2019年9月15日日曜日

自身について 2007~2013年のこと

これまでにも何度か書いたことがありますが、私は歯科技工士の免許を保持しています。歯科技工士は、歯科補綴物(金歯・インプラント・ブリッジ・義歯など)の作製を業とする国家資格であり、その修業年限は専門学校、大学で異なり2~4年となっています。

私は人文社会科学分野の大学院修士課程を経て、歯科技工専門学校に入学し、卒業後、そのまま歯科生体材料学分野の大学院に進みました。また、私が歯科技工専門学校に入学した2007年の2年前、2005年に国内で初めて四年制大学(口腔工学専攻)としての歯科技工士養成が始まり、次いで2011年には、二つ目(口腔保健工学専攻)が設置されました。

つまり、私は歯科技工士の大学院生(あるいは大学院生の歯科技工士)としては、比較的早い段階にて大学院博士課程に進んだと云えます。とはいえ、その翌年(2010年)の秋には指導教員が退職されることとなり、そこからは多少苦労して、2013年に、どうにか学位取得にまで至ることが出来ました・・。

そして、その後はさらに(要らぬ?)苦労をして、(これまたどうにか)現在に至っていると云えますが、その間は歯科生体材料学分野はおろか、アカデミアからも遠ざかっていたことから、その分野での主体性を持った研究に携わることは(出来)なく、他方で、それ以前からの自身の性質である書籍を読むこと(これは大して褒められることではないが)を続けてきた結果により、一連のブログ記事が成立していると云えます・・。

人によっては「何故、その苦労していた期間に歯科生体材料学分野に積極的に関与しようとしなかったのか?」と難詰される方々もいらっしゃいましたが、しかし、2009年に兄が亡くなり、次いで2010年には歯科生体材料学分野の師匠が(おそらく心ならずも)退職されるような事態ともなれば、表層的には分からなくとも、心の深い部分にてダメージを受け・芯が疲れて、その分野から離れた方が良いのではないか・・?」と無意識に考えるようになることも自然であると考えます。

それ故、そうした難詰をされた方々、そして、それ以上に、そうした事態に私を運んでくださった(追い込んだ)関係各位の皆様には、是非、それと同様の経験をされることを切望いたします。また、こうした思いの吐露は、理性的とは云えない単なる怨恨感情の表出であるともとられかねなく、また、そのようにとられても仕方ありませんが、しかし、同時に、自身の正直な思いとしては、あくまでも上記の通りであり、また今後、その考えが払拭あるいは何らかの別の様相に昇華する可能性は(極めて)低いとも思われます・・。

そして、そうした危機的状況の真っ只中にいた鹿児島在住時(2010~2013年)は、週末の天文館から宇宿への散歩の際、イヤホンを耳にして、常時うつむき、そしてポケットに手を突っ込み、黙々と歩を進めていた記憶があります。そしてまたイヤなことが重なると「いなくなりたい」といった希死念慮のような思いがボンヤリと出現し、その思いをどうにか追い払うため、また外に出てしばらく散歩をしていました・・(苦笑)。

おそらく、こうしたことは大学では表に出すことはなく、また他者に気が付かれることもなかったと思われ、そしてまた、そうした心的状況は現在でも思い出すことは出来ますが、しかし同時に、あまり意図して想起したいものではないとも云えます・・(苦笑)。

その一方で、時折、そうした心的状況が多少好転するような出来事も生じることがあり、学会発表での受賞、文系院時代からの知人の鹿児島訪問、講座での飲み会(のんかた)そして、その他のそうしたイベントは、まさに、そうした時期での精神的なオアシスであったと云えます。

ともあれ、今回の記事作成にて何故、こうしたことを題材としたものか分かりませんが、次の投稿記事においては、もう少し、そのこと(好転するような出来事)について書いてみようと思います。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。



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2019年9月8日日曜日

「八つ墓村」オリジナル小説と映画作品の違いから思ったこと

先週投稿のブログ記事にて書くことを忘れていましたが、先日来から読み進めていました中路啓太による「ロンドン狂瀾」および横溝正史著「八つ墓村」は、先週の時点にて読了していました。現在も新たにいくつかの著作を読み進めていますが、その著作につきましては、また後日投稿のブログにて述べさせて頂きます。

