2025年9月12日金曜日

20250911 手作業での文章作成とChatGPTによる援用について

 長年にわたり研究をされてきた人文系の先生方には、膨大な読書と思索の蓄積があります。それは何にも代え難い知の財産であり、社会にとっても大切なものです。しかし昨今、研究環境は急速に変化しつつあります。情報はデジタル化され、国際的な議論はオンラインで進み、さらに人工知能(AI)も実用的なものとなりました。そうした背景から、OpenAI社のChatGPTは、人文系研究者の方々にとっても役立つ存在になりつつあると云えます。

 まず、ChatGPTは知識を整理する手助けになります。たとえば、思想や古典などの文学作品をChatGPTからの視点でまとめさせますと、自分の考えを改めて見直すきっかけが生まれます。これは単に便利な道具というだけではなく、過去の知識と現在の課題を改めて結び直す橋のようなものと云えます。実際、我が国の大学院生全体で見ますと、ChatGPTなどの生成AIの利用率は、およそ半数を超えており(52%)、理系では57%、文系でも43%が既に日常的に用いています。また、理系では工学、生命科学、医学・疫学などでの利用が目立ち、コード生成やデータ解析、論文執筆補助などの場面で急速に普及しています。人文系でも、論文の要約や外国語文献の読解、原稿作成補助などに導入されつつあり、じわじわと利用が広がっています。

 また、ChatGPTは知的な対話相手にもなり得ます。一般的に年齢を重ねますと、同世代の仲間との議論の場は減り、若い世代とは関心が少しずつ離れていくこともあります。そうした際に、AIとのやりとりは、自分の考えを試し、反論や補足を受けながら思索を続ける小さな「書斎の議論」のようにも機能します。理系の分野では「研究補助」としての活用が今や当たり前になりつつありますが、人文学の研究者にとっても、おそらく、これは決して遠い話ではないと考えます。むしろ、深い読書と思索を土台とされる年長の研究者の方々にとってこそ、ChatGPTなどの生成AIは、刺激的な議論の相手となる可能性を秘めていると云えます。

 さらに、これまでの研究を社会に発信しようとする際にも役立ちます。専門的な議論をより分かり易くに伝えるためには工夫が要りますが、ここに生成AIを効果的に用いますと、専門性を保ちつつも、読み易い文章へと調整することが出来ます。つまり、社会へ広く知識を伝える際にも活用出来るのです。

 とはいえ、もちろん、生成AIは万能ではありません。誤りもあり、判断の最終責任は使用者各々にあります。しかしだからこそ、深い知識と批判的な視座を持たれる年長の研究者の方々こそ、これを正しく使いこなすことが出来るのではないかと考えます。生成AIが出す案をそのまま受け入れるのではなく、自分の経験と学識で吟味して、さらにそこに意味を与えることが出来るのは、長年、学問的訓練を積んだ方々ならではの強みであると考えます。

 また、若い世代が主に効率性を求めて生成AIを用いるのと比べると、むしろ年長の研究者の方が、生成AIを「知的な遊び道具」として面白く活かせているようにも見受けられます。理系の世界で先に普及が進み、人文系でも着実に広がりつつある現在であるからこそ、その運用を試みますと、独自の成果を引き出すことが出来るのではないかと考えます。端的に生成AIは、新たな時代の「書斎の友」として、あるいは「研究の補助」にもなり得ると云えます。

