2017年1月10日火曜日

2070110 情念引力について・・

A「ここ最近はブログの投稿記事数を気にすることはありませんでしたが、今回の記事投稿により、総投稿記事数は508に到達するようです。

そして「では、今後は具体的にどの程度の頻度にて記事投稿を行えば良いのであろうか?」と考えてみますと、妥当なところで年内に600記事を幾らか越えれば良いのではないかと思うに至りました。

この頻度とは、これまでの500記事に到達するまでの記事投稿頻度に比べますと、大分遅く、鈍くなっているといえますが、まあ身体のこともありますので、あまり無理をしない頻度となりますと、上記のような投稿頻度が妥当、適当なのではないかと考えるのですがさて、如何でしょうか?

そういえば、先日も再度いくつか年賀状を頂きました。

送って頂いた方々、どうもありがとうございます。

さて、その送って頂いた方々を思い起こしてみますと歯系、文系両方にわたり、特に文系の方々の場合、何やら意味深い箴言のようなことが書いてある場合が多く、そこから、おそらくこれまでの一連のブログ記事をある程度読んで頂いているのではないかと推察されます・・(果たして本当であろうか?)。

また、理系の一端ともいえる歯系の方々に加え、文系の研究者といっても良い方々からも、こうしたお葉書を頂くということから不図「果たして私は何者であろうか?」と考えてしまいます・・(苦笑)。

しかし、よく考えてみますと、何のことはありません、単にそれは私の生きてきた軌跡そのものなのではないかということになります・・(苦笑)。

また、昨今は特に元来文系であった自身が歳月により内面での応力緩和が生じ、文系寄りに戻っているのではないかとも思われます・・(笑)。

そういえば、ここまで記事を書いており不図思い起こしたことは、鹿児島在住時の2010年に文系時代の友人がわざわざ鹿児島まで訪ねて来て頂いた時のことです。

その時、この友人は北の方の大学院博士課程を無事修了し、御実家に戻り、そこから近隣の板金工場に働きに出て、同時に地元の大学にて非常勤講師をしつつ、大学職種への応募活動を行っておりました。

この時も修士院生当時と変わらず快活であり、同時にこれも変わらず鉄ちゃんであることから鹿児島の市電に大いに興味を示しながら最寄の脇田電停から中央駅(西駅)まで行き、そこからレンタカーにて霧島方面に向かいました。

何故なら、以前もブログ記事に書きましたが、そこに美味しい焼鳥屋があり、そこに連れて行くと、かねてより伝えていたからです・・。

この焼鳥屋に関しては、それ以前にも面白いハナシがありますが、ここではそれは述べません。

ともあれ、霧島方面に向かい走行しておりますと、その途中で「嘉例川」と記された標識を目にした友人が「ここに寄りましょう!」といったため寄り道をしました。

どうやら、そこ(嘉例川)とは鉄道ファンの間ではかなり名の通った駅舎であるらしく、また確かにその建物は相当時代を感じさせるものでした。

所々で写真を撮りつつ速足で移動している友人が時折「さあ、こっちで良い写真が撮れますよ!」と呼ぶので、こちらも呼ばれた方に小走りで移動しておりますと、面白いことに、こちらも何だか楽しい気分になってくるものなのでした・・(笑)。

その時「なるほど「情念引力」とは、こうしたものであるのかもしれない・・。」と妙に感心したことを憶えています・・(笑)。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」


2017年1月8日日曜日

20170108 内視鏡検査を受けて思ったこと

A「本日の首都圏は雨が降り、気温も上がらずまさに寒々しい一日です。

さて、年賀状を送って頂いた方々でこれをご覧になっている皆様、どうもありがとうございます。

また、新しい年となり、昨年暮に受けた健康診断の結果も届きましたが、これによると胃に病変があり「精密検査を要す」とのことでした・・。

そして、その後早速内視鏡による精密検査を受けた結果、特に悪性のものは認められないとのことで一安心しました・・。

私自身、これまでの人生で胃が悪いという認識はまったくありませんでしたので、この一連の出来事には大いに驚き、そして今後はあまり胃に悪いことはしないように心がけます・・。

