2020年8月17日月曜日

20200816 ブログ記事下段の告知事項について思ったこと、および蛇足

以前、自身で勝手に決めたことではありますが、当ブログを作成するにあたって、書籍からの抜粋引用部を投稿記事とする場合は、ブログ記事下段に掲示しているいくつかの告知事項を掲示しないことにしました。その理由は、自身のオリジナルで作成した文章による投稿記事であれば、その下段に告知したい内容を掲示することに、躊躇はないのですが、そうでない文章を記事として投稿する場合には、その告知をためらってしまうといった心情的事情に基づくと云えます・・。

こうしたことは、おそらく、考え方次第ではあるのでしょうが、それでもやはり、一度、習慣として、しばらく継続されますと、それが根付いてしまうようであり、いくつかの例外はありますが、それは投稿記事下段での告知をはじめた頃から、変らないと云えます。

他方、ブログ記事での告知事項も、自身にとって義務ではなく、能動的に行っていますが、それもまた、ある程度継続しており、それを、さきの事情により、日によって取り止めるのことも、勿体ない、あるいは口惜しいと思われることから、その打開策を自分なりに検討したところ、当ブログ記事での告知事項が動画サイト(YouTube)から引張ってきた動画であるならば、わざわざ記事下段に、それらを貼り付けることなく、動画サイトから、そのままフェイスブックやツイッターにて共有すれば良いと考えるに至りました。

こうしたことは、後になりますと「しょうもない・・」と思われるところですが、一度、自分なりに継続して確立された「やり方」を変えることは、少なくとも自身としてはあまり気が進みません・・。合理的ではありませんが、そこには「惰性による心情」といったものがあるのだと思われます・・。

さて、そのように、たとえ書籍からの抜粋引用部を記事とした日においても、動画サイトからフェイスブックやツイッターに動画を共有をしてみますと「あるいはこちらの方が効果的であるかもしれない・・。」ということに気が付きましたが、同時に、そうした共有を継続するためには、更なる記事更新の継続が必要になると思われます。

それは、書籍からの抜粋引用であれ、記事の新規投稿を行うことなしに、動画サイトからの共有を継続することは、冒頭にて述べた理由からは多少緩くはなっていますが、それでもやはり躊躇されるものであることから「更なる記事更新の継続が必要になる」と考えるのです。

ともあれ、そのようなことを記事として書いてみますと、ある程度の文量にはなったと思われることから、本日はこれを記事題材としようと思います・・(笑)。

また、これまでの内容からしますと、蛇足にはなりますが、近年のCAD/CAM加工技術および3-DプリンターなどといったPCに接続する類の一連の技術の進化発展により、これまで保険制度によって守られて来た医療・歯科医療業界の中で、より深いところからの変革を余儀なくされているものの一つが、歯科技工業界であると云えます。

それは、より抜本的な歯科技工士の教育制度の変革も必要になってくると云えます。そのため、新たな大学制度である「専門職大学」と、この変革を要する歯科技工士の教育を組み合わせることが、時宜に適っているのではないかと思われるのです。

また、歯科衛生士の教育についても同様であり、それは関連する他職種そして、訪問医療・介護との連携を考慮した教育を行うことにより、新たな歯科医療の流れが生じてくるのではないかと思われるのです・・。(それは新たな歯科医療の世界スタンダード構築の一助にはなると思われます。)

面白く、有意義・有益であると思われますので、是非、ご検討して頂ければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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2020年8月16日日曜日

20200815 終戦(敗戦)記念日に思ったこと

本日は終戦(敗戦)記念日であるため、報道番組・ネット上においても、そうした特集が多く見受けられました。戦後以来、毎年、この日を迎えると、このような感じになり、また、ある程度区切りの良い年になると、例年に比べ、多少多くの特別番組・報道記事が組まれるといった感じになります。おそらく、こうした行事は、この先も、我が国の政治体制が大きく変わらない限り、続けられると思われます。

そこから、この8月15日の終戦(敗戦)記念日は現代を生きる我々にとって未だ100年も昔の出来事ではなく、比較的身近であり、深く理解しようと思えば出来そうな時代であると云えるのですが、どうしたわけか、我が国では、各教育段階にて、この時代についての歴史教育は、あまり詳細にはやろうとはしない傾向があると云えます・・。

