2020年6月26日金曜日

20200626 5年間ブログを続けて変わったことについて・・

5年間にわたるブログ記事作成の継続をつい先日達成しましたが、さきにも述べました通り、感動や感慨といったものは皆無でした。また、それは達成後数日経ても同様であり、これまでに湧き上がるような情動・衝動といったものは、何もありませんでした・・。

ここまで何もないと多少拍子抜けの感もあります・・。また、達成後1週間程度は、新たな記事作成を行わずに休もうと考えていましたが、ここ数日間何も作成しないでいますと、どうもソワソワしてきて、そして、現在に至るというわけです・・(苦笑)。

つまり、現在の私は、5年間のブログ継続を喜べるような心情は持たず、他方で、それでも数日間、記事作成をしないでいると、どうも落ち着かないという、少し厄介とも云える内面の傾向を持つに至ったと云えます・・。こうした傾向が、今後何かに役立てることが出来るか分かりませんが、もう少し、その先とやらを見てみようと思います・・(笑)。

そういえば、先日、ハナシに出たことですが、どうやら私は貨幣を得るために事業家や企業家になることは向いておらず、それと比べれば、こうした文章の作成などで、貨幣を得ることが出来る蓋然性の方が高いとのことでした。

このことは、自身でも、かなり前から認識してきたことではありますが、しかし、ここ最近になって思うことは、先ず、私の知る事業家や企業家タイプの方々の多くは、他方で医療従事者でもあり、その「類まれ」とも云える両性質を保持されていることには、否応なく尊敬の念を持ちますが、しかし、何と云うか、その計画されている事業計画概要が、歴史像全体の中で、どのような流れの中にあるものに位置付けられるか、類似しているかといったことに関しては、あるいは聞く耳を持たれないのかもしれませんが、私の方が多少は知っていることが多いのではないかとも思われます・・。

よく我々日本人は、目先の目標を立てつつ計画を進めた方が上手くいくことが多いと云われ、また、同時にそれは、我が国民性と云える即物的な性質とも浅からぬ類縁関係があると思われます。つまり、端的に、我々日本人は、自分の身近にあり感じ取れるようなものに対しては、強く反応するものの、そうでないものについては、かなり鈍感といった性質があると云えます。

この性質が男性的であるか女性的であるかは分かりませんが、いずれにしても、我々は、日常生活とあまり直接的な関係・接点のない、思想などを編むことは、おそらく、かなり苦手であり、また、その母胎とも云える歴史を物語として伝えることに関しても、同様にかなり苦手であり、さらに、現在のそれはこれまで以上にマズイ状況にあるように思われます・・。

昨今、時折聞く「感情の劣化」というものなのでしょうか、テレビであれ、そうでない普通の会話であれ「どうも違うのでは・・」と思うことが多いのです・・。そして、ここまで書いて、ここ最近思うことは「これまで、当ブログをある程度継続してきたから、そのように思うようになったのだろうか・・。」ということです。その理由は、当ブログを始める以前は、あまりそうした違和感のようなものを現在ほど強く感じることは少なかったからです。(であるとすれば、ブログを継続したことは、いらぬ苦しみ、疎外感を増やしたとも云えます・・(苦笑)。)

そして、そのように考えてみますと、やはり文字には、少なくとも私の理解を越えた何らかの力があるのではないかと思われるところですが、そして、それ故に、やはり昨今の報道、広告であれ。広く世間に周知する内容の文章に関しては、適切な文字の当て嵌め・付与による表現を検討して頂いた方が良いのではないかと思われます・・。それらを作成している人々の多くが、あまり書籍(特にある程度昔の)を読んでいないのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか・・。

ともあれ、もしも、あるとすれば、おそらく私の強みは、そういったところにあり、ある意味において、それは、事業家や企業家のセンスと比べても、特に劣っているようには思いませんが、それは、直接、貨幣を得ることが出来るような才能ではないことから、やはり医療従事者や事業家や企業家の風下に立たざるを得ないのが実情と云えるのかもしれません・・(苦笑)。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!













