つい先日、総投稿記事数が750に到達したばかりの感がありますが、そこから現在まで既に10記事程度の投稿を行ってきたようです・・。
おそらくこの調子にて記事を作成し続けることが出来るならば、来月11月の半ば頃に目標とする800記事まで到達することも出来るかもしれません・・。
もとより、今後も出来るだけ毎日記事を作成・投稿するつもりですので、これまで読んでくださっている皆様、今後ともどうぞよろしくお願いします。
さて、どうしたわけか、昨日投稿した記事は投稿翌日にしてはかなり多くの方々(69)に読んで頂けました。
投稿翌日にて、直近に投稿した記事がこれほど多くの方々に読んで頂けることは、これまでに(おそらく)ありませんでしたので、これについては現在においても『さて、一体何がどうしたのだろうか・・?』と多少狐につままれた状態であるといえます・・(笑)。
あるいは、ここで扱った主題とは思いのほかに興味をひくものがあるのでしょうか・・?
はたまた、ここ最近に幾つか主題として書いてきた(我が国の)文系学問に関してのこととも関連させ考えてみますと、多少は深みがあったのかもしれません・・。
昨今の更なるAIの進化発展により、この先の未来において存在するであろう職種は大きく変化するのではないかと考えられておりますが、おそらく医療介護分野の人材に関しては、今後少なくとも数十年程度は、その実質的な担い手は人間であり続ける分野ではないかと思われます。
また、現今我が国社会において、あまり大きな価値を見出されることがない(実務系ではない)文系学問分野に関しては、それは決して文系学問に価値がないということではなく、どちらかというと我々学ぶ側の責任であったのでしょうが、何れにしましても、現在のそうした文系学問を取り巻く状況こそが、戦後から現在まで行ってきた我が国文系学問高等教育の総括ということであると思われます。
あるいはもう少し文系学問の種子が我が国の文化的土壌に根を張り、生育するのに適した環境であれば良かったのかもしれませんが、大変残念ながら、我が国とは、そうした学問に対しては、古来より本質的に不向きな、根強い何かがあるのではないかと思われるのです・・。
それ故、以上の状況に対する改良・代替案として、これまで文系学問に割いてきた学部・学科人員・施設のうちのいくらか(これが重要)を既存・新設の医療介護系の学部・学科に振り分け、また文系教員の方々は、これまで通りの文系学部・学科に加え、さきの医療介護学部・学科での教養科目あるいは御自身の研究と合致する専門科目があれば、その研究指導を行うようにすれば良いと思われるのですが如何でしょうか・・?
また、この改良・代替案には長期にわたる展望が乏しいと考えられるかもしれません。しかし、医療もしくは人体に関しての知識とは、世界各国おそらく大体は普遍的であり、それを通じて実地にて物事(言語をも)を学び、そしてそれが何らかの職務において役に立つ可能性があるならば、将来、医療介護専門職に就くことがなくとも、少なからず有益であり、さらには文系学問分野における知識・知見よりも社会において有益・役に立つ蓋然性が高くなるのではないかと思われるのです・・・(あるいはまた新たな文理融合の学問としても・・)
このことは自分なりに苦労して学んだことであると認識しており、それ故、このことは現在文系学問分野の研究者となっている方々からはあまり良くは思われないであろうことは重々承知していますが、それと同時に少なくともある程度は事実であるものと考えます。
ともあれ、今回もまたここまで読んで頂きまして、どうもありがとうございます。
昨年より現在までに列島各地にて生じた一連の地震・大雨・水害等などの大規模自然災害により被災された地域での諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。
2017年10月1日日曜日
2017年9月30日土曜日
20170930 医療と介護が近接化し、多職種の緊密な連携が必要になると・・
先日投稿のブログ記事にて少し触れたことであり、また、その後知人等に尋ねてみたところ、現在、我が国における福祉系の学部・学科等とは、どちらかというと文系に分類されるということでした・・。
たしかに介護を必要とする方々に対し、その生活の支援、また行政・各医療介護施設等との連絡、調整を職務として考えますと、文系に分類されるのかもしれませんが、現今なお進行中の医療技術の高度専門化にくわえ、実際に介護を必要とする方々と接する現場における専門職とは、その職務を行うに際し、少なからぬ、ある程度広汎な医学的知識を要するのではないかと思われるのです・・。
また、このことは、今後、我が国社会全般において高齢化の度合いがさらに進行することに伴い、介護を必要とする方々もまた増加することにより一層重要視されるものになると考えます。
以上のことを約言しますと、特にこの先において、介護分野での専門職に就く方々とは、より一層、広汎な医学全般の知識が必要とされるのではないかということです。
たとえば、介護を要する方々の具体的な介護を設計管理し、各種介護・医療事業者および行政関連との連絡、調整等を行う介護支援専門員(ケア・マネージャー)とは、現今においても主に医療介護関連有資格者の方々が就いているとのことですが、これを在宅医療分野において、ある程度の臨床・学識経験を有する医師が、認定医・専門医を取得するようなカタチにて介護支援専門員と同様の職務にあたることは、決して悪いことではなく、さらに、さきに述べたことを伏線(介護分野での専門職とは、今後おそらく、より高度、広汎な医療知識を要求される)として考えますと、少なくとも、そうした方向性もまた、今後の有効な選択肢の一つとなるのではなかかと思われるのです・・。
あるいはまた、社会福祉を専門とする資格を養成する教育機関での教育において、これまで以上に医療関連科目に重点を置くといったこともまた、一つの採り得る有効な方法ではないかとも思われます・・。
ともあれ、何れにしても重要なことは、今後高齢化が進行することにより、ますます医療と介護が近接、融合してゆくであろう社会において、緊密な連携を期待される医療介護の多職種の方々が、各々専門分野のコトバおよびその背景概念を互いに理解しつつスムーズな意思疎通が出来るという状況の成立であると考えます。
