2020年5月12日火曜日

20200512【架空の話】・其の12

【架空の話】
「翌朝は昨晩目覚ましをセットした時刻に起床し、身支度を整えて、朝8:00にはホテルをチェック・アウトした。このまま現地に向かえば、おそらく8:30頃には到着するが、現地での集合時刻は9:30であることから、かなり時間が余ることが予想された。そこで昨日見つけた大学近くのファーストフード店で少し待てば良いと考え、そのまま大学に向かった。案の定、現地には8:20過ぎには到着し、大学の様子を覗うと、編入試験の案内看板は掲げられていたものの、それらしき人の気配は見受けられなかった。

 そこで試験会場入りは今少し早いと判断し、さきのファーストフード店に入った。店内は混雑とまでは云わないが、大学生と思しき若い客が大半であり、活気があった。また、元来私はファーストフードであるならば、立ち食い蕎麦を好むものの、この時は何故だか、こちらの方が都合が良いと思った。そこで、ホットコーヒーが含まれる定番朝食プレートを注文し、出来るだけ大学が見える側の席に座った。時刻は8:30少し前であった。

 周りの客は、やはり地元の大学生らしく見え、何か計算式が書かれたノートと書籍とを見比べながら、さらにノートへ書き記しているような方もいれば、元気な声で周囲と会話している方もいた。おそらく、彼等は皆、近くのK大学の学生さんであったと思われる。

 私の方も、そうした若者らしい活気に期せずして遭遇し、それに反応するような形で、昨日の英論文を取り出し、読み始めてみたものの、内心が緊張しているのか、その内容は殆ど頭に入ってこなかった・・。とはいえ、時間は割に早く過ぎてすぐに9:10頃になっていた。また、大学の方で人の動きがチラホラと見えるようになってきたことから「これならもう大丈夫だろう。」手と顔を洗い準備を整え、店を出た。

 大学正門前に着くと、腕章を着けた大学スタッフが案内係として立っており、私の様子を認めると「本日の編入試験の方ですか?」と尋ねてきたため「はい、そうです。本日9:30に集合との通知を受けていました。」と返答し、受験票など関係書類一式が入ったクリアファイルをスタッフに示した。すると、それを見て「ああ、**さんですね。受験生の皆さんは一先ず、K101講義室で受験番号が書かれた席で待機して頂き、そこで筆記試験を受けて、午後は面接試験をそれぞれの学科毎に行いますので、またK101号室の自分の席で待機していてください。」といった指示を受けた。

 K101号講義室は割合広く、おそらく、最も人数が多い看護学科の一学年全体が入ることを想定した造りであったと思われる。私が入った時、講義室で既に待機していた方々は20名程いて、概ね私同様スーツを着用していたが、中には私服の方も2~3名程いたと記憶している。編入試験は9:30から様々な事前説明を受け、その後、10:00から筆記試験(英語・小論文)が行われ、昼に休憩を少し挟んで面接そして、口腔保健工学科については実技試験があり、待ち時間なども含めると、大体15:00頃には終わるとのことであった。

 筆記試験については、あらためて思い出してみると、英語に関しては、全体的にはイマイチよくわからない内容であったものの、出題部位については、そこまで大きな間違いはなく、それなりに訳すことが出来たように記憶している。少なくとも、使い慣れた重い辞書をわざわざ持参してきた甲斐はあったように思われた。小論文は、こうした大学らしい出題であり、その題名は「今後の医療と介護のあるべき姿について論じよ。」であったが、これは先生からの耳学問が役に立ち、まあ、専門違いの人文社会科学系の院生が書いたものとすれば、マシな出来であったのではないかと思われる・・。

 ともあれ、正午に筆記試験を終え、緊張のため昼食を食べずK101号室の自分の受験番号が貼られた席に座っていると、そこでようやく周囲の様子が掴めてきた。この講義室にいる方々は全学科の編入試験受験者であり、また、その大半は看護学科の志願者であるように思われ、受験者の7~8割は女性であった。

 私が受験する口腔保健工学科はどうであろうと、周囲を少し見まわして考えてみたものの、それらしき人を見つけることは出来なかった・・。また、午後は13:00過ぎに面接が始まるとのことであり、私はおそらく14:00くらいからだろうと予想していたが、それぞれの学科毎に面接が始まる13:00過ぎ、一番初めに「口腔保健工学科、受験番号**の方、面接会場に案内します。荷物を持ってこちらに来てください。」との呼び出しを受け、私は少し緊張しつつ、荷物を持ち講義室を出て、大学スタッフの後をついて行った。

 案内された講義室は、外から見たところ、さきほどのK101号室の半分程度の広さであり、そこから、この教室は口腔系学科の共通教室であろうと思われたが、すぐにスタッフの方から講義室前廊下に置いてある椅子に座るよう促され、そこでしばし待った。面接を行う講義室の中から何人かの声が聞こえてきたが、その話している内容までは理解することが出来なかった。やがて、講義室の方から「では、**番の方お入りください。」との声がはっきり聞こえたため、私はに荷物を椅子の横に置いて立ち上がり「はい、失礼します。」と緊張しつつも出来るだけ元気な声を出して講義室のスライドドアに手を掛け、入室した。

