2017年2月11日土曜日

20170210 『ゴジラ』と『海底二万里』導入部が・・

A「本日も首都圏は時折雪が舞う大変寒い一日でした・・。

こうした寒い日はあまり外出はしたくありませんが仕方がありません・・(笑)。

さて、さきほど偶然見たインターネットでの広告によると昨年公開された映画「シン・ゴジラ」が来月後半にはDVD化されるようです。

この作品は以前ブログ記事にて触れ、そして観てみたいと思っておりましたので、この案外早いDVD化とは私にとっては少し嬉しいです・・(笑)。

また元祖モノクロ版は既に何度か観ておりますので、そのストーリーがどの様にアレンジされているかもまた楽しみです。

そしてここまで書いており不図思いついたことは元祖モノクロ版「ゴジラ」とは、その出現に至るまでの経緯がジュール・ヴェルヌ著「海底二万里」冒頭における描写をモデルとしたのではないかということです・・。

それは頻発する未知の巨大生物らしきものによる船舶の事故、調査団の派遣・・といったところですが、さて如何でしょうか?

また後者「海底二万里」は現在読んでも大変面白いのですが、この著作とは発行されたのが1870年であり、また、その作中年代とは1866年からはじまりますので、我が国でいえば丁度、維新回天の幕末期を舞台としていることになります・・。

さらに作中には「日本近海」といったコトバも何度か出てきておりますので、これら状況を関連させ新たな幕末を舞台とした物語もまた創作できるのではないでしょうか・・(笑)。

たとえば「いろは丸の衝突沈没事件とは実はノーチラス号によるものであった・・」などはどうでしょうか・・(笑)?

また、何故だかよく分かりませんがビーチ・ボーイズのある曲が思い出されます・・(笑)。

とはいえ、ハナシを戻し、丁度その当時(19世紀半ば)とは、現代の船舶、潜水艦においても通じる全体を金属で覆われた船舶が登場し、また南北戦争(1861ー1865)において、そうした構造を持つ潜水艦(艇)が実戦にはじめて使用された史実としての背景があります。

それ故、この「海底二万里」もまたそうしたことを踏まえて創作されたのではないかと思われます。

また、そのように考えてみますと元祖「ゴジラ」とは太平洋戦争での英霊の象徴あるいは原爆による破壊の象徴であると一般的に説明されることが多いですが、このたびの「シン・ゴジラ」とは一体何の象徴あるいは如何なる時代精神の要請によるものであったのでしょうか・・?

いや、あるいはそのような観念的な要請などといったものではなく、単に昨今流行しているかつての名作映画の焼き直しの一つであったのでしょうか・・?

それは来月DVD化されて観てからもう少し考えてみます・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震によって被災された地域の早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」



2017年2月9日木曜日

20170209 真似の『型』から脱する、破るについて・・

本日も首都圏は降雪もあり大変肌寒い一日でしたが天気報道によりますと西日本の方が全体的に降雪が多かったとのことです。

さらにこうした西日本の状況は今後数日続くとのことから、日本列島全土の春の訪れとは、まだ先のようです・・(嘆)。

さて、昨日投稿の記事とは投稿翌日にしては、これまた比較的多くの閲覧者を得ることができました。そして同時に昨日ブログ開設以来の総閲覧者数が199000人に到達しました。

今後おそらく550記事に到達するのとほぼ同時期に総閲覧者数が200000人に到達するのではないかと思われます・・。

しかし、こうした皮算用はあまりせずに、ただ記事作成を継続しようと思います・・(笑)。

そういえば、昨日投稿記事に記した事柄とは、また面白い偶然であるのか、ほぼ全員の師匠がこうしたことを好んでおられました・・。

そして、そうした効果により自身も更にその傾向を強めたのではないかともいえます・・(笑)。

とはいえ、こうした博識ぶりについては各々師匠に傾向といったものが認められ、さらに面白いことに独特の語り口、話し方もまた認められるのです・・(笑)。

そして、以前はそうしたことを積極的に真似しようとしておりましたが、何時の頃か「自身は自身の語り口、文体などのスタイルを持たなければ・・」と考えるようになりました。
また、そうした以前に受けた師匠からの影響とは、未だどこかに残存しているものとも思われます・・。

さらに、こうしたことは一般化され得る性質でもあると云え、時代をさかのぼると「金枝篇」内にて述べられている類感呪術のように、はるか太古より我々が保持していた(原始的な)性質ではないかとも思われるのです。

