2021年2月18日木曜日

20210218 今回のスランプそしてダルさの払拭を試みて思ったこと

昨年10月から読み進めている岩波書店刊 宮地正人著「幕末維新変革史」上下巻は、最近ようやく下巻の終章に近づき、おそらく、ここ数日にて読了に至ると思われます。未だ読了したわけではありませんが当著作上下巻は、しばしば難航しつつも、どうにか読み進め、ここにまで至ることが出来たと云えます。

以前に読んだ、ほぼ同時代を扱った同岩波書店刊 岡義武著「明治政治史」上下巻と比較してみますと、当「変革史」は、古い文体での引用部が多かったことから読み進めるのに難航したのだとも思われますが、他方で「変革史」は、特に社会情勢については、これまで知らなかった具体的な描写の知見が多く散見され、興味深く読むことが出来たとも云えます。つまり、これまである程度知っていると勝手に思い込んでいた時代区分での、新たな知見を含む歴史記述とは、理解しつつ読み進めるのに多少時間が掛かるということになるのだと云えます。

そして、当「変革史」を読了しましたら、次に既読の「政治史」上下巻をザッと斜め読みをして、当時代についての知見をもう少し深めて、固めておくのが良いのではないかと思われます。

また、それに加えて最近は、新書も数冊購入し少しづつではあれ読み進めていますが、これらもまた近いうちに機会を見つけ、集中して読み進めたいところではあるのですが、さて、どうなるものでしょうか・・。書籍はあるけれども、それを読む時間が足りないというのも、それなりに辛いことであるように思われます。

さらに以前にも述べましたが、ここ最近は、ブログ記事作成自体がスランプ気味であると云え、以前の1000記事到達を目指し、ガムシャラに記事を書き進めていた時期と比べますと、よく分からない「ダルさ」のようなものがあり、そのため、ここ最近では、カフェインフリーの第二類医薬品に分類されている栄養ドリンクを度々飲みつつ書き進めていますが、現時点では、これはたしかに効き目があるように感じられます。

そして今後、スムーズに、出来れば、来る四月に入る迄には、1500記事に到達したいと考えています。また、昨日投稿の記事においても書きましたが、もしも無事に1500記事まで到達出来ましたら、しばらく記事作成を休み、その後は、しばらくの期間、書籍からの抜粋引用を主として記事作成をしてみようと考えています。

この「書籍からの抜粋引用」であれば、おそらく100~200記事程度であれば、あれこれ考えずに続けることが出来るように思われますが、同時に、その間に時々は、自身が作成した記事を挟んでいきますと、自身の文体の確立のためにも、何かしら良い効果を齎すのではないかとも思われるところです。

ともあれ、今しばらくは多少辛いところですが、1500記事到達までは、出来るだけ自身の文章にて記事を作成して行こうと思います。

しかし、今回のスランプや
「ダルさ」は本当に、目標である1500記事の到達を間近に控えるようになったことから生じているものであるのかについては未だよく分かりません。また、これまでにも何度か経験したであろうスランプについても同様に、その本当の原因についてはあまり考えず「とにかく記事作成を行ってきた」と云えますが、そうした対処の仕方もまた、それで良かったのかについては、今となっては分からぬことです・・。

ともあれ、さきにも述べました「ダルさ」が続くようでしたら、あらためて考えてみる必要があるようにも思われます。

また、本日は休日ということもあり、この「ダルさ」をどうにか除去乃至は軽減するため、かなり久しぶりに目黒の「ラーメン二郎」さんに行きました。こちらは2007~2009年の間は週に1回は通うほどでしたが、2009年以降、思うところがあり行くのを止めていました。それが昨春、どうしたわけか突然考えが変わり一度行き、そして、本日、再びの訪問となりました。