2020年6月24日水曜日

20200623 5年間のブログ記事作成の継続から思ったこと・・

去る6月22日で、当ブログを開始して丸5年となりました。また、それまでの総投稿記事数は1320程度であり、これを5年間に均しますと、10日のうち7日以上は、新規の記事投稿を行ってきたことになります。では「このことは自身に何らかの影響を与えたのか?」と考えてみますと、ある程度、確からしい見解を得られるわけでもないことからか「まあ、とりあえず続いたな・・。」といった感想ぐらいしか持ち得ません。無論、そこには感慨や感動といったものは驚くほどに皆無であり、これには自身でも少し驚いています・・(苦笑)。くわえて、5年間の1320記事と云っても、あまりキリが良いものでないことから「ここまで続けることが出来たのであれば1500記事程度までは書いてみよう。」と思うに至りました・・(笑)。
具体的には、現在の1320記事から1500記事に至るためには、180記事程、新たに投稿する必要がありますが、これを1日1記事にて考えてみますと、大体6カ月程かかることになり、上手く行けば、年内での到達も決して不可能ではありません・・。しかし、ここは多少の余裕を見積もった方が良く、その2倍、1年程度が適当と考えてみますと、丁度、6年間の記事投稿に至るあたりで達成することが出来るのではないかと思われ、また、これが特に無理もなく、そしてキリが良いと思われることから、今後はこれ(6年間・1500記事の投稿)を目標として、今しばらく続けてみようと思います。ともあれ、これまで、決して面白い記事が多いとは云えない、一連の当ブログを読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。以上の通りとなりますので、また今後とも、よろしければ、読んで頂ければと思います。

さて、ここ最近書き続けている【架空の話】は其の33にまで至り、Wの地域ネタに関しては、思いのほか書き続けている感があります。しかし、この段階は、全体の流れからすると前段階であると云え、今後、Kでの新たな専門職大学での学生生活を、これまでの伝にて書きますと、相当に時間が掛かると思われ、そこから、Kでの学生生活は、ある程度簡潔に、概略的な記述に留めた方が良いのではないかとも思われるのです・・。そしてまた、現時点での考えでは、この専門職大学の卒業の後、主人公は、同地にあるK大学の大学院に進学することを想定しています。また、大学院と云っても、新たに修士課程から始めるのでなく、既に修士号を人文社会科学系(ヨーロッパ文化専攻)にて取得していることから、いきなり博士課程へ進学することを検討しています。そして、このある種、荒技的とも云える経路は、実際に自身が辿ったものに近いと云えることから、そこでの記述は、ある程度、実地に沿ったものになるのではないかと考えています。

以前も当ブログにて書いたことがありますが、自身は人文社会科学的な背景を持つ歯科技工士であると云えます。そして、それがどうにか歯学分野にて、どうにか学位取得にまで至ることが出来た主な理由は、やはり、これまでに書き連ねてきたような人文社会科学分野での経験があったからであると考えます。また、今後、そうしたブログにて述べた、実地に近い経路を眺めて、それと似たような経路・方向性を採る方々が、多少なりとも増加することによって、世の中がほんの少しでも面白くなることを心から願う次第です。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!













2020年6月23日火曜日

20200622【架空の話】・其の33

【架空の話】・其の33
私の方は、テレビを点けてみたものの、あまり面白いと思われる番組がなかったことから、当り障りのない報道番組にチャンネルを定めてから音量を下げた。そして兄の方はマグカップに入ったコーヒーを二つ持って来て、一つを私の近くに置いてソファに座った。

私は無言でマグカップを少し上に持ち上げ、また同時に、頭を少し下げて感謝の意を伝えた。すると兄は掌をこちらに少し挙げて応答した。そしてマグカップに口をつけ、注意深く口先で温度の程度を確認してから、少し音をたててコーヒーを啜った。

私もそれを真似してコーヒーを飲んでみたが、その味というよりも感覚は、これまで寒い場所にいたことを、あらためて認識させられるほど体に沁み入るものであり、私は期せずしてマグカップを両手で保持していた。