自らの記憶を辿ってみますと、高校時代は、明治維新にて日本史の授業は一通り終え、その後から20世紀前半の歴史についての授業は、受けた記憶が定かにはありません・・。しかし他方で同じ頃に現代文の授業で扱った夏目漱石による「現代日本の開化」は、それ以前にも自分の興味から何度か読んでいたということもあり、学内のテストにて比較的良い成績をとったという記憶は、割合明瞭に残っています。

また、ここまで書いていて思い起こされたことは、高校に入学してまだ間もない頃、世界史か何かの科目で第二次世界大戦について、先生に指されたのを良いことに、しばらく、その経緯を説明するように話したことであり、これで「少し変なヒト」という扱いになったのではないかと思われます・・(苦笑)。

その後、私の歴史についての興味が本格的に動き出したのは、大学最後の1年あたりで、以前にも何度か記事に書き、また、現在もなお途中の【架空の話】に指導教員として登場している文系の師匠に出会ってからであると云えます。現在思い返してみますと、当時は師匠の方が所謂D2病の、ど真ん中であり、私は、その頃の「濃いキャラになっていた」師匠から、少なからぬ影響を受けたのだと云えます・・(苦笑)。

そこで、自身も大学院に進学しようと周囲に訊ねてみると「とりあえず3年程度働いてみて、それでも行きたければその時に考えれば良い。」ということになり、普通に就職しました。しかし、さきの影響は大きかったようであり「やはり院に行きたい。」と考え、また、多少お金も貯まったため、転勤にて東京勤務になってから、さまざまな大学に問合せ、資料請求をしたり、周囲を説得したりして、どうにか準備を整えました。

この時、いくつかの大学院を受験しましたが、どれも、あまり好感触と云えるものではありませんでした・・。ただ、会社勤務の際は、ホテルフロントとして、比較的多く外国人宿泊客の対応をさせられた(させて頂いたため)か英語面接は、後悔する部分もあったものの、同時にそこまで酷いモノではなく、また英文和訳のテストは、これまた会社時代、FAXなどで送られてくる、さまざまな宣伝チラシなどの概容訳をやらされていた(させて頂いた)ためか、そこまで怖気づくことなく対応は出来たように記憶しています。

あとの小論文は、あまりその出来は分からずに、もう一つの面接は、何やら怖く、面接官にバカにされたような感じも受けました(現在考えてみますと、当人には、そうしたつもりはなかったのだと思われますが・・)。

ともあれ、どうにか入学を許されて入ってみますと、周囲には、当時としては、私以上に「変なヒト」と判断し得るような方々が何人かおり、そのよく分からない研究に対する熱意やストイックさに、こちらも知らぬうちに伝染し、また、そうした様子を手紙かメールにて察知したと思しき、さきの文系の師匠は、関西方面にて開催される学会を機会として何度かこちらに訪ねて来られたことがありました。

この修士院生の頃は、自身にとっては、まさに「遅まきの青春」であったと云え、それ以前の学生生活と比べると周囲の環境も決して悪くなく、居心地の良いものでした。

とはいえ、院の修了後は、数年前に開業した実家にて手伝うことが出来るようにと、東京の歯科技工専門学校に通うことになりましたが、これはまさに専門学校であり、自身としては、よく手を動かしたと記憶しています。また、それまで自身は図工や美術については比較的成績が良く、勝手にセンスがあると思っていましたが、この専門学校にて、世の中には器用な人がいるものだと、はじめて認識しました・・(苦笑)。

また、この専門学校にて「このさきは歯科技工士も大学院に進むべきだ。」との考えに触れ、それに影響を受け、周囲の反対を押し切って、以前の和歌山よりも、さらに西に行くことになりました・・。

現在では、四年制大学の歯科技工士養成課程を卒業した歯科技工士が普通におり、さらに修士、博士課程へと進み、学位取得にまで至ると聞き及んでいますが、そうしたストレートな課程を経て来られた方々と比べますと、私は原初的な、あるいは黎明期特有のゴチャゴチャした試作機もしくは多砲塔戦車のようなものであると云えます・・(笑)。

それでも、そうした存在には全く価値はないというわけでもなく、それは、当ブログも含めて、これまでと、そして、これからの活動にかかっているのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・。

ともあれ、これまでで一つ判然としたことは、私の歴史好きの傾向は比較的強く、普通でいると、自然にそちらの方面に行ってしまうということです・・(笑)。

この先も本日の終戦(敗戦)記念日が、自国の近現代史を見つめる日であり続け、変に形式化、ベタ化しないことを願います・・。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


