2021年1月17日日曜日

20210117 1000記事への到達前後での記事作成について思ったこと

 おかげさまで昨日投稿分の「「 異郷の地に住むこと」について思ったこと」は、比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

また、今回の記事投稿により、総投稿記事数が1457記事となりました。もちろん、これはキリの良い数値ではありませんが、同時にこのペースにて記事作成を継続しますと、来る2月には、どうにか1465記事まで到達することが出来る目算が立ちます。

そうしますと、現在目標としている1500記事まで、残り35記事となり、そして今後さらに2日に1回程度の更新頻度にて継続しますと、4月頃には、どうにか1500記事まで到達出来るようにも思われてきます。

さて、どこかのサイトにて「ブログは1000記事書いてからが勝負だ」と書かれていた記憶がありますが、自身の経験に基づいて考えてみても、この記述は全くの間違いではいないように思われます。

自身のブログ記事作成においても、1000記事以降で更に書き続けるのが、それ以前よりも苦しかったと云えます。それは「閲覧者数が変わらずに少ない」といった外的な理由であるよりも「内から湧いてくる力の減衰」と評して良いと考えます。

つまり、ある程度の目標(1000記事)の達成後は、否が応でもいくらかは「燃え尽き症候群」となるのか、さきの内からの力が減衰し、その上でも書き続けることは、以前と比べますと、いくらか苦痛であったと云えます。

しかし、それでも休みを挟みつつ書き続けますと、また記事作成の波のようなものに乗ることが出来、そこから100記事、200記事と更に積み重ねていくことが出来ました。また、そうした過程にて時折不図、気が付くことは、以前よりも記事の作成が速くなり、また、自然な文章が書けるようになってきていることであり、こうした感覚は、自身の文体の確立とも、いくらかは関連があるように思われますので、今後も注意して行きたいと考えています。

そして、今後1500記事程度まで作成しますと、現在よりも、もう少し「読める」文章を作成することが出来るのではないかと期待されるのです・・。

そういえば、先日、宮台真司著「サイファ覚醒せよ!」を読んでいたところ、文中に「表現と表出の違い」について書かれており、これは、継続的なブログ記事の投稿をしている自身からしますと、大変興味深いトピックであり、以前であれば一記事投稿しますと、それなりにスッキリとした感じがありましたが、さきに述べた1000記事到達以降しばらく経ってからは、記事投稿を行っても「スッキリ感」を感じない時も多々あり、それは書籍からの抜粋であるか、オリジナルの文章であるかの違いではなく、未だ自身の意識ではよく分からない内的なところに原因があるように思われます。

そしてまた、面白いことには「スッキリ感」があった記事の方が、決して多くの方々に読んで頂けているというわけでもなく、それは記事作成によるカタルシス(スッキリ感)が、その記事を読んで頂いた方々の数に直結はしないことであり、これは記事作成者側からしますと、理解できないため歯痒く思う半面、さらなる挑戦を惹起させるものであり、面白いと云えます。そして、このある種「混沌・カオス」を面白いと思える感覚に、次なる洗練や上達のためのカギが潜んでいるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!




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2021年1月16日土曜日

20210115「 異郷の地に住むこと」について思ったこと

元々私は関東地方の千葉県と東京都で育ち、また、そこにアイデンティティーを持っていますが、大学卒業後に就職した会社での初任地が札幌市であり、そこで2年間過ごすことになりました。札幌、北海道は、大変良い場所であったとは思いますが、私にとっては如何せん寒く、さらに冬季は日光が乏しいためか気分が沈むことが多かったという記憶があります。

また、その街並みも「縮小した東京」といった趣が強く、それまで首都圏しか知らず、それがベストであると堅く信じていた私にとっては価値観の変容を生じさせるほどの経験や刺激はなく、同時に、それを受容出来るような感覚もなかったのだと思います。

