2021年1月5日火曜日

20210105【架空の話】・其の60 【其の55の続き】

こうして出会う自然に身に着いた職業的とも云える几帳面さもまた、当時の私にとっては、さきの「とり天」と同様、新鮮なものに感じられた。

さて、こうして思いがけず院長と昼食をご一緒させて頂くことになったが、その献立は思いのほかに質素であり、メインのとり天、そして、ごま塩がかかり、梅干しがのった雑穀入りのご飯と、切り干し大根の煮物、そして削り節が添えられた輪切りのオクラ、それにインスタントのわかめの味噌汁と、温かいお茶といったものであった。

それでも院長は実に美味しそうに弁当を食べつつ、鹿児島はオクラの名産地であることや、とり天につけるポン酢がこだわりの一品であり、学会の支部会にて訪問した博多にある水炊き専門店の特製であることや、もう一つの調味料であるゆず胡椒は、大分県の名産であり、その製造元は作家の野上弥生子の実家であることなどを話してくれた。

このポン酢は私もご相伴にあずかったが、たしかにスーパーに置いてある一般的な市販のポン酢とは、明らかに味の奥行きや、鼻に抜ける柑橘と醤油の合さった食欲を増進するあの独特の薫りなどが異なり、これであれば、淡泊な味わいの「ささみ」のとり天も、美味しく食べられること請け合いであろうと思われた。

とり天は本来「ささみ」だけでなく「もも」や「むね」を用いるのであるが、院長は健康のためとのことで「ささみ」のみで注文しているとのことであった。

とはいえ、それはまだどうにか若者に属する私にとっても十分に味わい深いものであり、あるいは、用いる鶏肉自体の質が異なるのではないかとすら思われた。ちなみにさきのポン酢については、後年、私も博多訪問の折、中洲川端まで出向き、準備中であったお店を訪ね、頼み込んで購入させて頂いたといった後日談がある・・。

近年では多少事情も異なったと云えるかもしれないが、概して関東に比べ西日本の方がポン酢を用いる食文化は発展しているように思われる。また、基本が塩味といえる醤油に果物(柑橘)由来の酸味をかけ合わせて新たな味を創造(止揚)しようとする傾向は、何となく東アジア南方にその起源があるのではないかとも思われた。

まあ、もともと柑橘は、あまり寒いところでは実らないといった植生的な事情もあるのだが・・。

ともあれ、このため、さきに述べた献立からは少し想像できないほどの口福を頂き、食後のお茶を飲んでいると院長が「ときに君は、さきほど話した五代前の我々の共通のご先祖のお墓が「南洲墓地」にあるのを知っているかね?」と訊ねてきた。

私が父から聞いたのは、五代前のご先祖だけがねむる墓でなく、いわば一族の墓であり、その墓については、これまで聞いたことがなかったことから「いいえ、それは知りませんでした・・。それが「南洲墓地」・・というところにあるのですか?」と訊ね返すと「ああ、そうだったのか・・。うん、まあ、それもそうかもしれないな・・。と云って、傍らにあったメモパッドを開いて、思い付いたように、コートハンガーに掛けてある白衣の胸ポケットから、ペリカンの万年筆を取って来て、それを用いて何やら書き始めた。手元を見ていると、どうやら墓域を示したものであるらしく、墓地入口と南洲墓が書かれ、そして、そこを基点として墓のある位置を示したものであると思われた。

書き終わると「これで墓のある大体の場所は分かると思うから、あとは地域の勉強だと思ってご自分で探してみなさい。そして花でも手向けてあげると、泉下のご先祖「***さあ」も喜んでくれるかもしれない。」と云って、年の割には人懐っこく、そしてイタズラっぽい笑顔で、そのメモ紙を私に手渡した。

さて、この経験および、その後の経験も踏まえて思うことは、Kの男性、いや女性も実はそうであるのかもしれないが、こうした見様によれば重いようなことを、敢えて笑顔で冗談のようにして云う傾向があることで、あるいはこれは、本当に辛い歴史を持ち、そして、その記憶を持ち続けようとする人たちの、涙で記憶を曇らせないための或る種の知恵であるのかもしれない・・。

とはいえ、そのようなことを彼等・彼女等に云ってみたところで、これまた冗談にされることは請け合いであるとから、それは、これまで口にしたことはない・・(笑)。

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2021年1月3日日曜日

20210103【架空の話】・其の59

やがて背後から「おお、***君、もう来ていたのか!良かった、良かった!」と聞き慣れた声で云われたので振り返ると、そこにはこちらに向かって歩きながら白衣を着つつあるE先生がいた。