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2025年9月7日日曜日

20250906 空回りの時期と当ブログの開始に至るまで③

 振り返ってみますと、2013年9月に(どうにか)学位を取得してから2015年6月に当ブログを開始するまでの2年近くの期間、私は諸事、空回りをしていました。そしてそれは、自らの年齢やキャリアを考慮するあまり、焦燥感に囚われていたいたからであると思われます。とはいえ、こうした焦燥感や葛藤といったものは、発散されないと、そのまま保持されるか、あるいは、さらに悪化するとも思われることから、さきの空回りの期間とは、避けられないものであったと思われます。
 やがて、落ち着きを取り戻し、再びネットや公共職業安定所などで求人情報に目を通すようになり、しばらく経った頃、見つけたのは、首都圏を中心として、多数の分院展開をする比較的大きな医療法人の「訪問歯科診療コーディネーター」職種の求人でした。そこで、応募書類一式を作成、投函してから数日後、法人事務局からご連絡を頂き、面接日時を定め、数日後、都内、東急東横線沿線に立地する法人本部を訪ねました。面接では、履歴概要について尋ねられてから、少し打ち解けた雰囲気になり、しばし会話の後、法人理事から「当法人は色々な職種がありますが、まずは訪問診療のコーディネーターから始めてください。」と云う流れで採用となりました。
 訪問診療コーディネーターとは、一言で云いますと、訪問診療を行う歯科医師や歯科衛生士が、居宅や施設といった外来診療とは異なる環境であっても円滑に診療が出来る様に支援全般を行う職種です。その具体的な内容は、診療スケジュールの調整、ポータブルユニットなどの機材準備や運搬、診療中の各種補助、クレーム対応、会計業務や居宅介護支援事業所・地域包括センター・訪問看護ステーションなどへの周知活動と云う営業までも含まれており、まさに、マルチタスクが要求される職種であったと云えます。また、同法人での私以外の訪問診療コーディネーターの方々の多くは、営業畑の御出身であり、経験を積み、場数を踏んできただけに、それぞれ優れた交渉力やコミュニケーション能力を持たれていましたが、私の方と云えば、以前、5年間のホテル勤務の際にそれらしきことを少し行った経験がある程度であり、それ以外で、営業経験はほぼありませんでした。とはいえ「歯科医療業界を知っている人材」として期待され、採用されたことから、自分なりに頑張ってはみたものの、その割には成果が上がらずに苦労した記憶があります。
 とはいえ、この訪問診療コーディネーター業務の経験は決して無駄なものではなく、社会の高齢化が進行している我が国において、今後、否応なく、さらに重要となる訪問診療という領域を、現場の裏方として近くで見ることが出来たことは貴重な経験であったと云えます。他方、元来、マルチタスクが苦手である私は、訪問診療コーディネーターの業務全般に速やかに慣れることは困難であり、周囲の先輩同僚の方々に、ご迷惑を掛けてしまうことも度々ありました。そして、法人本部の方も、そうしたことに気が付いていたのか、入社後半年程経った頃、法人本部が新たに設立した、医療介護人材に特化した求人求職サイトを運営する一般社団法人へと異動となり、そこでサイトの運営業務全般を行うことになりました。
 この業務は、端的に、さまざまな機関の医療介護職の求人情報を集め、それらをサイトに掲載し、それと同時に、より多くの求職者の登録をはかるといったものでした。当然と云えば当然ですが、こうしたサイトとは、求人情報がより多く掲載されている方が有利であるため、私は、はじめに実家クリニックの求人情報をサイトにアップし、続いて、以前から見知っている医療・歯科医療機関さまにお願いをして、出来るだけ多くの求人情報を頂けるように努力し、さらにテレアポなども試みましたが、結果的に、それなりに多くの求人情報を得ることが出来たのではないかと思われます。そして、そこで集めた情報をサイトにアップし続けました。
