昨日投稿の記事は投稿翌日ではあるものの多くの方々に読んで頂けました。さて、この記事にて面白く読んで頂けたのは前半部・後半部の何れでしょうか・・?
そして、その要因が主に後半部にあるとしてハナシを先に進めます・・。
さて、昨日の投稿記事にて鉢巻が出てきましたが、この鉢巻とは、それ以前に別の文系院時代の知人が所持したものであり私を含め計3名が学位審査の際に所持していたことになります。
また、この先もそれが上手い具合に誰かの手に渡れば良いとは考えておりますが、さて、それは果たして何時のことになるのでしょうか・・(苦笑)?
加えて、このことを書いておりますと、今後しばらく経ちましたら、こうした経験を経た時期(2012~2013年)のことを、おそらくブログ記事であるとは思われますが、何らかのカタチで書いてみたいとも考えるようになります・・(笑)。
とはいえ、どの時期においてもそうなのですが、世間というものの中で関与する方々とは、全てが全て、文章作成者にとって良い人間ばかりであるとは限らないことから、こうしたものはどうも書き難く感じてしまうのです・・(苦笑)。
その一方で、こうしたことを『筆誅だ!』とばかりに勢い込んで書くのもあまり思慮深い行為であるとは思えませんので、まあ落ち着いた、抑えた筆致で自然に書くことが出来るようになるまで、さきに書いたように、もうしばらく待つのが良いと思われます・・。
しかし、思い返してみますと2012・13年の時期とは、本当に周囲の方々の助けがなければ、どうなっていたか分かりませんし、またそれはとても怖くて想像することも出来ません・・。
あるいはまた2012年のよく分からない多忙さがなければ、さきの想像も出来ない方向に転んでいたのではないかとも思えます・・。
そして、その意味で、やはり私は一つ一つの組織などは別としても、当時在住していた鹿児島の地域社会あるいは大学自体に対しては(大いに)感謝すべきと考えるのです・・。
また、そこで頂いた・埋め込まれた自身でも未だよく分からない『力』により、今現在ブログ記事の作成を継続出来ていたり、仕事になるか分からないことに対してあれこれ動いたり、また決して容易とは云えない大学職種への公募へも応募し続けることが出来ているのではないかと思われるのです・・。
あるいはそれは、一つの地域内にて過ごし、そして、それと同時に(表層的な)合理性にくわえ、他地域およびその文化に対しての優越感を育んでこられた方々には本質的にあまり理解して頂ける心情ではないものと思われます・・。
しかし、であるからといって、非合理的な心情および他地域に対しての意味不明の屈辱感らしきものを感じている方が優れているわけでもないのでしょうが、それでも、たかだかそれだけのこと(そうした地域に住んでいること、その文化を我が物としていると信じていること)で他地域に対しての優越感を覚えている文化全般の浅薄さとは、正直なところ、どうしても感じざるを得ないことがあります・・(苦笑)。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によえい被災された地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧そして、その後の速やかな復興を祈念しております。
2017年6月22日木曜日
20170621 ブログ記事作成の環境について、先輩からの葉書にて思ったこと・・
本日もまた昨日分の作成記事同様、帰宅後すぐには記事作成を行うことなく、一度休み、深夜過ぎになり記事作成を開始しました。こちらの時間帯の方が比較的静かになっており、記事作成に適していると云えるかもしれません・・。
また、こうしたことは人によっても異なるのかもしれませんが、私の場合、ブログ記事作成の際は割合静かな環境の方を好みます。
時折、喫茶店などでノートパソコンにて何やら書類等を作成されている方々を見かけることがありますが、私の場合、概ね、そうしたことは不得手であると思われます・・。
しかし一方、大変面白いことに、以前、当ブログ記事の下書きをノートに書いて作成していた時期がありましたが、この場合は、喫茶店、図書館といった環境の方が文章の作成は捗るようであり、少なくとも、さきに書いたような静かな環境を好むといったことはありません・・。
このように考えてみますと、そうした『ブログ記事を作成するという同一の行為』において、何故そのような差異が生じたのかとは、なかなか興味深いものがあると云えます。
何故ならば、そのような微妙な点*PCへの直接入力*ノートへの下書きの作成により、それぞれの記事作成に適していると感じる環境が異なるということは、あるいはさらに何か他の要素を加味することにより、また更なる変化が生じるという可能性が示唆されるからです・・。
これは今後さらに考える価値があるものと云えます・・。
そして、今後、何かしらの変化もしくは成果が生じた場合、またそれをブログ記事にしてみようと思います・・(笑)。
さて、つい先日文系院時代の先輩からお葉書が届きました。
文面によると、さらに以前、私が送付したあるものが起因のようですが、その一方で、つい先日頂いた別の文系院時代の知人からの電話との関連性もまた聊か気になるところです・・(笑)。
この葉書を書かれた方は、私の周囲で初めて、あるいは先陣を切って博士課程に進まれた方であり、また、さらに思い返してみますと、以前、当ブログにも書きましたが、2013年7月の私の学位審査直前に、御自身が同じ局面において所持されていた『闘魂』と書かれた鉢巻を手紙と共に送付して頂いた方でもあります・・。
これらが封入された封筒を開け、中を確認した時は、さすがに多少目が潤みました・・。
とはいえ、現状において博士課程、就中、文系に進学する場合、その先にかなりの困難(本当にこればかりは『困難とコトバで書くのは簡単だが・・』と思います。)が予想されると考えられますので『周囲にそうした方が出て欲しい』と望む気持ちとは、なかなか複雑なものであるとも云えます・・。