それに加え、これまで仕事にて時折口にしていた経鼻による内視鏡検査の実体験とは、なかなか貴重なものであったと思います。

内視鏡による検査とは、そのスコープの届く範囲までの体内の動態・様相を観察することが出来、たとえば、概ね歯科領域といっても良い摂食嚥下の機能検査などの場合、摂食物が気管・食道部位に至るまでの動態・様相を観察・診察することを目的としております。

一方、先日私が受けた内視鏡検査とは、スコープが食道をも通過し、さらにその先にある胃・十二指腸までも観察・診察されるものでした。

おそらく双方共に用いる機器の間に大きな差異はないものと考えますが、そうした意味からも、この内視鏡とは、ある意味、学際的な医療機器であるように思います。

とはいえ、スコープが先端に取り付けられた管・ファイバーが体内に入っている感覚とは、やはり大変違和感を感じるものではありましたが・・(苦笑)。

しかしながら、あの程度の違和感にて、さまざまな体内器官の様相・状態を観察・診察出来るのであれば、内視鏡による検査とは大変有意義なものであり、今後更なるその画像による診察・診断技術および使用機材性能の向上が望まれるのではないかと思います・・。

さらにそのとき聞いたハナシではありますが、現在は管・ファイバー先端に取り付けられたスコープを用いる内視鏡検査ではありますが「今後は薬剤カプセル状のものにスコープが内蔵されたものが出現するのではないだろうか?」とのことでした。

このハナシを聞いたとき、不図、大分昔に観た映画「ミクロの決死圏」(「Fantastic Voyage」1966)のことを想起しました。

ちなみにこの映画作品の監督とはジュール・ヴェルヌ著の「海底二万海里」の映画作品(「20000Leagues Under the Sea」1954)もまた以前に監督しており、そこから双方の間に何やら不思議な共通点を見出した感じがします・・(笑)。

また、そうしますと、かなり久しぶりにまた「海底二万海里」を読んでみたくなってきました・・。
あの著作を読んだのは一体何時の頃であっただろうか・・?
また、今度は英文でも読めるであろうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念しております。」









2017年1月2日月曜日

20170102 「帰ってきたヒトラー」を観て思ったこと

A「正月休みということもあり、久しぶりに映画をDVDにて観ました。

題名は「帰って来たヒトラー」というドイツ映画ですが、これはかなり面白かったです。
「ドイツ人はコメディのセンスがない」といった評価があるようですが、この映画を観る限り少なくとも最近はそうでないのかもしれない・・と考えさせられます。

また、どうやらここ数年は、世界規模にて時間・空間の移動といった主題が流行っているのかもしれないとも考えさせられました・・。

であるとすれば、ハナシは先日来の大河ドラマ題材に戻り、その主題を現代にタイムスリップした西郷南洲翁(隆盛)とするとなかなか面白いのではないかと思いますが如何でしょうか・・?

そのように考えてみますと、さきの「帰ってきたヒトラー」においては、タイムスリップしたとしても、その政治的手腕は社会において発揮され、徐徐に権力に近づいてゆくさまが描かれ、またそれが、おそらく現代のドイツ社会に対するある種の警鐘であると同時に喜劇でもあるのかもしれません。

それに対し、西郷隆盛を現代の我が国に甦らしたとしても、その手腕、個性などは、どの場面においても発揮されず、むしろ幕末維新期に活躍した西郷隆盛としては悲劇的な結末に至るのではないかと思われます・・。

それほどに我が国とは何といいますか、現世重視、此岸性の強い社会であり、過去において大事とされた事物を現在において有益でなければ躊躇なく投げ捨て、忘却することが出来る性質を持っているのではないかと思います(断捨離など)。

もちろん、これは自身をも省みて書いていることであり、また、良くも悪くも我々とは、そのような性質を持っているのではないかと考えるということです。

そして以上のことを踏まえ西郷隆盛を現代にタイムスリップさせると、さきに記したような結末になるのではないかと思うのです・・。

とはいえ、こうしたことは全て、あくまでも仮定のハナシであり「帰ってきたヒトラー」に関しても、もしも実際にそのような現象が生じたとしても、果たして、そこまで首尾よく行くことはないのかもしれませんが・・。

