、当ブログにて、さまざまことを書き散らかしてきましたが、ここ最近では、初期の頃の、何と云いますか、洗練はされていないものの、自分なりの根源的な発信の型がある文章を作成することが困難になってきたと感じられます。しかし、その代わりに、そうした発想を内部に畳み込んだような文章が作成出来るようになってきたようも思われることから、単純に自分の文章に対する読み方が変わっただけであるのかもしれませんが、あるいは、多少の文章作成技術の向上などもあるのかもしれません・・。

また、先日の投稿記事にて述べましたが、読んで頂いていた記事から、私が、さらに別の記憶が想起されるということがあることにより、1000記事以降については、当ブログを続けることが出来ているとも云えますが、今後また、もうしばらくこれを続けてみますと、また別の、何と云いますか「相転移」のような現象が生じるのではないかとも思われるのです・・。しかし、こういった変化といったものは、主体として気が付くことは出来るものなのでしょうか・・?

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。















2022年4月14日木曜日

20220413 連携投稿後に読んで頂いた複数記事の間から想起される記憶について・・

ツイッターとの連携にて投稿した記事の閲覧者数を、しばらく経ってから見ますと、思いのほか、多くの方々に読んで頂いていることがあります。また、それら連携投稿した記事以外の、ここ最近は連携投稿をしなかった記事が閲覧されていることも、しばしばあります。そして、その読まれていた記事を、あらためて読んでみますと、その内容は、直近一連での連携投稿した記事の内容に関連するものであったり、あるいは、丁度、その少し前に脳裏をよぎった考え、記憶に関連するものであったりします。

こうしたことには、我が事ながら少し驚かされ、また、そこでの状況認識が精確であるならば、興味を持たれるのは「それら記事が、どなたが読まれているか」ということであり、これは、当ブログ投稿先である「ブロガー」では、殆ど分かりませんが、連携先である「ツイッター、フェイス・ブック」では、ある程度までは個人が認識できますので、そうした方々の中で、一体何方が、どのような(気まぐれな)意図で、それら記事を閲覧されたのかは、おそらく、判り得ないことではありながらも、やはり興味深いことであるとは云えます・・。

それ故、その日の夜に、直近の連携投稿記事の中で多くの閲覧者数を得ていた記事を開いて読み、そして、その連携投稿の後に比較的多くの閲覧者数を得ていた、昨今、連携投稿をしていなかった記事を開いて読んでみますと、大変興味深いことに、それらの内容が繋がることが多々あるのです。

そして、それらを繋げるものが、私の記憶であると云えるのですが、ここにおいても面白いことに、それら記憶というのは、具体的には、さらに以前の鹿児島在住時に、それらを繋げた、一つのものとして話していた記憶であり、こうしたことは、関連する投稿記事が提示されなければ、繋がらない、すなわち、記憶が想起されないことから、私としては、大変不思議に思われる現象であると云えますが、しかし、そこで想起された記憶が、果たして、本当に、それら関連するとされる、読まれた記事の関係に合致するものであるのかと考えてみますと、その検証方法ははなはだ困難であるように思われます・・。

とはいえ他方で、読んで頂いたいくつかの投稿記事から、それらの関連性を読み解く際に、過去の記憶が想起されるという現象自体は、一般的なことなのでしょうか・・?ともあれ、こうした内面での考えと、外界での出来事(いくつかの記事の閲覧)の検証のようなことを考えてみますと、何だか難しくなってきますが、しかし、歯科生体材料学での実験においては、こうした(測定機器に)表示される数値が本当に、その材料の測定項目特性を精確に示したものであるのかを調べるような、予備実験が為されることが多くあり、こうした実験の方法や進め方については、師匠が大変詳しく、勉強させて頂きましたが、元来、人文系であった私の意見としましては、こうしたことを、より多くの方々が実習などを通じて学び、さらに、日常生活においても、そこで得た技術や考えを身体化させて運用することが出来るような社会であった方が、我が国の場合は、そのすぐれて即物的な性質を、長所として伸ばしていくことが出来るのではないかと思われるのです。そして、その伸ばすための一つの試みが、かねてより、当ブログにて述べています医療系専門職大学の新設であると云えるのですが、さて読んで頂いている皆さまは、どのようにお考えでしょうか?

