2021年3月4日木曜日

20210304 欝々とした精神状態の除去から思ったこと「荒魂」と「和魂」

 本日の日中は比較的暖かく過ごし易かったように感じられました。また以前と比べ、大分陽も長くなり、明るい時間帯が増えたようにも思われます。そしてまた、当ブログは昨日の記事投稿により総投稿記事数が1485に到達していました。あと当記事を含めて15記事の投稿により、1500記事に到達するわけですが、他方で書き手である私は依然として欝々とした日々を過ごしています。

これまでの感覚から、おそらく、そのうちの半分程度は季節性のものであり、本格的に春が到来しますと、大分楽になるとは思われるのですが、他の半分については、現在に至っては半ば慢性的なものであると云え、その淵源は10年以上前にあるようにも思われます。

しかしながら、こうした喜ばしくない自身の精神状態を齎すものがあるからこそ、現在に至るまで、どうにか5年以上にわたりブログ記事の作成を続けることが出来ているとも云えるのかもしれません・・。そしてまた逆に、これが完全に除去された場合、ボクは更にブログ記事の作成を続けようと思うのでしょうか?

そういえば、どこかで「人は心が完全に満たされていれば、進んで文章を書いて公表しようとは思わない。」といった意味のコトを聞いたことがありましたが、これはたしかに間違いではないように思われます。

そうしますと、ボクは当ブログを書き続けるためには、この半分程度の欝々とした精神状態を保持する必要があるのかもしれませんが、もしそうであるのならば、それはそれで受け入れても良いという構えはあると云えます・・。しかし、多少欲を云わせて頂きますと、それは半分程度よりもさらに少なく、むしろ、記事を書き続けるのに最少程度の欝々とした精神状態を残してくれれば、それで充分であると考えます・・(笑)。

また、多くはないですが、周囲の方々から、ボクのブログを読まれているのか分かりませんが「それだけ文章を書けること自体がスゴイな。」といった意味のコトを言われたことがありますが、それは書いているボクからしますと「何か強迫観念のようなものによって書いている」と云った方がより精確であると云えます・・。

しかし、そうしますと、ボクにこの欝々とした精神状態そして強迫観念のもとになっている記憶を齎した方々に感謝すべきといった考えも出てきますが、それは現時点では「違う」のではないかと思われるのです・・。あるいは今後書き続けて行きますと、そこに何か変化が生じて、そのように考えるようになるのかもしれませんが、それこそがまさしく「昇華」と云ったものであるようにも思われます。

また、そのように考えてみますと神道用語の「荒魂」と「和魂」というコトバが想起されてきて「荒魂」の持つ乱暴な荒々しさが、同時にさまざまな活動を為さしめ、それにより、何らかの契機にカタルシスを得られると「荒魂」は「和魂」へと変態を遂げるとされていますが、これは当ブログにて以前にとり上げた南島に見られる霊威である「セヂ」との類似性があり、この「セヂ」を用いて「荒魂」と「和魂」との関係性を考えてみますと、ある通常の魂に「セヂ」が憑くことにより「荒魂」となり、そこからさまざまな活動を行うようになり、そして「セヂ」が離れますと「和魂」になるのですが、これは同時に「ケガレ:気離れ」でもあり衰弱とも云えるのです・・。

そして、こうした図式から、我が国での社会全体の様相を考えてみますと、どうも最近は何であれ「荒魂」的とも云える、ある種、常軌を逸したような(変性意識)状態が受容され難くなってしまっているのではないかと思われます・・。そして、これは一つに「創造」活動にもまた「荒魂」的な常軌を逸した状態が必要であるという、一見迷信的とも思われる考えが排除された結果であるように思われます。そして、その要因と思われるものは、「セヂ」を持った女性が少なくなり、その代わりに、女性が男性を物理的にコントロールし易いようにした結果ではないかと思われます・・。