私はE先生に挨拶して、持参のリュックから大学指定の淡青の白衣(作業衣)を取り出し、E先生に倣ってそれを着た。これでようやく、それらしく見えるようになったと思われたが、如何せん初めての場所であることから、その時の私はオドオドしていたに違いない・・・

やがて、E先生が「じゃあ、もうすぐ時間だからとりあえず中に入ろうか。」と云い、ガラス造りのドアを開け、入って行った。この建物は斜面上になった土地の上に建てられたらしく我々が入った出入り口は2階であり、また、そこは、さきの歯科診療棟の2階と繋がっていた。そして研究棟の2階には学部事務室や技工室があり、他には普段はあまり使われないという学部長室などもあり、これはE先生が案内しつつ教えてくださった。

また、技工室への挨拶の際には、仕事が一段落したと思しき技工士さん達に紹介してくださった。「ああ、ハナシはE先生から聞いているよ。何か必要な材料があったら遠慮なく云ってね。」と明るく仰って頂き少し安心したが、その技工室はまさに「現場」といった緊張感があり、作成途中の補綴装置や石膏模型が整然とではあれ、至る所に置かれており、大学での実習室とは大分違った趣がそこにはあったと云える。

技工士さん達は総勢三人とのことであったが、そのうちの一人は、義歯のレーズ研磨のため同階にある研磨室に行っているとのことであり不在であった。そのため挨拶は後日ということになり、学部事務室向いにある階段にて歯科理工学教室のある五階まで行くことにした。

ちなみにE先生は、階段を一段飛ばしで上がっていくという特徴というか癖があるのだが、それはここでも同様であった。

五階に着くと、そのまま、すぐ目の前にある教室に入った。そこには教室の教員と思しき方がPCに向かい仕事をされているようであったが、我々が入ってくるのを認めると「はい、どなたですか?」に続いて「ああ、E君かね・・。今日は実験に来る日だったかな?」と訊ねてきたため「いえ、今日は例の実験を手伝ってくれる医専大の学生さんを挨拶のために連れて来ました。」と返事をすると「・・ああ、こないだの朝のミーティングで出たハナシだね。ふーん。」と淡青の白衣(作業衣)を着た、緊張気味の私に視線を向けた。私は「どうも***と申します。この度はお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします。」とぎこちない感じで挨拶をすると「うん、こちらこそどうぞよろしく。何か分からないことがあれば聞いてくださいね。私は##と云います。」と返事が来た。この方は教室の助教の先生とのことであったが、年齢は60に届いている様子であり、その容貌には、何となく川端康成を思わせるものがあった。

続いて、その隣りのパーテーションで区切られた部屋に連れられて行くと、そこにも何やらPCで作業を行っている先生と思しき方がいて、E先生が声を掛けると「おおE君か!ハナシは聞いているよ。例の医専大の学生さんを連れてきたのかね。よろしく!私も歯科技工士なんだよ。」とのことであり、この先生にも挨拶をすると「うん、何か困ったことが云ってきなさい。しかし、E君が勤め先の学生をここに連れて来るなんてE君も出世したものだな・・ええ(笑)。」と悪意のない感じで冗談をE先生に云うと「いえ、あの実験は歯科技工士の手が必要とのことでして、それで、この**君に白羽の矢を立てたわけでして・・。」と、E先生は少し緊張しつつのおどけ気味で返した。どうやら、この先生とE先生は、さきの##先生よりもくだけた中であることがここで推察された。さて、この%%先生もまた、年齢は60過ぎであるように見受けられたが、同時に筋骨隆々としたスポーツマンタイプでもあり、この時もTシャツ姿であった。また、後で聞いたところによるとテニス部の顧問を務められているとのことであり、時々は学生さんに交ざりプレーをするとのことであった。

また、教室には教授以外にもう一人教員がおられるが、その日は既に退勤しているとのことであった。そこで廊下に出て、本日のメインとも云える教授に挨拶すべく、さらに奥にある個室の教授室の前に立つと、先を行くE先生が振り返って「じゃあ、初めに私が教授室に入って、案内して良いか訊ねて、それで教授からオッケーが出たら名前を云って入室してください。」と言い残してから、前を向き直し、少しだけ開いている教授室のドアをノックして「先生、Eです。入ってよろしいでしょうか!?」と、先ほどとは異なる大きな声で訊ねると、すぐに「おお、入れえ!」と、これまた大きな声で返事が来た。E先生はこちらをチラッと見てから、ドアを開け教授室に入って行った。ドアを開けた先は、日本の城門構造でよくある桝形のようにパーテーションが置かれ、そこには学会発表に用いたと思しき英文ポスターが貼られており、その奥の様子までは伺うことは出来なかった。