しかしまた、ハナシは戻り、ブログをある程度の期間続けていますと、いつの頃か、そのブログ自体が、記憶を想起させる装置のようなものとして機能するようになり、これはこれで、たとえば、新たな種類の表現、発信、そして記事を作成するための材料ともなり、自分としては、なかなか興味深いものであるようにも思われてくるのですが、さて、実際のところはどうなのでしょうか?

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。














2022年4月12日火曜日

20220412 株式会社新潮社 池内紀著「ちょん髷とネクタイ」時代小説を楽しむ pp.157‐158より抜粋

株式会社新潮社 池内紀著「ちょん髷とネクタイ」時代小説を楽しむ
pp.157‐158より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4103755032
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4103755036

鹿児島県と宮崎県南部にかけて、同じ地名があちこちにある。町村合併あ地名改正で急速に消えていったが、それでも出水市麓町、加世田市麓町、吾平町麓、田代町麓・・といったぐあいにのこっている。かつて薩摩領内で「外城」とよばれた防御拠点であって、総計100あまりをかぞえた。

 肥後・熊本城の壮大な石垣や濠や、再建された城を見た人は、薩摩。鶴丸城の貧弱さに驚くだろう。本丸跡は堀にかこまれ、石垣がのこっているが、加賀百万石につぐ七十余万国の雄藩にしては、なんとも小規模なものである。しかもそこには一度も天守閣が建てられず、櫓すらもなかった。城主の居城にあたる館があっただけ。鎌倉時代このかた薩摩一円を領してきた島津氏は、領民を支配するのにことさら威圧的な城郭を築く必要がなかった。「麓」を拠点とする外城がはりめぐらされ、藩内ではどこでも防備がとれる体制になっていた。西南の役で西郷軍の部隊を編制したのも「麓」の旧士族である。強力なつながりではあれ、ひとたび敗れると熊本城のように籠城ができない。

「薩摩の国の藩制は他藩と著しい相違がある」

そんなふうに断った上で、海音寺潮五郎は短編「唐薯武士」のなかでてみじかに述べている。ふつう藩士はほとんど全部が藩主を中心として城下町に集合しているものだが、薩摩藩では城下侍以外に「外城侍」というのがいて、これが城下侍の何十倍もの多数にのぼった。

「外城侍は普通には郷士という名称で呼ばれているが、他藩の郷士とはその身分も職制も違う。他藩では郷士というのは刀は差していても武士ではない。先祖が武士であった百姓がその由緒で帯刀しているに過ぎないし、領主からもよくて名主ぐらいの取扱いしか受けていないのだが、この国においては、立派に武士なのだ、また歴とした藩士なのである」

 百姓武士というもので、藩主から禄米や知行所をもらうかわりに田をもらい、みずから耕して生活している。一朝ことあれば武装して出陣するのはむろんのこと、平日にも輪番で城下に出た。

「・・・薩摩領内の俗に百二外城と言われる大きな村々に、四五百から少なくとも四五十に及ぶ家が、麓または脇本と呼ばれる部落をつくって住いしている」

 家のつくりに特徴があった。この地方に多い泥灰岩の切石か、スイカほどの大きなの自然石を積み上げた石垣、あるいは柞の生垣にかこまれ、前庭にはミカンや柿、梅、桃などの果樹があり、うしろに菜園をひらいている。

2022年4月11日月曜日

20220411 祥伝社刊 山本七平著「日本人とは何か。」ー神話の世界から近代まで、その行動原理を探るー pp.146‐150より抜粋

祥伝社刊 山本七平著「日本人とは何か。」ー神話の世界から近代まで、その行動原理を探るー
pp.146‐150より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4396500939
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4396500931

 「マッカーサーが日本を占領して天皇に「人間宣言」を出させた。そこではじめて日本人は、天皇が神であるという迷信から解放された。アメリカ人はそう信じているという話を聞きました。」

