2021年5月8日土曜日

20210507 インプットとアウトプットの均衡について・・

 このGWは毎日、割と長い距離を歩いたように思います。そしてまた、読書の方も普段と比べて進んだように思われます。他方、ブログ記事作成の方は、毎日の更新とは行かずに、また、書籍からの引用部を記事としたものもあり、あまり熱心には行わなかったと云えます・・。

これに特に理由はありませんが、ただ、私の場合、読書が好調に進んでいる時は、あまり進んで記事作成は行わないようであり、これが、さきに述べました記事の更新頻度と関連があると思われるところです。

たしかに以前、鹿児島在住時の頃は、わずかに残っていた「若さ」の勢いにまかせて、現在よりも多く読書をしていた記憶がありますが、他方、アウトプットに関しては、その読書量と比べますと、相対的に乏しく、今現在よりも少なかったと云えます・・。

そして、そうしたインプットの方に偏る読書は、若い頃は特に問題ないのかもしれませんが、ある程度の年齢に差し掛かってきますと、どうしたものか、アウトプットの方もある程度行っていないと、それらのバランスが悪くなり、どこかしら体に不調が生じてくるように思われるのです。

また、当ブログを始めたきっかけも、こうした不均衡の状態を脱するためであったと云え、くわえて、同時期に複数の方々からブログの作成を勧められたのも、そうした状況を察したためであったのではないかと思われるところです。あるいはそれが「若さ」を使い果たして、なおもインプットのみに偏っていると陥る状態であるのかもしれません・・。

もしも、現在の私が、かつての私のような状態の方と出会った場合、そうしたことを察することが出来るのかとは、正直なところ、なかなか難しいのではないかと思われるところです・・。

ともあれ、私の場合については、やはり幸運であったのだと思います。あの時点でブログ記事の作成を勧められず、思い付いていなければ、間違いなく、現在の私はいなくて、あるいは、生きてすらいないのではないかとも思われます・・。

そして、2015年から今現在に至るまで、どうにか書き続けていますが、一体どの程度まで書き続けますと、記事作成・アウトプットなしでも体に不調は生じなくなるのでしょうか?(ここまできますと、おそらく精神的な要因も何かあるのではないでしょうか?)あるいは、次の目標は1600記事と先日設定しましたが、そのあたりまで書き続けますと、何かまた、心境よりも大きな「精神」に変化は生じてくるのでしょうか?

とはいえ、それでも、2015年の頃と比べますと、当時感じていた、また、ブログ作成の「原動力」ともなっていた焦燥感や強迫観念は、明らかに減衰したと云えますが、その次には、それらが減衰した後においても記事作成を続けることが出来る「原動力」の方が現在においては、より重要となり、そして、それを試しているのが1000記事到達以降から今に至るまでの期間であると云えます。

また今後、あまり想定はしていませんが、当ブログが1600記事から、さらに2000記事まで継続することが出来ましたら、何かしら面白い、自分の新たな特徴を見出すことが出来るのではないかとも思われます・・(笑)。

ともあれ、今のところは次の1600記事に向けて、黙々と投稿を続けることが大事ではあるのですが・・。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 2020年4月開設


一般社団法人大学支援機構

~書籍のご案内~

ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

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2021年5月7日金曜日

20210506 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳 「ホモ・デウス」下巻 pp.142-146より抜粋

 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳

「ホモ・デウス」下巻 pp.142-146より抜粋

ISBN-10 : 4309227376
ISBN-13 : 978-4309227375

医師でさえアルゴリズムの恰好の標的になっている。ほとんどの医師にとって、第一の、そして主要な仕事は、病気を正しく診断し、それから実行可能な治療法のうちで最善のものを推薦することだ。私が医療機関を訪れて、発熱と下痢という症状を訴えたら、私は食中毒を起こしていると診断されるかもしれない。だがその症状は、ウィルス性胃炎やコレラ、赤痢、マラリア、癌あるいは未知の新しい病気が原因である可能性もある。私のかかりつけの医師は、ほんの数分で正しい診断を下さなければならない。