そして、ここまで書いていて不図思い出したのは、太平洋戦争後もなおフィリッピンのルバング島にて戦争が継続していると信じて戦っていた帝国陸軍将校のことです・・。

実際のタイムスリップとは難しいのかもしれませんが、さきに述べた事例(戦後30年近く経過の後の(かつての)戦地からの帰国)とは、一種のタイムスリップ状態といっても良いのではないかと思います・・。

そして、このタイムスリップ状態を経験した元帝国陸軍将校は、帰国した我が国社会でのさまざまな価値観の変化に違和感を感じ帰国後一年も経ずに海外へ移住しました・・。

こうした事例を考慮してみても、さきに挙げた「西郷隆盛が現代の我が国社会に蘇ったら」という仮定とは、少なくともハッピーエンド的なものにはならないと考えるのです・・。

こうしたことから、現在の我が国社会とは、果たして同じ社会において称揚されている、偉人とされている方々が持っていた思想・理想に多少は叶っているのであろうか・・?と考えてしまうのですが、果たしてどうなのでしょうか・・?

とはいえ、こうした疑念とは決して現在の我が国社会に対する悲観(のみ)から生じているものではありません。

また、時にはこうしたこと考えてみることもあながち無意味なことではないと思うのですが、さて如何でしょうか?

今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございました。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」




2017年1月1日日曜日

20170101 昨日の続き「人間力」「つじつま」について・・

本日の首都圏は元日にしては気温も上昇し、日中に関しては比較的過ごし易かったのではないかと思います・・。

また、このブログ記事に関しても本日の投稿は止めておこうと考えましたが、さきほどブログ閲覧者数を見たところ、思いの他多くの閲覧者を得ていたことから、書くことに決めました。


昨日のブログ記事においては西郷南洲翁(隆盛)のことを題材として取り上げました。


しかし、よくよく考えてみますと西郷隆盛に限らず、多くの歴史上の人物の個性・性格とは、関連するいくつかの書籍、資料などを読んでみますと(最近のテレビドラマのような)安易な解釈が出来なくなるように思われます。


このことを異言しますと、その人物の行った業績と個性、性格との間に矛盾が見られ、つじつまが合わないことが多いのではないかということです・・。


また、そうした個性、性格を持つ人物が比較的多く見出され且つ、現代に一番近い時代が、幕末維新ではないかと思います。


おそらく、この維新回天期とは、江戸時代、封建制の枠組みに抑えつけられていたさまざまな個性、性格が、枠組み(封建制度)の劣化、弱体化により、そのエネルギーがあふれ出てきた時代であったのではないでしょうか?


そうした時代では(封建)制度内においては有効であった個性、性格よりも、より総合的な現代でいうところの「人間力」を持っている人物の方が活躍する可能性が高いのではないかと思います。


そして、西郷隆盛をはじめ、日清、日露戦争(明治維新~太平洋戦争敗戦の前半部)あたりまでに活躍した我が国各界首脳部の多くとは、主にこの「人間力」がその後の時代の我が国各界首脳部に比べ高かったのではないかと思います。


「ヒトが制度を作り、そしてその後は制度がヒトを作る」と云いますが、近代以降の我が国とは、ヒトが制度を作っていた時期(明治維新~太平洋戦争敗戦の前半部)においては、比較的上手く国を運営することが出来ていましたが、その後、制度がヒトを作る時期(同後半部)に入りますと、何といいますか、つじつまは合っているが小さくまとまっている人物たちが各界首脳部におさまるようになり、彼等が国政を主導した結果として、数々の失策に続き、太平洋戦争の敗戦に至ったのではないかということが出来るのではないでしょうか?


