2020年6月20日土曜日

20200619【架空の話】・其の31

【架空の話】・其の31
こうして日が暮れるまで古墳を見学をしてから車に戻った。そしてまた、言葉数が少ないままで発車し、近くのG南インターチェンジまで戻り、再び高速道路に乗り、W市内に戻るべく北上をはじめた。時刻は午後6時少し前であった。

高速道路を北上するにつれ、周囲に人家などの灯りが増えていった。そして約一時間程走りW南インターチェンジに到着した。そこからさらにW市街の郊外と思しき場所を走っていると、突如、左側にこんもりした森のような一角があらわれた。この辺りは郊外ではあるものの、耕作地以外で、こうした自然環境が道路に面した一角にあることは、不思議であったことから兄に訊ねてみると「ああ、そこも神社だよ。ええと、記紀の神武東征は知っていると思うけれど、その神武天皇の兄にI瀬命というのがいてね、彼等一行は、九州の東岸あたりから出帆して、瀬戸内海を抜けて、現在の枚方あたりに上陸しようとしたらしいんだ・・。海から船で枚方に上陸って云うと現代では荒唐無稽に聞こえるかもしれないけれど、その当時、現在の大阪の多くの部分は、河内湖と云って、淀川や大和川などが流れ込む潟湖、ラグーンだったんだよ。それでまあ、当時、このあたりにも勿論、土着の勢力っていうのがいてね、神武一行は、この勢力と戦うことになったんだけれど、神武一行はこれに苦戦して結局、退却し、現在の東大阪あたりで船に戻り、大阪を離れることにしたんだ。まあ、それだけ、この地では土着勢力が強く根を張っていたんだろうね・・。それで、この大阪での戦いで、神武天皇の兄であるI瀬命は手に矢を受けてしまって、その傷がもとで、おそらく退却した船上で亡くなられてしまったんだ。その亡くなられた場所が、このW辺りで、亡くなられる際に雄叫びを上げたことから、ここの港を昔は雄湊(おのみなと)と云ったんだよ。・・そういえば、この名前は、昨日近くまで行ったT医療保健大学のW看護学部の校舎は元々、雄湊小学校だったということでハナシに出ていたね・・。」とのことであった。

ここで神武東征のハナシが出てくるとは思わず、また、初代天皇の兄の墳墓について少し疑問に思われたことから「でも、神武東征は全くの架空の神話じゃないとしても、全てが全て史実とも云えないよね・・。そうすると、その中にある墳墓は一体、どのような形式で何世紀代のものとされているの?」と訊ねてみると、兄は「いやあ、ここは古墳というよりも神社がメインで、その中にどのような古墳があるかということは、多分、さっきのハナシにも出たけれど陵墓参考地としてあまり調査はされていないようなんだ・・。しかし、この神社の裏山には何らかの古墓があるとは聞いているけれども・・。」といったこれまでの兄からすると曖昧な返事が返ってきた。ともあれ、さきの「I内一号墳」にしろ、このI瀬命を祀る神社にしろ、1日で古代の曰く付きの墳墓や神社のことを経験を通じて知ることが出来たのは、大きな収穫であり、おそらく今後、我が国の古代史に関する著作を読む際にも、捗ることが予想された。そして、車は目的地である中華そば店に到着した。暖房のきいた車から外に出ると、すっかり寒くなっており、駐車場から急いで窓ガラスが若干湯気で曇っている店の中に入った。店内は混雑とまでは行かないが賑わっており、近くに大学があるためか、学生さんと思しき若者が大勢いて、それぞれが陽気に中華そばを食べていた。また、この中華そば店で特筆すべきことは、テーブルの上にのり巻きと、昨晩食べた早寿司を小さくしたようなものと、ゆでたまごが置いてあることである。そして、周囲のお客さん等は、それらを好きな時につまんで食べていた。こうした食文化も初めてであったため兄に聞いてみると「ああ、これがWの中華そば店では主流のスタイルで、昨日のY為食堂は、それがなかったけれど、これはむしろ珍しい方だよ。」とのことであった。我々は今日一日、あまり食事らしい食事を摂ってこなかったため、ここでは少し奮って一番高価な特製大盛の中華そばを注文し、さらに早速、卓上にあった早寿司を食べてみた。この早寿司もまた、なかなか美味しく、おそらく、首都圏のコンビニなどに置いてあったら、頻繁に購入することになるだろうと思われた。やがて、我々の中華そばが運ばれてきたが、兄は中華そばと並行しつつ早寿司を食べていたため、多少違和感を覚えたが、周囲を少し意識して見ると、それは当然のように行われていたため「When in Rome、do as the Romans do.」(郷に入れば郷に従え)とやらで、真似してみると、これが思いのほかに美味しく、感心し、くわえて、よく分からないが、和食の奥深さ、いや懐の深さを感じさせられた・・。また、あとで聞いてみたところによると、このWという場所は和食に必要不可欠な醤油、かつおぶし発祥の地とのことであり、これはおそらく、その気候風土が強く影響しているのではないかと思われるのだが、さて、どうだろうか?