 このサイト運営業務は簡潔に文章で述べますと、上記の通りではあるのですが、同時にまた、それなりにストレスも多く、胃が痛くなることも度々ありましたが、この業務は私以外に担当者はおらず、ほとんど全ての求人情報は、私が入手したものでした。
 ともあれ、サイト運営がそれなりに稼働するようになりますと、それは成果であると見做されたのか、法人本部側の対応も変化して、勤務する歯科医師、歯科衛生士向けの法人内勉強会の管理運営業務なども担当させて頂くようになりました。この業務では、法人勤務の歯科医師や歯科衛生士の方々と話す機会が多くありましたが、そのなかで、比較的多く私に話し掛けてきてくださったのは、本院勤務の女性歯科医師であり、お二人の息子さんの子育てを一通り終えられてから臨床に復帰された先生でした。こちらの先生は熱心に訪問診療に取り組まれており、時折、コーディネーターが受ける急患への対応も快く応じてくださり、また、ご高齢で摂食嚥下機能が不自由な方々に対してのリハビリテーションに強い関心を持たれていました。
 そしてある日、こちらの先生から「摂食嚥下機能のリハビリで定評がある東京歯科大学のS教授の研究室に、大学時代からの友人歯科医師数人で見学に行きたいのですが、セッティングをお願い出来ますか?」とのご相談を頂きました。そこで私は歯科理工学の師匠に連絡を取らせて頂き、上記旨を説明いたしますと、師匠は「ワシの門下だと云えば繋がるはずや!」とのことでした。そのため、恐る恐るではありながらも意を決してS教授の研究室にお電話を掛けたところ、比較的速やかにS教授ご本人までつながり、そしてあっさりと見学のご了承まで頂くことが出来ました。後日、こちらの見学は、複数先生方のご協力も頂き、無事に終えることが出来ました。そして数日後、こちらの先生は「研究室見学をさせて頂いたS教授から日本老年歯科医学会学術大会での学会発表を勧めてくださった。」として「折角の機会なので学会発表をしてみたい。」とのことで、そこからS教授研究室の若手教員の先生や、大学勤務のご友人などのご助力などによって、学会発表にまで至ることが出来ました。
 学会発表の成功を先生は大変喜んでくださいましたが、良い出来事のあとには悪い出来事が生じるのか、それを快く思わない法人内の主流派歯科医師・歯科衛生士の方々から、先生そして私も何かと責められるようになり、さらに法人本部に対して事実無根の告げ口などもされて、徐々に居心地が悪くなっていきました。この状況には強く怒りを覚えましたが、反論しても得るものはないと思われ、最終的には、こちらが諦めざるを得ませんでした。
 しかし一方、私は、この学会発表準備の時期と前後して、先述サイトの営業活動や情報収集活動の一環として、大学発の新技術説明会や公的機関主催のイベントにも積極的に参加するようになっていました。その意味で、博士号は、無意味、役に立たないものとして、度々あるいは散々に揶揄され続けましたが、こうした公的あるいは学術的な場に参加する際には、むしろ有効であり、どのイベントでも、そこまで敷居の高さを感じることなく参加することが出来ました。さらに、これらイベントでは、東京ということもあり、普段、なかなかお目に掛かることのない研究者や企業経営者や公的機関の方々のご意見や議論に触れることが出来、そして、その中で興味深い見解を述べられる方については、背景を調べて(当時、手取りが20万円以下であったにも関わらず)所属機関をご支援したり、神保町にて洋書の古書を購入し、通勤電車で読むようにもなりました。
 こうした知的刺激が重なってきますと、不思議と良い出来事が生じるように感じられるようになりました。先述の学会やイベントへの参加をきっかけに得た知見や見解は、自らの新たな学びや機会への希望を惹起させ、より充実したものになったと云えます。一方、当時は既に当ブログも作成しており、睡眠不足による疲労や内面での葛藤は続いていましたが、それでも、何と云いますか、世界が広がっていくような感覚がありました。現在、振り返ってみますと、この時期での経験や出会い、そして理不尽で不愉快な出来事もまた、良くも悪くも、今日の私の礎になっているように思われます。

