2024年8月19日月曜日

20240819 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「ホモ・デウス」下巻 pp.124-127より抜粋

河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「ホモ・デウス」下巻 
pp.124-127より抜粋
ISBN-10 : 4309227376
ISBN-13 : 978-4309227375

 物語る自己は、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編「問題」のスターだ。この小説は、ミゲル・デ・セルバンテスの有名な小説の題名の由来となったドン・キホーテにかかわる。ドン・キホーテは自分の空想の世界を創り出し、その中で世の中の不正を正す伝説の騎士となり、巨人たちと戦ってドゥルシネーア・デル・トボーソという姫を救うために出かけていく。現実には、ドン・キホーテはアロンソ・キハーノという年寄りの郷士で、高貴なドゥルシネーアは近くの村に住む粗野な農民の娘であり、巨人たちというのは風車だ。もしこうした空想を信じているせいでドン・キホーテが本物の人物を襲って殺してしまったらどうなるだろう、とボルヘスは考える。人間の境遇についての根本的な疑問をボルヘスは投げかける。私たちの物語る自己が紡ぐ作り話が自分自身あるいは周囲の人々に重大な害を与えるときには何が起こるのか?主な可能性は三つある、ボルヘスは言う。

 たいしたことは起らないというのが第一の可能性だ。ドン・キホーテは本物の人間を殺してもまったく気にしない。妄想の力がまさに圧倒的で、彼は現実に殺人を犯すことと、空想の巨人『実は風車)と決闘することの違いがわからない。別の可能性もある。ドン・キホーテは人を殺めた後、途方もない戦慄を覚え、その衝撃で妄想から目覚める。これは若い新兵が祖国のために死ぬのは善いことだと信じて戦場に出たものの、けっきょく戦争の実情を目の当たりにしてすっかり幻滅するというのと同じ類だ。

 だが、第三の、はるかに複雑で深刻な可能性もある。空想の巨人と戦っているかぎりは、ドン・キホーテは真似事をしているにすぎない。ところが彼は、誰かを本当に殺したら、自分の空想に必死にしがみつく、自分の悲惨な悪行に意味を与えられるのは、その空想だけだからだ。矛盾するようだが、私たちは空想の物語のために犠牲を払えば払うほど執拗にその物語にしがみつく。その犠牲と自分が引き起こした苦しみに、ぜがひでも意味を与えたいからだ。

 これは政治の世界では、「我が国の若者たちは犬死はしなかった」症候群として知られている。イタリアは一九一五年、三国協商側について第一次世界大戦に参戦した。イタリアが掲げた目的は、トレントとトリエステという、オーストリア=ハンガリー帝国に「不当に」占拠された二つの「イタリア」領を「解放する」ことだった。イタリアの政治家たちは議会で熱弁を振るい、歴史的な不正を正すことを誓い、古代ローマの輝きを取り戻すことを約束した。何十万ものイタリア人新兵が「トレントとトリエステのために!」と叫びながら前線に出た。彼らは楽勝になるものとばかり思っていた。

 だが、現実はそれに程遠かった。オーストリア=ハンガリー軍はイゾンツォ川に沿って強力な防御線を張っていた。イタリア兵たちは一一度の血なまぐさい戦いでその防御線に襲いかかったが、せいぜい数キロメートル前進しただけで、ついに突破できなかった。最初の戦いで約一万五〇〇〇のイタリア兵が死傷したり捕虜になったりした。二度目の戦いではイタリアは四万の兵を失った。三度目の戦いの損害は六万人にのぼった。こうして一一度目の交戦まで、恐ろしい月日が二年続いた。その後ついにオーストリア軍が反攻に転じ、カポレットの戦いという名でよく知られる一二度目の戦いでイタリア軍を完膚なきまでに打ちのめし、ヴェネツィアのすぐ手前まで押し戻した、輝かしい冒険は大虐殺に変った。戦争終結までに七〇万近いイタリア兵が戦死し、一〇〇万人以上が負傷した。