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


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2020年6月18日木曜日

20200618 本日ツイッターで「バズった」こと および「新しい教養」について思ったこと

おかげさまで、去る4月25日から投稿してきた【架空の話】は、第30話まで辿り着くことが出来ました。これまで【架空の話】を読んでくださった皆様、どうもありがとうございます!

また、先日来から始めていたツイッターにて、本日初めて「バズる」という現象を経験しました。わずかの間に閲覧者数が、これまでに見たことがないほどに増加したことは、はじめ、何かの間違いではないかと思ったほどです(苦笑)。ともあれ、この、はじめての「バズる」には、ここ最近なかなかないほどに驚き、しばらくはアタフタとしていました・・(苦笑)。

他方で、当「ブロガー」での閲覧者数は、普段とあまり変わりませんでした。そうすると、時宜に適った動画や音楽などをツイッターでアップすることの方が、より「バズり」への近道であるのかもしれませんが、しかし、少なくとも、ある程度の期間、オリジナルのブログ記事作成を継続してきたのであれば、そうした(他者の)動画のアップにより、多くの閲覧者数を獲得しようとすることは、必ずしも全面的には「好ましい」とは考え難くなると云えます。(それも一つのエゴイズムでしょうが・・。)

それ故、現在、自身もこうして新たな記事を作成しているわけですが、少なくとも、本日に関しては、「バズる」という記事題材になり得る出来事があったことから、比較的スムーズにここまでの記事作成が出来ています。くわえて、ここ最近Noteにおいてもブログを開設しましたが、ここでは、これまでに作成した【架空の話】をコピペしてアップしていますが、これを今後もう少し整備していきたいと考えています。具体的には、さまざまな分野の外部講師による勉強会のご案内を掲示していきたいと考えています。その対象は、おそらく分野にもよるのでしょうが、大学や医療法人などを想定しております。また、こちらの勉強会のご案内によって自身が収益を上げることは考えていませんので、仲介や謝金額の交渉などは行いますが、それらが決まりましたら、あとの精算等は双方で行って頂ければと思います。

また、自身として特におススメするのは、医療系の大学様が人文社会学分野(特に国際関係論、近現代史)の外部講師を招き、特別講義などを開催されることです。既にご承知とは思いますが、かねてより世界は混乱しており、いわば「混乱の時期」に突入したと云えます。そうした中、世界で活躍することが期待される医療従事者の方々を養成するためには、やはり普通の教養として、こうした知識がある程度、必要になるのではないかと思われるのです・・。

ちなみに、昨今「新しい教養」というコトバが巷に流布しているようですが、果たして教養に古いものと新しいものがあるのでしょうか?感覚的にはなりますが、私はこの「新しい教養」というコトバを用いる方々は、時代を経て積み重ねられてきた人文社会科学のそれ(教養)を敢えて無視する、もしくは体よく素通りするための一種のレトリックとして用いているのではないかとも思われるのですが、さて、如何でしょうか・・。

