2022年3月30日水曜日

20220329 中央公論新社刊 中公クラシックス 宮崎市定著「アジア史論」pp.18-21より抜粋

中央公論新社刊 中公クラシックス 宮崎市定著「アジア史論」pp.18-21より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121600274
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121600271

西アジア地域に対抗して絶えず反撥的に発展して来たヨーロッパ地域はもともと西アジア地域より分裂して発生したものである。この分離独立を完成した中心力は古代ギリシャの都市国家群であった。ヨーロッパの古代史的発展もまた、最初の国家形態として都市国家なるものを有し、しかしてこの都市国家は、その傍らに西アジア地域の先進文明を控えたる為めに、絶えずその刺激を蒙ること強く、都市国家的性格を比類なき高度にまで発揚するを得た。これギリシャ古典文明が他地域の古代に比して卓越せる所以であったのである。しかしてギリシャにおける都市国家的性格の強さは、一方においてその政治的大同団結を妨げる原因ともなった。ギリシャ都市国家群の指導者たるアテネもスパルタも遂にギリシャ民族の統一を完成してこれを大帝国に鎔鋳することが出来ず、ギリシャはその世界史的任務において、単にヨーロッパ地域を西アジア地域より分離せしめたるのみにして止まり、ヨーロッパの古代史的発展の完成は、更に西方に起りたるローマ民族の出現を待たねばならなかったのである。

 かつてギリシャの盛時、アテネの海上勢力を背景としてその指導の下に所謂デロス同盟が成立し、宛然たる海上帝国の観を呈したが、その範囲は東地中海に限られ、かつ継続すること幾くもなくして、同じギリシャ国家スパルタの反撃に遭い、脆くも雲消霧散してしまった。然るにこのギリシャ文明の余波を受けて更に西方、地中海中央に突出せるイタリア半島に勃興したのがローマ帝国である。ローマは初めフェニキア植民地カルタゴと地中海を隔てて相争い、先ず西地中海岸を平定して後、東地中海に向い、ギリシャ諸国及びエジプトを征服し、更にシリアを併合して、ここに東西地中海の大統一を完成した。ヨーロッパ地域の古代史的発展はギリシャに始まり、ローマによって達成せられた。しかしてローマはこの大統一を完成せる暁、もはや古の都市国家でもなく、人民共和国でもなく、宛として西アジアの古代ペルシャ王朝に擬する大帝国に変形していた。実年代をもってはかるならばローマ帝国の完成者ケーザルの時代は、ペルシャのダリウス大王に後れること約500年である。

 ヨーロッパ地域が大統一に向って驀進する時は、あたかも西アジア地域が既に古代史的発展を終って中世に入り、分裂的傾向の顕著に現われいたる時代である。この相異なる二つの減少の間には、何かしら必然的な相互依存関係が存在することを推察せしめる。恐らくそれは、両地域の中間に位するシリア地方の向背が鍵となっているであろうと思われる。即ちヨーロッパ地域は西アジア地域に向ってその領域を拡大し、従来は西アジア地域であった小アジア、シリア地方からエジプトまで含めて、その傘下に収め、西方に大ローマ帝国が出現すると同時に、旧西アジア地域は著しくその領域を縮小されたのである。領域の拡大はいよいよその内部における交通貿易を旺盛ならしめる反面、領域の縮小された地域では景気の下降、生産の不振が起り、それが商業の衰微とあんり、地方の分裂を招き、いよいよ景気の下降を招来するという悪循環に陥るのである。