そして、こうした状況から考えてみますと、個々の具体的な介護に対しての概括を描くのは医療分野から介護分野に近接するようになった医師であるのか、あるいは介護分野からの生え抜きの介護専門職の方々であるのかとは、おそらく今後さらに問われることになるのではないかと思われます・・【医療と介護が近接化した状況における主導権?】。
ともあれ、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年から現在に至るまでに列島各地において発生した一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害により被害を被った地域での諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。」
たしかに介護を必要とする方々に対し、その生活の支援、また行政・各医療介護施設等との連絡、調整を職務として考えますと、文系に分類されるのかもしれませんが、現今なお進行中の医療技術の高度専門化にくわえ、実際に介護を必要とする方々と接する現場における専門職とは、その職務を行うに際し、少なからぬ、ある程度広汎な医学的知識を要するのではないかと思われるのです・・。
また、このことは、今後、我が国社会全般において高齢化の度合いがさらに進行することに伴い、介護を必要とする方々もまた増加することにより一層重要視されるものになると考えます。
以上のことを約言しますと、特にこの先において、介護分野での専門職に就く方々とは、より一層、広汎な医学全般の知識が必要とされるのではないかということです。
たとえば、介護を要する方々の具体的な介護を設計管理し、各種介護・医療事業者および行政関連との連絡、調整等を行う介護支援専門員(ケア・マネージャー)とは、現今においても主に医療介護関連有資格者の方々が就いているとのことですが、これを在宅医療分野において、ある程度の臨床・学識経験を有する医師が、認定医・専門医を取得するようなカタチにて介護支援専門員と同様の職務にあたることは、決して悪いことではなく、さらに、さきに述べたことを伏線(介護分野での専門職とは、今後おそらく、より高度、広汎な医療知識を要求される)として考えますと、少なくとも、そうした方向性もまた、今後の有効な選択肢の一つとなるのではなかかと思われるのです・・。
あるいはまた、社会福祉を専門とする資格を養成する教育機関での教育において、これまで以上に医療関連科目に重点を置くといったこともまた、一つの採り得る有効な方法ではないかとも思われます・・。
ともあれ、何れにしても重要なことは、今後高齢化が進行することにより、ますます医療と介護が近接、融合してゆくであろう社会において、緊密な連携を期待される医療介護の多職種の方々が、各々専門分野のコトバおよびその背景概念を互いに理解しつつスムーズな意思疎通が出来るという状況の成立であると考えます。
そして、こうした状況から考えてみますと、個々の具体的な介護に対しての概括を描くのは医療分野から介護分野に近接するようになった医師であるのか、あるいは介護分野からの生え抜きの介護専門職の方々であるのかとは、おそらく今後さらに問われることになるのではないかと思われます・・【医療と介護が近接化した状況における主導権?】。
ともあれ、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年から現在に至るまでに列島各地において発生した一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害により被害を被った地域での諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。」
2017年9月29日金曜日
20170929 本当の文系が少ないと・・自身について思ったことから・・
A「ここ数日に作成したブログ記事により、あるいは私とは文系学問分野が『嫌い』ではないかと思われた方も(少なからず)いたのではないかと思われます・・。
しかし、他者がどのように評価しようとも、やはり私とは文系学問分野への親和性が強い人間であり、それを無理に理系らしく振舞おうとすればするほど、どうもおかしな方向に行ってしまうようなところがあるのではなかかと思うのです・・(苦笑)。
とはいえ、その一方で、徹頭徹尾、文系分野への研究に打ち込んで来られた方々に比べてみますと、おそらく多少は理系的とも評される、さまざまな傾向に対しての理解があるのではないかとも思われます・・。
そしてまた、いくつかの研究分野においては多少は突っ込んだ専門的なハナシも出来るのではないかとも思われます・・。
そのように考えてみますと、そうした対象が文系研究分野となった場合、感覚的ではありますが、より多くの研究領域において、そうしたことが出来るといった認識・自覚がありますので、結果的に自身とは、冒頭に書いたとおり、より文系学問分野への親和性が強い人間ではないかと思うに至るわけです・・。
とはいうものの、ある意味これも相対的(かなり大まかな比率)なものであり、それら総体として考えた場合、自身とは一体如何なる観念的な成分構成比?により成り立っているのかとは、その詳細とは、分からないままであり、おそらく今後もずっと分からないままであるのではないかと思われるのです・・。
また、そうしたことから、自身について他者からの非難などを受けた場合において、それらに対し効果的な反論が出来ないのではとも思われるところです・・(苦笑)。
こうした部分の非難のし合いにおいては、つまるところ言語や理性よりも正否を問わない動物的な勢いといったものが強い方に軍配が上がるようになっているのが我が国社会の普遍的な構造であり、また民度構成の基盤であるのではないかと思われるのです・・(笑)。
そして、このさきの未来もまた、ずっとそのような、ある意味頼もしい盤石とも云える構造を有した社会が継続していくのではないかと思われます・・(笑)。
くわえて、こうした状況においても、先日来の複数ブログ記事において書いた『我が国においては本当の文系は少ない』といったことと浅からぬ関連性があるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?