とはいえ、そうであっても、時代を経て積み重ねられた人文社会科学的な教養には、一見して人の命を救うといった万人に即座に理解され得る有用性といったものが見受けられないことから、おそらく、この「新しい教養」というコトバも徐々に「教養」を押しのけて、それらしいものとして扱われていくのではないかと思われます・・(苦笑)。そして、これも見方に拠ればジョージ・オーウェルの「1984年」に登場するニュー・スピークに似たようなものであるのかもしれません・・。してみると我が国は「1984年」のように、上(政府筋)からの指導にてニュー・スピークを言語としては受容することはせず、他方で社会全般の広い層にて受容された新たなコトバは、社会における同調圧力のようなものにより後押しされ、速やかに浸透していくようなメカニズムのようなものがあるのではないかと思われます。(広義のポピュリズムあるいは俗論との結託)

そして、こうしたメカニズムが暗黙の裡に、所与であることが社会全般にて共有されているのであれば、コトバを用いた議論などは、あまり意味がなく、必要のないものであるのかもしれません・・(苦笑)。



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2020年6月17日水曜日

20200617【架空の話】・其の30

【架空の話】
我々は古墳をしばらく見学し、その後、周辺をしばらく歩き景色を眺めてから車に戻った。時刻は午後3時を少し過ぎた頃であった。考え事を始めたのか、兄はまた言葉数が少なくなり、そこからしばらくの間、自分からしゃべることはなかった。そして、次に兄が話しかけてきたのは、さきに通った海沿いの道を走っている時であった。

兄は「今度の古墳は昨日の古墳群と比べると、また趣が違うけれど、同じように興味深いと思うけど、どうかな?」と訊ねてきた。それに対し私は「うん、古墳が数多く集まっている中でなくて、ああした集落から離れた場所にわざわざお墓を造ろうとすることは、それなりの理由があったのだと思うけれど、それで思ったのは、あの古墳の被葬者は、何というか海洋民とか航海民に出自を持つ人だったのではないかということだけれど、どうだろうね・・。」すると兄は少し黙ってから「うん、海洋民か・・たしかにそれもあり得るなあ・・。それと、前に話したと思うけれど、あの古墳の造営様式は肥後・熊本のそれに近いとされているのだけれど、それが興味深くてね。つまり、肥後・熊本に出自を持つ集団がこの地域に移住したのか、あるいは双方に共通の起源がある他の場所が存在するのかよく分からないけれども、まあ、どうであろうと、こうしたものは明確な結論が出るようなハナシではないと思うけれども、同時に、実際の遺物が物語る仮説だから、そこには史実に沿ったモノガタリというものはあるはずだよね・・。」とのことであった。

それはたしかに兄の云う通りであると思われるが、このモノガタリはおそらく6世紀頃のものであるはずだが、同時代のヨーロッパは中世前期にあたり、東西ローマ帝国は周辺蛮族によって国境を侵され、そして西ローマ帝国の方は既に5世紀末に滅亡し、他方の東ローマ帝国でも同様の危機に瀕していたが、それに対し、国家体制の立て直しをはかるべく、皇帝ユスティニアヌスによる、それまでのローマ法を統合編纂したローマ法大全(市民法大全)が著された頃である・・。

それに比べると、我が国における文字資料が出てくるのは、しばらく後で、しかも当初期のそれは大陸から齎された漢字の「意味」を拝借したり、あるいはその「音」を拝借したりと、結構いい加減な使用法であり、我が国での「愛羅武勇」「仏恥義理」もしくは「牛津」や「剣橋」なども、ある意味では、その係累と云えるのだろう・・。