小林秀雄は、こうした古来よりの感覚に依って『教育』とは成り立っていると、どこかで述べていましたが、これは自身の経験からもその通りであると考えます。

その一方で、概して我々は徹頭徹尾他者から真似される、真似することを好まないことから、皆どこかで、その真似の『型』を脱する、破らなければならないのでしょう。
それこそが個々人の成長にとって重要な要素ではないかと思われるのです。

そして、これを自身に適用して考えてみますと、この一連のブログが自身の場合『型』を脱した、破った形態の一段階ではないかと評することが出来るのではないかと思われるのです・・。

無論それは決して真似した対象と比べ上等な内容を持つとはいえませんが、それでも自身が選らんだ手法を採り、その述べたいところを述べてきたものであることから、これは自身による一つの『型』であるとはいえるものと考えます・・。

そして願わくは、今後更なる発展、展開を期待したいところではありますが、こうしたことはあまり急ぐことなく、その経過を辿るのが良いのではないかと思われます・・。

その先に、おそらく自身の文体の獲得といったものがあるのではないかとも思われます。

さて、そうした経験、感覚とは、一体どのようなものなのでしょうか・・?

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震によって被災された地域の早期の復旧そして、その後の復興を祈念しております。








2017年2月8日水曜日

20170208 頭の中の歯牙、あるいは頭部(口腔を含む)内の歯牙・・(笑)?

本日もまた一日を通して肌寒く、そして風の強い一日でした・・。さらに明日は主に西日本、東海にて降雪が予想されるとのことです。

立春も過ぎましたが、まだまだ春らしい日々は先のようです・・。さて、昨日投稿した記事は投稿翌日にしては多くの閲覧者数を得ることが出来ました。

読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
そしてまた、本日の記事投稿により総投稿記事数が535に到達します。

これはあまり区切りの良い数ではありませんが、あと15記事の投稿によって投稿記事数が550に到達するという実感を得ることは出来ます・・(笑)。

また、昨年末に500記事から再スタートし、現在この程度というのは妥当であると思われます。

そして、この調子にて記事作成を継続すれば4月内に600記事に到達することも可能であるかもしれません・・。

とはいえ、あまり無理はせずに書いていこうと思います。

そういえば、昨日投稿記事にて「欧米の文学作品あるいは時折論文などにおいても冒頭に聖書の一句、格言などが書かれている」と記しましたが、これで不図思い出したのが米国の学生向け歯科材料テキストブックであり、その冒頭には以下のことが記されておりました・・。

This book is dedicated to Dental Students, for they are the future of dentistry, and to the Faculty Staff of Dental Schools because their expertise, dedication, and hard work make it all possible.

‘‘Every toooth in a man’s head is more valuable than a diamond.’’


Miguel de Cervantes, Don QuiXote (1605)

こうして読んでみますと、なかなかウィット、ユーモアがあると思われるのですが如何でしょうか・・・?

またそれに加え、当テキストブックの主題である歯科材料とはまったく関係のない著作(・・いや作中にて歯科医(当時は床屋も兼ねていた)が移動中は帽子、ヘルメットのように被っていた術中に用いる金属製の皿を、主人公が伝説の兜と思いこみ、これ(歯科医)に決闘を挑み奪い取るといった場面がありましたが・・)から、こうした文句を引用するのは我が国においては下手をすれば『衒学的』と評されるのかもしれませんが、それでもやはり何かしらの文化水準を示すのではないかと思われるのですが、これも如何でしょうか?

また、自身のこれまでの経験によると、欧米人からこうした種類のウィット、ユーモアを示されると、何故かわかりませんが固まってしまうのが我々戦後日本人の多くではないでしょうか・・(苦笑)?

ともあれ、これもまた文化の相違によるものであると思われますので悪しざまに論うつもりはありませんが、果たしてこうした傾向の淵源とは太平洋戦争の敗戦にあったのか、あるいはそれ以前の鎖国期より醸成されていたものなのでしょうか・・?

また現在、特に首都圏では英語熱が盛んなようですが、我々日本人がもっとも狂的であったともいえる昭和の15年戦争期に書かれた文章の多くは、それを読んでみると最も英語のそれに近かったのではないかとも思われるのですが、これは何か関係、意味があることなのでしょうか・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年の熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧およびその後の復興を祈念しています。」





2017年2月7日火曜日

20170207 『物語』として述べることにより・・関連性

本日の首都圏は日中より風が強く、その体感温度は実際の気温よりも低かったのではないかと思います・・。

さて、町中を歩いておりますと、その中で洋服の流行などが大体理解できることがあります。

このことは以前投稿した記事においても書きましたが、果たしてそれら流行とは一体どのようなメカニズムで生じているのでしょうか・・?