 イゾンツォ川沿いの最初の戦いに敗れた後、イタリアの政治家たちには二つの選択肢があった。彼らは誤りえお認めて平和条約に調印すると申し出ることができた。オーストリア・ハンガリーはイタリアに何の賠償も請求していなかったし、喜んで講和したことだろう。はるかに強敵のロシアを相手に生き残るための戦いに忙殺されていたからだ。とはいえ政治家たちは、何千ものイタリア人戦死兵の親や妻や子供たちのもとを訪ねて、「申し訳ありません。手違いがありました。どうか、あまりひどく悲しまないでいただきたいのですが、お宅のジョヴァンニさんは犬死にしました。マルコさんも同様です」などとどうして言えるだろう?その代わりに、こう言うことができる。「ジョヴァンニさんもマルコさんも勇敢でした!二人はイタリアがトリエステを取り戻すために亡くなったのであり、私たちはけっして二人の死を無駄にしません。勝利を収めるまで、断固戦い続けます!」驚くまでもないが、政治家たちはまたしても、戦い続けるのが最善だと判断した。「我が国の若者たちは犬死はしなかった」からだ。

 もっとも、政治家だけを責めることはできない。一般大衆も戦争を支持し続けた。そして戦後、イタリアが要求した領土すべてを獲得するわけにはいかなかったとき、この国民の民主主義はベニート・ムッソリーニとその配下のファシストたちに政権を委ねた。ムッソリーニらが、イタリア人が払ったあらゆる犠牲に対して適切な補償を獲得すると約束したからだ。政治家が親たちに、息子さんはろくな理由もなく犠牲になりましたと告げるのは難しいものの、我が子が無駄な犠牲を払ったと親自身が認めるのははるかにつらい。そして、犠牲者にとってはなおさら困難だ。両脚を失って体が不自由になった兵士は、「両脚を失ったのは、身勝手な政治家たちを信じるほど私が馬鹿だったからだ」と言うよりも、「イタリアという永遠の国家の栄光のために自分を犠牲にしたのだ」と自分に言い聞かせたいだろう。そのような幻想を抱いて生きるほうがずっと楽だ。その幻想が苦しみに意味を与えてくれるからだ。

 聖職者たちはこの原理を何千年も前に発見した。無数の宗教的儀式や戒律の根底にはこの原理がある。

2024年8月18日日曜日

20240818 ダイアモンド社刊 小室直樹著「危機の構造 日本社会崩壊のモデル」pp.95-98より抜粋

ダイアモンド社刊 小室直樹著「危機の構造 日本社会崩壊のモデル」pp.95-98より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4478116393
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4478116395

 情報処理能力として重要なものには、右に述べた情報操作能力のほかに、事件が示す兆候からその本質的なものを学び取り、それにもとづいて行動様式を再編させてゆく能力があげられなければならない。この能力を、心理学との連想において、学習能力と呼ぶことにしよう。われわれ日本人の学習能力は必ずしも高くなく、戦争の教訓を十分に生かしていないようである。すなわち、日本にとって致命的となるような根本的欠点は、それによって破局が招来される以前に、なんらかの兆候的事件によって露呈されるのである。したがって、学習能力が十分であれば破局は回避されうるのです。

 最近また、ノモンハン事件が人びとの話題とされるようになった。この事件ほど、破局の兆候としての好例はなく、もし戦前の指導者が、この事件に十分な科学的分析を加えていたならば、第二次大戦の破局は避けえたであろう。

 周知のように、ノモンハンにおいて関東軍は大敗を喫し、不敗の神話は崩壊するのであるが、考え方によっては、この敗戦は「大したこと」ではなかったといえる。つまり「大敗」といっても、小松原兵団が破滅的打撃を受けたでけであって、関東軍主力は無事であった。戦車と歩兵の戦闘としてはずいぶんと善戦であったといえなくもない。まもなくドイツ軍によって機械化部隊の圧倒的威力がはるかに大きな規模において証明されることになるのであるが、ポーランド軍やフランス軍や独ソ戦前半のソ連軍とは違って、日本軍は機械化部隊のまえに総崩れになったわけではない。それどころか、緒戦の勝利にもかかわらず深入りを避けたのはソ連軍のほうであった。さすがジューコフというべきであって、もし深追いをしていれば、弔い合戦のために手ぐすねをひいいていた日本軍のために全滅していたかもしれない。

