A「本日はつい先ほど帰宅しました。
この比較的遅い帰宅により、本日のブログ記事作成は割合本気で止めておこうと考えつつ、ブログの頁を閲覧してみますと、これまでになく多くの閲覧者数を示しておりました・・。
そのため、多少作成される文章は粗く、短くなろうとも、とりあえず何かしら書き、更新する方向に考えを変えた次第です・・(苦笑)。
さて、その閲覧されていた記事は多岐にわたるものの、最も多い閲覧者数を示していたのが、直近に作成、投稿した記事でした・・。
また、それに関連するのでしょうか、昨晩いや、正確には本日の明け方ではないかと思われますが、かなり久しぶりに記憶に残る程に鮮烈な夢をみました。
その夢の内容とは、自身がどこか山荘のようなところに入り、その部屋を見分し、奥にある部屋に入ってみますと、部屋左手の暗がりの方から比較的大きな西洋人をモデルとする古めかしく着飾った人形(フランス人形?)が歩いてくるという夢です・・。
もちろん夢の中の自身はそれを怖がり、ドアを閉じて、逃げるのですが、しばらく時間をおき、再度その部屋のドアを開けてみますと、また同じようにその人形が左手暗がりから現れるのです・・。
この夢の印象とは最近では珍しい程に鮮烈であり、起床後すぐに、寒さとは別に少し震えていることに気が付いたほどです・・。
そうしたことから、後になりインターネットにてその夢の意味を調べてみますと、さまざまな解釈があり一概には云えないようですが、どうやら、そこまで悪い意味ではないようでした・・。
また、その日の夜半には、かなり久しぶりに師匠にお目に掛かり、しばらくハナシをしましたが、この時の会話により、さきの夢の印象とは大分ボヤけたようにも思われます・・。
久しぶりにこの師匠と会話をしますと、自身でも驚くことに、アタマの中のどこにしまってあったのか不思議に思うほど、さまざまなかつて知った知識、記憶が甦り、そして展開するのです・・。
これらのことから人間の記憶とは、さきの夢について述べたように後の経験、記憶によってボンヤリとすることもある一方、久しぶりに会った師匠との会話にて、何時知ったのかも忘れてしまっていることまで甦り、展開することもあるという随分不思議なものであるようです・・(笑)。
加えて、そこでの会話においても、先日のブログ記事に書いた大学への求職活動を再開する旨を師匠にお伝えすると、特に『良い』とも『悪い』とも評することはありませんでした・・。
また、それとは別件ではありますが、本日伺った歯科医院院長のお母様へ、以前の会話にて関連があるのではないかと思い、後日お持ちした書籍を『大変面白く読ませて頂きました。』との感想を聞くことができました。
こうした世代の異なる、しかもどちらかというと感情を率直にあらわす傾向のご婦人から、自身の選んだ書籍を喜んで頂けたことは、あまり経験がないことからか、なかなか嬉しく感じられた次第です・・(笑)。
また、書くまでもないことであるかもしれませんが、このご婦人がその書籍を楽しく読んで頂けたことは、その細やかな女性らしい感性による興味を持たれた記述内容に対する説明からも理解することが出来ました・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」
2017年3月30日木曜日
2017年3月28日火曜日
20170328 スーパーで並んでいて不図思ったことから・・
昨日投稿した記事は思いのほか多くの方々に閲覧して頂けました。また、それに対しての大変興味深い反応も見られました。どなたであるか分かりませんが、大変興味深いご指摘どうもありがとうございます。
くわえて、そこからも自身の考えが大きくはブレていないことを理解して頂けたのではないでしょうか・・(笑)?
さて、ハナシはそこから変わり、本日帰宅間際にスーパーのレジにて並んでおりますと、偶然、大変人気のある某海賊マンガに登場する男女キャラクターが描いてあるポスターが目に入りました。
特に意識することなく、そのポスターを漫然と眺めておりますと、不図、このポスターに描かれているキャラクター達が以前に読んだ別の某漫画家の描くそれに似ているのではないかと思われたのです。
おそらく双方漫画家間に実際の接点、面識はないと思われますが、一方、それと同時に面白いと思ったことは、前作者が熊本県熊本市出身であり、後作者が鹿児島県鹿児島市出身であることです。
とりわけ両者の描くキャラクターにて美形・ヒロインとして描かれる女性キャラクターの顔貌の造型が類似しているのではないかと思われました。
また、これは私見ではありますが、その類似性とは、現代のさまざまなアニメヒロイン造型間において指摘される類似性とは、その根本が異なるものであると考えます。
さて、そこから自身の在鹿、福岡時代を想起してみますと、たしかに、さきに述べた双方キャラクターに共通するモデル、あるいは最大公約数的ともいうべき実在の女性はいたように思われます。
しかし面白いことに、こうした女性とは、あまり関東、首都圏といったさまざなな地域の出身者が混淆し居住している地域では見受けることがないことから、おそらく、こういったタイプの女性は、在地社会に根付いていく傾向が強いのではないかと思われます・・(とはいえ、先日その著作を読んだ白洲正子が少し似ているのではないかとも思われましたが・・)。
もとより、これも観察のN数が少ないため断定は出来ませんが、それでも現段階においてはそのような仮説が妥当ではあるまいかと考えます・・。
ともあれ、ハナシを元に戻し、以上のことから、さきに述べた両マンガヒロインの造型の類似性と、両作者の出身地が熊本、鹿児島であることには、科学的・数値的には判断できないものの何かしらの関連性があるのではないかと考える次第です・・(笑)。
また、こうしたこと(地域における顔貌などの類似性)を考えはじめた九州在住期後半(2012~)とは、それまでに読んでいた谷川健一、金関丈夫などの著作の影響からか、さきに述べたような土着の女性、また、それに加えて外部から移り住み、さまざまな苦労をしているであろう女性に対しても同様に、あくまでも『自分なりに』ではありますが、しかし内発的に、どちらかというと敬うようになっていきました・・(苦笑)。
そして、そうした変化のことを文系院時代の知人等に話しますと、感心されるよりさきに疑念(割合真剣な)を持たれました・・(笑)。
しかし、そうであっても、これはあくまでも内発的な変化であり、その変化に至るまでのさまざまな心象の蓄積とは、その土地で自身が経験したこと、あるいは傍観者として眺めた光景などによるものであり、それはいわば、そこに住む人々によって形成されている地域性に自身が(経時的に)反応した結果であるともいえるのです。
そして同時に思うことは、まさしくその時期(2012~)とはD2病の全盛期であり、また最も文章を滑らかに書くことが出来ていた時期でもあるのです・・(笑)。
・・いずれがタマゴかニワトリかは今となっては判然としませんが、それでも、いや、それ故にこそ、そうした時期における自身に対する慎重な対応とは極めて重要であるように思われるのです・・(苦笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。
くわえて、そこからも自身の考えが大きくはブレていないことを理解して頂けたのではないでしょうか・・(笑)?