さて、読了した「ロンドン狂瀾」は、その結末に続く歴史の展開が、まさに昭和の15年戦争そして同時に、我が国近現代の悲劇の幕開けであるとも云えますので、そこには何かしら重苦しいものがあると云えます・・。

また、「八つ墓村」につきましては、これまでに観た野村芳太郎監督による同名映画作品とは微妙に何人かの登場人物の性格等の描写、そして物語の結末が異なりますが、私の意見としては、映画版の方がより、我が国特有の湿気の多い、説明のつかない怪談的な怖さが濃厚であり、他方、横溝正史によるオリジナルの小説版は、コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズシリーズの「ヴァスカビル家の犬」のように、物語背景の道具立ては怪奇と見えるものではあっても科学的な説明がつく、という意味でスジは通っているのですが、さきに述べたような「説明のつかない怪談的な怖さ」は案外と希薄であったことから、多少肩すかしを受けたようにも感じました。

とはいえ「八つ墓村」読了後、数日経て不図思い浮かんだことは、この小説版にて描かれている世界観、あるいは作品全体を包括する雰囲気が「日本霊異記」あるいは「今昔物語」に近いのではないかということです。もちろん「日本霊異記」「今昔物語」何れにも霊異、怪奇的と評し得る物語は載っているのですが、その「重さ」「暗さ」あるいはより端的には「おどろおどろしさ」があまり「これでもか!」と云わんばかりには描いていないと思われるのです。

つまり、霊異、怪奇的と云える事柄も共通して比較的サラッと淡泊に描いているのが「日本霊異記」「今昔物語」そして小説版「八つ墓村」ではないかということです。

他方で、野村芳太郎監督作品「八つ墓村」の最終シーンでは、かつて村人に惨殺された八人の尼子家の遺臣達が、村を見渡せる丘の上で、燃え盛る多治見家(かつて尼子遺臣達の惨殺を先導した村惣代の子孫の家筋)の屋敷を毒々しい笑顔で見守っている場面がありましたが、こうした描写、演出は、より映画作品として「おどろおどろしさ」の効果を狙ったものであったのではないかと思われました。

また、こうした同一作品の小説版と映画作品との間にある、さまざまな描写の相違の傾向のようなものを考えてみますと、それはそれで面白いようにも思われました・・。

そういえば、先日「人間の経験」について述べたブログ記事をいくつか投稿しましたが、それら記事が思いのほか多くの方々に読んで頂けていました。これらを読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

ともあれ、基本的に我々人間は全般として、自らが経験、知覚した事柄でないと、それについての「生きた文章」を作成することが困難であると考えます。そして、そうした背景の認識があってはじめて、ミゲル・デ・セルバンテスによる「ドン・キホーテ」の面白さのようなものが生き生きと読者に伝わるのではないかと思われるのです・・。

そこから、1つの意見ですが「ドン・キホーテ」の執筆を行っている、あるいはそこに至るまでのミゲル・デ・セルバンテスの人生遍歴を物語、あるいは映画作品として作成しましたら大変面白いものが出来るのではないかと思われますが、さて、如何でしょうか(笑)?(セルバンテスの伝記はありそうなので後日、探してみようと思います。)

さて、さきほど、ウィキペディアで調べてみた程度ですが、そこで知る限りではミゲル・デ・セルバンテスの人生は波乱万丈であり、「ベン・ハー」の原作者ルー・ウォーレスあるいは「この私、クラウディウス」「さらば古きものよ」著者のロバート・グレーヴスと比較してみても、その波乱万丈の程度は勝っているのではないかと思われます・・。
そして、そうした経験を持つ著者の作品が400年以上にわたり、名著として世界中多くの人々に読まれているという事実は「本物の文化」というものを考える上で示唆するものが何がしか含まれているのではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか?

