2022年8月10日水曜日

20220809 早口での、ある程度専門的な会話のさ中に思ったこと

先日、所用にて都内に出向いた際に無料のPCR検査を受け、その結果は陰性でしたが、その後また、電車やバスや徒歩で移動をしていますと何だか不安になってきます。夏季に入り、昨年と同様に、また感染者数が増大しましたが、その程度は、昨年と比べて大きいながらも、他方で、電車やバスなどの車内、あるいは街の雑踏も、既に感染以前とあまり変わらない様相を呈していると見えることから、やはり感染のリスクは、昨年と比べて高くなっているのではないかと思われます。

そして、それに加えて去る2月末からの東欧での戦争、そして昨今の東アジア情勢も、きな臭くなってきました。これがとりあえず無事に過ぎ去っていくことを願っていますが、しかし、もう少し長期での東アジアを考えてみますと、いずれにせよ、これまで蓄積してきた応力そして緊張は、どこかで解放を要するものと思われますが、それが流血を伴わずに、時間をかけて緩徐的に為されるか、あるいは戦争と云うカタチで一気に、そして暴力的に為されるかは分かりませんが、しかし、いずれにせよ、現在の世界情勢は、おそらく、戦後以来もっとも不穏な状況にあるのではないかと思われます。

しかしまた、こうした状況のなか(否応なく)同時代人として生きていることにより、これまで書籍や映画などを介して、ある程度の知見を得て理解したと思っていた歴史の流れや、その出来事などに対して、また新たな関心を持つ機会を与えられたようにも思われます。そして、そのおかげで、これまで縁遠かった分野のことについても知ることが出来ました。おそらく、そうした行為をしばらく続けていますと、また新たに、口語・口頭であれば、概要の説明程度は(どうにか)出来るようになるのではないかとも思われます・・。

とはいえ、そうしますと私の場合、その関心を持つに至ったきっかけはそれぞれ違いますが、その構造自体については、おそらく幼い頃からあまり変わっていないように思われます。そして、それがそれぞれの学校での教科と被るものであれば、特異的に良い成績を修めることもありましたが、そうしたことはあまり多くはありませんでした・・。

また、これは先日、文系の師匠との会話から不図思ったことですが、こちらの師匠はお目に掛かった当初から若干早口であり、また、あぶらが乗ってきますと、さらに早口になるのですが、ともあれ、そこで話されている内容は、ある程度専門的なことであると思われますが概ね理解出来ていました。さらに、その途中で「先生、その話されていた短編小説ですが、大変興味深く、おそらく今後どこか読ませて頂きますが、この作品の元ネタになった作品は、おそらく「****」の「***」であると思うのですが、これについてはどう思われますか?」といったことを質問をさせて頂いたりしました。また、その具体的な内容につきましては、また後日、あらためてブログ記事として作成したいと思いますが、ともあれ、さきのような、遅々としたものではあれ、内発的な興味によって始まった活動・行為によって内面化された知見や記憶とは、おそらく多くの場合、こうした当初から計画されたものでない、偶然のなりゆきでの会話のさ中においても、関連すると思しき知見や記憶が適宜、立ち上がってくるのではないかと思われるのです・・。

そして、こうした感覚は、おそらく母語ではない、他の言語を内発的な意志で(ある程度の期間)扱う経験を経ることによって得ることが出来るのではないかと思われますが、さて、実際のところはどうなのでしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2022年8月9日火曜日

20220808 いくつかの書籍からの引用(B-29以前の米軍爆撃機の原形の一つは駅馬車であるのかもしれない・・)

株式会社文藝春秋刊 大森洋平著「考証要集 2 蔵出し NHK時代考証資料」
pp.21‐22より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4167911981
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4167911980

ジョン・フォード監督永遠の名作、西部劇「駅馬車」の最大の見せ場は、勇猛果敢なインディアン(「先住民」じゃ感じが出ない!)と駅馬車の、追いつ、追われつの壮絶なアクションです。ところが西部開拓史研究の有名な学者がケチをつけた。「インディアンは駅馬車を襲う時、まず馬を撃つ、そして馬車が止まってから四方から群がってとどめを刺しに来るのに、この場面ではそれをしていない。時代考証が間違っている!」と。