とはいえ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年から現在に至るまでに列島各地にて生じた一連の地震・大雨・水害等などの大規模自然災害によって被災された地域での諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。」
しかし、他者がどのように評価しようとも、やはり私とは文系学問分野への親和性が強い人間であり、それを無理に理系らしく振舞おうとすればするほど、どうもおかしな方向に行ってしまうようなところがあるのではなかかと思うのです・・(苦笑)。
とはいえ、その一方で、徹頭徹尾、文系分野への研究に打ち込んで来られた方々に比べてみますと、おそらく多少は理系的とも評される、さまざまな傾向に対しての理解があるのではないかとも思われます・・。
そしてまた、いくつかの研究分野においては多少は突っ込んだ専門的なハナシも出来るのではないかとも思われます・・。
そのように考えてみますと、そうした対象が文系研究分野となった場合、感覚的ではありますが、より多くの研究領域において、そうしたことが出来るといった認識・自覚がありますので、結果的に自身とは、冒頭に書いたとおり、より文系学問分野への親和性が強い人間ではないかと思うに至るわけです・・。
とはいうものの、ある意味これも相対的(かなり大まかな比率)なものであり、それら総体として考えた場合、自身とは一体如何なる観念的な成分構成比?により成り立っているのかとは、その詳細とは、分からないままであり、おそらく今後もずっと分からないままであるのではないかと思われるのです・・。
また、そうしたことから、自身について他者からの非難などを受けた場合において、それらに対し効果的な反論が出来ないのではとも思われるところです・・(苦笑)。
こうした部分の非難のし合いにおいては、つまるところ言語や理性よりも正否を問わない動物的な勢いといったものが強い方に軍配が上がるようになっているのが我が国社会の普遍的な構造であり、また民度構成の基盤であるのではないかと思われるのです・・(笑)。
そして、このさきの未来もまた、ずっとそのような、ある意味頼もしい盤石とも云える構造を有した社会が継続していくのではないかと思われます・・(笑)。
くわえて、こうした状況においても、先日来の複数ブログ記事において書いた『我が国においては本当の文系は少ない』といったことと浅からぬ関連性があるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?
とはいえ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年から現在に至るまでに列島各地にて生じた一連の地震・大雨・水害等などの大規模自然災害によって被災された地域での諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。」
20170928 我が国に本当の文系が少ないワケについて・・
A「驚いたことに昨日投稿分の記事はかなり多くの方々に読んで頂けました(53)。
しかし、本日に関しては帰宅が遅くなったことからブログ記事作成は止めておこうと、ついさきほどまでは考えていたのですが『それでも何かしら書いておかないと精神衛生上良くないのでは・・』と考えを改め、現在このように記事作成を行っている次第です・・(苦笑)。
さて、本日の首都圏は夜半過ぎまで雨が降り、またそのためか、夕刻以降の外気温は、この時候にしてはかなり冷涼なものとなったのではないかと思われます・・。
以上のような気温の上下を何度か繰り返し徐々に季節が本格的に秋らしくなっていくのでしょう・・。
こうした季節の過渡期ともいえる期間とは、特に体調を崩し易いと云われておりますが、自身の経験からも、たしかにそれは(ある程度)事実を言い当てているのではないかと考えます。
しかし、この『事実を言い当てる』とは、なかなか難しいものであり、たとえば昨日投稿分の記事にて書いた『我が国には本当の文系とは少ない』という見解は、自身のこれまでの経験に基づいたものではありますが、おそらくそれを認める方々とは、かなり少ないのではないかと思われます・・(苦笑)。
また一方で、前述の見解に対して生じるであろう誤解を出来る限り少なくするためにも、この見解について今しばらく書いてみようと思います。
国際的な見地から、一般に我が国とは哲学・思想の国として認識されるよりも優秀な工業製品・優れた造形芸術・特徴的な絵画・工芸品などによってその名が知られてきました。
そしてまた、我が国において言語の連なり、すなわり何らかの『言説』が積極的に発露される時とは、形而上的・観念的な思想を言明する際であるよりも、何かしら具体的な事物に接した時の反応として生じる感興を説明するためといった傾向が強く、そしてまた、その際の感性とは繊細であるのはないかと思われます・・。
つまり、我が国においてはおそらく『はじめにコトバありき』ではなく、はじめに『外部から何らかの感性・感覚に対する働きかけ』といったものがあり、それに対しての反応として言語・言説が洗練されていったといったような経緯があるのではないかと思われるのです・・。
しかし、そうしますと『そうした事情とは、我が国以外の西欧諸国においても同様ではないのか?』と考えられる方々多々がいらっしゃるかもしれませんが、ここまできますと、明確な返答とは出来ないのですが、それでもやはり我が国の場合、さまざまな局面において『後の先を取りに行く』といった傾向が顕著に強いのではないかと思われるのです・・(こうした問答においては強気の悪者には究極的には勝てない、そしてそれ故に現在の我が国のあまり好ましくないさまざまな事態が招来されているのかもしれません・・(苦笑)。)。
また、それは人文社会科学的には、地政学的に説明出来るのかもしれませんが、何れにせよ、たしかに我が国とは『受動への洗練』に大変優れている一方において、能動的にして形而上的・観念的なコトバ・思考の連なり、つまり哲学・思想といった『本質的に文系学問分野の核とされる要素』の発達が、少なくとも西欧・中東などといった(宗教揺籃の)地域に比べますと、良い悪いを抜きにして、明らかに弱いのではないかと思われるのです・・(こうしたバラつきとは、どの地域間においても存在するのだが・・)。
そして、結局、そのことが我が国において本当の文系が少ないことを示しているのではないかと思われるのです・・。