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2021年1月2日土曜日

20210101【架空の話】・其の58 【1450記事】

また、教授に挨拶をするとのことで当大学指定の作業着である薄いブルーの白衣(日本語が少しおかしいですが・・)を持参し、K大学学内にて着用することになった。(ちなみに、E先生より、この予定の伝達を聞いた時、何故だかシェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」冒頭部が思い出された。)

訪問日当日は、大学での課業を終え帰宅し、比較的キレイな作業着(白衣)を持参して、家から出てすぐの坂をのぼりK大学に向かった。坂をのぼりきらないうちから、前方に病院施設と思しき建物が目に入ってきて、なおものぼり続けると、建物に「K大学病院」と表示されているのが目に入ってきた。

私の在籍する口腔保健工学科は3年生の後期に入ってからも実習や見学にてK大学に訪問することはなく、うろ覚えの年度予定表によると、4年生に上がってから、ようやくそうした行事があるとのことであった。それに対して口腔保健学科は3年生後期、つまり丁度この時期には病院実習が始まっていた。またそれは他の医学系学科全般においても概ね同様であった。そこから、以前にも述べた通り、口腔保健工学科つまり歯科技工士の養成においては、実際の臨床現場にて患者さんに相対するよりも、ラボなど作業現場の方が重視されるという現実を垣間見ることが出来るようにも思われた・・。

とはいえ、それは特に改善を要するべきところではなく、また、歯科医療分野においては、その性質上、そうしたいわば「縁の下の何とやら」が必要であるのだと思われる。

さて、坂をのぼりきり、右斜め前に大学病院の全容が目に入ってくると、敷地内の更に先にある歯学部棟を目指し歩き続けた。10月の夕刻近くとはいえ、南国とも云えるkでは、しばらく歩くと汗ばんできて、また、丁度私の歩いている道側に当地域ではポピュラーなスーパーマーケットが目に入ってきたことから、そこで何か飲物を購入しようと入ってみると、そこには、おそらくはK大学の学生さんと思しき方々が割合多くいて、店内はにぎやかであった。

私はペットボトルのお茶を購入し、さらにグーグルマップの示す歯学部棟の方に行くため、横断歩道を渡り薄茶色の建物に近づくと、そこには歯科診療棟と表示されており、そのさらに奥には歯学部棟と思しき建物が続いていた。

私はこの奥に見える歯学部棟に行こうと、左手に見える駐車場沿いに構内を進むと、その先には4面のテニスコートがあり、そこでは学生さん達が、元気な声を出し部活動に励んでいた。やがて右手にも駐車場が見えてきて、そしてグラウンドと歯学部棟の出入り口と思われる場所も目に入ってきた。

それら建物全容は、私の在籍する専門職大学と比べ、建造された年代は大分前であるが、それでも遥かに立派であり、まさに「昔ながらの大学」といった感じを受けた。そういえば、かれこれ私は既に1年以上、専門職大学に在籍しているが、そこでの実習や課業が思いのほかに多忙であることからか、以前の文系での大学生活を徐々に忘れてきているような印象があり、それは偶に連絡がある延岡にいるBや、指導教員の存在によってもあまり活性化されるといったことはないように思われた・・。

さて、歯学部棟に着いてみると、時刻は待ち合わせ時刻の約10分前の17:20頃であり、一人で先に棟内に入るのも気がひけることから、出入り口付近でペットボトルのお茶を飲みつつ、待つことにした。とはいえ、出入りする白衣姿の教職員と思しき方々からの少し怪訝そうな視線には少し恐縮し、敢えて視線をあらぬ方に置こうとつとめた・・。

やがて背後から「おお、***君、来ていたのか!良かった、良かった!」と聞き慣れた声で云われたので振り返ると、そこにはこちらに向かって歩きながら白衣を着つつあるE先生がいた。