 しかし、フォード監督少しも騒がず、「馬を撃ったら映画がそこで終わっちゃうじゃないか」と答えたそうです。この話、真偽・出典ははっきりしませんが、物語と時代考証の関係を実にうまく言い当てています。

 時代考証はあくまで、その物語が成立する基本、すなわちそこからはみ出たらアウトの、「時代の枠組み」を確定するツールに過ぎません。そして「枠」が一旦決まったら、あとはその中で思うままに登場人物を動かして面白い話を作ればよいのであって、決して史実を物語に優先させるための制御システムではないのです。



早川書房刊 ジョン・ト―ランド著「大日本帝国の興亡」〔新版〕2 :昇る太陽
pp.293‐295より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4150504350
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4150504359

有名な映画監督のジョン・フォード海軍中佐と撮影班員がフィルムを撮るなか、「機械製ロバ」と呼ばれる牽引車が双発爆撃機を発信位置に引っ張って行った。ドーリットルが乗った。一番機の滑走路の長さは、百四十二メートルしかなかった。各機のタンクは満タンにされたほか、予備燃料として五ガロン入りのガソリン罐を十個ずつ積み込んだ。

 ドーリットルはエンジンを全開にした。その音があまりにすごかったので、まわりにいたパイロットたちはエンジンが焼けてしまうのではないかと心配した。車輪止めがはずされた。ドーリットルの乗機は走り出した。左側の車輪が飛行甲板の左舷側に引かれた白い線の上を走った。B25は、甲板に吹きつける強風に向って、フラップをいっぱいに下げ、不格好に機体を左右に揺さぶりながら前進した。左の翼は空母の舷側の上に突き出ていた。

 他のパイロットたちは、この向かい風がドーリットル機の浮揚にはたして十分だろうかと心配しながら、緊張した表情で見つめていた。もしドーリットルが成功しなければ、彼らにできるはずはなかった。B25はスピードを上げた。見る者にとっては、ドーリットル機の加速はあまりにも遅く思えた。しかし航空母艦の艦首が荒波のために高く持ち上げられた瞬間、同機は甲板をあと数メートル残して空中に浮いた。午前七時二十分であった。

ドーリットル機が旋回して〈ホーネット〉の上を低空で飛び、一路東京へのコースをとると、期せずして歓声がわき起こった。あとの爆撃機も一機ずつ甲板を滑走し始め、見守る人たちが、手に汗にぎるなかを空中に浮かんだ。最後の一機がゆっくりとスタートラインに向かうまで、万事が順調に運んでいた。そのとき突然、甲板要員の水兵ロバー・W・ウォールが足をすべらせ、前の飛行機のプロペラがまき起こした風でタンブルウィード(秋になると根元から折れて風に吹き飛ばされるアメリカ産の雑草)のように吹っ飛ばされて、後続機の左のプロペラに巻き込まれてしまった。ウォールの左の腕はもぎとられたが、はじき飛ばされたため、それだけで済んだ。

 衝撃を感じとったパイロットは後ろを振り返り、ウォールが甲板に大の字にたたきつけられているのを見た。あわてた彼はフラップの操作レバーをニュートラルにしないで戻し、フラップを引っ込めてしまった。このため、飛行機はよろけながらも甲板を離れたものの、すぐに高度が下がって艦首のかげに見えなくなった。甲板員たちはてっきり海中に突っ込んだと思った。だが、安心したことに、飛行機は波の上をかすめてよたよたと上昇し、向きを変えて他機の後えお追った。時計は午前八時二十分をさしていた。



 

2022年8月7日日曜日

20220807 久しぶりの文系師匠との対話から思ったこと【無双感・脱抑制】

ここ数日間、新規の記事作成・投稿をしてきませんでしたが、文章自体はメールやその他で作成していました。また、昨日は久しぶりに文系の師匠にお目に掛かりました。メールや電話でなく、実際お目に掛かって話してみますと、その当初に「そうだった・・。師匠はこういう話し方であった。」とその様子を思い出すのですが、その「こういう話し方」とは、具体的にどのように表現出来るのかと考えてみますと、それは「話したコトバが、そのまま(ある程度硬質な)文章になってもおかしくないような話し方」であると云えます。