やはり、ボクにとって目黒の「ラーメン二郎」さんのラーメンは昨今流布された表現を用いますと「悪魔的なうまさ」であり、特にそのチャーシュー(煮豚)を食べると何故だか叫びたくなる衝動に駆られます・・(これについては、実に不思議なことに実家にいる柴犬においても同様と見え、持ち帰り仕様の「ラーメン二郎」目黒店さんのチャーシュー(煮豚)欠片をあげたところ、食べた直後に、それまでになかった吠え方をしました。「犬にとってはこのチャーシュー(煮豚)は、何かしら毒であったのかもしれない!」と一瞬驚きましたが、どうやらそれは違うようでした・・。また、その後、数度こうした機会に遭遇しましたが、その都度同様の反応を示していました・・。)さらに、ラーメン小であろうと完食しますと、よく分からない達成感を味わうことが出来ます。これは大分前にJ-waveのDJであるピストン西沢氏も出演されているラジオ番組にて同様のことを云われており、それは大いに同意し感心したことから記憶に残っています。

現在は未だコロナ禍の中ではありますが、今後収束し、所用等にて東京方面においでになる皆様、是非一度、ラーメン二郎、とりわけ「目黒店」さまに足を向けて頂ければと思います。

また、ここまで書いていて、不図、思い起こされたのは、以前在住した徳島の北隣にある香川の高松市には「ラーメン二郎系」のお店がいくつかあり、また、それらも充分に美味しかったことです。しかし、さきに書きました「そのチャーシュー(煮豚)を食べると何故だか叫びたくなる衝動に駆らる・・」は、なかったことから、やはりよく分からない「何か」が違うのではないかとも思われます・・。

ともあれ、香川は「うどん県」だけに、こうした麺類に関しての興味・関心は強いのではないかと思われました。また、同時に、そうした特徴ある「味」の伝播経路などについても全国規模にて調べてみますと、それはそれで面白い発見があるのかもしれません。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!



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2021年2月17日水曜日

20210216 ブログ記事作成の継続について(交互に押し寄せる波のようなもの)

 今を去る2015年の6月から、当ブロガーにてブログ記事の作成を続けており、その中では、少なからず書籍からの引用を記事として投稿しています。そして、現在になり、以前投稿した書籍記述を引用し記事としたものを改めて読み返してみますと、それはそれで面白く、当時と意見が変わっているものもあれば、そうでないものもあります。

このことを異言しますと、当時のボクは、それら記述を興味深く感じたため、記事として投稿したのだと云えますが、同時に、現在のボクであれば、記事としなかったものもあるということになります。

その割合は、おそらく、半々といったところであると思われますが、しかしそれでも、それを5年以上にわたり、どうにか続けてきたということは、自身としても興味深いものがあり、あるいは、自身の文体確立のための練習として、今後しばらくの期間、書籍からの引用部を記事として投稿し続けるのも悪くはないのではないかとも思われてきます・・。

そして、それを実行するのでしたら直近の目標である1500記事への到達を果たした後が良いと思われますが、それは当記事を含めて残り24記事の投稿により、どうにか達成される目途が立っています。しかしながら、以前にも書きましたが、ここ最近もまたスランプと云える状態にあり、圧が高い場所にて上手く動くことが出来ない状態に近い感じがあると云えます。しかし、既に忘れてしまったのかもしれませんが、おそらく、そうした経験は過去にもあったと思われます。そして、それをどうにか乗り越えたり、あるいは自分を宥めたりして、現在にまで至っていますので、今回の場合も、あまりそうした思いに囚われることなく、また、たとえ賢明な文面とは云えなくとも、とりあえずは記事作成を継続していくことが重要であろうと思われるのです。

さて、こうした文章の作成とは、少し巨視的に眺めてみると、調子が良い時と悪い時の波のようなものが交互に押し寄せ、そして、それを繰り返すごとに、何と云いますか「自分なりの文章」あるいは「自身の文体の確立」に徐々に近づいていくのではないかと思われるのです。

勿論、今現在、未だボクは「自身の文体の確立」に至っていませんが、それでも2015年当初と比較しますと、多少は「滑らかに」文章作成が出来るようになってきたとは感じています。そして、その先は一体どうなっているのかは、気になるところではありますが、予測してみますと、それもまたこれまで同様「交互に押し寄せる波」のようなものではないかと感じられるのです。そうしますと「自身の文体の確立」という、自身にとってはいわば「相変態的な変化」もまた、そこまで「劇的」なものとは感じられなくなってきます・・。そしてまた、それこそが実際のこうした継続的な活動に概ね付随する感覚であるのならば、むしろ短期に生じる「劇的」な感情の変化を謳う、あるいは誘うものの方が「どうもアヤシイのでは・・」と思われてくるのですが、こういった点がうまく云えませんが、刺激の多い現代においては思いのほかに重要であるように思われてくるのですが、さて、実際のところはどうなのでしょうか・・?