 私の医療保険は、それぐらいの時間の分しか保険金を支払わないからだ。そのため、医師はいくつか質問して、場合によっては手早く診察するのがせいぜいだ。それからこの乏しい情報や病歴や、人間の病気の広大な世界と照らし合わせる。悲しいかな、どれほど勤勉な医師でも、これまで私がかかった病気や、受けた健康診断の結果すべてを覚えてはいない。同様に、病気や薬を一つ残らず熟知している医師や、ありとあらゆる医学専門誌に発表されたありとあらゆる新論文を読んでいる医師もいない。そのうえ、医師もときには疲れていたり、お腹が減っていたりするし、ひょっとしたら病気のことさえあるから、それが判断力に響く、医師がときおり診断を誤ったり、最適とは言えない治療法を推薦したりするのも無理はない。

 今度はIBMの有名なワトソンのことを考えてほしい。二〇一一年に過去のチャンピオン二人を破ってテレビのクイズ番組「ジャパディ!」で優勝したAIシステムだ。ワトソンは現在、もっとも重要な仕事、とくに病気の診断をするために準備を重ねている。ワトソンのようなAIには、人間の医師をはるかに凌ぐ潜在能力がある。第一に、AIには自分のデータバンクに、歴史上知られているすべての病気と薬についての情報を保存しておける。そうしておいて、新しい研究の成果だけでなく、接続している世界中のありとあらゆるクリニックや病院から集めた医学的統計を組み込み、このデータバンクを毎日アップデートできる。

 第二に、ワトソンは私のゲノム全体と日々の健康状態や病歴を詳しく知っているだけでなく、私の親や兄弟姉妹、親戚、隣人、友人のゲノムと健康状態や病歴も知り尽くしている。ワトソンは私が最近、熱帯の国を訪れたかどうかや、再発性のウィルス性胃炎にかかっているかどうか、身内に大腸や小腸の癌になった人がいるかどうか、町中の人が今朝、下痢の症状を訴えているかどうかを瞬時に知る。

 第三に、ワトソンはけっして疲れたり。お腹を空かせたり、病気になったりしないし、私のためにいくらでも時間を使える。私は自宅で自分のソファに心地良く座り、ワトソンを相手に、何百という質問に答え、自分がどんな具合なのか詳しく語ることができる。これはほとんどの患者(自分の健康状態を気にし過ぎる人は例外かもしれない)にとって、ありがたい話だ。だが、もしあなたが今日、二〇年後も家庭医の仕事があることを期待してメディカルスクールに入ろうとしているのなら、考え直したほうがいいかもしれない。ワトソンのようなAIが普及すれば、シャーロック・ホームズのような鋭い観察眼を持った人でさえ、あまり必要とされないだろうから。

 この脅威にさらされているのは一般開業医だけではなく、専門医も同様だ。それどころか、癌診断のように比較的狭い領域を専門にしている医師のほうが、Aiに取って代わられやすいかもしれない。最近のある実験では、コンピュータアルゴリズムが、示された肺癌の症例のうち九割を正しく判断したのに対して、人間の医師の成功率は五割にすぎなかった。実際、未来はすでに到来している。CTスキャンや乳房X線撮影(マンモグラフィ)の結果は専門アルゴリズムが日常的に調べており、医師にセカンドオピニオンを提供し、ときには医師が見落とした腫瘍を発見する。

 ワトソンやその同類は技術的な難問をもあだ多く抱えているので、明日の朝になったらほとんどの医師に取って代わっているという状況にあなりそうにない。とはいえ、そうした技術的問題は、どれほそ難しいものであっても、一度解決するだけで済む。人間の医師を育てるのは、何年もの月日と多額の費用がかかる複雑な過程だ。しかも、一〇年ほどの学習と研修を経てその過程が完了したときの成果は、たった一人の医師にすぎない。もし医師がもう一人必要なら、同じ過程をすべて最初から繰り返さなければならない。それに対して、ワトソンの導入を妨げている技術的な問題が解決できた暁には、一人ではなく数限りない医師が、世界各地で一年三六五日、二四時間体制で患者に対応できる。だからワトソンをうまく機能させるためにたとえ一〇〇〇億ドルかかるとしても、長い目で見れば、人間の医師を養成するよりもはるかに安上がりだろう。