その後、希望勤務地の調査にて「東京」と書き続けた結果、次の赴任先は、南紀白浜になりました。それまで、修学旅行など以外で首都圏から最も西に離れたのは静岡県の伊東市にあった祖父母の家に滞在する時くらいであり、当時の私にとって、南紀白浜どころか西日本自体が、あまり良い表現ではありませんが「得体のしれない場所」であったと云えます。

しかし、嘆いていても始まりませんので赴任しますと、寒い北海道からの転勤であったためか、陽光がやけに眩しく感じられ、さらに、着任後わずか1カ月程度で白良浜にて海開きがされ、その何というか「南国ぶり」には大変驚かされました。くわえて、南紀白浜は空気も大変美味しく、温泉もあり、全身で大地の精気のようなものを感じることが出来たと記憶しています。

さらに、かねてより私が好んでいた歴史に関する遺跡なども多く、休日に自転車で近くの田辺市まで行く途中には、さまざまな興味を惹くものがありました。またこの当時、アマゾンを利用して書籍を購入することも覚え、そこで、それら遺跡についての記載があると思しき書籍を購入したり、あるいは文系師匠からの手紙に記載があった書籍などを購入して読んでいました。

この時期、英国の作家ロバート・グレーヴスを知り、その著作である「この私、クラウディス」は特に面白く感じ、休日の近くにある合川ダムへの釣行にも持参し、一人、ボートの上で読んでいました。現在思い返してみますと、これはいくらか贅沢な経験であったのかもしれません・・。また当時、釣れた魚を記録に残すため、初めてデジカメを購入しましたが、それは釣れた魚のみならず、釣行の際、キレイであると思った風景などの撮影にも用いていました。そして丁度この時期、定期購読していた「ナショナル・ジオグラフィック」日本版にてデジカメによる写真コンテストが開催されることを知り、撮影した風景写真の中で気に入っているもので応募したところ、佳作か何かで入選となり興奮した記憶があります。ちなみに当時、黒澤明監督の作品にもハマっており、とりわけ「蜘蛛巣城」を好んでおり、会社同僚にDVDソフトを貸したりしていましたが、その反応はあまり良くなかった記憶があります。おそらく、当時から少しズレていたのでしょう・・(笑)。

その他にも、この時期はさまざまな経験があり楽しかったと云えますが、南紀白浜に赴任して2年ほど経過した頃「私はこのままサラリーマンを続けていくのは困難であろう・・。」と思うに至り、大学院入試の情報を集め始めるようになりました。当時はまだ首都圏にある大学しか考えていませんでしたが、偶然、丁度この時期に東京へ転勤となり、一先ず実家に荷物を置かせてもらうことにしました。この頃、実家は自宅を改造して開業したばかりであり、荷物を置く場所がなくて難儀しましたが、他方で私が大学院に進んでも大丈夫そうであったことから、親戚の人文社会科学系教員や師匠に相談したところ「今から大学院に進むのであれば、これまでの経験を活かせるトコロが良い。」と云われ、検討したところ、南紀のことが想起され「これは私独自の経験と云えるだろう」と思い資料を集め、どうやら、そうしたことを深めることが出来そうな研究科が和歌山の大学にあることが分かり、教員に連絡を取ってみたところ、決してウェルカムといった感じではなかったものの「ふむ、やりたいのであったら指導できるかもしれない。」といった感じであり、とりあえず準備をして受験したところ、どうにか通った。これは、やはり南紀白浜での勤務経験があったからであると思われるが、同時に、その経験がなければ、そこを受験しようとは考えなかっただろう。その意味で、やはり「これまでの経験を活かせる」ことは出来たのではないかと思われる。

大学院という場所は初めての経験であり、当初は右も左も分からずに色々と面食らったが、同時に面白かったのは、そこでは、いくらか小難しいと思われる書籍を読んでいると、その書籍について話しかけてくる方々が、わずかながらではあれ、いることであり、それは一種、探りを入れてきたのだと思いますが、そうしたことが機縁となり、後日、議論や輪読会をしたり、さらには院生自主勉強会を定期的に開催するようにもなりました。これは大変面白く勉強になりました。以前にも当ブログにて書きましたが、あの時期は自身にとっては遅蒔きの青春であったのだと思います。