また一方で、自身の場合、専攻研究分野こそ異なりますが、同じ局面に至るまで、さまざまな事情があったと云えますので、現状をも含め、その『困難』とは、ある程度は理解出来るのではないかと思われます・・。
加えて、それと多少関連することであり、またこれは自身の現在の職務ともまた関連することではあるのですが、今後、歯科衛生士にて大学院(修士・博士)に進学された方々が就職先として臨床を行う個人経営の歯科医院あるいは中小医療機関に向かう傾向が増大することにより、歯科医療ひいては社会全般が多少変化するのではないかと思われます・・。
そして実際、そのように感じさせる兆しのようなものが時折感じられるのです・・。
しかしながら、これに関しては、もう少しの観察期間を要することではありますが・・。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において生じた地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の速やかな復興を祈念しております。
また、こうしたことは人によっても異なるのかもしれませんが、私の場合、ブログ記事作成の際は割合静かな環境の方を好みます。
時折、喫茶店などでノートパソコンにて何やら書類等を作成されている方々を見かけることがありますが、私の場合、概ね、そうしたことは不得手であると思われます・・。
しかし一方、大変面白いことに、以前、当ブログ記事の下書きをノートに書いて作成していた時期がありましたが、この場合は、喫茶店、図書館といった環境の方が文章の作成は捗るようであり、少なくとも、さきに書いたような静かな環境を好むといったことはありません・・。
このように考えてみますと、そうした『ブログ記事を作成するという同一の行為』において、何故そのような差異が生じたのかとは、なかなか興味深いものがあると云えます。
何故ならば、そのような微妙な点*PCへの直接入力*ノートへの下書きの作成により、それぞれの記事作成に適していると感じる環境が異なるということは、あるいはさらに何か他の要素を加味することにより、また更なる変化が生じるという可能性が示唆されるからです・・。
これは今後さらに考える価値があるものと云えます・・。
そして、今後、何かしらの変化もしくは成果が生じた場合、またそれをブログ記事にしてみようと思います・・(笑)。
さて、つい先日文系院時代の先輩からお葉書が届きました。
文面によると、さらに以前、私が送付したあるものが起因のようですが、その一方で、つい先日頂いた別の文系院時代の知人からの電話との関連性もまた聊か気になるところです・・(笑)。
この葉書を書かれた方は、私の周囲で初めて、あるいは先陣を切って博士課程に進まれた方であり、また、さらに思い返してみますと、以前、当ブログにも書きましたが、2013年7月の私の学位審査直前に、御自身が同じ局面において所持されていた『闘魂』と書かれた鉢巻を手紙と共に送付して頂いた方でもあります・・。
これらが封入された封筒を開け、中を確認した時は、さすがに多少目が潤みました・・。
とはいえ、現状において博士課程、就中、文系に進学する場合、その先にかなりの困難(本当にこればかりは『困難とコトバで書くのは簡単だが・・』と思います。)が予想されると考えられますので『周囲にそうした方が出て欲しい』と望む気持ちとは、なかなか複雑なものであるとも云えます・・。
また一方で、自身の場合、専攻研究分野こそ異なりますが、同じ局面に至るまで、さまざまな事情があったと云えますので、現状をも含め、その『困難』とは、ある程度は理解出来るのではないかと思われます・・。
加えて、それと多少関連することであり、またこれは自身の現在の職務ともまた関連することではあるのですが、今後、歯科衛生士にて大学院(修士・博士)に進学された方々が就職先として臨床を行う個人経営の歯科医院あるいは中小医療機関に向かう傾向が増大することにより、歯科医療ひいては社会全般が多少変化するのではないかと思われます・・。
そして実際、そのように感じさせる兆しのようなものが時折感じられるのです・・。
しかしながら、これに関しては、もう少しの観察期間を要することではありますが・・。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において生じた地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の速やかな復興を祈念しております。
2017年6月20日火曜日
20170620 昨日分の記事投稿パターンから思ったこと・・
多少疲れが溜っていたのか、昨日は記事作成途中に眠くなり、一旦寝てしまいました・・(苦笑)。
そして、明け方になり目が覚め、途中であった記事を一応完成させ、投稿時間をセットしてから再度床に就いた次第です。
こうした記事作成パターンは初めてでしたが、やはりこの疲れが溜っていた原因とは、先週末にある程度の遠出をしたことに因るのではないかと思われます・・。
一方、現在は特に首都圏において、そこそこの移動はしておりますので、やはり慣れないところに赴くというのは、それなりにストレスとなり、疲労が蓄積するのかもしれません・・。
また、そのように考え、かつての鹿児島在住時を振り返ってみますと、在住も二年目あたりになりますと、所用などで関東、東海方面に出向いても、故郷(千葉・首都圏)に近づいたという感覚は皆無になっており、逆に飛行機が鹿児島空港に帰着すると、何だか安心するといった感覚になっており、その内面の変化を我が事ながら奇妙に、そして新鮮に感じていたことが思い起こされます・・(笑)。
そのことから、やはり『日常性』という感覚は、厳然として存在すると思われるのですが如何でしょうか?