さて、しばらく無言でコーヒーを啜っていると兄が「ええと、地域の自然環境といったものこそが、その土地土地で生まれる、ある種傑出した人物の根源にあるのではないか?ということだったよね・・。その意味でたしかに南方熊楠や松下幸之助や陸奥宗光なんかはこの地域を代表する傑出した人物であると云えて、また、その背景には当地域の濃厚な自然環境があるとも云えるね・・。そういえば、たしか「続日本紀」に書かれている奈良時代後期(神護景雲年間)の出来事で、その当時(8世紀後半頃)は、まだ大和朝廷の覇権が列島全土に及んでいたわけではなくて、北の方では、所謂「蝦夷」との争いが続いていたんだ・・。それで、朝廷の命で東北方面に派遣され、そして駐屯した軍隊の兵士の中には戦闘で「蝦夷」の捕虜になってしまったのも結構いたらしいんだ。まあ、それでそのまま捕虜として彼の地に留め置かれて、それが世代を重ね、大和朝廷の支配領域が大きくなってきたことを契機として、脱走し、あらためて朝廷の公民になりたいと願い出たことが記されているんだけれど、この請願を行った人物が、たしか大伴部押人という名前で、彼はおそらく、古代の軍事部族であった大伴部の部民であり、そして、ここからがとても興味深いところなのだが、その父祖の地が、ここK国の名草郡 片岡里(なくさのこほり かたおかのさと)とのことであり、それで、この片岡という地名は、現在でもW市内中心部の、それこそ、お城のすぐ近くにあって、さらに、何と、そこにはK国での大伴氏の氏社と云えるS田比古神社が今なお鎮座しているんだ・・。つまり、この大伴氏や大伴部にまつわるハナシから思うことは、遠い地にあっても自らの故郷を忘れないという一種の「執念」であり、そこから、その「執念」の源泉について考えてみると、それは一つに、やはり、地域の自然環境であると思うんだ・・。あと、このことを話していて思い出したのは、太平洋戦争後30年近くフィリピンの島で抵抗を続けていたO少尉は有名なハナシだけれど、そのO少尉の出身地が、このW市の南隣のK市であり、そこに古くからある神社は、このO少尉の御実家のさらに本家筋にあたる流れが代々宮司をしているとのことなんだが、このことと、さっきの「続日本紀」内のハナシは、それぞれのストーリー自体は大分違うかもしれないけれど、同時に、それらに共通する要素として、さっき出た「執念」といったものがあるのではないかと思うんだ・・。」と私に話した。

これもまた、興味深いハナシであり、たしかにそれらの底には、あまりコトバによってカタチを与えてしまうことを躊躇うような、地域性の原型のようなものがあるようにも思われた。さらに、「執念」という意味においては、昨日・本日とハナシに出た「娘道成寺」も、かなりイイ線を行くのではないかと思われたが、これは口に出さなかった・・。また同時に、こうした検討やら考察を自国の地域に対して行うことが出来るようになることもなかなか大事なことであるように思われたのだが、さて、如何であろうか・・?

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。おかげさまで、丸五年間、当ブログを継続することが出来ました。とはいえ、まったく感激はありませんでした・・(苦笑)。そしてまた、今後も1500記事程度までは継続したいと考えておりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします!


祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!























2020年6月21日日曜日

20200621【架空の話】・其の32

【架空の話】・其の32
また、あとで聞いてみたところによると、このWという場所は、和食に必要不可欠な醤油、かつおぶし発祥の地とのことであり、これはおそらく、その気候風土が強く影響しているのではないかと思われるのだが、さて、どうだろうか?