 ヨーロッパと西アジアとは、この時にはシリアを支点としたシーソーの形となり、ヨーロッパが上がれば上がるだけ、西アジアが下降するという関係におかれていた。さりながら、両者を比較した時、文化の伝統の深さは勿論、同日にして語ることは出来ない。シリア、小アジアはもちろん、これに隣接するギリシャ、エジプトもまた古い文明の栄えて社会の発展の進みたる地域である。さればローマ帝国の内部においては、文明の潮流は東地中海より西地中海に向って動いた。しかして更に大いなる文明の動きは、西アジアの政治様式のヨーロッパ地域への輸入であった。原来はローマ共和国の市民代表者に過ぎざる歴代のケーザルは、西アジア地域と接触する間に、次第にその外貌を改め、王衣を着け玉座に上り、その実質もまた純然たる東方流の専制帝王と化した。東方の経済もまた、ローマ的古代市民社会を変質させて行った。ローマが政治力と軍事力とによって搾取した地方の金銀貨は、いったんローマに運ばれたが、それはやがて東方の物資を購入するために流出を続けた。東方における組織された大農地経営の生産物に圧倒されて、イタリアの小農、自作農は次第に没落して行ったのである。所詮、人為的な好景気は永続きしない。ヨーロッパは先進地域たる西アジアがかつて辿った運命に追従しはじめ、ローマ帝国は大ケーザルの出現以後約300年にして東西分治のことあり、漸く遠心的分裂的傾向を示し、この傾向は更に100年を経て、北方よりするゲルマン民族の侵入によって決定的なものとなった。東ローマ帝国が僅かにバルカン半島東西近傍を保って、ローマ文明の命脈を維持するを除き、帝国の領土は挙げて侵入者の占領割拠する所となり、四分五裂して、ここにヨーロッパ地域古代史の終焉を見るのである。時に西紀375年、西アジアにおける古代史の終末に遅れること約700年である。

2022年3月28日月曜日

20220328 株式会社blueprint刊 宮台真司著「崩壊を加速せよ」「社会が沈んで「世界」が浮上する」pp.179-181より抜粋

株式会社blueprint刊 宮台真司著「崩壊を加速させよ 「社会」が沈んで「世界」が浮上する」pp.179-181より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4909852093
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4909852090

日本は、1970年代後半以降の製造業一人勝ちのラッキーによる右肩上がりの継続が、新自由主義的方向へのシフトを妨げて旧自民党的な再配分政治を継続させ、チェルノブイリ事故が他人事に思えたラッキーが、1990年代以降の「食とエネルギーの共同自治」を妨げた。
 
 むしろ欧米の動きとは対照的に、1980年代半ば以降の日本は、一方でコンビニ化&ファミレス化に象徴される「市場依存」が進み、他方で日米構造協議の末に日本政府が応じた430兆円の公共事業に象徴される「行政官僚制依存」が進んで、共同体が空洞化し続けた。

 1989年から91年にかけて冷戦体制が終わり、グローバル化という資本移動自由化が進んだことで、91年のバブル崩壊以降の日本では、「社会の穴を辛うじて埋め合わせていた経済」が回らなくなり、社会の穴ー共同体空洞化ーが、ひたすら顕在化するはめになった。

 それが、英国の三倍、米国の二倍にも及ぶ高自殺率をもたらし、昨年(2010年)話題になった高齢所在不明問題や乳幼児虐待放置問題をもたらし、孤独死や無縁死をもたらすことになった。システム(市場と行政)がうまく回る「平時」を、永続するものだと自明視化したツケだ。

 丸山眞男の言葉を使えば、まさに「作為の契機の不在」だ。システムは自明ではない契機がたまたま噛み合うことで辛うじて回るに過ぎないのに、ここに川があり、あそこに山があるかの如く、また、太陽がいつも東から昇るが如く、単なる自然だと見做す傾向を意味する。

 システムは偶発的契機のセットが与える「ありそうもない秩序」であるがゆえに、システムが回らなくなった場合を想定して、「食の」「エネルギーの」「資源の」「技術の」「文化の」安全保障の観点から共同体自治を確保することが大切だが、日本には無縁な営みだった。

 震災は、被災者支援においても、市場と行政に依存し過ぎた社会の脆弱さを突きつけた。支援物資が集まっても配分に手間取る。義援金が集まっても支給開始が遅い。共同体自治に支えられた市町村や、市民自治に支えられたNPOが、欧米よりも圧倒的に脆弱なことが関係する。