さて、冒頭に書きましたように、昨日分の作成記事は本日朝に投稿しましたが、それでも今現在までの閲覧者数はこれまでのそれと大きく変化することはありませんでした・・。
そのことから『別に記事を投稿しなくても、あまり閲覧者数は変わらないのではないか?』とも思うところではあるのですが、それでも毎日の記事作成を継続しているからこそ、あまり多いとは云えないにしても、ある程度の方々に読んで頂けていると思われますので、やはり出来る限り毎日の記事作成は継続した方が良いと云う結論に至ります・・(笑)。
また、それと同時に(ほぼ)毎日記事を作成、投稿していて面白いことは、時折、他と比較して(有意に)多く読まれる記事が作成されるということです。
しかし、であるからといって、漠然とした書かれる文章の質の向上(もしくは文体の獲得)を目指す以外に、こうした(有意に多く読まれる)記事の量産を小手先の技術(そうした記事の模倣の量産)に拠って試みるのは、あまり良いこととも思われないため、大意においては自分なりの創造およびその表出の仕方には留意しつつも、今現在はとりあえず(ほぼ)毎日の記事作成、投稿にのみ重点を置いている次第です・・。
加えて、これまでにも書いたことがありますが、本来、自身のブログとは、多くの閲覧者数の獲得を狙ったものではないことから、むしろ現在の平均的な閲覧者数およびこれまでの合計とは、かなり意外なものであるとも云えるのです・・(笑)。
とはいえ、これまで一連の記事を興味を持って読んでくださっている皆様、本当にどうもありがとうございます・・。
昨2016年、熊本、山陰東部、福島周辺を襲った地震によって被災された地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しています。」
そして、明け方になり目が覚め、途中であった記事を一応完成させ、投稿時間をセットしてから再度床に就いた次第です。
こうした記事作成パターンは初めてでしたが、やはりこの疲れが溜っていた原因とは、先週末にある程度の遠出をしたことに因るのではないかと思われます・・。
一方、現在は特に首都圏において、そこそこの移動はしておりますので、やはり慣れないところに赴くというのは、それなりにストレスとなり、疲労が蓄積するのかもしれません・・。
また、そのように考え、かつての鹿児島在住時を振り返ってみますと、在住も二年目あたりになりますと、所用などで関東、東海方面に出向いても、故郷(千葉・首都圏)に近づいたという感覚は皆無になっており、逆に飛行機が鹿児島空港に帰着すると、何だか安心するといった感覚になっており、その内面の変化を我が事ながら奇妙に、そして新鮮に感じていたことが思い起こされます・・(笑)。
そのことから、やはり『日常性』という感覚は、厳然として存在すると思われるのですが如何でしょうか?
さて、冒頭に書きましたように、昨日分の作成記事は本日朝に投稿しましたが、それでも今現在までの閲覧者数はこれまでのそれと大きく変化することはありませんでした・・。
そのことから『別に記事を投稿しなくても、あまり閲覧者数は変わらないのではないか?』とも思うところではあるのですが、それでも毎日の記事作成を継続しているからこそ、あまり多いとは云えないにしても、ある程度の方々に読んで頂けていると思われますので、やはり出来る限り毎日の記事作成は継続した方が良いと云う結論に至ります・・(笑)。
また、それと同時に(ほぼ)毎日記事を作成、投稿していて面白いことは、時折、他と比較して(有意に)多く読まれる記事が作成されるということです。
しかし、であるからといって、漠然とした書かれる文章の質の向上(もしくは文体の獲得)を目指す以外に、こうした(有意に多く読まれる)記事の量産を小手先の技術(そうした記事の模倣の量産)に拠って試みるのは、あまり良いこととも思われないため、大意においては自分なりの創造およびその表出の仕方には留意しつつも、今現在はとりあえず(ほぼ)毎日の記事作成、投稿にのみ重点を置いている次第です・・。
加えて、これまでにも書いたことがありますが、本来、自身のブログとは、多くの閲覧者数の獲得を狙ったものではないことから、むしろ現在の平均的な閲覧者数およびこれまでの合計とは、かなり意外なものであるとも云えるのです・・(笑)。
とはいえ、これまで一連の記事を興味を持って読んでくださっている皆様、本当にどうもありがとうございます・・。
昨2016年、熊本、山陰東部、福島周辺を襲った地震によって被災された地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しています。」
20170619 白村江の戦いとクリミア戦争・バラクラヴァの戦いから思ったこと・・
A「先日来より読み進めている書籍にて、ようやく7世紀半ば過ぎの『白村江の戦い』の項まで至りました。
そして、この『白村江の戦い』の項を読んでおりますと、どうしたわけか以前に観た19世紀半ば頃の『クリミア戦争』を舞台とした『遥かなる戦場』(原題「The Charge of the Light Brigade」)という映画が思い出されました。
この映画の題名は、同じ戦争・戦闘を題材としたテニスンによる、どちらかといえば勇壮な同名の詩に基づいており、この映画においては、さきほどの詩の印象(勇壮)とは異なり、平時・戦時における当時の軍上層部の腐敗、無能ぶり、そしてそこから必然的に生じる犠牲のバカバカしさについて特に力点を置いて描かれていたように記憶しています。
この映画が制作された時代背景が多少気になるところではありますが、ともあれ、このクリミア戦争はイギリス・フランス・トルコ側が勝利し、その結果、特に前二国の国際的な力が強まり、後に続く19世紀後半の帝国主義全盛期が齎されたとも云えます。
そしてまた丁度この時期とは、我が国においてもペリー来航により、幕末動乱期(維新回天期)に入ろうとする時期でもありましたので、この19世紀半ばとは、世界史、日本史的に見ても共通して一つの大きな時代の変革期であったのではないかと思われます・・。
またそれはさきに書いた『白村江の戦い』においても同様であり、この戦争での惨敗を機に、そこから惹起される外圧意識により我が国(倭国)は内乱等を経て本格的な中央集権体制へと移行したと考えられています。
それ故、当然ではあるのでしょうが、我が国も直接、間接を問わず国際間にて生じる出来事から多大なる影響に受けており、それは現在もまた同様であると云えます。
その意味で、現在の東アジアの状況とは、今後、如何なる状況への進展に結び付くのかとはやはり多少気になるところです・・。
とはいえ、そこまでハナシが大きくなりますと、あまり具体的なことは分かりませんので書きませんが、しかし少なくとも現在およびその(少し)先の未来とは、おそらく我が国の前世紀後半に見られたような、さまざまな事物の社会での急激な増加、浸透といった時代ではなく、何においても量から質への転換が図られる時代になるのではないかと思われます。
多くの事物において、その『量』とは、それぞれ測定、数値化され、比較検討すること、ひいては一般化することが容易ではあるのですが一方、その『質』となると、なかなかそのようには行かないのではないかと思われるのです・・。
さまざまな事物がその質においても、同様の手法にて、それぞれ何らかの要素による測定、数値化が為され、比較され、その大小によって良し悪しが判断、決定されるようになりますと、それはこれまでもそうであったように、無意識ながら次第に人間それ自身にまでもおよび、結果的に人間のみが持つとされる特質である創造性が壊死してしまうおそれも少なからずあるのではないでしょうか・・?