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2020年8月14日金曜日

20200814 偶然から必然に至るまでの経緯(出来るだけ具体的に)

ここ最近は夏バテ気味のため、当ブログをどうにか継続することの方が重要であったためか、知らぬ間に総投稿記事数が1360を超えていたことに、つい先ほど気が付きました。恥ずかしながら、当ブログの場合、書籍からの抜粋引用部を記事とした方が閲覧者数・インプレッションは伸びる傾向があると云えますが、それでも、自身の文章で書くことが出来る時は、なるべく書いておいた方が良いと思いますので、その伝にしたがい、本日も記事作成を開始しました・・(笑)。

ともあれ、こうして書き始めてみますと、どうにか書き進めることが出来ていますので、本日は、久しぶりに大型書店に行ったことが、多少効いているのではなかかと思われます。また、自身の場合、こうした暑い時季になりますと、思想など観念的なものを扱った書籍よりも、対象物が実際に存在する、具体的には古墳や銅鐸などを扱った考古学関連の書籍が読み易くなる(読みたくなる)傾向があると云えます。

私は、その分野(考古学)を専攻としたことはありませんが、今世紀初頭、会社の転勤によって、初めて西日本に在住した頃から、その土地の遺跡そして、それに伴う古い言い伝え・口碑などにも興味を持つようになり、休日になると、それらについて書かれた書籍を読むようになり、そして、時間をかけて、多少は分かるようになったといった感じです。

とはいえ、こうしたことはコトバで書きますと、概ねこの通りではあるのですが、しかし、そこには「雨垂れ石を穿つ」といった時間の継続があり、3年近く在住して、何やら、わずかにボンヤリと分かってきたような感じであり、さらに、その後、大学院にて、それに近い分野(地域学)を専攻し、関連書籍を読み込んだり、調査として現地に足を運ぶことを重ねるうちに、さらにまた、ボンヤリと分かってきたような感じを得て、そして、そうした状態にて、どうにか学位取得に至り、その後は、必要に迫られ、専攻分野が歯科生体材料学へと変わりましたが、その分野でも、理解のための足掛かりになったものは、ボンヤリとではあれ、どうにか分かるようになった地域学からのさまざまな知見であり、その意味において、私が住んだ和歌山県に出土が多い、鋳造にて作成された弥生時代のさまざまな青銅製祭器は、それら分野間を結節する「具体的な存在」であったと云えます・・(笑)。

こうしたことはあまり指摘されませんが、あるいは、通常、専攻分野の大きな変更は稀であることから、そのような「奇妙な」結節の仕方は必要でないのかもしれませんが、自身の場合については、それが歯科生体材料学の研究において、かなり大きな意味を持ったと云い得ます・・(笑)。

そしてまた、こうしたおかしな(一般的ではない)学問間の架橋を試みているような精神状態においては、これまでに読んだ文学作品・小説などの或る文章が、特別な意味合いを持つと感じられたりといった、不思議な感覚に出くわすことがありましたが、当時は、そうした感覚が何と云いますか「楽しくて仕方なかった」ように記憶しています・・(笑)。出来れば、そうした感覚をずっと保持し続けたいと願うところではあるのですが、おそらく、私を含め、多くの人々にとって、それは難しいことであり、そうした短い時期の後は、何かを読んだり、経験したりする中で、時折、明滅する、そうした感覚の存在をどうにか確かめることで精一杯といった感じになっていくのではないかと思われます・・(苦笑)。

ともあれ、これまでのところで、重要と思われることは、当初、自身が決して望んだわけではない、西日本(和歌山県)への転勤から、経時的に、その地域のさまざまな文化事物に関心を持つようになり、そして更に知るためにそれを専攻として努めていると、その後に変更した専攻分野(地域学から歯科生体材料学)においても、どうにか、自分なりに学問分野間の架橋が為され、拙い部分も少なからずあるのでしょうが、また同時に、かなり危ない道のりではありましたが、どうにかなってしまったということです・・(苦笑)。

また、こうした経緯を知る複数知人から、後になって偶然にも「行き当たりバッタリ」に近い「行き当たりバッチリ」と同じように評されたことが思い起こされましたが、しかし、敢えて反論を試みるわけではありませんが、人は自然な興味に基づいて活動をしていると、そのようになることの方がむしろ必然であり、本来、人間的であるのではないかと思われるのです・・。