 阪神淡路大震災後の仮設住宅では、極めて多数の自殺や孤独死が生じた。物資の配給や就労などの経済的自立だけでは、人は生きていけない。そのことを教訓として織り込んだ被災者の定住化政策ー共同体自治への包摂ーも、日本では全く議論の対象になっていない。

 共同体自治や市民自治の不在ゆえに困難な支援物資配分を、ツイッターでの交流が助けた。それもあって「空洞化した地域や家族の共同性をネットの共同性が埋める」という類の幻想が拡がっている。若手論者に多いこうした議論はそれ自体がシステムへの過剰依存ぶりを示す。

2022年3月27日日曜日

20220326【架空の話】・其の90 【モザイクのピースとなるもの】【東京訪問篇⑩】

医専大口腔保健工学科からの見学とのことから、結果的に、やはり技工室の見学により多くの時間が割かれ、その後、院内見学を一巡すると、時刻は17:00を過ぎていた。

CH院長は見学の途中で何度か診察や電話などの所用のために中座されたが、やがて戻って来ては、また設備や機器の説明を続けてくださった。おそらくは、元来が説明や話し好きの性分であるのだと思われたが、説明から続いた雑談で、国際情勢に関する話題やユヴァル・ノア・ハラリの著作などについても、ごく自然な感じで触れたため、人文系上がりの私としては、それらのハナシにかなり惹き付けられたが、今回の私の役回りは、あくまでもE先生の補助であることから、少なくとも、ここでは静かにしておいた方が良いと考え、黙っていた。

E先生の方は、技工室を含めた院内各所でさまざまな質問をされていたが、とりわけ、小児専用の治療スペースや、メンテナンス専用のマイクロスコープを備えたチェアが並んだスペースでは、いろいろと訊ねられていたが、おそらくこれらは、大学での職務であると同時に、御自身の開業などに備えてのことであったのかもしれない・・。また、さきの技工室にてE先生は技工士長のHDさんとも会話をされていたが、そこで共通して知っているHK教授の名前が挙がった。

こちらの教授は、E先生が学部に在籍されていた頃は歯学科におられて、後に口腔保健工学科が新設されると、そこに移り、教授になられた先生であり、また、専門分野が歯科生体材料学であり、研究、教育にくわえて、講演や執筆活動なども比較的活発にされていたことから、界隈では著名と云える先生であるが、この技工士長のHDさんの修士課程での指導教員が、こちらのHK先生であったということを聞いてE先生は驚いておられた。また、HDさんがこちらの医院に勤務するようになってからは、院内勉強会での講師としてHK先生を招いたとも聞き、こうした様子も、いかにも首都圏、東京といった感じを受けたが、ともあれ、こうした一民間医療機関が、先ほどのKA先生を顧問として招聘し、また、HK先生を院内勉強会での講師として招くといったCH院長の目的はよく分からなかったが、あとになり色々とお話を伺っていると、何となく繋がってきた。

CH院長は、さきのKA先生の門下であり、同時に、今回の出張初日に実験打合せのために訪問した**歯科大学のOBでもあった。また、こちらの院長の大変興味深いと思われる点は、臨床を日常とする歯科医師であるにもかかわらず、自分の専門領域のみに拘泥することなく、さまざまな分野の方々と積極的に交わるようしていることであり、これは、これまでの一連の会話を聞いていた分かったが、また、そうした一つの顕われが、さきの国際情勢やハラリの著作についての言及になったのだろうと思われるが、ともあれ、そうした話題の中で特に興味深く思われた医専大に関するトピックは以下の通りであった。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
順天堂大学保健医療学部


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~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

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2022年3月26日土曜日

20220325【架空の話】・其の89 【モザイクのピースとなるもの】【東京訪問篇⑨】

14時半過ぎに院長室を後にした我々は、まず、同じフロアにある技工室に案内された。技工室は概ね20畳ほどの広さがあり、部屋中央には技工机6つが置かれ、歯科技工士スタッフが4人、それぞれの机にて何らかの技工作業を行っていた。また、空いている2つの机の一つは空いているとのことで、もう一つの方はスタッフが休日とのことであった。

