2021年3月22日月曜日

20210322 記事作成の変遷と誤配について思ったこと

 目標としていた1500まで余すところ当記事を含めて2記事の投稿となりましたが、相変わらず何の実感や感慨も湧かず、今回に関しても、先ほどから、あまり気乗りしないままにて記事作成を始めました。さて、1500記事と云ったところで、そのうち実際にボクが作成したものは、精確に勘定をしたわけではありませんが、1200~1300記事ほどであると思われます。そして、その残りの多くは、書籍からの引用部分を記事としたものであり、これらは特に文章が書けないと悩んでいた、ブログ開始当初の頃に多く作成していましたが、次第に対話形式のオリジナル記事の作成へと移行して行きました。

この対話形式での記事作成は、当時は書き易かったために用いたわけですが、現在になってみますと、不思議なことに、あまり書き易いとは思われないのです。これは習慣の変更をボクの精神が驚いているからであるのか?あるいは、現在主流となっている独白調での記事作成を継続することにより、ボクの精神に何らかの変化が生じたからであるのか分かりませんが、書き手であるボクとしては興味深いと思うところです。

また今後、機会を設けて対話形式での記事作成を、ある程度の期間継続してみますと、何か新たな変化を見出すことが出来るようになるのかもしれません・・。

しかし、そうした変化は上述のように、わずかには感知されるのですが、であるからと云って確立された自分の文体の認識は未だに出来ず、そこから、1500近く記事作成を行ってきても、わずかに文章作成がスムーズになったことを感じる程度であり、独自の文体獲得の認識は未だ訪れないと云うことが出来ます・・(苦笑)。あるいは、こうしたことは人によって異なるのかもしれませんが、何か一般化し得る変化の過程といったものはあるのでしょうか・・。

ともあれ、そうしたことを気にしつつも、現在に至るまで、記事作成を継続出来ているということは、センスの有無は別としても、文章作成自体は嫌いではないということにはなるのでしょうか・・。こうしたことに関しても、ボク自身では明確な判断は出来ず、他方で「では、何故これまで記事作成を続けたのか?」と問われますと、少し考えてしまうのが実情であると云えます・・(苦笑)。

そういえば、先日読んだ書籍の「はじめに」に誤配の重要性が書かれていましたが、その意味では、当ブログもまた、さまざまな誤配あるいは偶然によって始めたものであると云えます。そして、その誤ってボクに配られた「運」によって始められた当ブログが、今に至るまでどうにか続いているということには「何か大きな意味があるのかもしれない」とも思われ、そこからも、やはり現時点では、ブログ記事を作成しているボク自身についての判断や言及は避けておいた方が良いのではないかと思われるのです・・。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 2020年4月開設



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2021年3月21日日曜日

20210320 分野により言語体系(文化)が異なることから思い出したこと・・

今回の記事投稿の後、更に2記事更新することにより、かねてよりの目標であった1500記事に到達します。また当初、今月中での到達を目指していましたが、現状から考えてみますと、それは特に無理なく成し遂げることが出来るのではないかと思われてきます。

とはいえ、未だ目標には到達していませんので、あまりそうした絵空事を書くのも如何なものかとも思われるのですが、それでもなお、今回目標としている1500記事は、1000記事到達以降からは、思いのほかに苦労続きの道のりであり、書いているボクからしても「よくもあそこ(1000記事)から更にここまで書き続けることが出来たな・・。」といった思いがあります。

しかし同時に、こうした思いは不思議なほどに、感動や感慨といった感情的要素には結び付かず、ここにおいては、ただただ文章が先に進むことを急かすばかりと云えます・・(苦笑)。もちろん、であるからと云って、さきに述べた思い自体が捏造というわけではなく、おそらく、ある程度普遍的であると思われるのですが、このように文章作成を行っている時とは、その時の臨在的な感情から、ある程度距離を置くことが出来ていると思われるのです。そして、そのために、さきに書いたような認識が出来るのではないかと思われるのですが、このことは、おそらく、口語と文語との相違と関係があるようにも思われますが、もう少し精査してみますと、何か面白いことが分かるのではないかと思われます。