 案の定、この講義室は、さきほどのK101号室の半分程度の広さであり、普段使っている机・椅子は端に片付けられていたが、そのうち3つが私の前に並び、それぞれに面接者が座り、こちらを見ていた。さて、そこで面白いと思ったことは、彼等全員が白衣を着ていることであり、私はこれまで、こうした面接の場に立ったことがなかったため、そうした光景が著しく新鮮であったのだと思う・・。

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2020年5月11日月曜日

20200510 架空の話・其の11

【架空の話】
「ともあれ、私は川沿いに建つ銅像に近づき、その説明文を読んでみた。説明文は左側に日本語、中央に日本語で書かれた年譜、そして右側は英語にて記されていたが、この左右の説明文章を比べながら読んでいると、さきほどまで英論文を読んでいた影響からか、何やらブツブツと口に出していることに気が付き、我に返った。しかし、そこで興味深いと感じたことは、説明文の最後に、この方の死を当時、ロンドン・タイムスが報じていたことを記している点である。

それから銅像を離れ、川を渡り、なおも先に進むと、さきほどの観覧車と、それを載せた建物が近くなってきた。信号を幾つか渡り、いよいよ建物に近づくと、これはJR線のK中央駅(かつての西駅)の駅ビルであることが分かった。こうしたビルと観覧車の組み合わせは、これまで、あまり見たことがなかったことから、これにも少し驚かされた。また、この駅ビルには、全国的展開の衣料量販店が多数入っており、それらのディスプレイから地域の特徴などを考えることは、古着屋でアルバイトをしている自分にとってはそれなりに面白いものであった。
ビルの上階に行ってみると、さきほどの観覧車の乗り口が設けられていたが、そこには若いカップルが何組か並んでいたため「ああ、この観覧車はそういう方向けなのだ。」と一人合点し、その場を離れた。ちなみに後日、私がこのKに在住してから「あの観覧車に乗るカップルは別れるってジンクスがあるんだ。」と、若干ワイルドな感じの地元御出身の方(E先生)から教えられたが、その時に不図、こうしたものは「I公園のボートにカップルで乗ると別れる。」というジンクスの当地版なのだと悟った。おそらく、こうしたジンクス(都市伝説とも云う)は国内どの地域に行っても類似したものがあるのではないかと思われる。
このようにK中央駅駅ビル内を徘徊していると、夕刻過ぎとなり、あたりも薄暗くなってきたため、夕食を摂ろうと、さきほどBに教えてもらった店に向かった。駅ビルを出てから中央郵便局前の道をしばらく歩き、交差点を左手に曲がるとJR線の踏切の近くにその店はあった。時刻も丁度、夕食時であり店内は比較的賑やかであった。客層は、背広を着た方々や予備校生と思しき若者が客の大半を占めていた。おそらく、かつてBもこうした予備校生の一人であったのだろうと不図思ったが、早々にカウンター席に着きメニューを開き、あまり考えることなく「とりあえず餃子を・・。」と思ったが、ここでまた不図我に返り「いや、明日は編入試験だぞ・・そこでは面接もあることだから餃子は避けておいた方が無難だろう・・。」と考え直し、結局、注文したのは麻婆丼と野菜炒めであった・・。これらの味の方は、この店の共通する特徴で「少なくともハズレではない・・。」といったものあったが、麻婆丼を食べている時に先生とCさんのことが頭をよぎり、そして「そういえば、CさんもK出身だと聞いていたが、市内なのだろうか・・。帰ったら聞いてみよう。」と、あまり意識せずに思い至った・・。ともあれ、この店の料理は、量は充分過ぎるほどであり、食べ終えた時には少し苦しいくらいに満腹といった状態であり、店を出る際に「もう少し散歩をしてからホテルに帰ろう・・。」と思った。
とはいうものの、店を出て、どの方面に散歩しようかと思案していると「明日の試験場を見ておいた良いのではないか。」と、これまた不図閃き、スマホを取り出して大学の場所をグーグルマップにて検索すると、どうやら歩いて行けない距離でもないことが分かり、とりあえずを食後の散歩も兼ね、大学まで歩いていくことにした。そして、再度、K中央駅前を通り、市電沿いに歩いた。横に市電が走っていたことから「帰りはこれに乗って近くの停留所(電停)で降りればいいか・・。」などと、歩きつつ少し汗ばんできた頃に思ったが、そこからは意外なほど早くに大学に着いた。その立地は、研修の利便性も兼ねてか、市立病院の向かいにあり、また、地元K大学のキャンパスもほど近く、どうやらこの辺りは、昔からの文教地区であることが見て取れた。
また、この大学は大学と云っても、私のイメージする大学とは若干異なり、どちらかと云うと、都会にあるサテライトキャンパスや都市部の専門学校をイメージさせた。後でわかったことだが、この大学には占有するグラウンドはなく、部活動などは、近くにあるK大学のそれを間借りをして行っていた。
それでも、建物自体は新しく、また軽薄な感じもなく、茶色を基調とした全体的に重厚なものであったと云える。また、大学の正門近くの看板に、大学名と学科名が各々記されていたが、そこから、私が編入試験を受ける口腔保健工学科と、Cさんが卒業した口腔保健学科、そして看護学科、作業療法学科、理学療法学科、管理栄養学科の6学科さらに大学院修士課程が設置されていることが分かった。こうしたことは事前に送付された大学資料やネットのHPを見れば分かることではあるのだが、実際に大学まで来て確認してみることにより、明晰に記憶されるものなのだと云えよう。
そして、大学の周囲をグルリと回り、すぐ近くにある停車場(電停)で市電に乗り、K中央駅で乗り換え、Tの外れにあるホテルに戻った。ホテルに着いた時刻は21:00少し前であり、自分としては適度な運動をした感もあり、また、満腹気味であったお腹も丁度良い感じにこなれていた。部屋に戻ると、早速風呂に入って汗を流してから、報道番組を見つつ明日に備えて持参の英論文を読んでいたが23:00を過ぎた頃には徐々に眠たくなってきていることに気が付き、スマホと部屋の電話双方で起床時刻をセットし、歯みがきをしつつ、なおも漫然とテレビ番組を眺めていたが、時刻が深夜0:00になる頃には、大分眠たくなり、口を濯いでから予め用意していた湯冷ましを数口飲んでから床に就いた。この一日は初めての経験が多くあり、多少芯が疲れていたのか、ストンと寝入ることが出来たようだ。
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2020年5月10日日曜日