 つまり、あれやこれやと総合的にみて、日本軍はこの敗戦にもかかわらず、あまり自信を失っていなかったのである。それは、空戦における圧勝のせいもあったかもしれないが、地上戦でも、本気になってやったらまだソ連になど敗けぬ、と思っていたのであろう。あるいはそうかもしれない。しかし、ここで重大なことは、ノモンハン敗戦の実際の損害よりも、それが示した兆候を十分に読み取っていなかったことである。その兆候が与える教訓のうち、とくに重要なものとしては、①歩兵は戦車には勝てぬ、②軽火力軽装甲の戦車は無力である、③対戦車火器の開発が急務である、などである。そして、さらに重要な教訓としては、④日本は物量戦は不可能であり経済大国と戦争はできない、ということである。いかにも、空においては、九七戦の性能はすばらしく、緒戦においては、イ十五、イ十六を次々と撃ち落とした。しかし、日本とソ連では国力が違う。やがて雲霞のごとく来襲するソ連空軍のまえに、さすがの九七戦も苦戦を免れなかった。

 すなわち、これらの教訓が与える結論によれば、日本陸軍は、個人の勇気を最重視する白兵主義をあらためて近代化し、それと同時に、(それが不可能であるというそれだけの理由によっても)軍事的冒険、大国ゲームを止めるべきであった。

 しかし、この重大な兆候およびそれが与える教訓は少しも学ばれなかった。当時、戦車を生捕りにした鬼軍曹の話などが喧伝されたが、国民はその意味するところを理解せず、彼の勇気をほめたたえた。しかし、だれも対戦車砲も持たない陸軍がなんでそんなに名誉であるのか、ということに気づかなかった。そしてまもなく日本人は、ビルマにおいて、また太平洋の島々において、連合軍戦車のために手痛い目にあうことになるのである。

2024年8月17日土曜日

20240817 株式会社講談社刊 東浩紀著「動物化するポストモダン」オタクから見た日本社会 pp.96-99より抜粋

株式会社講談社刊 東浩紀著「動物化するポストモダン」オタクから見た日本社会
pp.96-99より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4061495755
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061495753

 ヘーゲル哲学は一九世紀の初めに作られた。そこでは「人間」とは、まず自己意識をもつ存在であり、同じく自己意識をもつ「他者」との闘争によって、絶対知や自由や市民社会に向っていく存在だと規定されている。ヘーゲルはこの闘争の過程を「歴史」と呼んだ。

 そしてヘーゲルは、この意味での歴史は、一九世紀初めのヨーロッパで終わったのだと主張していた。この主張は一見奇妙に思われるが、じつはいまでも強い説得力を備えている。というのも彼は、ちょうど近代社会が誕生するとき、まさにその誕生こそが「歴史の終わり」だと宣言していたからだ。彼の主著「精神現象学」が、ナポレオンがイエナに侵攻する前日、まさにそのイエナで脱稿されたというのは有名な話である。むろん、西欧型の近代社会の到来をもって歴史の完結とするこのような考え方は、のち民族中心主義的なものとして徹底的に批判されている。しかし他方で、ヘーゲルののち、二世紀のあいだ近代的価値観が全世界を蔽っていったという現実がある以上、その歴史観がなかなか論駁しがたいのも事実である。

「アメリカ的「動物への回帰」と日本的スノビズム」

 いずれにせよここで重要なのは、ヘーゲルではなく、その歴史哲学にコジューヴを加えたある解釈である。より正確には、彼が講義の二〇年後に「ヘーゲル読解入門」の第二版に加え、以後、少なくとも日本では有名となったある脚注である。第一章でも簡単に紹介したように、そこでコジューヴは、ヘーゲル的な歴史が終わったあと、人々は二つの生存様式しか残されていないと主張している。ひとつはアメリカ的な生活様式の追求、彼の言う「動物の回帰」であり、もうひとつは日本的スノビズムだ。 

