2024年6月26日水曜日

20240625 中央公論新社刊 「自由の限界」世界の知性21人が問う国家と民主主義 中公新書ラクレ pp.253-256より抜粋

中央公論新社刊 「自由の限界」世界の知性21人が問う国家と民主主義 中公新書ラクレ pp.253-256より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121507150
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121507150

 欧米は感染拡大を抑えるために罰則を伴う外出制限など日本より厳しい措置を講じました。しかし被害は日本よりも甚大です。

 感染状況を人口一〇〇万人あたりの死者数で見ると日本は一二人、米国は六二三人。欧州で際立った取り組みをしたドイツは一一四人。日本との差は桁違いです。

 日本の被害の「少なさ」を巡り、日本人の清潔好きを理由に挙げる向きもありますが、疑わしい。アジアを見れば、中国は三人強、韓国は八人弱、台湾は〇.三人で日本より少ない。いずれも日本以上に清潔好きだとは思えません。

 人種の違いも説明にならない。米国でアジア系住民の死亡率は白人と同程度です。

 世界はこの疾病にかかりやすい群とかかりにくい群に大別できる。その差は経済や社会、文化や思想の観点では説明できない。単に運不運に左右されたとした言いようがない。それが私の感想です。

 米国の人類生態学者ジャレド・ダイアモンド氏の著書「銃・病原菌・鉄」を想起します。欧州人が米大陸の先住民を容易に征服できたのは、非常に広大なユーラシア大陸にいたからだと主張している。同大陸には多種多様な家畜がいて、人間は家畜由来の多くの感染症に対する免疫を備えるに至った。家畜の種類の少ない米大陸の先住民は免疫が乏しく、欧州から持ち込まれた疫病お犠牲になったー。地理の差が免疫の強弱に結びつき、世界史を大きく変えたのです。

 中国人はいろいろな野生動物を食し、薬として服用している。今回も発生源は野生動物と見られています。日本は地理的に中国に近い。その結果、日本人は中国発の疫病に対し、免疫を備えていたのかもしれません。あるいは交差免疫を作るBCGを接種していたからかもしれません。

 ただ運の良い群の中では日本の対策は遅れ、被害は相対的に大きかったことは確かです。

 米中対立の時代です。私はコロナ禍を通じて歴史的と言える意識の変化が起きていると見ます。

 まず米ソ対立の二〇世紀を振り返ります。一九一七年のロシア革命を経て社会主義・全体主義のソ連が出現した。一方で米国は第二次大戦後、資本主義・自由主義陣営の盟主に。米ソは冷戦に突入し、二つのイデオロギー、二つの政治経済体制が優劣を競い合った。

 米ソは共に人間の可能性を希求する国家でした。二つの希望の星でもあった。二〇世紀は二つのユートピア(理想郷)の争いでした。

 八九年にベルリンの壁が崩壊し、九一年にソ連が解体して、社会主義は敗北します。米国の政治哲学者フランシス・フクヤマ氏は有名な著書「歴史の終わり」でイデオロギーの争いとしての歴史は終わり、世界は自由民主主義体制に収束すると予想したものです。

 冷戦後、米国流の市場任せの資本主義が世界標準になり、日本もその圧力をかなり受けました。

 人間の利己心の追求を放任すれば市場がうまく調整を果たして経済成長をもたらし、貧困層にも恩恵が波及するという思想です。

 しかし米国流は二〇〇〇年のITバブル崩壊の頃から怪しくなり、〇八年の米国発のリーマン・ショックは金融危機を招きます。フランスの経済学者トマ・ピケてぃ氏が著書「21世紀の資本」で指摘したように、米国は〇〇年時点っで人口の一%の高所得者層が全国民所得の二〇%近くを得る、世界で群を抜いた不平等国になっていたのです。

 さて目下の米中対立です。

 中国は発展途上国にとり成長モデルを提示する希望の星でした。コロナ禍で当初は発生源として非難を浴びましたが、強権的な仕組みを発動して感染を抑え込むと成功物語の主人公になる。しかし混乱に乗じて地政学的拡張や香港の締め付けなどの動きをとるに及んで、ディストピア(反理想郷)と見られるようになりました。

 一方の米国は疫病にかかりやすい群に属したことに加えて、対処を誤り、感染者数も死者数も世界最多になってしまった。しかもトランプ大統領の下で国が南北戦争時代のように分断されてしまいました。米国もディストピアとして見られるようになったのです。