また、口語と文語を含めた言語にて苦労したのは、歯系院に進んだ時であり、当分野の文献を読んでみても、その内容は分からず、また、さまざまな発表で用いる文章の作成も当初それなりに苦労しました。しかし同時に幸運であったのは、私が入った研究室は、以前にも書きましたが、歯系分野でありながら、研究室の長である教授が歯科医師でないことが少なくない分野であり、そして、私の指導教授もまた歯科医師ではなく、工学と歯学にて博士号を取得された所謂ダブル・ドクターでした。当時、当分野では、そのような研究者はあまりいませんでした。

ともあれ、そうした教授であることからか、当研究室の院生や院生OBの先生方もまた、少し変わっている方が多く、人文社会科学系の大学を卒業されて、社会人生活を経てから歯学部に入学された先生や、浪人や留年にて多少時間を掛けて卒業にまで至った先生もいました。そして指導教授は、どうしたわけか、そうした先生方から大変人気がありました。こういった研究室の事情もあってか、私が人文社会科学系を背景とした歯科技工士であることは、そこまで大きな負い目としては感じられなかったのだと現在となっては思われます・・。

それでも当初は「毛色が違う変なヤツが来た」ということからか、色々と云われた記憶もありますが、実験が次第に進み、学会発表などを重ねていくにつれて「コイツにも長所のようなものがあるのかもしれない・・。」と思われたのか、あまり云ってこなくなり、むしろ、人文社会科学系のことについては訊ねられるようになりました・・。

そして、そうした経緯もあってか近隣の専門学校の歯科衛生士学科での教養科目(英語)を「コイツにやらせてみるか・・」となったのではないかとも思われますが、そこから、どうにか学位取得にまで至り、その後、生きるために色々とやっていますと、書籍を読むという癖は多少衰えたとはいえ続いていますが、ボクの場合、放って置きますと、人文系の乱読に走る傾向があることがわかりました・・(苦笑)。

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2021年3月19日金曜日

20210319 本日の外出時の服装から思ったこと【時にはこういう記事も・・】

当記事を含めて、残り4記事の投稿により1500記事に到達します。とはいえ、そうした実感は未だ皆無であり、おそらく、この調子にて実際1500記事に到達してみても、それらしい感慨といったものは生じないように思われてきます。

それでも記事作成を行わないと目標への到達はありませんので、今回につきましても、つい先ほどから記事作成を始めた次第です。

さて、本日は日中は外出していましたが、陽が出ている間は暖かく感じられ、歩いていると少し汗ばんでくるほどでした。また、本日の服装は、白の無地Tシャツの上に同じく白のオックスフォード素材のボタンダウンにの下はリーバイスの505、そしてベルトは愛用しているホワイトハウスコックス社のブラウンメッシュベルトで、靴は以前にも記事にてとり上げた黒のダナー・ライトを履き、ジャケットはバブアー社の黒オイルドコットン生地のインターナショナル・ジャケットを着て、背中には10年来、相変わらずのグレゴリー社のバックパックを背負っていました。

こうした自分の服装については、これまでにあまり書いてきませんでしたが、本日の服装は、現在のボクの中ではお気に入りであり、靴については以前にも書きましたので、ここでは触れませんが、上着のバブアー社のインターナショナルジャケットは、ポケットが多く収納力があり、且つミリタリーっぽく見えず、また、無造作に着ていても、それなりにオシャレに見えると思われることから、ボクのような不精者向きであると云え、さらに、防水機能を持つオイルドコットン地であることから、ある程度の降雨には対応可能であり、かなり優秀なジャケットであると云えるのですが、惜しいことには多少値が張り、現在は程度の良い古着にて購入した2着(黒・紺)を保有するのみとなっています。

また、このジャケットの下に着るシャツについては、かねてよりインディビジュアライズドシャツ社の白オックスフォード素材のボタンダウンを合わせてみたいと考えているのですが、このシャツはボクにとって大変高価であるため、未だに1枚も購入出来ていません・・。

くわえて、ジーンズとベルトについても、今後、このスタイルに合うものをさらに検討したいですが、同時にボク自身の体型についてもあまり変化しないように気を付けた方が良いのかもしれません・・(苦笑)。