そして、そのように考えてみますと、焦点を当てるべきは「ヒトを作る制度」ということになると思われますが、それをより具体的にいうと「教育制度」ではないかと思います。


しかしながら、昨今はいざ知らず、少なくとも近代以降の我が国の教育制度とは、概ね高い水準を維持してきたと国際的な見地からも認識されている(た)といって良いと思います・・。


そうしますと、その「教育制度」の中の如何なる要素が個々の「人間力」の増進に寄与しない、あるいは劣化させたのかと考えてみますと、それは初等、中等そして高等教育と段階分けされる教育制度全般のなかで特に高等教育において、そうした傾向が強いのではないかと思われます・・。


とはいえ、こうしたことは同じく昨今、さまざまなところで主張されていることではありますので、ここで特に強調しておきたいことは、そうした我が国高等教育の変革の必要性が認識されるにしても、その具体的な変革が反知性的な方向に舵を切らないようにした方が良い、あるいは卒業、修了後の社会において必要とされる技能、知識の獲得により重点を置くことは、むしろ歓迎すべきことではあるのですが、同時にそれが教養といった『ある種の学問への能動性』の活性化に寄与せず、逆に、その芽を摘み取ってしまうことにならないよう細心の注意をもって推し進めて頂きたいということです。

そして、これが現今の我が国高等教育およびその変革において重要なことではないかと思います。

また、追記すると、近代以降の我が国とは、そうした(一見些細な)ことを蔑ろにした結果、毎度、変な方向に行ってしまっているのではないかと思われることがあります・・。


とはいえ、これもまた煎じ詰めますと、我が国の極度に此岸性を重視する性質(国民性としての執拗低音、バッソ・オスティナート)の結果であるのかもしれませんが・・。



さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。

20170101 新年あけましておめでとうございます。

新年あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
さて、来年(2018)の大河ドラマは西郷南洲翁(隆盛)を主人公にしたものになると聞きました。
ここ数年私は大河ドラマを視聴しておりませんので、あまり関係ありませんが、西郷隆盛とは、我が国の近代史において、その評価が難しい人物の一人であるといえます。

そして、その評価を難しくしている原因を端的に述べると、西郷隆盛の人格形成とは、前近代の封建時代たる江戸時代末期に為され、維新回天期に大いに活躍し、そしてその結果誕生した明治政府に対し、その同じ人格がさまざまな矛盾(自身の思想・理想からの)を感じ、下野そして、周囲の強い要望もあり明治政府に対し反旗をひるがえし、近代日本史上最大の内乱といえる西南戦争に至ったことにあるといえます。

つまり彼は近代日本(明治政府)の立役者の最重要人物の一人であり、同時にその設立された明治政府に対し近代日本史上最大の叛乱を起こした人物でもあるのです・・。

そのように書きますと、たしかに、そこには一人の人格の中に何かしら矛盾した要素の存在が看取され、それらを包括した一人格としての評価を困難にし、また、その人生をうまく描くことをも難しくさせるのではないかと思われます。

とはいうものの、これまでに西郷隆盛の人生を描いたさまざまな作品がありました。

私はそれら全てに目を通したわけではありませんが、鹿児島に在住した経験に基づいてかつて目を通したそれら作品を考えてみますと、それらの多くには何か大事な視点が描き切れていないのではないかと思われるのです・・。

そして、その大事な視点とは、西郷隆盛の人格形成が如何なる環境で為されたかということです。

このことは、他の多くの薩摩藩に出自を持つ明治政府の元勲、高位高官、西南戦争で西郷軍側で立った方々に関しての記録、書籍などを読んでみると、ある程度最大公約数的に分かるのではないかと思います。

さらに、実際その土地にある程度の期間住むことにより、その環境といったものを知性のみならず、感覚的にも実感にもとづき、ある程度理解することができるのではないかとも思います。

その意味において、私見とはなりますが、鹿児島とは、今なお西南戦争の記憶が強く生きている地域であるといえます。
あるいはそれは古代以来、南九州勢力の中央政権、覇権勢力に対する反乱の一つとしての記憶であるのかもしれませんが・・。そして、そうした反乱のなかで首尾よく成功してしまったのが明治維新であったのかもしれません・・。

さて、維新回天期(戊辰戦争)において東北諸藩、ことに会津藩が受けた苦痛、被害は甚大なものであったことはさまざまな史料が伝えるところではあります。

そして、その主要な敵役の一つであった薩摩もまた、そこからおよそ十年程度後に同様、あるいはそれ以上の苦痛、被害(西南戦争)を受けることになったことには、何かしら意図せぬ歴史の詭計以上の運命的なものを感じさせます。