 コジューヴは、戦後のアメリカで台頭してきた消費者の姿を「動物」と呼ぶ。このような強い表現が使われるのは、ヘーゲル哲学独特の「人間」の規定と関係している。ヘーゲルによれば(より正確にはコジューヴが解釈するヘーゲルによれば)、ホモ・サピエンスはそのままで人間的なわけではない。人間が人間であるためには、与えられた環境を否定する行動がなかればならない。言い換えれば、自然との闘争がなければならない。 

 対して動物は、つねに自然と調和して生きている。したがって、消費者の「ニーズ」をそのまま満たす商品に囲まれ、またメディアが要求するままにモードが変っていく戦後アメリカの消費社会は、彼の用語では、人間的というよりむしろ「動物的」と呼ばれることになる。そこには飢えも争いもないが、かわりに哲学もない。「歴史の終わりのあと、人間は彼らの記念碑や橋やトンネルを建設するとしても、それは鳥が巣を作り蜘蛛が蜘蛛の巣を張るようなものであり、蛙や蝉のようにコンサートを聞き、子供の動物が遊ぶように遊び、大人の獣がするように性欲を発散するようなものであろう」と、コジューヴは苛立たしげに記している(注37)。

 他方で「スノビズム」とは、与えられた環境を否定する実質的理由が何もないにもかかわらず、「形式化された価値に基づいて」それを否定する行動様式である。スノッブは環境と調和しない。たとえそこに否定の契機が何もなかったとしても、スノッブはそれをあえて否定し、形式的な対立を作り出し、その対立を楽しみ愛でる。コジューヴがその例に挙げているのは切腹である。切腹においては、実質的には死ぬ理由が何もないにもかかわらず、名誉や規律といった形式的な価値に基づいて自殺が行われる。これが究極のスノビズムだ。このような生き方は、否定の契機がある点で、決して「動物的」ではない。だがそれはまた、歴史時代の人間的な生き方とも異なる。というのも、スノッブたちの自然との対立(たとえば切腹時の本能との対立)は、もはやいかなる意味でも歴史を動かすことがないからである。純粋に儀礼的に遂行される切腹は、いくらその犠牲者の屍が積み上がろうとも、決して革命の原動力にはならないというわけだ。

「オタク的文化が洗練された日本的スノビズム」

 コジューヴのこの議論は短い日本滞在と直観だけに基づいており、多分に幻想が入っている。しかし、日本社会の中核にはスノビズムがあり、今後はその精神が文化的な世界を支配していくだろうというその直観は、いまから振り返るとおそろしく的確だったとも言える。



2024年8月15日木曜日

20240814 株式会社筑摩書房刊 アレクシス・ド トクヴィル 著 小山 勉 訳「旧体制と大革命」pp.117-120より抜粋

株式会社筑摩書房刊 アレクシス・ド トクヴィル 著 小山 勉 訳「旧体制と大革命」pp.117-120より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4480083960
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480083968 

 ローマ帝国を滅ぼし、ついに近代的国家を形成した諸民族は、人種も領土も言語も異なっていた。これらの民族の類似点といえば、未開状態だけだった。これらは帝国の版図に定住しながらも、長期にわたって大混乱のなかで衝突し合っていた。諸民族がついに安定状態に達したとき、衝突がもたらした荒廃によって、民族は相互に分裂した。文明はほとんど壊滅し、公共の秩序は崩壊し、人間相互の関係も困難で危険なものとなった。そして大ヨーロッパ社会は、独立した無数の敵対的な小社会に分裂した。しかし、この不統一な全体のなかから、突然画一的な諸法律が生れてくる。

 これらの法制度は、ローマ法を模倣したものではない。ローマ法とまったく異なるものであったからこそ、ローマ法を用いてこれを改正したり廃止したりできたのである。この法制度の特徴は独創的で、それまでに作られたいかなる法律とも違っていた。それは相互に整合性をもち、全体として非常に緊密にまとまった諸部分からなる大法典である。それゆえ、我が国の近代法典の諸条項も、この緊密な統一性に及ぶべくもない。この巧緻な法律は、ほとんど未開社会が使用するためのものだった。