「ハハァ、面白い。というのは戦時中のアメリカの世論調査を見ると、天皇を日本人の唯一神と見ている人が44.2パーセントもいます。それが事実で、この事実がマッカーサーの一言で消えたとすれば、彼は神以上の人という、マッカーサー神話ともいうべき新しい神話が出てきたわけですな。アメリカ人も案外迷信深い。20世紀にもそまざまな神話ができるんだなあ」

「山本さんは笑っているけど、私は何とも釈然としないのです。されにそれが、神話をそのまま歴史として教えた結果だと言われるとね」

「私は昭和9年の小卒だけれども、神話をそのまま歴史として教えられた記憶はありませんね。第一、ヒコホホデミが海の底に下って海神の娘トヨタマヒメと結婚し、そこからウガヤフキアエズが生まれ、彼とその叔母、すなわちトヨタマヒメの娘のタマヨリヒメが結婚してカムヤマトイワレヒコすなわち神武天皇が生まれる。これが日本神話の終わりで、「日本書紀」はここで「神代」から「人代」に移るのですが、その直系の子孫がいまの天皇だなどという話は、それを事実だと小学生に言っても、信じますまい。もっとも進化論裁判(モンキー・トライアル)をやったアメリカのファンダメンタリストなら信じるかもしれませんが、日本で進化論がタブーであったことはありませんから。マッカーサーはファンダメンタリストを連想したんじゃないですか。もっとも天地創造神話が形成されたころからの天皇制がありながら、同時にコンピューターの大メーカーがある国なんて、アメリカ人には理解しにくいでしょうなあ。これも駆け足の結果で、誤解は無理もないですが、私がこの神話を読んだのは、実は「人間宣言」の後で、小学生のときではありません。」

 なぜこういう誤解を生じたか。誤解にはもちろん「種」があり、そのことは天皇の「人間宣言」の9年前すなわち昭和12年(1937年)の文部省の次の通達に現れている。

「・・・現津神(明神)或いは現人神と申し奏るのは、所謂絶対神とか、全知全能の神とかいう意味と異なり、皇祖皇宗がその神裔にあらせられる天皇に現われまし、天皇と皇祖皇宗とは御一体にあらせられ・・・」

 表現は当時の表現で大仰だが、「現津神」とか「現人神」とかいっても、それは「絶対神とか、全知全能の神」という意味ではないということ、これまた一種の「人間宣言」であり、元来、これらの言葉は道教の用語であるから文部省の定義は正しい。

 では一体文部省はなぜこんな通達を出さねばならなかったのであろうか。それは「God」を「カミ」と訳したために生じた概念の混同であったこと、同時に当時「天皇機関説」があったからであろう。「God=カミ」の訳を「甚だしい誤訳」といった人がいるが、そうはいえないまでも、きわめて混乱を引き起こしやすい訳であった。この点、16世紀に日本に来たザビエル以下のイエズス会宣教師が「Deus」をあくまで「デウス」とし、日本語に訳さなかったのは達見である。

 では西欧のGodと混同をしなかった時代の「カミ」はどのような定義であったのか。徳川時代の学者、新井白石と本居宣長の定義を次に引用しよう。まず白石の「東雅」からー。

「我国の凡そ称してカミというは、尊尚の義なりければ、君上のごとき、首長のごとき、皆これをカミといい、近く身にとりても頭髪のごときをいい、置く場においても、上なす所をさしてカミという」

 これはきわめて受け入れられやすい一般的定義で、政府をオカミ、上流をカワカミ、国の中心地をカミガタ等、ごく普通に使われ、非常に広い意味の「上なるもの」を指す。これをもう少し限定しているのが宣長の「古事記伝」における「カミ」の定義である。

「凡そ迦微とは、古の御典等に見えたる天地の諸々の神たちを始めて、其を祀れる社に坐御霊をも申し、また人はさらにも言ず、鳥獣木草のたぐい、海山など、そのほか何にまれ尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云なり。抑、迦微は如此く種々にて、貴きもあり、賤きもあり、強きもあり、善きもあり悪きもありて、心も行もそのさまざまに随ひて、とりどりにしあれば、大かた一むきに定めて論ひがたき物になむありける」