私見として、我が国は観察そしてそれに基づく行動を基礎とする理系学問への更なる注力を通して文系学問分野の充実をも図る方が、その性分に合っているのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年より現在までに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った地域における諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。」
しかし、本日に関しては帰宅が遅くなったことからブログ記事作成は止めておこうと、ついさきほどまでは考えていたのですが『それでも何かしら書いておかないと精神衛生上良くないのでは・・』と考えを改め、現在このように記事作成を行っている次第です・・(苦笑)。
さて、本日の首都圏は夜半過ぎまで雨が降り、またそのためか、夕刻以降の外気温は、この時候にしてはかなり冷涼なものとなったのではないかと思われます・・。
以上のような気温の上下を何度か繰り返し徐々に季節が本格的に秋らしくなっていくのでしょう・・。
こうした季節の過渡期ともいえる期間とは、特に体調を崩し易いと云われておりますが、自身の経験からも、たしかにそれは(ある程度)事実を言い当てているのではないかと考えます。
しかし、この『事実を言い当てる』とは、なかなか難しいものであり、たとえば昨日投稿分の記事にて書いた『我が国には本当の文系とは少ない』という見解は、自身のこれまでの経験に基づいたものではありますが、おそらくそれを認める方々とは、かなり少ないのではないかと思われます・・(苦笑)。
また一方で、前述の見解に対して生じるであろう誤解を出来る限り少なくするためにも、この見解について今しばらく書いてみようと思います。
国際的な見地から、一般に我が国とは哲学・思想の国として認識されるよりも優秀な工業製品・優れた造形芸術・特徴的な絵画・工芸品などによってその名が知られてきました。
そしてまた、我が国において言語の連なり、すなわり何らかの『言説』が積極的に発露される時とは、形而上的・観念的な思想を言明する際であるよりも、何かしら具体的な事物に接した時の反応として生じる感興を説明するためといった傾向が強く、そしてまた、その際の感性とは繊細であるのはないかと思われます・・。
つまり、我が国においてはおそらく『はじめにコトバありき』ではなく、はじめに『外部から何らかの感性・感覚に対する働きかけ』といったものがあり、それに対しての反応として言語・言説が洗練されていったといったような経緯があるのではないかと思われるのです・・。
しかし、そうしますと『そうした事情とは、我が国以外の西欧諸国においても同様ではないのか?』と考えられる方々多々がいらっしゃるかもしれませんが、ここまできますと、明確な返答とは出来ないのですが、それでもやはり我が国の場合、さまざまな局面において『後の先を取りに行く』といった傾向が顕著に強いのではないかと思われるのです・・(こうした問答においては強気の悪者には究極的には勝てない、そしてそれ故に現在の我が国のあまり好ましくないさまざまな事態が招来されているのかもしれません・・(苦笑)。)。
また、それは人文社会科学的には、地政学的に説明出来るのかもしれませんが、何れにせよ、たしかに我が国とは『受動への洗練』に大変優れている一方において、能動的にして形而上的・観念的なコトバ・思考の連なり、つまり哲学・思想といった『本質的に文系学問分野の核とされる要素』の発達が、少なくとも西欧・中東などといった(宗教揺籃の)地域に比べますと、良い悪いを抜きにして、明らかに弱いのではないかと思われるのです・・(こうしたバラつきとは、どの地域間においても存在するのだが・・)。
そして、結局、そのことが我が国において本当の文系が少ないことを示しているのではないかと思われるのです・・。
私見として、我が国は観察そしてそれに基づく行動を基礎とする理系学問への更なる注力を通して文系学問分野の充実をも図る方が、その性分に合っているのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年より現在までに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った地域における諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。」
2017年9月27日水曜日
20170927 総閲覧者数25万人到達 輪読会から思ったこと・・やはり本当の文系は少ないのでは?★★★
本日ついさきほど、記事の閲覧状況を確認してみますと、これまでの閲覧者総数が25万人に到達していました。
おそらく明日あたりになるのではないかと考えていたのですが、意外にも早い25万人への到達に少し驚いています(笑)。
ともあれ、これまで読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
そして今後とも、どうぞよろしくお願いします。
さて、別件ではありますが、先日より読み進めている著作(下巻)は本日帰宅時の電車内での読書にて読了に至りました。乗車後間もなく浜松町あたりから読み始め、丁度神田駅を出発するあたりで読み終えましたが、電車内といった状況でもあることからか、あまり感慨など湧かず、そのまま秋葉原にて乗り換え、あとがき、訳者あとがきまで読み進めました・・。
それはともかく、この著作が大変面白く思われたことから、さらに原著にて読んでみたいという興味が生じ、ついさきほどアマゾンにて調べてみたところペーパーバックの古本でしたら、そこまで高価ではないことから購入することにしました・・。
最近は、こうした洋書を読むといった鍛錬もしくは趣味を自身に課していないことから、おそらく相当苦労するであろうと思われますが、とりあえずは読んでみようと思います・・(苦笑)。
そのことから、ある程度強制力のある英論文輪読会のようなものもまた、他律的ではあれ、それなりに大きな意味・価値があったのではないかとも思われます・・(学生時代の部活動のように・・)。
またさらに、そのように考えてみますと、私は文系・理系(歯系)双方を経験させて頂きましたが、その何れにおいても、輪読会が為されていたことが思い起こされます。
そうしますと、この輪読会という形式とは、学科による分離以前の思いのほかに古くから続いている伝統であるのか、はたまた、ただ単に自然発生的にて最も適切な複数による勉強・知識伝授の手法であったのかもしれません・・(多分両方であると思われるのだが・・。)。
そして、そこからの個人的見解ですが、文系・歯系での輪読会は、現在の自身に対し、少なからぬ影響を与えているのではないかと思われるのです・・。
おそらく、そのような生きた学問の場にて得た知恵・知識とは、なかなか忘れることがないものと思われます。
(一種のOJTに近いのでは?)
