2020年11月3日火曜日

20201103 1500記事到達までの大まかな予定、および読んでいる書籍について

 およそ2週間ほど前に1400記事に到達し、今回を含め2回の記事投稿により、一つ目の小区切りとも云える1410記事に達します。そして、さらにこれを何回か積み重ねていきますと1500記事に到達する予定となりますが、今現在そうした想像は出来る状態ではなく、とりあえず目先のこととしては、年内に1440記事程度までは更新してみたいと考えています。

そして来年は2日に1記事の頻度にて記事作成を継続しますと、5月中には1500記事への到達が見込まれ、さらに多少の猶予期間を設けて、当ブログ開始から丸6年を迎える来年2021年の6月22日までには、どうにか1500記事への到達が叶うのではないかと思われます。

先のハナシになり恐縮ではありますが6年間(およそ2190日)で1500記事の投稿をすることになりますと、その期間(6年間)10日のうち7日近くは新規の記事を投稿してきたことになりますので、それなりに「頑張った」とは云えるのではないかと思われます・・。

とはいえ、そこに至るまでは残り90以上の記事更新が必要であり、今なお先行きは不透明であると云えますので、毎回1記事ずつを、出来るだけ大切に積み重ねて行こうと思います。

さて、先日から読み進めています宮地正人著「幕末維新変革史」上巻は250頁過ぎまで至り、無勅許にて開港を断行した幕府に対する尊王思想に基づく批判勢力に対しての一斉取締りと云える「安政の大獄」が始まり、国内政情もいよいよ不安定となってきました。

ともあれ、こうした歴史進行の局面において重要視されることが「勅許」という「朝廷からの事前の許可」が必要であるということは興味深く、何やら現在の政治にも関連があるのではないかと考えさせられます・・。

また、この「安政の大獄」を実施した井伊直弼はもちろん、単純に悪し様には描かれないにしても、批判勢力に大弾圧を加えたことは事実であることから、その先にある「桜田門外の変」での書きぶりが興味深く、また、それと関連して、以前に読んだ野上弥生子著「迷路」にて井伊直弼をモデルとした江島近江守の孫として描かれる江島宗通が述べる祖父の生涯や維新以降の我が国についての見解が気になってきます・・。後日、機会を見つけて当著作を探し出し、該当部分を再読してみたいと思います。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!



ISBN978-4-263-46420-5

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2020年11月2日月曜日

20201102 中央公論社刊 司馬遼太郎著「歴史の中の日本」内「異常な三島事件に接して」ー文学論的なその死 pp.331-335より抜粋

 中央公論社刊 司馬遼太郎著「歴史の中の日本」内「異常な三島事件に接して」-文学論的なその死 pp.331-335より抜粋

ISBN-13 : 978-4122021037

三島氏のさんたんたる死に接し、それがあまりになまなましいため、じつをいうと、こういう文章を書く気がおこらない。ただ、この死に接して精神異常者が異常を発し、かれの死の薄汚れた模倣をするのではないかということをおそれ、ただそれだけの理由のために書く。

 思想というものは、本来、大虚構であることをわれわれは知るべきである。思想は思想自体として存在し、思想自体にして高度の論理的結晶化を遂げるところに思想の栄光があり、現実とはなんのかかわりもなく、現実とかかわりがないというところに繰りかえしていう思想の栄光がある。

 ところが、思想は現実と結合すべきという不思議な考え方があつねにあり、とくに政治思想においてそれが濃厚であり、たとえば吉田松陰がそれであった。

 松陰は日本人がもった思想家のなかで、もっとも純度の高い人物であろう。松陰は「知行一致」という、中国人が書斎で考えた考え方(朱子学・陽明学)を、日本ふうに純粋にうけとり、自分の思想を現実世界のものにしようという、たとえば神のみがかろうじてできる大作業をやろうとした。虚構を現実化する方法はただひとつしかない。狂気を発することであり、狂気を触媒とする以外にない。要するに大狂気を発して、本来天にあるべきものを現実という大地にたたきつけるばかりか、大地を天に変化させようとする作業をした。当然、この狂気のあげくのはてには死があり、松陰の場合には刑死があった。松陰は自分のゆきつくところが刑死であることを知りぬいてみずからの人生を極度に論理化し(松陰は自己陶酔者ではなかったから美化ではない。しかしその道程と結果は似ている)人生を論理化したあげく、かれ自身が覚悟し予想していたがごとく、異常死へゆきついた。みずからの人生と肉体をもって純粋に思想を現実化させようとした思想家は、その純度の高さにおいて松陰以外の人を私は世界史に見出しにくい。