20200509 架空の話・其の10

【架空の話】
「時刻は13:00を少し回った頃であり、さきほど空港では、体調不良のためコーヒーを少しだけ飲み、昼食を食べていなかったことが、ここに来て思い起こされた。

そこで、食事を摂る場所を探すべく、Tのアーケード街を歩いていると、早速、いくつかの全国チェーンの飲食店が目に入ってきたが「初めての土地で、どこでも食べられるものを食べても・・」と「明日編入試験なのだから、ここは大人しく食べ慣れたものを・・」という二つ考えの葛藤が生じ、とりあえず、このまま、何かに出くわすまで歩いてみようと、そのまま歩き続けていると、Yという百貨店の近くでTというラーメン屋さんを見つけた。

その店の佇まいは、首都圏ではなかなかお目に掛かることの出来ない、まさに「昔ながらの」といったものであり「こうした店は味も確かに違いない」と決めこみ、早速、そのお店に入った。店内に掲示されているメニューを見ると「ラーメン」と「特大ラーメン」と「めし」のみであり、そこからも店主の一徹なこだわりが見て取れ、好感を持てた。
時刻は既に昼過ぎ時であり、店内は混雑はしていなかったものの、他のお客さんは疎らにいて、一人客の私はカウンター席に案内され、すぐに「ラーメン一つください。」と注文した。すると、すぐに熱いお茶と大根の浅漬けが運ばれてきたが、ラーメンと漬物を一緒に食べる文化は、これまで知らなかったことから「これはどうするのだろう?」と周りの様子を見ると、お茶を飲みながら食べているのが多かったことから、おそらく、これは先付けや突き出しのようなものなのだろうと思い、私も昔ながらの湯呑に注がれたお茶を飲みつつ、この漬物を一切れ食べてみたところ、味が薄いと感じられた。そこで卓上に置かれた醤油を少し垂らして「これで味が整った」と思ったわけだが、ここでまた、それ以上に驚いたのは、その垂らした醤油についてである。それは私が知る醤油とは見た目はあまり変わらないものの、味が滅法甘いのである。「これは本当に醤油だろうか?」と、容器を手に取り確認してみたが、やはり醤油であった。このことは、私がKに降り立ってから初めて体験した大きなカルチャーショックであったと云える。ともあれ、この甘い醤油には、その後もお世話になったのであるが、他方で、最後の最後まで「私の知る醤油とは異なるものだ。」という認識を完全には拭い去ることは出来なかった。それ故、味覚というものは、なかなか根が深いものであると云える。とはいえ、であるからといって、決してこの醤油が不味いという意味ではなく、後に食べた当地域の郷土料理と云える鶏肉の刺身などは、この甘い醤油でないと、どうも、その本来の美味しさは分からないと思う。
おそらく、こうした絶妙の組み合わせといったものは、こうした味覚のみならず、他の文化事物においても同様であると思うのだが、如何であろうか?