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2020年12月31日木曜日

20201230 年の瀬に思ったこと:来年の目標

 ここ数日、本格的な師走となりましたが、こちらは本日が仕事おさめとなりました。また、当ブログの方も、以前に設定した年内での目標である1445記事には到達したことから、特に新規の投稿をする必要がないのだとは云えますが、逆にそうなりますと不思議なことに「何かしら書いてみよう」という気になってくるものです(笑)。

そこで「現在のような年の瀬で何を書けば良いか?」と考えてみますと「来年の目標」が妥当であると思われました。当ブログについては来年、本格的な春が訪れるまでに、どうにか1500記事まで到達し、さらに来たる6月22日まで記事作成を継続し、丸6年のブログ作成期間を更新したいと考えています。

1500記事そして6年間、ブログ記事の作成を継続しますと、何かが生じるというわけでもなさそうですが、しかし、現在までどうにか続けることが出来たのであれば、そこまでは継続した方がキリが良いと思われるです。そして、その後、さらに書き続け、上手く行けば2年後の年の瀬までには、あるいは2000記事まで到達することも出来るかもしれません・・。

しかし、この2年後の2000記事への到達は、現時点ではあくまでも「絵に描いた餅」であり、そこまで上手くことが運ぶとは、あまり考えていません。

また、他の目標としては、少しでも当ブログをも含め、自身の作成する文章で収入を得てみたいと考えています。そしてさらに、現今のコロナ禍においては困難であるかもしれませんが、これがおさまりましたら、西日本のある医療福祉系学部・学科を擁する大学(相対化のため出来れば複数)に定期的に継続して訪問させて頂き、その大学の面白く、新たな取組みなどを取材し、記事を作成し、自身のブログなどを含め、どこかで自身の文章として発表してみたいと考えています。

しかし、そのためには現時点での自身のブログは未だ力不足と云えることから、とりあえず、さきに挙げた目標まではどうにか書き続けて行こうとも考えている次第です。

さて、昨日も投稿しました【架空の話】はおかげさまで、比較的多くの方々に読んで頂き、またツイッターにおいては「いいね」を頂くことも出来ました。これを読んでくださった皆様どうもありがとうございます。

また、先刻、年末の挨拶にてお電話を差し上げた文系院時代の先輩から「鹿児島時代の話は面白いですよ。」と仰って頂きました。この先輩はお世辞を言われるタイプではありませんので、正直、嬉しかったと云えます・・(笑)。

そのため、今後、スランプの時期もあるとは思われますが、しばらく書き続けてみようと考えています。また、これに登場させて頂いているモデルの皆様、どうもありがとうございます。あまり美化して書くつもりはありませんが、先日お話しさせて頂いた師匠の見解と同様、あの時期は、自身にとっても(かなり)濃厚な経験の連続であったと云えますので、それを自分なりに上手く文章にて表現出来ればと考えており、そして、今後とも読んで頂ければと願っております。

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2020年12月28日月曜日

20201228【架空の話】・其の57

その後の「飲み方」は特に荒れることもなく盛り上がり、私も以前と比べ、少しは周囲の方々と打ち解けたような感じを受けたが、それはまた、次の月曜日になってみないと分からないといったところであろう・・。

やがて翌週になり、再び普通の大学生活がはじまったが、それらの課業にて専門基礎科目と分類されるものがあり、おそらくそれらは、歯科医療分野に直接は関与しない、医療系科目全般を指すものと思われるが、元来、人文社会科学分野あがりの私としては、そうした科目の講義は、はじめて聞く知見が多く、概ね興味を持って聞くことが出来たのではないかと思う。また、それら科目の講義を行うのは、当大学にも近いK大学医学部あるいは歯学部の若手教員か、研究畑に進もうとする同大学の院生達であった。

概して彼等は、そこまで教え方が上手いというわけではなかったが、他方で何と云うか、若く勢いのある研究者の熱気のようなものがあり、それらがあまり慣れていない講義への未熟さを補って(多少)余りがある、といった感じを受けた。また、これは以前の大学院修士課程での指導教員についても同様のことが云えるのではないかと思われる。

さて、私が在籍する口腔保健工学科にて養成する歯科技工士とは、国家資格による医療専門職ではあるものの、実際に患者さんを相手にすることは他の医療専門職と比べると少ないといえ、さらに歯科技工所などでの勤務となると、自分の作製した補綴装置を使用する患者さんに相対することはかなり稀であるとのことであった。