さらにまた、人によると、それら流行の具体的な内容にも周期らしきものがあるとのことですが、これについてもそのメカニズムが気になるところです・・(笑)。

そして、こうしたことを書いておりますと、不図、イギリスの経済学者で太陽黒点数の増減と景気循環の関連性を述べた方がいたことを思い起こします・・。

たしかに太陽の黒点数の増減により地球全体の気候に変化が生じ、それにより農作物の収穫高もまた変化し、さらにそれが景気循環に影響をもたらす大きな要因にはなるとは考えられます・・。

とはいえ、それは各々の『現象だけ』を時系列的に並べ観察してみても各々を結び付ける関係性を認識することは難しいものと考えます・・。

その意味では我々の日常において認識出来る現象とは雑多すぎるのかもしれません・・(笑)。

そうしたことから一つの説とは『物語として述べられる』ことにより、はじめて理解、認識することが出来、また、そうして得られた複数の物語(説)の間から、さらに異なった次元の関係性もまた理解、認識することが出来る可能性も生じてくるといえます・・。

それ故、現象の精確な認識と同時に、何かしら関係性があると思われる複数の現象を心に留めておき、それらを機に応じ(つながりのある)物語として形成する作業もまた理系、文系を問わず日常的に行っていた方が良いのかもしれません・・(我田引水)。

また、そう考えてみますと、欧米の文学作品あるいは時折論文などにおいても冒頭に聖書の一句、格言などが書かれていることが思い出されます・・。

またこれは欧州騎士の紋章に記されている文句も同様であるのかもしれません・・。


ともかく、おそらく、これらもまたさきに述べた事柄に関連するのではないかと思われるのです・・。

つまり、こうしたコトバとは著作『内容』全体を極度に集約したものであったり、同様にそれを明確に特徴付けるためのものであったりするのですが、何れにしましても、それは『物語全体を包括し抽出、表出された言語の連なり』という意味において、さきに述べた『何かしら関係性があると思われる複数の現象を心に留めておき、それらを機に応じ物語として形成』の一種であるといえます。

一方、我々日本人の場合、こうした伝統文化を全く見出せないというわけでもなく、おそらくそれと類似したものとして短歌、俳句などが挙げられるのではないかと思います・・。

ただ、欧米と我々との間で大きく異なっていることは、その思弁性、理屈っぽさではないかと思われます・・(笑)。

そして、こうしたことはさまざまな場面における彼我双方の軋轢、衝突そして対立の原因ともなっているのではないでしょうか?

しかしながら、これらはあくまでも双方培ってきた文化の相違であるともいえますので、それこそ理屈よって相手を捻じ伏せたり、あるいは感情的に怒り散らすのも、その過程においてはあるいは必要であるのかもしれませんが、一本調子であり続けると、あまり良いものではないのかもしれません・・(苦笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念しております。







2017年2月6日月曜日

20170206 「八つ墓村」を立ち読みして思ったこと・・土着の風習、民俗

A「本日の首都圏は日中気温も上がり、あまり寒さを感じることがありませんでしたが、陽がかげるにつれ風が強くなり気温も一気に下がった感がありました・・。

明日はまた気温が下がり例年並みになるとのことですので体調管理に気を付け書き続けていこうと思います・・(笑)。

さて、先週末、神保町某書店の特価品コーナーに偶然立ち寄ったところ、かねてより読んでみたかった書籍が見つかり何だか得をした気分になり、これを購入しました・・(笑)。
今後徐徐に読み進めて行こうと思います。

また、それと同じ折に偶然立ち読みしたのが横溝正史著の「八つ墓村」であり、これは少々読み入ってしまいました・・。

横溝正史の金田一耕助シリーズは、これまでに一冊も読了したことがありませんが、その映画作品に関してはこれまでDVDにて、それなりの作品数を観ております。

また、これは金田一耕助シリーズの著作、映画双方にて共通すると思われることですが作中の『地域土着の風習、民俗』が物語の進行に大きな意味を持ちます。

さて、どうしたわけか、さきに述べたとおり、私は幼い頃より金田一耕助シリーズの映画を好んで観ておりました。
あるいはこれもまた私が大学院修士課程にて地域学(民俗を扱うことが多い)を専攻した遠因の一つであるのかもしれません・・(笑)。

いや、より精確に書くならば、元来そうした民俗一般を好む傾向があり、それに加え風習、民俗といったものの存在を強く感じ取ることができる地域、場所の中で在住する経験を通じ、より、その興味への拍車が掛かり専攻するに至ったものと考えられる・・といったところではないかと思われます・・(笑)。

しかしながら、実際地域に在住し、その中で徐徐に民俗に興味を持ちはじめるまでの具体的な経験およびその経緯といったものは、あまり理屈、順序立てて話す、書くことは少なくとも今現在では難しいように思われるのです・・。

また、それは忘却によるものではなく、むしろ逆であり、今現在、こうしたことを書いているだけで和歌山、南紀の季節の空気、さまざまな景色が脳裏に浮かんでくるのです・・(笑)。
これは未だ地域の自然風土から惹起される感情が大きい(大き過ぎる)ということになるのでしょうか・・?