 もちろん、人間の医師が全員消えてしまうわけではない。ありふれた診断よりも高いレベルの創造性を必要とする仕事は、当分は人間の手に委ねられたままになるだろう。二一世紀の軍隊が精鋭の特殊部隊を増強しているのとちょうど同じで、未来の医療サービスでは、アメリカ陸軍のアーミー・レンジャーや海軍のシールズに相当する医療チームのために、新たな職が多く生まれるかもしれない。とはいえ、軍隊が何百万もの兵士をもう必要としないのと同様、未来の医療サービスも何百万もの一般開業医は必要としない。

 医師に当てはまることは、薬剤師にはなおさらよく当てはまる。二〇一一年、ロボットがたった一台で応対する調剤薬局がサンフランシスコで開業した。人間がその薬局にやって来ると、数秒のうちにロボットが処方箋を全部受け取るとともに、その人が服用している他の薬や、抱えているかもしれないアレルギーについての詳しい情報も入手する。ロボットは、服用中の他のどの薬との組み合わせでも新しい薬が悪い影響を及ぼすことなく、アレルギーも引き起こさないことをたしかめた上で、必要な薬を調合する。開業から一年で、このロボット薬剤師は処方箋に従って二〇〇万回の調剤を行ったが、一度としてミスは犯さなかった。生身の人間の薬剤師は平均するとすべての調剤のうち一・七パーセントで間違える。これはアメリカだけでも、なんと毎年五〇〇〇万回の調剤ミスに相当する。

 たとえアルゴリズムが仕事の技術的な面で医師や薬剤師よりも優るとしても、人間味あふれた対応までは提供できないと主張する人もいる。もしCTスキャンであなたが癌であることが判明したら、あなたはその結果を思いやりのかけらもない機械から聞きたいか、それとも、あなたの情動の状態にも気を配ってくれる人間の医師から聞きたいか?では、注意深くて、あなたの気持ちや性格タイプに合うように言葉を選ぶ機械にその結果を知らされるというのはどうだろう?思い出してほしい、生き物にはアルゴリズムであり、ワトソンはあなたの腫瘍を見つけるのと同じ精度であなたの情動も検知できるのだ。

2021年5月5日水曜日

20210505 大学院についての続き・・

 おかげさまで直近投稿記事の「1520記事の到達、新書を読んでいて思ったこと・・大学院について」は、比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆様どうもありがとうございます。

さて、ここで述べました「大学院」に関してですが、私の場合「人との出会い」によって、そこに進む願望が生じ、くわえてまた、比較的幸運であったことは、身近なところに、そうしたことについて、ある程度妥当と思われる意見を聞くことが出来る方がいたことであると云えます・・。

これは、その後の博士課程への進学においても同様でありましたが、その後に生じた事態(指導教授の退職)は当然ながら想定出来なかったため、結果、自分としてはあまり嬉しいとはいえない日々を(数年間)送ることになりました。

この時期は本当に「宙ぶらりん」といった表現が適切であると云えます。つまり、新たに研究室の教授が決まらないことには学位取得の手続きを進めることが出来ないということですが、それでも新教授が赴任されてからは、割合早くことは運び、赴任された年の夏には、おかげさまで学位取得まで至ることが出来ました。またこれは「早期修了」というものでしたが、これについては、既に一年間、同研究科にて修士課程を経ていたことから、実質的には「早期」とは云い難いものであった云えます。

ともあれ、そうした経緯により、どうにか取得した学位は、当初はそれなりに大事と思い、学位記も壁に掛けていましたが、その後の度重なる引越しを経るうちに、いつの間にか本箱内片隅が定位置となっていました・・。

また、現在、これが必要となる機会とは、たとえば大学の公募書類作成に際し、学位記写しの提出が求められることがある程度と云えますが、これも既にPDFファイル化したものをクラウド上に保存してあるため、現物を取り出す必要はありません・・。

こうして自分としては、多少なりとも苦労して取得した記憶のある学位およびその象徴ではありますが、今やまさしく「陽の目を見ない存在」になり果てた感があると云えます・・(苦笑)。

しかしながら、以前に述べました通り、度々周囲の方々から揶揄されようとも、あるいはまた、寝落ちすることも度々ありつつも、2015年から現在に至るまで当ブログを続けることが出来ているのは、やはり、一般的とは云えない経緯を辿りつつも、どうにか当初の目的を達成出来たからであるとも云えます・・。