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2021年3月3日水曜日

20210303 「幕末維新変革史」下巻巻末での記述から思ったこと・・

先日投稿の記事にて岩波書店刊 宮地正人著「幕末維新変革史」上下巻を読了したことを書きましたが、その下巻巻末近くに、福沢諭吉と田中正造についての記述がありました。この組合せは多少意外とも思われましたが、実際のところ両人の年齢の差は6歳ほどであり、幕末期から国内外各地を移動し活躍していた福沢と比べ、田中正造は幕末期においては、主に地元での活動に従事し、また、領主である旗本との諍いなどもあったりと、この時期での活動範囲は福沢諭吉と比べると、相対的に狭かったと云えます。

その後、田中正造は一時期官吏として勤めていた時期もありましたが、やがて郷里に戻り地域選出の議員などを務め、さらには衆議院議員にも選出されています。そして、明治34年には足尾鉱毒事件についての直訴を行います。

思うに田中正造は、江戸時代の名主・庄屋によくある実直な篤農家的なメンタリティーを持ちつつも、直情径行的な性格的特徴を持つ人物であったように思われます。とはいえ、現在から、田中正造のある意味、悲劇的とも云える人生を考えてみますと、そこには、西欧的に近代化された明治日本の所謂「有司専制」そして、それに付随する「政商」といった様相や存在が否応なく見えてきます。

そして、もう一人の記述のあった福沢諭吉との関係性について考えてみますと、何かしら複雑な、一筋縄ではいかない様相が見えてくるように思われますが、福沢諭吉は、思想や文化といった文明の基盤となるものを重視するのと同時に、事物の経済的な側面そして、その基盤となる国家の強さ(盤石さ)もまた重視しました。また、それは当時流行の西欧合理主義的思考とも軌を一にすることから、福沢諭吉は門弟・教え子や読者達に対して、そうした主張をしたものと思われます。

また、ここにその播種を見たも云える民権思想派(田中正造)と国権伸張派(福沢諭吉)との分立は、昭和期に入ると、土着民権思想的なものと国権伸張論的なものが合流して行き、福沢諭吉以来の西欧由来の色彩を遺す国権伸張論は、あまり世間一般で流通しなくなったのだと思われます。

こうした事情は、これまでにも何度か触れました中江兆民による「三酔人経綸問答」に登場する南海先生・洋学紳士・東洋豪傑の三名の関係性・立ち位置とも異なり、たとえば福沢諭吉は、南海先生もしくは洋学紳士に比定することが出来ると思われますが、田中正造については、この各々三名の特徴には合致しないように思われます。

また、当著作下巻では、この六歳違いの二人(福沢諭吉・田中正造)の人生を並列的に示すことによって、明治期の時代精神の一様相を伝えたかったのではないかと思われました。

ともあれ、下巻巻末近くに書かれている、この二人の人生についての記述は、それまでの比較的淡々としているとも思われる記述から、うって変わり、その文章は生き生きとしているように感じられました。また私見としては、当著作下巻は、これら記述部分を読むだけであっても、何かしら得るものはあると思われますので、ご興味のある方は、ご一読をおススメいたします。

そして、自身のこととしては、先日ツイートしましたが、伊藤正雄氏翻訳による「現代語訳 文明論之概略」を購入して読んでみたくなりました・・。

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2021年3月2日火曜日

20210302 「語句」の意味と、それを含む「文章」の意味について思ったこと・・ブログ記事を作成する意味?