こうした話し方をされる方は、これまで、あまりお目に掛かったことはなく、10人に届かない程度であったと云えますが、その方々の多くは医歯学を含めた自然科学分野の研究者でした。そこから、この文系の師匠は、専門分野が人文系であるにも関わらず、その話し方がどうも理系に近いように思われるです・・。

そこで、その理由について考えてみますと、師匠は英語圏に割合長くおられたことから、そうした、いわば、和訳された英論文文章のような話し方になったのではないかと思われましたが、しかし、そうした口調で、昨今の国際情勢にも関連させつつ、第二次世界大戦・太平洋戦争の南太平洋戦線での、ある戦域の話をされるのを聞いていますと、以前にも当ブログにて何度か述べたことではありますが、自然に「無双感」というコトバが思い出されてきます・・。

その話されている内容は、おそらくは、以前に御自身が行った講義か何かとも被っており、必ずしも、はじめてではないとは思われるのですが、それでも、その話し振りは、色々と話題が飛びつつ、最後のオチ(結論)近くにて、ようやく、しかしセンス良く、本題に戻ってくるといった傾向があると思われますが、他方で、そこに至るまでの変化した話題もまた、それぞれ興味深いものが多く、また、私の方も以前と変わらずに、話の途中で質問をしてみたり、また自分なりに面白く、且つ、いくらか関連があると思われた歴史や文学の話題を振ってみたりするのですが、師匠は私からのこうした「無茶ブリ」にもまた、その他の興味深い、そして関連する歴史や文学のネタで応答してくださるのです・・。

そしてまた、この話されている際の師匠のスタンスには、さきに述べました「無双感」と共に、緊張を伴わない「脱抑制」があったと云えます。そして、この「脱抑制」につきましては、今後もさらに意識したいと考えています。また他方で、ここまで文章を作成してきて思い出したことは、こちらの文章は、ここ最近、私のブログ記事作成のスピードよりもかなり速いということです。おそらく、ここまで記事作成を行うのに要した時間は1時間にも満たず、あるいは、昨日師匠と話し、こうした口語と文語が未分化とも云える状況を(久しぶりに)経験しますと、何やら自然と「どれ、今日はこちらの師匠の話し振りを思い出し、参考として、新しく記事作成をしてみるか・・。」となったように感じられるのです。

ともあれ、今後もコンディションを調整しつつ、こうしたスタンスでにて記事作成を行いたいと考えていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

そして、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


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2022年8月4日木曜日

20220803 以前に棚上げしたものの文脈や意味が不図、分かる経験から

一昨日投稿の引用記事は、おかげさまで思いのほか多くの方々に読んで頂けました。あるいは医療専門職の皆さまも、時には、御自身の専門分野から逸脱し、こうした異なった分野の書籍を読まれてみるのも面白いのではないでしょうか?

さて、先刻、文系の師匠から連絡を頂きましたが、そういえば、9年前、一昨日投稿の引用記事の記載元著作の編者のお一人によるシンポジウムが開催され、これに出席させて頂いた記憶がありますが、このシンポジウムに私を招待してくださったのが文系の師匠でした。

また、その時のことは、当ブログにて記事として作成していましたが、ともあれ、かつて、そうした機会により、こちらから一方的ではあれ、見知った先生方が、現在、動画サイトや報道番組などに、たびたび出演されているのを見ますと、私としては、それらの多くからは、あまり時の流れによる変化は感じられず、むしろ、その研究分野への興味、関心そして情熱が変わっていないことが、発言の内容、その様子から見て取れると云えます。また、そうしたことを感じることが出来るほどに、私も年齢を重ねたのだとも云えますが、他方で、それら興味を持った書籍と、その著者とを、PC動画サイト上の著者が話されている様子の動画を介して、比較的容易に結び付けることが出来る環境が成立したことから、面識が途切れる実感が乏しくなり、そこから、さきの、変化を感じさせることを困難にしているのかもしれません・・。