さて、ハナシはそこから変わり、本日帰宅間際にスーパーのレジにて並んでおりますと、偶然、大変人気のある某海賊マンガに登場する男女キャラクターが描いてあるポスターが目に入りました。
特に意識することなく、そのポスターを漫然と眺めておりますと、不図、このポスターに描かれているキャラクター達が以前に読んだ別の某漫画家の描くそれに似ているのではないかと思われたのです。
おそらく双方漫画家間に実際の接点、面識はないと思われますが、一方、それと同時に面白いと思ったことは、前作者が熊本県熊本市出身であり、後作者が鹿児島県鹿児島市出身であることです。
とりわけ両者の描くキャラクターにて美形・ヒロインとして描かれる女性キャラクターの顔貌の造型が類似しているのではないかと思われました。
また、これは私見ではありますが、その類似性とは、現代のさまざまなアニメヒロイン造型間において指摘される類似性とは、その根本が異なるものであると考えます。
さて、そこから自身の在鹿、福岡時代を想起してみますと、たしかに、さきに述べた双方キャラクターに共通するモデル、あるいは最大公約数的ともいうべき実在の女性はいたように思われます。
しかし面白いことに、こうした女性とは、あまり関東、首都圏といったさまざなな地域の出身者が混淆し居住している地域では見受けることがないことから、おそらく、こういったタイプの女性は、在地社会に根付いていく傾向が強いのではないかと思われます・・(とはいえ、先日その著作を読んだ白洲正子が少し似ているのではないかとも思われましたが・・)。
もとより、これも観察のN数が少ないため断定は出来ませんが、それでも現段階においてはそのような仮説が妥当ではあるまいかと考えます・・。
ともあれ、ハナシを元に戻し、以上のことから、さきに述べた両マンガヒロインの造型の類似性と、両作者の出身地が熊本、鹿児島であることには、科学的・数値的には判断できないものの何かしらの関連性があるのではないかと考える次第です・・(笑)。
また、こうしたこと(地域における顔貌などの類似性)を考えはじめた九州在住期後半(2012~)とは、それまでに読んでいた谷川健一、金関丈夫などの著作の影響からか、さきに述べたような土着の女性、また、それに加えて外部から移り住み、さまざまな苦労をしているであろう女性に対しても同様に、あくまでも『自分なりに』ではありますが、しかし内発的に、どちらかというと敬うようになっていきました・・(苦笑)。
そして、そうした変化のことを文系院時代の知人等に話しますと、感心されるよりさきに疑念(割合真剣な)を持たれました・・(笑)。
しかし、そうであっても、これはあくまでも内発的な変化であり、その変化に至るまでのさまざまな心象の蓄積とは、その土地で自身が経験したこと、あるいは傍観者として眺めた光景などによるものであり、それはいわば、そこに住む人々によって形成されている地域性に自身が(経時的に)反応した結果であるともいえるのです。
そして同時に思うことは、まさしくその時期(2012~)とはD2病の全盛期であり、また最も文章を滑らかに書くことが出来ていた時期でもあるのです・・(笑)。
・・いずれがタマゴかニワトリかは今となっては判然としませんが、それでも、いや、それ故にこそ、そうした時期における自身に対する慎重な対応とは極めて重要であるように思われるのです・・(苦笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。
2017年3月27日月曜日
20170327 消極的な書き出しから希望にて終わる(ブログ記事作成について)
A「本日の首都圏は午前中に雨が降り、また1日を通して気温が上がらず、大変に寒い1日でした。また、自身も少し体調がすぐれない1日でした。
もうじき、この冬めいた気候も終わり、春が訪れるのでしょうが、もうしばらくは防寒衣料が手放せない日々が続きそうです・・(苦笑)。
さて、本日も前述の体調により、ブログ記事作成を断念しようと思いましたが、幾ばくかの閲覧者があったことから、本日、今現在こうして記事作成を開始した次第です・・。
とはいえ、あと残り20数記事の作成によって600記事に到達することから、あまり無理をしてまで記事作成をすることもないのですが、その一方で、どうも何かしら書いておかないと落ち着かない自身がいるようです・・(苦笑)。
さて、昨日作成の記事に書いた通り、今後また求職活動を再開する所存ですが、これまたどうなるものか分かったものではありません・・。
また、特に昨今の大学職種とは、全般的に任期付きが多いことから不安定とも思われるところですが、それでも自身に関しては、これまでの経験から、そうした職種こそが最も全力で取り組むことが出来るのではないかと考えるのです・・。
また、かつて大学職種に就いた時期がありましたが、もしもそのまま大学の職に就いていたならば、おそらく、このようなカタチで、これまでの期間(1年9カ月程度)継続的に文章を書き、そして、その書かれた文章が20万人以上の方々に閲覧されるといった経験は得ることができなかったのではないかと考えます。
それ故、これに関しては特に大きな後悔はしておりません・・。
やはり、自身に関しては、こうしたブログ(文章)作成を継続するという行為においても、ある程度不退転の決意を後押しする『契機』が必要であったのではないかと思われるのです・・。
もっとも、こうしたことは何も自慢出来るようなことではないのですが・・(苦笑)。
それでも、これまで継続的に記事作成を行うことが出来たことは、自身にとって少なからず得るもの、進歩があったと考えます・・。
何故ならば、当記事冒頭の『どうも何かしら書いておかないと~』といった消極的な書き出しから、ここまで、どうにか一気呵成とまでは行きませんが、あまり逡巡することなく書くことが出来ておりますので、それは、おそらくブログ記事の継続的な作成以前の自身では出来ないことであったと認識するからです・・(笑)。
以前、ミクシィに登録していた際には、一週間に一度程度、こうした記事を作成していた記憶がありますが、その内容とは、残念ながら登録情報を全て削除したため、現在となっては見ることが出来ませんが、あるいはその中にも見るべきものがあったのではないかとも思われます・・(苦笑)。
いや、それでも特に無理をして書くわけではありませんが、おそらく作成された記事全体として考えてみますと、現在作成しているブログ記事の方が、多少は面白い、見るべきものが相対的に多いのではないかと思われるのです・・。
そしてまた『今後、如何なるカタチでこれまでの記事作成の経験が生かされるのであろうか?』とは、なかなか自身としては楽しみにしているところでもあるのです・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます!