さて、漬物と醤油のハナシはこのくらいにして、次に、運ばれてきたラーメンについて述べる。その見た目は、これまた昔ながらのラーメンといった趣であり、上の具材は、チャーシューとネギともやしのみであり、そのスープは澄んでいた。また、味の方も、見た目から想像される通りあっさりしていたが、同時にその中に味わいがあり、これは必ずしも若い人受けを狙ったものではなく、老若男女の広い層に食べてもらうことを前提にしているのではないかと思われた。

ラーメンを食べ終え店を出て、宿泊先のホテルにチェックインをしようと、再びTのアーケード街を歩いていると、所々、道の端々などに火山灰らしきものが堆積していることが見て取れた。そこから「ああ、ここでは本当に火山灰が降るのだなあ。」と実感した。予約したホテルも同じT地域内にあったが、さきのラーメン屋さんからは少し離れ、更に南西気味に行ったところの、いわばT地域の端に位置していた。また、面白いと感じたのは、歩いていると、横の道路に自動車と路面電車の両方が走っている風景であり、それまで、日常生活において、こうした風景を目にすることがなかったため、先刻K空港に降り立った際に感じた「何だか懐かしい」という感覚とも相俟り、不思議なエキゾチック(異国情緒)ともノスタルジック(懐旧的な)とも云えるような感覚が湧いてきた。この時の経験が根本にあるのか、私は現在もなお、路面電車の走る街並みが好きである。いや、よく考えてみると、これには別の理由もあると云えるのだが、それについては、また別の機会に述べたいと思う・・。

そうこうして、予約したホテルに着いてみると、丁度、清掃等の準備を終え、部屋に入ることが出来る時刻になっていた。そして、案内された部屋に入ったところ、思いのほかにベッドも部屋も広く、明るく、安心してくつろぐことが出来そうであると感じたものの、今回、Kに来た目的は、あくまでも編入試験であることを思い出し、うがいをして手と顔を洗い、持参した英論文と辞書を取り出して机に向かった。しかしながら、どうも意識が散漫として集中は出来ずに、結局のところ17:00前には、テレビを点けながら、何やら勉強らしきことをやっているという状態になっていた・・。

17:00頃とはいえ、この時季のK市街地は充分に明るく、また同時に、夕食を食べに出る時刻には少し早かったため、スマホでBに「こちらで安く夕食を摂れる良い店はないか?」とメールを送ったところ、しばらく経ってから「その周辺であればK中央駅近くに全国チェーンの中華料理店のK県版のお店があり、そこは安くて味は悪くないと思う。」との返事であり、最後に「ナマ物は食べない方が良い。試験頑張れ。」とのことであった。そこで、あらためてスマホで調べてみると、たしかにそのお店はあり、また値段もそこまで高くないことから、そのお店に行くことにした。また、夕食に適当な時刻までは時間があることから、もう少し街を歩いてみようと、再度、顔と手を洗ってから出かけた。

宿泊ホテルから、さらに南西方向に歩いて行くと、さきほどまでのTの繁華街的な賑やかさは薄まり、徐々にオフィス街らしく大人しい街並みになってきたが、その歩く道の先にはビルの上に設置されたと思しき観覧車が見えることから、そこにも何かしら繁華街があるのではないかと思い、そこを目指して歩き続けた。すると、道路と川が交差する川沿いに建つ、維新回天期、そして明治新国家建設に活躍した、K出身者の洋装の銅像が目に入ってきた。もう一人の、K出身者で維新回天期に活躍し、そして後の西南戦争で斃れた方の銅像は、東京の上野に建っているが、これは和装で犬を連れている姿であることから「この対称性(洋装・和装)には何かしら意味があるのかもしれない。」と考えてみたものの、此処Kには、西南戦争で斃れた方の洋装での銅像が別に建っていることを後になって知った。

ともあれ、私は川沿いに建つ銅像に近づき、その説明文を読んでみた。説明文は左側に日本語、中央に日本語で書かれた年譜、そして右側は英語にて記されていたが、この左右の説明文章を比べながら読んでいると、さきほどまで英論文を読んでいた影響からか、何やらブツブツと口に出していることに気が付いて、我に返った。しかし、そこで興味深いと感じたことは、説明文の最後に、この方の死を当時、ロンドンタイムスが報じていたことを記している点である。」
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2020年5月9日土曜日

20200508 架空の話・其の9

【架空の話】
「さて、いざk空港に降り立ってみると、その土地の大気というのだろうか、そうしたものが五感に迫ってきて、はじめて、違う地域に来たという実感を与えてくれた。ともあれ、このK県で私が初めに得たそうした感覚は、これまでの経緯からすると、若干ベタな表現となってしまうが「何だか懐かしい」といったものであった。

しかし、飛行機を降りてしばらくしても、耳奥の痛みと体のフラフラした感じは残り、しばらくの間、空港ロビーにあるコーヒー店にて休息をとった。とはいえ、これらは飛行機に乗ったことによる一時的な不調であったことから、他の乗物同様、しばらく休むと随分落着き、そして次第に周囲の様子にも関心を向けられるまでに回復したため、先ずは市街地行きのバスチケットを購入した。