つまり、文字資料がないことから、6世紀代の古墳被葬者の特定も出来ないのではないか・・。といった旨を兄に話したところ、兄は「まあねえ・・。日本ってクニは何でも流行しだすとスゴイ勢いで伝播していくけれども、そこに至るまでが大変というか、鈍重なんだよなあ・・。まあ、それが外来文化の選択的な摂取に追われているクニの特徴なのかもしれないなあ・・。」とのことであった。

そして、しばらく経ってから「そうだ!ここWで誰が葬られているか大体分かっている古墳があるから、少し急げば、日があるうちに着くことが出来るかもしれない。」と云った。それに対して私は「え、そんな古墳があるの?それで、その場所はどの辺りなの?」と聞いてみると、兄はまた少し間を置いてから「・・うん、今日の朝、ハナシに出た道成寺の近くで、たしかH川の南岸だったと思う。詳細については、休憩をとるコンビニの駐車場でスマホでググってみるよ。」とのことであった。そこから兄は心なしか車を飛ばし始めたが、法定速度は概ね順守していたようだった。そして、その後、16時頃に高速道路入口があるS浜に到着し、そこから更なる北上を始めたわけだが、急いでいたためか、兄はコンビニに立ち寄ることなく高速道路に入ったが、そのことに途中で気が付いたのか、あるいは前々からそう考えていたのか、高速道路で運転中、私に「ちょっと悪いんだけれど、スマホを使って「I内一号墳」って検索をして、その場所をナビしてもらえないか?」とのことであった。私としてはお安い御用であったため早速検索すると、その古墳はG南インターチェンジが最寄りであった。

また、所要時間は30分程度とのことであり、午後5時前には到着することが出来る目途が立った。そのことを兄に告げると「おお、そうか、ありがとう。じゃあ、少し余裕を持って動けるね。」と安心したようだった。

続けて「それで、その「I内一号墳」は、おそらく7世紀代、終末期の古墳なんだけれど、これがD志社大学のM教授によると万葉集にも幾つか歌が残る有間皇子の墳墓ではないかとされているんだ・・。それで、普通、昔から皇族のお墓は、陵墓参考地とかで禁足地になるんだけれど、考古学的な検討がより洗練されてくると、これまで陵墓参考地とされていなかった墳墓が実は皇族のお墓ではないか?といったことが生じてくるんだ。その一例が大阪の高槻にある今城塚古墳だけれど、これはホンモノの継体天皇陵ではないかと有力視されているんだ。

それで、まあこの「I内一号墳」も造りがシッカリとしていてWでは数少ない終末期古墳であり、また出土した破片から漆塗りの棺が埋葬されていたことが分かっているんだけれど、当時、漆塗りの棺を用いることが許されていたのは最高位の皇族のみであったことから、その被葬者は、この辺りに縁のある7世紀代の皇族ということで有間皇子ではないかと考えられているんだ・・。」とのことであった。丁度その時、カーステレオからは宇多田ヒカルの「Michi」が流れはじめていた。

そうこうするうちに車はG南インターチェンジに近づいていた。私はスマホ画面と道路を見つつ、運転する兄をナビして無事に古墳近辺で駐車出来るところまで辿りついた。周囲は既に薄暗くなりつつあり、日の入りまであと30分ほど、といったところでった。

二人してペンライトを持ち、また古墳まで、しばらくの道のりを歩いていると、開口している古墳入口に木の柵が置かれて比較的整備された古墳が我々の目の前に現れた。この古墳は、玄室に入ることは出来ないものの、外から玄室内部を見ることは出来た。そこで二人してお辞儀をしてからペンライトで内部を照らして見てみたが、たしかに石室の造りが洗練され、シッカリしており、また面が平に加工された巨石が多用されていたことから、これまでWで見学してきた古墳とは異なった背景を感じさせられた。
こうして日が暮れるまで古墳を見学をして車に戻った。我々はまた言葉数が少ないままで発車し、近くのG南インターチェンジまで戻り、そこから再び高速道路に乗り、W市内に戻るべく北上をはじめた。時刻は午後6時少し前であった。