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2025年8月31日日曜日

20250830 春風社刊 谷川健一著「古代歌謡と南島歌謡: 歌の源泉を求めて」 pp.97-100より抜粋

春風社刊 谷川健一著「古代歌謡と南島歌謡: 歌の源泉を求めて」
pp.97-100より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4861100585
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4861100581

 枕詞は今では原義が不明になってしまっていることから、たんなる形容詞や形容句と思われているものも少なくないが、その背後をたどっていくと実体に突きあたる。

「万葉集」巻三には、柿本野人麻呂の旅の歌が八首まとめて載せてある。その一つに有名な、

ともしびの明石大門(あかしおほと)に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず(二五四)

がある。「ともしび」が明石の枕詞であり、明石が地名であるのはいうまでもないが、では明石という地名の由来は何かというと、手許にある数種類の「万葉集」の注釈書では穿鑿されていない。そこで歴史地理学者・吉田東伍の「大日本地名辞書」を開いてみると、明石の名は付近の海中に赤い石がとれ、それが硯の材料に最適であることから起った、という説のあることを記している。また古書の中には、「赤石」または「明」という字を当ててアカシと訓ませたものもあるそうである。

 しかし私には、明石の名が赤石にもとづくとは思われない。明石市と淡路島の淡路町の間は明石海峡と呼ばれるせまい瀬戸になっている。私は淡路町の岩屋にある海ぞいの旅館で半日ばかり海を見てすこしたことがあるが、その間中、東に西に往き交う船舶のとぎれることがなかった。万葉時代にも、いやそれ以前から、そこが海の重要な交通路であったことはまぎれもない。西国からやってきて「明石大門」を通り越し、はじめて異郷を脱したという感慨を持つ旅人は多かったと思われる。さきの歌につづく人麻呂の歌、

天ざかる夷の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ(二五五)

という歌には、自分たちの住む国にやっと足を踏み入れるという安堵感がにじみ出ている。この「大和島」というのを畿内というように広域に解する必要はない。秋から冬の晴れた日には、明石から葛城山脈を遠望できると地元の人に聞いた。

 この重要な海峡では、船の航行を安全ならしめるために、目印として火が焚かれていたにちがいない。そして、その火をアカシと呼んだと思われる。松の根を切って燃やした灯火を「アカシ」と呼ぶ地方は、今日でも山梨、飛騨、大隅から南島までひろがっている(東條操『全国方言辞典』)。また、松の根を細かく引き裂き、灯火用に焚くときの台をヒデバチと呼んでいるところが各地にある。松明をタイマツと称するのも、松の根を焚いたからである。

 こうしてみると、明石という地方は、地中から赤い硯石の材料が出るからではなく、松の根を焚いて航行する船の目印の灯明としたことに由来するのではないか。とすれば、「ともしび」という枕詞と明石という地名が無理なくつながる。

 今日の灯台は、明治以前には灯明台と呼ばれていた。すなわち、神社に奉献された灯明台がその役割を果たしてきたのである。明石市の住吉神社もその一つであった。有明海に突きだした宇土半島北側の海岸にある熊本県宇土市住吉町には住吉神社が祀られている。神社の境内には、肥後藩主細川宣紀の寄進した高灯籠があり、ながく灯台として用いられた。現在の住吉灯台の前身にあたるものであった。

 烽火の制は、天智帝の時代から始まっている。したがって、万葉時代に海の要衝である明石の瀬戸に松の根を焚いて船舶の航行をたすける「ともしび」の設備があったと推測するのはいっこうに不自然ではない。

2025年8月27日水曜日

20250826 紀州・和歌山人の性質について

 紀州・和歌山は温暖な気候や豊かな自然に包まれながらも、そこに住む人々の多くは、ある種の熱情、反骨精神、そして大胆な行動力を内に秘めている。彼らは、その海洋民らしい進取の気性と冒険心(射幸心も含む)と行動力によって、しばしば既存の枠組みを逸脱し、反抗することで新たな世界を切り拓いて来た。そして、その果敢とも云える地域の人々の精神的傾向は、政治家や外交官としても、商人としても、研究者としても、あるいは軍人としても、さまざまなカタチで卓越性を示してきたと云える。

 以下、私見となるが、こうした紀州・和歌山の人々の精神的傾向の原型は古代にまで遡る。五世紀代、ヤマト王権の朝鮮半島における軍事行動で派遣軍の司令官であった紀州の豪族・紀大磐(生磐とも)は、その職分を逸脱し、自ら三韓の王になろうとしたと伝えられる。こうした行動は、現代から見れば「反乱」となるが、さきの地域性の視座から見れば、単に野心や野望に基づくものだけではなく、紀州人が持つ逸脱や反抗の気質を歴史に刻印したものだと云うことが出来る。