その点、もう一つの歯科医療分野である口腔保健学科にて養成する歯科衛生士は、歯科臨床の大きな担い手であり、いわば医療分野における看護師の役割を果たしていると云える。それだけに学科の学生数も多く、一学年で40名と、口腔保健工学科の二倍以上であった。とはいえ、それもまた看護学科に比べると半分以下であり、こちらは一学年で定員100名となっていた。

こうした学科構成からも、お分かり頂けると思われるが、口腔保健工学科は当大学で最も小規模な学科であり、その存在感もまた、あまり大きなものとは云えなかった。また、当学科の専任教員は概ね、さきのK大学の歯学部からの出向組であり、私が入学前に夜のT文館で遭遇したE先生もその類型であったと云える。

そういえば、このE先生は、元々、K市のご出身であるものの、東京の中心部にある大学に進み、そこを卒業され、1年の臨床研修期間の後、帰郷し、そしてK大学大学院に進まれたとのことであった。そのため、私としては東京の話題で盛り上がることで出来る数少ない方であり、また、E先生の方も教員ではあるものの、比較的年齢も近く、さらには私が学科で少し浮いている存在であることも知ってか知らずか、よく気さくに話しかけてきてくださった。

このE先生は私の入学と入れ違いにて大学院を修了されていることは以前にも述べたが、その後も継続的にK大学歯学部の歯科理工学教室には出入りしており、私が3年生に上がり、半年ほど経った頃、おもむろに「ウチの学科長とK大の歯科理工学教室の先生方には許可は貰っているのだけれども、今度、実験で試料を作りたいのだけれど***君、手伝ってくれるか?もし、大丈夫だったら火曜と木曜日の夜にK大の実験室と技工室で作ることになるけれども・・いや、バイト代は出ないけれども、夕食くらいはご馳走するよ・・。それと学会に入ってくれればペーパーに名前を載せてもらうよ。」とのことであった。一応、私も分野違いではあれ、そうした世界を経験していたことから「これは面白いかもしれない・・。」とすぐに思い、その申し出を受けさせて頂くことにした。ともあれ、そうなると一度、K大の歯科理工学研究室へ挨拶に行く必要があることから、E先生が日程調整をして頂き、10月初旬某日の金曜夕方に訪問することになった。また、教授に挨拶をするとのことで、大学指定の作業着である薄いブルーの白衣(日本語が少しおかしいですが・・)を持参しK大学の学内で着用することになった。(ちなみに、E先生より、この予定の伝達を聞いた時、何故だかシェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」冒頭部が思い出された。)

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2020年12月26日土曜日

20201226 社会思想社刊 森浩一企画・編集 田中幸人著「日本の遺跡発掘物語7 古墳時代Ⅲ(西日本)pp.256-238より抜粋

 社会思想社刊 森浩一企画・編集 田中幸人著「日本の遺跡発掘物語7 古墳時代Ⅲ(西日本)pp.256-238より抜粋

ISBN-10 : 4390602470
ISBN-13 : 978-4390602471

竹原古墳は、北部九州の福岡県鞍手郡若宮町の諏訪神社の境内にある。この古墳には九州の装飾古墳の中で特異なことが二つある。その一つは、それら九州の装飾古墳群の中で位置的に北限にあるということである。近年、さらに北の宗像古墳群の中から桜京古墳(同県玄海町)がみつかったため、最北端ではなくなったが、桜京古墳が貧弱な同心円しか描かれていないのにくらべ、装飾の進展性や規模からいって、竹原は、王塚古墳とならび北部九州の代表的な装飾古墳であることは誰も異論がないであろう。

 その二は、古墳の図柄が特異なことである。九州の装飾古墳の装飾文様は、北上するに従って幾何学文様から具象的図柄へと変化していくのが特徴である。南部の熊本県・緑川・白川・菊池川水系の古墳群が、同心円、三角文あるいは直弧文を主体とする幾何学文中心であるのにくらべ、北上するに従って、馬、鳥、船、波など具象的図柄が加わっていく。筑後川水系になると珍敷塚(福岡県吉井町)や鳥船塚(同)、五郎山古墳(筑紫野町)のように図柄は互いに組合され被葬者を黄泉国へといざなう世界観のようなものを現す物語的要素を帯び始める。そして、王塚や綾塚(京都郡)に至っていっそう複雑化し、そしてこの竹原へくると完全な具象絵画が完成するのである。もっとも、その展開は、畿内の高松塚古墳(奈良県高市郡明日香村)が発見されるまでの流れではあるが、九州独自の装飾古墳文化の中では、この竹原古墳は具象的図柄の極点ということができる。