さて、醤油、かつおぶしの間で共通の要素は「発酵食品」であるということである。そして、この発酵食品という視点で、再度Wのことを検討してみると「梅干し」は県内のM町にて、かねてから有名であり、さらに先日食べた「なれずし」もまた、当地域が生んだ発酵食品である。

そのように考えてみると、Wという地域は、さまざまな発酵食品を生み出すのに適した気候風土であるのではないかと思われてきた。そこで、中華そば店からの帰路で兄に訊ねてみると「・・うーんと、今日行ってきたところのもっと内陸部に行くと、熊野本宮大社そしてさらに紀伊半島を東側に抜けると熊野新宮、那智大社があって、それらを総称して熊野三山と云うことは知っていると思うけれど、これは神仏習合といって、神道と仏教、双方から信仰の対象になる神様で「権現様」と云われるけれども、この熊野三山の主祭神とされているのが家都御子神(けつみこのかみ)という神様で、その正体は素戔嗚尊(すさのおのみこと)と考えられているんだ。

それで記紀に載っている神話で、素戔嗚尊が体中のさまざまな部位の毛を抜いて、それらを地面に植えると、さまざまな種類の樹木になり、さらに、それら樹木の用途について説明したのだけれど、この素戔嗚尊こと家都御子神(けつみこのかみ)は、この神話に基づいて言い換えると毛津御子神(けつみこのかみ)であり、さらに、このWは、その古称であるK国からも分かる通り、樹木が多い地域であるのだが、おそらく、大昔にあって樹木は、さまざまな生活資材の材料となる資源としてだけでなく、あるいは狩猟採集時代からの名残とも云えるのか、多分に食料の供給源としても認識されていたのではないかと思うんだ・・。それで、水稲耕作が大陸から徐々に齎され、社会に定着してくると、その稲の苗もまた、さきの樹木同様、食料を齎す植物として認識されて、そして素戔嗚尊こと家都御子神・毛津御子神(けつみこのかみ)の神格に吸収されていったのではないかと思うんだ・・。

そのためか、現在では素戔嗚尊こと家都御子神(けつみこのかみ)は、樹木の神様というよりも、食べ物の神様として広く知れ渡っているらしいんだ・・。それに、これは蛇足だけれども、日本では神様のことを一柱と「はしら」って呼称するけれど、その意味からも、古代以来、樹木が豊富な地域であるK国、Wは、また同様に神様の数も多いのではないかと思うんだ・・(笑)。」との返事であった。

この返答は、私の質問に正面から返答したものとは云えなかったが、それでも、その質問に対して、ある種、抽象的な返答であったようには思われた・・。しかし、首都圏育ちの兄が普通に「この地域は神様の数も多いのかもしれない・・(笑)。」などと、云うこと自体に私は多少違和感を感じたが、しかし他方で、異郷にしばらく住んでみると、何かしら新たに見えてくるものがあり、それに浸り・感染(?)すると、そのようなことを普通に云えるようになるのかもしれない・・。

また、たしかに我が国では古来から神のことを「柱」として呼称してきたが、これは我が国の原初的な宗教観がなおも息づいていると云えるK国、Wのさまざまな文化を検討する際に一つの参考となるように思われた・・。そして、その全ての土台となるものは、やはり地域の自然環境であり、これが木の実や稲の実りをもたらし、また、人々に自然の薫り豊かな大気を提供してきたのだ。おそらく、この大気こそが、この地域が時折生み出す規格外れの人物の根源にあるのだはないかと思われた・・。そこでまた兄にそのことを訊ねてみると「もうすぐ家に着くから、そこで続きは話そう。」とのことであり、車外を見てみると、たしかに、あとわずかで兄のアパートに到着するところであった。

車をアパートの駐車場に停めると、後部座席の荷物を取り、すっかり寒くなった中を急ぎ、3階の兄の部屋に向かった。本日は長時間不在でいたためか、室内も冷え込んでおり、吐く息も白くなっていた。兄は靴を脱いで早々に暖房のスイッチを入れ、さらにリビングルームに置いてあるオイルヒーターのスイッチも入れた。そして10分ほど経つと漸う部屋は次第に暖かくなり、手洗い、顔洗い、うがいを済ませた我々は、落ち着いてリビングのソファでくつろぐことが出来る状態にまでなっていた。そうして兄は台所に立ち、湯を沸かして、ドリップバッグのコーヒーを二つ淹れ始めた。ちなみに私の家では昔から、どうしたわけかコーヒーはブラック一辺倒であり、砂糖やミルクを入れて飲んだ記憶がない。

私の方は、テレビを点けてみたものの、あまり面白いと思われる番組がなかったことから、当り障りのない報道番組にチャンネルを定めてから音量を下げた。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!



祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!























2020年6月20日土曜日

20200619【架空の話】・其の31

【架空の話】・其の31
こうして日が暮れるまで古墳を見学をしてから車に戻った。そしてまた、言葉数が少ないままで発車し、近くのG南インターチェンジまで戻り、再び高速道路に乗り、W市内に戻るべく北上をはじめた。時刻は午後6時少し前であった。

高速道路を北上するにつれ、周囲に人家などの灯りが増えていった。そして約一時間程走りW南インターチェンジに到着した。そこからさらにW市街の郊外と思しき場所を走っていると、突如、左側にこんもりした森のような一角があらわれた。この辺りは郊外ではあるものの、耕作地以外で、こうした自然環境が道路に面した一角にあることは、不思議であったことから兄に訊ねてみると「ああ、そこも神社だよ。ええと、記紀の神武東征は知っていると思うけれど、その神武天皇の兄にI瀬命というのがいてね、彼等一行は、九州の東岸あたりから出帆して、瀬戸内海を抜けて、現在の枚方あたりに上陸しようとしたらしいんだ・・。海から船で枚方に上陸って云うと現代では荒唐無稽に聞こえるかもしれないけれど、その当時、現在の大阪の多くの部分は、河内湖と云って、淀川や大和川などが流れ込む潟湖、ラグーンだったんだよ。それでまあ、当時、このあたりにも勿論、土着の勢力っていうのがいてね、神武一行は、この勢力と戦うことになったんだけれど、神武一行はこれに苦戦して結局、退却し、現在の東大阪あたりで船に戻り、大阪を離れることにしたんだ。まあ、それだけ、この地では土着勢力が強く根を張っていたんだろうね・・。それで、この大阪での戦いで、神武天皇の兄であるI瀬命は手に矢を受けてしまって、その傷がもとで、おそらく退却した船上で亡くなられてしまったんだ。その亡くなられた場所が、このW辺りで、亡くなられる際に雄叫びを上げたことから、ここの港を昔は雄湊(おのみなと)と云ったんだよ。・・そういえば、この名前は、昨日近くまで行ったT医療保健大学のW看護学部の校舎は元々、雄湊小学校だったということでハナシに出ていたね・・。」とのことであった。

ここで神武東征のハナシが出てくるとは思わず、また、初代天皇の兄の墳墓について少し疑問に思われたことから「でも、神武東征は全くの架空の神話じゃないとしても、全てが全て史実とも云えないよね・・。そうすると、その中にある墳墓は一体、どのような形式で何世紀代のものとされているの?」と訊ねてみると、兄は「いやあ、ここは古墳というよりも神社がメインで、その中にどのような古墳があるかということは、多分、さっきのハナシにも出たけれど陵墓参考地としてあまり調査はされていないようなんだ・・。しかし、この神社の裏山には何らかの古墓があるとは聞いているけれども・・。」といったこれまでの兄からすると曖昧な返事が返ってきた。ともあれ、さきの「I内一号墳」にしろ、このI瀬命を祀る神社にしろ、1日で古代の曰く付きの墳墓や神社のことを経験を通じて知ることが出来たのは、大きな収穫であり、おそらく今後、我が国の古代史に関する著作を読む際にも、捗ることが予想された。そして、車は目的地である中華そば店に到着した。暖房のきいた車から外に出ると、すっかり寒くなっており、駐車場から急いで窓ガラスが若干湯気で曇っている店の中に入った。店内は混雑とまでは行かないが賑わっており、近くに大学があるためか、学生さんと思しき若者が大勢いて、それぞれが陽気に中華そばを食べていた。また、この中華そば店で特筆すべきことは、テーブルの上にのり巻きと、昨晩食べた早寿司を小さくしたようなものと、ゆでたまごが置いてあることである。そして、周囲のお客さん等は、それらを好きな時につまんで食べていた。こうした食文化も初めてであったため兄に聞いてみると「ああ、これがWの中華そば店では主流のスタイルで、昨日のY為食堂は、それがなかったけれど、これはむしろ珍しい方だよ。」とのことであった。我々は今日一日、あまり食事らしい食事を摂ってこなかったため、ここでは少し奮って一番高価な特製大盛の中華そばを注文し、さらに早速、卓上にあった早寿司を食べてみた。この早寿司もまた、なかなか美味しく、おそらく、首都圏のコンビニなどに置いてあったら、頻繁に購入することになるだろうと思われた。やがて、我々の中華そばが運ばれてきたが、兄は中華そばと並行しつつ早寿司を食べていたため、多少違和感を覚えたが、周囲を少し意識して見ると、それは当然のように行われていたため「When in Rome、do as the Romans do.」(郷に入れば郷に従え)とやらで、真似してみると、これが思いのほかに美味しく、感心し、くわえて、よく分からないが、和食の奥深さ、いや懐の深さを感じさせられた・・。また、あとで聞いてみたところによると、このWという場所は和食に必要不可欠な醤油、かつおぶし発祥の地とのことであり、これはおそらく、その気候風土が強く影響しているのではないかと思われるのだが、さて、どうだろうか?