 この紀州人の精神的な傾向は、千年以上を隔てて維新回天期や明治初期にも姿を現した。紀州藩を出自とする岡本柳之助は、新政府に抵抗する幕臣等によって構成された彰義隊に参加し、維新後は謹慎の後、明治政府陸軍に出仕して西南戦争では九州各地を転戦、活躍し、その軍事的才能を示した。しかしその後、竹橋事件での反政府的行動を指弾され官職追放となり、やがて福澤諭吉を介して当時の朝鮮独立運動指導者等と懇意になり、朝鮮の内政改革のために軍事顧問となった。さらに、辛亥革命に際しては清国に渡って活動し、上海にて客死した。その一様とは云えない生涯からは、安穏を拒み、既成の秩序から逸脱して反抗するという、古来からの紀州人の精神的傾向が看取出来る。

 同じく、紀州藩を出自とする陸奥宗光(伊達陽之助)もまた、この紀州人的性質を体現した人物と云える。陸奥は、若い頃に脱藩し、維新回天期には坂本龍馬と共に活動し、維新後は政治家・外交官として手腕を発揮し、我が国の近代化に貢献した。外務大臣としては、各国との不平等条約改正に尽力し、より対等な関係を築くために努力した。そしてまた、近代日本最初の本格的な対外戦争である日清戦争に際しては、危ない局面もありながら、当時、東洋に植民地を持っていた西洋列強諸国を大きく刺激することなく、我が国を戦勝へ導くことに貢献した。

 とはいえ、陸奥宗光の生涯には挫折も葛藤も少なからずあったと云える。そして、その紆余曲折の人生経路の背後からは、紀州人らしい強い自我と進取の気性、既存の秩序に挑む姿勢が看取出来る。それが結果として、我が国の近代外交史に確かな足跡を残したのだと云える。

 このように紀州人的性質としての「越境・逸脱・反抗」の精神は、それは単なる反発ではなく、社会の停滞を打破し、新たな創造や建設へとつながる原動力であったとも云える。古代から近現代にかけての岡本柳之助や陸奥宗光、それに続く多くの紀州・和歌山を出自とする優れた人々は、この精神を内面的な構え(ハビトゥス)として半ば無意識的に受け継いできたのではないかと思われる。

 そしてそれは、偶発的な活動として収斂されるものではなく、紀州・和歌山の自然風土と文化に根ざした地域の人々の性質であると云える。越境と逸脱から生じる新たな諸様相は、時代ごとに異なる意匠を装いつつも、その奥には、現在に至っては著しく衰弱しているが、なおも変わらぬ、さきの内面的な構え(ハビトゥス)が残されているのではないかと考える。その視座から「失われた30年」の我が国の衰退ぶりを検討してみるのも興味深いのではないかと思われる。

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2025年8月24日日曜日

20250823 夏風邪をひいて思ったこと…

 ここ数日、どうも体調が優れませんでした。思い返してみますと、ここ最近は睡眠時間が短かったことから、疲れが溜まっていたのだと思われます。そして23日(土)の朝、目を覚ましますと、身体と頭は重く、喉の奥にイヤな熱っぽさを感じ、明らかに風邪をひいている状態でした。そのため職場に連絡を入れてから、風邪薬を服用し、再び床に就いたものの、なかなか入眠出来ませんでした。そこで代わる代わる書籍を開いて読んでみましたが、内容は頭に入らず、また、読み進める気力も続かないことから読書も諦め、ひたすら横臥しているうちにまた意識が朦朧として、ようやく眠ることが出来ました。そして、次に目を覚ました時には、すでに窓の外は暗くなっており、一日の大半を眠りに費やしていたことを知りました。