 このような同じ法律がどのようにして形成され、普及し、ついにはヨーロッパ全体に広まったのだろうか。私は、この問題を究明しようとは思わない。ただ、確信できることはある。中世ヨーロッパでは、程度の差こそあれ、このような法律がいたるところで発見されている。しかも多くの国々でこの法律だけが支配し、これ以外の法律はすべて排除されているのである。

 私はフランス、イギリス、ドイツの中世における政治制度を研究する機会をもった。この作業が進むにつれて、私はこの三国の法律がことごとく酷似しているのを発見して、大いに驚いたものである。そして、私は不思議に思った。この三つの民族の相違は明らかだし、交流の機会も少ないのに、なぜこれほど類似した法律をもつことができたのだろうか。法律の細目部分は、国ごとに絶え間なく、ほとんど無限に変化しているにもかかわらず、その基盤がどの国においても同一だからなのだ。旧ゲルマン法制に政治制度、規則、権力に関する規定があるとすれば、徹底的に探究することで、フランスやイギリスでも本質的にまったく同一のものを見つけられるだろう、という予測はあった。果たして、それが間違いなく見つかったのである。この三つの民族のそれぞれは、私が他の二つの民族をより深く理解するのに役立った。

 英独仏の三国の場合、政治は同一の原則に従って行われている。政治的会議は同一の成員によって構成され、同一の権力を与えられている。この三国では、社会の区分の仕方も同じで、諸階級の間には各国とも同じ階層区分が見られる。貴族はどこでも同じ地位を占め、同じ特権を有し、同じ顔つきをし、同じ気質をもっている。すなわち、貴族は各国で相異なるわけではなく、まさにどの国でも同じなのである。

 都市の制度も互いに似ている。農村も同じ方法で統治されている。農民の生活条件もほとんど違わない。土地も同様に所有さて、保有さて、耕作されている。耕作者も同じ税負担を負っている。ポーランドの国境からアイルランドの海岸まで、領主制、領主裁判所、封土、地代、賦役、封建的賦課租(権利)、ギルド、これらすべてが相似ている。時として名称まで同じである。さらに注目すべき点は、唯一の精神がこれらの類似した制度全体を支えている。ということである。思うに一四世紀には、ヨーロッパの社会、政治、行政、司法、経済、文芸の諸制度は、おそらく今日以上に多くの類似性を有していた。と言っても過言ではなかろう。今日にいたって、文明はあらゆる交流の道を開き、あらゆる障壁を低くしようと心がけているかに見える。

 このヨーロッパの古い制度は、どうして少しずつ弱体化し衰頽していったのか。この問題について説明することは、私の主題ではない。ここでは、一八世紀になって、この古い制度がいたるところで崩壊に瀕していたことを明らかにするだけにとどめよう。この衰頽は、一般にヨーロッパ大陸の東部ではさほど顕著ではなく、西部のほうで顕著だった。しかし、いたるところで老化と、しばしば老衰が現われていた。

2024年8月14日水曜日

20240813 太平洋戦争を題材とした諸作品から思ったこと

 おかげさまで、昨日投稿分の記事は、投稿翌日としては比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。また、そうした事情から気を良くして、本日もオリジナルにて記事作成を試みることにしました・・。そして、その題材は、昨日の投稿記事にて述べた加藤周一著「日本文学史序説」にしようと考えていましたが、今は8月15日の敗戦記念日に近いということもあり、太平洋戦争を題材として扱った各種書籍や映画などを題材としていきます。

 一言で太平洋戦争と云っても、1941~1945と四年近くも続き、また、その戦域も北はアリョーシャン列島から南はジャワやニューギニアまでと広大であり、さまざまな戦局で数多くの様相があったものと考えます。さて、そうした中で私が先ず挙げたいのは、大岡昇平による「俘虜記」です。