その意味においても、昨日のブログ記事にて述べた『我が国には本当の文系は少なく、そうであるならば、文系分野に仕方なく進んでしまったという学生を減少させ、他方で各大学の医療・介護学分野を拡充するのが適切ではなかかと考えるのです・・(それぞれの学ぶ環境の時代に合わせた整備調整と考えれば良いと考えます。)。』
特に強い興味・関心に導かれることなく純粋な文系分野に進むよりも医療・介護分野にて一生ものとなる普遍的な人体に関する知識を、職務にて必要なものとして学ぶことの方が男女共、社会にとっても意義深いのではないかと思われるのです・・。
とはいえ、もちろん最終的には個人の意志に拠るのですが・・。
あるいは、本当に好きであり続けるのであれば、純粋な文系分野の知識とは、多少年齢を重ねても挽回出来るといった性質があるのではないかと思われます・・。
また、ここからはいくらか偏見的な色彩が強くなりますが、今後、我が国のある程度伝統のある大・中規模大学は、近隣の小規模医療・介護系専門学校を吸収し、さらに近隣、もしくは同学内の医学部・医科大学、歯学部・歯科大学および、それらの併設・附属病院等の医療機関との連携関係を強化する方向に進むのが良いと考えますが、如何でしょうか?
もちろんそれは文系を軽視するからではなく、現在の文系・理系(医療・介護含む)の学生数比率とは戦後の団塊の世代の学部学生数によって錯覚させられていますが、実際のところの文系は、そこまで多くないのではと思われますのです・・(しかし、そういえば介護分野は厳密には理系に含まれるのであろうか・・?あるいは、そういった分類自体あまり意味はないのかもしれません。それでも、やはり文系らしさ、理系らしさといったものは厳然と存在するとも思えますが・・)。
ともあれ、この政策により、現在大学での文系分野にて教職に就かれている方々には特に有意且つ不利益な変化はなく、むしろ、学生数の(政策による)減少に伴う相対的な職務の軽減により、より多くの著述・研究活動等に注力することが可能になるのではないかと思われるのですが、こちらも如何でしょうか?
今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年より現在までに列島各地にて生じた一連の地震・大雨・水害等など大規模自然災害により被災された地域での諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。」
おそらく明日あたりになるのではないかと考えていたのですが、意外にも早い25万人への到達に少し驚いています(笑)。
ともあれ、これまで読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
そして今後とも、どうぞよろしくお願いします。
さて、別件ではありますが、先日より読み進めている著作(下巻)は本日帰宅時の電車内での読書にて読了に至りました。乗車後間もなく浜松町あたりから読み始め、丁度神田駅を出発するあたりで読み終えましたが、電車内といった状況でもあることからか、あまり感慨など湧かず、そのまま秋葉原にて乗り換え、あとがき、訳者あとがきまで読み進めました・・。
それはともかく、この著作が大変面白く思われたことから、さらに原著にて読んでみたいという興味が生じ、ついさきほどアマゾンにて調べてみたところペーパーバックの古本でしたら、そこまで高価ではないことから購入することにしました・・。
最近は、こうした洋書を読むといった鍛錬もしくは趣味を自身に課していないことから、おそらく相当苦労するであろうと思われますが、とりあえずは読んでみようと思います・・(苦笑)。
そのことから、ある程度強制力のある英論文輪読会のようなものもまた、他律的ではあれ、それなりに大きな意味・価値があったのではないかとも思われます・・(学生時代の部活動のように・・)。
またさらに、そのように考えてみますと、私は文系・理系(歯系)双方を経験させて頂きましたが、その何れにおいても、輪読会が為されていたことが思い起こされます。
そうしますと、この輪読会という形式とは、学科による分離以前の思いのほかに古くから続いている伝統であるのか、はたまた、ただ単に自然発生的にて最も適切な複数による勉強・知識伝授の手法であったのかもしれません・・(多分両方であると思われるのだが・・。)。
そして、そこからの個人的見解ですが、文系・歯系での輪読会は、現在の自身に対し、少なからぬ影響を与えているのではないかと思われるのです・・。
おそらく、そのような生きた学問の場にて得た知恵・知識とは、なかなか忘れることがないものと思われます。
(一種のOJTに近いのでは?)