K空港から県内中心地であるK市までは、公共交通機関としてはバスの路線が走っており、所要時間はおよそ40~50分程度であり、また、運賃は当時で1100円くらいであったと記憶している。この金額設定は電車をはじめとする公共交通機関に慣れている私からすると、若干高額であるように感じられたが、その後、幾度か乗るうちに「まあ、そのようなものか・・。」と思うようになった。つまりは、空港から市街地へ出るための他の公共交通機関がないため、それに慣れるしかないというわけだ・・。

ともあれ、私がこの時に乗ったK空港からK市街地までのルートは、途中から高速道路に乗るものであり、高速道路走行時に周囲の景色を眺めると、やはり首都圏とは大きく異なり、とりわけ、漢字の「山」のようなカタチをした山があることに驚き、そして、植生やバスの中からでも感じ取ることの出来る、大気の違いから「異郷に来た感」をいよいよ強めた。さらに、走行するバス左側にK湾に浮かんだS島が見えてきたが、はじめて目にする本物のS島は、普段、生活の中で「大自然」と接する機会を持たない私からすると、人工的に造られた街並みが、大自然の産物であるS島と解け合って共存しているように見え、これに多少の違和感を覚えた。その理由として、当時の私は、人工的な街と活火山が地域の中で共存しているということが、単純に想像出来なかったからであると思う。くわえて、おそらく、こうした感覚は、首都圏在住の人々が、はるか西に見える富士山に対して持つ感覚とは異なったものであるように思われる。

そこから、Kという地域は、身近に活火山という「巨大な生き物」のような存在があることから、我が国古来の「八百万の神」に代表されるパンティズム(汎神論)が、今なお地域の人々の中に自然なカタチで息づいていると云えるのかもしれない・・。

などとボンヤリ考えていると、走行するバスの振動も手伝ってか若干眠たくなってきた頃、皮肉なことに、どうやらバスは市街地に入ったようであり、様々な看板や全国チェーンの飲食店などが目に入るようになってきた。私はTという停留所にて降車予定であり、それが、車内前方設置のテレビ画面に表示されると、上の棚に置いたビジネスバッグを信号での停車時に急いで下して、到着に備えた。

さて、いよいよT停留所に着くと、同じ停留所で私の他にも何人か降車される方々がいたようで、運転手さんも降り、バス下部に積んだ大きな旅行鞄の取り出しを手伝っていた。私は大きな荷物がないため、他の降車客が全て降りた後で、チケットを運転手席横の回収箱に入れ、ステップを下り、はじめてK市街に降り立った。

この時季のK市は既に30℃を超えており、その湿気を多く含んだ暑い街の大気は、すぐに鼻の奥にまで達した。また、さきほどまで快適なエアコンが効いたバス車内にいたことから、このギャップには少したじろいだが「異郷の地に行くということは、そうしたことも全て折込み済である。」と思い、バッグを持つ手に少し力を込めて、Tのアーケード街を歩きはじめた。時刻は13:00を少し回った頃であり、さきほど空港では、体調不良のためコーヒーを少しだけ飲み、昼食を食べていなかったことが、ここに来て思い起こされた。」

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2020年5月7日木曜日

20200507 古くからの人文社会科学系の持つ意味合い・価値について

今回の投稿記事により、総投稿記事数が1295に至り、また、当面の目標としていた1300記事まで残り5記事となります。今回のGW期間中に投稿した「架空の話」数記事は、以前にも書きましたが、GWであるにも関わらず新型コロナウィルス感染症対策のための外出自粛によって外に出ることが出来ないことから、気を紛らす目的もあり書いたものでしたが、思いのほか多くの方々に読んで頂きました。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。また、本日の投稿記事についても「架空の話」の続きを書こうと考えていましたが、こうした、かねてよりの独白形式の記事を間に入れた方が、ブログ全体としてはハナシが広がるのではないかと考え、今回の投稿記事は、そのようにすることにしました。

さて、以前にも書きましたが、ここ1カ月は、集中して新たな書籍を読むことが出来ず、さらにまた、気軽に書店に行くことも出来なかったため、自身としてはかなり悶々として、仕方なく既読書籍をあらためて読んだりして過ごしてきましたが、やはり、何かしら新たな面白い書籍を能動的に見つけるという行為が出来ないでいると、GWと外出自粛によって読書に充てる時間は増えたものの、徒に悶々とする時間が増え、かえって困る事態となってしまいます・・(苦笑)。その中でやはり大きいのは、現在の、新たな書籍を読むことが困難であると云う自身の精神状態の方であり、これを回復することが出来れば、外出自粛などは特に気に病む必要もなくなるのかもしれません・・。

しかし他方で、良い兆候もあり、こちらに戻ってきた当初と比べ、現在は身を入れて読書が出来るようになってきた感じもあります。そして、この感じがさらに大きくなっていけば、以前の調子、あるいはそれ以上まで持って行くことも出来るのではないかと思われます。ともあれ、この精神状態なるものを司っている要因が何であるのかが分かれば、もっと自分自身を御することも容易に出来るようになるのではないかと思われます。