ベルトについては、さきに述べましたホワイトハウスコックス社のメッシュベルトは2003年に購入した記憶がありますので、かれこれ18年程用いており、時々手入れはしていますが、未だに全く問題なく現役であり、おそらく、現在私が使用している衣服類で最も古い部類に入ると云えます・・。

このベルトはかなり迷った末に購入したものですが、現在、こうして意識してみますと、同タイプの色違いも今後機会を見つけて購入してみたいと思うようになりました。

ジーンズは、以前ほどの興味はないものの、先ず価格が妥当であることと、穿いた時のシルエットがバランス良く細身になり、ダナーライトを履いた時にダブつかず、動き易くて穿き込んでいくうちにアジが出て来るデニムであれば良いと考えていますが、実際のところ、これら全てを満たすジーンズは未だ見つかっていませんので、良い一着を見つけるためにボチボチと試着を通して探して行こうと思っています。

ちなみに、これまでで良いと思ったのはユニクロのセルビッジレギュラーフィットジーンズであり、この1本は特に高価でもなく、シルエット、素材感も良く、大変コストパフォーマンスの良い1本であると思われます。

そしてここ最近は、再び帽子を被る習慣を身に着けようと思っているのですが、一端帽子を被る習慣から脱した後に再び帽子を探そうと試着してみますと、何故か、どれも似合わないように思われてくるのです。これはおそらく外観の「慣れ」であるとは思うのですが・・こうした心理もなかなか興味深いものであるのかもしれません・・。

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20210318 記事作成に伴う「表出」と「表現」について思ったこと

目標としている1500記事まで残り当記事を含めて5記事の投稿となりましたが、相変わらず欝々とした気分は続き、また、記事作成時に感じる「圧」のようなものも変わりません。

そうしますと、こうした「楽しくはない」状況にて作成した記事に果たして意味があるのだろうか?と考えていますと思い出されるのは先日投稿の記事においても抜粋引用させて頂いた「サイファ 覚醒せよ!」内記載があった「表現」と「表出」の違いです。

当著作内記述によりますと「表現」とは「相手がいて、その表現を理解し、それに対し何らかの印象を持った」ということであり、他方、「表出」とは「エネルギーをある対象に注ぎ、その「表出」行為の後にカタルシス(感情浄化)が生じる」こと、となっていました。

これまでボクは上記のように「表現」と「表出」の違いについて意識したことはありませんでしたが、この記述を読み、そして、これまでの経験を参照してみますと、たしかに、そうした違いはあるように思われてきます。また、その視座から考えてみますと、ここ最近の投稿記事は、「表出」において特徴的である作成後のカタルシス(感情浄化)はあまり感じられず、また「表現」において特徴的と云える、記事を読まれた方々の理解、そして、何らかの印象を持って頂いたかについては、精確には分からないものの多少の反応はありましたので「皆無ではない」といったところになると思われます。

また、「表出」に付随するカタルシス(感情浄化)については、今しばらく記憶に基づいて考えてみますと、記事作成当初の頃は、それなりに感じられており、また、それがあるからこそ継続することが出来ていたのだとも云えます。しかしながら昨今は、それに慣れて麻痺してしまったのか、さきに述べました通り、あまり感じることはありません。しかし他方で、記事作成を止めていますと、調子が悪くなってきたり、あるいは、さらに気分が欝々としてきますので、やはり記事作成によるカタルシス(感情浄化)自体はあるのではないかと思われます。

そうしますと「1500記事近くまで積み重ねてきた「表出」によるカタルシス(感情浄化)の実感は、どこに行ってしまったのだ?」といった疑問が生じるわけですが、ボクが思うに「実名を晒して文章を継続的に公表する」という行為に付随する、さきにも述べた「圧」と「表出」に伴うカタルシス(感情浄化)は互いに相殺し合うものではないかと思われるのです。そして、それを続けること、言い換えますと、その行為を日常化することにより、わずかにカタルシス(感情浄化)が「圧」に勝る状態が醸成され、そうして、さらに記事作成を続けることが出来るようになるのではないかと思われるのです。