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2019年9月1日日曜日

20190831 先日のフェイスブックでの写真投稿から【人文社会科学系と専門職大学】

先日、かなり久しぶりにFacebookにて写真を投稿したところ、思いのほかに多くの反応があり、驚かされました。また、おそらくそれに付随して、昨日のアメーバブログでの1日の閲覧者数が65人と、これまでの私のアメーバブログとしては、かなり多くの方々に読んで頂けました。

それら中で特に多く読んで頂いて記事は「久しぶりに民俗学の書籍を読んで思ったこと、歯科医療職の教育課程に対しての提案【20180905】」と「20181026 師匠からのメールの返信で思ったこと・・『浮く』何か?」そして「『野良犬』であった自分が思ったこと・・【20181109】」といった具合でした。

以前に何度か書いたことではありますが、近年、医療系専門職大学の新設が目立っていますが、こうした流れは今後もしばらく続き、あるいは既存の一条校である大学が専門職大学を併設する、さらには国公立大学であっても、何らかの機関を通して他大学、企業と共に専門職大学を設置、運営に関与するといった(面白い)事態も生じる可能性が少なからずあると考えます。

かねてより私は人文社会科学系学問はきわめて重要であると考えていますが、他方で、戦後以来、現在に至るまでの我が国の歴史を鑑みますと、我が国の高等教育においては人文社会科学系の教育(特にマスプロ教育!)を施しても、そこまで有益な結果につながらないのではないかと思われるのです。

そうであれば、概ね普遍的と云える人体に関するさまざまな医療に関する知識を学生時代に学び、卒業の後は当該専門職「以外」の職にも就くことが出来るような世の中の方が、我が国の場合、持続可能性・発展持続性を担保出来るのではないかと考えます。

そうしますと、各学部学生数などの編成も変える必要性が生じますが、そうであっても今後の我が国のことを考えますと、全大学の人文社会科学系学生数定員を現在の三分の二程度まで減らし、一方で新設の医療・介護系の大学、専門職大学、学部、学科の新設を出来るだけ認可の方向で進めることにより、比較的速やかに既存の社会構造を、より持続可能性、発展持続性のあるものに変えることが出来るのではないかと考えます。

その背景にあるのは、我が国全般の特徴と云える、即物性、此岸的傾向を良い方向に伸ばすことが出来るのが、物体とその名称の対応関係が(相対的に)明確であり、且つその知識体系が普遍的である人体に関する医学的知識であるという考えです。

我が国のさまざまな高等教育での制度は欧州・米国から移入したものですが、さらにその背景にある民族的な国民性といった要素については、おそらく考えていなかったのではないかと考えます。

古くからの我が国の変わらない性質は、神や宗教を論じたりする抽象的な思弁性よりも、具体的に存在する何かを手で触触れることにより、自分なりに確固たる知見を手に入れ、そして体系を組み立てるところに長けているといったところであると考えます。

そして、その性質を良い意味で助長することが出来るのが人体に関する医学的知識であると考えます。また、そうした知識をより多くの人々が学ぶことが出来る社会の成立こそが、今後、我が国の国際的影響力・競争力を維持、拡大そして国内社会での持続可能性を担保するために重要であると考えるのですが、さて、如何でしょうか。

*そういえば、先日アメーバブログでの参加ジャンルランキングにて23位となりました。このジャンルのランクがどういった経緯にて決まっているか分かりませんが、それでも読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。また、今後もよろしければ、どうぞよろしくお願いいたします。

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2019年8月25日日曜日

20190825 書籍からの抜粋引用「白洲正子自伝」pp.14-17

「私は、父も母も、そのまた先祖も生粋の薩摩隼人だが、東京生まれの山の手育ちで、一度も鹿児島に住んだことはない。にも拘わらず、東京が故郷とは思えないのである。そうかといって、薩摩の国も、多くの人々が考えているように異郷の地であり、日本の中の外国という感じから逃れられない。

「私は誰でしょう」というのは、青山二郎が私の本の序文に書いてくれた題名だが、さすがによく見ていたと今になって感謝している。それについては、別のところに書いたので省略するが、要するに、近頃のはやり言葉であるアイデンティティを求めて、私は長い間さまよっていたのである。そのうちアイデンティティなんかどうでもよくなって、そんなものは他人に任せて何とか生きている次第だが、自分の元型というものを、目に見せてくれたのは、津本陽氏の「薩南示現流」であった。