2024年6月24日月曜日

20240624 株式会社東京堂出版刊 池内紀著「ドイツ職人紀行」 pp.116-120より抜粋

株式会社東京堂出版刊 池内紀著「ドイツ職人紀行」
pp.116-120より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4490209924
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4490209921

 スズという金属をごぞんじだろうか。漢字では「錫」、金属元素記号ではSnで示される。原子番号というのは何のことかは知らないが、50と表示されている。

 銀色、あるいは水銀色といわれるのにあたるが、よく見ると、ほんの少し青みがかかって色合いに深みがある。性質はよくのびるので、箔にしたりチューブにもできる。使いやすいので金ヘンに容易の「易」があてられたのだろうか。ドイツ語ではZinn、英語のtinと対応している。

 現在ではマレーシアやボリヴィアが主な産地だが、かつてはドイツとチェコの国境の山地でも産出した。そのためドイツでは早くから知られていた。性質が鉛と似ているので、両者を区別して、錫を「白い鉛」、本来の鉛を「黒い鉛」と言ったりした。箔にもチューブにもできるので、鉄や鉛にかぶせられる。黒かったものが、とたんに神々しい白銀色になる。

 そんなところから宗教の儀式のための用具に好んで錫が使われた。聖遺物入れ、水差し、燭台、儀式皿、ロザリオ、メダル・・・。金銀のように注目はひかないが、優れた錫の工芸品が数多く残されている。

 おのずとこの道の名工といわれた人がいた。ドイツ工芸の歴史を述べた本には、十六世紀のころのN・ホルヒハイマーやA・プレイセンジンといった名があげてある。「ドイツ・バロック美術展」などには、きっとまとめて代表作が並んでいるはずだが、その辺りはおおかたの人が素通りして、たいていひとけがない。

 マイセン市のフーゴー・レーマン氏は現代の名工である。つつましい人だから当人はそんなふうには言わないが、マイセンの錫工レーマンといえば、この世界でひろく知られている。レーマン工房の創業は1792年、現当主は七代目。共産党政権下にあっては安価な大量生産が原理であって、一つ一つ丹念につくる手仕事は白い目で見られた。それでもねばり強く工房をつづけてきた。

 創業200年とドイツ統一が、ほぼ一致したのは、我慢してきたゴホービかもしれない。以来、レーマン工房のガラス窓を、晴れやかな「マイセン錫200年」の銀色の文字が飾っている。

 わざわざ「マイセン錫」と断っているのは、知られるようにご当地マイセンは焼き物で有名だからだ。交叉した細い剣がマイセン磁器のマークであって、白く、なめらかな硬質の肌に青で染めつけてある。その世界中に知られたマイセン窯の本場で、200年にわたり錫工芸の伝統を守ってきたわけである。フーゴー・レーマンの先祖たちが、とびきりのガンコ者たちだったことがわかるだろう。

 この分野の名工が十六世紀以後あまり伝わらないのは、錫の効用が変化したからである。技術が進み、宗教や儀式用だけではなく生活具にも使われてきた。錫の性質からして利用しやすく、錆びないし、品のいい銀色をしている。安くつくれるとなると、ひっぱりだこだ。生活に余裕ができてくると、人々はそれまでの鉄器や銅器を錫製品に買い代える。

 古書ではたいてい甲冑師や蹄鉄師のあと、鉢づくりや鈴づくりにまじって錫工が出てくる。手前にズラリと並べてあるのは仕上がりの品だろう。錫の鉢や瓶や水差しや壺は、版画ではわからないが、壺からの明かりを受け、仄かな銀色の輝きを見せていたにちがいない。

火入れして鋳型をつくる

錫職人とはわしがことよ

ビール、ブドー酒には

瓶とコップがつきもの

鉢、盆、皿なんでもござれ

銚子、壺台、水差しときて

燭台、皿受け、ほかにも色々

家庭の入り用、何でもつくる

 名工による工芸品ではなく、職人仕事による生活用具がつくられていたことがわかるのだ。さぞかし注文がひきも切らない状態だったのだろう。こころなしか図に見る三人の職人は、とびきり忙しげだ。並べられた仕上がり品も、すぐさまとぶようにはけていったのではなかろうか。

