2024年6月17日月曜日

20240617 株式会社筑摩書房刊 J.G.フレイザー著 吉川信訳「初版 金枝篇 上巻 pp.163-166より抜粋

株式会社筑摩書房刊 J.G.フレイザー著 吉川信訳「初版 金枝篇 上巻 pp.163-166より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4480087370
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480087379

 初期の社会においては、しばしば王や祭司が、超自然的な力を与えられている、もしくは神の化身であると考えられていた。その結果、自然の成り行きは多かれ少なかれ王や祭司の支配下にあるとみなされ、そのため王や祭司は、悪天候や穀物の不作やその他同類の惨禍の責任を負わされる。ここまでのところでは、王の自然に対する力は、臣民や奴隷たちに対する力と同じように、明確な意志によって行使される、と仮定されているように見える。それゆえ、旱魃や疫病や嵐が起これば、人々はこの災いを、彼らの王の怠慢もしくは罪であるとし、王にしかるべき罰を下す。鞭打ちや縛めという罰の場合もあれば、改悛の兆しが見られないと、廃位や死の罰が下される場合もある。だがときには、自然の成り行きが、なるほど王に依存しているとはみなされても、部分的には王の意志から独立していると考えられる場合もある。王の人格は、こう言ってよければ、宇宙のダイナミックな力の中心と考えられており、そこから放たれる力の放物線は、天空のあらゆる方角へと伸び広がってゆくものである。このため彼の動きはいかなるものであれーたとえば掌を返したり、片手を上げたりという動きはー即座に、自然の一部に影響を及ぼし、これに深刻な被害をもたらすかもしれない。王は、世界のバランスがその上で保たれている、支柱の先端なのであり、彼の側にわずかな歪みが生じれば、微妙に保たれている均衡は崩れてしまう。それゆえ王は最大の注意を払い、また王に対しても最大の注意が払われなければならない。王の全生命は、もっとも微細な部分に至るまで統制の取れたものでなければならず、そのため彼の振る舞いは、それが自発的なものであれ不本意なものであれ、確立されている自然の秩序を、乱しあるいは転覆させる可能性がある。この類に属する君主の典型が、日本の霊的な皇帝「ミカド」もしくは「ダイリ」である。これは神々や人間を含んだ全宇宙を支配する、太陽の女神の化身である。一年に一度、すべての神々はこの皇帝に表敬訪問し、その宮廷で一カ月を費やす。その一カ月は「神無し」という意味の名で呼ばれ(もちろん神無月のことである)、どの寺院にも神々は不在と考えられるので、だれも寺院(神社)に詣でることはない。