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!


















2020年6月18日木曜日

20200618 本日ツイッターで「バズった」こと および「新しい教養」について思ったこと

おかげさまで、去る4月25日から投稿してきた【架空の話】は、第30話まで辿り着くことが出来ました。これまで【架空の話】を読んでくださった皆様、どうもありがとうございます!

また、先日来から始めていたツイッターにて、本日初めて「バズる」という現象を経験しました。わずかの間に閲覧者数が、これまでに見たことがないほどに増加したことは、はじめ、何かの間違いではないかと思ったほどです(苦笑)。ともあれ、この、はじめての「バズる」には、ここ最近なかなかないほどに驚き、しばらくはアタフタとしていました・・(苦笑)。

他方で、当「ブロガー」での閲覧者数は、普段とあまり変わりませんでした。そうすると、時宜に適った動画や音楽などをツイッターでアップすることの方が、より「バズり」への近道であるのかもしれませんが、しかし、少なくとも、ある程度の期間、オリジナルのブログ記事作成を継続してきたのであれば、そうした(他者の)動画のアップにより、多くの閲覧者数を獲得しようとすることは、必ずしも全面的には「好ましい」とは考え難くなると云えます。(それも一つのエゴイズムでしょうが・・。)

それ故、現在、自身もこうして新たな記事を作成しているわけですが、少なくとも、本日に関しては、「バズる」という記事題材になり得る出来事があったことから、比較的スムーズにここまでの記事作成が出来ています。くわえて、ここ最近Noteにおいてもブログを開設しましたが、ここでは、これまでに作成した【架空の話】をコピペしてアップしていますが、これを今後もう少し整備していきたいと考えています。具体的には、さまざまな分野の外部講師による勉強会のご案内を掲示していきたいと考えています。その対象は、おそらく分野にもよるのでしょうが、大学や医療法人などを想定しております。また、こちらの勉強会のご案内によって自身が収益を上げることは考えていませんので、仲介や謝金額の交渉などは行いますが、それらが決まりましたら、あとの精算等は双方で行って頂ければと思います。

また、自身として特におススメするのは、医療系の大学様が人文社会学分野(特に国際関係論、近現代史)の外部講師を招き、特別講義などを開催されることです。既にご承知とは思いますが、かねてより世界は混乱しており、いわば「混乱の時期」に突入したと云えます。そうした中、世界で活躍することが期待される医療従事者の方々を養成するためには、やはり普通の教養として、こうした知識がある程度、必要になるのではないかと思われるのです・・。