さらに彼は説明を進めて次のようにいう。

「すぐれたるとは尊きことを善きこと、功しきことなどの、優れたるのみを云に非ず。悪しきもの奇しきものなども、よにすぐれて可畏きをば神と云なり。さて人の中の神は、先かけまくもかしこき天皇(すめらみこと)は、御世御世みな神坐すこと、申すもさらなり。其は遠つ神とも申して、凡人とは遥かに遠く、尊く可畏く坐しますが故なり。かくて次々にも神なる人、古も今もあることなり、又天の下を受け張りてこそあらね、一国一里一家の内につきても、ほどほどに神なる人あるぞかし。さて神代の神たちも、多くは其代の人にして、其代の人皆神なりし故に、神代とは言なり」

 さらに彼は書記・万葉では、木霊も虎も猿もカミといわれ、海山も「磐根、木株、草葉のよく言語し類なども皆神なり」と記されていることを指摘する。

 もっとも現代では白石の定義も宣長の定義も、必ずしも正しいとはいえない。しかし重要なことは、西欧と接触する以前の日本人自身は「カミ」という言葉をそのように定義していたという事実である。


20220410 早川書房刊 ジョージ・オーウェル著 高橋和久 訳「1984年」 pp.79‐82より抜粋

早川書房刊 ジョージ・オーウェル著 高橋和久 訳「1984年」
pp.79‐82より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 9784151200533
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4151200533

「辞典の進行状況はどんな具合なんだ?」ウィンストンはそのしゃべり声に負けまいと声を張り上げた。

「時間がかかるね」」とサイムが答える。「形容詞を担当しているんだが、実に面白い」彼はニュースピークの話が出たとたんに顔を輝かせた。シチュー皿を脇にどけ、華奢な手の一方で厚切りパンを、もう一方で角切りチーズを取り、怒鳴らなくても済むようにテーブルの上に身体を乗り出す。

「第十一版は決定版になる」彼は言った。「ニュースピークを最終的な形に仕上げようとしているんだー誰もがニュースピーク以外話さなくなったときの形にね。それが完成した暁には、君のような仕事をしている人間は、きっともう一度すっかり学び直さなくてはならなくなる。おそらく君はわれわれの主たる職務が新語の発明だと思っているだろう。ところがどっこい、我々はことばを破壊しているんだー何十、何百という単語を、毎日のようにね。ニュースピークをぎりぎりまで切り詰めようとしている。第十一版には、2050年までに死語となるような単語は一つとして収録されないだろう。」

 彼は貪るようにパンをかじり、二度ほど口一杯に頬張って飲み込むと、衒学者の情熱とでも呼ぶべきものに突き動かされたように話を続けた。細面の浅黒い顔には生気がみなぎり、目からは嘲笑の色が消えていて、ほとんど夢見るような眼差しに変わっている。

 「麗しいことなんだよ、単語を破壊するというのは。言うまでもなく最大の無駄が見られるのは動詞と形容詞だが、名詞にも抹消すべきものが何百かはあるね。無駄なのは同義語ばかりじゃない。反義語だって無駄だ。つまるところ、ある単語の反対の意味を持つだけの単語にどんな存在意義があるというんだ。一つの単語にはそれ自体に反対概念が含まれているのだ。良い例が〈良い〉だ。〈良い〉という単語がありさえすれば、〈悪い〉という単語の必要がどこにある?〈非良い〉で十分間に合うーいや、かえってこの方がました。〈悪い〉がいささか曖昧なのに比べて、まさしく正反対の意味になるのだからね。或いはまた〈良い〉の意味を強めたい場合を考えてみても、〈素晴らしい〉とか〈申し分のない〉といった語をはじめとして山ほどある曖昧で役立たずの単語など存在するだけで無駄だろう。そうした意味は〈超良い〉で表現できるし、もっと強調したいなら〈倍超良い〉を使えばいいわけだからね。もちろんわれわれはすでにこうした新方式の用語を使っているが、ニュースピークの最終版では、これ以外の語はなくなるだろう。最後には良し悪しの全概念は六つの語ー実のところ、一つの語ーで表現されることになる。どうだい、美しいと思わないか、ウィンストン?むろん元々はB・Bのアイデアだがね」彼は後から思いついたように最後のことばを付け足した。

