2021年7月18日日曜日

20210718【架空の話】・其の64

ヨーロッパ文化専攻修士課程を修了した私は、学士編入試験を経てK医療専門職大学の口腔保健工学科の第二学年の学生となったわけであるが、これは周囲の主に現役で入学した学生さん達と比べると、明らかに浮いた存在であり、それは卒業まで変わらなかった。私としても、こちらから歩み寄った方が良かったとは思うのだが、恥ずかしかったのか、そのままであった。

また他方で3年生に進級後しばらく経ってからはE先生からの誘いにより、K大学での実験に参加することとなり、それとアルバイトとの両方により、歩み寄るにも、あまり時間に余裕がなかったのだとも云える。それでも試験前にはノートを貸してくれたり、一緒に勉強をしたりして、どうにか医専大での3年間は無事に過ごし、歯科技工士国家試験に臨むことが出来た。

当時、国内では東京と広島に国立大学法人による四年制の歯科技工士養成課程が設置され、その他の同四年制課程は、公設民営の専門職大学にて、ここ九州では熊本とK、中四国では岡山と徳島、近畿・関西地域では滋賀と和歌山、中部東海地域では静岡、北陸地域では石川、関東甲信越地域では、千葉、新潟そして群馬、東北では宮城、そして北海道にあり、全国で合計15大学あった。

このうち国立大学法人である2大学以外の13専門職大学は全て、設置後から数年しか経ておらず、その継続的な運営も危ぶまれていたが、いざ開学して蓋を開けてみると、立地する地域により若干の偏差はあったものの、総じて受験者数は多く、好調な滑り出しであり、その後も受験者数は現在に至るまで全体的に微増傾向を示しているとのことである。

入学後、そうした事情に詳しい学内知人の述べるところによると、立地する地域にかねてから存在する公立の医療系大学への受験を希望する層が、設置学科そして学費などの類似点から、少なからず医専大の受験に流入してきているとのことであった。

とはいえ、それは医療系大学の花形と云っても良い看護学科などについてのハナシであり、私が在籍する口腔保健工学科などは、その中で最も目立たない学科であり、総じて、どの医療専門職大学においても、他学科と比べると人気が乏しい傾向があった。

これはひとえに、歯科技工士という医療専門職の職分があまり広く知られていないからと云え、また、その中でも特に大きいと思われるのは、実際の臨床現場に出て活動している歯科技工士の姿を見ることが極めて少ないということである。

しかしながら、私はこうした事情があることにより、Kに縁のある開業歯科医師の先生から声を掛けて頂き、そして入学に至ったわけであるが、そこからの3年間はさきに述べた事情によってか、とても短く感じられた。また、あまり娯楽らしい娯楽もなく、わずかに娯楽と云えば休日のアパートで寝そべりつつ読書をしたり、あるいは近くのツタヤにてDVDで映画作品をレンタルして観るといったものであった。

実家からの連絡は月に一度ある程度であり、また、Wにいる兄や延岡勤務となったBからの連絡もまた、概ね同様の頻度であり、個人的な感覚としては、初めての一人暮らしのわりにはホーム・シックにもならなかったと云える。あるいはまた、そのようになれる時間もなかったと云えるのかもしれない・・。

ともあれ、そのような調子にて、どうにか国家試験そして卒業に至ったわけだが、たしかにその間に歯科についての勉強はかつてないほどにしたと云える・・。入学当初は人に何本の歯が生えており、また、それら全てに固有の名称や、さまざまな形状的特徴があることを何一つ知らなかった私としては、それなりの進歩と云え、また、それ以上に手先をよく使ったといった記憶がある。これはほぼ修行と云って良いほどに使ったのではないだろうか・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

順天堂大学保健医療学部

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 



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ISBN978-4-263-46420-5

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メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

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20210717 かなり久しぶりの対話形式「過去の自分に助けられた件」