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2021年1月15日金曜日

20210114 筑摩書房刊 開高健著「開高健ベスト・エッセイ」pp.19-21より抜粋

筑摩書房刊 開高健著「開高健ベスト・エッセイ」pp.19-21より抜粋

ISBN-10 : 4480435123
ISBN-13 : 978-4480435125

ある土地のある時代の住民の気質をそれより以前にあった歴史の性質からして判断しようとするのは、それだけだと誤ちが多すぎるけれど、それでも、ある程度までは、たとえば一つの事物を植物ですか、動物ですかと、第一に規定する程度までは、正確であるように思われる。そこでこれを西鶴について考えてみようとすると、何よりもまず彼は大阪人だったということになる。

 現在の大阪人に”大阪人”の気風がどれだけ生きているかは別の問題になるが、西鶴の作風や生き方などに照らして、その特質をもし一語で答えろと無茶なことをいわれたら、私としては”才覚”だと答えておきたいことがある。それを現代風に”独創性”とか、または”アイデア”とか、いろいろ輻射した言葉を持ちだすことはできるが、彼自身が作品のなかでもっともしばしばたよりにしたのはこの言葉であった。大阪人は権力の影のしたで暮らすことができなかったので徒手空拳、ひたすた自身の創意と知力を工夫し、凝らし、飛躍させるよりほかに生きるすべがなかった。だから大阪人のなかには自分でもその衝動の根源がどこにあるのかわからないくらい深い衝動に駆られる傾向がある。

 在野精神、反骨、批評精神、痛酷な冷徹、自身それに徹しなければならないので他人がそれに徹することを許す寛容、精力、好奇心、発明欲、探検精神、官能の開発と洞察・・ふつう大阪人に見られるこうした要素を、西鶴の作品、作風、登場人物たちに読みとるのはやさしいことである。ごく卑近な例を一つとってみると、坂田三吉が初手に角頭の歩をついて敗北したということなどは、どうであろうか。そういう無謀をやれば負けると知りぬきながらもあえてやってのけてしまったのだが、そこにも”才覚”精神の一端を読みとることができる。これを叛逆のための叛逆、異端のための異端と見ることはやさしいけれど、それは結果から見た見方であって、衝動が発生したときの恐怖、苦悩、それをおしきる気魄のことを考えれば、容易なことではすまなくなってくる。いかなる手段を尽くしても勝とうとする男のことを”勝負師”というのならば坂田は勝負師ではなかった。

 勝てる実力が満々とあり、どうすれば勝てるかということがわかっていて、先の先まで読みぬいていながら、一挙にそれをひっくりかえしてしまい、あえて初心で未知に挑む行動に坂田はうってでたのである。恍惚と不安を背負ってたら、もろくも敗れ去っていった。”大阪人”にはいつもこのときの坂田三吉がどこかに棲みついて目を光らしていると見るべきである。安住し満足することを自身にけっして許そうとしない、ある容赦ない衝動が巣食っているのである。一度それが発動されたらさいご、あとはひたすら波にのって走り、自身を蕩尽して打倒してしまうほかない、そういう衝動である。文壇用語でこれを”破滅衝動”と呼ぶが、”破壊”と”創造”は一枚の楯の裏表にすぎない。これは石器時代からの定則である。いまさらどうこういってもしようがない。だから、そういう眼で”大阪人”を用心して観察しないことには、がめつい奴、ちゃっかり屋、計算家、ケチンボ、美食家、新物食い、軽薄、おしゃべり、指紋でべとべとによごれたレッテルをいくら読んだってはじまらないのである。

2021年1月13日水曜日

20210113【架空の話】・其の63

 口腔保健工学科への編入後は、これまで全く接することのなかった科目群の学習をすることになったわけだが、これはたしかに大変であり、また、以前と比べ、明らかに体に無理がきかなくなっていることが分かり、そこから、自然と毎日少しづつ勉強をする癖がつき始めたとも云える。