 〈ビッグ・ブラザー〉の名を耳にしたとき、熱意の醒めたような表情がウィンストンの顔をほんの一瞬だけよぎった。それでもサイムはすぐに相手の意気込みが萎えたのを見抜くのだった。

「ニュースピークの真価を理解していないな、ウィンストン」彼の口調はほとんど悲しげだった。「君はニュースピークで書いていても、まだオールドスピークで考えているんだ。君が《タイムズ》に時折書いているものはいくつか読ませてもらっている。なかなかいいと思うよ。だがあれは翻訳なんだ。心の中ではオールドスピークをあくまでも守りたいと思っている。その曖昧さや意味の無駄なニュアンスなんてものを含めてね。ことばの破壊が持っている美しさが分かっていない。ニュースピークが年ごとに語彙を減らしている世界で唯一の言語であることを知っているかい?」 

 ウィンストンはもちろん知っていた。彼は共感を滲ませるように微笑んだが、何かを口にする度胸はなかった。サイムは黒っぽい色をしたパンをもう一口かじり、少し噛んだだけで話を続けた。

「分かるだろう、ニュースピークの目的は挙げて思考の範囲を狭めることにあるんだ。最終的には〈思考犯罪〉が文字通り不可能になるはずだ。何しろ思考を表現することばがなくなるわけだから。必要とされるであろう概念はそれぞれたった一語で表現される。その語の意味は厳密に定義されて、そこにまとわりついていた副次的な意味はすべてそぎ落とされた挙句、忘れられることになるだろう。すでに第十一版で、そうした局面からほど遠からぬところまで来ている。しかしこの作業は君やぼくが死んでからもずっと長く続くだろうな。年ごとに語数が減っていくから、意識の範囲は絶えず少しづつ縮まっていく、今だってもちろん、〈思考犯罪〉をおかす理由も口実もありはしない。それは単に自己鍛錬、〈現実コントロール〉の問題だからね。

2022年4月9日土曜日

20220409【架空の話】・其の92 【モザイクのピースとなるもの】【東京訪問篇⑫】

「はい、IM大学のST先生のことであると思いますが、こちらの先生は、本職である大学教員のほかに、ご本人は「あくまでも趣味」と仰っているようですが、料理がかなり上手とのことで、それを何処かで聞き付けた出版社か新聞社が特集を組んだと云う話を聞いたことがありましたが、それとお話に出ました岡山医療専門職大学がどのように結節するかは存じ上げませんが・・あるいは、こちらのST先生が、岡山の医専大で何らかの職を得て赴任されるなどでしょうか・・・?それと、御実家が兵庫県のどちらかと云えば岡山寄りの西の方であると、どこかで読んだ記憶がありますので、何かしらの地縁などもあるのでしょうか・・?」

と返答をすると、CH院長は少し驚いた様子で「・・おお、そこまでよく知っているねえ!それに、その推理は全部正しいわけではないけれど、結構イイ線行っていますよ。うん、正直、歯科関係者から、ここまでの返事を聞けるとは思っていませんでしたが、**さんは、たしか歯科技工士でK大院の博士院生であるとお聞きしていますが、あるいは以前に文系の勉強をしていたのですか・・?」と続けて私に訊ねてこられた。そこで私は、今回CH先生を紹介してくださったD先生の医院で歯科治療を受けて、その縁からK医療専門職大学に学士編入し、そして、その後K大院に進んだが、それ以前の専門は英文学であり、ジョゼフ・コンラッドの作品「闇の奥」についての研究で修士号を取得した旨を述べた。