A「最近スランプ気味であるとBさんのブログに書いてありましたが、見たところ、そこまでスランプのようには見えませんが、実際のところ状況はどうなのですか?」

B「ええ、記事作成に取り組む前までは、大抵何でもないのですが、いざ記事作成を始めようとすると、あたかも逃げ水のように、昼間に考えていた記事のアイデア、タネが消え去って行くような感じがありますね・・。ともあれ、これに関しては、以前も似たようなことを書いていた記憶があり、また、そこでは、現在のようにアイデアが浮かばない状態での意識の流れも文章にしてみることにより、どうにか片づけることが出来るのではないかと述べていましたが、これは後で試してみようかと考えています・・。」

A「ふーん、まあ、そうしたことを口語体ではあっても文章にすることによって、とりあえず端的に文字数は増やすことが出来ますからね・・。そうしますと、それはたしかに悪くないアイデアではあるのかもしれませんね・・。」

B「ええ、そうですね・・。そして、今となっては、そうした記事作成のためのアイデア自体も結構以前のものであると感じられるのです。また、そうしたことを書いていた頃、といっても、せいぜい4,5年前のことではあるのですが「記事を作成しなくては・・」といった強迫観念のようなものがありまして、そうしたある種「正常とは云えない」感覚も、当時の記事作成では役立っていたようであり、また現在スランプ気味であるとはいえ、当時から比べますと、いくらかはマシにはなっており、さらにまた、そうした現状をも文章に著していますと、不思議なことに、今後しばらくについても「どうにかなるかもしれない・・。」と思うことが出来るようになってくるのです・・。」

A「ふーん、なかなか泥臭いハナシですが、あるいは書いている側からしますと、さまざまな偶然を飛び移りつつ、とにかく記事数を稼いでいた過去から、徐々に安定した記事作成が出来るようになってはみたものの、それでも、完全には安心することは出来ず、今に至るまで記事作成を続けているといったような感じになるのでしょうか・・。」

B「・・ああ、そうした感じはたしかにありますね。強迫観念のようなものを背景として、とにかく記事作成をしていた時期はどうにか過ぎたものの、それでも記事作成の恒常的なコツのようなものは得ることなく、今に至るといったところですね・・。そしてまた、そうした意識の流れを、現在こうして口語ではあっても、言語化してみますと、さきほどのように「今日の記事作成はどうにかなるかもしれない・・。」と更にまた思えてくるのです・・。(笑)。」

A「うん、分かり難いのかもしれませんが、それもブログを続けて来た余禄のようなものではないでしょうかね・・。また、誰であっても、継続的な活動の中ではスランプのようなものがあり、そうした時期に、たとえ足踏みのようなものであっても活動を続けていますと、また、その次の何かが自然に拓けてくるのではないかと思いますね・・。」

B「ええ、そうした御意見も時折聞くこともありますが、実際に、その真っ只中にいますと、あまりそのように視野を広く持つ余裕がなくなるようです・・。それでも、そのご意見は心のどこかに留めておきたいところですね・・。しかし、さきの話しに出ました「アイデアがなかなか出て来ない意識の流れ」自体を言語化してみたことは、なかなか良かったと思います。多分、これで1記事分くらいにはなっているのではないかと思います。」

A「うん、これは多分「過去の自分に助けられたと」いった感じになるのではないでしょうか。それと、以前Bさんは【架空の話】を作っていましたが、あれはどうなっているのですか?」

B「あ、あの一連の【架空の話】には、さらに続きがあるのですが、どうも書きあぐねているのが現状です・・。また、こちらが勝手に思い込んでいることではあるのですが、あの後から、さらに先を書き進めるためには、舞台としている鹿児島に行ってみる必要があるのです・・。そして、このコロナ禍の中ですので、これが収束してきましたら訪問して、その何というかインスピレーションを得たいと思っているのです・・。」

A「はあ、そのような感じだったのですね・・。まあ、さらに先の話を書き進めるためには、現地への訪問が必要と云うのは分からなくもないですが、それでも、試しに訪問前であっても何かしら続きを書いてみたらどうですか?」