あるいは、そこで創造性を担保、保持するため、他に対する嗜虐性を強化することもまたあるのではないかとも考えます・・(これは案外新しい意見かもしれない・人身御供の起源?)。
とはいえ、そうした状況において、それぞれの民族、国民が持つ歴史、文化によって、その反応が変わってくるのではないかと思われます・・。
そのことから、やはり歴史、思想などもまた重要であるものと考えるのです・・。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて生じた地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、その後の速やかな復興を祈念しております。」
そして、この『白村江の戦い』の項を読んでおりますと、どうしたわけか以前に観た19世紀半ば頃の『クリミア戦争』を舞台とした『遥かなる戦場』(原題「The Charge of the Light Brigade」)という映画が思い出されました。
この映画の題名は、同じ戦争・戦闘を題材としたテニスンによる、どちらかといえば勇壮な同名の詩に基づいており、この映画においては、さきほどの詩の印象(勇壮)とは異なり、平時・戦時における当時の軍上層部の腐敗、無能ぶり、そしてそこから必然的に生じる犠牲のバカバカしさについて特に力点を置いて描かれていたように記憶しています。
この映画が制作された時代背景が多少気になるところではありますが、ともあれ、このクリミア戦争はイギリス・フランス・トルコ側が勝利し、その結果、特に前二国の国際的な力が強まり、後に続く19世紀後半の帝国主義全盛期が齎されたとも云えます。
そしてまた丁度この時期とは、我が国においてもペリー来航により、幕末動乱期(維新回天期)に入ろうとする時期でもありましたので、この19世紀半ばとは、世界史、日本史的に見ても共通して一つの大きな時代の変革期であったのではないかと思われます・・。
またそれはさきに書いた『白村江の戦い』においても同様であり、この戦争での惨敗を機に、そこから惹起される外圧意識により我が国(倭国)は内乱等を経て本格的な中央集権体制へと移行したと考えられています。
それ故、当然ではあるのでしょうが、我が国も直接、間接を問わず国際間にて生じる出来事から多大なる影響に受けており、それは現在もまた同様であると云えます。
その意味で、現在の東アジアの状況とは、今後、如何なる状況への進展に結び付くのかとはやはり多少気になるところです・・。
とはいえ、そこまでハナシが大きくなりますと、あまり具体的なことは分かりませんので書きませんが、しかし少なくとも現在およびその(少し)先の未来とは、おそらく我が国の前世紀後半に見られたような、さまざまな事物の社会での急激な増加、浸透といった時代ではなく、何においても量から質への転換が図られる時代になるのではないかと思われます。
多くの事物において、その『量』とは、それぞれ測定、数値化され、比較検討すること、ひいては一般化することが容易ではあるのですが一方、その『質』となると、なかなかそのようには行かないのではないかと思われるのです・・。
さまざまな事物がその質においても、同様の手法にて、それぞれ何らかの要素による測定、数値化が為され、比較され、その大小によって良し悪しが判断、決定されるようになりますと、それはこれまでもそうであったように、無意識ながら次第に人間それ自身にまでもおよび、結果的に人間のみが持つとされる特質である創造性が壊死してしまうおそれも少なからずあるのではないでしょうか・・?
あるいは、そこで創造性を担保、保持するため、他に対する嗜虐性を強化することもまたあるのではないかとも考えます・・(これは案外新しい意見かもしれない・人身御供の起源?)。
とはいえ、そうした状況において、それぞれの民族、国民が持つ歴史、文化によって、その反応が変わってくるのではないかと思われます・・。
そのことから、やはり歴史、思想などもまた重要であるものと考えるのです・・。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて生じた地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、その後の速やかな復興を祈念しております。」
20170602 ラッセルにはじまりコンラッドに至るまで・・M2病の妄想?
昨日分の投稿記事は、投稿翌日にしてはここ最近珍しいほど多くの方々に読んで頂けました。とはいえ、相変わらずその理由は分かりません・・(苦笑)。
しかし、一つ思い当たるのは、やはり抜粋引用した書籍が良かったのではないかということです・・。
そのことから、さきほど、この著作の頁を繰ってみますと、あちこちに赤ペンで線が引かれており、その痕跡を辿ってみると、どうやら過去の私は、この一連の著作(全三巻)のうち二巻目の半分ほどまでは読んでいたようです・・。
また、さらに遡って、何故当時ラッセルの著作を読むようになったのかと考えてみますと、それは以前もブログ記事にて書いたと記憶しておりますが、修士課程院生時の議論にてよく出てきたからであると思われます・・。
この当時は当然の如く、主に民俗学、考古学関連の書籍を読んでおりましたが、それだけではどうも自身の述べる事柄の論拠が乏しいと思われたのか、こうした思想、哲学関連の著作をも読む習慣が身に着いたのではないかと思われます・・。
ちなみにこうした議論を通して知り、自分なりにある程度精読した記憶があるのはオルテガ、フレイザー、バタイユ、コンラッドなどであり、中でもコンラッドに関しては、その著作『闇の奥』(Heart of Darkness)になみなみならぬ関心を抱き、当時その和訳が岩波文庫版と市場に出回っていないものの二種があり、前者に関しては既に入手、既読であったのですが、後者を手に入れるために、自分なりに苦心した記憶があります・・。