そうするとCH先生は更に驚かれたようで「ええ!K医専大だから向うの方々がいらっしゃるとばかり思っていましたが、**さん、あなたはこっちの人なのですか!?・・しかもD先生の患者さんですか・・。D先生とは同じ研究室に所属したことはありませんが、私が補綴の研究室で院生から医員であった頃、理工の研究室で助教をされていて、また、その少し前にS先生がK大学に教授として赴任されたのではないでしょうかね・・。まあ、そのような感じでして・・それで、先生方はお分かりであると思いますが、補綴分野での実験は(歯科)理工と協力して組み立てることが多いことから、私も当時、D先生には色々とお世話になりましたが、それからすぐにD先生は開業されることになり大学を辞められましたが、その後も勉強会や学会でお目に掛かった時は、一緒に飲みに行ったりしています・・(笑)。

まあ、D先生が大学を辞められた後、私も補綴の研究室でどうにか助教になりましたが、運が良いのか悪いのか、それから1年程経った頃に、割に近い親戚から条件の良い開業向けの物件を教えてもらい、色々と考えて、そこで開業したのが当医院であるのですが、もうあれから随分経ったようにも思えますし、また、昨日のようであるようにも感じられますが、実際には9年ほどなのですね・・。

ええ、まあ、それは置いておきまして、さきのST先生のハナシですが、そう、こちらの先生は、国際関係論の研究者でありつつ著作も数多く、まあ、分野違いの私などは専ら新書ばかりを読んでいるのですが、それでも興味深く、勉強になりますね・・。いや、高校生の頃、私は、そちらの分野への憧れを持っていたのですが、しかし、私のいた高校は医科系大学の付属校でして、周囲の多くは医学部や歯学部などに進むような環境であって、それに進路指導の先生も、熱心にそちらを勧めてきましたので**歯科大学に進学したのですが、歯科の方も私にはそれなりに合っていたようで、現在もこうして続けさせて頂いていますが、少し時間に余裕が出来できますと、やはり、かつて興味を持っていた分野も気になるもので、時間を見つけては色々と読んでいますが、そうした中で、さきのST先生のハナシが新聞に載っていましてね・・。

それによると、後進に快く道を譲ることが出来るようになるためにも、現在の専門分野以外にて何か専門資格を取得しようと思い、そこで、料理が得意であることから、今度はより科学的な観点から料理や食料全般について考えることが出来るようになるために管理栄養士の資格取得を目指し、御実家からもどうにか通うことが可能で、学費が安価な岡山の医療専門職大学に学士編入試験で受験されて、通うことになったとのことですが、既にご家族が東京にいるため単身で移り住み、そこでは、学業と共に執筆や翻訳は出来るだけ続けられるとのことでした。また、出版社なども、そうした云わば「変わった学生さん」は話題になると考えて、おそらく、また、何か執筆依頼をされるのではないでしょうかね・・。しかし、こうしたことは、執筆や翻訳などで、ある程度の収入を得ることが出来ている先生であるから可能なことであり、ほかの研究者では、あまり真似は出来ないのではないでしょうかね・・。

それで、これに対するST先生の見解は「現在勤務している大学は一度退職しますが、医専大で管理栄養士の資格を得ることが出来たら、国際会議や学会での出席者参加の夕食会で料理を饗して、それらを観念的意味での材料として、国際関係論や文学でのトピックと関連させた講演や発表をしてみたい。」とのことでしたが、たしかにこれは新しく興味深く、斬新な試みであると思いますね・・。」とのことでした。」

約言すると、現役の人文系研究者が路線変更をして学士編入で医専大に入り管理栄養士を目指すということであり、たしかにそれは大変興味深いとは云えるが、果たして、その先の具体的なキャリアはどうなるのかと考えてみると、あまり思いつかず、あるいは、現在のような「転換期」とも云える時代にあっては、そうした選択も決して悪くないのかもしれないと思われたが、そこで、不図、我に返り「いや、こうしたことは私の将来にも少なからず関連するかもしれない・・。」と思い慄然としたが、その当時の私は、普段、あまりそうしたことを具体的に考える習慣がなかった・・。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。