そしてまた、そこに、さまざまな宗教間を横断する普遍的とも云える「摂理」のようなものが不明瞭ながらあるのではなかかと思われるのです・・。無論、願わくは、その更なる明晰な言語化を試みたいところではありますが、そこから先は現時点では私の感覚の外にあると云えます・・。

あまり参考になるハナシとは思われませんが、とりあえず書くだけ書いておきます・・。

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20200813 株式会社文藝春秋刊 山本七平著「私の中の日本軍」pp.354-357より抜粋

株式会社文藝春秋刊 山本七平著「私の中の日本軍」pp.354-357より抜粋
ISBN-10: 4163646205
ISBN-13: 978-4163646206

「しかし現実の戦場で刀剣を振うということは、実は、昔から極めてまれなことでなかったかと思う。というのは、団体戦闘における近接戦の主力兵器は、洋の東西を問わず、昔から実際は槍であって刀でない。槍は銃槍、銃剣と変化し、また、ある特別の銃槍は、銃の先に槍の穂先がつくというより、槍の柄から弾丸が飛び出す態のものであったらしいが、結局この形態の近接戦兵器は、第二次大戦まで生き残ったわけであった。日本軍の銃も全部が銃剣式だったわけではない。内地の砲兵の馭者がもっていた四四式騎銃は銃槍式で、長い槍状のものが銃身にぴたりとはりつくように出来ており、これをぐっと引き起こすと、長い一種の槍になるようになっていた。
 従って相当昔から、刀は、実質的には指揮官の「指揮杖兼護身用武器」に返歌していたことが実態であろう。これを明確に示すものが「指揮刀」で、内地で将校が下げていたのは、指揮刀であって軍刀ではない。日露戦争以来の平和は、指揮刀しか持っていない多くの将校を生み出した。戦地に行くことになって、あわてて偕行社で軍刀を買った人は、決して少なくないのである。といっても指揮刀は、多くの人が思い込んでいるように、軍刀の模造品・代用品ないしは装飾品ではなく、必需品であった。特に乗馬部隊や騎馬部隊は、これがなければ指揮できないのである。

 中隊運動ぐらいまでは、確かに中隊長の声はきこえる。しかしこれが大隊運動・連隊運動となって、各中隊の四門四車両(弾薬車)が、馬蹄のカッカッという音と車輪の轟音とを立てて走りまわると、連隊長・大隊長の声は全然きこえない。こういう場合は、ただ連隊長・大隊長の指揮刀の合図だけで、全馬全車両が、あるいは縦列になりまた横列に広がり、右にまわり左にまわり、一糸乱れず自由自在に動くのである。
 私が最初に入隊したのは近衛砲兵連隊で、これは言うまでもなく観兵式用の部隊だったから、この妙技は、まことに「人間わざ」とは思えないほどであった。その連隊運動は、自称「世界一」であったがー当時「輓馬砲兵」などというものは多くの国で姿を消していたから、本当に「世界一」いや「世界唯一」だったのかもしれない。もっともほかの師団には「キンポ(近砲)のお飾り部隊」という蔑称があったことは、予備士官学校で知ったが、今の言葉でいえば「パレード専用部隊」とでも言ったところであろう。ただ「近砲」の名誉のために言い添えれば、これは事実ではない。それどころか、彼らは他部隊に比して恐るべき過重な訓練を強いられていた。一月八日が「陸軍始観兵式」である。そのため「近衛に正月なし」が実情であった。

 何しろ「陛下の御馬前」で失態を起こせば「切腹もの」の時代だから、確かにあの妙技は命がけの猛練習の結果である「至芸」で、鬼の大松の回転レシーブをはるかに凌駕する世界的妙技だったかもしれない。ちょうど、オーケストラの指揮者の指揮棒のちょっとした合図で、全バイオリンの弓が一斉にあがるように、指揮刀の先端の動き一つで、全連隊の自由自在が動くのである。指揮刀による指示にはもちろん細かい規定があった。
 原則的なことだけあげると、垂直に高くあげてまっすぐ前に倒せば「前進」、同じく高くあげて垂直にそのまま下ろせば「停止」、右に水平にまっすぐのばして前方へ二度振れば「右前縦隊進メ」-横隊の右端から順次に行進して縦隊になる、垂直に高くあげて横に8の字を描けば「開け」-縦隊から横隊になる、等であった。
 もちろんこれはほんの一例だけで、声は聞こえないkらあらゆる動作がこの指揮刀の動きだけで行われ、それはまさにオーケストラの指揮棒と同じ働きをしていた。こういうことはもちろんタクト同様に軽くて、刃がなく、片手で、しかも馬上で自由自在に振れる飾刀でないとできない。従って観兵式に下げていくのは指揮刀であって軍刀ではないのである。