また、そうしたことを考えてみますと、ブログ記事の作成に関しては、開始当初の2015年と比較しますと、多少は自身の精神状態を(いくら容易に)御することが出来るようになったのではないかとも思われます。あるいは異言しますと、この継続期間の間に少しずつ、自身の中に「ブログ記事を作成する自分」というものが成長していったようにも思われるということになります。もちろん、それは1日や1週間、いや1カ月程度で、目に見えて変化するようなものではなく、それ以上の一定期間、人によって異なるのでしょうが、継続することにより、何と言いますか、ブログであれ、文章を作成する精神の状態に安定して自身の精神を置き易くなるのではないかと思われるのです。また、小林秀雄がたしか「間(ま)に乗らないと、どんなプロでも決して文章は書けるものではない。」と、どこかで述べていましたが、それと深い関係があるのではないかと私は考えています。さらに小林秀雄が出たついでに書きますと、歴史など、古くからの人文社会科学系学問などについても、そうした経験の蓄積が必要であると述べていましたが、おそらく、こうした認識、そして、そこに依拠する見識といったものが、我が国を含め、全世界的に著しく劣化・衰退しているのが現代であると考えます。また、こうしたことは、政治社会学的な視点に立ちますと、昨今の世界規模でのポピュリズムの隆盛とも深い関係があると思われます。しかしながら同時に、こうした長い時間の蓄積による、ある精神状態の発見や、そこから考え得る考えや意見といったものは、それらが喫緊の生死に関わるものでない限り、通常の会話の延長として、身を入れて聞くことは困難であるのが「普通」であると考えます。そして、それが人の喫緊・直接的な生死に深く関与せざるを得ない医師をはじめとする医療専門職と、人文社会科学系を専門とする方々との社会における評価の根源的な差異になっていると思われるのです。さらに、ポピュリズムが広く根付いた社会において、人文社会科学系学問とは、自らその重要性を訴えても、あまり効果はなく、むしろ憫笑を誘うのがオチであり、極言しますと、世間一般にて優れていると評価されている方々が「こうしたもの(人文社会科学系)は、長い目で見ると医療と同様、人々の命を救うか、その興廃を決めるとても重要なものなのだ。」と訴え続けない限りは、いや、訴え続けても劣化・衰退は、そう簡単には止まらないのではないかと思われます。そしてまた、ニーチェやオルテガや三島由紀夫が主張したかったことの一つは、そういったことであったのではないかと私は思います。くわえて、こうしたことを書いていますと、どうしても洗礼者ヨハネのことを思い出してしまうのは悲観的な傾向なのでしょうか?

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20200506 架空の話・其の8

【架空の話】
「また、去る12月に指導教員のご自宅で開催されたクリスマスパーティーの際、ご自宅前に目印として帝政ドイツの軍艦旗が掲げられていたが、あれは冗談であったのか真面目であったのか未だに分からない・・。


さて、ハナシは横道に外れてしまったが、以上のような経緯を経て、どうにか出願書類一式を作成して無事に期限日までに郵送することが出来た。その後、1週間ほどしてから受験票が郵送されてきたが、それを開封し、受験票に貼りつけられた自分の顔写真を見た時「ああ、もう戻れないな・・。」と少し思った。そういえば、Bの就職活動の方は、その後の電話で二次面接にまで進んだことが分かったため「もしも、私がK県に行くことになり、そしてBもK銀行に就職出来たら、また気軽に会うことが出来るかもしれないね。」と半分冗談で言い合ったが、その後の展開は、もう少し奇妙な方向へ進んだと云える・・。

ともあれ、院の研究での調べものやアルバイトの間に先日、編入試験の模擬面接してもらった先生とCさんから、参考書や英論文も頂いて勉強したが、多少読み慣れてくると、少し前の人文社会科学系での文章と比べると、大分読み易い、いや、理解し易い文章であるように感じられた。おそらく、それぞれの用いる文章の背景にある、より大きな考え・思想というものが、医歯薬学系と人文社会科学系では違うのだろうと感じられたが、その具体的な内容については、またあらためて書いていきたいと思う。

その後、さらに編入試験は近づき、LCCで往復の航空券、宿泊ホテルの予約をしたが、どうも落ち着かず、アルバイトの最中も始終ソワソワしていた記憶がある。そして、kに向けて出立する2日前、先生の医院を訪ね、Cさん共々、これまでの御礼と報告をした。時刻は夕刻過ぎであったが、先生およびCさんはまだ診療中であったことから、診療の邪魔にないように、わざわざ受付け窓口まで来てくれたCさんにその旨を手短に伝え、早々に離れようとすると、受付けの向こうでCさんが両拳を握って「頑張るポーズ」と云うのだろうか?をしてくれたため、こちらは掌を広げた右手を挙げ、いつもより深めにお辞儀をして医院から去った。こうした状況は正直なところ現在でも苦手であるのだが、好き嫌いで云うと嫌いではないと云える。我がことながら、心というものはイマイチよく分からない・・。