当ブログを始めた2015年6月から2018年の夏までの期間は、概ね毎日1記事ずつ投稿してきました。そして、そこから3年近く経った現在では、およそ2日に1記事のペースにて新規投稿をしています。これを今後、多少ペースが乱れることはあっても、3日に2記事あるいは4日に3記事程度の投稿頻度にしたいと考えていますが、現在の投稿ペースに慣れてしまっているのか、なかなかそこから抜け出すことが出来ません。これは以前と比べますと一種の「堕落」であることは認めざるを得ませんが、他方で、そうした自身の心情をも記事にしようとしていることは、わずかではあれ、評価される要素と云えるのかもしれません(笑)。

くわえて、ここ最近は再び、ブログ記事題材となりそうなことを思い付いた際、PCであれ紙であれ書き留めるようにしていますが、これも、ある程度続けていると、何らかの効果が生じてくるのではないかとも思われます。また、そうしますと昨年から当ブロガーと連携しているツイッターでの投稿も、そうしたメモ的な目的として用いることも出来るかもしれませんが、他方でツイッターは、文字数が少なく慎重な投稿は困難であるようにも思われます。

「短い文量にてより多くを伝える」ということは、たしかに素晴らしいことであり、また俳句などの文化からも分かる通り、我が国では、そうした要素は重要視されていると云えますが、同時に、そこの前提にあるものは、何故であるか、あまり指摘されませんが「用いる語句と、その意味との精確な対応関係」と云えます。これがなければ、さきの俳句の場合ですと、季語などの存在から、その本質や意味が崩れてしまいますので・・。

とはいえ、この語句と意味との対応関係とは、歴史的視点から眺め、考えてみますと、時代と共に変化するものであることが分かり、同じ語句であっても時代によって、それが指し示す意味が異なるものも少なからず存在します。

こうした時代によって、その示す意味が異なる語句がある一方で、それが含まれる文章全体からは、現在とも通底あるいは類似するような「内容」を持つ文章もまた往々にしてあると云え、そうしたある種、抽象的にして観念的なものを発見した際の感覚は、大小ありますが、なかなかのものであり、語句の意味など、比較的理解され易いものと比べますと、より一層強烈であるように思われます。

そしてまた、大変面白いことに、こうしたブログ記事を書き続けていますと、どうしたわけか、そうした「発見」のようなものが「まとまって生じる時期」があるように感じられるのです。こうした感覚もまた「まあ、毎度の天動説的なものだろう・・。」と思われるかもしれませんが、ボクの現在の感覚としては「たしかに天動説的なものであるかもしれないが、それだけでもないのではないか?」といったところです。とはいえ、こうした感覚もまた今しばらく記事作成を継続してみませんと、判然としないと思われますので、今後は、さきに述べたように、もう少し頻度を上げて記事投稿を行って行きたいと考えています。

ちなみに現在の私は欝々としてスランプ気味であり、さきに述べた「発見の頻発」からは遠い状態にあると云えますが、こうした時にも、多少面倒ではあれ、書き続けることが重要であるように思われます。そしてまた、こうしたことを綴っている際に、私の精神では如何なることが行われているのでしょうか・・(笑)。

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2021年2月28日日曜日

20210228 先日ラーメン二郎目黒店さんを訪問して不図思い出したこと・・

現在から20年ほど前、新卒にて某会社に入社し、会社が運営する札幌市郊外の某ホテルでの勤務となり、そして、その中のラウンジ喫茶・売店・バー・ラーメン屋などを管理する部署の配属となりました。当時の客層は未だ国内の団体宿泊客がメインであり、それら宿泊客の方々を対象として、私の配属部署は毎日忙しく活動していました。

一般論としても云えるかもしれませんが、こうしたホテルでは、チェックアウト周辺の時間帯にはラウンジ喫茶・売店が混雑し、その後、宿泊客チェックイン後の夕刻から深夜までの時間帯では、バーとラーメン屋がよく賑わいました。

その中で、新卒のボクはラウンジ喫茶や売店よりも、バーとラーメン屋での勤務の方が多く、そうした日は、午後からの出勤、そして深夜の退勤といったシフトとなり、時間帯的にはフロントの夜勤シフトに近いものであり、昼夜はほぼ逆転していました。