ともあれ、こうして、ご連絡を頂いた師匠と、一昨日投稿記事の引用元著作の編者の先生が結びついたわけですが、あるいは、そこには偶然だけでない「何か」があったのかもしれないとも感じさせますが、こうした謎は、とりあえず、忘れないようにだけはして、棚上げしておきますと、いずれ何かの思いがけない機会に、その文脈やら意味が(あれば)分かる時が来るのではないかと私は思っています。

そしてまた、如上のような「棚上げ」したものが、書籍を読んでいて、不図、その背後にある文脈や意味が分かるといったことがしばしばあります。こうした時に感じる、ある種の充実感は、その棚上げされた期間が長かったほど、大きくなるのかもしれませんが、実際のところ、その構造は分かりません。ただ、そうした充実感そして、そこから生じる感興、感動のようなものは、私にとっては書籍を読み続けるには十分であったようで、あるいは、読み進めている書籍の内容と、それを読んでいる自分の記憶にあるものが結び付いたと実感することは、その行為をさらに継続することにより、その人なりに、そうした感覚が研ぎ澄まされていくのではないかとも思われるのですが、さて実際のところはどうなのでしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2022年8月2日火曜日

20220801 一般財団法人東京大学出版会刊 川島真・池内恵 編「新興国から見るアフターコロナの時代: 米中対立の間に広がる世界」pp.176‐177より抜粋

一般財団法人東京大学出版会刊 川島真・池内恵 編「新興国から見るアフターコロナの時代: 米中対立の間に広がる世界」Ⅲ地域のまとまりと分裂 上英明著「キューバ白衣外交の文脈」pp.176‐177より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 413033302X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4130333023

コロナ下でのキューバについては、もう一つ特筆すべきことがある。それは国内におけるコロナとの闘いと並行して、国際的な医療支援、いわゆる「白衣外交」の展開を拡大したことである。

 日本のメディアでも取り上げられたが、基本的にこの「白衣外交」とは、医療サービスが十分に提供されない地域を支援するために、自国の医師や看護師を派遣するという取り組みである。キューバの場合、1960年に大地震に見舞われたチリへの派遣が最初の事例であるが、長期で行われたものとしては、独立後、医師不足に陥ったアルジェリアへの派遣が先例となった。以後、連帯の名の下にキューバの医療従事者たちはラテンアメリカ、アフリカ、中東への飛び立ち、地道な支援活動に尽力してきた。

 こうした活動は冷戦終結後も継続され、白衣外交の場はアジアや太平洋島嶼国にも広がっている。現在までに支援を受けた国の数は164にのぼり、活動に参加したキューバ人医療従事者の数は40万人を超えた。

 また、キューバの国際的な医療支援は医師団の派遣にとどまらず、かつては治療のために、チェルノブイリ原発事故で被災し、白血病を患う子供たちを受け入れたことがある。発展途上国での人材育成を目的に、1998年に創設されたラテンアメリカ医科大学は、留学生の受け入れを無償で行ってきた(Fein-silver 2010)。

 近年ではキューバ自身が経済的に苦しいため、ベネズエラや南アフリカなど資金に余裕のある国への医療支援の場合は経済的な対価を得ている。2018年において、その外貨獲得額は観光業を大きく上回ったとされる(Yaffe 2010)。

 それでも医療スタッフが不足する貧困国や被災国の場合は、2005年のパキスタン北部地震や2010年のハイチ大地震の例に見るように、無償で行われてきた。2014年から2015年にかけて発生した西アフリカ(シェラレオネ、リベリア、ギネア)のエボラ出血熱危機でも、現地政府の要請に応じ、キューバが誇る「ヘンリー・リーブ国際医療支援部隊」(以下、ヘンリー・リーブ部隊)が無償へ派遣されている。

 この医療支援の精鋭部隊は2005年、大型ハリケーン「カトリーナ」が米国ルイジアナ州を襲った際、当時の国家主席であったフィデル・カストロによって創設された。ヘンリー・リーブという名前は、合衆国からキューバ独立戦争に参戦し、落命した将校に敬意を払う形でつけられている。

