*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
~勉強会の御案内~
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今年の1月からツイッターを始めましたが、当初は使い方もよく分からずに闇雲に行い、またそれは現在においても概ね同様と云えます。
そうした中、つい先日、ツイッターの投稿を閲覧していて不図、感動に値するほどのニュースを見つけました。それは某新聞社の記事であり「鹿児島中央駅前にある幕末の薩摩藩から英国への留学生等をモデルにした「若き薩摩の群像」という集団の銅像に、実際に留学生に加わっていた藩外出身者二名の像が新たに追加された。」といったニュースです。
この集団の銅像については、在住期初期(2009年)から知っており、また、さきに述べた藩外出身者二名が像の対象となっていなかったことも知っていました。
とはいえ、こうしたことは地元の方々に述べてみても、実際のところ関心は薄く、もしくは「それは当然であろう。」といった見解が自然であったと記憶しています。その意味で我が国の地方社会とは閉鎖的であることは、古来より変わらず、また、鹿児島の場合は、特に江戸期においても島津藩が藩独自で鎖国主義を採っていたことから、その時代からの文化的残渣とも云える性質は、相対的に濃厚であると云え、当時の自身としては割合早めに「まあ、そのようなものか・・。」と、その地域性を理解していました。
他方で、当時の先輩院生に「おーい!竜馬」という武田鉄矢原作、小山ゆう作画によるマンガを互いに読んでいたことにより、よく話す機会を持つようになった方がいました。この方は鹿児島市のご出身で、実際に部活動にて剣道をされており、私が「やはり鹿児島だけに示現流ですか?」と訊ねてみると「いや、部活では示現流はやらんよ。」との返事でしたが時折、示現流の真似はしてくださいました(笑)。この真似は、さきの「おーい!竜馬」の一場面からのものでしたが、そのセリフを聞いただけで、どの場面か理解出来ていた私も、それなりにこのマンガを読み込んでいたのだと云えます(笑)。
ともあれ、互いに読んでいた「おーい!竜馬」内に、土佐藩参政の吉田東洋の暗殺場面があるのですが「これがおそらく史実とは違う」と私が話し、司馬遼太郎著「幕末」という短編小説集内の「土佐の夜雨」という作品を示しますと、関心を持って頂けたようであり、続いて「おーい!竜馬」に登場する陸奥陽之助こと陸奥宗光による「蹇蹇録」を示しますと、これまた関心を持って頂きましたが、扱う時代が大分後であることから、それよりも、同マンガに脇役として少しだけ登場する田中顕助こと田中光顕による「維新風雲回顧録」を示しますと「これは面白そうだ。」とのことであり、これを休憩室で輪読した記憶があります。また、映像資料につきましては「長州ファイブ」をノートPCを用いてDVDにて観て頂きました。
これら小説「幕末」そして「維新風雲回顧録」に登場する吉田東洋暗殺の実行犯の一人が、さきの「若き薩摩の群像」に新たに追加された一名であることはあまり知られていませんでしたが、この輪読の際、先輩院生に「あの駅前の「若き薩摩の群像」の中にいた一人が吉田東洋暗殺犯の一人なのです。しかし、彼は薩摩藩出身ではないことから、この銅像には入っていませんが。」と話したことを記憶しています。
その時、彼は大いに感心された様子ではありましたが、あるいはまさか、その際に落とした知識のインクが、今回の新規像の追加にわずかではあれ、何らかの関係があったのでしょうか(笑)。
ともあれ、このハナシにつきましても、今後、機会を見つけ、もう少し詳しく書いてみたいと思います。
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おかげさまで、今回の記事投稿により総投稿記事数が1390に到達します。そしてまた、この調子にて記事作成を継続しますと、おそらく来月中には1400記事に達することが見込まれます。
とはいえ、今後近いうちに1400記事までの到達が見込まれても、それ自体、あまりキリの良い数値とは云えないことから、その後も1500記事の到達までは、継続的に記事の更新を行っていきたいと考えています。
さて、先日来から読み進めている大岡昇平著「俘虜記」は、さきほど、ようやく280頁まで至りました。このあたりになりますと、著者の収容所内の描写および洞察は冴えわたり、その抽象の度合いは、昭和20年のフィリピンでの米軍管理下の捕虜収容所のみに留まらず、75年後の我が国社会においても十分当て嵌まるのではないかと思われるものが散見されます。
そして、その具体的内容を知りたいとお考えの方は、読書の秋とも云いますので、是非、当著作を読まれることをおススメいたします。
ともあれ、こうした射程が長い洞察を、抑えた、乾いた筆致にて綴ることの出来る著述家は、果たして現在おられるのでしょうか?