また、技工室では、これまでに実物を見たことがなかった新型のPCに接続する切削加工機器や、医療機器としての認可を受けた3-Dプリンターなどが設置され、それらの用途概要についてはCH院長から説明を受け、また、詳細な説明については技工士長にして頂いた。

また、ここで驚かされたのは技工士長が比較的若い女性であったことであり、一連の説明を受けた後にE先生が、技工士長に対して、こちらの医院に勤務するまでの経緯を訊ねると
以下のような返答であった。

「はい、私はTMD大学の口腔保健工学科の学部を出て、さらにマスター(修士課程)に進み、そして歯科系企業であるY社に入社しまして、主に納入機器のメンテナンスや、技術営業などといった業務に従事していましたが、入社2年目に、納入機器のちょっとした不具合のメンテナンスのため、こちらの医院に訪れることになったのですが、その際、事前に上司の更に上司である取締役に呼ばれ「あそこの医院は、先端的な取組みも色々と試みているし、また、我が社の新規開発途中の機器についての臨床的アドバイスも色々と頂いていることから、出来れば熱心に取組んで欲しい。それと、現場で何か問題が起きたら、すぐに私の携帯電話まで連絡をください。」とのことで、そこから、会社上層部とも繋がりのある医院さまであることは分かりましたが、実際に訪問してみますと、置いてあるさまざまな設備には驚かされました。さらに口腔保健学科に在籍していた同期が歯科衛生士として、こちらで勤務していることが分かり、久しぶりに会って話しをしたところ「ここの医院では、色々と先端的な取組みが出来て、研究や学会発表などの活動に対しての理解もあり、支援もしてくれるとのことでこちらに決めた。」とのことであり、その後もメンテナンスや機器の操作説明のために、こちらを訪問させて頂いていたある時、先ほどの同期の歯科衛生士から「最近、ウチの歯科技工士さんが何人か定年退職されたのだけれども、まだ補充が見つからずに、院長は「この機会に歯科用CAD/CAMシステムやミリング・マシンを導入し、さらに、そうした一連の機器について、ある程度詳しい、若手の歯科技工士さんに来てほしい。」と云っていたから、もし、あなたが応募して採用されたら、すぐに技工士長になれるかもしれないわよ。」とのことで、それで、先のことを色々と考えまして、こちらに勤務させて頂くことにしたのですが、入職後に分かったことですが、この時、同期の歯科衛生士は、CH院長から「Y社からメンテナンスで時々こちらに来られる、あの歯科技工士さん、知り合いだったら勧誘して頂きたいのですが・・。」と頼まれていたということでした・・。」とのことで、こうしたことも、何やら「首都圏、東京ならでは」といった感じを受けたが、ともあれ、この技工士長HDさんによる機器についての説明や、そのほかのハナシはもう少し続き、時刻は15:32となっていた。

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2022年3月25日金曜日

20220324 岩波書店刊 岩波現代文庫 ウンベルト・エーコ 著 和田忠彦 訳「永遠のファシズム」pp.10-13より抜粋

岩波書店刊 岩波現代文庫ウンベルト・エーコ 著 和田忠彦 訳「永遠のファシズム」pp.10-13より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4006003889
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4006003883

過去数世紀において、戦争の目的とはなんだったのか?戦争は敵を打ちのめすために行われてきた。それは敵の敗北から利益を引き出し、こちらのー特定の結果を得るために特定の方法で行動するというー意図を、敵の意図を実現不可能にするような方法で戦術的・戦略的に実現するために行われてきた。その目的のためには、配置可能な兵力すべてを戦場に送ることができるようにしなければならなかった。最後には、こちらと敵のあいだで戦闘が行われた。他者の中立、つまりわが方の戦争が戦争が第三者に迷惑をかけない(しかもある程度かれらが利益を得ることができる)という事実は、こちらが自由に作戦を遂行するために必要なことだった。クラウゼヴィッツの「絶対戦争」でさえ、この制約からは逃れられなかった。

