2016年3月23日水曜日

20160323 続「専門知識」とは・・

A「理系学問分野においては、あるコトバ(専門用語)が指し示す対象とは、概ね実在するものです。

それに対し、文系学問分野におけるコトバ(専門用語)とは、往々にして、その対象が実在するものではなく、時代によって解釈、定義が異なる概念あるいは事物であったります。

また、それに加えて、近代以降の我が国における学問全般とは、西欧から輸入されたものであり、その方法論、考え方などにおいて現在なお強い影響を受けています。

そして、それはたとえ民俗学などのような近代以前の我が国の文化、習俗などを研究対象とする学問においても同様であり、その記述法、用いる方法論において、西欧から輸入された手法を用いざるを得ないのが現状であるといえます。

また、そのような手法に拠らなければ、現代の我が国において学問として認められる文章(主に論文)は書くことができないのではないかと思います。

それほどまでに近代以降の我が国の学問全般とは、西欧からの影響を強く受けているといえます。

しかし、理系学問分野においては、その多くが実際の生活に資することが多いこと、つまり、強い必要性により、あまりこういったことは考慮されず、どちらかといえば、所与(アプリオリ)のものとされる傾向があったのではないかと思います。

また、それに加えて、古来より我が国は自然環境が豊かであることから、そうした要素(理系学問分野)に対する感受性は鋭く、近代以降に流入した西欧的な自然科学をはじめとする理系学問分野の学問体系も比較的容易に咀嚼吸収できるような文化的背景があったのではないかと思います。

さらに理系学問全般とは、再現可能性、つまりその知識、見解の普遍性を大変重視します。

そうしますと、基本的に、理系学問分野においては東西文化の相違とは、あまり考慮される(べき)ものではないと思われます。

それでは、その一方において、文系学問分野におけるコトバ(専門用語)および、それにより体系化された知識の価値とは一体どのようなモノなのでしょうか?

それは現在のような時代であるからこそ、今一度真剣に学び、考えてみる価値があるのではないかと思います。

そして、その結果として、文系学問分野とは小価値であると認定するに至っても、そこに至るまでの学び、考えてみる過程こそが既に小価値ではないと私には思われるのです。

そして、そうした学び、考える過程とは、各々個々人が実際に経験してみないとわからないということが、先ほど述べた理系学問全般における知識、見解の普遍性と大きく異なる点ではないかと思います。

そして、現在のような個人の経験、体験を代行してくれる便利な道具が増えてゆくにしたがい、こうした文理間の異なる点もまた、ボヤけてくるのではないかと思います。

こうしたことは実のところ進化なのでしょうか?
あるいは退化なのでしょうか?
まあ、単純に割り切れるようなことではないと思いますが、そういった面倒でカネにならないようなことを時折考えてみるのもまた価値のあることではないかと思います・・。」

2016年3月22日火曜日

20160322 D2病について

私事になってしまい恐縮ですが、先日人と話していたところ、去る2012年に久々に私と会ったその方は、彼が知る私は2012年当時で大きく変化していたとのことでしたが、これは今となって思い返してみますと、たしかに、そのように感じるのが自然であったのではないかと思います・・。

あの当時の自身を思い返しますと、やはり少し変であったのではないかと思います・・。

そして、まさしく当時の私こそがD2病真っ只中であったのではないかと思います・・(苦笑)。

そのようにして思い返してみますと、さらに以前の2008年当時の私とはM2病をかなり強く引きずっていたのではないかと思います・・。

そして、この当時もなかなかイタイ行為をしていたような記憶がウッスラとあります・・(苦笑)。

とはいえ、言い訳となってしまいますが、ある程度のいい年をして相当イタイことを無意識のうち(ここが大事です(笑))に出来るという場所が大学院ではないでしょうか?

また、様々な分野における研究などは、そういった精神的、文化的土壌においてのみ、能動的、創造的に活動することができるのではないかと思います。

それ故、このイタサは致し方ないものではないかと思います。

特に理系学問分野においては、より多額の研究資金を獲得することが重要であるのですが、それにのみ強く縛られてしまいますと、能動性、創造性の源泉たる精神の自由をもなくしてしまうおそれがあるのではないでしょうか?

つまり、大学院などでは、はたから見て多少(自然に)おかしくなっている状態の方が主観的には面白く、有意義に過ごすことができるのではないかと思います・・。

しかし、現在、もし私が再びそういった精神状態に戻ることが出来るということであれば、それはかなり真剣に悩むと思いますが・・。






2016年3月21日月曜日

20160321 専門知識と教養について・・

現在色々と取り沙汰されておりますが、専門知識とは一体何でしょうか?