つまり、以前にもこの表現は用いましたが、まさに感覚的には「自転車操業」に近いのではないかと思われるのです。とはいえ、やはりボクとしては、何らかの実感し得るカタルシス(感情浄化)も欲しいとは思うところですが、それは今しばらく記事作成を継続していますと、何かがボンヤリと見えてくるか、あるいは突然生じるようなものではないかと、これまでのボクの経験は語ります。

また、私見としてはカタルシス(感情浄化)は別言しますと「生きていて良かった」といった実感であると云えますが、これは、これまでのあまり幸運とは云えないボクの人生においても幾度かはあったと云えますが、しかし、それらの具体的内容を書くことについては、以下の記述が思い出されることから、どうも躊躇してしまうのです・・。

“No, it is impossible; it is impossible to convey the life-sensation of any given epoch of one’s existence-that which makes its truth, its meaning-its subtle and penetrating essence. It is impossible. We live, as we dream-alone.”
Joseph Conrad Heart of Darkness Collins Classic P.32

「・・そう、それは無理だよ。自分の存在の忘れ難い一時点で覚えた生の感覚というものを、他人に伝えるのは不可能なんだよ。その感覚こそが人生の真実、その意味ーその微妙で深く浸透する本質なのだが。無理だな。ちょうど夢を見るのと同じように、僕らは生きているんだーただひとりぼっちでね・・」
ジョセフ・コンラッド著 藤永茂訳「闇の奥」三交社刊 pp..74ー75

しかしそれでも、何時かは書いてみたいと考えてはいますが・・。

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2021年3月18日木曜日

20210317 スパイラルのもとにあるものとしての思想について・・【ヒトは自分がされたことを他者に対しても行う】

 本日の首都圏は日中を通じて温暖であり、既に冬は過ぎたように感じられました。しかし同時にここ最近は、新型コロナウィルス感染症の変異種の感染者数が増加しつつあるとのことから、相変わらずの油断の出来ない不安な状況と云えます・・。

さて、昨日の投稿記事は、思いのほか多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。そして、当記事では、主に我が国にて人が人に対応する際の「癖」のようなものを書いたと云えますが、そこから思うことは、我が国にはどうしたわけか、人間に対する考え全般に、あまり思想的な厚み、歴史を経て蓄積されたものが乏しく、あるいはまた、古来より我が国の社会とは、それで済む、分かり合える社会であったようにも思われるのです。

それは「そうしたことを考える機会が歴史を通じて乏しかった」というよりも、さらに深いところの「そうしたことを考えてしまう性質が乏しかった」のではないかと、ボクには思われるのです。(巨視的には民族的な均質性ゆえにか?)

以前読んだ書籍に、たしか19世紀始め頃、帝政ロシアの船が蝦夷地(北海道)周辺にポツポツと出没する頃になりますと当時、蝦夷地を治めていた松前藩か幕府出先機関が、この地の更なる警備強化の命を受け、何れかの数人が蝦夷地北方の海岸付近に見張り小屋を建て外国船に対する警備をすることになったのですが、その記述によりますと、彼等は本州と比較すると寒さの厳しい蝦夷地であっても、あまり寒さを防ぐといった居住についての工夫などはせず、そのまま次第に寒さのため衰弱していったとのことでした。おそらく、全てそうであったとは思われませんが、しかし、往々にして、江戸時代のお侍さんとは、このような感じであったのではないかとも思われるのです。また、そうした振舞いとは、ひと昔前、昭和あたりには珍しくなかった「全く家事をしない一家の主人」にも親和性があり、これらは同じ精神的な系譜上にあるように思われます。

こうした態度は、見方次第でさまざまな表現が出来ると思われますが、一つには「潔い」といったコトバで表すことも出来るのではないかと思われます。そうしますと、それは太平洋戦争時の旧日本軍による決死的な攻撃の背景にある精神構造にも類似すると思われてきます。端的にそれらは「自分の生への執着を少なくし、任務完遂には執着する」といった、ある種、自己犠牲的な精神とも見受けられますが、この精神は、さまざまな組織において、特に従業員や被治者が持つべき徳目としては極めて有効であることから「任務完遂は誰・何のため?」といったことはあまり考えられることはなく、現在に至るまで(金科玉条のように)生き永らえているのだと思われます。