また入学直後に申請した奨学金は、どうにか一種にて採用されたが、それだけでは生活はままならず、こちらでも週に2日ほど夜勤の警備員のアルバイトに就いた。これは、市内の個人経営の病院であり、急患などの突発的な出来事がなければ、そこまで体力を消耗するものではなく、仮眠をとったり、机に向かって勉強をする時間もあった。

そこまで多く顔を合わせ、長く話す機会はなかったが、当直勤務のドクターや看護師さんの中には、私が机に向かい教科書、ノートを開いて勉強しているのを見て、それが解剖学といった彼等がかつて勉強した科目である場合は「分からないことはないかい?」と訊ねてきてくださったり、あるいは飲物やパンを差し入れしてくださる方もいた。

はじめのうちは、よく分からなかったが、少し経ってから、大分前の幼い頃に児童館か床屋で読んだ記憶がある松本零士による「男おいどん」というマンガをそこから何故だか思い出させた・・。

この夜警のアルバイトは医専大の卒業後もしばらく続け、その後進んだK大学大学院医歯学総合研究科にてTAやRA、そして母校での非常勤講師のアルバイトにも就き、また、実験のため深夜に研究室に行く必要性も生じてきたことから、辞めることにした。

そういえば、入学当初の頃は、人間には歯が何本あるかも知らず、また、それぞれの歯に固有の名称があることも知らなかったが、それを学ぶにつれて、それが概ねどの人種でも同様であり、また、その形態や機能などについても同様であることには何故だか興奮し、これまでの人文社会科学系にて学んできた内容とは、どうも異なる次元にあるものを学んでいるといった実感を持つに至った。

それは端的には、物理的な意味での普遍性であり、また、そうした性質(普遍性)があることにより、異なる言語で書かれた論文などの文献も、そこまで労せずに理解することが出来るのだと悟った。

つまり、医療分野の学問がすぐれているという根源には、人体という実質を伴う普遍的なものを対象としていることがあり、そこでの新たな知見は、たとえ全人類ではないにしても、より多くの人々に対して有効であると云えるのである。

その点、殆どの人文社会科学分野の学問は、こうは行かないと云える・・。しかしながら、それだからこそ、人文社会科学の学問には価値があるとも云えるのだが、その価値とは、さきの医療分野における普遍性から生じる価値とは異なるものであるのだ・・。

そしてまた、貨幣経済の基礎を成す価値の基準と相対的に見て、より親和性があると云えるのが「人体」という普遍性が基層にある医療分野のそれであり、多くの人々はそちらの方をより重要視することであろう・・。

くわえてそれは、概ね16世紀以降に西欧諸国が世界の覇権を握るに至るまでの歴史的背景にある主要な思想とも云えるのかもしれない・・。

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2021年1月11日月曜日

20210111【架空の話】・其の62

あとは教授とE先生を交えた雑談のようになり、とりあえず今回の研究室訪問の目的は達せられた。

この雑談はその後約1時間ほど続き、主に教授がご自身のことについて語ってくださった。どうやら元来話好きの性分であるらしく、さまざまな方面にハナシが飛んだが、さすがに長年、学生相手の講義をされてきたためか、そのハナシには惹き付ける何かがあるように感じられた。

ハナシによると、このS教授は、歯学部の教授でありながら歯科医師ではなく、背景となる学問分野は工学であり、専攻は窯業つまりセラミックスとのことであった。また、これはあとになって知ったことだが、この歯科理工学研究室とは、全ての歯科大学・歯学部にある、まさに歯科医学分野の研究室でありながら、その教員は歯科医師でないことが多く、ここ最近では多少事情が変わってきているとも聞くが、当時は半数程度がS教授のような工学分野出身者や、さきにご挨拶した先生のように歯科技工士を背景とする方もいた。