このことは、特に鹿児島、薩摩について考える際に大変重要な視点であると考えるのですが、同時に理知的な文章による説明はどうも困難さをおぼえてしまうのです・・。

とはいえ、先を続けて書きますと鹿児島、薩摩とは、何かの策を相手に為すにあたり、先ず自らが相手と同化して、そこから相手を徐徐に自分のペースに持っていき策にはめるといったところがあるのではないかと思われるのです・・。

そしてその見方によれば戊辰戦争と西南戦争の間には、そういった関係があるのではないかと思われるのです。

また、それは狸と狐の人のばかし方の狸に近いのではないかと思うことがあります・・。

ともあれ、こうしたある種の(醸成された)地域性により、その地域の歴史は展開していき、さらにその集合体である国の性質から、その歴史は外部作用との種々反応により展開していくのではないかと思います。

さて、そこでハナシを戻し、鹿児島・薩摩地域を代表するといっても良い西郷隆盛を大河ドラマの主人公として扱うのは、かつて司馬遼太郎原作の「翔ぶが如く」がありましたが、特に現在においてはなかなか難しいのではないかと思うのです・・。

そうした、何といいますか激動の時代を生きた人間像を扱いたいのであれば、むしろ西南戦争以降、不平士族のエネルギーが向かった自由民権運動、国粋運動などを、ある地域、団体などを基軸として扱い群像劇的なドラマとした方が現在の我が国では面白いのではないかと思います・・。

いずれにせよ、諸文化の先端をいく洗練された首都圏、東京のメディアが原作は何であれ、都市(東京)と地方の(主に経済的)格差が広がりつつある現代において西郷隆盛をテレビドラマの主人公として描くことに私は漠然とした危惧をおぼえます。
たとえそれにより鹿児島に観光客が増え、多少経済的な効果があるとしても・・・。
特に西郷隆盛とは(現在の)テレビドラマ化というある種の安易な普遍化により消毒あるいは人畜無害化されてはいけない人物であると思うのです。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念しております。

中江兆民著「三酔人経綸問答」
白洲正子著「白洲正子自伝」
野上彌生子著「迷路」上下巻
竹山護夫









2016年12月26日月曜日

20161226 いくつかのストーリーに共通すると思われることについて・・

本日の首都圏もなかなか寒い一日でした・・。
そして、昨日もブログ記事の更新を行ったため、本日に関しては「特に無理をして書く必要もないのではなかろうか・・?」と思った次第ですが、書きはじめた手前、やはり何かしら続けて書く方が精神衛生的にも良いのではなかろうか・・?と続けて思った次第です・・(苦笑)。

そういえば、12月はじめに投稿記事数が500に到達してから、ほぼ20日近く断筆を試みた(笑)わけですが、その後、現在再度書きはじめるのは、特に苦痛ではありません。

ただ、問題となるのが、ブログ記事のネタであり、これはその場その場の想念に尾鰭を付けて書けば良いのでは?と考えた時期もありましたが、どうもそればかりでは、記事の内容が深化し辛いようです・・。

その意味において、比較的初期のブログ記事の方が内容としては深いものが多かったのではないかと考えます。

とはいえ、現在もまた、それなりにさまざまな著作は読んでおりますので、やり方、考え方次第では、今後更なる文体の洗練、内容の深化を図ることができるのではないかといった期待もまたあります・・(笑)。

そして、そのためには、やはりまた、ある程度文章を書き続けなければならないのかもしれません・・。

このようなことを記しておりますと、以前読んだアルベール・カミュ著「シューシュポスの神話」を思い出します・・。

また、シューシュポスで思い出すのは、これも以前読んだロバート・グレイヴス著の「ギリシャ神話」にてトロイア戦争終盤で木馬の詭計を考案したアカイア勢の将オデッセウスは、このシューシュポスの息子であると記されていたことです。
たしかに、人も神々も怖れぬその豪胆、大胆さ、詭計の巧みさとは、二人に共通する性質であるといえますので、この記述に妙に納得した記憶があります。