これが出来ていなければ、ブログ記事の作成どころか、今現在、生きていたかどうかすらも分かりません・・。

また、かつてに比べれますと、大分マシになり、少なくなったと云えますが「宙ぶらりん」であった時期は度々(少なからず)「どうしようもなく落ち込んだ気分」になることがありました。そのような時はとにかく歩き、そして、その後は市内紫原にある一本桜温泉センターに行っていました・・。

そうしますと、不思議なことに、この「どうしようもなく落ち込んだ気分」もどこかに溶けていってしまうのでした・・。こうした経験から私には「温泉に救われた」という実感があるわけですが、現今のコロナ禍の渦中にあっては、たとえGWであっても温泉に出かけることは避けるべきことであるように思われます。

また、さきに少し出ました「公募書類作成」についてですが、今現在全く大学公募の様子をチェックしていませんが、今後1600記事程度まで書き続けることが出来ましたら、今度は副業にて西日本在の医療福祉系を主とする大学の職種を検討してみようと考えています。

ともあれ、能力に偏りがあり、また、成功体験と失敗体験が記憶・精神の中で今現在になお葛藤し続けている私ではありますが、2020年以降は、特にツイッターとの連携によって、さまざまな方々が当ブログを見て頂いていることも分かりましたので、そうした認識を糧にして、未だ先は長いですが、とりあえず1600記事まで書き続けてみようと思います。

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2021年5月2日日曜日

20210502 1520記事の到達、新書を読んでいて思ったこと・・大学院について

 おかげさまで、去る4月30日分の投稿記事は、思いのほか多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。そしてまた、今回の記事投稿により、総投稿記事数が1520となり、次の目標として定めた1600記事への到達まで、残り80記事となります。80記事とは、毎日一記事の投稿で三カ月近く、そして、二日に一記事の投稿頻度では、半年近くの期間を要することになります・・。そうしますと、また随分先が長い話であると感じられてきますが、そうであっても、記事投稿を行わない限りは到達出来ませんので、また地道に書き続けて行こうと思います・・。

さて、GWに入りましたが、今年もまた、既にコロナ禍の中であった昨年と同様、あまり外に出ることはなく、屋内にて書籍を読んでいる時間が多いと云えます・・。また、そのおかげで読書の方は捗り、既に何冊かの新書は読了にまで至りました。そういえば、新書に関しては、文系の師匠は、昔から新書もよく読まれていたようで、私との会話でも読まれた新書を話題としたハナシは比較的多く、また、それによって教えられるといったことも度々ありました。

他方で、同じ時期の私の実家にも、新書は少なからずあった記憶があり、よく分からない論文集、学会雑誌などに交ざり積まれており、その中から何らかの興味で取り出して読んでみるということは大分幼い頃から行っていたことではありましたが、新書に関しては、何となく読めるようになったのは高校生の頃からであったと思われます。

その後、社会人になりますと、業務によって、新書はおろか読書に割く時間が大分減りましたが、それでも読み続けていますと、南紀在住時の丁度このあたりの時期に「これはやはり大学院に行くべきではないか・・。」と明瞭に思い付いたのです・・。

しかし、以前にも書きましたが、かねてより私は大学院に進むことを望み、また、そのために貯金もしていましたが、この思い付いた時から、現実に、それに向けて行動をするようになりました。とはいえ、その行動とは、周囲にその決意を述べるということではなく、情報を集め、必要であると思えば、人に意見を聞いてみるといったことにより、自分の採り得る選択肢を吟味するといったものでした。

つまり、私の場合、かなり意識的な路線変更によって大学院に進んだと云えますが、さらに、その後の経緯もまた一般化され得るものではなかったことから、周囲の方々から揶揄も相まってか「大学院に進むことなんかに意味はない。」といった主旨のことを云われることが度々ありますが、しかし、大学院に進むことの意味や価値は、本来、義務教育以降の教育課程全般と同様、そこに進み学び、研究する人それぞれが勝手に決めることであり、大学院に関しても同様に「そこに進んで自分が明らかにしたいものがある」のであれば、そこに意味や価値は十分にあるのではないかと思われます。そしてまた、社会を構成する各個人が、そうした「明らかにしたい課題」を持っている社会こそが、何やら面白く、また持続可能性に富んでいるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