 錫工の景気のよさを見込んでだろう、十八世紀末に、初代レーマンがマイセンの小山の麓に工房を開いた。町はエルベ川に面しており、船運が通っていた。チェコ国境の山地は同じザクセン王国の領土であって採掘された錫が船で運ばれてくる。たしかにいいところに目をつけた。ただ一つの不運は、同じ小山の上で、べつの技術の開発が進んでいたことである。

 マイセン磁器の誕生は、「剛胆王」とよばれるザクセン国王アウグストが、力づくで錬金術師ヨハーン・ベトガーを山上の工房に閉じこの、磁器の発明を命じたことにはじまる。十八世紀の初め、最初の赤い磁器、つまり赤器が陽の目をみた。ついで白磁に成功。

ベトガーの死後、J・ヘロルトやヨハーン・与アヒム・ケンドラーといった陶工があとを継ぎ、マイセン磁器の声価を高めた。フーゴー・レーマン氏の工房のすぐわきに小山へ登る石段があり、登りつめたところの建物に記念の銘板がつけられていて、そこがかつて名工ケンドラーの住居であったことがわかるのだ。

「どうして磁器のお膝元で錫の仕事場を開いたのでしょう?」

当主にたずねたことがある。マイセンといえば焼き物の町と同義語だ。錫の仕事は場所をずらして初めてもよかったのではなるまいか。

 フーゴー・レーマンさんの意見は明快だった。磁器と錫とは用途がちがう。買い手がかさなることがない。とりわけマイセン磁器は国王の肝入りでつくられ、とびきりの高級品とされてきた、金器銀器と同じく宮殿や邸宅に飾られ、貴族やブルジョアに求められてきた。一方、錫の産物は生活用具であって、人々の暮らしに欠かせない。宮殿の壁よりも居酒屋の棚に合っている。ブルジョアの宴よりも、庶民のお祝いごとに似つかわしい。だからこそ「マイセン錫200年」は、なおのこと意義があるー。

 現フーゴー・レーマンがこんなふうに述べ立てたわけではない。奥の椅子にすわり、風格のある鼻ひげの下にパイプをくわえ、ほんのふたこと、みこと口にしただけである。言外を私が捕捉したまでのこと。

 

2024年6月23日日曜日

20240622 株式会社筑摩書房刊 宮台真司著「終わりなき日常を生きろ オウム完全克服マニュアル」 pp.65‐68より抜粋

株式会社筑摩書房刊 宮台真司著「終わりなき日常を生きろ オウム完全克服マニュアル」
pp.65‐68より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4480033769
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480033765

私たちの社会には、もともと一神教的な神はいない。だからそういう神の前で感じ入る「罪の意識」もあり得ず、他人に指弾されようが「我、これを信ず」と言い続けられるような「内的確かさ」もあり得ない。私たちの社会は「倫理」なき社会だ。倫理の代わりに見いだされるのは、自分の属する共同体のメンバーにとって良きことこそが良きことであると感じるような、共同体のまなざしによって自らを持する「外的確かさ」である。これを「道徳」という。「良心」という、排他的な二つの類型に分割できる。
 しかし、一九五〇年代後半からの団地ブームと並行して急速に進んだ郊外化と人口流動化の高まりは、伝統的なムラの共同性を急速に踏み散らかす。大型家電ブームと米国製テレビドラマブームに沸いたこの時代は、週刊誌では「団地売春」ネタが定番になり、六〇年代に入ると秘密を抱えて生きる人妻が昼メロやピンク映画に登場しはじめる。団地化によってかつての共同性が踏み破られていくにつれて、道徳の母体もまた消えていくことを象徴するシンボリズムである。もちろん売春した主婦は一部に過ぎない。「やさしいママと頼りがいのあるパパと皆から好かれる良い子」からなる団地家族の幻想を生き得たことが、失われた村落的共同体をしばらくの間は埋め合わせ、「母や父を思うととてもできない」「子供を思うととてもできない」という類のしばりを有効に機能させたのである。
 しかし、このような不自然な「家族への内閉化」は長続きするはずもない。実際、八〇年代の高度情報化を通じて、テレビも電話も個室化し、互いがどのようなメディア環境を生きているのかさえ不透明化した。「友だち家族=表面的には平穏無事のバラバラ家族」の中で、主婦や子供たちは、家にも地域にも帰属しない「都市的現実」へと漂い出し、テレクラ主婦として、ブルセラ女子校生として、適応しはじめる。文学者ではなく、私たち自身がかつての良心の「基礎」が消えたことに気づく。私たちは「自由」になったのである。実際そのような自由こそ、私たちが戦後一貫して求めてきたものだった。八〇年代にいたり、パラダイスは実現した。かくして、「倫理なき社会」で「道徳の母体」が消失するとき、「私たちが良心的存在たりうるのはいかにしてか」という問題だけが残った。

