2016年6月12日日曜日

20160611 教養とは・・?

ここ最近の1日のブログ閲覧者数は以前とあまり変わず300~500人程度ではありますが、時折1000人以上になることもあり、それがここ1カ月にて生じた当ブログにおける大きな変化であると思います。

また、記事を書いている私からしますと、それ(閲覧者数が増えること)は大変嬉しく、ありがたいことではあるのですが、同時に「自身の書くブログの内容に関して多少なりとも気を付けなければならないな・・。」と感じさせます。

そしてこの後者の感情とは実際のところあまりウレシイものではなく、どちらかというと重荷のように感じられ、文章を書く際においては「思うままに書く」ということを抑制させる効果を持っていると思われます。

しかし、そうであるからといって「思うままに書く」というのは、率直ではあるのかもしれませんが、同時に様々な無用な障害、不利益をも生じさせるものでもあるため、やはり、こうした「重荷」ともとれる感情も私のような賢明とはいいかねる人間が公表する文章を記す際においては、必要なものであるともいえます・・(苦笑)。

そして、そこまで書いて不図想起したことは精神科医で以前ブログにおいても数度文章を抜粋引用した、なだいなだがどこかの書籍に記していた「教養とは、何かを行う際、それを抑制する効果を持っている(教養が邪魔をする)。」ということです。

このことから教養とは一見、様々な場面におけるすみやかな行動を妨げるものとして害悪視されそうなところではあるのですが、現在の世界でのあまり好ましからぬ社会的潮流および我が国でのそれを考えてみますと、それは、こうした要素(教養)あるいはその重要性の認識が社会一般において「欠落・欠如」していった結果ではあるまいか?とも考えさせられます・・。

そして、こうしたことを考えてみますと、不図カズオ・イシグロ原作の小説を映画化した「日の名残り」(The Remains of the Day)を思い起こさせます。

その内容につきましては、興味を持たれた方々は是非ご覧になってください。


それはさておき、この「日の名残り」(The Remains of the Day)という作品を現在、このようなかたちにて思い起こすと、それに続きジョセフ・コンラッド著の短編「武人の魂」さらにバートランド・ラッセル著の「幸福論」などが思い起こされます・・。

これら著作、特に後者に関しては興味を持たれた方々は是非読んでみてください・・。

さて、これら著作の内容に関しては触れませんが、私がこれらの著作を想起して思うことは「我々人間とは、生きていく上において実利、経済的な利益あるいはそれをもたらす功利的精神も大変重要ではあるのですが、それと同時に、あまり日常的に取り上げられることのない、利益を伴わない名誉、良心、教養などといったものも前者と同程度の重要性、価値および心身に対する影響力を(特に長期的に見て)持っているのではないか?」ということですが如何でしょうか?

ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。

また、さる九州、熊本での大地震にて被災された地域の今後の早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」












0 件のコメント:

コメントを投稿