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2021年2月15日月曜日

20210214 ヴァレンタインデーに思ったこと「風向きは変わるのでしょうか?」

 先ずは、昨夜発生した福島県沖を震源地とする地震による被害が出来るだけ軽微であることを願っています。この地震はブログ記事作成中に生じ、またその揺れ方は、ここ最近では珍しいほど大きかったことから、記事作成を一端止め、机に向かったままで、周囲を見回しましたところ、特に変わったことは起きずに、数分経ち、このことをツイートし、また記事作成に戻りました。

そういえば、現在から10年前の東日本大震災時、私は鹿児島在住であり、その日はたしか金曜日であり、発生時刻の頃は自動車に乗って移動中でした。やがて車を下りて入ったお店にあるテレビにて東日本が大変なコトになっていることを知り、すぐに千葉県市川市の実家に電話を掛けましたが、なかなか繋がらずに気を揉んだ記憶があります。

さて、東日本大震災から10年近く経ちましたが、地震発生の期間において10年間はそこまで長いものではなく、分析によりますと昨日発生足した地震も、さきの東日本大震災の余震である可能性が少なからずあるとのことでした。

さらに、かねてより続くコロナ禍の中でもあることから、少なくとも東北・東日本においては、今後もまた、さらにストレスフルな生活が続くものと思われます。また、こうした状況を示すコトバとして「泣きっ面に蜂」あるいは「弱り目に祟り目」などが挙げられると思われるが、それにしても、これだけに留まらず、最近の我が国では、誰かが不幸を被らず、皆が朗らかになれるような良い出来事が乏しいように思われます・・。

そして、こうしたことを書いていて不図、思い出されたのが村上春樹氏による「風の歌を聴け」145頁 内の以下の件です。

「ずっと何年も前から、いろんなことがうまくいかなくなったの。」

「何年くらい前?」

「12、13・・お父さんが病気になった年。それより昔のことは何ひとつ覚えてないわ。ずっと嫌なことばかり。頭の上をね、いつも悪い風が吹いてるのよ。」

「風向きも変わるさ。」

「本当にそう思う?」

「いつかね。」

*この会話シーンはたしか大森一樹監督による同著を原作とする映画作品にもありました。

これを我が国に当てはめてみますと、おそらく今世紀に入ってからは良いことよりも悪いことの方が徐々に多くなってきているのではないでしょうか?

そして、見様によれば、こうした「悪い風」から風向きを変えるため、さまざまなイベントを企図しているようにも見受けられますが、しかしながら、昨今においては、施政者と被治者の向いている方向、さらにはその根底にある価値観にズレがあることが明らかになり、それをどうにか挽回しようとしているのが、現在であるように思われます・・。

また、さきに挙げた引用部は、私自身にとってもいささか身につまされるものであり、それは、以前にも書きましたが、2009年の兄の死と、翌2010年の指導教員の退職から始まり、その後、落胆によって著しく減衰した気力をふり絞り、どうにかやり切ることが出来ましたが、その後は燃え尽き(バーンアウト)症候群であるのか分かりませんが、2010年以前に自身が信じていたものが壊れ、そして徐々に朽ちていくことにより、次第にさきの「悪い風」が吹いているような感じを受けるようになりました・・。

これは、私自身が悪いことをしたわけではないにも関わらず、あまり声高に主張することが出来ず、あるいはまた主張してみたところで「結局自己責任でしょ。」といった返事が主であると予期されることから、さらに、外への行き場を失くし、精神を蝕んでいくように思われます。(疑われる方々は、実際にそうした経験をされてみると良いと思います。)

そして、そうした事情から、やはり2010年に指導教員の退職に関与された方々につきましては、私に対し、よく分からない代替的要素を宛がおうとするのではなく、現在、私の上に吹いている「悪い風」の風向きを、変えるように努力してくださる方がありがたいと云えます。

あの2010年の出来事がなければ、私の人生はおそらく「変わっていた」と思われますが、しかしまた一方で、これまで当ブログを5年以上にわたり作成し続けているのは、その「変わっていた」ということを、さきに述べた出来事に関与された方々、そしてまた上記の事情を御存知である方々にご理解頂くために書いているとも云えます・・。

・・さて本当に今後「風向きは変わる」のでしょうか?