ちなみに、昨今「新しい教養」というコトバが巷に流布しているようですが、果たして教養に古いものと新しいものがあるのでしょうか?感覚的にはなりますが、私はこの「新しい教養」というコトバを用いる方々は、時代を経て積み重ねられてきた人文社会科学のそれ(教養)を敢えて無視する、もしくは体よく素通りするための一種のレトリックとして用いているのではないかとも思われるのですが、さて、如何でしょうか・・。

とはいえ、そうであっても、時代を経て積み重ねられた人文社会科学的な教養には、一見して人の命を救うといった万人に即座に理解され得る有用性といったものが見受けられないことから、おそらく、この「新しい教養」というコトバも徐々に「教養」を押しのけて、それらしいものとして扱われていくのではないかと思われます・・(苦笑)。そして、これも見方に拠ればジョージ・オーウェルの「1984年」に登場するニュー・スピークに似たようなものであるのかもしれません・・。してみると我が国は「1984年」のように、上(政府筋)からの指導にてニュー・スピークを言語としては受容することはせず、他方で社会全般の広い層にて受容された新たなコトバは、社会における同調圧力のようなものにより後押しされ、速やかに浸透していくようなメカニズムのようなものがあるのではないかと思われます。(広義のポピュリズムあるいは俗論との結託)

そして、こうしたメカニズムが暗黙の裡に、所与であることが社会全般にて共有されているのであれば、コトバを用いた議論などは、あまり意味がなく、必要のないものであるのかもしれません・・(苦笑)。



*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!


















2020年6月17日水曜日

20200617【架空の話】・其の30

【架空の話】
我々は古墳をしばらく見学し、その後、周辺をしばらく歩き景色を眺めてから車に戻った。時刻は午後3時を少し過ぎた頃であった。考え事を始めたのか、兄はまた言葉数が少なくなり、そこからしばらくの間、自分からしゃべることはなかった。そして、次に兄が話しかけてきたのは、さきに通った海沿いの道を走っている時であった。

兄は「今度の古墳は昨日の古墳群と比べると、また趣が違うけれど、同じように興味深いと思うけど、どうかな?」と訊ねてきた。それに対し私は「うん、古墳が数多く集まっている中でなくて、ああした集落から離れた場所にわざわざお墓を造ろうとすることは、それなりの理由があったのだと思うけれど、それで思ったのは、あの古墳の被葬者は、何というか海洋民とか航海民に出自を持つ人だったのではないかということだけれど、どうだろうね・・。」すると兄は少し黙ってから「うん、海洋民か・・たしかにそれもあり得るなあ・・。それと、前に話したと思うけれど、あの古墳の造営様式は肥後・熊本のそれに近いとされているのだけれど、それが興味深くてね。つまり、肥後・熊本に出自を持つ集団がこの地域に移住したのか、あるいは双方に共通の起源がある他の場所が存在するのかよく分からないけれども、まあ、どうであろうと、こうしたものは明確な結論が出るようなハナシではないと思うけれども、同時に、実際の遺物が物語る仮説だから、そこには史実に沿ったモノガタリというものはあるはずだよね・・。」とのことであった。

それはたしかに兄の云う通りであると思われるが、このモノガタリはおそらく6世紀頃のものであるはずだが、同時代のヨーロッパは中世前期にあたり、東西ローマ帝国は周辺蛮族によって国境を侵され、そして西ローマ帝国の方は既に5世紀末に滅亡し、他方の東ローマ帝国でも同様の危機に瀕していたが、それに対し、国家体制の立て直しをはかるべく、皇帝ユスティニアヌスによる、それまでのローマ法を統合編纂したローマ法大全(市民法大全)が著された頃である・・。

それに比べると、我が国における文字資料が出てくるのは、しばらく後で、しかも当初期のそれは大陸から齎された漢字の「意味」を拝借したり、あるいはその「音」を拝借したりと、結構いい加減な使用法であり、我が国での「愛羅武勇」「仏恥義理」もしくは「牛津」や「剣橋」なども、ある意味では、その係累と云えるのだろう・・。