B「・・そうですか・・。それはどうも気乗りがしませんが、そちらのご意見もまた、意識のどこかに留めておくことにします。」

A「うん、私はあの【架空の話】で専門職大学というものが実際にあることを知りましたし、あとは作中で散見される、歴史ネタですか、あれも面白いのが所々ありましたので、まあ、こちらも勝手な意見ですが、続きを書き進めてみたら面白いと思いますよ。」

B「はあ、ありがとうございます。ではもう少し検討はしてみることにします・・。」

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2021年7月16日金曜日

20210716 次の目標に到達出来た後について思ったこと

 かねてからのスランプ気味の状態は現在に至るまで引き続き、その中で、どうにか記事作成は続けてはいますが、あまり一記事毎の「書き上げた」という実感はなく、また同時に、作成記事の中に「何か新たなことを書いた」といった充実感もなく、以前にも書きましたが、これまでの記事作成にて、どうにか培った、いわば小手先の記事作成技術のようなもので現在、書き繋いでいると云えます。

また、以前にもこうした状態は何度かありましたが、今回のスランプもまた、毎回そうであるように、また違った感じのものであり、具体的には、今回のものは特に、新たな記事作成の題材となるものが、なかなか定まらず、記事作成を早く行いたいとは思っているものの、それに取り掛かることが出来ないといった、それなりに厄介なものであると云えます・・(苦笑)。

これが、何も気にせずに、半ば義務的なものとして書き始める方が多少は気が楽であり、また実際、以前はそのような感じにて記事作成を行っていましたが、それがある程度続いた先の現在においては、そうした(いわば)自分を騙しにかかることも、どうしたわけか難しくなってきたのです・・。

いや、これに関しては、自分をもっと上手に騙すことを覚えて記事作成が出来る精神状態を即座に醸成出来るようになれれば良いのかもしれませんが、あるいはもっと端的に、これまで記事作成に費やしてきたエネルギー自体が乏しくなってきたことから、必然的に、上記のような状態に陥ってしまったのかもしれません。ともあれ、残り当記事を含めて20記事の投稿により、当面の目標である1600記事に到達することができますので、どうにか、そのあたりまでは、あまり無理をせずに到達出来るのではないかと考えています。

しかしまた、もう少し投稿記事数が増えましたら、1600記事への到達後についても考えておいた方が良いのかもしれません。次の到達後は、またしばらく2週間ほど、記事作成およびツイッターからも離れてみようと考えています。そして、その空いた時間を利用して、これまでしばらくの間に斜め読み、積読しておいた書籍を、身を入れて読み進めようと思います。

また、それに加えて、このコロナ禍が落着いてきましたら、九州を含む西日本地域にて動き回り、また、これまでのブログ記事作成経験をも活かせるような副業(セカンド・ジョブ)を探してみたいとも考えています。

個人的に興味深いと考えているのは、同上地域に立地する医療福祉系学部を有するいくつかの、大学さま、あるいは専門職大学さまの色々な取組み等を、自身のブログあるいは他のHPなどを通じて、出来るだけ平易なコトバと写真、動画等を用い発信、周知することです。

こうした活動とは、これまで多くの場合、個人が一つの大学に所属して行ってきたことから、活動を進めるに伴い徐々に活動の展開が一定化されてしまいがちであったと思われるのですが、これが週、もしくは月毎にて違った大学の取組みに対して同一人物によるレポートであれば、読み手としては、それなりに興味が惹かれ、また、先の展開の仕様もあるのではないかとも思われるのです。

とはいえ、おそらくこうした職種とはJREC-INなどには掲載されていないと思われますので、その探し方については、もう少し検討する必要があると思われます。

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20210716 株式会社筑摩書房刊 米窪朋美著「島津家の戦争」pp.22-25より抜粋

株式会社筑摩書房刊 米窪朋美著「島津家の戦争」
pp.22-25より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4480434828
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480434821