その意味においても、昨日のブログ記事にて述べた『我が国には本当の文系は少なく、そうであるならば、文系分野に仕方なく進んでしまったという学生を減少させ、他方で各大学の医療・介護学分野を拡充するのが適切ではなかかと考えるのです・・(それぞれの学ぶ環境の時代に合わせた整備調整と考えれば良いと考えます。)。』
特に強い興味・関心に導かれることなく純粋な文系分野に進むよりも医療・介護分野にて一生ものとなる普遍的な人体に関する知識を、職務にて必要なものとして学ぶことの方が男女共、社会にとっても意義深いのではないかと思われるのです・・。
とはいえ、もちろん最終的には個人の意志に拠るのですが・・。
あるいは、本当に好きであり続けるのであれば、純粋な文系分野の知識とは、多少年齢を重ねても挽回出来るといった性質があるのではないかと思われます・・。
また、ここからはいくらか偏見的な色彩が強くなりますが、今後、我が国のある程度伝統のある大・中規模大学は、近隣の小規模医療・介護系専門学校を吸収し、さらに近隣、もしくは同学内の医学部・医科大学、歯学部・歯科大学および、それらの併設・附属病院等の医療機関との連携関係を強化する方向に進むのが良いと考えますが、如何でしょうか?
もちろんそれは文系を軽視するからではなく、現在の文系・理系(医療・介護含む)の学生数比率とは戦後の団塊の世代の学部学生数によって錯覚させられていますが、実際のところの文系は、そこまで多くないのではと思われますのです・・(しかし、そういえば介護分野は厳密には理系に含まれるのであろうか・・?あるいは、そういった分類自体あまり意味はないのかもしれません。それでも、やはり文系らしさ、理系らしさといったものは厳然と存在するとも思えますが・・)。
ともあれ、この政策により、現在大学での文系分野にて教職に就かれている方々には特に有意且つ不利益な変化はなく、むしろ、学生数の(政策による)減少に伴う相対的な職務の軽減により、より多くの著述・研究活動等に注力することが可能になるのではないかと思われるのですが、こちらも如何でしょうか?
今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年より現在までに列島各地にて生じた一連の地震・大雨・水害等など大規模自然災害により被災された地域での諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。」
2017年9月26日火曜日
20170926 やはり多少おかしい方が文章を書くには良いのかもしれません・・?
現在読んでいる著作も余すところ50頁を切りました。
おそらく今日、明日中に読了に至るのではないかと思われます。
そして、この著作を読み終えることにより、通史的な著作をほぼ、たて続けにて読んだことになりますが、こうした著作とは分類としては一体どのようになるのでしょうか?
それぞれ巻末に参考・引用文献が載せられておりますので単に物語・小説といった分類でもないのでしょうが、その一方で、我が国の一般的な学術論文(文系・理系を問わず)などともまた、かなり異なっていると思われますので、こうした著作の明確な分類とは、未だよく分からず読んでいるといったところです(脱線し、さらに誤解を招くかもしれませんが、おそらく我が国においては本当の文系とは、かなりの少数派ではないかと考えます。それは法律・会計といった実学系とされる文系ともまた本質的に異なるのではないかと思われます。もとい、それ故、私見としては(特に今後)我が国の文系の多くを医療・介護といった実学系の学問と混淆あるいは振り替えてみても、大きな問題は生じないのではと考えます。むしろ人体に関する普遍的知識をより多くの学生(国民)が得ることは民度、文化水準の向上に寄与するものと考えます。)。
とはいえ、こうした著作とは物語・小説に比べ、明らかに読み進めるのに時間を要し、時にはネットを用い、分からないコトバの意味を調べつつ読むといったことも度々ありますので、たとえますと、船によって通常の海原を航海するのと、氷の張った海を砕氷船にて進むのと似通った相違があるとも云えるのです・・。
また、そのように、ある程度苦労して読了した著作であれば、その達成感もなかなかのものであり、さらには、読む際に調べたコトバの意味も多少は増え、少しは賢くなったような錯覚をもおぼえるに至るのです・・(笑)。
とはいえ、この『コトバの意味も多少は増え』に関して、より詳細に考えてみますと、それは一回の読書にて調べて『知った』コトバとは、本当の意味で『知った』という意味ではなく、未だそれは消極的なものであり、実際に自身が何かを能動的に書く段において、そのコトバはまだ運用し得る段階にまでは達していなかこつが殆どです・・。
その後、類似した内容の他著作を読み続けていく間に、そのコトバの意味が自身のなかで重層的、立体的なものとして理解され、そうしてはじめて自身の書く文章において、そのコトバを運用し得るまでになるのです・・。
おそらく自身とは、なかなか簡単には自信を持つことが出来ない性分であるのでしょうが、その性分とは、この読書においてもまた影響しているのかもしれません・・(苦笑)。
またそれは、実験に用いる試料の数においても、一連のブログ記事の数においても、何かしら似通った、通底するものがあるのではないかとも思われるのです・・(笑)。
また、それはコトバを変えれば『執拗』といったことにもなるのでしょうが、自身の性分におけるそうしたいわゆる『暗部』に関してもまた、未だよく分からず書き続けている次第ではありますが、自身は何かしら(強い)思い込みを抱えているのでしょうか、あるいはまた、何かしら強い不安を抱えているのでしょうか・・(苦笑)?