これは医学などの理系学問分野などにおいては、その職務を行う上において必要不可欠な知識であると云えます。

一方、文系学問分野の中で、特に法学・会計学以外の分野などにおいては、その専門知識とはどういったものであるかとは分かり難いのではないかと思われます。

他方で古くからの文系学問分野、具体的には思想史・歴史系の分野においては、単に自身の専門分野での知識のみならず、それを理解するために膨大な様々な領域における周辺知識が必要とされます。

そうした周辺知識に支えられ、はじめて自身の専門知識が生き、それを読み、聞いている方々が内容の意味の深みを知り、そして述べる内容に説得力が付与されるのではないかと思われます。

また、その周辺知識とは「教養」とも称することができるのではないかと思います。

この「教養」とは、特に理系学問分野の場合、直接的に専門知識とは結び付かず、あるいは(これまた直接的には)経済的利益もたらさないことから、此岸性を重視する傾向が著しく強い我が国の社会においては、表面的な扱いはともかく、本質的に「教養」を軽視、あるいは、その真価、存在意義の重さ、深さを見誤り続けてきたのではないかと思われます。

その結果、近代、特に戦後以降の我が国における「教養」とは、さきほど述べたように経済的利益と直接に結び付かないことから、そうしたことに情熱を持つことができる少数の方々によって細々と半ば私的に研究され続けてきたといった側面が強いのではないかと思われます。

そしてこれまで細々とこの「教養」に携わってきた方々が現在巷において見受けられるの歴史、教養、勉強ブームを見ると、それは「我が意を得たり!」といった感じになるのでしょうか?





2016年3月16日水曜日

20160316 文章が湧き出す源泉とは・・

これまでしばらく独白形式の文体を用いてブログ記事を書いてきましたが、この場合、記事作成者、つまり私が、読んでくださっている方々に対し、直接語りかけ、問いかけるような感じになると思います。

私のブログを読んでくださっている方々とは、否応無く、その殆どが不特定多数となりますので、もしも今後私が何かしら筆禍らしきことをしてしまいますと、炎上等が生じる可能性もあります(もちろん私はそれを望みませんが(笑))。

そして、それは作成者である私が自身の名前、写真等を示してブログ記事を書いていることにより容易に可能となります。

そして、そうしたことを多少なりとも認識してブログ記事を書いておりますと、やはり何かしら「圧力」を感じるのもまた自然ではないかと思われます・・。

また、そうしたことをも勘案し、著述業に携わる多くの方々とは筆名、ペンネームを用いているのではないでしょうか?

これを当ブログ記事作成者に適用してみますと、それは単なる自意識過剰であり、不必要であると思われますが、同時に、これまでの対話形式のブログ記事においてA、Bといった登場人物がおり、それらの会話という形式をとってきましたので、今後の作成するブログ記事も、その伝に倣い、A、B何れかの発言という形式にしてみようと思います。

こうしたわずかな変化によって、何かしら、今後の文章、文体に対し影響、変化は生じるのでしょうか?

また、そうしたことが生じるとしても、それが自他にとって良いものであるかどうか判断することはなかなか難しいのではないでしょうか?

ともあれ、ここまで記事を書いてきましたので、この記事の冒頭にA「そして最後に」を入力してみようと思います(笑)。

また、ここで不図思い出したのはゲーテの言葉で「心身を蘇らす泉とは自身の内部になければ心身を蘇らすことはできない。」あるいは「自身のハートから出たコトバでなければ他者のハートを引寄せることはできない。」ですが、何故それらを思い出したのかはよく分かりません・・(笑)。

とはいえ、私の場合、そういったものは自身の内部に本当に存在するのでしょうか?

また、こういったものは理系、文系問わず重要なのではないかと思います。

言語とは、コトバとは、文章とは一体何でしょうか・・(笑)?

何れにしても、今後もその多くは拙いとは思いますが、何かしら書き続けてゆこうと思います。
どうぞよろしくお願いします。」





2016年3月15日火曜日

20160315 対話形式から独白形式に変更した理由について・・

どのような心境、考えの変化により、これまでの対話形式から独白形式に変えたのかは実際よくわかりません。

ただ、伝えたい内容をより直接的に発信するという意味では、現在の独白形式の方が優れているように思います。

このことを異言すると、コトバ、文章の機能を「情報伝達のための手段」であると考えてみると、独白形式の方が対話形式よりも優れているということになります。

では何故、これまで私は対話形式を用いてブログ記事を作成し続けたのでしょうか?