 「世界戦争」という概念が生まれたのは、ようやく今世紀のことである。それはポリネシアの諸部族のような、歴史のない社会をも巻き込むような戦争を指すものだった。原子力、テレビ、航空輸送の発明によって、そして多様な形態をもつ多国籍資本主義の誕生によって、戦争の不可能性をしめす条件がいくつか証明されることになったのである。

1 核兵器は、核による抗争に勝者は存在せず、あるとすれば地球という敗者だけであると万人に納得させるものだった。しかし、まず原子力戦争がエコロジーに反するものであると気づけば、ついで、あらゆる反エコロジカルな戦争は原子爆弾によるものと同じであり、結局いまやどんな戦争も反エコロジカル以外の何ものでもないと納得がいくはずだ。原子爆弾を投下する(あるいは海を汚染する)者は、中立の人びとにだけでなく、地球全体に宣戦布告することになる。

2 戦争はもはや敵対するふたつの戦線のあいだで起こるものではない。アメリカのジャーナリストたちのバグダッドでのスキャンダルは、規模の大きさからいえば、反イラク同盟諸国に生きる何百万というイラク・シンパのイスラム人のスキャンダルに等しい。かつての戦争では、潜在する敵対勢力は拘禁(あるいは抹殺)されたし、敵地にあって敵の利を説いた同胞は、戦後、絞首刑に処せられたものだ。しかし戦争はもはや、多国籍資本主義の本質そのものによって、正面衝突にはなりえない。イラクが複数の西欧企業によって武装したことは偶然ではない。これは成熟した資本主義の論理に適ったものであり、個々の国家による統制を免れるものだった。アメリカ政府は、テレビ取材班が敵の思惑に乗せられていると判っても、相も変わらず、共産主義シンパの頭でっかちの陰謀によるものだと信じていた。対照的にテレビ取材班のほうは、「新聞だ、おやじ、あんたには止められないさ」と言いつつ、裏切り者のギャングに輪転機の音を電話ごしに聞かせるハンフリー・ボガートよろしくヒーローを気取っていた。しかし情報産業の理論において、情報は商品であり、しかも劇的であるに越したことはない。メディアは戦争に笛を吹くことを拒絶したわけではない。メディアは単に、回転軸にまえもって転写されていた音楽を演奏している自動ピアノにすぎない。こうしていまや、補給路にはどんな敵が待ち構えていても不思議ではないという、あのクラウゼヴィッツでさえ受け入れられなかったであろう事態が戦争に生じている。

3 メディアが言論を抑圧されるときでも、さまざまな新しい通信技術が阻むことができない情報の流通を可能にするーそれは独裁者にも阻止できないものだ。このために活用される最小限の技術的基礎設備は、その独裁者にしても手放せないものだからだ。こうした情報流通は、伝統的な戦争においても諜報活動が果たしてきた機能を担っている。つまり奇襲攻撃をことごとく無効にする点においてであるーおよそ敵に奇襲をかけられない戦争などありえないはずだ。およそ戦争は敵に対して知恵をはたらかせるように仕向けるものだ。しかし情報はそれ以上のはたらきをする。絶えず敵に語りかけ(あらゆる軍事政権の目的は敵側のプロパガンダを阻止することにあるのだから)、自国政府に関して個別的に市民を意気阻喪させる(一方クラウゼヴィッツは、勝利の条件は全軍人の道徳的結果であると説いた)のである。過去の戦争はすべて、市民たちが戦争を正しいと信じ、敵を倒すことを願ってやまないという原理にものづくものだった。ところがいまでは、情報は市民の信頼をゆるがすだけでなく、敵の死よりもまず自分たちの心を痛ませるものとなっているーそれはもはや遠くのぶんやりした出来事ではなく、目に見える堪えがたい出来事なのだ。