そしてまた、二人ともその豪胆、大胆さによって苦難に身を投じることになるのです・・。

そして、そのように記しておりますと、今度はつい先日に共有した動画「アギーレ/神の怒り」(1972年西ドイツ映画)を思い起こさせます・・。

そして、私はそこに関連するものとしてジョセフ・コンラッド著「闇の奥」冒頭からの抜粋引用を示しましたが、これらの断片的なストーリーには共通する何かがあるのではないかと思われるのです・・。

無論それらに共通する性質を自身が保持しているということではありません。

しかしながら『明瞭ではありませんが、共通して認識することができる抽象的な観念』といったものが存在するのではないかと思われるのです・・。

とはいえ、こうした観念といったものは明瞭に言語化することはネット上での保身とは異なる意味・次元で危ないことではないかと最近不図思いました・・(笑)。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。





2016年12月25日日曜日

20161225 興味の循環らしきものについて・・

以前、かなり興味を持っていたが現在ではかつてほどの興味を感じないものといったものがあります。

最近何故か、そのことを考えてみたところ、おそらく古墳についての興味とは、かつてほど持っていないかもしれないと思うに至りました。

しかし、そうした時期(ある事物に対し興味が減衰する)とは、過去に他の興味においても類似した現象がありましたので、一概にその時期・状態が永続・継続するものばかりでもないと思われます。

つまり、ある程度の期間で見れば、潮の満ち引きから生じる潮位の高低差のようなものではないかとも思われるのです・・。

そして、これを前提としてハナシを進めます。

かつて西日本在住時は書籍などで特徴的な古墳、遺跡の存在を知ると、機会を設け実際の見分に出向いたものでした。

大抵の場合、その見分とは、かなり精神的に高揚するものであり、なかんずく、それがあまり整備されておらず、周囲に草木が生い茂っているような状態であればあるほどに、その高揚の感覚とは(かなり)大きいものであったといえます・・。

そして、その高揚感を再び得るために更に書籍文献をあたり、そして他の古墳、遺跡の見分に出向いたものでした・・(笑)。

そのように想起してみますと、上記のような行動の連鎖により、古墳、遺跡そして古代に対する興味とは継続することが出来ていたのではないかと思われるのです。

無論、現在なお古代に関する書籍を読むことはありますが、その読む際のスタンスとは、かつてそうした見分を定期的に行っていた際のものと異なり、実際に存在する古墳・遺跡の案内書としてよりも、古代史の文献資料として読んでいるような感覚が強いように感じられます・・(苦笑)。

つまり、それら古墳・遺跡を身近なものとして感じることが出来なくなっているのかもしれません・・。

では『現在は何かに対して、かつての古墳・遺跡に対するような興味を持っているのか?』と問われた場合『よく分からない・・。』と返答するのではないかと思います・・。

これはもう少し考えてみる必要があるようです・・。

さて、先日、当ブログにても示した映画「大魔神」を何気なく観ておりますと山中の大魔神の遥拝所(主人公たちの潜伏先)に描かれている壁画が福岡県在の竹原古墳のそれにそっくりであることに気が付きました(あの時代の映画の美術班とはなかなかスゴイものであったのかもしれません・・)。

竹原古墳の壁画とは、かつて金関丈夫、谷川健一が、それぞれ大変興味深い論考を記しておりましたが、史実としては金関丈夫の記した内容がより適当であるように思われます。

しかし、それよりもあらためて、かつての解剖学者(金関丈夫)には、とんでもない博識の方がいたことを思い知らされます・・。

また、そのことから興味が促され宮崎市定著の「アジア史論」を読んでおりますと、ここでもまた竹原古墳を生んだ古代九州について考える際の大変興味深い考えが記されておりました・・。

しかし、さきにも述べたように歴史とは、こうした文献を通して学ぶのと同時、やはり実地見分を行わないでいると、多少味気ないものになってしまうのではないだろうか・・?

このことは以前読んだ森浩一の著作にも記されておりましたが、実際にその通りであると現在痛感しております・・(苦笑)。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」