 以下は「ミカド」の生活様式についておよそ二百年前に記述されたものである。

 「今日でさえ、この一族の血を引く皇子たちは、生きながらにしてもっとも神聖な人間とみなされ、また生まれながらの法皇とみなされる。これが玉座につく皇子である場合はなおさらそうである。また、このような有利な概念を臣民の心に抱かせておくために、この聖なる人間たちに対しては尋常ならざる配慮がなされねばならず、他国の慣習に照らして考えてみるならば、愚かで見当違いとも思われるほどのことを行うのが義務づけられている。二、三の例を挙げておくのがよいだろう。彼は、自分の足を地面につけることが、自分の権威と聖性を大いに侵害するものであると考えている。このため、どこへ外出するにも、男たちの肩に乗せて運ばれなければならない。ましてや、戸外の空気にこの聖なる人間を曝すなどもってのほかであり、日の光はその頭に降り注ぐ価値などないと考えられている。身体のあらゆる部分に聖性が宿ると考えられているため、あえて髪を切ることも髭を剃ることも爪を切ることもしない。しかしながら、あまりに不潔にならないよう、彼は夜眠っている間に体を洗われる。なぜなら、眠っている間に身体から取り去られたものは、盗まれたものであって、そのような盗みは、その聖性や権威を害することにはならないからである。太古の時代には、彼は毎朝数時間玉座についていなければならなかった。皇帝の冠をかぶり、ただ像のようにじっと座っている。手足も頭も目も、それどころか身体のいかなる部分も動かすことはない。これは、自らの領土の平和と安定を保つことができるのは彼自身と考えられたからで、不運にも体の向きをどちらかに向けたりすれば、あるいはまた領地のいずこかの方角を長時間眺めていれば、国を滅ぼすほどの不作や大火もしくはなんらかの大きな災いが間近に迫っている、と解釈されたからである。しかしその後、守護神は皇帝の冠であり、その不動性が領土の平和を保つという新たな解釈がなされたため、皇帝の身体のほうは煩わしい義務から解放し、怠惰と快楽のみに捧げられるのが得策である、と考えられるようになった。それゆえ現在では、冠が毎朝数時間、玉座の上に置かれる。食物は毎回新しい鍋で調理され、新しい皿で食卓に並べられる。鍋も皿もこざっぱりとした清潔なものだが、平凡な陶器に過ぎない。これは、一度使われただけで捨てられ、あるいは割られるからで、さほどの出費にならないようにである。俗人の手に渡ることを恐れるので、大概は割られる。というのも、万一俗人がこの聖なる皿で食事をしようものなら、食物はその俗人の口と喉を腫れ上がらせてしまうと、本気で信じられているからである。ダイリの神聖な衣服についても、同様の悪しき力が宿ると恐れられている。皇帝がはっきりと許可や命令を下していないときに俗人がこれを身につければ、俗人は体のあらゆるところが腫れ上がり、痛みだす」。ミカドに関するさらに古い記述も、同様の趣旨で以下のように述べている。「彼が地面に足をつけることは、不面目きわまる零落と考えられた。太陽と月は彼の頭上を照らすことさえ許されなかった。身体から出る余分なものも、彼の場合は一切取り除かれることなく、髪も髭も爪も切られることはなかった。彼が食べるものは何でも、新しい器で調理された」。

2024年6月12日水曜日

20240612 株式会社東京堂出版刊 池内紀著「ドイツ職人紀行」 pp.90-92より抜粋

株式会社東京堂出版刊 池内紀著「ドイツ職人紀行」
pp.90-92より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4490209924
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4490209921

書店とのかかわりからレクトゥーア(Lektor)のこともお伝えしておく。辞書には「(出版社において主として原稿審査を担当する)編集者」といった訳語がついているのではなかろうか。「原稿審査員」などとも出ている。わが国の出版界には見ない職種であって、それは彼らの特権からも見てとれる。

毎日、出社する義務がない。

刊行本に自分の名前を明示できる。

なかなかの高給取りである。

新しい才能の登場には陰に陽にレクトゥーアの存在があずかっている。文学や思想の産婆役であって、才能発掘の請負人、ときにはセンセーションの仕掛け人ともなる。だからといって、ベストセラーばかりねらっている人ではない。

トーマス・マンもレクトゥーアの返事には一喜一憂した。注意を受けた個所は書き直した。ブレヒトは人間関係でいろいろ問題を起こした人だが、レクトゥーアとの関係は終始おだやかに維持していた。ノーベル賞作家ギュンター・グラスは、若年期の経歴を自伝で公表するにあたり、誰よりもまずレクトゥーアに相談しただろう。問題の箇所の叙述にしても、大いに相談役のアドバイスを参考にしたにちがいない。

 たしかトーマス・ベッカーマンといったが、むかし、私が勤めていた大学に外国人講師としてやってきた。私はたまたま、彼がレクトゥーアとしてつくった本を読んでいて、そのことを言うと、目を丸くした。あの作家は今、どうしているとたずねると、伸び悩んでいると遠回しに答えた。

 30代半ばで、童顔で、背広よりもジャンパーが似合った。当人も背広にネクタイは苦手のようだった。大学で教えるかたわら、学会で新しいドイツの文学をめぐって講演をした。しかし、さして日本の大学に関心がなく、感銘もなかったのだろう。2年ばかりして、さっさとドイツに帰ってしまった。