予約した航空券は、どのような事情によるものか国内便であるにも関わらず、羽田でなく成田空港発であったことから、事前にインターネットで搭乗手続き等を行う場所なども調べ、自分なりに入念に準備をしていた。しかし、何れにしても、かなり久しぶりの飛行機での移動であったことから、多少戸惑い、そしてまた高揚していたのだと思われる・・。それは、小学校時代の遠足前日の感覚と、あまり違うものではなかったと、現在になって確信出来ると云えよう・・。

そして、いよいよ出立前日になってみると、さらに落着きがなくなり、こうした姿をあまり他者に見られたくないため、また、ちょっとした調べものもあったことから、教員と院生しか入れない大学図書館の書庫に行き、目的とする記述がありそうな書籍をいくつか目星をつけて読んでみたが、それらの記述は読めることは読めるものの、頭の中には一向に入って来ず、スルスルとすり抜けていくような感じであった。それでも、読み続けていれば何か分かってくるだろうと、さらに読んでいると、後ろの方から「**君、何読んでいるのかね?」と声を掛けられたため、振り返ってみると、青いボタンダウンシャツを腕まくりをした指導教員が片手に本を二冊持って立っていた。そこで「ええ、たいしたことではないのですが、コンラッドの「闇の奥」冒頭部で、マーロウが仕事の面接に向かう都市がパリであるかブリュッセルであるか分からず、また、原書を読んでみても、明確には分からなかったので、他の研究者の意見を読んでみようと思い、この本を読んでいます。」と云って、さきほどまで読んでいた書籍を見せた。すると指導教員は本の表紙を少し見て「なるほど、たしかにあの原書には明確に都市名は書いてませんでしたね・・。たしか「白く塗りたる墓」でしたっけ、そんな表現のところですよね。と返事をした。私は「ええ、そうです。まさに、そこの解釈についての他の参照できそうな著作をいくつかあたっていたところですが、しかし、今日はあまり集中できませんね・・。」と打ち明け気味に言ったところ、少し間をおいて「・・ああ、もうすぐ編入試験でしたっけ?」といった反応が来た。そこで「ええ、明日出発です。」と答えると「・・それじゃあ、今日はもう切り上げて明日の準備をして、早めに寝た方が良いですよ。」と言われ、さらに「私の方も少し調べものがあるので、ここで失礼しますよ。それじゃあ道中気を付けて試験頑張ってください。」と結んで去っていった。あとに残された私の方もそのコトバに影響されてか「何も今調べることはないか・・。」と思い、荷物をまとめて院生研究室に戻り、リュックを取って帰宅した。

この日、先生の医院は休診日であったから、近くを通らずにそのまま帰宅し、背広やアイロンをかけたワイシャツを普段、父が出張時に使っているビジネスバッグに詰め、その他諸々の必要書類を再度確認してから夕食を早めに摂り、少し暑かったためシャワーだけを浴びてから、普段より早めに床に就いた。しかし、さきにも書いたような状況からか、なかなか寝付かなかったが、それでも大体深夜12時頃には寝入っていたように思う。

翌朝は、朝6時前には起床し、予め準備してあった荷物を持ち、一人で急いで朝食を摂り、自宅を出たのが6時半過ぎであった。予約した飛行機は9時のフライトであり、余裕を持って8時には空港に着きたいと思っていたが、これはどうにかなった。また、成田からK空港までは約2時間のフライトであったが、元来、私は飛行機で移動するということ自体、片手で数える程しか経験しておらず、今回のフライトでは途中で耳が痛くなり、飛行機がK空港に無事着陸した頃には、若干フラフラし「体調が悪い」と言っても良い状態になっていた・・。

さて、いざk空港に降り立ってみると、その土地の大気というのだろうか、そうしたものが五感に迫ってきて、はじめて、違う地域に来たという実感を与えてくれた。ともあれ、このK県で私が初めに得たそうした感覚は、これまでの経緯からすると、若干ベタな表現になってしまうが「何だか懐かしい」といったものであった。」

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
日本福祉大学
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

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2020年5月5日火曜日

20200505 架空の話・其の7

【架空の話】
「しかし、山椒を調味料として用いる文化が、我が国以外にあったことに不思議に驚き、そしてまた日本も元来、東アジア文化圏に含まれることを身(味)を以て感じた。