しかしながら一般的に「ヒトは自分がされたことを他者に対しても行う」と云われることから、こうした精神構造を持つ方々が、人々を治めるようになりますと、まさに無意識のうちに、その従業員や被治者に対しても自己犠牲を強いるような施政になることは火を見るよりも明らかであるとも思われるのです・・。

そのように考えてみますと、身体的な快適さを求めることも特に悪いことではなく、また、そこでさまざまな経験を経ることにより「快適さ」の質なども実感を通じて理解出来るようになるのではないかと思われるのです。

そして、そこで初めて「自己犠牲」と「快適さの追求」のバランスを取ることが出来るようになると思われるのですが、しかし、ここでとても重要であると考えるのが、この二つを理論的に結節させる観念・思想の存在です。

おそらく、歴史を通じ我が国の社会では、この観念・思想が不在であるか、あるいは普遍的なものが存在しないのではないかと思われるのです。(ガラパゴス?)

そして、多くの人々は薄々気が付いていたのかもしれませんが、それがないことが明らかになってしまったのが丁度、新型コロナウィルス感染症に社会全体が見舞われている現在といったところではないでしょうか?

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2021年3月16日火曜日

20210316 旧日本陸軍の兵員輸送と戦後の人文社会科学分野でのマスプロ教育について思ったこと・・

数年前からでしょうか、我が国の所謂「官」がおかしくなっているように思われます。あるいはこの流れは、主に民間企業に付随する文化が「官」にも影響を及ぼすようになってきたことから生じているようにも思われるところですが、国の経済状況が停滞・退潮気味になってきますと国は、そうした状況下で、なおも好況である業種・企業を見つけ、そこから次の発展へと繋がる何かを見出そうとするのでしょうが、しかし、かつての自動車や電化製品のように、他国企業が既に製品を製造・販売していても、それよりも安価にて性能の良い製品を製造すれば、国際的販路を開拓・確保出来ていた時代はすでに過去のものとなり、現状は、製造業全般については我が国よりもはるかに安価で性能も問題ない製品を大量に製造できる国があり、また同時に、昨今のコンピューター、インターネットを用いる、各種産業についても我が国は他国から遅れを取り、右往左往している状況と云えます。

つまり端的に、次の時代において、どの産業がより多くの利益を得られるかについて、そして、その産業に、どのように我が国の企業が食い込んでいくかが、現在の我が国にとって大きな課題であるように思われます。(そうしないと国の税収が大きく減りますから。)

そしてまた、こうした大規模な潮目の変化においては、多少キツイ表現を用いますと、近代以降からこれまで、あたかも、さきに述べた自動車や電化製品の製造のように行ってきた高等教育機関での学生教育の手法あるいはそれを支える価値観もまた、大きく考え直す必要があるのではないかと思われるのです。

とりわけ人文社会科学系分野においては、60年代学生運動の一つの契機となった所謂「マスプロ教育」は、少子化によって改善されつつあると聞き及びますが、これは出来る限り早く止めた方が良いと考えます。乱暴な表現を用いさせて頂きますと、人文社会科学系分野における「マスプロ教育」によって現在の我が国の停滞は齎されたとも云えるのではないでしょうか?

元々あまり興味があるか、ないかも判然としない状態で、教え手側の熱意も伝わらない大講義室での講義を受けると、どのようになっていくか考えなかったのでしょうか?これは特に優秀な学生達にとってはあまり関係ないことであるかもしれませんが、ボクを含め、そうではない数多くの平均的な学生にとっては、極めて重要なことであると考えます。

そして、こうしたことから、先日投稿の山本七平著作からの抜粋記事に記載の旧日本軍の輸送船による兵員輸送と類似あるいは同一とも思われる精神構造が見出されるのです・・。(たしかにその間には20年程しか時間の隔たりはありません。)

そのように考えてみますと、現今の我が国の苦境もまた「仕方がない」とも思われてきますが、しかし、これを今後少しでも良い方向に流れを変えたいのであれば、人文社会科学分野全体の学生数を減らし、その代わりに医療・介護系分野の国家資格職種を養成する専門職大学を全国に新設し、あるいは、都市部の経済的に余裕のある比較的規模の大きい私立大学は、国家資格職種の養成を行う近隣の専門学校を吸収し、それを新たな学科・学部として改組するのが良いのではないかと考えますが、さて如何でしょうか?