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2020年6月15日月曜日

20200615【架空の話】・其の29

【架空の話】
停めた車の周囲は、手入れされた痕跡がない、まさに自然といった趣があり、その中に獣道とは云えないものの、他方で整備された道とは云えない道(のようなもの)がさらに上まで続いていた。兄は、その道を歩き出し、私もそれを追って横に並んだ。

地面が多少湿っており、また、道の傾斜も相俟ってか、何度か滑りそうになったが、木の根や石が表面に突き出ていたことから、それらに助けられつつ、さらに歩を進め登っていった。兄の方も、私同様、あまり慣れない感じで登っていたが、こうした状況にて兄が履いているビーンブーツのグリップ力はどうであったのだろうか・・。

そうこうするうちに、二人は半島頂上の平原に辿りついた。そこからの眺めは良く、遥かに水平線が広がり、また内陸に見える山々の稜線と海岸線と海によって構成される景色には自然な奥行きがあり、また、各所の色合いが微妙に変化しているところにも深みがあり、そこには、束の間、都市部から来た人間に我を忘れさせるような効果があったと云える。

そして、そうした景色を眺め、さらに平原上部に行ってみると、そこには昨日見た古墳と、同じ造営様式(横穴式石室)の古墳が口を広げていた。この古墳はあまり大きくはないものの、こうした人跡稀な場所に今なお立地していることに、何やら、さきの景色から感じた絵画的な深みと種類の異なる深みを感じた。

兄は「ここはね、Kミ山古墳といって、おそらく6世紀代に造営された古墳だと云われているけれども、特筆すべきであると思うことは「こうした周囲の海を広く見渡せる半島の頂上に墳墓を築こうと考えたのは、一体、どういった背景の人だったのだろうか。」ということでね、この場所は、古くから集落から遠い場所であったから、ここに墓を築くということは、当時としては、なかなか大変な作業であったに違いないけれども、それでも造営した当時のこの地に住む人々は、一体どんな思いで造ったのだろうかね・・。まあ、それがさっきの埋葬者の背景にも結節するところなんだけれども、そうしたことに思いが至ると、結構考えさせられるよ、こうした古代の造営物も・・。」とのことであった。そうしたハナシをしている間にも、我々はさらに古墳に近づき、あまり残存していない羨道を抜け玄室に入っていた。

さて、この玄室もまた、大分類では昨日多く見た古墳玄室と同じ横穴式石室であったが、この目の前の古墳の造営様式は明らかに昨日見た、ある程度の均一性が保持された群集墳とは異なり、使用している石材が粗削りのものが多く、それにより、玄室全体から受ける印象も、同様であったが、おそらく、これも一種の地域性と云えるのだろう・・。

また、ここでは玄室内の天井、壁面には、赤色に塗られていた痕跡が所々残り、さらに面白いと思われた点は、玄室内の遺体埋葬場所と思しき部位に板石を立てた区切り、石製のパテーション(石障)が築かれていたことであった。こうした玄室内での造営様式は、昨日見たいくつかの古墳では見受けられず、そこからも、古代の、ここW地域内においても、独自の地域性のようなものがあったことが理解出来、また、おそらくそれが、当時の列島では自然な姿であったのだろう・・。

さらに、兄によると「元々、この古墳は墳丘直径が40メートルほどあり、この他にも幾つかの横穴式石室を主体とする埋葬施設が同じ墳丘に造営されていたが、時間による浸食や工事によって、このような姿になっている。そして、一見しては分からないことであるが、この古墳の造営様式は、遠く九州の肥後、だから熊本あたりのそれに近いということであり、それぞれの造営様式の類似性・関連性は指摘出来ても、その具体的な内容については、分からないままなんだよ・・。」とのことであった。