 オーケストラの指揮者は、男性なら一度はやってみたい職業だといわれるが、指揮刀一本による大部隊の指揮は、若い青年将校が、だれでも一度はやってみたいことのようであった。これはおそらく「軍国主義」とはまた別の願望であろう。同時に若者はいずれの時代でも「おしゃれ」であった。彼らとてその例外ではない。

 そこで「おしゃれの青年将校」は、指揮刀に凝った。私などは無関心だったが、俗に「ロス」といわれる、まるで安全カミソリの刃のようにうすく、振るとバネのようにビューんとしなって羽のように軽い刀身の指揮刀を、細い美しい鎖を何条にも編んだグルメット(吊り鎖)が刀帯から吊り、チャラチャラと軽い音を立てて歩くのが、当時の「しゃれ者」の青年将校の姿であった。

 しかし考えてみれば、当時は、指揮刀で指揮をするということすら、すでに「パレード」の世界にしかない時代だったのである。その時代に「立川文庫」の世界が事実として報ぜられ、それが今なお事実として通用するなら、そのこと自体が、新聞がいかに徹底的に国民をあざむきつづけて来たかの証拠にすぎないであろう。

 その効力が2メートルに及ばない刀は、すでに実戦の兵器ではなかった。それは劇画・動画の中と新聞記者の妄想の中で活躍する兵器にすぎない。もちろん「槍」は必ずしもそうはいえない。だが、当時、それを知っているはずの軍隊内にすら奇妙なことが起っているのである。

 軍刀が「日本刀の模造」という形態になったこと自体が、実はそう古いことではないはずである。ここに妙な逆コースがあったように思われる。というのは、古い将校、たとえば私の部隊長がもっていた軍刀は、日本刀型ではなく、日本刀と指揮刀とを混合したような、非常に奇妙な形の刀だったからである。日露戦争時代の絵にこの奇妙な刀が出てくるが、実物を見た人は少ないであろう。近代戦の実態を考えれば、日本刀はこのように変形して、やがて指揮刀となり、ついて地位を示す象徴となって、最終的には消えて行くのが順序だったはずである。
 だが、不思議なことに、この点だけでなく他のことでもいつもそうならない。そして何としまいには、戦闘機の搭乗員までが重い大きな日本刀型軍刀をもって機に乗ることになる。これは一体なぜであろうか。おそらくあらゆる面で「成瀬関次氏のデータ」といったものを無視し、何かをーこの場合なら「日本刀」をー絶対視して、この主張を一方的に言いまくると、それが通ってしまうという精神構造から来るのかもしれない。ある種の経済学者の主張などを聞いていると、私はいつも、何か日本刀の模造品を下げた将校を連想するのである。

 だが話を軍刀にもどそう。確かに例外はあるだろう。しかし時局はS氏の指摘する通り、ほとんどすべての者が日本刀を使用する機会がなく戦争が終わったので、その実態はだれも知らず、従って昔のままの「日本刀神話」が今も生き続けているのだと思われる。
 一方的に頭に注入された「定説」に基づく「思い込み」ぐらいこわいものはない。今もわれわれは、マスコミによってさまざまの「思い込み」をさせられていると思うが、確かに日本刀についてのある種の「思い込み」を疑わなかったという点では、私にも、ほかの人を批判する資格はないので、あまり偉そうなことは言えない。」

 
 

2020年8月13日木曜日

20200812 夏バテ気味のなかで思ったこと・・おかしな感覚?