さて、竹原古墳は、この古墳を特徴づける図柄の意味と、奇妙な因縁のもとで発掘された。昭和31年のことである。

 古墳のある諏訪神社は、毎年春になると村相撲が開かれる。この年、春祭りの土俵を補修しようと氏子たちが境内の南側の崖に鍬を入れようとしたところ、羨道入口付近の天井石にぶつかたのが発見の事始めだった。それまで諏訪神社が前方後円墳(前方の部分はほとんど短く円墳に近い変形)の上にあるとは村人はもちろん氏子たちの誰も気づいていたものはなかった。古墳に関する伝説も所伝も伝っていなかったのである。

開けてみっくり。そこには異様な”怪獣”が見事な筆致で三つも描かれていたからである。発掘がスタートした時、地元郷土史家の清賀義人(故人)をはじめ地元の福丸高校、中学の先生や生徒の手で遺物集収などが行われた。しかし調査するにつれ、それまでの日本の古墳発掘史上例のない壁画が出るに及んで、町教育委員会は県に連絡、あわてて森貞次郎氏(九州産業大学)が派遣され緊急調査が行われたのだった。


2020年12月25日金曜日

20201225 岩波書店刊 金関丈夫著「発掘から推理する」pp131-134より抜粋

 岩波書店刊 金関丈夫著「発掘から推理する」pp131-134より抜粋

ISBN-10 : 4006031300
ISBN-13 : 978-4006031305

竹原古墳奥壁の壁画の主題について語る前に、いま一ついっておかねばならぬ重要なことがある。九州地方の、多くのいわゆる装飾古墳の壁画を見ると、竹原古墳以外のものは、その手法においては、もし信仰的な象徴性というものを考えなければ、例外なく、きわめて自由な、児童画に類するものであって、その手法の伝統を語るものは、縦にも横にも、何もない。いずれも絵画以前のものであり、芸術的価値を云々するべきものではない。全体としての画面構成に考慮を払われたあとはなく、描かれた個々の物象がそれぞれ自由に場所を占めている。表されているものは、全体としての一つの情景ではなく、単独の観念のよせ集めである。そこにはひまをかけた鄭重さが、幼稚さをカバーしているところはあっても、手練からくる奔放さというものはない。

 これに対して、竹原古墳の壁画(図版参照)は、まずその全体の絵画的なまとまり、壁画に対する絵の占める面と、その位置のつり合いが、毫も間然するところがない。これだけを見てもこの画の作者の練達さがはっきりわかる。

両側に大きく描かれた一対の翳(さしば)が、全体を強く引き締めて、中に一つの絵画的空間をはさむ。さしばの大きさは装飾的な拡大ともみられるが、下方の立波と共に近景の位置を占め、動物、人物などが、やや遠景的に取り扱われているーとも見える、ということから、このさしばの大きさの不調和があまり苦にならない。中央の空間の下半は、描かれた個々の像の位置が、相互間の調和をとり、実に的確に、ぴったりと嵌め込まれている。これに対して上方の獣形象は、右方にかたよっているが、その空間的波調によって、かえって全体の平板に陥ることが救われている。ひとり絵画とはいわず、一般芸術を通じて、この種の波調は不可欠な要素である。それと同時に、怪獣の姿体の躍動が、これで一層強められる。跳り上がった前肢をおろす次の動きが、それをおろす空間を前にのこしておくことで、実に活き活きと感取される。心憎い手際といわねばならない。

全体として、筆法は雄勁で、ためらうことなく、大胆に落筆している。作者は多年の経験のある玄人の画工であり、その習熟した筆を走らせて、一つの情景を描き表したのである。個々の象徴を語る個々の像が、一画面に寄せ集められた絵ではない。ここでは、それぞれの像の間に緻密な関連があり、一つの全体を構成している。信仰的統一でななくて、絵画的統一がある。

手法は、洗練、精緻というものでは決してない。むしろ粗野である。表現の力はしかし、かえってこの粗野さによって強められている。その効果は実に見事なものである。作者の素性はおそらく職人的画工であったであろうが、それならば、芸術家の素質と手腕を具えた工人であったと認めなければならない。一つの芸術作品としてこの壁画は非常にすぐれた作品である。この壁画の芸術的な価値について、これまでに最も強い感激を表白されたのは、海老原喜之助画伯であるが、考古学者の側からは、そうした評価はまだ聞けない。