 何年かして、ドイツの老舗の出版社のレクトゥーアになった。由緒ある文芸誌の編集長をつとめ、「ベッカーマン編集」と扉にうたったシリーズが出はじめた。

 世の中には、こういう人もいる。鋭い文学センスをもっているが、自分では書かない。自分の本ではなく、他人の本をつくる。才能を見つけ出すのもまた才能である。

2024年6月11日火曜日

20240610 中央公論新社刊 鈴木和男著「法歯学の出番です」ー事件捜査の最前線ーpp.32-34より抜粋

中央公論新社刊 鈴木和男著「法歯学の出番です」ー事件捜査の最前線ー
pp.32-34より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4122013321
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4122013322

「目は、口ほどに物を言い」と昔から言われる。しかし、歯もまた「口ほどに物を言う」のである。もっとも「明眸皓歯」と美人の要素として、歯もまた目と同列に扱われてはきた。だから、歯もまた「目ほどに」物を言っても不思議ではない。

 いや、それどころか「歯」は「目」以上にその人の生きざまのすべてを語る履歴書でもある。歯は生まれる前から母の胎内で形造られつつあり”オギャー”と産声をあげて数カ月たつと可愛い顔をのぞかせる。でもよほどの注意を払わないとムシ歯にやられる。この頃の歯は、歯そのものも決して強く丈夫なものではなく、われわれをとりまく外界そのものの厳しさがムシ歯になる大きな原因となっている。

 ムシ歯になると当然”痛み”が襲ってくる。そして歯科医の門を叩く。歯科医では治療のために「除去」と「充填」が行われる。つまり、悪いところを取り除き、金、銀、合金、アマルガム、セメントレジンなどで穴をふさいで補充するなどの作業が加えられるのだ。そのうちに、この歯は自然に抜け落ちる運命をたどり、交代して真珠のような美しさと体内随一の硬さ、強さをもった大人の歯が与えられることになる。

 美しく、硬い強い歯になってからも、歯の受難の歴史は続く。いわばその人の「履歴書」が、歯に刻み込まれていくのである。

 ほとんどの女性は口紅をつける。あわてんぼうや粗忽な人は、唇を通りこして歯の表面までピンク色にしたりする。その口紅も千差万別の物質から成っている。そのうちに結婚する。異性との交渉や出産などもあって、体質も変わってくることだろう。また、環境の変化にともなって、食物や好みも変わり、行動範囲も広がることによって、ゴミあり、寄生虫あり、化学物質ありーというわけで、歯は迫害を受けながらも、健気な頑張りを続けていく。と同時に、その人の履歴書も克明に印していくわけだ。

 ときには、入れ歯の支えがゆるんで、涙を流すこともある。歯医者に行ったら、歯槽膿漏だと言われた。もう年かな、あるいは手入れが悪かったのかな・・などと思っていたら歯が抜けた。やれやれ、また入れ歯がふえた。こうして人体の暦は、まず歯から現れてくる。さて、私はこの歯からの年齢、性別、血液型、職業、容姿、生活態度、出身地、教養程度などまでわかりはしないか、たとえ真っ黒こげになった人間の体からでも、こうしたことがつかめないか、というわけで、法歯学(歯科法医学)の研究を続けている。いまのところその考えは、だいたい間違っていないようだ。

 もっとも、こうした歯からその人間の生きざまを読もうという考えは、何も私が考え出したことではない。

 古くは、旧約聖書でもみられるといわれるし、一八六五年のリンカーン大統領暗殺事件や、後述する一八七九年のナポレオン皇子事件にも応用されている。また、日本でも歯が法医学的に用いられた歴史は江戸時代からみられる。

 といっても「歯科法医学」と銘打って、学問的にとりあげられたのは、明治二十八年(一八九五)、広瀬武次郎高山歯科医学院講師によってであり、そう古いことではない。また、明治三十三年(一九〇〇)、東京歯科医学院と改称された高山歯科医学院で、野口英世博士が「歯科法医学」の名で講義し、それが講義録として出版されている。

 この東京歯科医学院は、現在の東京歯科大学であって、日本でいちばん古い伝統を持ち、当時では唯一の歯科医学校だった。

2024年6月9日日曜日

20240609 和歌山県での銅鐸出土傾向からの仮説

銅鐸は中国大陸、朝鮮半島での鐘(鐸)や鈴、あるいはそれらの系譜を引く、我が国の弥生時代中期から末期(紀元前5世紀頃~紀元2世紀末)まで主に西日本で用いられた青銅製の祭器である。