 われわれの日本史は松陰をもったことで、一種の充実があるが、しかしながら、そういうたぐいの精神は民族のながい歴史のなかで松陰ひとりでたくさんであり、二人以上も出ればその民族の精神体質の課題という別な課題にすりかわってしまうであろう。(ただし、ここでいう思想は、宗教と別個に考えたい。宗教にあってはとくにカトリシズムにあっては、多くの殉教者を出した。ここではカトリシズムのように天に生まれるということを期待することなく、自分の死をもって自分の思想を純粋に表現しようという精神、もしくは発作を考えたい)。ただ、そういう松陰でさえ、自殺はしなかった。刑死させられたが、刑死するまでの幾段階か前までは遠島程度のものであると思っていた。

 かれほどの思想家としての結晶度の高い人でさえ、自殺によって思想を完結しようとは思っていなかった。さらに松陰の門下から多くの血なまぐさい思想的奔走家や政治的奔走家を出したが、かれらの一、二をのぞいては思想と現実が別個なものであることを知っており、現実分析による現実的行動によって歴史を変革することをなしとげた。というより変革期にきている歴史的現実を、現実的にとらえ得た。

 私は松陰という極端な例をここに出したのは、むろん念頭に三島氏を念頭に置いてのことである。三島氏のは、三島氏独自の思想であり、日本人の精神の歴史的系列とは別個のものだということを考えたいがためである。

 三島氏ほどの大きな文学者を、日本史は数少なくしか持っていないし、後世あるいは最大の存在とするかもしれない。

 ただ氏は、ここ数年、政治的発言をしきりにしてきただけに、今度の死の異常死をもって、それを政治的死であると解釈されるかもしれない危険(われわれ同時代人にはその危険性はないが)を私は感じる。三島氏の死は、氏はおそらく不満かもしれないが、文学論のカテゴリーにのみとどめられるべきもので、その点、有島武郎、芥川龍之介、太宰治と同じ系列の、本質的には同じながらただ異常性がもっと高いというだけの、そういう位置に確固として位置づけられるべきもので、松陰の死とは別系列にある。

 三島氏の場合、思想というものを美に置きかえた方が、よりわかりやすい。思想もしくは美は本来密室の中のものであり、他人が踏み込むことのできないものであり、その純度を高めようとすればなおさらのことであるが、三島氏はここ数年、美という天上のものと政治という地上のものとを一つのものにする衝動を間断なくつづけていたために、その美の密室に他人を入りこまさざるを得なくなった。盾の会のひとびとが、その「他人」である。

「ああいうことをしていては、三島さんは殺されるかもしれない」ということを、三島氏に接していた編集者が、私にいったことがある。三島氏の狂気は、天上の美の完成のために必要だったものであり、そのことを文学論的にいえば昭和38年刊行されたかの名作(まことに名作)「午後の曳航」に濃厚に出ている。この小説は他者を殺す。少年たちが精密な観念論理を組み上げ、その観念を「共同」のものにしたあげく、その論理の命ずるところによって、現実的になんのかかわりもない一人のマドロスを殺す。そういう主題である。「共同」がすでにはじまている。

 その「共同」はしかし氏の観念のなかでのみ成立させるべきところを、現実の生活者であるところの氏はその密室に生き身の他人を入れたがために、その「共同」が今度、現実のものになってしまったのである。