それらの中で特に面白かったのがラーメン屋での勤務でした。とはいえ、勤務当初はよく先輩スタッフの方から、さまざまなことで注意を受け、時には小言やイヤミも云われましたが、それでも、このラーメン屋にて働くことは、当時のボクとしては興味深いものがあり、現在でも良い経験になったと思っています。

また、ホテル内のラーメン屋とは云っても味は本格的であり、それは「ラーメン好きのボクが云うのであるから信じて頂きたい。」という曖昧な主張ではなく、その調理過程にて最も重要な要素と云える、スープの調理を、当時の札幌では料理旅館として知られていた勤務ホテルの調理場の方々が行っていたためそのように考える次第です。

とはいえ、ラーメンのスープとは、あまり保存のきくものではなく、予め、宿泊客の入り具合から予想し、月に何日かスープを作る日を決めておき、それに合わせてラーメン屋のチーフが用度係を通じスープ材料などを発注し、また調理場にもその旨を伝えておきます。

そして、私のようなラーメン屋スタッフ末輩が、ラーメン屋が閉店した後の深夜、店内を一先ず片付けてから、階下にある用度の冷凍庫に行き、予め発注しておいた10㎏以上の豚骨を取り出し、カートを用いてラーメン屋の調理場に運び、キレイに清掃した「流し」で一本づつ豚骨をキレイに水洗いし、余分な肉やスジなどを取り除き、キレイになった豚骨を今度は玄能で叩き割り、それらを寸胴鍋に入れて行くのです。

こうして洗い、叩き割られた豚骨が収められた寸胴鍋をカートに載せ、今度はさきほどの用度と同階にある調理場まで運び「調理場の皆様 お疲れさまです。麺亭の**です。またラーメンスープの調理をお願いいたします。」といった内容のメモ紙を添え、寸胴鍋を調理場の所定の場所に置いておきます。この時間帯に調理場の方々がおられたことは一度もありませんでしたので、時刻は2~3時を過ぎていたと思われます。

そこからラーメン屋に戻り、後片付けをして、夜勤のフロントスタッフに業務終了の報告をしてから帰宅することになりますが、大体ここでタバコを1~2本喫っていました・・。

そして翌日の昼前に、早番のラーメン屋スタッフが豚骨からスープに中身が変わった寸胴鍋を調理場に引き取りに行くのです。このスープで満たされた寸胴鍋のラーメン屋への運搬は鍋を倒すと大変なことになりますので、毎回緊張していました。

こうした感じで、ラーメン屋スタッフが下準備をして、それを用いて調理場の方々がスープを作って頂いていましたが、このスープは実際に評判が良く、それを食べるために当ホテルを訪れる方もいらっしゃるほどでした。

場所が札幌であることから、麺は中太の黄色い縮れ麺であり、味は味噌・醤油・塩の3種類あり、それらのスープは共通して、さきのものが用いられていました。札幌だけに道外からの宿泊客の方々には味噌ラーメンが好評でしたが、常連の多くの方々には醤油ラーメンが人気でした。

くわえて、当ラーメン屋にはネギをラードで煮た「ネギ油」という独特の調味油があり、これもなかなかの人気であり、プレーンの醤油ラーメンの上に、白髪ネギと、細かく切ったチャーシュー、同様に切ったキュウリ、少しのカイワレ大根を和えたものをのせ、そして、その上に熱したネギ油をおたまから注ぎますと「ジュージュー」といった食欲を誘う音と香ばしい薫りが発生し、それはそれで美味しそうであり、ここでは「ネギラーメン」と呼ばれていました。

とはいえ、こうしたことを唐突に思い出したのは、先日ラーメン二郎目黒店さんに訪問したからであると云え、そこでの調理過程をカウンター越しにて見ていますと、上記のような記憶が呼び起こされるのです。また、上記以外にも書きたいことがありましたが、今回はこのあたりで一端止めようと思います。