これまでに銅鐸は我が国全土で500点(口)ほど出土しており、それらの出土地域や状況などから、銅鐸は主として農耕に関連する祭祀に用いられていたと考えられており、出土状況の傾向としては、集落に近い里山の山頂近くの比較的平坦な斜面での出土例が相対的に多いと云える。

銅鐸は鐘身を吊り下げるための通し穴がある部位の「紐」、そして鐘本体である「身」、そして鐘身に装飾として洗練された鋳バリとも云える「鰭」により構成される。また、前述「紐」部位の矢状断での形状によって様式分類がされることもあり、様式の古い順から述べると、断面の形状が菱形に近い「菱環紐式」、その次に、この「菱環紐式」の外縁が平坦に延長された紐断面の「外縁紐式」、次いで、通し穴を用いて吊るし、鳴らす用途が乏しくなったためであるのか、「紐」部の強度を考慮せずに「紐」が大型化して、その断面が平坦になった「扁平紐式」、そして次に大型化した「紐」や「鰭」部に、立体の区分け線がある「突線紐式」へ、といった様式の変化が看取される。

また「紐」部でなく「身」についても時代毎での様式の変化があり、ごく当初は、装飾が乏しく祖型である大陸や半島での鐘や鈴に近いものであったのが、経時的に大型化して、そして鐸身面積も広くなり、そこに縄文時代以来の流水文や蕨手文などの装飾が施され、さらに鐸身全体には縦横の線が走り、それにより区分けされた区画に、人や動物などを題材とした装飾も描かることもあり、概して銅鐸は、その祖型から時代を経る毎に、大型化、高装飾化していったと云える。ともあれ、こうした装飾や線による文様の様式からも、さきの「紐」同様に様式分類される。さらに、そうした分類から、銅鐸祭祀集団や、それら銅鐸の作製集団の時代毎での変化の様相なども看取され得る。

さて、上記のような銅鐸の様式分類を視座として和歌山県での出土銅鐸の様相を検討すると、先ず第一に和歌山県は全国的に銅鐸の出土数が多く、前述の全国で500点のうち、伝聞を含めると40点以上が和歌山県での出土である。そして県内での銅鐸出土の様相は、県北部には最古段階ではないものの、比較的簡素で、大型とは云えない「外縁紐式」や「扁平紐式」の様式を持つ銅鐸の出土が相対的に多く、対して県南部では、そこから時代が下り大型化・高装飾化した「突線紐式」銅鐸の出土が相対的に多いと云える。こうした県内での銅鐸出土状況から、県南部では、新式とも云える「突線紐式」銅鐸が作製される時代になってから銅鐸祭祀が受容されたと考えられているが、そのほかには和歌山県を含む西日本で、弥生時代中・後期を通じて多く見受けられる高地性集落の動向と銅鐸出土の分布が関連するといった見解もある。それは、先述の県北部では、比較的古段階と云える「外縁紐式」や「扁平紐式」の銅鐸の出土が主であるが、それらの多くは丘陵部からの出土であり、対して県北部での新式の「突線紐式」は、河川の近くなどの平野部からの出土が多い。そして、この傾向は中紀の日高川流域にまで共通する。

そして、さらに銅鐸出土地を求めて南下すると、南高梅で有名なみなべに至り、ここでは、さきの傾向から一変して、新式の「突線紐式」を主とする銅鐸全てが丘陵地からの出土となり、そして、この傾向は、南紀の富田川流域にまで共通する。そこから、さらに南下すると紀伊半島最南端を経て半島東側の新宮市の経塚遺跡にて破砕された新式「突線紐式」様式銅鐸の破片20点ほどが出土しているが、これは名前(経塚)が示すとおり、後代の遺跡と混交しており、その埋納の来歴は、他の県内出土銅鐸のそれとは異なるものと考える。