2022年3月24日木曜日

20220323 中央公論新社刊 中公クラシックス 宮崎市定著「アジア史論」pp.353-355より抜粋

中央公論新社刊 中公クラシックス 宮崎市定著「アジア史論」pp.353-355より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121600274
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121600271

世界地図は西洋人の探検の進捗にしたがって次第次第に海岸線が正確に詳細に描かれるようになるが、世界中で最も製図の遅れた部分は大洋州と、それから北海道・カラフトの一角とである。日本の領土の辺陬が世界で一番知られない所であったという事実はそもそも何を物語るであろうか。それは取りも直さず、日本が世界の端になったのである。もう一つ言いかえると、世界文化の大きな動きの中で、日本はもう一度、世界のターミナルになったのである。事実、近世の日本は、まだ十分近世化していないで、多分に中世的な性質を残しているところへ、中国の近世と西洋の近世とが折り重なって流れこんだのである。むしろ、二つの外来の近世に影響されて、日本の近世は近世たり得た、と言ってもよい。

 ところで、この近世日本のターミナル文化と比較してみたときに、どんな相違がその間に見出されるだろうか。古代日本のターミナル文化は後世に素晴らしい傑作を残している。法隆寺や新薬師寺、東大寺の建築、仏像はいうも更なり、正倉院の御物、宮中伝来の雅楽など、燦然たる大陸文化の光輝を伝えている。もっともこれを古代というのは日本の立場からで、大陸からいえばせいぜい中世文化にすぎぬが、それにもせよ、大陸では既に滅亡して跡形ないものが日本にはほとんどそのままの鮮やかさをもって伝来し、時にはそのままの生命のいぶきさえ感じ取られることは実に驚くべき事実である。

 ところが近世の日本には、その雛型となった中国の近世も、西洋の近世も、別に誇るに足る傑作を残しておらぬのである。それは単に滅び去ったためばかりではない。たとい京都に南蛮寺が残っていたとしても、それはヨーロッパの田舎町の教会堂に比べることさえできぬ代物であったであろう。これはやはり受入れ当事者の地位によることである、古代日本においては大陸文化の受容者は主権者、貴族を中心としたグループであったので、権力と財力とを背景として、大陸の上流文化を根こそぎ移し植えたのである。その上に当時の中国は貴族時代で、文化も分散的であったため、あまりに容積の大規模なものは流行らない。長安の貴族の生活も、揚州の貴族の生活も、杭州の貴族の生活も、程度において大した変りがなかった。同様に日本の貴族の生活も中国のそれとあまり大きな逕庭はなかったのである。だから仮に法隆寺をそのまま、唐の長安へ持って行っても、決して最高級ではなかったであろうが、またさして見劣りもしなかったであろうと思われる。光明皇后の使った鏡は、楊貴妃の使った鏡とほとんど同じものである。

 ところが近世日本の権力者は、外国文化を輸入するよりも、流入を阻止するに努力した。これでは傑作のできるはずがない。日本の大名たちは化物の出そうな天守閣を背景にこしらえて、その下にただ在来の建築を大きく引き伸ばしたに過ぎない邸宅に住んで満足していた。明・清の北京宮殿を真似しようともせず、ベルサイユ宮殿を模倣しようとも考えなかった。甚だドライな野人だったのである。ただ幕府や諸大名の力で建立された黄檗山万福寺が、中国の近世を移植した唯一の例とでも言えようか。但しこれも大した上等品ではない。


2022年3月22日火曜日

20220321【架空の話】・其の88 【モザイクのピースとなるもの】【東京訪問篇⑧】

E先生と私は席から立ってCH院長を待っていると、すぐにドアが開いて、白衣を着た人物が二人入ってきた。一人目の人物がおそらく院長であると思われるが、その身長はあまり高くはなく、おそらく170㎝ほどであり、また体格については身長に比べ肩幅が広く、頭髪は若干額が後退気味ではあったものの、白髪は少なく、おそらく年齢は40代後半であるように思われた。そして、その人物が我々に「ええと、D先生からのご紹介の先生方ですよね。」と、ハリのある元気な声で訊ねてこられた。そこでE先生は「はい、こちらがD先生からの紹介状となります。」と返答されて、背広の内ポケットから、さきに預かった名刺を取り出し、D先生が記した面を上にしてCH院長に手渡した。