2024年6月20日木曜日

20240619 株式会社講談社刊 養老孟司・茂木健一郎・東浩紀著「日本の歪み」pp.105‐108より抜粋

株式会社講談社刊 養老孟司・茂木健一郎・東浩紀著「日本の歪み」pp.105‐108より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4065314054
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4065314050

東 新興宗教の犯罪性が問題になるとすぐに「宗教がダメだ」という論調になるのは、逆に宗教についての考えが貧しいことの表れだと思います。日本では人の心を安定させるシステムがうまく機能していないので、「娯楽産業」という名のもとに変な商売が大量に作り出されている。だれも知らないアイドルに何百万もつぎ込むのがよしとされているような文化は、ふつうに考えて異様です。そういった歪んだ部分が「クールジャパン」と呼ばれる面白い部分を作り出しているのも事実なのでしょうけど、長続きはしないと思います。

茂木 いわゆる自己肯定感が低いことも共通の基盤があるんでしょうね。本当の意味で自分の個性を受け入れることができないから、表層的な文化で右往左往する。それが日本の魅力であると同時に、本質的な限界になっています。

養老 宗教の問題は前から気になっていました。学生運動が落ち着いた後も、学生たちはしょっちゅうケンカをしていて、大体全共闘、創価学会、統一教会(原理研究会)の三つのグループが対立する。どうしたもんかと思って、当時、駒場にあった統一教会の寮に行ってみたことがあります。信者の女性が食事の世話なんかをしていました。どういう子が集まっているのかと思ってみてみると、公に相談ができにくい事情を持っている子たちなんです。親がゲリラ組織にいるとか、ごく一般の学生とはうまく話ができないような複雑な背景をもった子たちが集まっていた。

 オウムの問題なんかもあって、ずっと「古い宗教が安心だ」と言ってきたけど、そのわりにお坊さんがサボってししないか。コンビニより寺の数が多いと言われるのに、ぜんぜん機能しているように見えない。

東 そもそも「人の悩みを聞く人」が少ないという問題かな、と思います。人が人に真面目に悩みを話す、それを聞く、というまともなコミュニケーションの場があまりに少なく、表面的な社交ばかりしている気がする。

茂木 八百万の神はいい部分も多いけど、神の敷居が低いということでもあって、いろんなことが「神化」しやすいという問題もありますよね。

東 そうかもしれません。「プチ神」みたいなのが多いですよね。

茂木 「ひろゆき」を神化してしまうような脆弱なメンタリティは何だろうと思います。ひろゆきさん本人は、むしろ謙虚だし、自分の限界もわかっている。もちろん卓越している点もあるわけですが。

東 彼ら自身はむしろ強いと思っているのでしょう。ひろゆきさんと同一化することで心の穴が満たされ、現実の悩みをやり過ごすことができる。それは若さゆえの強がりであったことに、四〇代、五〇代になって気付くのかもしれない。

 日本では悩み相談みたいなものもコンビニ化していて、ちょっと寂しいときに時間を潰せる「元気をくれるサプリメント」みたいなコンテンツがたくさんある。僕自身、かつてポストモダン社会ではそういうものが機能するはずだと考えていたこともあるのですが、現実はそうではなかったですね。

養老 戦争後の脳天気な転換もそうですね。うまくいくだろう、という感じでやってきたけど、歪みがいろいろ出てきた。こっちはそれをずっと抱えてこの歳まで生きてきたけど、それでも何ができたわけでもなくて、満州からの引き揚げ者が同級生に三人もいたことすら今になって知りました。彼らはどうやって戦争のトラウマを片付けてきたのだろうと思いますが、今更、何も言わないでしょうね。この社会はそういう問題に蓋をしたまま、コンビニ的なサービスで間に合わせてきたんですから。

東 戦争については、九〇年代くらいまでは社会の中に戦争経験者が現役でいたので、いまとはまったく語り方が違っていたと思います。でも彼らが死んでしまうと、戦争の記憶がバーチャル化してしまって、戦争の話は生々しい人間の話ではなく、データを組みあわせて作る物語になってしまう。