ともあれ、そこから、紀ノ川流域の紀北から日高川流域の中紀までの地域と、南下した南部川流域のみなべ町から富田川流域の南紀までの地域では、新式である「突線紐式」銅鐸の出土地の傾向が異なり、前の県北部地域では、河川近くなどの平野部からの出土であり、後の南部地域では、丘陵地での出土となる。そして、この県南北での「突線紐式」銅鐸の出土傾向の相違は、弥生時代中・後期に出現する高地性集落が営まれた時期と関連し、端的に県北部では、高地性集落を営む必要性が比較的早くに失われ、住民は水稲耕作に適した平地に戻り、そして、それに伴い銅鐸も平地に戻され、その後、何らかの理由により銅鐸祭祀自体が廃されて、そして埋納されたといった推移の様相が考えられる。それに対して県南部では、銅鐸祭祀が廃されるまでのより長い期間、高地性集落が営まれ、そのため、その埋納も集落に近い丘陵地や山頂付近の山腹といった立地になったと考えられる。

しかし、これらもまた現時点ではあくまでも仮説であり、今後、何らかの新たな発見、出土などにより、当仮説もまた変化する可能性がある。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!





一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。





2024年6月4日火曜日

20240603 以前に作成した文章の中にあるものについて

先月5月末に当ブログの総投稿記事数が目標としていた2200に到達したことから、現在、当ブログは休止中ではありますが、ブログ自体は止めたわけではありませんので、時々はこのように新規での記事作成・更新は行います。

また、今月の22日には当ブログ開設から丸9年となりますので、それまでには、また、ある程度は引用記事も含めて更新したいと考えています。引用記事のネタに関しては、まだストックは十分にあり、当ブログ作成に用いているPCの周囲に、平置きで20~30㎝の高さに積まれたものが5つほどあります。これらは、手に取り、しばらく頁を繰ってみますと、大抵は自分なりに興味深いと思われる記述に当たりますので、この偶然による書籍の選択もまた、それなりに面白いものがあると云えます。

書籍と云えば、先日アレクシ・ド・トクヴィルによる「旧体制と大革命」を読了し、現在はまた、新たな著作を何冊か読み進めていますが、これらも読了に至るまでには、それなりに期間を要することが見込まれます。そして、そのうちの一つがまたトクヴィルによる著作なのですが、こちらもさきに読了したものと同様に興味深いものがあり、おそらく、多少難儀するでしょうが、どうにか読了にまで至ることが出来ると考えています。

そうしたこともあり、引用記事のネタは、更に増えていくわけですが、これに基本となる自らによる更新記事分(予定)を追加しますと、前述の来る6月22日に迎える当ブログ開設丸9年以降も、さらに1年間ほどは、ブログを継続することが可能であると考えます。そうしますと、未だ先のハナシではありますが、10年の継続も、そこまで困難ではないようにも思われてきます。

ネット情報によると、ブログ継続期間の割合は3年間で3%ほどとのことであり、現在の9年近くであっても長期間であり、さらに桁が異なる10年間となりますと、それなりに「頑張った」と云えるのではないかとも思われます・・。

そこから、当ブログ開設当初の頃を思い返してみますと、何人かの周囲の方々に勧められ、そのうちの一人の方から「修士論文で書いたことを整理して加筆修正や関連する文章を作成すれば、しばらくは継続出来ますよ。」とのアドバイスを頂き、実施したところ、たしかに当初の数カ月はそれでどうにかなり、さらに、それらを作成する過程で、また関連する題材が思い出されて、なかば備忘録としてブログにて引用記事を作成したところ、徐々に興に乗ったてきたのか、さらに、さきの方々との会話の様子などを対話記事として作成出来るようになり、今度は2016年のある時に、助走の後の離陸のように独白形式の文章を作成出来るようになっていました。そして、その後は紆余曲折やスランプを経て、どうにか現在に至っているのですが、そこから考えますと、2015年に頂いたアドバイスはかなり的確であったのだと云えます。このアドバイスをされた方とは、その後、現在に至るまで、年二回、お目に掛かる機会がありますが、直近のそうした機会に「あのアドバイスは良かったと思います。どうもありがとうございます。しかし、なぜ、そのようなアドバイスをされたのですか?」との主旨の質問をしたところ「いや、修士論文で書いたことは、その後の研究の基礎になりますからね。それに、修士論文は何といいますか、子供の頃からのその人の興味のエネルギーが詰っているものですから、その後、色々と迷った時に見返してみると、そこから色々なアイデアの種が見つかるのだと思います。」といったお返事を頂きました。