また、その意味において、やはり高等教育機関である大学の役割は大きく、さきのような社会を目指すのであれば、現在のそれを大きく変える必要があるのではないかと思われるところです・・。とはいえ、その先について私が思い、云えるところは、以前にも述べさせて頂いています各都道府県に半官半民もしくは公設民営の学費が比較的安価(学部・修士課程併せて300万円程度)な医療福祉系国家資格の取得を目指した専門職大学を設置することです。

高等教育は、まさに次の世代を創る事業であり、その次世代をターゲット・食いものとして利益を得ようとする事業は何であっても、それは「あまりにも酷い」のではないでしょうか?

特に我が国における、こうした競争に関しては、それを緩和、抑制する要素が殆どないため、今現在、かなりマズイところに来ているのではないかと思われます・・。また、本来の高等教育の役割の一つは、それら「緩和、抑制する要素(思想、哲学や教養では?)」の価値を広く社会に説くところにもあると思われますので、その意味からも、やはり我が国の高等教育はかなり難しいと思われますが、大きく変わる必要があるのではないかと思われるところです・・。

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2021年5月1日土曜日

20210430 新機器に対しての分野毎の反応の違いにはじまり自分について思ったこと

昨今、文系・理系と分けるのはよくないとは云われますが、双方分野を見てきた私としましては、やはり、さまざまな場面から「どうも性質が異なるのではないか」と思われることが多々ありました・・。

もちろん一般化は出来ませんが、それらの中で、最も端的であると思われたのは、スマホなどを含む新しい電子機器に対しての反応、感受性であると云えます。文系の方々は、概して、そうしたモノに対するこだわりは希薄であると云え、おそらく、未だ普通にガラケーを用いていると思われます。それに対して理(歯)系の方々は、師匠をはじめとして概ね、さまざまな新製品に対し興味を示し、入手すると特筆すべき新機能や、既存・他社製品との相違点などを手に取り、色々と操作して検証するといった、実験好きの延長とも云えるような顕著な性質があると云えます。

また、たしかに実験での観察や測定においては、新機器で行うことにより、よりクリアな観察画像を得ることが出来たり、また、比較的容易に試料の測定項目の値を得ることが出来ることが多いと云えますので、さきに述べたような性質自体は、むしろ自然であり、ある程度は必要であるようにも思われます。

こうしたことに関して文系の方々は、前述の通り、特に経済的事情に因らなくとも、やはり無頓着であると云え、講義やゼミなどにおいては板書が基本であり、パワー・ポイントを用いての講義などは、半ば邪道であると考えているようなフシもあり、見様によれば身体性を重視する伝統主義とも云えますが、私見としては、これはこれで少なくとも間違いではないように思われます。

そして、私個人に関しましては、基本的には文系寄りであり、そうした機器の操作性よりも、面白く、興味深い書籍を見つけて読みたいといった願望の方が強いと云えますが、他方で、理(歯)系分野の方々と話している際は、そうした機器のハナシが出てきても、それなりに興味深く聞くことが出来ていると思われますので、こうしたことにも情念引力のようなものが少なからず作用しているのではないかと思われるところです・・(笑)。

あるいはまた、当時の実験での環境が再現出来れば、たとえ機器などが変わっても、コツコツと試料を作製したり、また試料観察を行うことも出来るような感じがしてくるのですが、果たしてどうなのでしょうか・・。

しかし、そのように考えてみますと、私の場合、これに関しては、突如として実験を行う研究室の環境が大きく変化したと云えます・・。それは現在思い返してみても「何故だろうか・・?」と未だに納得も理解も出来ませんが、しかし、もしも無理をしてでも納得しなければならないのであれば「絆や相手の人柄は自分が転落した時に分かる」を身を以て体験出来たということと、その経験があることから、2015年から現在に至るまでブログ記を継続出来ているということで、どうにか落ち着くことが出来ると云えます。

この前者に関しましては、以前投稿した記事にも書きましたが、色々と経験させて頂いたと思われます。中には同分野他大学研究者による信じられないような行為などもありました・・。そしてまた、そうした環境の中に数年いますと、そこでの目標としていた学位取得は別としても、その後は「もういいや・・」となるのは、そこまでオカシイことではないようにも思われるのです・・。