私はその極く一部分の祖父についての話だけ取り上げたが、全編を読むと実に面白い本で、剣道の精神について余すところなく語っている。今時、剣道なんか持ち出すと、やれ時代錯誤とか、戦争礼賛だとか、悪くすると右翼の片棒をかついでいるように見られかねないが、そんな簡単なものではなく、日本の文化の中心を形作っていた一つの「芸」であったことは疑いもない。
  
長いのでここに全部を紹介することは出来ないが、示現流は、はじめ「自顕流」といった。桃山時代に京都の寺でひそかに行われていた剣道で、薩摩藩士の東郷重位が苦心惨憺して鹿児島に伝えた流儀である。ところが血の気の多い兵児二才の間では、「自顕」を自分流に解釈して、前後の見境もなく自分を顕せばいいのだろうと、勝手気ままな振舞をするようになった。もともと受ける太刀もなく、斬る太刀だけが命の剣道のことだから、「気ちがいに刃物」もいいところで、しめしがつかなくなったのである。

そこで当時の藩主、島津家久が、大龍寺の文之和尚と相談して、重位に命じて「示現流」と名を改めることにした。これは観音経の中にある「示現神通力」からとったもので、神仏が此世に姿を現す意味である。家久自身が剣道の達人であったから、勢のいい若武者たちもいうことを聞いたに違いない。物の名は恐るべき力を持っているが、以来島津藩のお留流として、他見無用の剣道となった。名前を変えた程度で、野蕃な人種がどうなるわけでもなかったが、示現流を習うことによって、我慢することぐらいは覚えたであろう。まして達人ともなれば、精神的にも謙虚で誠実な人間に育ったことは間違いない。

示現流についてはまた別にふれることにして、再び祖父の想い出に戻りたい。彼は至って無口な老人で、いつも黙っていたのが幼い頃の私には安心できるものがあった。

大磯の「鴫立沢」の前にささやかな別荘があり、二股にわかれた老松があったので「二松庵」と呼んでいた。晩年はそこで暮らしていたが、別に園芸場と名づける別荘が山手の方にあって、花や野菜を育てており、毎日そこに通うのを日課としていた。朝起きると、まず海岸へ口を洗いに行く。私はちょこちょこその後から従いて行くのだが、孫がいようといまいと意に介さぬという風で、「太平洋の水でうがいをしよると気持ちよか。あの向こうにはアメリカ大陸があっとよ」と、はるかかなたの空を眺めやりながら、鹿児島弁丸出しの口調で誰ともなくそういうのであった。

明け方の浜辺には地引網をひく漁師たちののんびりした掛声が流れ、網がひきあげられるとピチピチした魚の群れが朝日のもとで銀色にかがやく、漁師はみんな祖父を見知っているらしく、鉢巻をはずして会釈した後、魚をわけてくれる。それが朝食の膳にのぼるのであった。

朝食にはその魚のほかにハム・エッグスがついたが、全部食べるわけではなく、残したものをナイフとフォークでこまかく切る。何もそんなに丁寧にする必要はないと思うのに、まるで重要な仕事でもするように、細心の注意のもとに切りこまざいて、「ソイ、ソイ」(それ、それ)といいながら雀にやる。雀はそれを知っていて、毎朝窓の外に集まり、勇気のあるものは彼の肩や頭にとまったりして待っていた。

それはまったく一介の田夫野人としか見えぬ姿であった。私の記憶にある祖父は、着古したセルの着物に、太い兵児帯を無雑作に巻きつけた平凡な老人で、それ以上でも以下でもない。」
「白洲正子自伝 (新潮文庫)」
「薩南示現流 (文春文庫)」
ISBN-10: 4101379076
ISBN-13: 978-4101379074

20190825 横溝正史の作品にて描かれている社会について

どうしたわけか、一昨日(8/23(金))は新たな記事投稿や既投稿記事の再投稿をそれほど行わなかったにも関わらず、ブロガーでの記事閲覧者数が1000人を越えました。