たしかに、このお返事には刺さるものがあり、当時、作成した修士論文は、稚拙ながらも私としては、それなりに努力を積み重ねたものであり、また、その題材のうちの一つであった銅鐸については、当ブログ当初での加筆修正などで思い出されたのか、現在に至るまで断続的にではあれ、これを題材として記事や引用記事の作成をしていますので、こちらも的確であったと云えます。そして、その記憶からはじまって次の鹿児島での記憶も励起され、それを題材として、ブログ記事を作成することが出来るようになったことは、当ブログのみならず、それを作成した自分にとっても、それなりに良い効果を持っていたのではないかと思われるのです。とはいえ、今しばらくは基本的に作成は休みますが、来る22日に当ブログ開始から丸9年になるまで、時々は更新したいと考えていますので、引続き、どうぞよろしくお願いいたします。そして、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!


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2024年5月28日火曜日

20240528 株式会社 河出書房新社 三島由紀夫著 対談集「源泉の感情」pp.129‐131より抜粋

株式会社 河出書房新社 三島由紀夫著 対談集「源泉の感情」pp.129‐131より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309407811
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309407814

野坂 昔の戦争はえらくロマンチックで、弾丸が飛んでも、敵はだれかわかるわけだけど、今のベトナムのナパーム弾もそうだろうけど、僕ら空襲のとき、雲の上から何か落ちてくる、どこからくるかわからない。どうにもならない。現代の戦争というのは、そういうものでしょう。それに入ってゆくためには、気違いになるための要素がないとだめでしょう。それが今の日本にはないと思う。剣道部のいかに先鋭的な人間だって、雲の上から何発もやられたら、とてもやりけれるものじゃないと思う。自分の恋人、女房、子供を守ろうという気持も、あの人たちにはないんじゃないですか。

三島 僕は最近、神風連を興味をもって調べたんだけど、あれは絶対に勝つ見込みがない戦争を仕掛けたんだね。しかも日本刀だけしか使わない。鉄砲は外国からきたものだから、汚れているといって使わない。熊本の鎮台に対して戦うんだ。初めは奇襲で少し勝つけど、相手は鉄砲をもって攻めてくるから、所詮、勝負は決まってるわけだね。なぜ日本刀だけで負けると解って戦争をやったか。僕はね、それはやっぱり彼らがインテリゲンチャだったからだと思う。インテリゲンチャというのは、そういうものなんだね。つまり計算して、こうだからやるというのは生活者の考え方なんだね。生活者の考えと、インテリゲンチャの考えはいつも違うんだ。あなたがどっちの立場に徹するかということは大問題だと思う。生活者に徹すれば、日本は価値のない国、戦争にも抵抗できないという生活者の知恵でみるだろうね。神風連の事件は、生活者にはできないもので、日本の近代インテリゲンチャの思想の源流なんです。あなたが芸術家であるか、生活者であるかという分かれ目にぶつかったときには、必ずその矛盾が出てくる。今のあなたの書いているものを読んで感じるのは、やっぱり片足はまだ生活者に突っ込んで、生活者の知恵と身体で体得したものを基礎にしているから、生活者のバイタリティと新鮮さがあると思う。あなたがもし、もう一つ芸術家の立場を完全にもたなければならないということになったら、生活者の知恵だけでは足りない何かが出てくる。そのときにはバカなことでも、絶対に敗北するとわかってる戦いでもやらなければならなくなってくる。

野坂 敗北すると解ってる戦争をこっちから仕掛けるかどうかわからないけど、雲の上からB29が焼夷弾を落としていたとき、僕はなぜ逃げなければならないかを考えた。僕は鉄砲一挺もってたら、ただ逃げ回るんじゃなくて、雲の上めがけて撃ったと思う。そして相手が三島さんだったら、どんなにこっちが未熟でも、棒きれをもってたち向かうと思う。負けるとわかってもやる。しかし敵は飛行機で、こっちは無一物で、つまり一方的に被害者の立場でしょう。こっちから仕掛けるなら別だけど、あの場合は逃げるしかなかった。ほんとに鉄砲でもあったら、岩かげにひそんで、B29のガソリン・タンクめがけて引金を引いたと思う。それがたとえ、どんなに実際上無意味な行為でもね。