昨年の熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
もうじき、この冬めいた気候も終わり、春が訪れるのでしょうが、もうしばらくは防寒衣料が手放せない日々が続きそうです・・(苦笑)。
さて、本日も前述の体調により、ブログ記事作成を断念しようと思いましたが、幾ばくかの閲覧者があったことから、本日、今現在こうして記事作成を開始した次第です・・。
とはいえ、あと残り20数記事の作成によって600記事に到達することから、あまり無理をしてまで記事作成をすることもないのですが、その一方で、どうも何かしら書いておかないと落ち着かない自身がいるようです・・(苦笑)。
さて、昨日作成の記事に書いた通り、今後また求職活動を再開する所存ですが、これまたどうなるものか分かったものではありません・・。
また、特に昨今の大学職種とは、全般的に任期付きが多いことから不安定とも思われるところですが、それでも自身に関しては、これまでの経験から、そうした職種こそが最も全力で取り組むことが出来るのではないかと考えるのです・・。
また、かつて大学職種に就いた時期がありましたが、もしもそのまま大学の職に就いていたならば、おそらく、このようなカタチで、これまでの期間(1年9カ月程度)継続的に文章を書き、そして、その書かれた文章が20万人以上の方々に閲覧されるといった経験は得ることができなかったのではないかと考えます。
それ故、これに関しては特に大きな後悔はしておりません・・。
やはり、自身に関しては、こうしたブログ(文章)作成を継続するという行為においても、ある程度不退転の決意を後押しする『契機』が必要であったのではないかと思われるのです・・。
もっとも、こうしたことは何も自慢出来るようなことではないのですが・・(苦笑)。
それでも、これまで継続的に記事作成を行うことが出来たことは、自身にとって少なからず得るもの、進歩があったと考えます・・。
何故ならば、当記事冒頭の『どうも何かしら書いておかないと~』といった消極的な書き出しから、ここまで、どうにか一気呵成とまでは行きませんが、あまり逡巡することなく書くことが出来ておりますので、それは、おそらくブログ記事の継続的な作成以前の自身では出来ないことであったと認識するからです・・(笑)。
以前、ミクシィに登録していた際には、一週間に一度程度、こうした記事を作成していた記憶がありますが、その内容とは、残念ながら登録情報を全て削除したため、現在となっては見ることが出来ませんが、あるいはその中にも見るべきものがあったのではないかとも思われます・・(苦笑)。
いや、それでも特に無理をして書くわけではありませんが、おそらく作成された記事全体として考えてみますと、現在作成しているブログ記事の方が、多少は面白い、見るべきものが相対的に多いのではないかと思われるのです・・。
そしてまた『今後、如何なるカタチでこれまでの記事作成の経験が生かされるのであろうか?』とは、なかなか自身としては楽しみにしているところでもあるのです・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます!
昨年の熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
20170326 経験によって分かること、自身の性質、能力などについて
本日の首都圏は降雨そして真冬並みに気温が低下し、大変寒く感じられる一日でした・・。
一方、昨日書いたブログ記事は投稿翌日の割には多くの閲覧者を得ることが出来ました。
これは記事前半の『シン・ゴジラ』を扱った部分によるものか、あるいは後半部分の対話形式によるものであるか分かりませんが、何れにせよ、読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
また、改めて実感したことですが、対話形式にて文章を作成する場合、その文章、文量とは独白形式のそれに比べ、ある程度容易に書くことができるようです・・。
しかしながら、この対話形式の場合、その多くを実際の記憶に依拠しているため、何といいますか『自身の有している会話の記憶』と『それを文章として書き起こす際の文体』の歯車が上手く噛み合うまで、多少時間がかかってしまうようです・・。
一方、ほぼ創作にて対話形式の文章を作成した場合、どうもウソっぽくなってしまうと考えるため、完全に創作としての対話形式の文章とは未だ書けないでおります・・(苦笑)。
また、今後もそういった文章を書くことは難しいのではないかと思われます・・(苦笑)。
あるいは、こうしたことも自身のこれまでの『文体』によるものであるのかもしれませんが・・。
とはいえ、今現在の段階としては『創作としての対話形式の文体』に対し、あまり大きな魅力を感じることもありません・・。
さて、そこからハナシは変わりますが、今月にて現在勤務している場所に入り丁度一年が経過し、また、この一年間でさまざまな経験をさせて頂きました。
そこから、やはり自身としては大学にて研究支援職、コーディネーターなどに就く方が自身をより生かすことが出来るのではないかと考えるに至りました・・。
もっとも、このことは、以前投稿のブログ記事に書いた通り、かねてより考えてきたことではあるのですが、それでも『現在の職務において何らかの爪痕を残さないことには実に不甲斐ない』と考え、自分なりに慣れないことも含めを懸命に行ってきた次第です・・。
やはり人間とは、ある程度年齢を重ねますと、職務を通じ、自身の得手不得手といった性質、能力がより明瞭に見えてくるようであり、そうしたことを通じて自身の『限界』といったものを感じることは往々にしてありました・・。
しかし、これを別言すれば『自身の得意なことがより明瞭に分かった』ということでもあり、これは今後の求職活動および就いた職種においても生かすことが出来るのではないかと考えます・・。
また、それを具体的に書けば、その職務が『ある程度の時間を費やせば出来るか、そうでないか』が感覚的に理解出来たということではないかと考えます・・。
これは『当たり前のことではないか?』と思われる方も多いのではないかと考えますが、しかし『では、そうしたことを理解された経験とは、どの程度の自身の実体験から得られたのでしょうか?』と今一度考えてみますと、それらの多くは一般的な言説などに依拠している部分が多く、殊自身に関しては不明瞭である部分も多いのではないでしょうか?