ここ最近は、暑さのためか少しバテ気味です。また、ブログ記事の作成においてもそれは同様であり、あまり良い具合に文章が湧いてきてくれません。こうした時はまた、色々と試みるのも良いのですが、しかし、それがさきのバテ気味ゆえか、あまり「やってみよう」といった方向になかなか動かないのです。

しかしまた、そうした状態にあっても、書籍からの抜粋であれ、何かしら書き続けた方が良いと思われることから、昨日は書籍からの抜粋を記事として投稿しました。こうした抜粋文章であれば、おそらく数百記事程度は、特に無理なく新規投稿出来ると思われますが、しかし、それに慣れてしまいますと、今度は自身の文章が書けなくなってしまうのではないかと思われるのです・・(苦笑)。

自身も当ブログ以外にも、いくつかブログ等を運営していますが、出来るだけ速やかにそれらブログも、当ブログ記事のコピペなどによって充実させていきたいと考えています。また、昨年末頃から始めたツイッターでは、ここ最近、当ブログよりも多くの方々に閲覧して頂いているようであり、これには当初かなり緊張しましたが、昨今はそれが麻痺したのか、あるいはまた慣れたのかで、あまり気にしなくなりました・・(笑)。

ともあれ、このツイッターでの閲覧者数は「本当に閲覧されているのか?」と思うこともありますが、それなりに反応もあり、また、以前にも書いたことがありますが、その後に私の投稿内容といくらか関連があると思われる出来事が度々生じるため、その関連性をある程度明確に理解出来るようになるまでは継続した方が面白いのではないかと思われるのです・・(笑)。

あるいは、単に私の頭が少しおかしくなっているだけなのであろうか・・(笑)?

しかし、本当におかしくなっているのであれば、自分でそのように感じることは少ないとも思われますので、それとは異なるものであるように思われます・・。

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2020年8月11日火曜日

20200811 株式会社草思社刊 セバスチャン・ハフナー著 瀬野 文教訳 「ヒトラーとは何か」pp.140-142

人間の命は短く、国家や民族の命は長い。身分制度や階級制度も、一個人の人生よりはるかに長い歴史がある。また公共機関や政党にしたところで、それらはたいてい、そこで働く政治家たちよりも長く続いている。

 だから、たいていの政治家は、実務的に事足れりとするのがふつうである。面白いことに、右寄りの政治家ほど、この傾向が強い。彼らは芝居の結末を知らないのだ。舞台に上がり、短い役柄を演じて降りてゆく。芝居全体を知ることはできないし、知ろうとも思わない。

 割り振られた役割を、ほんの一瞬果たすだけで満足する。そのほうが政治家として成功することが多いのだ。遠大な目標を追い求めて、全体の意味を見通そうなどと野心を抱く者ほど失敗に終わる。全体の意味などはじめから信じない。そんなものがあるとも思わない。知ろうともしない、そんな悟りきった政治家ほど成功するものだ。

 たとえばビスマルクがそうだった。「神を前に、国家の名誉だの、国家権力などいかほどのものであろう。牛のひづめひとかきで蟻塚はくずれてしまう。養蜂家が育てたミツバチの巣にしたところで一代かぎりのものじゃないか」

 これとは異なるタイプの政治家がいる。彼らはきまって理論を実践に移そうとする。国家や政党に仕えると同時に、歴史的使命を果たし進歩思想に貢献したいと考えるのである。こういうタイプはたいてい左翼の政治家で、まず成功しない。挫折した理想主義者、夢破れた夢想家たちの数は、浜の真砂より多い。

 それでも、壮大な理想を掲げて成功した大物がいなかったわけではない。とくに希代の革命家には成功例がある。たとえばクロムウェル、ジェファーソンがそうだ。私たちの20世紀ではレーニンと毛沢東がいる。彼らの成功は、実際には期待に反して醜悪なものだったが、それでも成功であったことにはちがいない。

 では、ヒトラーはどちらのタイプか。ヒトラーを不用意に右翼政治家に位置づけてしまうのは禁物だ。彼は明らかに後者のタイプ、すなわち左翼政治家のタイプだ。ヒトラーはたんなる実務政治家ではなく、思想的政治家、目的の策定者、彼一流の表現を借りれば「綱領作成者」(プログラマー)であり、いってみればヒトラー主義を唱える「マルクス」であると同時に、それを実践する「レーニン」でもあった。彼は、自分のなかにプログラマーと政治家が同居していることを、たいへん誇りにしていた。「長い人類の歴史でも一度きりのことだ」と。

 さらに彼は、理論すなわち「プログラム」に従って進める政治家のほうが、ただの実務政治家よりも成功するのが難しいことを認識していた。これはまったく正しいことだった。「なぜなら後世にとって偉大な仕事ほど、その戦いは困難なものであり、成功もまれであるからだ。だが百年に一度でも花ひらけば、きたるべきのちの世の名声がほのかな光のよるにわが身を包みこむことであろう。」
 むろん誰もが知るとおり、ヒトラーにそのような名声は残らなかった。のちの世に彼を包みこんだのは、(名声のほのかな光」とはまったく別のものであった。」
株式会社草思社刊 セバスチャン・ハフナー著 瀬野 文教訳 「ヒトラーとは何か」