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2021年2月13日土曜日

20210213 株式会社筑摩書房刊 宮台真司 速水由紀子 著 「サイファ 覚醒せよ!」pp.76-78より抜粋

株式会社筑摩書房刊 宮台真司 速水由紀子 著 
「サイファ 覚醒せよ!」pp.76-78より抜粋

ISBN-10 : 448086329X
ISBN-13 : 978-4480863294

森喜朗首相(当時)の「日本は天皇を中心とする神の国」発言で内閣支持率が二割を切ったように、日本を「一君万民」に戻してくれなどと望む人が多数を占める時代は、未来永劫やってこないでしょう。三島が好んだ「家畜人ヤプー」の主人公、燐一郎じゃありませんが、今から振り返ると、「私たち」は『それ』を望んだのだ」というほか、ないんですよ。その意味では、責任というならば、私たちに責任があるというしか言いようがなくなっているわけです。私たちが望んで選び続けている道なんですから。しかし、経済的に豊かな成熟社会を達成したあとの後知恵でしかないけど、私たちが望んで実現した「それ」とは、ひるがえってみると何だったのかということが、問題にならざるを得なくなっている。
 実はパブリックの不在は、耐久消費財が一巡して「経済的豊かさ」が達成された後、何が幸いなのかが人それぞれ分化し不透明化する近代成熟期(成熟社会)が到来した七〇年代前半には、一部で顕在化していたんです。それが三島事件の背景です。つまりこういうことです。戦後はアメリカが、近代天皇制的な擬似公共性(一君万民)を消去るのと引き換えに「政治的自由」をくれた。その自由の担保に必要な公共財を守ってくれるアメリカの核の傘の存在を前提にして、しかし紛うことなき国民的努力によって「経済的豊かさ」を達成した。そのプロセスで、国民的に合意された「経済的豊かさ」という目標の存在がー誰もがアメリカ的生活という輝きを欲望するはずだという前提がー、天皇主義的な擬似公共性が破壊されたあとの「政治的民度の低さ」すなわち近代的なパブリックマインドの不在を覆い隠してきた。正確に言えば、敗戦と経済成長の「共通体験」が、「同じ日本人」という共同体的共通前提を確保してくれた一方で、公共財を自ら守るという意志を欠落させたままでいられるという、両輪の一方を欠く状況が続いたわけです。

 ところが七〇年代の幕開け。国民的目標を達成した「あと」の成熟社会が始まる。そこで誰よりも早く三島由紀夫が、今私たちが右往左往しているような問題に気づいた。君や僕と同じで「SF好き」だった三島なればこその先見性だったと思うよ。国民の大半は、九〇年前後に、冷戦体制とバブル経済がほぼ同時に崩壊するまで、三島的な問題に全く気づかなかったわけです。しかし七〇年に三島事件が起こってしまった以上、この事件が提起している二つの選択肢の存在に、本来私たちは気がつくべきだったんだよ。一つが、三島が言うような一君万民メカニズムへの回帰という選択肢なのは言うまでもないとして、もう一つ、三島的な選択肢を否定するならば当然意識しなければならない選択肢があったはずなんです。すなわち鈍感な国民の多くが未だに「経済的豊かさ」という国民的目標があると錯覚してくれて政治的統合(パブリック)問題を免除されているうちに、否定された一君万民メカニズムに代わる、新しい近代的パブリックを樹立する必要があったということです。

 ところが、そこに起こったのは、新しい近代的パブリックの樹立じゃなかった。むろん三島由紀夫が気づいていたように、一部でアノミー(目標の空白)は確実に進行しつつあったんだが、しかし、それを埋め合わせるべく進行したのは、パブリックの樹立どころか、七〇年代半ばから一挙に進んだ日本的な「学校化」だったというわけなんだね。