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2021年2月27日土曜日

20210226 興味・関心の方向性と作成文章の文体について・・

 つい先日、ようやく宮地正人著「幕末維新変革史」上下巻を読了しました。以前にも書きましたが、当著作では初めて知る史実の記載が比較的多く、また、当時の文体のままでの引用なども少なからずあったことから、読み進めるのに多少時間が掛かりました。この文量であれば、本来ならば上下巻を2カ月程度にて読了出来たと思われます。

加えて、ここ最近は季節のためであるのか、あまり調子が優れず欝々とし、書籍を読み進めていても、その記述内容が頭に入って来ないことが度々ありました。

そうした時は読み進めていても、徒に時間を無駄にするだけであることから、何か違うことを行えば良いのですが、しかし、それもまた困ったことに、行っていますと、さきの読書と同様、どうも、身が入らなくなってくるのです。

もちろん、それは毎度というわけではありませんが、それでも全体的に、以前の「単純に没頭・集中出来ていた時期」と比べますと、明らかに「何かが違う」といった感覚を覚えるのです。また、この感覚は、当ブログを始めたのと同時期から何となく感じており、あるいは、この感覚とは、当ブログでの記事作成を行っていないと、更に肥大化し、自身を押し潰そうとするものであり、それを毎度の記事作成によって、抑えているのではないかとも思われます。

実際、しばらく記事作成を行っていないと、何故だか調子が悪くなったり、更に欝々とした気分に沈み込むことがあり、そこで、当初は嫌々ながらであっても記事作成を行い投稿してみますと、どうにか人心地が付いて落ち着いてくるのです。現在思い返してみますと、2019年での投稿記事の大半は、そうした状況下にて作成したものであると云えます。

あるいはこれを異言しますと、私は、この6年近くは、他のさまざまな物事よりも、当ブログ記事の作成の方を優先してきたのだとも云えます。また、その期間での日常的な出来事などはあまり記事として記していませんが、むしろ、そうした観念的な内容の文章の方が、ブログの継続などにおいては適しているのではないかと私には思われます。

このことは、あまり指摘されることはありませんが、書き手の興味・関心は、あくまでも外界に向けていた方が良いとは思われますが、他方で、その作成する文章に関しては、そうした興味・関心を糧として、内面的なことに重点を置き、当初は多くの理解は得られそうでなくとも、抽象度を少し上げた、どちらかと云えば観念的な文章を作成し続けるのが良いのではないかと、私のこれまでの経験は語ります。

それは「そちらの方が優れているから」というわけではなく、文章作成の練度を上げるためには、おそらく、そちらの方が適していると実感を通じて思われるからです。ご興味のある方は是非、先ずは1年程度続けられてみますと「何か少し変わった」と感じられてくるのではないかとも思われます。よろしければ、どうぞお試しください。

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2021年2月24日水曜日

20210224 議論や話し合いが行われる前提にあるものについて

新たな記事作成により、目標としている1500記事まで徐々に近づきつつありますが、最近はそうした(目標に近づきつつある)状況のためか、記事作成に対して変に意識して、あれこれ考えてしまう傾向があると云えます。そこで考えを変え、その時の思い付きにて書いてみることにしました。

とはいえ、そうすれば自然に記事主題が湧いてくるというものでもなく、ここでもまた立止まり少し考え始めてしまいます・・(「その時の思い付き」って・・何だ?)。

しかしながら、よく考えてみますと、こうしたことは、何もここ最近はじまったわけではなく、内心で半ば無意識にて思っていたことを文章にすることにより、ある方向からの概念的な理解が可能になってきた(意識化される)ということになります。

また、その様に考えてみますと、こうしたブログ記事の作成であっても、多少は創造的要素があることに気が付き、そして、それはそれで意味があるようにも思えてくるのです。

こうした「気付き」は、決して気力が横溢している状態とは云えない現在の私にとっては、貴重なものであり、また、それをこうして文章として著すことが出来るということは、それなりに貴重なことであるとも云えます(笑)。