教授は、もともと関西圏にあるH県の都市Kのご出身であるが、高校卒業後は大学進学のため東海地方のA県の都市Nに行き、そこで大学院修士課程まで修了され、その後、著名な歯科医療総合メーカーであるG社に入社され東京配属となった。当時は景気も良く、各歯科大学・歯学部共に割合多く備品を購入されていたようで、電気炉や鋳造機など納入機器の操作説明担当者として、しばらく滞在した都心部にある某老舗歯科大学で、当時、歯科理工学教室主任教授であったK先生に気に入られ、G社から引き抜かれて、助手として勤務することになったとのことであった。

その後、歯科大学でも熱心に研究を続け、歯学博士の学位を取得され、さらに続けてNにある母校の大学にて工学の論文博士の学位も取得されたとのことであった。

こうした博士号を二つ取得されている方を世間ではダブル・ドクターと云うようであるが、私にとっては、このS教授が、初めて見るそうした方であり、あるいは、さきに感じた精悍さも、そこに由来しているのかもしれない・・。

そういえば、面談の終盤、不図、S教授が私に「君は、今の医専大を出て歯科技工士になれたら、次はどうするつもりなのかね?」と訊ねてきた。私は突然のことで「・・ええと、普通に就職活動をして条件の良い技工所か何処かに勤めたいと考えています・・。」と少々慌て気味にて返事をすると「・・・そうか、実はうちの教室の先生方もここ3・4年で続けて定年退職されて、そうしたら今、医専大にいるウチの教室OBの連中をこっちに教員として呼び戻したいと考えておるのだが、そうすると今度は医専大の方のポストが空いてしまうからのお・・。」と云われた。それを聞いて「ひょっとしたら医専大のポストに入れるかもしれない!」と少しだけ目が見開いたが、あまり気にしないような調子で「・・そうしますと、またS先生の教室OBにて医専大のポストを充当することになるのでしょうか?」と訊ねてみると、教授は少し黙ってから「・・うむ、しかし、このEが2年前に修了してから、ウチの研究室には正規の院生はおらんのだ・・。」と、E先生の方を少し見て云った。それを聞いた私もまた少し間をおいて「あの・・もし来年度、私が無事に医専大を卒業して歯科技工士になれましたら、そちらの研究室に院生として入ることは可能でしょうか?」と、おそるおそる訊ねてみると、教授は「うむ、まあ、それは無事に受ければ可能かもしれないな・・。しかし、それでウチに来てくれるのであれば、歯科理工学の学生実習なども上手く回せるようになるかもしれんぞ・・。」と少し回りくどいような返答をされた。

ともあれ、この最後の方のやりとりは、当時の私にとって、サッと未来に光明が見えた瞬間であったことから、強く印象に残っている。おそらく、あの時もまた、一つの人生の分岐点であったのだと思われる・・。

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2021年1月9日土曜日

20210109【架空の話】・其の61 【其の59の続き】

ドアを開けた先は、日本の城門構造でよくある桝形様にパーテーションが置かれ、そこには学会発表に用いたと思しき英文ポスターが貼られ、その奥の様子までは窺うことは出来ない構造になっていた。

入室されたE先生と教授との会話は、こちらまで少し聞こえたものの、その内容までは分からなかったが、一分も経たないうちにE先生がドアを開き、室内から「では、教授から許可が出たので、入室してください。」と云われ、また室内に戻られた。

私は、開いたままになっていたドアの前に立ち、さきほどのE先生のような声で「K医療専門職大学口腔保健工学科3年の**と申します。入ってよろしいでしょうか!?」と述べると、E先生の声で「入室してください。」と少し形式ばったような声色の返事が来て、この時不図、二年前の編入試験の光景が思い出された。

入室してすぐのパーテーションによる桝形から出ると、壁一面の詰まった本棚と、その他の壁に貼られた英文の学会ポスターから、いかにも研究室といった印象を受けたが、それはかつてはよく訪れた人文社会科学分野の指導教員の研究室とは若干趣が異なり、分野外と判断されるようなモノはあまり置いていないように見受けられた。

また、部屋の奥にはPCが据えられた執務机があり、手前側には応接用を兼ねたと思しき大きなテーブルが置かれ、その上には学会誌やホチキス留めされた論文と思しき資料、歯科の専門雑誌などが無造作に置かれ、そのテーブル周りに置かれた椅子には教授とE先生が座り、そしてもう一つ空の椅子があった。