 こちらの作品は著者ご自身の従軍経験に基づくものであり、戦況も厳しくなった1944年春にフィリピンに送られ、その後、ルソン島の南に位置するミンドロ島の守備任務に就いて、しばらく経った12月に同島に米軍が大挙押し寄せました。それに対し、駐屯していた日本軍は敗退するのですが、その際、大岡昇平は体調を崩しており、撤退する部隊からはぐれ、単独で行動をとっていたなかで米軍の捕虜となりました。その後は、体調の回復とともに、診療所棟から一般の捕虜収容所に移され、そこでの、さまざまな出来事や生活の描写に、現代の我が国の社会にも通底する「何か」が少なからず描かれているのと思われるのです・・。そしてまた、その当作品から看取される現在にも通じると思しき要素とは、全て、いや殆どの場合、たとえ、それを認識したとしても、容易に改良・改変などは出来ないと思われることから、当作品は、読み進めるに伴い、徐々に暗鬱とした気分になってくるようなところがあると云えます・・。

 しかしそれでも、その容赦のない率直な描写には、読み手を惹き込ませるものがあり、それでもやはり、最後まで「救い」といったものはありません・・。また、同じくフィリピン戦域に従軍していた山本七平による旧日本軍を題材とした諸著作からもまた、さきの大岡昇平とは異なるものの、我が国社会において広く認められる、さまざまな性質について言及しており、これもまた、読み進めていますと、さきの「俘虜記」と同様、暗鬱とした気分になってきます・・。

 いや、おそらく、太平洋戦争末期の我が国を題材とした著作・作品で、読んでいて楽しくなるようなものは稀有であるのだと思われますが、その視座から、他の著作を検討してみますと、ジョン・ト―ランドによる「大日本帝国の興亡」全五巻のうち、真ん中の三巻目からは、南太平洋のガダルカナル島での戦況の推移、そして玉砕に続き、さらに日本本土に近いサイパン島の玉砕で巻を終えるのですが、さらに先の四巻目から最終五巻終盤にまで至ると、さらに悲惨な描写が続き、眉間に皺が入り、自然体で読み進めることが困難になってきます・・。しかし、たとえ、そうであったとしても、こうした史実を扱った著作や記述を読み、当時のさまざまな様相を知ることは、我々日本人にとって(きわめて)重要なことであり、あるいは、戦後79年となり、当事者世代の方々がもう既に殆どご存命でなくなったことから、さきのような「陰惨にして重要な記憶」が社会で共有することが困難になっていることを背景として、昨今の世界各地での争いや緊張の高まりが生じているのではないかとも思われるのです・・。そこで我々後発の世代が、こうした世界規模での潮流に対抗するためには、たとえ当事者世代の生の記憶でなくとも、かつて、こうした悲惨な歴史・史実があったことを忘れないようにする、ほぼ無意識化、ルーチン化された活動があるのではないかと思われます。そしてまた、おそらく、そうした所為を個々の義務感のみに訴えても、継続することは困難であろうと思われることから、そうしたことを、より本能に近い領域で駆動出来るような、ある種変った方々が社会に一定数いることが、思いのほかに重要ではないかと思われる次第です。そして、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

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どうぞよろしくお願い申し上げます。





 

2024年8月13日火曜日

20240812 先日の2240記事到達を知って思ったこと

 一昨日の記事投稿により、総投稿記事数が2240に到達していました。昨今は、記事数をあまり気にせずに作成していたことから、思いのほかに高頻度での投稿による記事数に少し驚かされました。またここ最近は、引用記事を主として作成しており、これは、オリジナルでの記事作成と比べ、渾身とはいえないことから、総投稿記事数を気にする習慣も薄らいでいたのだとも云えます。