一昨日のような、あまりブログに手を付けない日の閲覧者数は、多い場合でも50人程度であることから、これには多少驚かされました。ともあれ、読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。

また、ここでもう一つ気になることは「どの記事が多く読んで頂いていたか」であり、これについては、それなりに分散はしていると云えますが、同時に、最近投稿した記事の方が、より多く読んで頂けている傾向があるとも云えます。一方で、数年前の投稿記事で多く読んで頂けているものもいくつかありますので、そうした記事を読みつつ「何故、この記事が多く読んで頂けたのだろうか」または「誰が、どのような方々が、この時期に、この記事を読まれたのだろうか」などと考えてみるのも、それなりに面白いと云えます・・(笑)。

ブロガーの記事管理では閲覧者数は分かるのですが、実際に閲覧された方々の個人識別については困難であり、また、自身の場合、こうしたことをあまり気に留めず、記事作成に取組む方が性に合っていると思いますので、去る4月からアメーバブログも開始しましたが、こちらは基本的にブロガーにて投稿した記事のコピペ記事であり、現在のところ、オリジナルの記事はありません。また、今後もこの投稿スタイルにて続けていこうと考えています。

そういえば、去る8月11・19日での記事投稿以降から数人の文系院時代の知人から連絡を頂きました。この文系院時代の知人達からは、かねてより「私のブログを時折読んでいる」と聞いていたため、それが何かしら効いているのではないかと思われましたが、こちらからそのことを質問することは差し控えておきました。

さて、そこから話は飛びますが、先週、首都圏にて活動した疲れが出たものか、ここ数日間はあまり書籍を読む気力が湧いてきませんでした。しかし、先日購入の横溝正史による「八つ墓村」は300頁過ぎまで至り、さらに先の展開も大変興味深いと云えます。

また、さきに読了の「獄門島」そして、この「八つ墓村」といった戦後ごく初期といった、それ以前の因習・習慣が強く残存あるいは支配している社会を描いた作品を読んでいますと、これまでに読んだ民俗学さまざまな著作、とりわけ宮本常一等による「日本残酷物語」が想起されてきます・・。「日本残酷物語」のような著作は、来年2020年開催の東京オリンピックに向けた「日本文化を世界に向けて広くアピールしていこう」といった、ある意味火照っている社会風潮に対して冷水を浴びせるものであり、そしてまた、そこに描かれている社会的文脈こそがある意味、真正な我が国の社会像であるのではないかと考えます。それ故、おそらく、この著作を読んだ後に、私もその中に含まれる所謂「ロスジェネ世代」の背景、もしくは問題作とされるドキュメント映画「ゆきゆきて神軍」作中にて追及される(到底)直視出来そうもない惨状を醸成するような社会のメカニズムも理解出来るのではないかと思われるのです・・。

くわえて、こうしたことは、おそらく外国の方々にはあまり理解されないと考えていましたがローレンス・ヴァン・デル・ポストによる太平洋戦争中での体験を描いた「影の獄にて」を読みますと、さきに述べたような我が国社会のメカニズムをかなり抽象化して理解されているといった感じを受けました。ちなみにこの「影の獄にて」は映画「戦場のメリークリスマス」の原作であり、(かなり)皮肉なことであるのか、この映画はその内容、主題よりもテーマ音楽によって国内にて広く知られています・・(苦笑)。

また、こうした構図自体もまた、一つの我が国社会の構図を示すものであるようにも思われますが、さて、如何でしょうか?