ともあれ、そこで夕食を摂り終えた後も、しばらく、さきの続きの会話をしばらくした後に店を出て、それぞれ帰路についた。私が帰宅したのは21:00過ぎ頃であったが、家族は夕食を終え、それぞれ居間のいつもの場所にいた。「ただいま。」と声を掛け、居間に入ると母親が「ちゃんと先生に御礼を言った?」と少し鋭く聞いてきたため「ああ、もちろん丁重に御礼を言いましたよ・・。」と少しふてくされたように答えた。すると、報道番組を見ていた父親が「それで先生は何て言っていた?」と追討ちのように同様のトーンで訊ねてきた。これは、今回の主題であったため「ああ「歯科技工士は色々な材料を使うことが出来て面白く、今後もさらに必要とされる仕事だから、受けるだけ受けてみると良い。」って言っていたよ。それに、その専門職大学を出た歯科衛生士さんが今、先生の医院で働いているんだけれども、その人も同じようなことを言っていたよ・・。」と返答した。すると、父親は「ふうん、そうか・・。じゃあ、まあ、受けるだけ受けてみたら良いか。」と言ったきり再び、テレビの画面の方に目をやった。そして母親は、その様子を見て「それなら良いけれど、もし受かったら、向こうでどうやって生活するの?それと授業料は年間どのくらいかかって何年で卒業出来るの?」とさらに具体的なことを聞いてきたため「ええと、2年次編入だから普通に行けば3年で卒業だね・・。あと、授業料は半官半民だから思ったより安くて入学料が40万円ちょっとと、年間授業料が55万円くらいだって言っていたから、3年間で200万円ぐらいだね。」と、先日のCとの会話で出た内容をそのまま伝えた。すると、母親が「・・そのくらいだったら、どうにかなるかもしれないけれど、それで向こうでの生活はどうするの?」と、なおも問質してきたため「うん、どうにか無利子の奨学金をもらえるようにするよ・・。あと、向こうでもまた何かバイトをするよ。」と返事をした。すると父親がしばらく上を向いて沈黙した後、おもむろに「・・うん、まあ、そうする以外にないかな・・。」とだけ言って、この話題は終わった。そして、その後で母親が少し声色を変え「それで商店街のその中華料理店は美味しかったの?」と訊ねてきたため、その感想を伝えると「ふーん、それじゃあ、今度私たちも行ってみようかしら。」と母親が父親を見ながら言ったところ「うん、あの先生の舌は結構肥えているから、少なくともハズレはないなあ。」と、さきほどと比べ、若干の興味を示して返事をした。私の学士編入についての話題は、その程度のものであり、少なくとも積極的に反対されるよりかは幾分マシであったとは云える。

その後、もう少し本格的に編入試験の情報を集めてみると、願書の出願期限は6月20日までとのことであり、時間があまりないことに気が付いた。そこで後日再び、先日の続きの診療に訪問するついでに、その旨を先生に伝えたところ「論文とか書いているんだったら、そのくらい書けるでしょ。でも、どうしても分からなかったら訊ねてきてもいいよ、あと、うちのCさんに聞いてみる方が良いかもしれないね。」と云われたため、以前と比べ、少し大船に乗った気分になり、出願書類一式を一通り作成し、三度、医院を訪問し、添削のような感じで書類一式を見てもらった。せっかく受けるのであれば、その程度はしておいた方が良いだろうと考えたのである。そのようにして先生とCさん二人に見てもらいつつ志望理由書や自身の推薦書の作成を行ったわけであるが、この推薦書は、募集要項にしたがうと、現在私が通うA大学の指導教員に書いてもらうということになっているのだが、先ずはじめは、こちらで作成したものを持って行くのが通例とのことであり、はじめに私がドラフトを作成し、それを先生、Cさんに「文系の教員が書いた推薦書であることを念頭に置いて添削してみてください。」と云って見てもらったわけだが、これが思いのほかに大変というか面倒であった。そうこうして、どうにか見られる内容の志望理由書と推薦書が出来、そのうちの推薦書を、既に学士編入試験受験の意思を伝えていた指導教員に見せたところ、文面を一通り見て「ふむ、これはなかなか上手く書けているね・・。それじゃあ、これをもとにちょっと手直ししましょう。それでデータの方はメールの添付で私の方に送ってください。」との返事をもらい、出願期限まで残り一週間程度で、出願書類一式の郵送への目途が立った次第である。

ちなみに、このA大学での私の指導教員は、海外に長く留学していたためか、さまざまなところが若干日本人離れしており、歯科医院の先生と比べると、毛色は大分異なるが、それでも、やはりスゴイ人であると云える・・。また、私はこの指導教員が受け持つ初めての院生であり、少し放任気味のところはあるものの、研究の経過報告などでは鋭い質問をされることが多かった。年齢は私よりも10歳程上だったと思うが、妙に老成したような意見を言われる半面で、狙っているのか分からないが、実年齢に合わないような行動を採ることも多々あり、たとえば、研究室での会話の際、話題が1920・30年代のファシズムとなり、突如、当時のイタリア国家ファシスト党統領(ドゥーチェ)であるベニート・ムッソリーニの演説の真似をはじめた時は、それまでのハナシが真面目なものであったことから、少し驚いて、笑いそうになってしまった。また、去る12月の指導教員のご自宅で開催されたクリスマスパーティーでは、ご自宅前に目印として帝政ドイツの軍艦旗が掲げられていたが、あれは冗談であったのか真面目であったのか未だに分からない・・。
さて、ハナシは横道に外れてしまったが、以上のような経緯を経て、どうにか出願書類一式を作成し、無事に郵送することが出来た。」
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
日本福祉大学
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

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