三島 僕もあのときは高座の海軍の工場にいたけど、艦載機が飛んできて機銃掃射をやられて、こっちは何ももっていないしね、あの時代の恐怖感ていうものは、今も残ってる。残ってるから、抵抗したいという気持もある。淋しい話だね。



20240527 景文館書店刊 ジョルジュ・バタイユ著 酒井健訳「魔法使いの弟子」pp.29‐32より抜粋

景文館書店刊 ジョルジュ・バタイユ著 酒井健訳「魔法使いの弟子」pp.29‐32より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4907105053
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4907105051

神話は、芸術、学問、政治に満足することのできなかった人の意のままに今なおなっている。愛はそれだけで一つの世界を作りあげるのだが、この世界の周囲に対しては何も影響を与えずにいる。逆に、愛の体験のおかげで周囲の世界に対する明晰さと苦しみが増しさえする。つまり愛の体験のおかげで、腐敗した社会に触れて生じる不快感がどんどん高じていき、むなしい印象も疲れるほどに大きくなっていく。次々試練にあって心を打ち砕かれてしまった人に、唯一神話だけが、豊かな生を送り返す。人々が集う共同体へと広がっていく豊かな生をイメージしてこの人に送り返すのだ。唯一神話だけが、肉体にまで入って人々を結合させ、彼らに同じ期待を抱くように要求する。神話とは、どの踊りにもある、あの勢いのことだ。神話は実在をその〈沸騰店〉へ高める。悲劇的な情動によって、実存は自分の聖なる内奥に近づけるようになるのだが、神話はまさにそのような悲劇的な情動を実存に伝達する。というのも神話は、ただ単に、運命の神々しい形象であるばかりでなく、この形象が移される世界、つまり共同体のことでもあるのだから、神話は、共同体から切り離すことができない。神話は共同体の一部になっている。儀式の場において、共同体は神話の王国を所有ことになるのだ。民衆は祝祭の騒ぎのなかで神話への合意を表明し、その合意は神話を生の人間的現実にしている。だからこそ神話はただのフィクションとは違うのだ。神話はたしかに寓意ではある。しかし、もしも人が、この寓意を踊って根底から突き動かす民衆を目撃し、寓意がその民衆の生きた真実になっているのをまざまざと目にしたならば、この寓意をフィクションとは正反対の地点に位置づけるようになるはずだ。自分たちの神話を儀式においてとことん所有しようとしない共同体は、もはや暮れゆく生の真実した所有していない。逆に共同体が生き生きとしてくるのは、存在したいという共同体の意志が、その共同体の内奥の実存を形象化している神話のひとかたまりの偶然を活性化するとき、このときにほかならない。それゆえ、一個の神話は、ひとつの全体的存在が分裂してできたばらばらの諸断片と同じだとはどうにもみなせないのである。一個の神話は、総合的な実存と連帯している。一個の神話は、総合的な実存の感性的な表現なのだ。

 神話は、儀式の場で生きられると、真正の存在をはっきり開示するようになる。というのも、儀式として生きられた神話では、生が、ベッドの上で裸になった愛する女に劣らず恐ろしくもまた美しく現れるからである。聖なる場所の暗がりは実在の現存を抑えこんでいて、恋人たちが閉じこもる寝室よりももっと息苦しい。ただし、聖なる場所で認識に差し出されるものは、寝室の場合と同様に、実験室の学問とは無関係なのだ。人間の実存は、聖なる場所に案内されると、運命の形象に出会う。それは偶然の気まぐれによって固定化された形象だ。学問が定義する決定法則は、生を構成する幻想のこの遊びとは正反対のところに存在している。この遊びは、学問から遠ざかり、芸術の諸形象を生み出す錯乱と重なりあう。しかし、芸術は、人間を抑圧する真なる世界の優越性、究極的現実性を認めているのに対して、神話の方は人間の実存の中へ、ある力のようになって入っていく。力自身が王国となって、下位の現実に従属を求めている、そんあ力のようになって人間の実存の中へ入っていく。