そしてまた、それをテコとして私のことを責められる方々は、是非とも、これと同様の経験をして頂くのが良いと思われるところです・・。

とはいえ、こうした被害者意識のようなものを強く前面に出すことは、それを読む側からしますと、必ずしも適切とは思われないことから、後者の、その経験をまさしく「バネ」として、当ブログは続けられていることを主張してみたくなるのです・・。そうしますと、何やら当時から現在に至るまでの私は「当ブログ」に集約されているような感じをも受けますが、それはそれで間違いではなく、また、それを今後の私の活動(記事作成)によって検証していくというのが妥当なところではないかと思われます。今後、どこまで書き進めるか未だ分かりませんが、とりあえず次は1600記事を目標として、また書き進めて行こうと思います。

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2021年4月29日木曜日

20210429 手書きからPCへの直接入力によるブログ記事作成の変化にあるもの・・

去る3月23日に自身による記事作成、投稿を行ってから一カ月以上経ちました。その間、何度かオリジナルの記事作成を思い立ちましたが、そうした場面では「敢えて記事作成をせずに休むことも大事」と考え、記事作成は行いませんでした・・。

また、一カ月以上、記事作成を行わなかったことから、現在の記事作成が困難になっていることはないようであり、今現在において、キーボード上の指は比較的速やかに動いてくれています・・。

くわえて文章作成と云えば、先月1500記事到達をしてからすぐの頃、休日に神保町界隈を歩いていますと、文房具店の特価品コーナーにて手帳らしきものを見つけ、そこには「memorandum」と記されていました。

そこから以前読んだ書籍に「田中メモランダム」(田中上奏文とも)というコトバがあったことが思い出され「なるほど、こういうものも良いかもしれない・・。」と思いつつ、手に取って開いてみますと、以前、鹿児島在住の頃、こうした日付を特に定めない手帳・日記をようなものを(当初は実験ノートの延長で)書き付けていた時期があったことが思い出され、また、後のブログ記事のネタにでもなるのではないかとも思われ、さらには値引きされていたということもあり、これを購入して、何か思いついたときにすぐに書き付けるようにしました。

一般に我々の発想・思い付きは、水中にて底から湧いてくる泡のようなものでもあり、しばらく経つと、泡が弾けるように忘れてしまうことが殆どであると云えます。そこで、それらを忘れないように書き付けることには、それなりの意味があるのではないかと思い、今現在まで続けていますが、これはたしかに書いている時には、比較的スムーズに文章が出て来るのですが、その書き付けた文章をいざ、ネット上に移そうとPCを開きますと、どうもその書き付けた文章が、公表を前提とするネット上の文章としてはどうも稚拙であるように思われてきて、躊躇ってしまうのです・・。

とはいえ、以前にも書いたことがありましたが、当ブログ開設当初は、ノートにて手書きで作成した記事の下書きをキーボードで手打ちしてPC上に移していましたので、このブログを継続していた期間に、手書きとPC入力の慣れの度合いが逆転し、いつのまにかPCへの直接入力の方が主流になってきたのだと云えます。

これも自身としては面白い変化であると思われましたが、ともあれ、今後しばらくは、さきのメモランダムに書き付けることを続けていきますと、また何か新たな面白い発見が見つかるのではないかとも思われます。

くわえて、そこから関連して思い出されたことがありましたが、これは次回の記事のネタにしたいと思います。

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2021年4月25日日曜日

20210425 中央公論新社刊 「自由の限界」世界の知性21人が問う国家と民主主義 中公新書ラクレ pp.117-120より抜粋

中央公論新社刊 「自由の限界」世界の知性21人が問う国家と民主主義 中公新書ラクレ pp.117-120より抜粋

ISBN978-4-12-150715-0

 ヒトラーの原体験は、志願して出征した第一次世界大戦です。英軍と戦い、敗走します。大戦末期には米軍とも遭遇します。敗戦でヒトラーが心に刻んだのは、米英両軍の圧倒的な強さでした。ヒトラーは米英を妬み、憎みます。