それを受け取ると院長は両面をきちんと確認してから、あらためて「・・了解しました。それで、こちらがK医療専門職大学のE先生で、そして、もう一方がK大大学院の**さんですね。」と訊ねられた。E先生と私はほぼ同時にハモりつつ「はい、そうです。」と返答し、続いてE先生が「本日はご多忙のところお時間を設けて頂き、どうもありがとうございます。それで、こちらはつまらないものではありますが、先生をはじめ医院の皆さまで召し上がってください。」と云い、私はそれを察して「かるかん」が入った蒸*屋の紙袋を二つとも静かに差し出すと、E先生は阿吽の呼吸のように、二つとも受け取り、そしてCH院長に渡しつつ「こちらはK名物の「かるかん」というお菓子です。二つありますので、よろしければ皆さまで召し上がって頂ければと思います。」と述べられた。すると院長は、受け取られた二つの紙袋を、丁寧に受け取ってから、もう一人の白衣の人物に渡しつつ「おお!「かるかん」は私もよく知っていますよ。Kの美味しいお菓子と云えば、これは外せませんからね。どうもありがとう!それと、この人はKの北隣の熊本県の出身でね、と白衣の人物の肩を片手で叩いて云った。すると、この「かるかん」の袋を受け取った人物は、我々にお辞儀をしてから「私はTOと申しまして、今年から、こちらの医院にて臨床研修医として勤務しています。本日は九州の大学からお客様がお見えになるということでCH院長から呼ばれました。院長は診療や所用にて中座されることもあるかもしれませんので、その際には、どうぞ私にお問合せ頂ければと思います。」とのことであった。するとE先生は早速「ははあ、TO先生ですか、どうぞよろしくお願いします。それでTO先生は熊本のどちらの御出身ですか?」と訊ねると「はい、市内のK大学K髪キャンパスの近くになります。」との返事であった。するとE先生は「・・ああ、あのあたりですが、じゃあ都会っ子ですね。それで、何故、こちらで臨床研修医をされているのですが?」と続いて訊ねると「ええ、大学が飯田橋のN歯科大学でして、実家の熊本でも大学病院以外のすぐれた臨床研修施設があったのですが、このまま実家の方に戻って臨床研修医になってしまうのは、どうも面白くないように思いまして、また、歯科医療においても訪問診療がこれからさらに重要になってくると思い、一般の外来診療と共に訪問診療にも注力している臨床研修施設をさがしましたところ、こちらの医院のことを知り、そうした経緯があって現在、臨床研修医として勤務しております。」とのことであった。

CH先生は、そこから「ええ、当医院では、かねてより訪問歯科診療にも力を入れていまして、まあ、これは私の専門でもある歯科補綴学分野とも直接つながるところですから・・。それに当院では今年度から私の指導教員であったKA先生に顧問として勤務して頂いていますので、**歯科医学会界隈での先生方には最近、本当に少しだけ知名度が上がったようにも感じられますね・・。」とハナシを繋がれたが、こうしたある意味、一介の民間医療機関に、さまざまな方々が引き寄せられている現象の背景にあるものの方に私は興味を抱いたが、E先生の方はCH院長やTO先生に「ああ、こちらのお隣のデスクにKA先生が居られるのですね。」といった雑談をされていた。

また、その雑談からこちらの医院には、さまざなな地方出身の若手歯科医師、歯科衛生士(Cさんの様に)そして歯科技工士が勤務されているとのことであり、とりあえずは医院内全般の見学をということになり、我々は持参の荷物を置き、ノートと筆記用具とスマートフォンだけを持ち、CH先生を先頭にして14:33に院長室を後にした。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
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