 ただし、当時のブッシュ政権はキューバの人道支援をあくまで「国策」と見なしていたため、キューバの提案を無視し、米への派遣は実現していない。米政府の見解が変わったのは、ようやくオバマ政権が誕生したあとである。まさに国交正常化交渉を発表した合衆国大統領の口から初めて、医療分野における将来的な両国の協力の発展への期待が表明されたのである。

 では、なぜキューバはこうした無償の人道支援を続けてきたのだろうか。第一の動機は、大国中心の国際政治で生き残るために、道義的影響力や名声を積極的に求めたことである。冷戦期においてもソ連への依存をきらい、独自外交にこだわってきたキューバの歴史に鑑みれば、このことは理解しやすい(Fein-silver2010)。

 第二には、低開発による医療サービスの発達不全、あるいは富の集中に伴う医療サービスの寡占という問題を厳しく批判してきたことである。すなわち、白衣外交の展開は、人命を助けるという医療の原点に立ち、世界共通の問題である貧困と格差の拡大において、危機に晒される弱者との「国際的な連帯」を目指すものであった(Huish 2014; Yaffe 2020)。

 そして第三には、支援する側となるキューバ自身への反響が期待されていることが考えられる。合衆国でさえできないような大規模な医療支援をカリブ海の小国がやってのけるというストーリーは、清貧実直な若者たちに、貧しくても世界に貢献できるという理想と名誉欲を与え、奮起を促すはずだ。そもそもキューバでは、外貨にアクセスできる観光タクシーの運転手の方が医者よりも稼ぐ。金銭目当で医者になる人は、道を間違えている。

 いずれにしろ、こうした動機が絡みあい、白衣外交の伝統はコロナ危機下においても守られた。コロナ感染が世界に拡大していく頃、すでに二万八千人超のキューバ人医療専門家が59カ国で活動中であり、彼ら彼女らは感染の拡大に対応し、現地の医療体制を下支えすることになる。

 そしてキューバは、新たに各国政府から受けた緊急の協力要請を受け、前述のヘンリー・リーブ部隊の派遣に応じた。三月末までに、派遣国の数は友好国のベネズエラやニカラグアに加え、ハイチやグレナダ、スリナム、ジャマイカといったカリブ海諸国、さらには後述する欧州のイタリアを加え、14となる。

2022年7月31日日曜日

20220731 早川書房刊 ジョン・ト―ランド著「大日本帝国の興亡」 3死の島々 pp.219‐220より抜粋

早川書房刊 ジョン・ト―ランド著「大日本帝国の興亡」
3死の島々 pp.219‐220より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4150504369
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4150504366

大西の深く恨みとするところは、戦争の進行状況についてだけではなかった。艦隊司令部とその抱いている「艦隊第一」という時代遅れの思想のために、それよりももっと重要な航空部隊の要請が蹂躙されていると感じていたのである。大西の考えはもちろん置かれた立場からのものであるが、しかしそれは、文官と軍部とを問わず個々の部課相互間の対立の増大を反映していた。

 生産が、ゆっくりとではあるが目に見えて低下してきたために、状況はさらに悪化した。戦闘で資材を失えば、もはやこれを補充することができなくなったのだ。陸海軍の最低限の要求にも応ずることがえきなくなった。占領地域の指揮官たちが、現地資源の開発に失敗したばかりでなく、商船の不足と遠距離を北に向かう船舶に対するアメリカ潜水艦の猛烈な攻撃のため、生産したもので日本本土に到着するのはほんの一部でしかなかった。

 この原料のひどい不足は、しばしば重複したり矛盾したりする統制のせいで悪化していたのである。一方アメリカにおける経済動員は、急速に伸びていた。戦争の刺激におり日本の生産が四分の一増加したのに対し、アメリカでは約三分の二増加していた。しかも日本の製造能率はアメリカのそれの三十五パーセントにすぎなかった。もっと重大なことは、日本の国民総生産(GNP)指数(1940年の基礎指数を100として)は1943年の初頭までにわずか102にしか上昇していないのに対し、アメリカのそれは136に達していた。そのうえアメリカの生産拡大はあらゆる面で実によく計画されていた。日本は生産を多様化することができなかった。武器弾薬の生産は急増したーしかしそれは民需品の犠牲において行われていた。真珠湾攻撃の十年前は生産がきわめて大幅に増加を見たので、指導者たちは大した生産拡張をせずに、大戦争を遂行することができると考えていたのである。