 であるがためにあくまでも、氏の死は政治論的死ではなく、文学論的死であり、であるから高貴であるとか、であるからどうであるという計量の問題はさておき、それ以外の余念をここで考えるべきではないように思える。ただ氏と「共同」した他者の悲劇をここで考えざるを得ない。彼らは政治論的死のつもりであったに相違なく、痛ましさはむしろそのあたりにあるといえるのかもしれない。

 いずれにせよ、新聞に報ぜられるところでは、われわれ大衆は自衛隊員をふくめて、きわめて健康であることに、われわれみずからに感謝したい。三島氏の演説をきいていた自衛隊員は、三島氏に憤慨してヤジをとばし、盾の会の人をこづきまわそうとしたといったように、この密室の政治論は大衆の政治感覚の前にはみごとに無力であった。このことはさまざまな不満がわれわれにあるとはいえ、日本社会の健康さと堅牢さをみごとにあらわすものであろう。

 むろん、こういう私の感想は三島氏の美学に対してはきわめて無力であり、それがわれわれの偉大な文学遺産であることをすこしもそこなうものではない。要するに三島氏の「密室」が分裂していたがごとく、この事件をうけとったわれわれも、それを反映して、分裂せざるをえないのである。われわれはそれをむしろくっきりと分裂させ、規定を別々にし、感受性のゆたかな芸術鑑賞者であることと、健康な日本人であることを同意にもちたい。しかしながらわれわれはおそらく二度と出ないかもしれない文学者、三島由紀夫を、このような精神と行動のアクロバットのために突如うしなってしまったという悲しみにどう堪えていいのであろう。

2020年11月1日日曜日

20201101 現在読んでいる著作から思ったこと

 ここ数日間はあえてツイッターをはじめネット環境から遠ざかり、手持ちの書籍を読み進めることに注力してきました。そのおかげもあってか、何冊かの未読であった文庫本は概ね通読に至り、また、かねてからの宮地正人著「幕末維新変革史」上巻は200頁過ぎまで読み進むことが出来ました。

やはり、ツイッター・SNSを行っていない方が、多少は書籍を読み進み易くはなるのでしょうが、しかし、それであれば、以前の自身と変わらないことになりますので、書籍を読み進めつつ記事作成を継続的に出来るようになることが現在では重要であるように思われるのです。ともあれ、こうした数日間程度の休みもまた、適度にとった方が良いとは思われますが・・。

さて、さきの「幕末維新変革史」上巻では、19世紀頃から、我が国に西欧諸国船舶の来訪が相次ぎ、また欧州での国家間戦争(ナポレオン戦争・クリミア戦争)の影響から、それら来訪も極東戦域での戦略上の必要性から、有無を云わせない、強硬な姿勢のものとなり、徳川治世下の日本は、無二念の外国船打払いなどは到底不可能であることを悟った。

また同時に、艦砲などの武力を背景とした強硬姿勢の欧米諸国に対し、港を開き、上陸を許し、そして交易をも許可するといった弱腰とも見られる幕府の対応から、本来、征夷大将軍の府として圧倒的な武力を背景として、国内平和を保ち続けてきた徳川幕府による支配体制にも疑問が持たれるようになり、それに対し幕閣は支配強化のため、公武合体が図られたり、あるいはフランス式陸軍の採用・訓練などが行われたりしたが、それらにより再び国内が徳川支配のもとで安寧に帰することはなく、維新回天期に向かったと云えます・・。

くわえて、当著作にて興味深く思われた点は、19世紀頃からの船の遭難などによる邦人海外漂流者について、比較的多く頁を割いていることです。こうしたことは、今まで新書程の専門書籍をも読んだことがなかったため、大変新鮮であり、また、彼等邦人漂流者に対する幕府など施政者側の対応の変化が、まさしく時代潮流の変化を示しているのだとも云えます。

とはいえ、当著作は未だ上巻の半分(全体の4分の1)にも至っていないことから、今後も引続き出来るだけ積極的に読み進めて行こうと考えています。そして、後日、当著作上下巻を読了することが出来ましたら、次に、以前に読了した岡義武著「明治政治史」上下巻を再度読んでみますと、また新たな発見があるのではないかと思われます。あるいは、今現在、こうした著作を通じて近代の我が国の成り立ち、所以を知ることは、思いのほかに重要であるようにも思われます。