茂木 その話はまさに歴史実証主義の限界を示していると思います。残った記憶だけでその人がどういう人だったか、この事件が何だったかなんてわかるわけない。たまたまそれが残っているだけかもしれないし、立場によって見えるものは違うわけです。歴史実証主義の「ドキュメンテーションがないものは信じない」という態度は、まさに東さんの言った、人の経験はそれ自体が本来は重要なのに、死んでしまうと残された「データ」だけが参照されて、経験への想像力がなくなるという問題とつながっているように思います。

2024年6月18日火曜日

20240618 岩波書店刊 岩波現代文庫ウンベルト・エーコ 著 和田忠彦 訳「永遠のファシズム」pp.50-52より抜粋

岩波書店刊 岩波現代文庫ウンベルト・エーコ 著 和田忠彦 訳「永遠のファシズム」pp.50-52より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4006003889
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4006003883

2 伝統主義は〈モダニズムの拒絶〉を意味の内にふくんでいます。ファシストもナチスもテクノロジーを賛美しましたが。伝統主義思想家は、テクノロジーを伝統的精神価値の否定であるとして拒否するのがふつうです。いずれにせよ、ナチズムが産業振興を誇っていたとしても、その近代性賛美は、〈「血」と「土」Blut und Boden〉に根ざしたイデオロギーの表面的要素でしかありませんでした。近代世界の拒絶が、資本主義的生活形態の断罪というかたちで擬装されていたわけですが、その主眼は一七八九年(もしくは明らかに一七七六年)精神の拒絶にあったのです。啓蒙主義や理性の時代は、近代の堕落のはじまりとみなされるのです。この意味において、原ファシズムは「非合理主義」であると規定することができます。

3 非合理主義は〈行動のための行動〉を崇拝するか否かによっても決まります。行動はそれ自体すばらしいものであり、それゆえ事前にいかなる反省もなしに実行されなければならないというわけです。思考は去勢の一形態とされるのです。したがって〈文化〉は、批判的態度と同一視される〈いかがわしい〉ものとされます。ゲッペルスの言葉としてつたえられる「〈文化〉と聞いたとたん、わたしは拳銃を抜く」という発言から、「インテリの豚野郎」「ラディカル・スノッブ」「大学はコミュニストの巣窟だ」といった頻繁に使われる言い回しにいたるまで、知的世界に対する猜疑心は、いつも原ファシズム特有の兆候です。ファシスト幹部知識人たちは、伝統的諸価値を廃棄した自由主義インテリゲンツィアと近代文化を告発することに、ことさら精力を傾けてきました。

4 いかなる形態であれ、混合主義というものは、批判を受け入れることができません。批判精神は区別を生じさせるものです。そして区別するということは近代性のしるしなのです。近代の文化において、科学的共同体は、知識の発展の手段として、対立する意見に耳を貸すものです。原ファシズムにとって、意見の対立は裏切り行為です。

5 意見の対立はさらに、異質性のしるしでもあります。原ファシズムは、ひとが生まれつきもつ〈差異の恐怖〉を巧みに利用し増幅することによって、合意をもとめ拡充するのです。ファシズム運動もしくはその前段階的運動が最初に掲げるスローガンは「余所者排斥」です。ですから原ファシズムは、明確に人種差別主義なのです。

6 原ファシズムは、個人もしくは社会の欲求不満から発生します。このことから、歴史的ファシズムの典型的特徴のひとつが、なんらかの経済危機や政治的屈辱に不快を覚え、下層社会集団の圧力に脅かされた結果、〈欲求不満に陥った中間階級へのよびかけ〉であったことの理由が説明できます。かつての「プロレタリアート」が小市民になりつつある(しかも「ルンペンプロレタリアート」がみずから政治の舞台から身を退いた)現代にあって、ファシズムが聴衆としてたのむのは、このあたらしい多数派なのです。

7 いかなる社会的アイデンティティももたない人びとに対し、原ファシズムは、諸君にとって唯一の特権は、全員にとって最大の共通項、つまりわれわれが同じ国に生れたという事実だ、と語りかけます。これが「ナショナリズム」の起源です。さらに、国家にアイデンティティを提供しうる比類なき者たちは、敵と目されることになります。こうして原ファシズムは、その心性の根源に〈陰謀の妄想〉(それも国際的な陰謀であることが望ましいわけですけれど)を抱え込んでいるのです。この妄想に、信奉者たちが取り憑かれないわけがありません。この陰謀を明るみに出すいちばん手っ取り早い方法は、〈外国人ぎらい〉の感情に訴えることです。ですが陰謀は内部からもめぐらされているはずです。そこで、内部にも外部にも同時に存在することの利点をもっているからという理由で、しばしばユダヤ人最高の標的とされるのです。
 