しかしながら、そうした自身の持つどこかしら(多分)おかしい部分(こそ)が、これまで自身が行い、そしてどうにか出来た(あまり普通とは云えない)ことがらの主たる駆動源であるとするならば(おそらくそうであろう)それはそのまま放置しておいた方が面白いのではないかとも思われます・・(笑)。
とはいえ、この一連のブログ記事における750記事程度とは、未だ到底『普通』の域を出ていないのですが・・(笑)。
何れにしましても、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年より現在までに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った地域における諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。
おそらく今日、明日中に読了に至るのではないかと思われます。
そして、この著作を読み終えることにより、通史的な著作をほぼ、たて続けにて読んだことになりますが、こうした著作とは分類としては一体どのようになるのでしょうか?
それぞれ巻末に参考・引用文献が載せられておりますので単に物語・小説といった分類でもないのでしょうが、その一方で、我が国の一般的な学術論文(文系・理系を問わず)などともまた、かなり異なっていると思われますので、こうした著作の明確な分類とは、未だよく分からず読んでいるといったところです(脱線し、さらに誤解を招くかもしれませんが、おそらく我が国においては本当の文系とは、かなりの少数派ではないかと考えます。それは法律・会計といった実学系とされる文系ともまた本質的に異なるのではないかと思われます。もとい、それ故、私見としては(特に今後)我が国の文系の多くを医療・介護といった実学系の学問と混淆あるいは振り替えてみても、大きな問題は生じないのではと考えます。むしろ人体に関する普遍的知識をより多くの学生(国民)が得ることは民度、文化水準の向上に寄与するものと考えます。)。
とはいえ、こうした著作とは物語・小説に比べ、明らかに読み進めるのに時間を要し、時にはネットを用い、分からないコトバの意味を調べつつ読むといったことも度々ありますので、たとえますと、船によって通常の海原を航海するのと、氷の張った海を砕氷船にて進むのと似通った相違があるとも云えるのです・・。
また、そのように、ある程度苦労して読了した著作であれば、その達成感もなかなかのものであり、さらには、読む際に調べたコトバの意味も多少は増え、少しは賢くなったような錯覚をもおぼえるに至るのです・・(笑)。
とはいえ、この『コトバの意味も多少は増え』に関して、より詳細に考えてみますと、それは一回の読書にて調べて『知った』コトバとは、本当の意味で『知った』という意味ではなく、未だそれは消極的なものであり、実際に自身が何かを能動的に書く段において、そのコトバはまだ運用し得る段階にまでは達していなかこつが殆どです・・。
その後、類似した内容の他著作を読み続けていく間に、そのコトバの意味が自身のなかで重層的、立体的なものとして理解され、そうしてはじめて自身の書く文章において、そのコトバを運用し得るまでになるのです・・。
おそらく自身とは、なかなか簡単には自信を持つことが出来ない性分であるのでしょうが、その性分とは、この読書においてもまた影響しているのかもしれません・・(苦笑)。
またそれは、実験に用いる試料の数においても、一連のブログ記事の数においても、何かしら似通った、通底するものがあるのではないかとも思われるのです・・(笑)。
また、それはコトバを変えれば『執拗』といったことにもなるのでしょうが、自身の性分におけるそうしたいわゆる『暗部』に関してもまた、未だよく分からず書き続けている次第ではありますが、自身は何かしら(強い)思い込みを抱えているのでしょうか、あるいはまた、何かしら強い不安を抱えているのでしょうか・・(苦笑)?
しかしながら、そうした自身の持つどこかしら(多分)おかしい部分(こそ)が、これまで自身が行い、そしてどうにか出来た(あまり普通とは云えない)ことがらの主たる駆動源であるとするならば(おそらくそうであろう)それはそのまま放置しておいた方が面白いのではないかとも思われます・・(笑)。
とはいえ、この一連のブログ記事における750記事程度とは、未だ到底『普通』の域を出ていないのですが・・(笑)。
何れにしましても、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年より現在までに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った地域における諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。
2017年9月25日月曜日
20170925 『事実を言語を以って精確に表現することが第一義』ではあるのですが・・
本日の首都圏は日中、割合と気温が上昇し、若干汗ばむような陽気でした。
とはいえ、ついさきほどまで、特に大きな音は聞こえないものの、北の方の空では稲光の明滅らしきものが見える状態が続いていました。
さて、昨日は休日ということもあってか、当日投稿分記事の閲覧者数は意外と伸び、投稿翌日の現在において50となっていました。
読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます!