即ち、こうした自転車操業的活動にも、固有のそれなりの価値があるのではないかと云うことになります・・。

また、そうしてある独特のフェーズに自身の精神を嵌め込み、多少強いてでも記事作成を始めますと、次第にあぶらが乗ってくるのか、この辺りまで書きますと、割と早いスピードにてキーボート上の手が動いていることに気が付かされます。

こうした、ある程度の長さの文章作成能力とは、やはり書き続けていないと鈍化していくようであり、現在は以前、1000記事への到達を目指して作成していた頃に比べますと、やはりいくらか鈍化しているように感じられます。しかし他方で、進化していると思しきことは、記事作成に費やす全体の時間であり、より具体的には、記事作成の波に乗るまでに費やす時間が短くなったということです。

またそれは、記事主題を見出すまでに掛かる時間というわけでもなく、むしろ、主題の決定をも含めて、ある方向への文章の展開を予測し、それに沿って書き始めるまでの時間の短縮化と表現する方が、より精確であるように思われます。

そして、こうした変化の認識は、たしかにあまり大したことではないのかもしれませんが、しかし同時にそれは、これまでどうにか記事作成を継続していなければ知覚・認識し得なかったことであると云え、また、それ故に、これまでの全てのブログ記事には、それぞれの記述内容に対しての価値(あるとすれば)とは別に、単純に自分自身の精神の変化を見出すことが出来たことに対する価値もまた、あるように思われるのです。

そういえば、小林秀雄氏がどこかで「精神とは記憶のことですよ。」と述べていましたが、その伝にて考えてみますと、私は現在では、以前ほどの熱意(必死さ)を以てブログ記事作成を行っているわけではありませんが、同時に、これまで記事作成を行ってきた記憶に基づいてこそ、新たな記事作成を行うことが出来ていて、それは「記憶を文字を用いて記録に変換する」ことにより、以前程の熱意や精神力を用いなくとも、どうにか新たな文章の作成が出来ているということになります。(雪ダルマ式とも云えるのかもしれません。)

そうした意味においても、やはり文字は重要なものであると云え、始めに記憶に基づき記録されたコトバがあってこそ、次の記録されるコトバもまた生まれ易くなるのだと云えます。そして、未だ上手く表現することが出来ませんが、これこそが、こうしたブログであれ、継続的な文章作成に普遍的に付随する価値であると云え、さらにまた、古来から続く伝統的な人文社会科学系学問の根源的な価値と云えるのではないかとも思われます。

しかしながら、これら全ての記述された記録に対し前提として云えることは「如何なる内容であれ、書き手の内心に対して正直に書かれたもの」であるということです。

そして、昨今の我が国社会での風潮を鑑みるに、おそらく、これが我が国では極めて難しいのではないかと思われます。そして、こうした内心に対し必ずしも正直とは云えない記述の氾濫・増殖によって我が国の文化とは、徐々に悪い方向に行くといった傾向があるのではないかと思われます。少なくとも近代以降については、こうした視座は全くのナンセンスとは云えないと考えます。

あるいはこれを異言しますと、我が国の社会では「正直に内心を述べることは、少なからず社会通念と反してしまうものだ。」といった認識が常識・通念として存在しているようであり、それだけに常識や通念が社会にて「重い」ということになりますが、しかし、その重さは、長年積み重ねられた議論の過程によって生じる重さとは異なり、上手く表現できませんがコトバにならない「社会での無言の圧力」のようなものであるように思われます。

これにつきましては、ボク自身未だよく分かっておりませんので、また機会がありましたらさらに深めて、何かしら書いてみようと思います。しかし同時に思うことは、「正直に内心を述べる」という行為が常識・通念と反するか反さないかということには、その「述べる」という行為に真の能動性があるか、ないかが強く関与しているのではないかと思われます。そして、そうした能動性によって、組み立てて行くことが出来るような議論が可能になり、そしてそれが社会にて広がり、次なる時代精神を惹起させ、駆動していくのではないかと思われるのです。そして、それ故に議論や思想・哲学が重要であり、また、その蓄積とも云える歴史、そして人文社会科学全般もまた、重要であるのではないかと思われるのです。