2024年6月17日月曜日

20240617 株式会社筑摩書房刊 J.G.フレイザー著 吉川信訳「初版 金枝篇 上巻 pp.163-166より抜粋

株式会社筑摩書房刊 J.G.フレイザー著 吉川信訳「初版 金枝篇 上巻 pp.163-166より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4480087370
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480087379

 初期の社会においては、しばしば王や祭司が、超自然的な力を与えられている、もしくは神の化身であると考えられていた。その結果、自然の成り行きは多かれ少なかれ王や祭司の支配下にあるとみなされ、そのため王や祭司は、悪天候や穀物の不作やその他同類の惨禍の責任を負わされる。ここまでのところでは、王の自然に対する力は、臣民や奴隷たちに対する力と同じように、明確な意志によって行使される、と仮定されているように見える。それゆえ、旱魃や疫病や嵐が起これば、人々はこの災いを、彼らの王の怠慢もしくは罪であるとし、王にしかるべき罰を下す。鞭打ちや縛めという罰の場合もあれば、改悛の兆しが見られないと、廃位や死の罰が下される場合もある。だがときには、自然の成り行きが、なるほど王に依存しているとはみなされても、部分的には王の意志から独立していると考えられる場合もある。王の人格は、こう言ってよければ、宇宙のダイナミックな力の中心と考えられており、そこから放たれる力の放物線は、天空のあらゆる方角へと伸び広がってゆくものである。このため彼の動きはいかなるものであれーたとえば掌を返したり、片手を上げたりという動きはー即座に、自然の一部に影響を及ぼし、これに深刻な被害をもたらすかもしれない。王は、世界のバランスがその上で保たれている、支柱の先端なのであり、彼の側にわずかな歪みが生じれば、微妙に保たれている均衡は崩れてしまう。それゆえ王は最大の注意を払い、また王に対しても最大の注意が払われなければならない。王の全生命は、もっとも微細な部分に至るまで統制の取れたものでなければならず、そのため彼の振る舞いは、それが自発的なものであれ不本意なものであれ、確立されている自然の秩序を、乱しあるいは転覆させる可能性がある。この類に属する君主の典型が、日本の霊的な皇帝「ミカド」もしくは「ダイリ」である。これは神々や人間を含んだ全宇宙を支配する、太陽の女神の化身である。一年に一度、すべての神々はこの皇帝に表敬訪問し、その宮廷で一カ月を費やす。その一カ月は「神無し」という意味の名で呼ばれ(もちろん神無月のことである)、どの寺院にも神々は不在と考えられるので、だれも寺院(神社)に詣でることはない。