しかしながら、以前より時折書いていることではありますが、ここに至ってもなお、よく分からないことは、これまでのブログ記事が一体どういった方々に読まれているかということです・・。
これを多少なりとも理解出来るならば、もう少し(自分なりに)サービス精神を発揮し、それに合わせた文章を書くことを試みてみようかとも考えてみることが度々あるのですが・・(笑)。
しかし、そうしたことは、あとでよくよく考えてみますと、作成者が能動的にブログ記事作成に臨んできた場合においては、とりわけ、そうした迎合とも認識され得る態度は避けた方が良いのではないかとも思われるのです・・。
それは、自身のブログ記事作成の持続可能性の保持のために。
このことは、特に自身においては、少なからず痛い目にあって理解出来たのではないかと考えています・・(苦笑)。
また、そのように考えてみますと、これまで作成してきた記事を読んでくださっている方々とは、そうした自身の危なっかしい性質をご理解されているのではないかと思われることもあるのです・・(苦笑)。
おそらく、これも一種の自意識過剰でしょうが、しかし、ここで多少開き直り気味のことを述べさせて頂きますと、多少なりとも自意識過剰気味にでもなっていないと、こうした一種の精神的露出狂とも評し得る、公開を前提としたブログ記事作成(の継続)などは出来ないのではないかと思われるのです・・(苦笑)。
つまり、少なくとも、こうしてブログ記事を書いていて、さらにそれが興に乗っている時とは、ある意味、自身は『世間体』といったものから(完全にではないにしても)解放されているのではなかかということになります・・(笑)。
しかしながら、それと同時に、ここで極めて重要であると思われることは、そうした『世間体』から解放されている状態でありながらも、心のどこかで『世間体・常識・礼儀・良心』といった、自身の放埓な思考の奔流を制御するものが作用しているということ(無意識の意識・自身への信頼?)なのです・・。
私見とはなりますが、案外とこれが難しいのではないかと思われます・・。
特に、周囲のある事物に対し、何らかの評価を含む言説を述べる際において・・(それは一般的な意味での『自制』ともまた多少異なると思われます)。
その点について、特に現代の理系学問分野においては、事実を言語を以って精確に表現することが第一義とされますので、さきに述べたような種類の文章作成の際の困難さが少ないのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
それでも、ここで強く思うことは、この『事実を言語を以って精確に表現することが第一義』とは、実は理系のみならず、どの学問分野においてもそれが(探求に基づく)学問であるならば、大事にされることであるように思われるのですが・・。
そして、これに対しての価値の払い方、対応とは、我々人間生来の(知的)好奇心・探求心に対し、少なからぬ影響をもたらすのではなかかとも思われるのです(我々日本人とは、まさしくこのことに対して関心が薄い、あるいは何か他の感覚の洗練に、より重きを置いているのではないかとも思われることが度々あります・・。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年から現在までに生じた一連の地震・大雨・水害等などの大規模自然災害によって被災された地域での諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。
とはいえ、ついさきほどまで、特に大きな音は聞こえないものの、北の方の空では稲光の明滅らしきものが見える状態が続いていました。
さて、昨日は休日ということもあってか、当日投稿分記事の閲覧者数は意外と伸び、投稿翌日の現在において50となっていました。
読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます!
しかしながら、以前より時折書いていることではありますが、ここに至ってもなお、よく分からないことは、これまでのブログ記事が一体どういった方々に読まれているかということです・・。
これを多少なりとも理解出来るならば、もう少し(自分なりに)サービス精神を発揮し、それに合わせた文章を書くことを試みてみようかとも考えてみることが度々あるのですが・・(笑)。
しかし、そうしたことは、あとでよくよく考えてみますと、作成者が能動的にブログ記事作成に臨んできた場合においては、とりわけ、そうした迎合とも認識され得る態度は避けた方が良いのではないかとも思われるのです・・。
それは、自身のブログ記事作成の持続可能性の保持のために。
このことは、特に自身においては、少なからず痛い目にあって理解出来たのではないかと考えています・・(苦笑)。
また、そのように考えてみますと、これまで作成してきた記事を読んでくださっている方々とは、そうした自身の危なっかしい性質をご理解されているのではないかと思われることもあるのです・・(苦笑)。
おそらく、これも一種の自意識過剰でしょうが、しかし、ここで多少開き直り気味のことを述べさせて頂きますと、多少なりとも自意識過剰気味にでもなっていないと、こうした一種の精神的露出狂とも評し得る、公開を前提としたブログ記事作成(の継続)などは出来ないのではないかと思われるのです・・(苦笑)。
つまり、少なくとも、こうしてブログ記事を書いていて、さらにそれが興に乗っている時とは、ある意味、自身は『世間体』といったものから(完全にではないにしても)解放されているのではなかかということになります・・(笑)。
しかしながら、それと同時に、ここで極めて重要であると思われることは、そうした『世間体』から解放されている状態でありながらも、心のどこかで『世間体・常識・礼儀・良心』といった、自身の放埓な思考の奔流を制御するものが作用しているということ(無意識の意識・自身への信頼?)なのです・・。
私見とはなりますが、案外とこれが難しいのではないかと思われます・・。
特に、周囲のある事物に対し、何らかの評価を含む言説を述べる際において・・(それは一般的な意味での『自制』ともまた多少異なると思われます)。
その点について、特に現代の理系学問分野においては、事実を言語を以って精確に表現することが第一義とされますので、さきに述べたような種類の文章作成の際の困難さが少ないのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
それでも、ここで強く思うことは、この『事実を言語を以って精確に表現することが第一義』とは、実は理系のみならず、どの学問分野においてもそれが(探求に基づく)学問であるならば、大事にされることであるように思われるのですが・・。
そして、これに対しての価値の払い方、対応とは、我々人間生来の(知的)好奇心・探求心に対し、少なからぬ影響をもたらすのではなかかとも思われるのです(我々日本人とは、まさしくこのことに対して関心が薄い、あるいは何か他の感覚の洗練に、より重きを置いているのではないかとも思われることが度々あります・・。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年から現在までに生じた一連の地震・大雨・水害等などの大規模自然災害によって被災された地域での諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。
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