そしてまた、こうしたことも帰納法と演繹法による知見とのすり合わせにより、より精確な知見を得ることが大事であるのではないかと思われます・・。
加えて、自身の場合、あまり一般的とは云えない学問分野の変遷を遂げて来たことから、より、そのあたりが不明瞭であることから、自身の活動によって、それを明らかにして行かざるを得ないのではないかと考えます・・(苦笑)。
また、こうした変則的な経路を歩んできた自身に対して接触を保ち続けてくださった方々がいらっしゃることは自身にとって大変な励みとなっており、またそれにより、これまでどうにか自意識に押し潰されることもなく、またブログ記事の作成を継続することが出来ているのではないかと考えます・・。
さらに、どなたであるか分かりませんが、作成したブログ記事に対し、さまざまな興味深い反応を継続的にされる方々がいらっしゃることもまた、同様に大変な励みとなっております。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨2016年に発生した熊本、山陰東部そして福島県周辺での地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。
一方、昨日書いたブログ記事は投稿翌日の割には多くの閲覧者を得ることが出来ました。
これは記事前半の『シン・ゴジラ』を扱った部分によるものか、あるいは後半部分の対話形式によるものであるか分かりませんが、何れにせよ、読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
また、改めて実感したことですが、対話形式にて文章を作成する場合、その文章、文量とは独白形式のそれに比べ、ある程度容易に書くことができるようです・・。
しかしながら、この対話形式の場合、その多くを実際の記憶に依拠しているため、何といいますか『自身の有している会話の記憶』と『それを文章として書き起こす際の文体』の歯車が上手く噛み合うまで、多少時間がかかってしまうようです・・。
一方、ほぼ創作にて対話形式の文章を作成した場合、どうもウソっぽくなってしまうと考えるため、完全に創作としての対話形式の文章とは未だ書けないでおります・・(苦笑)。
また、今後もそういった文章を書くことは難しいのではないかと思われます・・(苦笑)。
あるいは、こうしたことも自身のこれまでの『文体』によるものであるのかもしれませんが・・。
とはいえ、今現在の段階としては『創作としての対話形式の文体』に対し、あまり大きな魅力を感じることもありません・・。
さて、そこからハナシは変わりますが、今月にて現在勤務している場所に入り丁度一年が経過し、また、この一年間でさまざまな経験をさせて頂きました。
そこから、やはり自身としては大学にて研究支援職、コーディネーターなどに就く方が自身をより生かすことが出来るのではないかと考えるに至りました・・。
もっとも、このことは、以前投稿のブログ記事に書いた通り、かねてより考えてきたことではあるのですが、それでも『現在の職務において何らかの爪痕を残さないことには実に不甲斐ない』と考え、自分なりに慣れないことも含めを懸命に行ってきた次第です・・。
やはり人間とは、ある程度年齢を重ねますと、職務を通じ、自身の得手不得手といった性質、能力がより明瞭に見えてくるようであり、そうしたことを通じて自身の『限界』といったものを感じることは往々にしてありました・・。
しかし、これを別言すれば『自身の得意なことがより明瞭に分かった』ということでもあり、これは今後の求職活動および就いた職種においても生かすことが出来るのではないかと考えます・・。
また、それを具体的に書けば、その職務が『ある程度の時間を費やせば出来るか、そうでないか』が感覚的に理解出来たということではないかと考えます・・。
これは『当たり前のことではないか?』と思われる方も多いのではないかと考えますが、しかし『では、そうしたことを理解された経験とは、どの程度の自身の実体験から得られたのでしょうか?』と今一度考えてみますと、それらの多くは一般的な言説などに依拠している部分が多く、殊自身に関しては不明瞭である部分も多いのではないでしょうか?
そしてまた、こうしたことも帰納法と演繹法による知見とのすり合わせにより、より精確な知見を得ることが大事であるのではないかと思われます・・。
加えて、自身の場合、あまり一般的とは云えない学問分野の変遷を遂げて来たことから、より、そのあたりが不明瞭であることから、自身の活動によって、それを明らかにして行かざるを得ないのではないかと考えます・・(苦笑)。
また、こうした変則的な経路を歩んできた自身に対して接触を保ち続けてくださった方々がいらっしゃることは自身にとって大変な励みとなっており、またそれにより、これまでどうにか自意識に押し潰されることもなく、またブログ記事の作成を継続することが出来ているのではないかと考えます・・。
さらに、どなたであるか分かりませんが、作成したブログ記事に対し、さまざまな興味深い反応を継続的にされる方々がいらっしゃることもまた、同様に大変な励みとなっております。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨2016年に発生した熊本、山陰東部そして福島県周辺での地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。
2017年3月26日日曜日
20170325 『シン・ゴジラ』を観て思ったこと、別件からの対話形式
昨日レンタルした『シン・ゴジラ』を視聴しました。
はじめに強く思ったことは「こうした作品とは大画面で見るべきである。」ということです。
また、面白く感じたことは、作品途中にてゴジラが変態することであり、これはオリジナルの第一作にはなかった要素です。