私は自然とその椅子の横に立ち、ほぼ正面に座っている教授に「はじめまして、K医療専門職大学口腔保健工学科3年の**と申します。」と、先ほどと同じセリフを述べてから丁寧にお辞儀をした。すると教授は私に「おお、E先生から聞いとると思うが、私が歯科理工学教室のSです。どうぞそちらにお掛けなさい。」と着席を促された。それに対し「では失礼します。」と、はす向かいに座っているE先生に対しても目礼をしてから椅子に腰掛け、持参のリュックを脇に置いた。

教授は父や遠い親戚の院長よりいくらか年配のように見受けられたが、肌艶は大変よくて精悍な感じであり、もう少し髪の毛が多くあれば40代半ばでも通じるような一種不思議な容貌であった。

するとE先生が「教授、こちらが先日お話しした当学科3年の**君でして、彼は医専大入学以前に文系の大学院修士課程を修了しておりまして、なかなか変わっているのです。」と会話の口火を切ると、教授が「ほお、そうですか・・それで、どこの大学で何を専攻したのですか?」と訊ねてきたことから「はい、A大学でヨーロッパ文化専攻を卒業し、同大学の大学院修士課程でジョゼフ・コンラッドという作家の作品についての研究で学位を取得させて頂きました。」と返事をすると「ほお、旧制私立の高等学校の流れを汲むとこやな・・そうか・・それで、そのコンラッドという作家の作品は原書で読んだんやな。」と、さらに訊ねて来られた。私は「ええ、一応あまり長くない作品については原書にて通読しましたが、原書では読んでいない作品も少なからずあります・・。」と、少し恐縮気味に返事をすると「ああ、そこはあまり気にせんでええから・・。」と云って、ホチキス留めしてある英論文と思しきものをこちらに手渡し「そこに書かれている実験の概要は分かりますか?」と、重ねて訊ねてきた。手渡された論文のタイトルを見てみると、大体は理解出来たことから「はい・・ええと、これはさまざまな条件下での歯科用合金と陶器との接着について実験を行ったものであると思います・・。」と返事をすると、教授はE先生の方をわずかに頷きながら一瞥し、すぐに私に向かい直して「そうです。この陶器というのは歯科用陶材のことであり、これと歯科用合金との接着強さについて研究したものなんだが、これらの接着を作製時の操作として必要なのは、どんな補綴物かもちろん分かりますね?」とまた訊ねて来た。私は「ええ、まだ実習で作製したことはりませんが、陶材焼付鋳造冠であると思います。」と答えると教授は「まさしくその通りです。しかし、おそらく既に知っていると思いますが、近年の貴金属価格の上昇によって、たとえ保険診療外であっても、この鋳造冠を作製すること自体が困難になってきているのです。そこで、この価格が高騰している合金に代わる比較的安価な材料として、セラミックスであるジルコニアが良いのではないかと最近考えられているのだが、それを用いての実験をはじめる前に、先ず自前で既存の歯科用合金を用いて、さきの論文に書かれているような実験のデータを出し、それらを検証をしてみたいと考えているのです・・。そこで、手近な研究室関係者に訊ねてみたところ、皆それぞれ実験テーマの方向が違ったり、忙しかったりで、なかなか見つからなかったのですが、つい先日、そこのE先生が君のことを話して、それで今日に至ったわけです。」とその背景までを話してくださった。

私はそれを聞きつつ心中にて「しかし、まだ私は歯科用陶材を用いた実習を受けていないが大丈夫なのだろうか・・?」と疑問に思ったが、E先生はこうした事情を御存知であることからか、すぐに後を継いで「口腔保健工学科では陶材焼付鋳造冠の作製実習は未だ行っていませんが、先代のK教授門下OBで、K市にて開業されているO先生が、ご自身で補綴物をよく作製され、陶材焼付鋳造冠も作製されるとお聞きしていますので、週末の一日、私がアルバイトに行く車に**君を乗せ、O先生の診療所でおろして、一日かけて作製法をO先生から教えて頂き、夕刻頃、アルバイトを終えた私が再びO先生のもとに**君を拾いに行くというのが良いのではないかと考えています。」と、既に教授には話していたのか、教授に向かっての口調であったが、私の方を向いて提案して来られた。