 おそらく、最近の体調不良と、今回の風邪は、睡眠不足が原因であったと思われますが、同時にここ最近は、久しぶりに文系の師匠にお目に掛かり、最近読んでいる著作や、読んだ著作、あるいは世界情勢から東南アジアの食文化などについての話題で色々と興味深い示唆を受けました。また、こうした会話をすこぶる楽しく感じられることから「やっぱり私は人文系の人間なのだなあ…」とあらためて思われました。

 また、昨今の当ブログでの投稿記事が思いのほか多くの方々に読んで頂けていたことも嬉しい出来事であったと云えます。もとより、当ブログは、あまり多くの読者、大きな反響を期待する、出来る性質のものではありませんが、そうしたなかで、ある投稿記事が、これまでよりも多少多くの方々に読んで頂けたことは、それなりに嬉しいものであり、また継続への励みにもなります。

 さらに過日、グーグル社からメールが届きました。その内容は、以前グーグル・マップにて投稿した写真が、一万回以上閲覧されたというお知らせでした。これは、以前から自分が関心を持ち、行ってきた行為とも関連するものであり、また、それと多少関連すると思われる内容の論文が、著名な某英文医学雑誌に掲載されていたことから、これも嬉しく感じられました。ともあれ、一方で、このように自分の行為が思わぬカタチで社会に溶け込み、認知され、そして人々の選択や行動に影響を与えることもあるということには、少し身が引き締まる思いもあります。

 斯様に、体調を崩すこともあれば、思いがけない喜びもあり、まさに「禍福は糾える縄の如し」と云うべきなのでしょう…。風邪のために終日横臥した日も、師匠と文系ネタで盛り上がった日も、投稿ブログが普段よりも多く読んで頂けた日も、そして、グーグル・マップでの投稿写真が多く閲覧して頂いたことによる、ある種の影響の自覚といった、一様ではない出来事が重なり、振り返ってみますと、それなりの起伏があるようにも思われてきます。

 そして今回の記事投稿により、総記事数は2370に達します。さらに、あと30本の新規投稿により、当面の目標とする2400記事に到達します。この目標に届く頃には、まだ半袖シャツを着用している時季であることを願います。また、半袖シャツで思い出しましたが、私は鹿児島在住の頃から、盛夏であっても半袖シャツの上に多少ゆったり気味の上着を羽織るようにしています。これは一見、暑苦しく見えるかもしれませんが、鹿児島の盛夏での直射日光を遮ることは、過分な体力の消耗や体温の上昇や日焼けの辛さを防ぐことが出来るため、かえって快適に過ごせることを知ったためです。それ以来、そしてまた、今年の様な異常な暑さの時はなおさら、盛夏であっても外では上着を着て肌を覆うことを心掛けるようになりました。

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2025年8月21日木曜日

20250820 強迫観念から10年間の継続へ 当ブログの原点と現在①

 直近の投稿記事においても触れましたが、ここ最近は、ChatGPT を活用して文章を生成し、それらを組み合わせることでブログ記事を作成する機会が増えました。もちろん、この手法は、いまだ試行錯誤の段階ではありますが、当初に比べれば、操作や運用に慣れて、より円滑に作成できるようになってきたと云い得ます。

 しかしながら、当ブログを振返ってみますと、その当初は、手書きにて下書きしたものをPC入力し、次いで書籍の引用記事や、対話形式の記事を作成するようになり、やがて、開始から約一年経た頃には、どうにか即興にて、ある程度の文量の独白形式のブログ記事を作成することが出来るようになりました。

 当ブログ開始(2015年)以前の私は、ブログのような公表する文章を継続的に作成するような種類の人間ではありませんでした。せいぜい「Facebook」 や 「mixi 」上で短文を時々投稿するといった程度であり、公表する文章の継続的な作成の営みとは、ほど遠いところに居ました。その転機となったのは、遡りますが2013年、(どうにか)学位を取得して帰郷した直後のことでした。当時の私は「何か表現しなければ心身が蝕まれてしまう…」といった強迫観念を覚えるようになっていました。この感覚は日ごとに強まり、やがて「この衝動を昇華しなければならない…」と考えるようになり、そうした内面での徐々なる変化から、2013年9月の帰郷から二年近くを経た2015年6月に当ブログを始めた次第です。