この要素とは「同監督が以前に制作した某アニメ作品からの影響ではないだろうか?」思いましたが詳細については不明です。
さらに作品内の我が国政府の対米姿勢とは自嘲気味に描かれておりましたが、果たしてそれが現実に近いのかどうかは分かりかねるところではありますが、ともあれ、少なくとも現在の我が国の様相から考えてみますと、案外適当なところではあるのかもしれません・・(苦笑)。
さらに、この作品では会議、話し合いの場面が比較的多かったように思われますが、それらの場面で各々俳優によって為される会話が全体的に端的、早口である割には話した内容が一度できちんと相手に伝わっている様子が逆に少し不自然ではあるまいかとも感じられました・・。
それは何といいますか、作品全体に決然たる雰囲気そして、そこから生じる悲壮感らしきものの演出を狙った、いわばゴジラの出現という天変地異が生じた際のリアリティーを追求した結果であるとは思われますが、元来、我々が用いる日本語とは、そのような会話には向いていないのではないかと思われるのです・・(笑)。
また一方、それに対し別の見方をすれば、こうした作品内での会話の傾向(早口、端的)とは、ライン、ツイッターといった比較的短文(端的)でのやり取りに慣れている方々、世代に対しての効果を狙った演出であったのではないかとも思われます・・。
ともあれ、作品全体としては途中退屈することもなく、最後まで楽しく観ることができました。
さて、昨日分の記事を投稿した後、どうしたわけか昨年5月18日作成記事『最近不図思ったこと・・三重県県名の由来など・・』の閲覧者が増加しました・・。
その為、あらためてこの記事を読んでみますと、少しは面白いことが書いてあり、殊に末尾に近いお師匠から伺ったハナシとは我ながら悪くないオチではあるまいか?と思った次第です・・(苦笑)。
そこで以下に、そのハナシを題材にした対話形式の作成を試みます・・。
~2009年の年末が舞台です~
A「おい、コーヒーが入ったから、一旦実験を切り上げてこっちに来い!」
B「あ、はい、分かりました!この最後の試料切片が切れましたら、超音波洗浄にかけて、そちらに行きます!」
(講座休憩室にて)
A「それで、お前の実験、試料作製は上手くいっておるのか?」
B(手拭いで手を拭きながら)「・・ええ、まあ最初の頃よりかは安定した数値が出てるとは思うのですが、それでも先行研究に書かれている値に比べますと、かなり全体的に低いので、基材の薄さや焼成後に得られる基材の表面粗さのできるだけの均一化が案外重要ではないかと最近は考えています・・。」
A(コーヒーを飲みながら)「・・そうか、まあ進捗しているんならそれでええ・・結構、結構。
それで新しく入ったダイアモンドカッターはええやろ、しかし、あれであまり焼成後の試料切ったらアカンで、せっかくの吹き付けたダイヤモンドがすぐにワヤになってしまうからなあ・・。
・・・ああ、研磨の講義で習ったやろ、あれと同じ理屈や。
まあ、それはええ、それでオマエは年末クニに帰るんか?
わしゃ**日に帰るから、もし年末年始に実験に来るんやッたら火元に気いつけいよ。」
B「あ、はいわかりました!
年末年始は**先生も時折実験でいらっしゃるそうですが、もちろんわたしも火元に気を付けます。
それでA先生は飛行機で帰郷されるのですか?」
A「ああ、飛行機が一番早いからな、それでもお前、わしも院生の頃はバイト代で買うたカブに乗っていてな、お前が今乗っているののもっと古いタイプやけどな、あれでお前、名古屋から大阪まで乗って帰ったんやが、途中伊吹峠で吹雪に遭うて、いきなりやぞ!あれはホンマエライ目に遭うたで・・。」
B「・・先生、今のお話しと似たようなことを『古事記』で読んだことがあります!
あれはたしか景行天皇の御代のことですが、その皇子である倭健命(ヤマトタケルノミコト)が東征からの帰路、伊吹山の麓でそのような状況に遭遇したのです・・。
また、その時に倭健命は憔悴して亡くなってしまうのですが、その際に云ったコトバが現在の三重県の名前の由来になっているとのことです・・。」
A「・・お前はホンマそういうしょうもないことをよう知っておるなあ・・それでヤマトタケルは三重のことを何ていうてたんや・・?」
B「たしか「とても疲れて足も腫れ上がり三重に曲がってしまった」という意味のことが書かれていましたが、この『三重に曲がる』とは棒状の餅をひねって現在のパンのツイストみたいな形状にした当時の菓子を連想しているのではないかと思います・・。」
A「はあ、なるほどなあ・・。
そういや、わしは毎年初詣には北野天満宮に行くんや、お前あそこは知っとるか?」
B「ええ、やはり菅原道真公、学問の神様をお祀りしている神社ですので・・しかし、それでしたらここ九州の太宰府にも有名な太宰府天満宮がありますが・・?」
A「ああ、あそこも**大学で学会があった時に何度か参拝したなあ・・そやけどお前、わしが北野天満宮に初詣に行くんは、菅公さんが学問の神様だからだけやないでえ・・。
菅公さんのおっかさんはなあ、わしの御先祖様の家の出なんや・・。」
B「はあ、そんな理由があったのですか・・しかし、そういった考えとは関西、近畿文化圏あたりでは、わりかしポピュラーかもしれませんが関東、首都圏ではあまり聞きませんね・・わたしとしては、そうした関東、首都圏の文化はどうも味気ないとは思うのですが・・。」
A「そやな・・よっしゃ!そうだ、お前、来年わしが戻って来たら開聞岳に一緒に登るか?この季節のあの山頂は空気が澄んで遠くの屋久島の宮之浦岳まで見えるんや、気持ちええぞお。」
B「あ、それはいいですね!是非お供させてください!」
A「よし!この調子で年末年始の実験もがんばれい!」
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
はじめに強く思ったことは「こうした作品とは大画面で見るべきである。」ということです。
また、面白く感じたことは、作品途中にてゴジラが変態することであり、これはオリジナルの第一作にはなかった要素です。