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2019年8月19日月曜日

20190819 歴史の流れ・歴史的文脈を精確に伝達するためには・・

昨日夜半、東京から徳島に戻りました。今回の首都圏滞在では久しぶりに文系の師匠にお目に掛かりました。とはいえ、そこでの話題は、以前とあまり変わらず、近現代史そして、それを文脈とした国際関係論に関してが主たるものでした。

私の方は、こうした話題にて会話をする機会は、ここ最近なかったと云えますが、その割には、それなり(7~8割程度)に話題についていくことが出来たのではないかと思われます。一方、こちらからの反応に関しては、半分程度は的確な返答、指摘を行い、また、さらに、その半分程度は、それなりに時宜を得たものであったとも思われます・・。

そして、こうしたことを書いていますと「はて、私の専攻、専門分野は一体何であっただろうか・・?」と思うところであり、また、このことは、実際に見知った方々から時折、尋ねられることもあるのですが、それに関しては、現時点では、自ら分類したり、看板を出す必要はないように思われます・・(笑)。

とはいえ、何であれ、そうしたことが(ある程度)出来ることは、今後何処かで役に立つ可能性も(多少は)あり、また、少なくとも、咎められることではないと考えますので、今後も機会があり、また可能であれば、そうした面談の場には積極的に赴きたいと考えています・・。

さて、話題は変わりますが、昨日1日のブロガーでの記事閲覧者数が、これまでの1日での最大閲覧者数を大きく更新し、3000人近くとなりました。これは一体何が原因であり、また、どのように作用して、こうした事態に至ったものか見当が付きかねますが、何れにせよ、特筆すべきことであるとは思われましたので、ここに述べておきます。

くわえて、面白いことであるのか、このブログ閲覧者数に大きく驚かなかったことは、以前の(ほぼ毎日記事作成を行っている)自分であれば、なかったと思われますので、こうした自身内面における変化も、それなりに興味深いものと云えるのかもしれません・・(笑)。

また、再度話題が変わりますが、今回の首都圏滞在時に先日来から読み進めてきた中路啓太著「ロンドン狂瀾」下巻を購入し、くわえて、これまた先日読了した横溝正史著「獄門島」に続いて、同著者による「八つ墓村」も購入しました。「八つ墓村」は、当初「ほんの少し」と思い読み始めたのですが、そのまま、ある程度区切りの良いところまで読み続けてしまうことになり、これまでに170頁程迄読み進むことになりました・・(苦笑)。

「八つ墓村」のような、かつて我が国の地域社会に濃厚にあった独特な文化、土俗性とも云えるものが、生々しく、リアルなものとして描かれ、それが物語背景に配され、そして、そうしたものが話の進展に大きな意味を持つような文脈、類型の物語を、現代の我が国にて、新たに創造することが可能であろうかと考えてみますと、それは、かなり難しいのではないかと思われます。くわえて、おそらく、こうした、新たな創造を試みようとする段階にて、マンガ文化と文字文化との間にある「相違点」のようなものが、幾分か明瞭になってくるのではないかとも思われるのです・・。

マンガのように視覚に訴えるような媒体では、視覚的なものとして表現することが困難と思われる地域・国規模の独特な文化・土俗性、さらには、その蓄積あるいは系譜と評しても良い、歴史の流れ・歴史的文脈といったものを、誤謬をあまり含まず伝達することが、かなり難しくなるのではないかと思われるのです・・。

そのため、我が国がマンガ文化によって栄えることは良いことであるとは考えますが、その一方で、各時代、地域にて存在した(する)独特な文化、土俗性といったものを(変に)理解し易く、人畜無害のキレイなものに消毒し、マンガなどの媒体にて表現、発信し続けることの先には、中長期的に見ますと、何かしらとてもマズイものがあるように思われるのです・・。

「文」と「史」双方の文字が「ふみ」と読むことの意味は、思いのほかに深いと云えるのかもしれませんが、さて、如何でしょうか・・。

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2019年8月12日月曜日

20190811 現在の読書から【ベルーフ(Beruf)・コーリング(Calling)の重要さ】

先日来から読み進めてきた中路啓太著「ロンドン狂瀾」上巻を読了し、続いて同著作下巻を購入すべく、昨日、近在のいくつかの書店に行きましたが、残念ながら、どの書店にも置いてありませんでした。そこで、次に東京方面(通い慣れた大型書店がいくつかあるため)に出向く際、これを購入する予定とします。