 ともあれ、そうして迎えた2240記事ですが、相変わらず、その実感や達成感は皆無であり、何やらここまで来ますと、闇雲に無感動のままで、ただ記事数を積み上げているといった観すらあります・・(苦笑)。そうしたことから、何と云いますか、自分がブログ記事の作成を継続しているという実感もまた希薄化してくるわけですが、しかしながら、現在このようにブログ記事の作成が出来ている背景には、それを成立せしめてきた環境があり、その環境によって紆余曲折を経ながらも、何とか9年以上にわたり、当ブログを継続することが出来ています。そして、そうした背景・経緯があって、はじめて、オリジナル・引用の何れであれ、先ほどのように躊躇なく記事作成に取り組むことが出来るのだと云えます。ともあれ、そのようにして私にとってのブログ記事の作成は、半ば習慣化しているのだとも云えますが、同時に、取り掛かるまでには記事作成が億劫に感じられ、やりたくないと思うこともまた度々あります・・。それでも、ルーチンとして記事の作成していますと、徐々に興に乗ってくるのか、少なくとも、このあたりまでの文章は、あまり時間を要せずに作成することが出来るようになったとは云えます・・・。

 また、それに加えて、以前より数冊の書籍も読み進めており、そこにある、いわばさまざまな文語に対する「慣れ」の意識や親近感もまた、こうした文章作成においては重要であると私は考えます。さて、この読み進めている書籍については、過日(7/23)の投稿記事で、加藤周一による「日本文学史序説」上下巻を挙げましたが、この題材はまた後日、あらためて作成したいと考えていますが、当著作が私にとって意義深いものと考える理由は、当著作は、2013年に学位取得以降はじめて、ある程度身を入れて通読した人文系の著作であったからなのですが、また、それと同時に、当ブログの開始初期(2015~2016)の頃は特に、当著作の通読経験に支えられて、どうにかブログを継続することが出来たのだとも云えます。あるいは、その他のこうした私にとって重要な著作を挙げてみますと、たとえば昨今は、敗戦記念日に近い時期でもあることから、太平洋戦争を思い起こすために、大西巨人による「神聖喜劇」全巻、あるいはもう少しライトな文量ですと、大岡昇平による「俘虜記」などの読書経験は、自分にとって印象深いものであったと云えます。そして、こうした読書経験は、おそらくある程度年齢が若く、感性が生き生きとしている時期(具体的には30代前半まで)に積んでおいた方が良いと考えています。そして、こうした視座からも、我が国の高等教育は、いま少し考えをあらためた方が良いのではないかとも私は考えます。

 そして、この我が国の高等教育については、以前から当ブログやエックス(旧ツイッター)にて述べている医療・歯科医療・介護などの専門職を養成するための専門職大学の新設について、以前からボンヤリと考えていたことが、ここ最近の経験や読書によって、いま少し精密に言語化出来るようになったと思われることがあり、それをまた、近日中にブログ記事として作成したいと考えています。

 以上のことから、ここ最近は引用記事が主ではありましたが、しかし引用記事の作成による当該記述の対自化によって、その記述内容と類似、近似あるいは対立する見解が含まれる既投稿のオリジナル・引用の記事が新たに想起されてくることは、毎度それなりに面白いものであり、そこでの自分なりの発見を当ブログやエックス(旧ツイッター)などで共有して、そして、そこに興味を持って頂ける方々が、たとえわずかではあれ、いらっしゃるのであれば、それらを投稿、連携して示した私としては、やはり僥倖と評して良いのではないかと思うところです。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


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2024年8月11日日曜日

20240810 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「ホモ・デウス」下巻  pp.74-76より抜粋

河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「ホモ・デウス」下巻 
pp.74-76より抜粋
ISBN-10 : 4309227376
ISBN-13 : 978-4309227375

 ジャーナリストのマーク・ボウデンは、ベストセラーになった著書「ブラックホーク・ダウン」の中で、ソマリアのモガディシュにおけるアメリカ兵ショーン・ネルソンの一九九三年の戦闘経験を同じような言葉で描いている。

 そのときの気持ちを説明することは難しかった…物事の本質が突然明らかになる瞬間に似ていた。死の瀬戸際にあって、かつてないほどの生命感を覚えていた。死が自分をかすめるように過ぎていったと感じた瞬間は、それまでの人生にもあった。疾走してきて急カーブが曲がり切れなかった車が、やはり飛ばしていたいたこちらの車と、間一髪で正面衝突を免れたときのように。この日彼はあのときの気持ちで、死が自分の顔にまともに息を吹きかけてくるのを感じながら生きていた…一瞬一瞬、三時間以上にわたって…戦闘は…完璧な精神的・肉体的自覚の状態だった。路上にいたその間、彼はショーン・ネルソンではなかった。外の世界とは何の結びつきもなく、支払わなければならない請求書もなければ、感情のつながりもない。何もなかった。このナノ秒から次のナノ秒へと命をつなぎ、一息ずつ呼吸を繰りかえし、そのどれもが最後になるかもしれないことを完全に自覚している一人の人間にすぎなかった。もうけっしてそれまでの自分ではいられなくなると感じた。