2021年2月11日木曜日

20210211 ツイッターとの連動を契機として作成した記事 “大豆ミート”の焼肉について

昨年の1月にツイッターを始めましたので、丁度1年以上経ったわけですが、当ブロガーにて作成したブログ記事をツイッターにて共有しますと、相手が分かるカタチでの反応があり、他方でよく分からない悪意的ともとれるカラミもありますが、全体としては大変面白く、この1年で当ブロガーでの記事を、ツイッターにて共有することは一連の流れになってきたと云えます。

とはいえ、これまでは必ずしも「ツイッターありき」の記事を作成していたわけではありませんが、今回おそらく初めて、ツイッターでの反応に基づきブロガーにて記事を作成することになります。

と云いますのは、先日テレ東ニュースにてアップされた動画「ここまで美味しくなった“大豆ミート” トップ企業の挑戦とは!?【2分で見るカンブリア宮殿】」を興味深く思い共有させて頂いたところ、思いのほかにインプレッションが伸び、さらに、かねてより私のツイートに反応してくださっている方より「良い動画を紹介している」とのコメントを頂き、そこでボクとしても「これは実際に行くべきでは・・」と思い、そして前掲動画にて紹介されていた「焼肉ライク」さんに行き、件の“大豆ミート” の焼肉定食を注文させて頂いた次第です。

ちなみに「焼肉ライク」さん神保町店は、偶然ながら昨年暮れから比較的頻繁に訪問させて頂いていました。また、それまで「一人焼肉」の習慣がなかったボクが、このお店に行くようになった契機は、これまたツイッターにて某作家先生による「たしかに落ち込んでいる時には焼肉が効くようだ」といった主旨のツイートがあるのを見て、それに対しボクも経験から「たしかにそれはあるかもしれない」と思い、そして、よく行く神保町に「一人焼肉」の「焼肉ライク」さんがあることを思い出し、次第に通うようになっていきました。

そうしたことから、この1年にてボクもツイッターからは思いのほか多くの影響を受けているようであり、また、つい先日も、ツイートを拝読させて頂いている感染症を専門とされている某先生と同名が著者となっている新書を見つけ、しばらく間をおいて「あ、同一人物だ・・」と判然とした記憶があります・・。また、これは人文社会科学方面においても同様であり、ツイートを拝読していて「この先生の著書は今度探してみよう・・」といった感じで書店にて探すことは度々あります。そうした意味からもスマホは、やはり検索ツールとしても大変便利であると云えます。

さて、ハナシを“大豆ミート”の焼肉定食に戻します。神保町の「焼肉ライク」さんに入り、スタッフの方に「あの、YouTubeの動画で、こちらのお店に大豆ミートの焼肉があると聞いたのですが?」と訊ねてみますと「ああ、それはこちらです。」とタッチパネルの注文画面から操作をして「NEXTカルビ&NEXTハラミ 匠カルビ&ハラミセット」の画面を開いてくださいました。これまで私はこの定食に気が付かなかったわけですが、ともあれ、こちらを注文しますと、いつも通り、あまり待つことなくプレートに載った定食が運ばれてきました。


上掲画像が「NEXTカルビ&NEXTハラミ 匠カルビ&ハラミセット」200gであり、右側の二皿の左側が「NEXTカルビ&NEXTハラミ」そして、右側が「 匠カルビ&ハラミ」となっています。

この定食にてホンモノの肉と“大豆ミート”双方を食べ比べることが出来るわけですが、ボクはまずはじめに今回の本命とも云える“大豆ミート”を網の上に乗せて焼きました。写真を見てお分かりの通り、もともと“大豆ミート”は、生肉のように火を通す必要性はなく、まあ焦げ目がついて、それらしくなれば良いとのことでした。

焼いた匂いや焼け目の感じは、やはり、肉特有のそれとは異なるように感じられましたが、これをタレにつけて食べてみますと「ああ、こういう肉もあるのかもしれない・・」といった歯ごたえであり、さきの先入感からしますと美味しく感じられました。ただ、惜しむらくは、ホンモノの肉には大抵少しはある、あの少し硬いゼラチン状の脂肪がないことであり、これ(脂肪)に肉特有の風味を追加すれば、結構イイ線行くのではないかと思われます。