 心の底にあったのは、対照的に、ドイツの弱さについての悲嘆です。そこから妄想混じりの信念が作られます。

 ドイツの最も良質な国民たちは祖国を見限って米国に移民し、米国を豊かにし、戦争になれば兵士となって祖国を負かしにやってくる。彼らが祖国から出て行くのは、領土の不足するドイツには自分たちを養う余地がないと判断するからだ。最良のドイツ人の流出をくい止める喫緊の対策は、東欧にドイツの「生存圏」を確保することだー。

 この東方拡大はヒトラーの対ソ観も反映していました。ヒトラーの目には、ソ連は帝政ロシア崩壊の混乱を引きずり、共産主義という病に患っているように映じたのです。ソ連は軍事的脅威ではなく、ドイツの東方拡大の支障にはならないだろう、と。

 ドイツには米英を負かす力はありません。そのことはヒトラーも承知していました。当初は英国に対し、帝国主義を認める代わりに、ドイツの東欧支配・生存圏確保を認めさせる腹積もりでした。結局、ドイツは英国と対立し、1939年、ポーランドに侵攻します。「手術しなければ死が必至となる場合、成功の確率が5%でも手術は受ける」という物言いをヒトラーはしています。その後は坂道を転がるように、北欧、フランス、バルカン半島、北アフリカ、ソ連などへ戦線を広げることになります。

 話は前後しますが、ヒトラーは30年代後半、日本の戦略的重要性に気付きます。日本の存在によって米英の注意が極東にそれることを期待します。そうなれば、欧州戦線でドイツは有利になる。ヒトラーはドイツと日本、そしてイタリアを一つにまとめる理屈を見出します。世界は米英を中心とする「(富を)持つ国」と独日伊に代表される「持たない」国に分裂し、対立しているー。

 ヒトラーの戦略的過ちはソ連の力を極めて過少に評価したことです。

 日本の41年の対米英開戦を受けて、米国が参戦した結果、ヒトラーの憂慮は現実のものになりました。欧州の空と陸で米軍を指揮した二人の司令官はいずれもドイツ系移民の子孫でした。ヒトラーは45年4月、敗戦を覚悟して自殺します。

 今日、「持つもの」と「持たないもの」を分断する、グローバル資本主義のあり方に批判があるまり、反ユダヤ主義が再び台頭しています。移民問題も深刻です、ポピュリストらの主張に耳を貸すと、ヒトラー流の言説が響いてきます。ヒトラーの影が現代まで伸びてきているとの印象を受けます。私たちはこれからも不断にヒトラーを打ち負かす必要があるのです。

 45年以降、欧州の平和は三つの事業で保たれてきました。第一はナチスドイツの打倒です。これは米英とソ連が主体になりました。第二は東西冷戦下でのソ連の介入の阻止。これは米英、特に米国が北大西洋条約機構(NATO)を組織して実現しました。第三は欧州諸国間の戦争の否定です。これは仏独を核とした欧州統合という枠組みで実現しました。このうち平和の構築と維持に最も貢献したのはNATOです。2012年のノーベル平和賞はEUに与えられましたが、本来ならNATOです。ただ、米国はオバマ前政権以来、欧州関与を減じています。

私の見果てぬ夢はEUが真の平和事業へと進化することです。そのためには政治統合を果たし、軍事力を整えることが必須です。しかし、EUは既に政治統合を放棄しています。

 確かにEUは対象国に経済制裁を発動し、罰を与えることはできますが、例えばロシアを抑止するような政治力・軍事力は持ち合わせていません。EUは威圧できません。私見では、単独の国家として威圧できるのは英国だけです。

 ドイツは経済大国ですが、軍事小国です。89年の東西冷戦崩壊後、軍事力を更に落としている。軍事的な役割を担うことに極めて臆病です。ここにもヒトラーの影が差しています。ためらう気持ちは理解できますが、欧州の安全保障上、ドイツの振る舞いは問題です。

 英国のEU離脱問題を巡り、英国と大陸欧州の関係がねじれています。

 欧州側は「英国はEUの外に出れば、国際的な発言力を失う」と主張しますが、英国は歴史的に発言力を維持してきました。欧州側は英国がEUを離脱した場合、早晩、英国の力を必要とするはずです。英国の力を欧州に組み込む、新たな枠組みを見いだせるのか否か、それが欧州側の課題になると私は考えます。