ともあれ、こうした事情から昨日は書棚にある既に読んだ書籍の中で、面白そうなものを取り出し、あらためて読んでいる次第ですが、その取り出した著作が森浩一による「日本の遺跡発掘物語〈7〉古墳時代Ⅲ」であり、読み始めてみますと、かつて読んだはずではあるのですが面白く感じられ、そして読み進めるにつれて、また新たな疑問なども生じてきます・・。

これは個人的な感覚であるかもしれませんが、蝉の鳴き声がわずかに聞こえる環境にて我が国の古代史、考古学関連の著作を読むことは、古代以来、おそらく変わっていないであろう周囲の音、環境音の中という意味で、悪くない組み合わせであると感じられ、さらに進んでは、相応しいようにも思われてきます・・(笑)。

さて、当著作を読んでいますと、そこに福岡県の竹原古墳の壁画についての記述がありました。その記述を読み、さらに以前に読んだ金関丈夫著「発掘から推理する」内の同古墳壁画についての言及を思い出し、この著作を取り出し、読み始めてみますと、その次は両著にて言及されている竹原古墳の壁画詳細を確かめたくなり、インターネットにて画像検索をかけ、さらには平凡社刊の別冊太陽「古代九州」を取り出し頁を開いてみましたが、そうしたことをしているうちに、時間が経っていることを忘れている自分に不図、気が付かされます・・(笑)。

装飾古墳と一言で表現しても、壁画(単色・多彩色)が描かれているもの、彫刻(線刻・浮彫)されているものなど一様ではなく、また、そのデザイン(意匠)もいくつかの共通する要素がありながらも多様と云えます。そして、それら装飾意匠の背景にある当時の人々の考え、思想を、それら壁画、彫刻などをボンヤリと眺めながら考えてみる行為には、あまり学問的な緊張感はありませんが、それと同時に歴史を学ぶ上で、書籍を読み、現地に赴くのと同程度に大事な何かがあるように思われるのです・・。

私見ではありますが、その漫然と眺める行為の中で、我々は、その眺める対象物と、眺める主体である自分との間に存在する千年以上の時間を越えようと試みているのではないかと考えます。

この時間を越えようとする試みには、もちろん、書籍等から得た知識も重要ではあるのですが、それ以上に、生身の自分の感覚で、その対象物に対峙することが重要があると思われます。また、それは対象物内に自分のアイデンティティと重なる要素が何かしらある場合であれば、尚更であるように思われます。

ともあれ、そうした視座から、昨今の我が国の歴史を扱った映画、マンガなどを考えてみますと、さきに述べました「生身の自分の感覚で、その対象物に対峙する」は十ニ分に為されているように感じられ、また、そこで得られた感覚から、さらなる(二次的な)創造も多く為されているように見受けられます。しかしながら、もう一方の「書籍から得た知識」については、それを基として対象物に対して生じる、ある程度体系化された考え、思想といった、いわば「その対象物に対しての見解」を作中にて見聞きしみますと、どうもその要素が著しく乏しいように思われるのです・・。

こうしたことは、必ずしも全てに適応するとは思えませんが、同時に、他の多くのことにも応用可能と思われます。つまり、何かを述べる際、その周辺知識、背景などを書籍等を通じ、知っておくことは重要と云えます。しかし他方で、そうしたことを前面に出してアピールすることを差し控えるような文化を持つ(我が国のような)社会では、時間が経つにつれ、この「書籍から得た知識」が形式知、定型句のようなものになってしまい、本来その文章、そして、それに含まれる知見が持っていた意味合い、強さのようなものを減衰させてしまうのではないかと思われるのです。

そして、こうした文化全般を速やかにマンネリ化させるような状況を常態化させないために重要なことは、各個人が「書籍から得た知識」を処理する対象として取組むのではなく、能動的に「書籍から得た知識」に取組み、展開することが出来る分野を(これまた能動的に)見つけ、その分野での仕事に従事することであるように思います・・。また、その意味でベルーフ(Beruf)・コーリング(Calling)といったキリスト教文化圏での「天職」の意味を持つ言葉の意味合いは、社会の持続的な発展のためには、思いのほかに重要であるように思われるのですが、さて、いかがでしょうか・・。

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上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります
~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com
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