あるいは、人工にて牛脂や豚脂状のものを作成し、それにひき肉状にした“大豆ミート”を加えることにより、既存のホンモノのハンバーグに近いものは出来るのではないかと思われました。これは是非「いきなりステーキ」さんの「ワイルドハンバーグ」にて挑戦して頂きたいところです。

ともあれ、こうして「NEXTカルビ&NEXTハラミ」を食べ終え、次に「 匠カルビ&ハラミ」を焼きはじめましたが、やはり「こちらがホンモノの焼肉だ!」といった感慨が湧いてくることは避けられませんでした。とはいえ「焼肉」という、これまで「ホンモノの肉」のみが肉として、その網上に乗ることを許されたところに“大豆ミート”を乗せようと考えたことは、それはそれで「未来につながる壮挙である」と私には思われました。

そしてまた、この先の更なる“大豆ミート”の新たな展開を期待しています。

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2021年2月10日水曜日

20210209 現代版吟遊詩人の可能性について

 かねてより、当ツイッターでの自身のプロフィール、および投稿記事下段にて、勉強会のご案内を掲示してきましたが、どうしたわけか、ここ最近ツイッターを介して(オンライン)勉強会のお問合せを立て続けに二件頂きました。

そこではまず、先方様に開催を希望される勉強会の概要・予算を伺ったのち、私の周囲にて、その講師に適任と思しき先生方がいるかどうかを相談・検討し、そこで適切と思われた先生にこちらからご連絡を差し上げ、勉強会の概要および予算をお伝えし、その可否をお問合せすることになるわけですが、かなり幸運なことに、それぞれのお問合せに対し、国内での第一人者と云える先生方から前向きなお返事を頂くことができました。

これは自身としてもかなり幸運なことであると云え、また今後も、こうしたお問合せを頂きましたら、出来る限り良質な勉強会を開催出来るように進めて行きたいと考えています。くわえて、こうした勉強会は、これまでは歯科医療分野に留まってきましたが、出来ましたら今後は、人文社会科学分野、就中、国際関係論・近現代史などのトピックにて勉強会を開催出来ればと考えています。こちらの分野につきましても、さきの歯科医療分野と負けず劣らずの研究者による勉強会をご案内したいと考えておりますので、特に大学様や医療法人様あるいは地域の医師会・歯科医師会様などで「現在、海外情勢も少し荒れ気味であるため、これを機に、ここに至るまでの近現代史や国際関係を理解するために勉強でもしておこうか。」というご要望がございましたら、是非、お気軽にお問合せ頂ければと思います。

とはいえ、冒頭にも書きましたが、これらは今なお続くコロナ禍のため、オンラインでの開催となっていますが、自身としては、出来るだけ近いうちに実際の対面形式で行う勉強会を開催出来ればと考えています。

さて、こうした勉強会の仲介につきましては、まったくの無報酬にて行ってきましたが、今後、こちらからの収入ではなくとも、理想を述べさせて頂きますと西日本在の医療系学部を擁するいくつかの私立大学様での新たな取組みなどについての記事を週イチ(程度)にて作成し、ブログやツイッターなどの媒体でご紹介させて頂き、そこから、いくらかの収入を頂ければ大変嬉しいと考えてはいますが、いずれにしましても、そのためには、今しばらく書き続ける必要があるのではないかと思われます・・。

さてここで、唐突ではありますが、加藤周一による「日本文学史序説」上巻に以下の記述があります。

「欧州の文学では、その遠心的な傾向が、中国の場合よりさらに徹底していた。欧州の中世は、吟遊詩人の時代であり、各地の大学を渡り歩いてラテン語の詩をつくっていた学生たちの時代である。」