この要素とは「同監督が以前に制作した某アニメ作品からの影響ではないだろうか?」思いましたが詳細については不明です。
さらに作品内の我が国政府の対米姿勢とは自嘲気味に描かれておりましたが、果たしてそれが現実に近いのかどうかは分かりかねるところではありますが、ともあれ、少なくとも現在の我が国の様相から考えてみますと、案外適当なところではあるのかもしれません・・(苦笑)。
さらに、この作品では会議、話し合いの場面が比較的多かったように思われますが、それらの場面で各々俳優によって為される会話が全体的に端的、早口である割には話した内容が一度できちんと相手に伝わっている様子が逆に少し不自然ではあるまいかとも感じられました・・。
それは何といいますか、作品全体に決然たる雰囲気そして、そこから生じる悲壮感らしきものの演出を狙った、いわばゴジラの出現という天変地異が生じた際のリアリティーを追求した結果であるとは思われますが、元来、我々が用いる日本語とは、そのような会話には向いていないのではないかと思われるのです・・(笑)。
また一方、それに対し別の見方をすれば、こうした作品内での会話の傾向(早口、端的)とは、ライン、ツイッターといった比較的短文(端的)でのやり取りに慣れている方々、世代に対しての効果を狙った演出であったのではないかとも思われます・・。
ともあれ、作品全体としては途中退屈することもなく、最後まで楽しく観ることができました。
さて、昨日分の記事を投稿した後、どうしたわけか昨年5月18日作成記事『最近不図思ったこと・・三重県県名の由来など・・』の閲覧者が増加しました・・。
その為、あらためてこの記事を読んでみますと、少しは面白いことが書いてあり、殊に末尾に近いお師匠から伺ったハナシとは我ながら悪くないオチではあるまいか?と思った次第です・・(苦笑)。
そこで以下に、そのハナシを題材にした対話形式の作成を試みます・・。
~2009年の年末が舞台です~
A「おい、コーヒーが入ったから、一旦実験を切り上げてこっちに来い!」
B「あ、はい、分かりました!この最後の試料切片が切れましたら、超音波洗浄にかけて、そちらに行きます!」
(講座休憩室にて)
A「それで、お前の実験、試料作製は上手くいっておるのか?」
B(手拭いで手を拭きながら)「・・ええ、まあ最初の頃よりかは安定した数値が出てるとは思うのですが、それでも先行研究に書かれている値に比べますと、かなり全体的に低いので、基材の薄さや焼成後に得られる基材の表面粗さのできるだけの均一化が案外重要ではないかと最近は考えています・・。」
A(コーヒーを飲みながら)「・・そうか、まあ進捗しているんならそれでええ・・結構、結構。
それで新しく入ったダイアモンドカッターはええやろ、しかし、あれであまり焼成後の試料切ったらアカンで、せっかくの吹き付けたダイヤモンドがすぐにワヤになってしまうからなあ・・。
・・・ああ、研磨の講義で習ったやろ、あれと同じ理屈や。
まあ、それはええ、それでオマエは年末クニに帰るんか?
わしゃ**日に帰るから、もし年末年始に実験に来るんやッたら火元に気いつけいよ。」
B「あ、はいわかりました!
年末年始は**先生も時折実験でいらっしゃるそうですが、もちろんわたしも火元に気を付けます。
それでA先生は飛行機で帰郷されるのですか?」
A「ああ、飛行機が一番早いからな、それでもお前、わしも院生の頃はバイト代で買うたカブに乗っていてな、お前が今乗っているののもっと古いタイプやけどな、あれでお前、名古屋から大阪まで乗って帰ったんやが、途中伊吹峠で吹雪に遭うて、いきなりやぞ!あれはホンマエライ目に遭うたで・・。」
B「・・先生、今のお話しと似たようなことを『古事記』で読んだことがあります!
あれはたしか景行天皇の御代のことですが、その皇子である倭健命(ヤマトタケルノミコト)が東征からの帰路、伊吹山の麓でそのような状況に遭遇したのです・・。
また、その時に倭健命は憔悴して亡くなってしまうのですが、その際に云ったコトバが現在の三重県の名前の由来になっているとのことです・・。」
A「・・お前はホンマそういうしょうもないことをよう知っておるなあ・・それでヤマトタケルは三重のことを何ていうてたんや・・?」
B「たしか「とても疲れて足も腫れ上がり三重に曲がってしまった」という意味のことが書かれていましたが、この『三重に曲がる』とは棒状の餅をひねって現在のパンのツイストみたいな形状にした当時の菓子を連想しているのではないかと思います・・。」
A「はあ、なるほどなあ・・。
そういや、わしは毎年初詣には北野天満宮に行くんや、お前あそこは知っとるか?」
B「ええ、やはり菅原道真公、学問の神様をお祀りしている神社ですので・・しかし、それでしたらここ九州の太宰府にも有名な太宰府天満宮がありますが・・?」
A「ああ、あそこも**大学で学会があった時に何度か参拝したなあ・・そやけどお前、わしが北野天満宮に初詣に行くんは、菅公さんが学問の神様だからだけやないでえ・・。
菅公さんのおっかさんはなあ、わしの御先祖様の家の出なんや・・。」
B「はあ、そんな理由があったのですか・・しかし、そういった考えとは関西、近畿文化圏あたりでは、わりかしポピュラーかもしれませんが関東、首都圏ではあまり聞きませんね・・わたしとしては、そうした関東、首都圏の文化はどうも味気ないとは思うのですが・・。」
A「そやな・・よっしゃ!そうだ、お前、来年わしが戻って来たら開聞岳に一緒に登るか?この季節のあの山頂は空気が澄んで遠くの屋久島の宮之浦岳まで見えるんや、気持ちええぞお。」
B「あ、それはいいですね!是非お供させてください!」
A「よし!この調子で年末年始の実験もがんばれい!」
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2017年3月25日土曜日
20170324 心境、趣味の変化・・脱然貫通?