 以下は「ミカド」の生活様式についておよそ二百年前に記述されたものである。

 「今日でさえ、この一族の血を引く皇子たちは、生きながらにしてもっとも神聖な人間とみなされ、また生まれながらの法皇とみなされる。これが玉座につく皇子である場合はなおさらそうである。また、このような有利な概念を臣民の心に抱かせておくために、この聖なる人間たちに対しては尋常ならざる配慮がなされねばならず、他国の慣習に照らして考えてみるならば、愚かで見当違いとも思われるほどのことを行うのが義務づけられている。二、三の例を挙げておくのがよいだろう。彼は、自分の足を地面につけることが、自分の権威と聖性を大いに侵害するものであると考えている。このため、どこへ外出するにも、男たちの肩に乗せて運ばれなければならない。ましてや、戸外の空気にこの聖なる人間を曝すなどもってのほかであり、日の光はその頭に降り注ぐ価値などないと考えられている。身体のあらゆる部分に聖性が宿ると考えられているため、あえて髪を切ることも髭を剃ることも爪を切ることもしない。しかしながら、あまりに不潔にならないよう、彼は夜眠っている間に体を洗われる。なぜなら、眠っている間に身体から取り去られたものは、盗まれたものであって、そのような盗みは、その聖性や権威を害することにはならないからである。太古の時代には、彼は毎朝数時間玉座についていなければならなかった。皇帝の冠をかぶり、ただ像のようにじっと座っている。手足も頭も目も、それどころか身体のいかなる部分も動かすことはない。これは、自らの領土の平和と安定を保つことができるのは彼自身と考えられたからで、不運にも体の向きをどちらかに向けたりすれば、あるいはまた領地のいずこかの方角を長時間眺めていれば、国を滅ぼすほどの不作や大火もしくはなんらかの大きな災いが間近に迫っている、と解釈されたからである。しかしその後、守護神は皇帝の冠であり、その不動性が領土の平和を保つという新たな解釈がなされたため、皇帝の身体のほうは煩わしい義務から解放し、怠惰と快楽のみに捧げられるのが得策である、と考えられるようになった。それゆえ現在では、冠が毎朝数時間、玉座の上に置かれる。食物は毎回新しい鍋で調理され、新しい皿で食卓に並べられる。鍋も皿もこざっぱりとした清潔なものだが、平凡な陶器に過ぎない。これは、一度使われただけで捨てられ、あるいは割られるからで、さほどの出費にならないようにである。俗人の手に渡ることを恐れるので、大概は割られる。というのも、万一俗人がこの聖なる皿で食事をしようものなら、食物はその俗人の口と喉を腫れ上がらせてしまうと、本気で信じられているからである。ダイリの神聖な衣服についても、同様の悪しき力が宿ると恐れられている。皇帝がはっきりと許可や命令を下していないときに俗人がこれを身につければ、俗人は体のあらゆるところが腫れ上がり、痛みだす」。ミカドに関するさらに古い記述も、同様の趣旨で以下のように述べている。「彼が地面に足をつけることは、不面目きわまる零落と考えられた。太陽と月は彼の頭上を照らすことさえ許されなかった。身体から出る余分なものも、彼の場合は一切取り除かれることなく、髪も髭も爪も切られることはなかった。彼が食べるものは何でも、新しい器で調理された」。

2024年6月12日水曜日

20240612 株式会社東京堂出版刊 池内紀著「ドイツ職人紀行」 pp.90-92より抜粋

株式会社東京堂出版刊 池内紀著「ドイツ職人紀行」
pp.90-92より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4490209924
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4490209921

書店とのかかわりからレクトゥーア(Lektor)のこともお伝えしておく。辞書には「(出版社において主として原稿審査を担当する)編集者」といった訳語がついているのではなかろうか。「原稿審査員」などとも出ている。わが国の出版界には見ない職種であって、それは彼らの特権からも見てとれる。

毎日、出社する義務がない。

刊行本に自分の名前を明示できる。

なかなかの高給取りである。

新しい才能の登場には陰に陽にレクトゥーアの存在があずかっている。文学や思想の産婆役であって、才能発掘の請負人、ときにはセンセーションの仕掛け人ともなる。だからといって、ベストセラーばかりねらっている人ではない。

トーマス・マンもレクトゥーアの返事には一喜一憂した。注意を受けた個所は書き直した。ブレヒトは人間関係でいろいろ問題を起こした人だが、レクトゥーアとの関係は終始おだやかに維持していた。ノーベル賞作家ギュンター・グラスは、若年期の経歴を自伝で公表するにあたり、誰よりもまずレクトゥーアに相談しただろう。問題の箇所の叙述にしても、大いに相談役のアドバイスを参考にしたにちがいない。

 たしかトーマス・ベッカーマンといったが、むかし、私が勤めていた大学に外国人講師としてやってきた。私はたまたま、彼がレクトゥーアとしてつくった本を読んでいて、そのことを言うと、目を丸くした。あの作家は今、どうしているとたずねると、伸び悩んでいると遠回しに答えた。

 30代半ばで、童顔で、背広よりもジャンパーが似合った。当人も背広にネクタイは苦手のようだった。大学で教えるかたわら、学会で新しいドイツの文学をめぐって講演をした。しかし、さして日本の大学に関心がなく、感銘もなかったのだろう。2年ばかりして、さっさとドイツに帰ってしまった。

 何年かして、ドイツの老舗の出版社のレクトゥーアになった。由緒ある文芸誌の編集長をつとめ、「ベッカーマン編集」と扉にうたったシリーズが出はじめた。

 世の中には、こういう人もいる。鋭い文学センスをもっているが、自分では書かない。自分の本ではなく、他人の本をつくる。才能を見つけ出すのもまた才能である。