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2020年8月10日月曜日

20200809 ブログ記事作成の原動力から「歴史像」の理解について・・

ブログ記事作成の原動力は、内面の活力や気力といったものであり、その継続的な発露によって為されていると云えますが、ここ数日は暑さのためか、あまり「新規の記事を作成しよう!」といった活力・気力が湧いてきません・・。おそらく、これも一種のスランプであるとは思いますが、同時にそれは「文章が何も浮かんでこない・・」といった種類のスランプとは異なり、それ以前のものであるように思われます。

とはいうものの、ここ2日ほど新規の記事投稿を行ってこなかったため、何かしら書いておこうと考え、さきほど来から記事作成を開始した次第ですが相変わらず、自身の内面は、何と云いますか無風・凪状態のままであり「何か書いてみよう!」といった能動的な衝動は湧いてきてくれません・・(苦笑)。

それでも、記事を作成しようとするのであれば、何かしらは書かなければなりません・・。それが面白いかそうでないかは別として・・(苦笑)。では、面白い記事を書くことが出来ない状態であるのならば、無理をして記事作成をすることはないといった考えも出てくるのですが、他方で「継続」に重点を置いて考えてみますと、さきの見解とは異なり、たとえ面白い記事を書くことが出来なくとも、そこで作成した記事は、後で何らかの意味を持つ可能性も(充分に)あり、さらに、そうした無風・凪状態の中で記事を作成したといった実感は、自身の考えに影響を与え、さらには自信ともなり得るのだと云えます・・。

むしろ、ある程度の期間、どうにか記事作成を継続することが出来ているのであれば、この程度の状況はなかったとは言い切れませんので、こうした状況においては、やはり、多少自分なりの義務感を発露させてでも、何かしら作成しておく方が良いのではないかと思われるのです・・(苦笑)。

ともあれ、そのような経緯で上記のような文章に至ったと云えますが、ここまで書いていて不図思ったことは、もうじき終戦(敗戦)記念日ということであり、また同時にそれが祖霊が戻ってくるとされるお盆にもあたるということです。祖霊が戻るとされる時季に、多くの犠牲者を出した、まさしく有史以来の大戦争が終結したことは、必然的に記憶に残るようになるのでしょうが、他方で、こうした記憶はそれに関与した当事者の方々が存命であるうちは社会全体にて割合「生きた記憶」として保持されるのでしょうが、それら世代の方々が徐々に減ってきますと「生きた記憶」とは離れ、何と云いますか様式化・形式化していく傾向があると云えます・・。

こうした生きた記憶としての歴史像の様式化・形式化は、異言しますと「文字面による理解」であり、その底に息づいている情念や意味の捨象ということになります。あるいは、こうした行為は、実験などを要する自然科学系の学問であれば、有効な操作であるのかもしれませんが、人文社会科学系においては、事物の本質的な理解は、こうした情念や意味を血肉化・インカーネーションした上での理解ということになり、無論、それは同時代のものではないことから厳密な意味でのそれは不可能と云えますが、それでも、同時代のさまざまな状況の(精確な)認識により、それに迫ることは出来ると云えます。そして、この「(当時の歴史像に)迫ることは出来る」と考え、そこに価値を見出すことこそが、どの時代であっても歴史の意味であり、そしてまた楽しさであるとも思うのですが、多分、この部分が我が国の場合、どうも此岸的というか「今此処」に重点を置き過ぎてしまう傾向があるのではないかと思われるのです・・(過日引用のクローチェ的視点の行き過ぎとも云え、またそれは同、過日引用の「ラッセル教育論」での指摘に通じる)そうしますと、さきの「同時代のさまざまな状況の(精確な)認識」にはあまり力点を置かなくなり、そして、さまざまな借景的とも云える「歴史ドラマ」「マンガ」などの舞台背景の「設定」ということになります・・。

とはいえ、こうしたことは「今此処」で述べたところで、変りようがないとも思いますので、とりあえず指摘するだけ指摘しておこうと思いました。また、自身に関しては、内面の活力や気力が、こうした指摘に関連があるのではないかと不図、ここまで書いて思いました・・(苦笑)。

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