これに対して我が国の文学あるいは文化全般とは、遠心的傾向を示さず、むしろその真逆であると云い得ます。他方で、今後の我が国は「活力のある地方」が極めて重要になってくると云えます。そこで、抜粋文中にある、各地の大学を渡り歩き詩作を行った欧州中世の吟遊詩人の我が国における現代版として、さきに述べたような活動を、ある程度継続してみますと、それはそれで何らかの面白い効果が生じるのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ハナシを具体的且つ卑近にいたしますと、私は現在の居地と仕事を足場・基軸としながらも、いくつかの大学を定期的に巡り、それぞれの大学にまつわる何らかの情報を継続的に発信するような、現在ではあまり聞かない、かつての吟遊詩人にも比定出来る「職」のようなものを創造出来れば良いと考えています・・(笑)。

また、基本的に自由な発想を創造の源泉として重視する大学においては、そうした緩く紐づけされた職とは、むしろあっても良いのではないかと思われますので、当記事を読まれましたら是非、ご一考頂ければと思います。

追記として、ここまで書いており不図、想起されたのは、主に織豊期大名の側に仕えた「御伽衆」という職です(たしか半村良氏の小説「戦国自衛隊」にて少し知名度が上がりました。)これも、さきに述べました「現代版吟遊詩人」にも似たようなところがあるのではないかと思われます。

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2021年2月7日日曜日

20210207 「ホンモノの興味」を知覚するための背景について

本日の首都圏での日中の気温は、この時季では珍しいほどにまで上昇したと聞きましたが、本日はほとんど外に出る機会がなかったため、それを体感することはありませんでした。

ともあれ、この先からは徐々に暖かくなる、所謂「三寒四温」であり、今しばらく寒さに負けず、目標到達に向けて書き続けていこうと思います。また、以前にも書いたことではありますが、1000記事に到達する前の900記事程投稿の頃と、1500記事まで残り30記事程である現在とを比較してみますと、明らかに現在の方が精神的に「辛い」と云えます。

その理由は、精確にはわかりませんが、自らを省みますと、それは、文章作成の様式あるいは文体と云って良いか分かりませんが、それが以前と比べ、明確化しているからであると思われます。

そうしますと、他の文章様式が、ブログ記事作成時の際に採り得る選択肢として考えられなくなり、ある意味「自分を追い込むようになる」と云えます。これが以前であれば、書籍からの抜粋引用や対話形式など、他の様式や文体を割合気軽に選択していたという記憶があるのですが、しかし他方で、こうした自然に「自分を追い込む」という状況もまた悪いことばかりでもなく、以前は、この作成様式にて書き続けることは困難であったと記憶していますので、現在どうにか書き続けることが出来ているということは、自身の文章作成能力が一段階進んだようにも感じられるのです。

とはいえ、この先どの程度まで書き続ければ、この新たな文体が自身に血肉化し、定着するのでしょうか・・?もとい、この自問については、これまで何度も繰り返してきましたので、その不毛さには既に慣れてはいますが、同時に、私はこの繰り返しの自問を通じ「文章を書けるようになってきた」という、ある種の「身体化された感覚」をも得ることが出来たと云えますので、たしかに、この自問は観念的には不毛であったとは云えますが、他方で、身体化された感覚の知覚という点において、この自問は、定型化された適切な探針であったのではないかと現在では思っています。

さて、おかげさまで一昨日投稿の「20210205 時代精神の背景にある歴史意識について思ったこと」も思いのほか多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。こちらの記事では「ホンモノの興味が大事である」といった主旨を述べましたが、一方で、これは個々人が自身の思う事を正直に表明・告白するといった文化習慣がないところでは、その延長上とも云える個人内面での率直な自問自答を行うことは困難となり、そこから、自身内面にて抱いている思いや考えに対しての知覚、つまり、自分自身が持つ考えを自分のコトバにて表明することも困難になり、そして自分自身の「ホンモノの興味」もまた感知することが難しくなり、そこから、自身内部にある「ホンモノの興味」を自我の無意識の領域に埋没させたままになってしまうのではないかと思われます・・。

このことは2015年頃の自身を鑑みますと、大変身につまされるものがあり、そして現在においても悩ましいものがあると云えます。また、冒頭でのブログ記事作成の進め方においても同様であり、やはりどのようなものであれ、文体の獲得のためにも「ホンモノの興味」を知覚できるための率直さ(言語≒意味の感覚)が重要であるのではないかと思われますが、さて、如何でしょう?

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