 現実に直面して、彼らは全般の水準を上げようとあらゆる努力をした。数カ月の間に、国民総生産は急上昇した。全生産が著しい増加を示し、軍需品の生産は今までよりずっと上昇した。見とおしは有望であった。しかしもう遅すぎはしなかったか。

 船舶は最大の問題であった。慎重に予算を割当てておいたのだが、アッツの陥落と隣接の島キスカからの秘密撤収のために予定がすっかり狂ってしまった。アリョーシャン列島におけるかれら二つの橋頭保がなくなったので、千島列島を要塞化し、ここに兵力を配置する必要が生じた。そして、こうしたことすべてのために、南方の包囲された地域から大量の船舶を転用しなければならなくなったのである。

2022年7月30日土曜日

20220730 株式会社筑摩書房刊行 山田風太郎著 「戦中派虫けら日記」 pp.212‐214より抜粋

pp.212‐214より抜粋
ISBN-10 : 4480034099
ISBN-13 : 978-4480034090

二十日
○山本連合艦隊司令長官戦死。

このニュースをはじめて定時近い会社のざわめきの中にいたとき、みな耳を疑った。デマの傑作だと笑った者があった。

が、それがほんとうだとわかったとき、みな茫然と立ち上がった。眼に涙をにじませている者もあった。

何ということだ。いったい何ということだ。
ああ、山本連合艦隊司令長官戦死!

二十二日
○先日、大橋図書館にいって芥川龍之介の「大導寺信輔の半生」を読んでいる中に、「本」という一章で、龍之介が幼い日この大橋図書館へ度々通ったことを知って、ふしぎな思いに打たれずにはいられなかった。

信輔、つまり龍之介の、本に対する熱愛、友人に関する一種病的ともいうべき思想、これらをはじめとして、是非は別として、信輔はびっくりするほど、自分と酷似している。もっともいわゆる「文学青年」なるものは、たいていこんなものかも知れない。

それはともかくこの図書館の古びた階段や壁や窓から見て、そう昔ではない龍之介の若い日と今とは、おそらく寸分の違いもないであろう。-この部屋に、この雰囲気に、あの風景を見つつ、あの遠い町のざわめきをききつつ龍之介が熱っぽい若々しい瞳でここの書物をむさぼっていたのだなーあるいは、たび重ねるうちには、彼は今自分の坐っているこの机に向っていたのかもしれない。自分は神秘と憧憬の入り混じった眼を茫然と空中へあげた。

靖国神社は大祭の名残りをひいて、今日も遠い潮鳴りのようなどよめきをあげている。

ああ、時代は変わった。龍之介の生きていた大正末期の頽廃的な日は遠い夢と去って、いま日本は、大アジア帝国建設のために雄渾な戦闘をつづけつつある。自分は龍之介よりも幸福な時代に生きているといわなければならないー但し、「将軍」を書いた彼だから、これはのれんに腕押しみたいなものだがーしかし龍之介だってもし今の時代に生まれたら「辻詳説」くらい書いたかもしれない。

潮は個人を圧倒する。大正時代に戦争を嘲笑した天才も、この苛烈な戦争の中では、その趣味を表面的に現わすことは彼の埋葬を意味するであろう。

三十日
○アッツ島守備隊全滅す。吹雪氷濤の中にアッツ島二千の神兵ことごとく戦死す。自分も戦争にゆきたくなった。ガダルカナル撤退。山本提督戦死。アッツ島全滅。悲報相ついで至る。海軍はいったいなにをしているのか。局部の勝敗に血迷うなかれとは何人がいい得るか。氷獄のごときアッツ島に冬を越した将兵をみすみず見殺しにして、どこに日本軍の真髄があるか。去年の東太平洋作戦の意義は全然霧消したではないか。

神州不敗の信念は国民の熱涙の中にかがやいている。が、キスカ島の安否が気づかわれるのは、いかんともしがたい。

北洋の吹雪に軍旗ちぎれる
潮しずけし夜業の群や天の川