それについては、私はどうしようもなく、肯定するのであれば、その流れ全てに乗ることが賢明と考え「はい、分かりました。また日程等につきましては、後日調整して頂ければと思います。」と返事をして、あとは教授とE先生を交えた雑談のようになり、とりあえず今回の研究室訪問の目的は達せられた。

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2021年1月7日木曜日

20210107 【架空の話】作成の基となる記憶について思ったこと・・

 おかげさまで一連の【架空の話】にて60記事作成することが出来ました。これまで読んでくださった皆様、そして、作中人物のモデルとさせて頂いた皆様、どうもありがとうございます。

この【架空の話】は、自身作成のブログ記事の中では、比較的多くの方々に読んで頂いており、今後もまた継続的に更新していきたいと考えております。他方で、この【架空の話】は、主たる内容が自身の記憶に基づくものであることから、その記憶が活性化されている時の方が書き進めやすいとは云えるのですが、同時に面白いことに、当時の記憶を共有されている方々と実際にお目に掛かり、話す機会などを持ちますと、記憶が励起され過ぎるためか【架空の話】作成の方は、何故だか進まなくなる傾向があります。

これは未だ自身の中で確立した見解には至っておりませんが、たとえ主に記憶に基づいたものであっても【架空の話】作成においては「記憶そのもの」あるいは「記憶を共有する方々」から少しだけ距離を置いた方が、文章の作成はし易くなるのではないかと思われるのです。

そして、そうした考えが出て来た背景には「記憶そのものではあまりにも生々しく記憶に基づいた表出全般では、記憶に対する何らかの変換のようなものが必要ではないか」といった小林秀雄がどこかで述べていた意見があり、あるいはこのような変換作用があるからこそ、オリジナル(記憶)に基づいた二次創作そして創造行為が可能になり、そして、それが更なる二次創作そして創造行為を生み、それらが洗練され蓄積していくに随い、何と云うか時代精神・集合的無意識に変容が生じ、そして、次なる異なった時代が喚起されていくのではないかとも思われるのです。

また、このことは、以前当ブログにて抜粋引用したゲーテによる小説と戯曲との相違にも何らかの関連性があるのではないかとも思われるのです。ともあれ、ハナシを卑近な【架空の話】作成に戻しますと、そのスムーズ且つ出来るだけ長期の作成のためには、あまり肩に力を入れず、そして記憶が励起され過ぎる経験を避けることになりますが、しかしまた、他方で、励起され過ぎないと忘れて行くといった困った側面もあるように思われ、その兼合いがなかなか難しいところではないかと現時点では考えております。

とはいえ、この鹿児島在住時代の記憶を【架空の話】として表出するまで7年間掛かっていますが、これは記憶の熟成期間として必要なものであったのか未だ分かりません。しかしながら、在住全期間の出来事を文章として起し・ノンフィクションとして作成することは、おそらく現時点でも、やはり、あまりにも生々し過ぎて困難であろうと思われますので、こうした方法(【架空の話】にする)に拠る、ある種の昇華は、少なくとも自身にとっては、何らかの意味があるのではないかとも考えています。

そして、そのように考えてみますと記憶の変換作用の媒体・手段となる様々な表出手法(文章・動画・マンガなど)に思いが至るのですが、ここにも、さきに述べたような生々しさを敢えて避けることにより、次なる創造行為への可能性が拓かれるのではないかと思われるのですが、この点については「SDGs」の重要性が受容されつつある感のある我が国ですが、あまり考慮していないように見受けられます。

そのため、私はマンガやアニメといった視覚に対し強烈とも云える媒体に、各種物語を託そうとする傾向そしてそれを受容しようとする傾向に対しては、あまり肯定的になれません。

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