当時、中国大陸を支配していた明朝は海禁政策を布いていた。

明の皇帝は国内の反明勢力と海賊との結びつきを恐れて、自国民に他国との海上貿易を禁じ、外国の朝貢船のみに入港を許可した。いわば条件付きの鎖国である。 しかも朝貢船は好きな時に好きな場所へ行けるわけではなく、国ごとに時期や入港場所の指定があった。たとえば日本は十年に一度、浙江省寧波から入港するようにと定められていた。このように国同士の厳しい取り決めが交わされる一方で、盛んになっていったのが密貿易である。

 十六世紀初頭、東アジアの貿易市場をさらに活気づける事件が起こる。ポルトガルのアジア進出である。1510年、ポルトガルはインドのゴアを占領。その後セイロン島、マラッカ、モルッカ諸島が次々とポルトガルの手に落ちていった。

 ポルトガルの得た果実の中で、ことに重要なのはマラッカだった。マラッカは南シナ海とインド洋を結ぶ海上交通の要所だ。ポルトガルがこの地を押さえたことで、ヨーロッパと東アジアが一つに繋がった。

 ポルトガルはマラッカを拠点に東アジア貿易にも乗り出した。ちなみに東アジアの輸出品のなかで、特にヨーロッパからの需要が高かったのは日本の銀だ。日本の銀は石見銀山の発見と灰吹き法と呼ばれる精錬法の導入により飛躍的に産出量が増大し、日本は新大陸アメリカに次ぐ世界第二の銀産出国となっていた。 

 一連の動きのなかで、海上交通の花形に躍り出たのが琉球だった。

 琉球はもともと東シナ海と南シナ海をを結ぶ役目を果たしてきた。ポルトガルがマラッカを占領したことにより、自国の物産はもちろん、中国、朝鮮、日本など東アジア諸国の商品をマラッカに持込み、反対にインドやジャワ諸島、ヨーロッパの商品を持ち帰ることが可能になった。琉球に世界中の品物が集まるようになったのだ。

 この恩恵にあずかったのが薩摩であり、対琉球貿易の入口の一つが都城島津家所有の内之浦であった。

 従来、日本は明国との窓口を博多に設けており、貿易において薩摩は博多に一歩も二歩も先を越されていた。しかし薩摩は琉球を介することで、明どころか世界中の商品を手に入れることができるようになったのだ。

 慶長14(1609)年、家康の許可を得て薩摩藩は奄美地域から琉球へ出兵した。独自の高度な文明を誇っていた琉球王国であったが、最新鋭の兵器を携えた薩摩武士の猛攻撃の前にはひとたまりもなく、たちまち首里城は陥落、琉球国王・尚寧王は捕らえられ、鹿児島へと連行された。

 翌年、尚寧王は薩摩藩主・島津家久とともに駿府城で大御所・徳川家康と、江戸城で二代将軍・徳川秀忠と面会し、その後再び鹿児島に戻ると島津家の求めに応じて薩摩の琉球統治方針に従う旨の起請文に記し、やっとの思いで琉球へと帰国した。ここから琉球の苦難の歴史が始まる。

 幕府から琉球の仕置きを命じられた薩摩藩は、与論島以北の奄美地方を割譲して薩摩藩領としたものの、琉球全土は植民地化せず、沖縄・先島を琉球王国として残した。

 薩摩藩は琉球をあえて同化せず、従来の王朝体制を温存して、中国との朝貢関係も継続させた。言うまでもないが、このような形式をとったのは薩摩側にとって都合がよいからであり、琉球の独自性を認めていたからではない。

 薩摩藩は琉球に出先機関(琉球仮屋)を設置し、朝貢貿易の運営に関与するとともに、琉球から多額の租税を徴収した。薩摩藩がいろいろな名目をこじつけて琉球から甘い汁を吸い上げる様子は、まさに「骨の髄まで」という表現がぴったりとあてはまる。