 開始当初は「とにかく書き続けなければならない」という切迫感に突き動かされており、現在、開始当初の頃の記事をあらためて読んでみますと、歯科理工学や近現代史、考古学、古代史、民俗学といった、自分がこれまで(ある程度)学んできたと云える分野を記事題材として、それなりに必死に作成していた痕跡が確認できます…(苦笑)。また、当初は公表する文章の作成に慣れていなかったため、文章作成自体が格闘に近いものであったことが思い出されます。そして、その後しばらくは、主に対話形式の記事を投稿していましたが、2016年3月以降から、独白形式を主体とする現在のスタイルへと移行しました。

 当ブログでは、初期から地域文化に関する記事が目立ち、それは現在に至るまでの当ブログの特徴の一つとなっています。そして、その理由は、私自身がいくつかの地域文化に対して実感を持ち、且つ、情報の裏付けが出来ると考えているからです。

 以前「読者を惹きつける文章は、書き手がその主題について実感を伴った理解を有していることが必要である」という主旨のブログ記事を投稿しており、さらに、ブログ記事の継続的な作成のためには、数回の記事投稿程度では語り尽せない知見の深みを主題について持っている必要があり、その意味において、特に、当ブログ開始初期に地域文化を多く扱ったことは、妥当な選択肢であったと云えます。また、ここで云う「実感を伴った理解」とは、単に知識を保持していることではなく、生活など実際の経験を通じて身体的・感覚的に根付いた、いわば「身体化された理解」を指します。そして、この点こそが、私が当ブログを継続するうえで重視してきたものであると云えます。

 この「実感を伴った理解」の重要性を私がを痛感したのは、鹿児島在住の頃でした。当時、私は高等教育機関において実習科目の指導を担当させて頂き、学生さん達に実習の説明をする機会がありました。そうしたなか、2010年に師匠が退職され、さらに、翌年には准教授の先生も定年退職を迎えられたことにより、実習での私の役割負担が著しく増大した翌2012年は、これをさらに強く意識するようになりました。

 座学の講義ではない実習とはいえ、正式な教育課程の一部を任されることは、そこまで軽い責務ではありません。また、実習を受ける学生さん達には総じて、説明者が実感を伴った理解を保持していると判断されると真剣に耳を傾ける一方、さきの理解が不十分であると判断されると関心を失うといった傾向があったと記憶しています。そしてまた、この傾向は、少なくとも鹿児島においては、男子学生よりも女子学生において顕著であったとも記憶しています。換言しますと、鹿児島では、説明者が話す内容の理解度や力量・熱量を直観的に見抜くような、ある種の判断力を持たれていると思われる女性がおり、そして、これは白洲正子の文章から受ける感覚(端的に元気さと率直さ)とも、相通じるものがあるように思われました。

 ともあれ、そうした見解を得てから私は、当ブログでの記事文章作成に際しても、可能な限り「実感を伴った理解」がある主題を選ぶようにしています。そしてまた、これを重視し続けてきたことが、10年以上にわたり、どうにか当ブログを継続できた要因であると考えています。なぜならば、世に出る大抵の知識や情報は当初、流動的であり、それらを単に引用するだけでは時間の経過と共に陳腐化していってしまいます。しかし、そこに書き手自らの経験や実感を化合、重ね合わせることにより、その知識や情報が含まれた文章は、より長い生命を持ち得ることが出来るのではないかと考えるためです。また、この主題につきましては、さらに述べたい部分がありますが、それについてはまた近い将来に改めて述べたいと思います。