本日は帰宅の際にレンタルCD・DVD点に立ち寄ったところ『シン・ゴジラ』がレンタルに出ておりました。
これは人気の最新作ということで、レンタル料も高く、立ち寄った時点にてわずか数本がレンタル可能な状態であり、迷わずその中から一本を一泊にてレンタルしました・・(笑)。
もちろん未だ現在これを観ておらず、おそらく当ブログ記事を書き終えた後に観ることになると思われます。
とはいえ、かなり久しぶりに映画作品のDVDソフトのレンタルにて高揚しました・・(笑)。
しかし思い起こしてみますと、自身はかつて、かなりの映画(レンタルを含め)好きでありましたが、どうしたわけか鹿児島在住時の後半、2012年あたりから以前ほど、それらを楽しむことが出来なくなりました・・。
この原因は未だ自身でもよくわかりませんが、おそらく何かしらの変化が内面に生じたのではないかと思われます・・。
また一方で面白いと思うことは、それまでどちらかというと批判的であった某アニメスタジオ(和製)一連の作品を2013年の春過ぎあたりから突如面白いと感じ、また感激するさえするようになったことです・・(笑)。
まさか、こうした心境、趣味の変化が30半ばで訪れることは、自身でもいささか驚きました・・(笑)。
それに加え、同アニメスタジオ作品ではありませんが、上記の変化を更に実感すべく?この時期偶然にレンタルした昭和30年代の瀬戸内西部を舞台としたアニメ作品では図らずも泣いてしまいました・・(笑)。
おそらくこうした心境・趣味の変化が一旦内面にて生じると、その効果、影響とは広く速やかに精神、内面全体にまで波及するのではないかと思われます・・(脱然貫通)。
また、上記経験から抽出された実感について考えてみますと、以前、当ブログにて二回に亘り抜粋引用した岩波書店刊 井筒俊彦著『意識と本質 精神的東洋を索めて』記述内容に、あるいは関連があるのではないかと思われるのです・・。
また、そのように考えてみますと、我々の精神、内面の構造とは12世紀、20世紀の中国、日本の思想家間においても(少なくともそうした面においては)あまり大きく違わないのではないかとも思われるのです・・。
そしてまた、それらの方々の考えを(現在)読み、そして理解しようとすること、あるいは理解出来たと実感できることこそが、一面における文系諸学問の大きな存在意義であるのではないかと思われるのです・・。
また、かつてそうした考え、思想があったということを各個人の経験、実感を通じて認識、理解出来ることは昨今よく取り上げられる人工知能(AI)でも不可能なことであり、同時に、たとえ多少、的はずれであったとしても、そうしたことを述べる、書くこと(こそ)が、我々の持つあらゆる考え、思想を『血の通ったものとして』進化、創造していく際の極めて重要、不可欠な過程ではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」
これは人気の最新作ということで、レンタル料も高く、立ち寄った時点にてわずか数本がレンタル可能な状態であり、迷わずその中から一本を一泊にてレンタルしました・・(笑)。
もちろん未だ現在これを観ておらず、おそらく当ブログ記事を書き終えた後に観ることになると思われます。
とはいえ、かなり久しぶりに映画作品のDVDソフトのレンタルにて高揚しました・・(笑)。
しかし思い起こしてみますと、自身はかつて、かなりの映画(レンタルを含め)好きでありましたが、どうしたわけか鹿児島在住時の後半、2012年あたりから以前ほど、それらを楽しむことが出来なくなりました・・。
この原因は未だ自身でもよくわかりませんが、おそらく何かしらの変化が内面に生じたのではないかと思われます・・。
また一方で面白いと思うことは、それまでどちらかというと批判的であった某アニメスタジオ(和製)一連の作品を2013年の春過ぎあたりから突如面白いと感じ、また感激するさえするようになったことです・・(笑)。
まさか、こうした心境、趣味の変化が30半ばで訪れることは、自身でもいささか驚きました・・(笑)。
それに加え、同アニメスタジオ作品ではありませんが、上記の変化を更に実感すべく?この時期偶然にレンタルした昭和30年代の瀬戸内西部を舞台としたアニメ作品では図らずも泣いてしまいました・・(笑)。
おそらくこうした心境・趣味の変化が一旦内面にて生じると、その効果、影響とは広く速やかに精神、内面全体にまで波及するのではないかと思われます・・(脱然貫通)。
また、上記経験から抽出された実感について考えてみますと、以前、当ブログにて二回に亘り抜粋引用した岩波書店刊 井筒俊彦著『意識と本質 精神的東洋を索めて』記述内容に、あるいは関連があるのではないかと思われるのです・・。
また、そのように考えてみますと、我々の精神、内面の構造とは12世紀、20世紀の中国、日本の思想家間においても(少なくともそうした面においては)あまり大きく違わないのではないかとも思われるのです・・。
そしてまた、それらの方々の考えを(現在)読み、そして理解しようとすること、あるいは理解出来たと実感できることこそが、一面における文系諸学問の大きな存在意義であるのではないかと思われるのです・・。
また、かつてそうした考え、思想があったということを各個人の経験、実感を通じて認識、理解出来ることは昨今よく取り上げられる人工知能(AI)でも不可能なことであり、同時に、たとえ多少、的はずれであったとしても、そうしたことを述べる、書くこと(こそ)が、我々の持つあらゆる考え、思想を『血の通ったものとして』進化、創造していく際の極めて重要、不可欠な過程ではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」
2017年3月23日木曜日
20170323 『脳裏を流れる文章』と『著す文章』あるいは『口語』と『文語』との相違から・・
ここ数日は比較的温暖な日が続き、このブログも600記事到達まで残り30記事を切りました・・。
しかしながら、本日に関しても特に記事題材となるものは未だ脳裏に浮かばないまま、つい先ほど記事作成を開始した次第です・・(苦笑)。
こうした状況にて作成した記事とは、これまでの数多くあり、またそれらを後になって読んでみますと、それなりに面白いものとそうでないものがあります。
そこから『こうした違いとはどこで生じるのであろうか?』とも考えてみるのですが、それぞれの書かれた状況とは、大きく見ればあまり変わりないですし、一方細かく考えてみますと、それこそ日々の記事を書く際の内面の状況とは大きく異なっているといえます・・(苦笑)。
とはいえ、内面の状況が何といいますか『ノッていれば、ハイであれば良い、面白い記事が書けのるか?』と考えてみますと、必ずしもそうではないようであり、むしろ、そういった状況とは『気分の高揚』と『文章の作成』双方の歯車が上手く嚙み合わずあまり文章作成が捗らないことが多いように思われます・・。
しかし、こうした内面の状況においても脳裏にコトバ、文章らしきものは流れているのです。
そうしますと脳裏のコトバ、文章の流れを上手く掴み、実際の文章として著すことが大事であるのですが、実はこれがなかなか難しいのではないかと思われます・・。