そうした意味から、端的に、おそらく戦後の我が国の高等教育は、間違った方向に舵を切ってしまったのではないかと私は考えます。

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2021年2月22日月曜日

20210222 1480記事の到達、ここにきて「祭政一致」の重要性

今回の記事投稿により、総投稿記事が1480に到達します。そしてまた、当面の目標としている1500記事まで、あと20記事の追加にて到達出来ることになります。とはいえ、相変わらず、そうした実感らしきものは皆無に近く、ただ、投稿記事数といった数値的な要素により、そうした状況が認識されていることになりますが、しかし、今後、実際に1500記事にまで到達した場合、何らかの感情の変化といったものは生じるものなのでしょうか?そして、そこで生じた感情の変化とは、私の平均的な心境に対し、何らかの良い変化を齎してくれるものなのでしょうか?

とはいえ、現在のコロナ禍、そしてまた、徐々に暗雲が立ち込めていくように見える全世界の状況から考えてみますと、少なくとも今後の近い将来においては、自身を含め、我が国にて何か良い出来事が生じるとは到底思うことが出来ないのが正直なところです・・。

また、それは実のところ広汎に理解されているとも思われるところであり、そして、こうした国全体を覆っている絶望感あるいは虚無感を除くために東京五輪も開催されるのだとも思われますが、これはかなり博打的であると云えます。それは、これを契機として、世界全体が「コロナ禍の中にあっても五輪開催が出来た!」といった希望や自信に繋がれば、それまでの我が国の開催に向けた活動は評価されるのだと思われますが、他方で、内実を伴わない、つまりは多くの国民に支持されない状況にて開催されても、それは冷ややかに「結局それで誰が得をするの?」といった、更なる官民間の離開が進行すると思われるからです。

そういえば、この「官民間の離開」が、ここ最近の我が国の政治状況を示すコトバであるようにも思われます。また、そのように考えてみますと、我々が意識する所謂「官」というものにも、何と云うか地域性といったものがあるように思われます。現在私が住む首都圏とはいわば「官」のお膝元ではありますが、同時に当地は経済活動のお膝元でもあることから、端的に云えば「官」は自らの実入りとなる高い税収のためにも、経済活動を支援・促進する必然性があり、そのため「官」は「民」たる私企業に対し、比較的腰を低く、丁重な対応をとる傾向があると云えます。他方、あまり地場産業そして自主財源に乏しい地域においては、中央からの地方交付税交付金・国庫支出金などにより「官」を回しているといった状況があり、そうした地域においては、さきに述べた首都圏での「官」と「民」の関係性は、あるいは我が国近代初期での状況に近くなり、端的には「官尊民卑」の傾向がより強くなると云えます。

そして、そうした状況にて「官民間の離開」が進行しますと、首都圏などの経済力により「民」が強い地域にあっては、より功利主義的な指標が「官」に対しても用いられるようになり、本来「官」が保持していた「福祉」や「「公共」といったものが弱くなっていくのではないかと思われます。

他方で、これが地場産業や自主財源に乏しい地域にあっては、中央からの指示によってかベンチャー起業や大企業誘致などが盛んに行われるようになりますが、しかし、元来、彼等は「民」たる経済活動を知らず、あるいは内心、下に見てこうした活動に対する理解もなく、ただ上からの指示通りに動くといった状況となります。そして、こうした状況にあっては、中央から流れて来る資金をより多く「我がとこの組織」に落ちて来るように働くことが、より功利的な活動と見なされるようになります・・。そして、こうした状況下での「官民間の離開」は、首都圏などよりも更に深い禍根を地域社会に齎すのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?

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