つまり、文字資料がないことから、6世紀代の古墳被葬者の特定も出来ないのではないか・・。といった旨を兄に話したところ、兄は「まあねえ・・。日本ってクニは何でも流行しだすとスゴイ勢いで伝播していくけれども、そこに至るまでが大変というか、鈍重なんだよなあ・・。まあ、それが外来文化の選択的な摂取に追われているクニの特徴なのかもしれないなあ・・。」とのことであった。

そして、しばらく経ってから「そうだ!ここWで誰が葬られているか大体分かっている古墳があるから、少し急げば、日があるうちに着くことが出来るかもしれない。」と云った。それに対して私は「え、そんな古墳があるの?それで、その場所はどの辺りなの?」と聞いてみると、兄はまた少し間を置いてから「・・うん、今日の朝、ハナシに出た道成寺の近くで、たしかH川の南岸だったと思う。詳細については、休憩をとるコンビニの駐車場でスマホでググってみるよ。」とのことであった。そこから兄は心なしか車を飛ばし始めたが、法定速度は概ね順守していたようだった。そして、その後、16時頃に高速道路入口があるS浜に到着し、そこから更なる北上を始めたわけだが、急いでいたためか、兄はコンビニに立ち寄ることなく高速道路に入ったが、そのことに途中で気が付いたのか、あるいは前々からそう考えていたのか、高速道路で運転中、私に「ちょっと悪いんだけれど、スマホを使って「I内一号墳」って検索をして、その場所をナビしてもらえないか?」とのことであった。私としてはお安い御用であったため早速検索すると、その古墳はG南インターチェンジが最寄りであった。

また、所要時間は30分程度とのことであり、午後5時前には到着することが出来る目途が立った。そのことを兄に告げると「おお、そうか、ありがとう。じゃあ、少し余裕を持って動けるね。」と安心したようだった。

続けて「それで、その「I内一号墳」は、おそらく7世紀代、終末期の古墳なんだけれど、これがD志社大学のM教授によると万葉集にも幾つか歌が残る有間皇子の墳墓ではないかとされているんだ・・。それで、普通、昔から皇族のお墓は、陵墓参考地とかで禁足地になるんだけれど、考古学的な検討がより洗練されてくると、これまで陵墓参考地とされていなかった墳墓が実は皇族のお墓ではないか?といったことが生じてくるんだ。その一例が大阪の高槻にある今城塚古墳だけれど、これはホンモノの継体天皇陵ではないかと有力視されているんだ。

それで、まあこの「I内一号墳」も造りがシッカリとしていてWでは数少ない終末期古墳であり、また出土した破片から漆塗りの棺が埋葬されていたことが分かっているんだけれど、当時、漆塗りの棺を用いることが許されていたのは最高位の皇族のみであったことから、その被葬者は、この辺りに縁のある7世紀代の皇族ということで有間皇子ではないかと考えられているんだ・・。」とのことであった。丁度その時、カーステレオからは宇多田ヒカルの「Michi」が流れはじめていた。

そうこうするうちに車はG南インターチェンジに近づいていた。私はスマホ画面と道路を見つつ、運転する兄をナビして無事に古墳近辺で駐車出来るところまで辿りついた。周囲は既に薄暗くなりつつあり、日の入りまであと30分ほど、といったところでった。

二人してペンライトを持ち、また古墳まで、しばらくの道のりを歩いていると、開口している古墳入口に木の柵が置かれて比較的整備された古墳が我々の目の前に現れた。この古墳は、玄室に入ることは出来ないものの、外から玄室内部を見ることは出来た。そこで二人してお辞儀をしてからペンライトで内部を照らして見てみたが、たしかに石室の造りが洗練され、シッカリしており、また面が平に加工された巨石が多用されていたことから、これまでWで見学してきた古墳とは異なった背景を感じさせられた。
こうして日が暮れるまで古墳を見学をして車に戻った。我々はまた言葉数が少ないままで発車し、近くのG南インターチェンジまで戻り、そこから再び高速道路に乗り、W市内に戻るべく北上をはじめた。時刻は午後6時少し前であった。


*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!