そして、これを効果的に行うことが出来るようになれば、ブログなどの場合、ある程度の記事数を作成することなどは特に難しいことではないのかもしれません・・(笑)。
しかし、そこで同時に重要であると思われることは『洗練され、流れ込むようにその内容が頭の中に入ってくるような文章(だけ)が良いのか?』ということであり、このことは先ほどの『脳裏を流れる文章』と『著す文章』との関係性に密接に関与しているのではないかと思われます・・。
あるいは、この関係性とは『口語』と『文語』との間に見られるものを異なった言い回しにて表現しているだけであるのかもしれません・・。
とはいえ、私見ではありますが、まさしくここに、全ての『学ぶ』という行為の意味が凝縮されているのではないかと考えます。
また、その発露の様式が短歌、誌、散文、論文あるいは数式であっても本質的には全て同じではないかと自身は考えます・・。
そして、そのように考えてみますと思い起こされるのは『古事記』と『日本書紀』の相違であり、たしか前者は712年、後者は720年に編纂されたものです。
また、その内容とは、双方共に基本的には神話からはじまる皇室を基軸とした年代記です。
おそらく、それ以前の時代における、こうしたいわば『歴史』とは、口承により代々語り継がれていたのですが、平城京への遷都を機に、こうした『(口承された)歴史を文章化して遺す』試みが国家的プロジェクトとして為されたのではないかと考えられています(7世紀末頃より企図されてはいたが)。
さて、『古事記』と『日本書紀』の編纂年代はおよそ8年異なります。
そして、この8年の間にその記述される文章(漢文)は洗練され、後者(『日本書紀』)の書かれた漢文とは大陸でも記述内容が概ね理解出来るものであると評価されております。
一方、前者(『古事記』)の書かれた漢文とは、和文の音に漢字を置く一方、通常の漢文的表現も見られたりと混淆しており、おそらく6世紀あたりの古墳から出土した鉄剣に刻まれた銘文のような感じであったのではないかと思われます・・。
それ故、後代になり、徐徐に話される言語(口語)が変化してきますと、その内容を理解することは困難になり、後世、ようやく18世紀半ば過ぎに本居宣長によってその内容が註釈、翻訳されたとのことです・・。
18世紀後半とは、いくつかの学問分野にて、そうした註釈、翻訳作業が熱を帯びた時代であったのかもしれません・・。
ともあれ、これら記紀双方にて、より口承された内容に近いものはおそらく『古事記』であり、それをさらに、漢文としての文語の方向に洗練させたものが『日本書記』であると云い得るのですが、双方の微妙な内容、表現の相違が、前述の『脳裏を流れる文章』と『著す文章』あるいは『口語』と『文語』との相違に何かしら関連、相似するのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
しかしながら、本日に関しても特に記事題材となるものは未だ脳裏に浮かばないまま、つい先ほど記事作成を開始した次第です・・(苦笑)。
こうした状況にて作成した記事とは、これまでの数多くあり、またそれらを後になって読んでみますと、それなりに面白いものとそうでないものがあります。
そこから『こうした違いとはどこで生じるのであろうか?』とも考えてみるのですが、それぞれの書かれた状況とは、大きく見ればあまり変わりないですし、一方細かく考えてみますと、それこそ日々の記事を書く際の内面の状況とは大きく異なっているといえます・・(苦笑)。
とはいえ、内面の状況が何といいますか『ノッていれば、ハイであれば良い、面白い記事が書けのるか?』と考えてみますと、必ずしもそうではないようであり、むしろ、そういった状況とは『気分の高揚』と『文章の作成』双方の歯車が上手く嚙み合わずあまり文章作成が捗らないことが多いように思われます・・。
しかし、こうした内面の状況においても脳裏にコトバ、文章らしきものは流れているのです。
そうしますと脳裏のコトバ、文章の流れを上手く掴み、実際の文章として著すことが大事であるのですが、実はこれがなかなか難しいのではないかと思われます・・。
そして、これを効果的に行うことが出来るようになれば、ブログなどの場合、ある程度の記事数を作成することなどは特に難しいことではないのかもしれません・・(笑)。
しかし、そこで同時に重要であると思われることは『洗練され、流れ込むようにその内容が頭の中に入ってくるような文章(だけ)が良いのか?』ということであり、このことは先ほどの『脳裏を流れる文章』と『著す文章』との関係性に密接に関与しているのではないかと思われます・・。
あるいは、この関係性とは『口語』と『文語』との間に見られるものを異なった言い回しにて表現しているだけであるのかもしれません・・。
とはいえ、私見ではありますが、まさしくここに、全ての『学ぶ』という行為の意味が凝縮されているのではないかと考えます。
また、その発露の様式が短歌、誌、散文、論文あるいは数式であっても本質的には全て同じではないかと自身は考えます・・。
そして、そのように考えてみますと思い起こされるのは『古事記』と『日本書紀』の相違であり、たしか前者は712年、後者は720年に編纂されたものです。
また、その内容とは、双方共に基本的には神話からはじまる皇室を基軸とした年代記です。
おそらく、それ以前の時代における、こうしたいわば『歴史』とは、口承により代々語り継がれていたのですが、平城京への遷都を機に、こうした『(口承された)歴史を文章化して遺す』試みが国家的プロジェクトとして為されたのではないかと考えられています(7世紀末頃より企図されてはいたが)。
さて、『古事記』と『日本書紀』の編纂年代はおよそ8年異なります。
そして、この8年の間にその記述される文章(漢文)は洗練され、後者(『日本書紀』)の書かれた漢文とは大陸でも記述内容が概ね理解出来るものであると評価されております。
一方、前者(『古事記』)の書かれた漢文とは、和文の音に漢字を置く一方、通常の漢文的表現も見られたりと混淆しており、おそらく6世紀あたりの古墳から出土した鉄剣に刻まれた銘文のような感じであったのではないかと思われます・・。
それ故、後代になり、徐徐に話される言語(口語)が変化してきますと、その内容を理解することは困難になり、後世、ようやく18世紀半ば過ぎに本居宣長によってその内容が註釈、翻訳されたとのことです・・。
18世紀後半とは、いくつかの学問分野にて、そうした註釈、翻訳作業が熱を帯びた時代であったのかもしれません・・。
ともあれ、これら記紀双方にて、より口承された内容に近いものはおそらく『古事記』であり、それをさらに、漢文としての文語の方向に洗練させたものが『日本書記』であると云い得るのですが、双方の微妙な内容、表現の相違が、前述の『脳裏を流れる文章』と『著す文章』あるいは『口語』と『文語』との相違に何かしら関連、相似するのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
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