加えて、当ブログにおいて一記事として抜粋引用している著作(闇の奥)冒頭部分をそれまでの研究にて知り得た古代史、紀伊半島の歴史に当て嵌めて、さきの議論あるいは雑談などの際に述べていたことが思い起こされます・・(苦笑)。
それは以下のように・・
『僕は大昔のこと、我が国の初代天皇(大王)に率いられた一団がここにやってきた頃のことを考えていたんだ・・ついこの間のことのようにね・・。
そしてあとの時代、この紀の川の河口から髪を角髪(みずら)に結い、胡服に身を包み、直刀を杖立てた連中にはじまり、鎧兜姿に太刀を履いた連中がそれぞれ船団を組んでこの港、当時は雄ノ湊とか徳勒津とか云ったらしいけれども、そこからさまざまな事情を背負いつつ出立して行ったわけだが、それはね、青々とした水田、畑を走る一陣の風あるいは一瞬の稲妻のようなものなんだ・・。
われわれ人間の生なんてはかないものだーせいぜいこの古ぼけた地球が回り続けるかぎり、それが続くことを祈ろうじゃないか。
しかし、我々が今でも知り得ない世界はついこの間までこのあたりを覆っていたんだ・・。
まあ想像してもごらんよ、九州の東海岸にいた航海術に長けた連中が・・そうそう、そういえば当時の我が国には、外洋航海を目的とするような構造船はなくて、大型の丸木舟に舷側板を立てたような船だけであったらしいけれども、そうした船で瀬戸内海を東に抜けて今の大阪か奈良あたりに向かうと決まった時の気持ちをね・・。
それはいわば、自分達とは全く違う不可解な形をした青銅祭器を祀っているような連中の間を抜けて・・いや、そうした連中の真っ只中に行くわけなんだが、それでもこの当時九州東海岸にいた連中はとても勇ましかったようで、ものの本などによると、古代有数の軍事部族であった大伴氏や佐伯氏などは、ここに出自を持っているらしいのだがね・・。
ともあれ、彼等がこのあまり堅牢とはいえない、まあ準構造船とでも云えるような船に兵糧・武器その他あれこれを積んで、どうにか瀬戸内海を抜け、そうだな当時の大阪、河内平野一帯に広がっていた潟湖である河内湖に入り、その流れ込みの淀川のデルタ地帯に上陸したところあたりを想像してみたまえ・・。
砂州、沼沢、故地とは違った植生の森林、自分達とは異なるイントネーションの言語、衣服・・それまで自分達が慣れ親しんだ文化が見当たらなく、陸に上がっても狡猾な罠があったり、毒矢で射られたりして、この航海で見知った仲間達が日を追って減っていったに違いない・・。
こうした環境では、水、森林、草原、藪のなかにも、死がそっと潜んでいるのだ。
だが、もちろんそれでも彼等は特に思い惑うこともなく上陸地点を慎重に選定しながら、時には敵対部族とも戦いながら、更なる航海を続け、また上陸後は上陸後で険しい山道を通り抜け、どうにか目的地に達することが出来たのであろう・・。
彼等こそがこうしたまったく見知らぬ土地に立ち向かうに十分な強さを備えた連中だったのだ。
そして、もし、この一連の長く続く航海、在来部族との諍い、そして、この慣れない気候風土を生き抜いたあかつきには、この航海の目的地でもあり、そして、いずれは此処が己が居地ともなることもあろうという思いに元気づけられることもあっただろうよ・・。』
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺において生じた地震によって被害を被った地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。
しかし、一つ思い当たるのは、やはり抜粋引用した書籍が良かったのではないかということです・・。
そのことから、さきほど、この著作の頁を繰ってみますと、あちこちに赤ペンで線が引かれており、その痕跡を辿ってみると、どうやら過去の私は、この一連の著作(全三巻)のうち二巻目の半分ほどまでは読んでいたようです・・。
また、さらに遡って、何故当時ラッセルの著作を読むようになったのかと考えてみますと、それは以前もブログ記事にて書いたと記憶しておりますが、修士課程院生時の議論にてよく出てきたからであると思われます・・。
この当時は当然の如く、主に民俗学、考古学関連の書籍を読んでおりましたが、それだけではどうも自身の述べる事柄の論拠が乏しいと思われたのか、こうした思想、哲学関連の著作をも読む習慣が身に着いたのではないかと思われます・・。
ちなみにこうした議論を通して知り、自分なりにある程度精読した記憶があるのはオルテガ、フレイザー、バタイユ、コンラッドなどであり、中でもコンラッドに関しては、その著作『闇の奥』(Heart of Darkness)になみなみならぬ関心を抱き、当時その和訳が岩波文庫版と市場に出回っていないものの二種があり、前者に関しては既に入手、既読であったのですが、後者を手に入れるために、自分なりに苦心した記憶があります・・。
加えて、当ブログにおいて一記事として抜粋引用している著作(闇の奥)冒頭部分をそれまでの研究にて知り得た古代史、紀伊半島の歴史に当て嵌めて、さきの議論あるいは雑談などの際に述べていたことが思い起こされます・・(苦笑)。
それは以下のように・・
『僕は大昔のこと、我が国の初代天皇(大王)に率いられた一団がここにやってきた頃のことを考えていたんだ・・ついこの間のことのようにね・・。
そしてあとの時代、この紀の川の河口から髪を角髪(みずら)に結い、胡服に身を包み、直刀を杖立てた連中にはじまり、鎧兜姿に太刀を履いた連中がそれぞれ船団を組んでこの港、当時は雄ノ湊とか徳勒津とか云ったらしいけれども、そこからさまざまな事情を背負いつつ出立して行ったわけだが、それはね、青々とした水田、畑を走る一陣の風あるいは一瞬の稲妻のようなものなんだ・・。