またハナシは変わり、他の読んだ一冊である司馬遼太郎著「歴史の中の日本」では同著最後の方にある「異常な三島事件に接して」(文学論的なその死)が大変印象的であり、私見とはなりますが、当文章の著者である司馬遼太郎氏は、現在まで生を永らえ、そしてまた文章を著すことが出来る状態であったのならば、この文章を改めようとしたのではないかと思われました。

当文章は今後機会を見つけ、抜粋引用してみたいと考えています。

そういえば、昨日用事にて渋谷に行きましたが、あの騒ぎ様は、さきの読んでいる書籍による影響からか幕末期の「ええじゃないか」に通じるものがあるのではないかと思われました(笑)。

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2020年10月29日木曜日

20201028・29 早朝に記事作成をしていて思ったこと

昨晩は早めに就寝し、先ほど午前4時頃に目覚めて、現在、新たな記事作成を行っています。以前にも書きましたが、最近また何冊か書籍を購入し、読み進めてはいますが、これをブログ記事の作成と並行していますと、次第に読み進む速度が遅くなり、また、自身の能力のためであるとは思われますが、書籍内容がスムーズに入って来なくなるといった傾向があるように感じられます。

しかし、それでも5年以上にわたり、現在までどうにか書き続けることが出来ているのは、書籍を読み始めた頃からの記憶全てから、出来る限り参照しつつ行ってきたからであると云えます。また、その記憶は現在においても、全て利用しているわけではなく、むしろ、その逆であると思われます。ただ、その記憶が甦るのが、他の何らかの刺激に因るものであり、その刺激への感受性が、さきに述べたことを続けけていると、摩耗するかの如く劣化するのではないかと自身には思われるのです。

それ故「書く時期」と「読む時期」をある程度明確に切り分けた方が良いのかもしれません。また、その期間などについても、イマイチよく分かりませんが、たしかに数日間の休息後の方が全般的に記事作成も興に乗り、集中して作成し易くなるように感じられます。そして、この期間が数週間、数カ月であれば、一体どのようになるのかということは、当ブログ開始以来、経験がありませんので、出来れば1500記事到達の後、試みてみたいと考えています(笑)。

また、読書については自身の場合、ある程度の時間をかけて、幾冊か読み進めているうちに、徐々に深く、少し骨が折れるような硬質な内容の書籍も読むことが出来るようになる傾向があると感じられることから、読みたい書籍が硬質なものである場合は、他方とも云える記事作成は、しばらくの期間控えた方が、読み進めるのは楽になるように思われます。

そのように考えてみますと、以前にも書いたことがありましたが、少なくとも自身はマルチ・タスク型ではないことが、あらためて実感出来ます・・(苦笑)。

そしてまた、ここまで書いていて面白いと感じることは、早朝に書き始めた当ブログ記事は、いつもの夜半に作成しているものと、作成している際の感じ、そしてまた、作成された文章の感じも若干異なるように感じられるのです・・。

これは、単なる気のせいであるのか現在の自身では判断がつきかねますが、それでも後になってまた、早朝に作成した当ブログ記事が何らかのネタにでもなれば、それはそれで面白いとも思われます(笑)。

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2020年10月27日火曜日

20201027 現在読み進めている書籍から思い付いたこと【仮説を思い付くことの重要性】

 先日から読み進めている宮地正人著「幕末維新変革史」は、その後あまり頁が進まず、現在50頁程まで至りました。当著作のこれまでの概要は、先ず、天文学、外洋船、航路の発達・発見により、後の欧米列強による砲艦外交や帝国主義に至るまでの環境整備が為され、他方、我が国においては、18世紀後半からの徳川治世下での文治主義政策により、天皇を本来の我が国の統治者とする「国学」もまた興隆に至り、来るべき維新回天期の思想的な下準備が為されたといった構成であったと云えますが、この構成は自身にとっては新鮮であり、興味深く読み進めています。(若干、ポール・ケネディ著「大国の興亡」の冒頭部を想起させられましたが)