 また、琉球は薩摩藩を介して幕府へも服従を強いられた。

 琉球王が即位するたびに謝恩使を、将軍の代替わりのたびに慶賀使をそれぞれ将軍家へ遣わすことになっていた。その際、使節は中国風の衣装を身につけ、異国情緒たっぷりな行列を仕立てたという。 

 使節派遣は幕府からすれば異国を従えていることを天下に示す機会であり、薩摩藩にとってはその異国を事実上従えている自らの存在感を幕府に示す機会でもあった。

 むろん、こうした支配の在り方は琉球にとっては屈辱的なものだった。しかしながら、この時代の琉球支配と、近代になってからの琉球統治とを比べて、どちらのほうがより文明的であったこといえば、その答えは簡単に出ない。なぜならば江戸幕府も、薩摩藩もいわゆる「同化政策」だけは行わなかったからである。つまり、支配はしても、琉球の文化や風俗まで変えようとはしていない。

 このように薩摩藩が琉球固有の文化を残したのは、あくまでも政治上の思惑であり、琉球の文化に高い敬意を払ったからではなかった。琉球からみれば薩摩藩は憎むべき侵略者そのものだ。

 その点を踏まえたうえでなお、薩摩藩には多様な文化が並立して存在することを良しとする、度量の広さがあったーそう言っても差し支えないのではないか。


2021年7月15日木曜日

20210715 ブログ記事作成の背後にある読書習慣について・・(現在に至っては)

ここ最近の不規則な生活によるものか、あるいは、半分は書籍からの引用ではあれ、3日間連続にて、2記事ずつの新規投稿を行ってきたことからか、昨日は新規のブログ記事を作成することなく休んでしまいました。

とはいえ、現時点までの総投稿時数は1578であり、当初の予定と比べますと、特に進行の遅れはなく、また、今後も出来るだけ毎日2記事ずつの投稿を続けることにより、今月中での1600記事到達の目途は未だ立ちます。

当ブログを始めてから6年以上経過しましたが、この直近の1年半は、去る2020年初頭から始めたツイッターにより、少なからず影響を受けたと云えます。具体的には、そこで得た情報により書籍を選んだり、また休日での行動パターンの変化などであると云えます。

またこれは「ブログ記事の作成」という、それ以前から続いている一定の行動パターンがあったからこそ、ある程度明確に認識出来ているように思われます。

そうしますと、では「ブログ記事の作成」のさらに奥にある「一定の行動パターン」とは何かと思い至るわけですが、それは、以前にも書いたことがあったと思われますが、私については「読書の習慣」であると思われます。

私の読書の習慣は、おそらく小学校入学以前より、その傾向があったと云えます。とはいえ、当初、その好みはかなり限定されたものであり、主に戦記や兵器関連の書籍であり、またそれは、実家の専門書以外の本棚にならぶ書籍のジャンルの割合を如実に反映するものであったとも云えます・・(苦笑)。

そこから自分の好みらしきものが徐々に出て来たのが、小学校中学年あたりからであり、そして高学年に至ってからは司馬遼太郎や池波正太郎などを好んで読むようになり、次いで夏目漱石や芥川龍之介などへと推移し、そこからさらに読む作家の時代は下り、阿刀田高や星新一、遠藤周作、北杜夫などへと移行し、そこからは海外作家の小説なども色々織り交ぜて読むようになり、停滞しつつ現在に至るといった感じであると云えますが、その間に、ある程度学術的な著作・論文あるいは原書などにも手を伸ばし、時には通読にも至るといったことが、進化であるとも思われます。

また、現在に至っては、同時にその間に修士号と博士号をどうにか頂くことが出来たとも云えるのかもしれません・・(苦笑)。

しかしながら、これは決して誇大な表現でなく、それらプロセスがあったからこそ、自身の読書習慣も進化を伴いつつ継続され、そしてまたハナシは戻って「ブログ記事の作成」が継続出来ているのだとも云えるのです。