われわれ人間の生なんてはかないものだーせいぜいこの古ぼけた地球が回り続けるかぎり、それが続くことを祈ろうじゃないか。
しかし、我々が今でも知り得ない世界はついこの間までこのあたりを覆っていたんだ・・。
まあ想像してもごらんよ、九州の東海岸にいた航海術に長けた連中が・・そうそう、そういえば当時の我が国には、外洋航海を目的とするような構造船はなくて、大型の丸木舟に舷側板を立てたような船だけであったらしいけれども、そうした船で瀬戸内海を東に抜けて今の大阪か奈良あたりに向かうと決まった時の気持ちをね・・。
それはいわば、自分達とは全く違う不可解な形をした青銅祭器を祀っているような連中の間を抜けて・・いや、そうした連中の真っ只中に行くわけなんだが、それでもこの当時九州東海岸にいた連中はとても勇ましかったようで、ものの本などによると、古代有数の軍事部族であった大伴氏や佐伯氏などは、ここに出自を持っているらしいのだがね・・。
ともあれ、彼等がこのあまり堅牢とはいえない、まあ準構造船とでも云えるような船に兵糧・武器その他あれこれを積んで、どうにか瀬戸内海を抜け、そうだな当時の大阪、河内平野一帯に広がっていた潟湖である河内湖に入り、その流れ込みの淀川のデルタ地帯に上陸したところあたりを想像してみたまえ・・。
砂州、沼沢、故地とは違った植生の森林、自分達とは異なるイントネーションの言語、衣服・・それまで自分達が慣れ親しんだ文化が見当たらなく、陸に上がっても狡猾な罠があったり、毒矢で射られたりして、この航海で見知った仲間達が日を追って減っていったに違いない・・。
こうした環境では、水、森林、草原、藪のなかにも、死がそっと潜んでいるのだ。
だが、もちろんそれでも彼等は特に思い惑うこともなく上陸地点を慎重に選定しながら、時には敵対部族とも戦いながら、更なる航海を続け、また上陸後は上陸後で険しい山道を通り抜け、どうにか目的地に達することが出来たのであろう・・。
彼等こそがこうしたまったく見知らぬ土地に立ち向かうに十分な強さを備えた連中だったのだ。
そして、もし、この一連の長く続く航海、在来部族との諍い、そして、この慣れない気候風土を生き抜いたあかつきには、この航海の目的地でもあり、そして、いずれは此処が己が居地ともなることもあろうという思いに元気づけられることもあっただろうよ・・。』
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺において生じた地震によって被害を被った地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。
2017年6月18日日曜日
20170618 具体・抽象への書く文章のブレが生じる要因(未だ不可知なもの)
A「昨日は一件は書籍からの抜粋引用でしたが、二件の記事投稿を行ったことによってか、本日これまでの閲覧者数は思いのほか多くなりました(300程度)。
また、本日に関しては、昨日二件の記事投稿を行ったことにより記事投稿は止めておこうとも考えましたが、一方で、何も書かないでおくのも気持ちが悪いことから『とりあえず何かしら書いてみよう・・』と思い立ち、現在こうして記事作成を試みている次第です・・(苦笑)。
さて、先日来より読み進めている書籍も頁数半分以上にまで至り、そこに書かれていることの多くは、これまでの研究成果によってか、かなり明瞭、具体的な記述となっており、大変勉強になります。
また同時に、こうした書籍を読みますと、当然ではあるのでしょうが、自身がかつて興味を持ち、ある程度文献、書籍を読んだと云える分野での研究が、その後も進展していることが実感出来ます。
さらにまた、こうした経験を得ることにより、自身もまた、さまざまなことに対する興味関心が新たに湧いてくるとも云えます・・。
そして、これまでの経験から、それは直ちに自身のブログ記事の題材としては生かされないものの、ある程度時間が経ってから、何かしら新たな記事着想のタネとなる傾向があるものと云えます・・。
また、自身がこれまでどうにか記事作成を継続出来ている一つの原因とは、ここにあるのではないかとも思われるのです・・。
またその一方で、無用な、もしくは悪意ある詮索を避けるため、仕事上のことは、あまりブログ記事の題材にはしないことにしておりましたが、これは現在になり振り返って考えてみますと、少なくとも悪くない選択であり、これまでの作成記事の主たる題材とは、自身の(数年前の)経験、読書に基づいたものであったからこそ、あまり多くの閲覧者数を得ることが出来ないにしても現在まで記事作成を継続することが出来たのではないかと思われるのです・・。
これもまた一つのブログ記事作成を継続させる手法ではないかとも思われます・・(笑)。
あるいは、こうした手法での記事作成に慣れることを通じて、仕事上でのことを記事として書く必要性が生じた場合、あまり痛痒を感じることなく作成することが可能になるとも云えるのかもしれません・・。
何故ならば、一般的に文章を書く場合、具体的な出来事などを書く方が抽象的な考えなどを書くよりも書き易いと思われますので・・。
一方、読み手として考えてみますと、一般的に我々は考え・想念などを文章にて辿るような抽象的、思弁的な文章よりも、具体的な記述内容を持つ文章の方が分かり易く、理解し易いといった傾向があるように思われます。
また、それ故に当記事冒頭に挙げたかつて自身が面白く、勉強になると感じた研究分野においてその後、研究が進展していることが理解し得たとも云えるのではないでしょうか?
おそらく、こうした一つの要素・分野毎の抽象・具体への志向およびそれに付随する書く文章の(抽象、具体への)ブレとは、何かしら未だ自身にとっては不可知な要因によって循環しているのかもしれないと考えさせられます・・(笑)。
果たして今しばらく書き続ければ何かが分かってくるのでしょうか(笑)?