私としては、多少地域スケールが大きいが、それは古代エジプト、メソポタミア、ギリシャで共通した神獣スフィンクスのようなものが思い浮かんだが、我が国のそれら古墳の場合、それぞれを結節する物語としての歴史が不在であるため、ただ現実の造営様式の類似性のみが我々に提示されるのであろう・・。

ともあれ、我々は古墳をしばらく見学し、外に出て、平原をしばらく歩き、周囲の景色を眺めてから車に戻った。時刻は午後3時を少し回った頃であり、兄はまた、言葉が少なくなっており、そこからしばらくの間、自分からしゃべることはなく、次に兄が話しかけてきたのは、さきほど通った海沿いの道をしばらく走っていた時であった。

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20200614 丸5年のブログ継続に向けて・・

ここ数日の首都圏は、降雨が続く鬱陶しい空模様でした。また、明日も本日程ではないにせよ降雨とのことでした。他方で、去る4月末頃から当ブログにて投稿している【架空の話】は、おかげさまで28記事にまで至りました。

一連の【架空の話】は、新型コロナウィルス感染症による外出自粛が続き、自身としてはストレスフルとも云える生活の中で、気を晴らすために書き始めたものであり、実際のところ、これが20記事以上続くとは思っていませんでした。また、現在においても、今後これが、第50話程度まで続けることが出来るかどうか甚だ疑問であると考えています。

しかし、その一方で「まったく継続できない」とは考えていませんし、具体的には、主人公が物語に登場する架空の専門職大学に編入学するあたりで、今月(6月)は終わるのではないかと考えています。

くわえて、ここで思い出されたことは、今月6月の22日で当ブログは開設丸5年になるということです。今後、首尾良く進み、5年間で1320程度の記事を投稿したことになれば、その間、大体10日のうち7日以上は新規に記事を作成・投稿してきたことになりますので、それなりには頑張ったと云えるのかもしれません・・。また、それらブログからの広告収入等の所得は全くありませんでしたので、そうした経済的な動機無しで、5年程度、どうにかブログを継続出来たのであれば、そこに多少の感慨が生じてもおかしくはないようにも思われますが、しかしながら、これまでの経験から、おそらく、そうしたものは生じないように思われてなりません・・(苦笑)。

多分、淡々とした感じで丸5年を迎え、そして、その先も、あまり感動などを味わうことなく、これまた淡々と継続するのではないかと思われます・・。それは以前の丸4年の継続、1000記事の達成時においても、そうであったため、この度の多少区切りが良いとも云える、来る「丸5年間の継続」であっても、概ねさきと同様ではないかと思われるのです・・。また他方で、それに付随して外部からの何か大きな事が生じるといったことについても、さきと同様、これまでの経験から、ないと思われることから、やはり淡々と続けるのではないかと思われます・・(苦笑)。

ともあれ、そのような調子で5年近くブログを継続してきましたが、今後首尾よく丸5年を達成しましたら、その次は総投稿記事数1400あるいは1500を目指してみようとボンヤリと考えています。これまで、あまり面白くはない記事が多くを占める、当ブログを読んで頂き、どうもありがとうございます。そしてまた、今しばらく継続するつもりですので、引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

*年の半分か3分の1は温暖な気候で温泉が出る西南日本地域に住みたいです。


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2020年6月13日土曜日

20200613【架空の話】・其の28

【架空の話】
兄曰く「あと少しで着くから。」とのことであったが、具体的な目的地については、何も情報がなかったが、まあ隠しておいた方が面白いというのであれば、それはそれで、私としても、乗っておいた方が面白いというものであろう・・。

さらに、海と陸の丁度、境界を走るような道路を走っていると、時折、右手の海側に小半島状の陸の出っ張りがあったが、かつては、それら小半島の海際にも道路が通じていたようであり、その度に右側に曲がる寂れた道が目に入ってきた。現在、我々が走る車道も十分に都市部とは異なった趣があると云えるが、この右手に曲がる道に入ると、一体どのような感じがするのだろうかと、不図思った・・。