そのように考えてみますと、これは九州、鹿児島においても同様であり、特に鹿児島においては夏の茹だるような暑さの日の印象は強烈であり「次のコンビニまで水分補給を我慢しよう・・」と自分に言い聞かせ、それが目前に迫ると「よし、また次のコンビニまで・・」といった感じで天文館から宇宿まで散歩?をしていました・・(笑)。

そして、その際、汗にまみれた顔を手で拭うと、決まって汗に細かい火山灰の粒子が混ざり皮膚がシャリシャリとするのです・・(笑)。

鹿児島市内は風向きの影響で春~夏に降灰が多いのです・・。

さて、民俗について、かつてどこかで読んだのですが三島由紀夫が一時期民俗学に興味を示しましたが、それを深く知るにつれ、どうも薄気味悪くなり、次第に民俗学から遠のいていったと記しておりました。

これはおそらく、三島由紀夫が実際にどこかの地域に一般人として、ある程度の期間在住した経験がなく、ほぼ一貫して東京に生まれ育ち、そして生活していたからではないかと私には思われるのです・・。

苦い経験と良い経験の双方が混淆された記憶を持つ自身の出身地以外での地域の記憶を持つことは少なくとも悪いことではないと考えます・・。

そして、民俗学への評価の良し悪しとは、その後の問題ではないかと思われるのです・・。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。

昨年に熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被災された地域のできるだけ早期の諸インフラの復旧、そして復興を祈念しております。」



20170205 誰が読んで頂いているか分かりませんが・・

昨日投稿した記事は投稿翌日にしては多くの閲覧者を得ることが出来ました。

読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

また、同時にその後の反応として読まれている記事をいくつか見ますと「ご名答!」といった反応が適当ではないかと思われます・・(笑)。

その一方、自身の作成した記事がこの程度まで深く、真剣?に読まれていることに対して、あらためて身の引き締まる思いがします・・。

また、こうした反応を認めることが出来なければ、ブログ記事の作成とは、現在まで継続することができませんでした。
それ故、今後も時折は面白いと思われる記事を書けるように心掛けます・・(笑)。

とはいえ、ある程度までブログ記事を書いておりますと、自身でも記事として書く内容の傾向が限られていることに否応なく気が付かされるのです・・(苦笑)。

これは自身でも「どうにかならないものであろうか?」と時折思うのですが、同時に、具体的にどのような変化、試行を試みれば効果的であるか分からないため、今回もまたいつもの調子にて、とりあえず記事作成を行っている次第ともいえます・・(苦笑)。

あるいは、こうしたことも記事作成を継続していくうちに「ハッと!」妙案がひらめくことがあるのでしょうか・・(笑)?

ともあれ、何れにせよ記事作成を継続することが大前提であると思いますので、今後もあまり過大な期待を抱かず、とりあえず600記事程度までは書いてみようと思います・・(笑)。

さて、そこまで書いて不図、竹山道雄のある文章を思い起こしましたので下に示します。

講談社刊 竹山道雄著 「昭和の精神史」pp.206-207より抜粋引用
「私は未来の自分の運命を考えることはやめよう。
あてのない問いをくりかえすことはやめよう。
結果を考えることはやめよう。
すべての今の刹那をみたしめよ。
今日を今日として迎え送り、明日のための今日とすることを断念せよ。
もちろん将来をめざして積み重ねてゆく現在ではあるけれども、その積みあげてゆくこと自体をもって結果としよう。
これまで私は社会からはとおく、いわゆる先物を買ったり便乗したりしたことはなかったが、これからも、あらゆる意味で先物を買うことはしまい。未来の自分の効果のために設計したり賭けたりすることはしまい。
「どうせ自分に何ができよう」「これこれのすることの意義が分かったらする。それまではやる気がしない」-こうした、私のこれまでの抜きがたかった性癖、それが私に行動を阻止し意力を麻痺させていたものを、できるだけ棄てるようにしよう。
このために私は過去に蒔いたものがすくなかったから、いまわが生の途のなかばに収穫するものとてもすくないが、すくないからとてとりいれずにおくことをやめよう。」