ともあれ、今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の速やかな復興を祈念しております。」
また、本日に関しては、昨日二件の記事投稿を行ったことにより記事投稿は止めておこうとも考えましたが、一方で、何も書かないでおくのも気持ちが悪いことから『とりあえず何かしら書いてみよう・・』と思い立ち、現在こうして記事作成を試みている次第です・・(苦笑)。
さて、先日来より読み進めている書籍も頁数半分以上にまで至り、そこに書かれていることの多くは、これまでの研究成果によってか、かなり明瞭、具体的な記述となっており、大変勉強になります。
また同時に、こうした書籍を読みますと、当然ではあるのでしょうが、自身がかつて興味を持ち、ある程度文献、書籍を読んだと云える分野での研究が、その後も進展していることが実感出来ます。
さらにまた、こうした経験を得ることにより、自身もまた、さまざまなことに対する興味関心が新たに湧いてくるとも云えます・・。
そして、これまでの経験から、それは直ちに自身のブログ記事の題材としては生かされないものの、ある程度時間が経ってから、何かしら新たな記事着想のタネとなる傾向があるものと云えます・・。
また、自身がこれまでどうにか記事作成を継続出来ている一つの原因とは、ここにあるのではないかとも思われるのです・・。
またその一方で、無用な、もしくは悪意ある詮索を避けるため、仕事上のことは、あまりブログ記事の題材にはしないことにしておりましたが、これは現在になり振り返って考えてみますと、少なくとも悪くない選択であり、これまでの作成記事の主たる題材とは、自身の(数年前の)経験、読書に基づいたものであったからこそ、あまり多くの閲覧者数を得ることが出来ないにしても現在まで記事作成を継続することが出来たのではないかと思われるのです・・。
これもまた一つのブログ記事作成を継続させる手法ではないかとも思われます・・(笑)。
あるいは、こうした手法での記事作成に慣れることを通じて、仕事上でのことを記事として書く必要性が生じた場合、あまり痛痒を感じることなく作成することが可能になるとも云えるのかもしれません・・。
何故ならば、一般的に文章を書く場合、具体的な出来事などを書く方が抽象的な考えなどを書くよりも書き易いと思われますので・・。
一方、読み手として考えてみますと、一般的に我々は考え・想念などを文章にて辿るような抽象的、思弁的な文章よりも、具体的な記述内容を持つ文章の方が分かり易く、理解し易いといった傾向があるように思われます。
また、それ故に当記事冒頭に挙げたかつて自身が面白く、勉強になると感じた研究分野においてその後、研究が進展していることが理解し得たとも云えるのではないでしょうか?
おそらく、こうした一つの要素・分野毎の抽象・具体への志向およびそれに付随する書く文章の(抽象、具体への)ブレとは、何かしら未だ自身にとっては不可知な要因によって循環しているのかもしれないと考えさせられます・・(笑)。
果たして今しばらく書き続ければ何かが分かってくるのでしょうか(笑)?
ともあれ、今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の速やかな復興を祈念しております。」
20170617 其の2 筑摩書房刊 山田風太郎著『昭和前期の青春』pp.171-174より抜粋引用
筑摩書房刊 山田風太郎著『昭和前期の青春』pp.171-174より抜粋引用
ISBN-10: 4480433317
ISBN-13: 978-4480433312
『弱肉強食は生物の原則で、同時に人間の原則だ。形は変わっても、この原則は永遠に変わらない、という強食派に対して、そんな原則をほしいままにさせないのが人類の進歩だ、と弱肉派がいう。
実は私は個人の素質としては弱肉派のほうだから、こちらに拍手を送りたい。
出来ればその陣営の人となりたい。が―例の低音がいう。
少なくとも日本を弱肉の地位に置かないように渾身の努力をはらうのが、子孫に対するいまのわれわれの義務ではあるまいか。―そもそも、資源なく人間のみひしめく日本という国は、何らかのかたちで他を侵略しなければ生存可能因果な国ではないのか。
ある国が攻めて来たら、どうせ叶わないのだから、威厳をもってただちに降伏すればいい、という論があった。
しかし降伏すれば、それで一件落着、万事大団円とは参らない。こんどはその国の敵国から容赦なく攻撃を受けることになるだろう。
だいいち降伏という事態に威厳を持つことなんか出来やしない。勝利者がそんなことは許さないのである。それは言葉のアヤに過ぎない。
そもそも一国をあげて粛々と降伏するには、国民すべて一つの宗教的信念に徹していなかればならないが、いったい日本人がそんなかたちの宗教民族になれるだろうか。
それどころではない、世界にさきがけて不戦の憲法を持つことすら、ニンに過ぎたことではなかったろうか?
いまそれを支持する国民が大半ではないか、という論に対して、それはただ眼先の泰平に酔い痴れているだけの怠け者のねごとに過ぎない、と低い声がいう。
こんな問答は、何か事が起こらなければ決着のつかない、果てしのない水掛論に過ぎない、とは思うが、いやそう水掛論といっても片付けてもいられない、とも考える、事が起こってからではもう遅いのである。
二年や三年で一応訓練出来る刀と鉄砲だけの戦争の時代ではないのである。
また、突如発作的に大々的軍備に踏み切れば、それこそそのこと自体が事を起こすもととなる。
やるなら、むしろ無用時に、ある水準までの備えをしておかなければならないのではないか、とも考える。
これはとうてい戦中派とか戦後思想とかの次元で論じられる問題ではない。
くり返すが、日本民族はこれから何千年も何万年も生存してゆかなければならないのである。
その間、すべてのことにおいて、ほかの民族に、せめて出来るだけピッタリくっついてゆくことがそのための条件ではあるまいか。
ひとり、あんまり変わった方法で生きながらえゆこうというのは、虫がよ過ぎ、ウヌボレ過ぎ、夢想が過ぎ、はては「非合理」なのではあるまいか。
しかし、しかし、しかし。―
実際問題として、本格的再軍備というのは至難でしょうなあ。私はいまの日本人の男性でさえ再軍備賛成論者は50%に満たないと見ている。