そうしますと「自身のこれまでのさまざまな勤務経験は何であったのか?」とも思われてくるのですが、それにつきましては、あまり認めたくないことではありますが、私には良かれ悪しかれ(多少)常識外れ、あるいは言い換えますと、能力の偏りがあり、そこから、さきのさまざまな勤務経験も当然の帰結とは云わないにしても、自身にとっては良い選択であったのだとも思われるのです。それが一連の当ブログ記事の作成に結び付いているのならば・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


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2021年7月14日水曜日

20210713 朝日新聞出版刊 木村誠著「大学大崩壊」 pp.189-193より抜粋

朝日新聞出版刊 木村誠著「大学大崩壊」
pp.189-193より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4022737905
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4022737908

2016年に中央教育審議会(中教審)が答申した「専門職大学」は、2019年からスタートするはずであった。国立大学をリストラし、定員割れの私大に対して助成金を減らし、私立大学を見捨てるという大学崩壊時代に、なぜ専門職大学が必要なのか、まずはそのあたりから説明していこう。

 答申には、こう書かれている。少し長いが引用する。

「産業界からはより実践的な教育へのニーズや、学び直しのニーズへの対応が求められ、変化の激しい社会に対応した人材、すなわち、より高度な「実践力」と新たなモノやサービスを創り出せる「創造力」を有する人材の育成強化が急務となっています。「専門職大学」は、大学制度の中に、実践的な職業教育に重点を置いた仕組みとして制度化するものである」

 要するに、若くて実践力と創造力のある人材が欲しいという産業界の要請に応えたものである。また人材不足が進行する中、中高年の能力再開発のための学び直し(リカレント)教育も視野に入れている。

 もともと専門学校には、学校教育法1条に想定される大学と同列になりたいという長年の願いがあった。両者の願いがマッチングして実現するはずだったのが専門職だいがくなのだ。専門職大学になれば、1条校として私学助成の対象になり、また受験生に広くアピールすることができるメリットは大きい。

 2017年11月6日に文部科学省が開催した専門職大学説明会には、700名余の参加者があり、会場には空席がほとんどないといった状況だった。専門学校や大学や短大などの関係者だけでなく、報道陣も多かった。

 実際の申請は、専門職大学が13校、短大は3校だった。また、名古屋産業大学が専門職大学と同じねらいを持つ専門職学科を申請した。ほとんどの母体は専門学校である。

 当初は2018年8月ごろの正式認可といわれていたが、「1校のみ認可」の審査結果が出たのは10月5日であった。審議が難航したのだろう。申請校と設置審査の結果は図表20の通りである。1校が認可され、1校と1短大が「保留」、残る14校は、申請を取り下げるというかたちになった。

 話を専門職大学新設の要因に戻そう。背景を含め次の3点にまとめられるだろう。

①専門職業人の養成には専門学校の現状では限界がある、という認識はすでに定着していた。実力のある専門学校では、神田外語大学や新潟医療福祉大学、東京工科大学のように、大学を新設した法人もある。ただ、技能習得に特化した多くの専門学校は2年や1年の修学期間といった短いコースが多い。当然、語学など教養教育や研究を行う余裕はない。もともと外国語専門の神田外語大学は、大学を新設しやすい条件下にあった。

②グローバル化が進み、海外で活躍する職業人も増えており、専門学校でも技術やスキルだけでなく、語学も含めたコミュニケーション能力や経営管理能力も要求されるようになった。新たに大学になれば、海外大学との連携協定締結などが期待できる。

③既存の大学に対しては、企業と連携した職業教育が不十分だという産業人の不満があった。もっとも大学サイドとしては、有力企業はそれほど職業連携教育に協力的でないという声もある。

専門職大学と専門職短大は、このように産業界をはじめとする社会の期待を反映している大学を目指すことになっていた。ただ、繰り返しになるが、大学並みの扱いを求める専門学校の長年の願いに応えるという事情もある。