また、兄は「もうじきだよ。あと10分もかからないと思うけれど、今向かっているところは、車を降りてからまた少し山道を登るけれど、それはたいした距離じゃないから・・。それと、今日の夕飯はW市内に戻ってから、また別の中華そばを食べようと思っているのだけれど、他に何か希望や食べたいものはある?」と訊ねてきたため「いや、昨日のとは別の中華そばも美味しそうだし、それで構わないよ。それよりも、この辺りは道路と海の距離がやけに近いね。」と話を振ると「ああ、現在、内陸の方に高速道路を建設中だけれど、それよりも、こうした観光で走る分には、この海際の道を走る方が面白いと思うんだよね・・。でも、たしかにこの辺りの道路は、海に近い、いや、近過ぎるから、台風なんかで天気が悪くなると、すぐに通行止めになるね・・。だから、山の方に裏道も結構あるんだけれど、それはそれで、細くてクネクネしているから、乗っていて気持ち悪くなってしまう人も結構いるらしいよ・・。まあ、それでも、、昔の徒歩での熊野古道参詣よりかは、かなりマシだろうけどもね・・。でも、時間があれば一度このあたりを歩いて熊野本宮あたりまでは行ってみるのも悪くないかもしれないね・・。四国では弘法大師の足跡を辿る有名なお遍路があるけれど、こちらでの熊野三山の参詣には、仏教と神道が混ざったような、より原始的とも云える、何というか自然崇拝に近いような感覚が根底にあるんじゃないかと思うことがあるんだ・・。それに、さっき風呂で立ち寄ったS浜も、まだ古墳を造っていた古代の末期とも云える7世紀半ばくらいに万葉集に歌を載せるような人達が、訪れていることが記録されているんだよ・・。まあ、機会があれば話すけれども、そうした物語も、なかなか悲しくて醜いものがあるよ・・。しかし、それだけではなくて、南方熊楠が後半生を過ごしたのは、さっきのS浜にほど近いT辺という街で、よくこちらの方にも出向いていたらしいよ。だから、そういった我が国の自然科学分野での、まあ巨人もしくは変人と云えるような人が好んで居着いたということは、やはり、さきほどの「自然崇拝に近いような感覚」もあながち間違っていないんじゃないかと思うんだよね・・。」と云ってから、ホルダーに置いていたペットボトルのジャスミン茶を一口飲んで、さらに「さあ、もうじきだよ。」と云って右側にウィンカーを出し、左右を確認してから右側にハンドルを切った。

そこからは、かなり道が狭くなり、また道路の舗装整備も、しばらく為されていないような若干凸凹する感じであった。そうした道をしばらく走り、海側に突き出た半島状の陸地を廻り込みつつ登っていくと、観光ホテルの看板が現れたが、手入れされている様子はなく、あるいは既に閉まっているのかもしれない。そして、それらしき建物が見えてきたが、営業してる様子は見受けられず、ただ、その前にある広場で、何人かの方々がケートボールをしていた。距離も遠いためか、こちらに気が付く様子もなく、兄はさらに車を少し走らせて、おそらくあまり人が殆ど来ないようなところに車を停めた。そして、周囲を見てから「さあ、ここだ。」といって後ろにおいてあるリュックを取り、手早く車を降りた。私もそれを真似して車外に出てみると、海が近く、多少標高があるからか、さきほどよりも風が冷たく感じられた。周囲はあまり手入れされたような痕跡がない、まさに自然といった趣であり、その中に獣道とは云えないものの、かといってキチンとした道とも云えなさそうな道(のようなもの)がさらに上に続いていた。兄は、その方向に歩き出し、私もすぐに、それを後ろから追い、横に並んだ。


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2020年6月12日金曜日

20200612【架空の話】・其の27

【架空の話】
運転をしながら兄は「次の目的地はね、本州最南端のK本の少し手前にある、S町というところで、ここからはまた1時間くらいはかかると思うから、近くのコンビニで何か買って行こうか。」と云った。