それは、以前の対話形式のブログ記事においても記されていましたが、先ず、対話形式を用いることにより「著者の考え=文章の内容」とならないことにより、生じるかもしれない批判、非難そして炎上をかわすことが出来ると考えたためです。

次に、独白形式の優れている点の逆となりますが、間接的(他者による対話)に読んでくださる方々に対して発信することにより、その受けとられ方が若干柔らかになるのではないかと考えたためです。

これらの私の考える対話形式の優れた点とは、全般的に発信する内容、情報を柔らかく、なめらかになるということではないかと思います。

加えて、書かれている内容、情報の推敲の過程を独白形式の文体よりも詳細に表現することができるという点も挙げられると思います。

さらにまた下世話な話になりますが、対話形式を用いることにより文字数をカサ増し、増量することが独白形式の文体に比べ容易であるということもまた挙げられると思います。

とはいえ、これらはあくまでも記事を書いた私の意見であり、読んでくださっている方々の意見ではありませんので、断定、断言することはできません。

また単純に、読んでいて、どちらの形式の方が(まだ)面白く読めるかというのもまた、私一人で判断できることはありませんので、今後適当な判断材料を見つけ、考えてみたいです。

一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。


2016年3月14日月曜日

20160314

原因はわかりませんが、先月十日頃から、ペンで文字を書いたり、PCで文字を入力する際、つまり現在もそうなのですが、この時に利き手側、つまり私の場合、左腋下から左肩甲骨下部あたり一帯が少し痺れるような感じがするようになりました。

特に痛みなどはなく、また筆記、入力作業に支障はありませんので、そのままにしております。

とはいえ、その原因を自分なりに考えてみますと、この症状?が出はじめた二月十日とは、ブログの閲覧者数が急増した時期ですので、この間には何か関係、関連があるのかもしれません。

そして、それに関係、関連があるとすれば、それは一体どのようなものであるのかとは、多少気になるところです・・。

しかし残念ながら、現在の私には、それを検証する術、知識がありません・・。

さて、話は変りまして、ここ数回の投稿記事とは、これまでの対話形式を用いないで書いてきましたが、私としては、これはなかなか新鮮で面白いです。

私のブログを読んでくださっている方々の中で、これまでの対話形式に慣れ親しんでくださった方々もいらっしゃるかもしれません。

期間は分かりませんが、今後また思い出したかのように対話形式を用いる、戻ることになるかと思いますので、今しばらくは現在の文体におつき合いいただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いします。

また、それに加えて、これまでの対話形式を一端止め、現在の独白的?な文体を用いることにより伝えたい内容を、読んでくださっている方々に対し、直接的、ダイレクトに発信することが出来ることを今更ながら気がつき、もしくは再認識しました(笑)。

こうしたことを考えてみますと、小説、物語、散文、論文などにおける対話部分、著者の独白部分の全体に対する割合などにより、その作風、受ける感じ、分かり易さなども大分異なってくるのではないかと思いましたが如何でしょうか?
とはいえ、対話形式の論文といったものは、これまでに見聞きしたことがありませんので、こうしたことは、文体の定義(ここでは独白の表現の仕方、著者の立ち位置、スタンス)にも関与する性質であるのかもしれません。




2016年3月13日日曜日

20160313 温泉について・・

何故か私はこれまでに温泉のある場所に住むことが多かったです。

とはいえ、日本列島とは、火山と温泉が多い地域であるので、あまり深い意味はなさそうです。

私がはじめて入った温泉とは、おそらく祖父母の家があった伊豆のものであると思います。

この伊豆を含めた伊豆半島一帯とは、関東および他の隣接する地域と、属するプレート(地球表面を覆う岩盤)が異なり、また温泉も湧出することから、何となく、植生、風土も異なり一種独特の感じを受けます。

また、これと類似した感じを受けたのは南紀白浜であり、伊豆に比べて、さらに南方的要素を濃厚にしたような植生、風土でした。

南紀白浜に隣接する田辺市等を含めたこの地域一帯とは、本州にありながらも大変南国的な気候風土であり、さらに西日本、関西の文化圏にも連なっているという意味において、大変興味深い地域ではないかと思います。

また、おそらく熊野信仰などもそういった土壌により育まれていったのではないかと考えさせられます。

加えて、南紀においては万葉集に登場する歴史的人物の逸話も数多くあり、これは万葉の時代より南紀白浜温泉(牟婁湯)が人々に認知、愛好されていたことをしめします。

とはいえ、こうした逸話とは何も南紀白浜温泉のみに限らず、有馬温泉、別府温泉、道後温泉などにおいても同様に見出すことができます。

おそらく古代の人々は、こうした温泉に何かしら蘇生あるいは不老長寿の効能を認めたのではないかと思います。

そして、そうした生死観に連なる考えとは、その土地の葬送文化つまり古墳文化などに対しても何かしらの影響を与えているのではないかと思われます。

また、こうした温泉と古墳の関連で私が想起するのは砂蒸温泉で有名な鹿児島県指宿市にある弥次ヶ湯古墳であり、これは薩摩半島において、その存在が大変珍しい古墳であり、造営された時代は6世紀代とされていますが、その様式、背景文化等についての詳細はあまり知られていません。

「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。」