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念しております。」








2017年2月5日日曜日

20170204 どの程度の深さからの反応であるのか・・

昨日の記事投稿によって総投稿記事数が530に到達しました。そして今後はとりあえず今月中あるいは来月初旬までに550記事への到達を目標とします・・。

それにしても、これまで作成投稿してきた記事によって少しは何かが変わってきているのでしょうか・・?
まさに暗中模索ではありますが、とりあえずこれも実験と同様、作成し続けませんと分かりませんので継続しようと思います・・(笑)。

さて、昨日の投稿記事に書いた『観念的』についてですが、哲学あるいは思想などを扱う文系諸学問は実験を伴う理系諸学問と比較した場合、相対的に観念的であるといえます(当然ではありますが・・)。

また、これはあくまでも私見ではありますが、特に哲学、思想などを扱う文系学問の場合、その当初から明らかにセンスの有無がかなり重要な意味を持つと考えます。

それ故、大多数の方々は、こうした学問にどこかで接したとしても特に情熱を持つに至らず、通り過ぎて行くのではないかと思われます・・。

そして、これもまた私見ではありますが、この哲学、思想などを扱う学問のセンスとは、運動神経のように『少なくともあっても損はない』といった種類のものではなく、むしろ、そのセンスがあった方が変に悩み、そして疎外されることもまた多いのではないかと思われます・・(笑)。

また、自身はそのセンスが優れているとは考えません・・。

しかし一方、そうした学問がかねてより『好き』であり、また、そうした学問およびそうした雰囲気、環境に身を置いた経験はある程度ありますので、少なくとも他者からそうしたハナシを聞いた場合、どういった反応が適切であるかは感覚的に分かるのではないかとも考えます・・。

もとより、これはセンスではなく『慣れ』に分類されるものではありますが・・(笑)。

さて、現在書店に行きますと、昨今よりの古典、教養ブームが継続しているようであり、さまざまな関連書籍が出版され、中には大変面白そうな著作も少なからずありますが、それでも、それらの大半とは『当てを狙いに行っているのではなかろうか?』と思わせるものであり、さらにはテレビにて大々的に取り上げ宣伝している著作もあり、そうした異種連携の手腕には感心しますが、おそらく書籍とは本質的に食物と同様『本人がそれを食べたい、読みたいから食べる、読む』わけであり、そうした誘導戦術らしきものとは『どうも違うのでは・・?』と考えてしまうのです・・(苦笑)。

あるいはまた、そうしたものが時代精神を形成させる何かの力(凝集力)の要素ではあるのかもしれませんが・・。

しかしながら、ここで思うことは、そうした何処からのものであれ刺激に対する反応が、一体我々のどの程度の深さから生じている、発せられているのか?ということです・・。

このことは此処首都圏において特に強く感じ、考えさせられます・・。

また、おそらくそれは欧米諸国が我が国に対して古くから感じていることではないかとも思われます・・。

そして、そうした彼等の興味、関心に基づく実験が、我が国を何かの題材として扱ったさまざまな映画、書籍等が我が国において如何なる反応を示すか?ではないかとも考えられます・・(笑)。

先日公開された遠藤周作原作の映画「沈黙」とは、それが原作に忠実であるならば、現在の我が国において『反日』と認識されても仕方のない表現、文脈が少なからず見受けられると思われます。

それは数年前に公開されたアメリカ人女優が監督した映画作品「アンブロークン」と同程度に・・。

そして、ここまで書いており不図思い出したことは、以前実験の最中に話していた大学院生との雑談で、彼の出身地を舞台とした有名な小説があり、そのことについて尋ねてみますと、その返事とは、それまでとは変わってあまり浮かない声で
「・・いや、多分あそこに住んでいる人達のほとんどが、その作品の内容なんて実は知らない、気にしていないのだと思います・・。
実際にその作品を読み、内容を知っていたとしたら、それを観光に利用しようとは考えつかないと思うのですが・・。」

これは彼(愛郷心は強い)の考えが未だ若く、現実社会への認識が浅い、甘いのか、あるいは彼の述べる感覚が正しいのかわかりませんが、少なくとも、多少はさきに述べた内容にも関連するのではないかと思われましたが如何でしょうか・・?

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
おかげさまで530記事に到達しました。

昨年に熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被災された地域のできるだけ早期の諸インフラの復旧、そして復興を祈念しております。