他方で、ここ数日、連日記事作成を行ってきたことからか、この時間に至りますと、どうも眠気が襲ってきます。そうした状態の中で、なおも記事作成を行っていますと、時折は良いと思われる着想が湧き、スムーズな記事作成が出来ることもあり、実際、当ブログ開始当初の2~3年は、そのような感じでほぼ毎日作成を続けていました・・(苦笑)。
しかし、ここ最近になりますと、その「勢い」は減衰してきたようであり、さきに述べた以前のようには行きません。これは年齢によるものなのでしょうか・・(苦笑)?
また同時に、これまで5年以上にわたって記事作成を継続してきましたが、自身の文体を確立したという実感は未だなく「多少文章を書き易くはなったが、それが文体の確立にどのような関連があるのかとは、未だ実感として理解できていません・・。これもまた私の鈍感さによるものなのでしょうか・・(苦笑)?
あるいは、こうしたことは、継続的な記事作成を止めた後になり身体化され、そして、定着したものを実感出来るようになるのかもしれません・・。
そして、そのためにも少なくとも、あと110記事の新規作成が必要であるのだと思われます・・(苦笑)。
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一昨日から読み始めた村上春樹著「風の歌を聴け」は昨夜、読了に至りました。読後の感想は「どうも小説らしくない不思議な小説だな・・。」といったところですが、同時に「面白くない」という感覚はありませんでした。してみると、当著作を含め、村上春樹氏による小説の多くは、こうした謂わば「雰囲気を読ませる・感じさせる」物語であるのかもしれません・・。また、その雰囲気について考えてみますと、これまた不思議と、40年以上前に著された作品であるとは自身には感じられませんでした。(もっとも考えてみますと、私は最近の小説を(殆ど)読んだことがありませんが・・(苦笑)。)
ともあれ、そこから多くの批評家の方々が云うように「氏の小説作品は場所性といった概念を出来るだけ捨象している。」のと同様、時代性についても、同様であり、敢えて、あまりそういった要素を深掘りしないといった傾向があるのではないかと思われました。また、それにより、より多くの読者層を得ることが可能になるとも云えることから、これはこれで少なくとも、悪い作風ではないようにも思われます。
また、当著作は「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」との三部作であるとのことから、今後は機会を見つけ、とりあえず両作品を読んでみようと考えています。
他方で、もう一つ読み進めている大岡昇平著「俘虜記」は200頁過ぎまで至りましたが、そこでは、未だ収容所社会様相の描写はそこまで深彫りされておらず、周囲の収容者達、監視米兵の様子が主に描かれていると云えます。そして今後、徐々に収容所社会様相の描写が詳細になっていくのですが、おそらく、それらの描写が、現代の我が国社会との対比によって、憂鬱さ(多分それは司馬遼太郎が晩年「昭和という時代は実に不健康な時代です・・。」と宣っていたのと類似するか同根の感覚であるように思われます。)を生じさせるのだと思われます。しかしまた同時に、当作品の重要性の配分は、これまでの前半部に多く描かれていた「何故、目の前の米兵を撃たなかったか?」という著者自身の内的な問いよりも、後半部分での収容所社会の描写、および、それに対しての洞察に大きく因っているものと私は考えます。
さて、突然ハナシは変わりますが、最近は主にツイッターでのインプレッション数を注視していたため、ここに来て当ブロガーの全期間での総閲覧者数が493000人を超えていることに気が付きました。
そして現在の調子にて書き進めて行きますと、おそらく、本格的に冬に入る前には、以前から目標としていた50万人に到達することが出来るのではないかと思われます。
もとより、所謂アルファ・ブロガーと呼ばれる方々と比較しますと、本当に大したことではないのかもしれませんが、それでも自身としては一つの目途が立ち、区切りになるとは云えます・・。
さらに、これまた現在の調子にて書き進めますと、来月には総投稿記事数が1400に至るとも予測されることから、とりあえずは、これらを目標として、さらに書き続けて行こうと考えています。
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