 アドルフ・ヒトラーも、自分の戦争体験で変わり、目を開かれた。「わが闘争」の中で語っているように、彼の部隊が前線に到着して間もなく、兵士たちの当初の熱狂が恐れに変わり、めいめいがあらゆる神経を張り詰めさせ、圧倒されまいとして、その恐れに対して激しい内なる戦争をしなければならなかった。ヒトラーは、一九一五年から翌年にかけての冬にこの内なる戦争に勝ったと言っている。「ついに私の意志が明白な主人となった…今や私は落ち着き払い、決然としていた。そして、それは永続的なものだった。今や運命が究極の試練をもたらそうとも、神経をずたずたにされることはないし、分別を失うこともありえなかった」

 戦争の経験はヒトラーにこの世界についての真実を暴いて見せた。そこは自然選択の無慈悲な法則が心配するジャングルなのだ。この真実を認めるのを拒む者は生き残れない。成功したければ、このジャングルの法則を理解するだけでなく、それを喜んで受け容れなければならない。これは強調するべきだが、戦争に反対する自由主義の芸術家たちとまさに同じで、ヒトラーも平凡な兵士たちの経験を神聖視した。それどころか、ヒトラーの政治面での経歴は、二〇世紀の政治で一般大衆の個人的経験に与えられた莫大な権威の有数の例になっている。ヒトラーは高級将校ではなく、四年間の戦争中、階級は兵長止まりだった。彼は正式な教育を受けておらず、専門的技能も持たず、政治的背景もなかった。羽振りが良い実業家でも、労働組合の活動家でもなく、有力な友人や親族もおらず、たいしたお金も持っていなかった。初めはドイツ国政さえなかった。彼は無一文の移民だったのだ。

 ドイツの有権者に訴えて信頼を求めるとき、ヒトラーには頼みの綱はたった一つしかなかった。大学や総司令部や省庁ではけっして学べないことを塹壕での経験で学んだという主張だ。人々が彼を支持し、票を入れたのは、その姿に自分自身を重ねたからであり、彼らもまた、この世界はジャングルだ、私の命を奪わないものは私をより強くする、と信じていたからだ。

 自由主義がもっと穏やかな国家主義のバージョンと一体化して個々の人間のコミュニティの唯一無二の経験を守ろうとしたのに対して、ヒトラーのような進化論的な人間至上主義者は、特定の国々が人間の進歩の原動力であると考え、それらの国々は誰であれ行く手を遮る者を打ち倒し、根絶しさえするべきであると結論した。とはいえ、ヒトラーとナチスは進化論的な人間至上主義の極端なバージョンの一典型にすぎないことは、忘れてはならない。スターリンが強制労働収容所を造ったからといって、社会主義の考え方や主張がすべて自動的に無効になりはしないのとちょうど同じで、ナチズムが惨事を引き起こしたからといって、何であれ進化論的な人間至上主義が提供してくれる見識を私たちが見逃すことがあってはならない。ナチズムは、進化論的な人間至上主義と特定の人種理論や超国家主義的感情が組み合わさって生まれた。進化論的な人間至上主義者がみな人種差別をするわけではないし、人類はさらに進化する可能性があると信じている人がみな、必ずしも警察国家や強制収容所の設立を求めるわけでもない。

 アウシュヴィッツは、人間性の一部をそっくり隠すための黒いカーテンの役割ではなく、血のように赤い警告標識の役割を果たすべきだろう。進化論的な人間至上主義は近代以降の文化の形成で重要な役割を演じたし、二一世紀を形作る上で、なおさら大きな役割を果たす可能性が高い。