女性のほとんどすべては反対論だろう。その理由のきわめて大きな部分は、現在の酔夢をさましたくないという願望であるにしろ、何といっても軍備らしい軍備なくして過ごして来た「日本の黄金時代」の記憶は決定的である、そしてまたそういう国民から生まれた軍隊が、たとえ何兆円の金をかけようと物の役には立つとは思われない。
「戦中派」の正確な定義はよく知らないが、私はあの戦争中、学校でいえば中学生から大学生までの年齢期にあった人間だと解釈している。
その年齢だから、ある意味でいえば、戦中派は戦争をひき起こした責任はない。
その戦中派も今や老いつつあるが、彼らは戦争に対してではなく、戦後自分たちの子供の教育に過ちを犯したのではなかろうか、と疑うことがある。彼らは戦中の苦難を子供に語る。しかし考えてみれば右の理由で、その苦難はみずから求めたものではなく、いつのまにか落とされた運命であって、自慢出来る苦労話ではない。それがわかっているから、実は、いうことに自信がない。子供は親のうしろ姿を見て育つ。子供は戦中派のうしろ姿を見て、あまり感心しないのである。
私にしてすら、事実はこの未曾有の泰平の日々を、安逸の中に沈んでいるのである。
庭に野鳥が来る。はじめ残飯パンのたぐいを与えていたが、次第に鳥の数がふえ、餌をアテにしてやまないので、いつしか新しい米やパン粉を盛大にまいてやるようになった。
それで庭に大きくバカという字を書くと、鳥がバカの字なりにならんで食べている。
それを二階の書斎から双眼鏡で見て、終日暮らしていることもあるのである。
ただ、そんなとき、あのガダルカナルの戦いの日本兵に、この米、このパン粉をやっていたら、あるいはーなど、ふっと頭に浮かばせながら。
「不戦日記」はすでに遠くなりにけり、か、いまだ遠くはなりゆかず、か。―』
ISBN-10: 4480433317
ISBN-13: 978-4480433312
『弱肉強食は生物の原則で、同時に人間の原則だ。形は変わっても、この原則は永遠に変わらない、という強食派に対して、そんな原則をほしいままにさせないのが人類の進歩だ、と弱肉派がいう。
実は私は個人の素質としては弱肉派のほうだから、こちらに拍手を送りたい。
出来ればその陣営の人となりたい。が―例の低音がいう。
少なくとも日本を弱肉の地位に置かないように渾身の努力をはらうのが、子孫に対するいまのわれわれの義務ではあるまいか。―そもそも、資源なく人間のみひしめく日本という国は、何らかのかたちで他を侵略しなければ生存可能因果な国ではないのか。
ある国が攻めて来たら、どうせ叶わないのだから、威厳をもってただちに降伏すればいい、という論があった。
しかし降伏すれば、それで一件落着、万事大団円とは参らない。こんどはその国の敵国から容赦なく攻撃を受けることになるだろう。
だいいち降伏という事態に威厳を持つことなんか出来やしない。勝利者がそんなことは許さないのである。それは言葉のアヤに過ぎない。
そもそも一国をあげて粛々と降伏するには、国民すべて一つの宗教的信念に徹していなかればならないが、いったい日本人がそんなかたちの宗教民族になれるだろうか。
それどころではない、世界にさきがけて不戦の憲法を持つことすら、ニンに過ぎたことではなかったろうか?
いまそれを支持する国民が大半ではないか、という論に対して、それはただ眼先の泰平に酔い痴れているだけの怠け者のねごとに過ぎない、と低い声がいう。
こんな問答は、何か事が起こらなければ決着のつかない、果てしのない水掛論に過ぎない、とは思うが、いやそう水掛論といっても片付けてもいられない、とも考える、事が起こってからではもう遅いのである。
二年や三年で一応訓練出来る刀と鉄砲だけの戦争の時代ではないのである。
また、突如発作的に大々的軍備に踏み切れば、それこそそのこと自体が事を起こすもととなる。
やるなら、むしろ無用時に、ある水準までの備えをしておかなければならないのではないか、とも考える。
これはとうてい戦中派とか戦後思想とかの次元で論じられる問題ではない。
くり返すが、日本民族はこれから何千年も何万年も生存してゆかなければならないのである。
その間、すべてのことにおいて、ほかの民族に、せめて出来るだけピッタリくっついてゆくことがそのための条件ではあるまいか。
ひとり、あんまり変わった方法で生きながらえゆこうというのは、虫がよ過ぎ、ウヌボレ過ぎ、夢想が過ぎ、はては「非合理」なのではあるまいか。
しかし、しかし、しかし。―
実際問題として、本格的再軍備というのは至難でしょうなあ。私はいまの日本人の男性でさえ再軍備賛成論者は50%に満たないと見ている。
女性のほとんどすべては反対論だろう。その理由のきわめて大きな部分は、現在の酔夢をさましたくないという願望であるにしろ、何といっても軍備らしい軍備なくして過ごして来た「日本の黄金時代」の記憶は決定的である、そしてまたそういう国民から生まれた軍隊が、たとえ何兆円の金をかけようと物の役には立つとは思われない。
「戦中派」の正確な定義はよく知らないが、私はあの戦争中、学校でいえば中学生から大学生までの年齢期にあった人間だと解釈している。
その年齢だから、ある意味でいえば、戦中派は戦争をひき起こした責任はない。
その戦中派も今や老いつつあるが、彼らは戦争に対してではなく、戦後自分たちの子供の教育に過ちを犯したのではなかろうか、と疑うことがある。彼らは戦中の苦難を子供に語る。しかし考えてみれば右の理由で、その苦難はみずから求めたものではなく、いつのまにか落とされた運命であって、自慢出来る苦労話ではない。それがわかっているから、実は、いうことに自信がない。子供は親のうしろ姿を見て育つ。子供は戦中派のうしろ姿を見て、あまり感心しないのである。
私にしてすら、事実はこの未曾有の泰平の日々を、安逸の中に沈んでいるのである。
庭に野鳥が来る。はじめ残飯パンのたぐいを与えていたが、次第に鳥の数がふえ、餌をアテにしてやまないので、いつしか新しい米やパン粉を盛大にまいてやるようになった。
それで庭に大きくバカという字を書くと、鳥がバカの字なりにならんで食べている。
それを二階の書斎から双眼鏡で見て、終日暮らしていることもあるのである。
ただ、そんなとき、あのガダルカナルの戦いの日本兵に、この米、このパン粉をやっていたら、あるいはーなど、ふっと頭に浮かばせながら。
「不戦日記」はすでに遠くなりにけり、か、いまだ遠くはなりゆかず、か。―』
登録:
投稿 (Atom)