S浜を過ぎ、更に南下すると、いよいよ人家や店は疎らになり、また他方で、未だ冬であるにも関わらず、道路沿いの緑は多く、濃くなり、さらに首都圏では見ることのない、南方的な植物も目に入るようになってきた。

続けて
、兄は運転しながら、地域のことを話してくれたが、それによると、S浜から少し南にT田川という川があり、その下流域が本州での銅鐸出土地の南限であり、また、おそらく、そこで出土した銅鐸の一つが現在、大英帝国博物館に収蔵・展示されている銅鐸と同一であろうとのことであった。明治当初、国の制度があまり整備されていなかった頃は、古くからの文化財が海外に流出していったと聞いているが、これもその一例であろう。とのことであった。

また、兄によると、ここ(T田川下流域)での出土銅鐸は、さきの道成寺でのハナシに出た、境内出土銅鐸と類似した後期大型の近畿式銅鐸であるとのことであったが、そうすると、おそらく、弥生時代当時(多分1・2世紀頃)においても、さきほどのH川流域とT田川流域には、共通した祭祀を行う文化が地域・地域に根付いていたと考えられるが、それが、具体的にどのようなものであったのかは、今となっては分かる術もないのだろうか・・?

あるいは、この2000年近くの時間を貫く「何か」(事であれ物であれ)をある程度明瞭に見出すことが出来れば、それを基軸として、遠い過去の祭祀の様子もどうにか想像出来るようになるのかもしれない・・。

などと、おそらくはごく短い時間であろうが、ボンヤリと考えていて、不図、周囲に意識を向けると、さらに車から見える景色は単純化しており、左に1月らしからぬ横溢とした自然と疎らに建つ家々、そして右側には、白波の立つ海といった様相を示していた。また、興味深かったのは、このあたりの地名全般が、首都圏の感覚では面白いものが多かったということである。おそらく、それら地名も大昔には、何らかの通じる意味を持っていたのだろうが、時代の経過に伴い、音だけが残り、その意味の方はボヤけてしまったのだろう・・。しかし、これも、おそらく研究によって、ある程度の意味は明らかになるのではなかろうかと思われた。他方、そのようなことを、自分の得た経験から考えることが出来ているのも、この地域にそうしたものが、自然なカタチで残っているからであるとも云えるのである・・。

それはそれで貴重なことであり、たとえば、これが都心部であれば、当面での有用性が認められない多くは、古墳であれ神社であれ、再開発と称して潰してしまうか、ビルに収納してしまい、有名無実化してしまうのだろう・・。そして、その結果、自分の生の体験から歴史を考える(想像する)ことが出来なくなり、結果、興味を消失するか、減衰させてしまうのだろう・・。また、そうした土壌で教えられる学校科目の歴史に、どの程度の価値を見出すのかも、むべなるかなであろう・・。おそらく、物事は一見しただけでは分からないが、こうして違う場所から眺めてみると、それらの繋がりの仕組みのようなものが見えてくるか、その意味合いについての仮説を立てやすくなるのではないだろうか・・。

さて、車の方は道路左側のコンビニエンスストアの駐車場に入った。兄は後部座席に置いたリュックから財布を取り出し、また私の方も同様にして車外に出た。道路の右側は防砂林と云うのであろうか、おそらくは松科の樹木が植えられ、その先には砂浜そして海が広がっていた。

我々は少し遅くなった昼食をコンビニエンスストアで手早く済ませ、飲みかけのペットボトルを持ち、車に乗り込み、再度出発した。時刻は12:40頃であり。また兄曰く「もうあと少しで着くから。」とのことであったが、肝心の具体的な目的地については、何も情報がなかったが、まあ隠しておいた方が面白いというのであれば、それはそれで、私としても、乗っかった方が面白いというものである・・。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

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