 日本経済が低成長時代に入って、企業は終身雇用制を前提にした正社員の大量採用を続ける余裕がなくなった。一方、大学(4年制)も高卒の52%が進学する時代になった。大学教育や企業内教育だけでなく、職業社会も個々人が一定の職種で経験を積み重ねてプロになるジョブ(仕事・職・任務)型の到来が想定されている。企業内でキャリアを積み上げる今までのような方式ではなく、個々人の働き方がジョブを中心にプロとして自立し、転職も今よりオープンになる職業社会である。

 見方を変えれば、今までのように企業が従業員の経済生活の面倒を見るのでなく、必要に応じて契約解除ができる職業社会と言うこともできる。企業にとって、いつでも雇え、またいつでも契約を打ち切ることができるジョブ型職業社会は望ましい。

 ただその前提として、求職する若者が企業と対等な契約を結べるプロのジョブ能力をつけるような教育制度の設計がしっかりできていなければならない。

 その発想が、今回の専門職大学新設に加え、既存の大学に専門職学部(学科)を設ける制度設計に大きく反映している。しかし、求職する学生サイドの立場を重視しているとは言えない面もあるようだ。

2021年7月13日火曜日

20210713 どうにか継続しているブログの背景にあるものについて

 直近2日間は、2記事ずつ投稿したことから総投稿記事数は今現在1576に至り、あと24記事の投稿にて目標の1600記事に到達します。そして、これも毎日2記事ずつの投稿にて進めると、12日間、つまり、今月内での達成も見込まれるわけですが、おそらく実際のところは、そこまでハナシは上手く運ばずに、かなり良く進んだとして、今月内ギリギリの到達になることが見込まれます。

さて、これまでに何度か書いたことではありますが、私は首都圏を出自としていますが、地方での生活が比較的長く、人生の三分の一程度は地方に住んでいたと云えます。また、これが新卒での就職以降となりますと、さらにその割合は高くなり、半分以上は地方での生活であったと云えます。

また新卒当初は首都圏にて勤務したいと強く望んでいましたが、現在考えてみますと、これは贅沢な望みで、実家からは出たいが首都圏(東京都心部)にて勤めたいといったもので、当時は、ともかく実家から出たかったのだと記憶しています。

その理由は、端的には、実家での居心地があまり良くなかったからであると云えます。当時は特に大げさな表現ではなく、暴力沙汰と云える家庭内でのケンカが多くありました。これは他の兄弟においても概ね同様であったと云えますが、その中で最も多くケンカをしていたのは、おそらく私であったと云えます。そして、それらの原因については、半分程度は私にあったと云えますが、残りの半分については挑発によって生じたものであったと云い得ます。

また、当時の私の実家の様子をご存じである方々は、おそらく、そうした(ケンカの)情景も思い出されるのではないかと推察されますが、それでも見方を変えてみますと、当時の私は「何か」を渇望していたのだと思われるのです。

その「何か」とは「周囲に負けない知性」のようなものであったと思われます。それ故、さらに大学院への進学を望んでいたのだとも云えますが、これは周囲の方々との相談により、諦めないにしても、一先ず先延ばしすることになり、そして、そこから当初は望んでいなかった地方での生活が始めったわけですが、現在考えてみますと、これが自身にとってかなり良かったと思われるのです。そのため、当時相談させて頂いた周囲の方々には、それなりに先見の明があったものと私は考えています。

つまり、新卒当時、そのまま当初の希望通りに首都圏の大学院に進んでいたらならば、収入や経済的状況は別として、さまざまな地域のホンモノの文化風土などを知ることなく年齢を重ねて現在に至ったものと思われますが、現在作成している一連のブログ記事とは、以前にも書きましたが、地方での生活の記憶・経験があるからこそ、今に至るまで、どうにか書き続けることが出来ているのだと云えます。

そして、こうした経験を何やら無駄、コスパの悪いものと考えたがる、いわば「経済合理性」一辺倒の社会とは、やはり何かが不自然であり、このままでは「失われた30年」より継続している社会全体の衰退を止めることは出来ないものと考えます。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


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