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2025年8月15日金曜日

20250814 徒歩での移動と試行錯誤が生む新たな文章

 本日は所用もあり、比較的長い距離を徒歩で移動しました。精確に距離を測定したわけではありませんが、おそらく、合計では10キロメートルには達しないものの、5キロメートル以上は歩いたのではないかと思われます。また、その後、帰宅してからは自転車にて、さらに5キロメートル以上走りましたが、幸い、この時刻には陽もすでに傾き、気温も下がっていたため、辛さは感じられませんでした。くわえて走行時は風も心地よく、運動としては、程良い負荷であったと思われました。

 さて、私の場合、こうした徒歩や自転車での移動は、当ブログでの記事作成に一定の効果をもたらしていると考えています。歩くことにより、頭の中の考えが自然と整理され、そして、それが文章作成のための助走や準備のように機能するのです。また本日も、その効果があったためか、帰宅後に落ち着いてからは、比較的スムーズに記事作成に取り掛かることができました。

 当ブログでのこれまでの投稿記事は、当記事のような「独白形式」のものが最も多く、これが基本的なスタイルであると云えます。一方、近年は、以前の投稿記事にて何度か述べましたように、ChatGPTを活用した記事作成も行っています。この手法での文章の作成は、新規投稿の日だけではなく、それ以外の日にも、たとえごく短いものであっても、何かしら作成しており、そして、それらの多くが当ブログの下書きとして蓄積されています。これら下書きの多くは、すぐに公開されるわけではありませんが、後になって読み返してみますと、新たなアイデアが湧いて来たり、あるいは、作成記事の骨格として用いることが出来ることが比較的多く、大袈裟であるかもしれませんが、一種の財産になりつつあります。

 そして、直近投稿の二記事:『2025年8月、混迷する国際社会と国内の状況から思ったこと』および『第二次宇露戦争の現在に至るまでの戦局推移の様相について』も、ChatGPTにより生成した下書きに、加筆修正を行い完成させたものです。とはいえ、実際にこれら記事を読まれた方々の多くは、その下書きがChatGPTによって生成されたものであるとは思われないと考えます。その理由は、生成された下書き全体に大幅に加筆を行い、また、文章の流れや文体を整えるだけではなく、内容も当初とは、かなり異なる、いわば、それなりに私の文章になっていると思われるからです。

 こうした下書き文章への加筆や編集作業にも徐々に慣れてきており、その作業の過程では以前のそれとは異なる種類の「集中」も感じられるようになったと云えます。この感覚は、従来の即興的なブログ記事作成の時とはまた異なり、叩き台、ドラフトとなる文章を手元に置きつつ構築していく、一種、編集者的な視点を伴った集中であると云えます。その意味で、従来とは別の新たな文章作成の手法が、漸進的にではありますが、確立されつつあるのではないかとも思われます。

 ともあれ、ChatGPTを文章作成に用いることで、既存の断片的な素材となる文章を組み合わせ、そこに新たな要素を加えたり調整したりする作業は、かなり効率的に出来るようになり、端的に、私の頭脳のレベルを超えた文章作成が出来るようになったと云い得ます。しかし一方、この手法では、先述した日常の出来事から即興的に文章を展開させるような文章作成に不向きであるか、あるいは現時点では、そうした文章作成のための有効な手段とはなっていのも現状です。いずれにせよ、こうした現時点での特性を理解したうえで使い続けることにより、いずれは試行錯誤の段階を脱し、文章作成の幅もさらに広がるのではないかと思われます。

 さらに、このブログという発表形式は、完成された文章だけを公開するものではありません。たとえ不完全であっても、自らの試行錯誤を記録した文章を公開することにも(多少は)価値があり、場合によっては読者の共感や新たな発想を引き出すきっかけにもなり得ます。その意味では、こうした変化の過程そのものを記録し、共有することにも、それなりの意義があるのではないかと考えます。そして、こうした試行錯誤や変化を積み重ねることにより、やがては先述したような新しい記事作成のスタイルが定着して、さらに、より多様で豊かな文章での表現が出来るようになるのではないかと、少し期待しています。

今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。


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