そこで不図思ったのですが、歯科の単科大学が、歯学科および歯科衛生学科だけでなく、管理栄養学科や言語聴覚学科などを併設してみますと面白いのではないかと思われます。ちなみに歯科技工学科は、今後、歯科技工作業全般のデジタル化に伴い、歯科医師・歯科衛生士の一職分となり、学科的には歯科衛生学科に吸収されるのが妥当と思われることから、記載は省きました。

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2021年3月15日月曜日

20210315 継続的なブログ記事の作成があまりスゴくない理由について・・

以前にも記事題材として書きましたが「ブログ記事の作成は1000記事を過ぎてからが勝負」とのことですが、たしかに1000記事到達以前の頃と比べますと、1500記事への到達を間近に控えている現在は、記事作成時に感じる圧のようなものが、徐々に大きくなっている感じがあります。ここは、何も考えずに記事作成を行うことが出来れば良いのですが、他方で、そのように思えば思うほどに、記事作成時に感じる圧は大きくなるといった性質があるようにも思われます・・(苦笑)。

とはいえ、記事作成時の圧はどうであれ、記事作成自体は今しばらく続けませんと、当面の目標としている1500記事まで到達出来ないことから、本日については、比較的帰宅が遅かったにも関わらず、さきほどから記事作成を始めた次第です。ここで作成した記事が果たして本日(20210315)分として投稿できるかどうかも現時点では全く不明であるとは云えますが、何れにせよ、とりあえずは書き続ける以外ないようです・・(苦笑)。

さて、ボクが作成しているブログ記事を時々読んでいると直接聞いたことがあったのは、文系院時代からの友人のみであり、この方は時折電話にて話していますと、読まれたブログ記事についてのことを会話に交えたりしますが、その他の方々からは、どうしたわけか「ブログを読んでいるよ。」といった反応を聞くことはありません。

それでも、数人の方々からは、ボクが何か継続的に書いていることはご存知であるのか「そこまで継続的に文章を書けるのはスゴイよ。」といった主旨のことは云われたことがありました・・。

しかし、この「スゴイよ。」とは、書いているボクからしますとスゴいものではなく、むしろ、何か強迫観念のようなものによって記事作成を行っているようにさえ感じられ、そこから不図、トーマス・マンの「トニオ・クレエゲル」作中の「文学は天職ではなくて、ひとつの呪いです」という北杜夫のどくとるマンボウ」シリーズにも何度か登場するコトバが思い出されます。

もちろん、私は今現在、文学・著述によって生計を立てているわけではありませんが、それでも、文章を書き続けるということ行為自体に、何かしら、否応のない向き、不向きといったものがあるのではないかと思われるのです・・。それはスポーツでの才能のように。そして、文学の場合は、スポーツでのそれとはまた異なり、簡単には富やそれが齎す市民的幸福には結節し難いといった性質があるのではないかと思われるのです。そして、そうした事情を背景として、以前の投稿記事の「太平洋戦争について述べた著作を読んで思ったこと「シビュラの書」末尾にて「文系の師匠が仰っていた「歴史の女神様はとても嫉妬深くてね、この女神様に好かれると、他の女性はどうしても近寄って来れなくなるんだよ(苦笑)。」といった冗談めいたコトバですが、当時は「何をカッコ付けているのだろうか?」と割合冷やかにこれを眺めていましたが、現在になりますと、何となくその意味、そしてそれ以上に、その背景にある悲哀のようなもののが理解出来るように思われます・・(苦笑)。」にも共通したものがあるのではないかとも思われるのです。

ともあれ、以前であれば、さきの「トニオ・クレエゲル」内のコトバと、文系師匠のコトバを結び付けようとは思わなかったところを、こうして記事を書き進めて行くうちに、繋がったということは、もちろん、その繋がり・関連性自体には議論の余地が多いにありますが、それでも、こうした、いわば文章による抽象化を行ったところではじめて感知されるものとは、ボクとしては、それなりに大事なことであるように思われるのですが、さて如何でしょうか。

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