また、この18世紀後半からの「国学」の興隆は大変興味深い現象であり、それは本居宣長や平田篤胤といった個人の思想が、それぞれの弟子・門弟を媒介として各地に広がり、ある地域においては、その影響は明治期に至るまで継続し、他の地域においては、後世に至るまでの波及・伝播はあまり生じ得なかったと云えるのではないかと思われます。

それは、各地域における神社の来歴等、あるいは反動としての廃仏毀釈の対象となった寺院の記録などを検討することにより、ある程度まで認識が可能ではないかと考えます。また、そうした中で現在に至るまで続く、何らかの地域における普遍的とも云える「感覚」を見出すことが出来たのであれば、それはそれで意味があるのではないかと考えます。

ともあれ、以上の考えは、これまで当著作を読みつつ、不図、思いついたことではあるのですが、こうしたことは、どのような書籍を読む上においても、なかなか重要なことであると私は考えます。

また、以前であれば、こうした仮説とも云える思いつき、着想は、現在よりも湧いていたと感じられるのですが、年を経る毎に徐々に減衰しているように感じられます。見方によれば、それが脳や感性が加齢により硬直化して、柔軟性を喪失していることを示しているのかもしれませんが、やはり、こうした文章の文脈を読むことを通じて、文脈から外れた、自身にとっては新しく、そして「間違ってはいない」と思うことが出来る考え・解釈が生じるということは、本能に近いレベルから楽しいものであり、また、それが書籍を読む一つの大きな楽しみであるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

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2020年10月25日日曜日

20201025 バズってもあまり狼狽しなくなったこと、自身の文章にて書く意味について・・

 先日、1400記事に到達してから次なる目標、1500記事に向けて新たに記事作成を開始しましたが、先の道のりは未だ長く感じられます。そして、出来れば、来年のGWのあたりには到達したいと考えていますが、さて、上手く事は運ぶでしょうか・・(笑)。

以前にも書きましたが、かねてより当ブロガーでの作成記事をツイッターにて共有してきましたが、ここ最近、どうしたわけか閲覧者数(インプレッション)が増加し、1日でのそれが5桁に達し、なおも伸びることがありました。その原因については、未だ分からず、そしてまた、本日10月25日も、そのような事態となっています・・。

こうした事態に遭遇すれば、以前であれば、それこそ落ち着くことも出来ず、狼狽えてしまっていたところですが、そうしたことを波のように何度か経験することにより、以前と比べ、落ち着いていることが出来、さらに、それを題材として記事作成を行うことも出来ています・・(笑)。

これは、自身としては進歩であると云え、さらに、その先にどのような展開があるものか、気になるところではありますが、とりあえずは、次なる目標である1500に向けて、記事作成を継続することが大事であると考えます。

また、直近の投稿記事は、書籍からの抜粋引用を充てましたが、こちらもお蔭さまで、思いのほかに閲覧者数が伸びました。そして、今現在、抜粋引用したい書籍からの文章は、自身の基準としては、少なからずあると云え、これを毎日1記事として書写し投稿し続ければ、残り約100記事は、3~4カ月以内には投稿完了に至ると考えることが出来ます。

それは、自身の文章で記事を作成するよりも、明らかに1500記事に至る方法としては合理的であり、実現可能性も高いと云えます。しかし、こうした書籍からの抜粋引用は、時々であれば悪くないのかもしれませんが、基本的には、自身の作成した文章にて書き続けることが、継続的なブログ記事の作成においては、大変重要であるのではないかと私は考えます。

その理由は、作成者自身の能動性によって継続しているこのブログ記事作成を、書籍・抜粋引用部の選択といった、能動性はあるものの、それ以上に、投稿記事そのものとなる文章自体もまた、出来る限り、作成者の能動性によって作成されたものである方が望ましく、そして、後に、このブログ記事作成という行為が、自身に何か寄与することがあるのであれば、出来る限り自身の能動性に基づいて行った方が良いのであろうということになります。

まだまだ先は見えず、さらにまた無事に1500記事まで到達出来るかも分かりませんが、今しばらく継続して行こうと考えておりますので、よろしければ、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。ついでながら、先ほど、ツイッターでのインプレッション(閲覧者数)を確認しましたところ50000に到達していました。これまでの経験から、これは「バズった」と評しても良いのではないかと思われます。

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2020年10月24日土曜日

20201023 岩波書店刊 岡義武著「近代日本の政治家」内「挫折の政治家・犬養毅」pp.205-207より抜粋

岩波書店刊 岡義武著「近代日本の政治家」内「挫折の政治家・犬養毅」pp.205-207より抜粋

ISBN-10 : 4003812654

ISBN-13 : 978-4003812655

大正7年(1918年)における原内閣の成立は、戦前の政党内閣制の糸口をつくたものといってよい。原敬は平民で首相になった最初の人であるとともに、政党党首であり、且つ衆議院に議席を有して組閣したのも、このときの彼が最初である。ところで、戦前における最後の政党内閣は、犬養内閣(昭和6年~7年)である。そして、首相犬養毅は全くの党人出身であった。彼が組閣したときに、第一議会以来の衆議院議員が二人いたが、一人は尾崎行雄であり、なお一人は犬養であった。犬養は過去に文相に一回、逓相に二回就任したが、しかし、通常の官歴としては、明治14年に約3カ月間統計院権少書記官を勤めただけである。そして、組閣までの過去のその生涯のほとんど政党生活に送って来た。このような閲歴は、それまでの、どの政党内閣の首相にも見出すことはできない。原によって端緒をひらかれた政党内閣制が、この生粋の政党政治家である犬養の組織した内閣をもって終止符を打たれたということは、まことに奇しき偶然である。

犬養毅は安政2年(1855年)4月備中の小藩である庭瀬藩の郷士の家に生まれた。儒学が代々の家学であったので、少年時代には儒学で身を立てることを考えていた。勝気で負け嫌いなこの少年は、郷里の塾で家格を誇る藩士の子弟たちの中に入り交わって勉学しながら、学力をもって彼らを見返そうと力めた、と伝えられている。

儒学の家に生まれた関係によるものであろうが、犬養は生涯いわゆる東洋趣味を身につけていた。彼は漢籍を愛好した。書道にも長じて、風格にとんだその書は有名である。筆墨・紙・硯についても一家言をもち、現に「木堂翰墨談」の著もある。刀剣を愛して鑑識眼を具えていた。以上これらの方面についての犬養の趣味はきわめて深かった。彼の死後には内藤虎次郎(湖南)は回想して、犬養は一般の政治家と肌合いが違って趣味がひろいので、国民党時代地方に遊説に出かけても土地の学者や書家などと話し込む時間が多く、党員たちが政談をしても一向乗気にならないというので、苦情を受けたりした、と述べている。

彼の思想にも、この東洋風が現れていた。たとえば、大正11年夏に座談の中で述べて、東洋4000年の文明を研究する上から漢学は保存しなければならない、東洋道徳の根底をなして来た儒学はとりわけ保存すべきである、東西の学問を融合、淘汰して「東洋の新学問」を建設するのには、先ず東洋在来の学問を研究することが必要である、と語っている。また弁論について述べて、西洋では演説の技巧的な面についていろいろ工夫がされ、聴衆を感動させることを試みているが、それでは不充分である、釈尊の無所畏心、孔子の自省 不疚 何憂 何惧の心境で聴衆に臨むことが実はきわめて大切なのである。技巧などは問題ではない、と語っている。また、西郷隆盛を崇拝していた。彼は、由来自身は「前賢」について偉人とか英傑とかいう言葉を無暗に用いないが、西郷だけは偉人と呼びたい、但し、一般世人とは違って、彼の軍事上・政治上の業績を偉大とは考えない、「絶対無辺の心境」に感心しているのである、としばしば語っている。