pp.124-127より抜粋
ISBN-10 : 4309227376
ISBN-13 : 978-4309227375
物語る自己は、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編「問題」のスターだ。この小説は、ミゲル・デ・セルバンテスの有名な小説の題名の由来となったドン・キホーテにかかわる。ドン・キホーテは自分の空想の世界を創り出し、その中で世の中の不正を正す伝説の騎士となり、巨人たちと戦ってドゥルシネーア・デル・トボーソという姫を救うために出かけていく。現実には、ドン・キホーテはアロンソ・キハーノという年寄りの郷士で、高貴なドゥルシネーアは近くの村に住む粗野な農民の娘であり、巨人たちというのは風車だ。もしこうした空想を信じているせいでドン・キホーテが本物の人物を襲って殺してしまったらどうなるだろう、とボルヘスは考える。人間の境遇についての根本的な疑問をボルヘスは投げかける。私たちの物語る自己が紡ぐ作り話が自分自身あるいは周囲の人々に重大な害を与えるときには何が起こるのか?主な可能性は三つある、ボルヘスは言う。
たいしたことは起らないというのが第一の可能性だ。ドン・キホーテは本物の人間を殺してもまったく気にしない。妄想の力がまさに圧倒的で、彼は現実に殺人を犯すことと、空想の巨人『実は風車)と決闘することの違いがわからない。別の可能性もある。ドン・キホーテは人を殺めた後、途方もない戦慄を覚え、その衝撃で妄想から目覚める。これは若い新兵が祖国のために死ぬのは善いことだと信じて戦場に出たものの、けっきょく戦争の実情を目の当たりにしてすっかり幻滅するというのと同じ類だ。
だが、第三の、はるかに複雑で深刻な可能性もある。空想の巨人と戦っているかぎりは、ドン・キホーテは真似事をしているにすぎない。ところが彼は、誰かを本当に殺したら、自分の空想に必死にしがみつく、自分の悲惨な悪行に意味を与えられるのは、その空想だけだからだ。矛盾するようだが、私たちは空想の物語のために犠牲を払えば払うほど執拗にその物語にしがみつく。その犠牲と自分が引き起こした苦しみに、ぜがひでも意味を与えたいからだ。
これは政治の世界では、「我が国の若者たちは犬死はしなかった」症候群として知られている。イタリアは一九一五年、三国協商側について第一次世界大戦に参戦した。イタリアが掲げた目的は、トレントとトリエステという、オーストリア=ハンガリー帝国に「不当に」占拠された二つの「イタリア」領を「解放する」ことだった。イタリアの政治家たちは議会で熱弁を振るい、歴史的な不正を正すことを誓い、古代ローマの輝きを取り戻すことを約束した。何十万ものイタリア人新兵が「トレントとトリエステのために!」と叫びながら前線に出た。彼らは楽勝になるものとばかり思っていた。
だが、現実はそれに程遠かった。オーストリア=ハンガリー軍はイゾンツォ川に沿って強力な防御線を張っていた。イタリア兵たちは一一度の血なまぐさい戦いでその防御線に襲いかかったが、せいぜい数キロメートル前進しただけで、ついに突破できなかった。最初の戦いで約一万五〇〇〇のイタリア兵が死傷したり捕虜になったりした。二度目の戦いではイタリアは四万の兵を失った。三度目の戦いの損害は六万人にのぼった。こうして一一度目の交戦まで、恐ろしい月日が二年続いた。その後ついにオーストリア軍が反攻に転じ、カポレットの戦いという名でよく知られる一二度目の戦いでイタリア軍を完膚なきまでに打ちのめし、ヴェネツィアのすぐ手前まで押し戻した、輝かしい冒険は大虐殺に変った。戦争終結までに七〇万近いイタリア兵が戦死し、一〇〇万人以上が負傷した。
イゾンツォ川沿いの最初の戦いに敗れた後、イタリアの政治家たちには二つの選択肢があった。彼らは誤りえお認めて平和条約に調印すると申し出ることができた。オーストリア・ハンガリーはイタリアに何の賠償も請求していなかったし、喜んで講和したことだろう。はるかに強敵のロシアを相手に生き残るための戦いに忙殺されていたからだ。とはいえ政治家たちは、何千ものイタリア人戦死兵の親や妻や子供たちのもとを訪ねて、「申し訳ありません。手違いがありました。どうか、あまりひどく悲しまないでいただきたいのですが、お宅のジョヴァンニさんは犬死にしました。マルコさんも同様です」などとどうして言えるだろう?その代わりに、こう言うことができる。「ジョヴァンニさんもマルコさんも勇敢でした!二人はイタリアがトリエステを取り戻すために亡くなったのであり、私たちはけっして二人の死を無駄にしません。勝利を収めるまで、断固戦い続けます!」驚くまでもないが、政治家たちはまたしても、戦い続けるのが最善だと判断した。「我が国の若者たちは犬死はしなかった」からだ。
もっとも、政治家だけを責めることはできない。一般大衆も戦争を支持し続けた。そして戦後、イタリアが要求した領土すべてを獲得するわけにはいかなかったとき、この国民の民主主義はベニート・ムッソリーニとその配下のファシストたちに政権を委ねた。ムッソリーニらが、イタリア人が払ったあらゆる犠牲に対して適切な補償を獲得すると約束したからだ。政治家が親たちに、息子さんはろくな理由もなく犠牲になりましたと告げるのは難しいものの、我が子が無駄な犠牲を払ったと親自身が認めるのははるかにつらい。そして、犠牲者にとってはなおさら困難だ。両脚を失って体が不自由になった兵士は、「両脚を失ったのは、身勝手な政治家たちを信じるほど私が馬鹿だったからだ」と言うよりも、「イタリアという永遠の国家の栄光のために自分を犠牲にしたのだ」と自分に言い聞かせたいだろう。そのような幻想を抱いて生きるほうがずっと楽だ。その幻想が苦しみに意味を与えてくれるからだ。
聖職者たちはこの原理を何千年も前に発見した。無数の宗教的儀式や戒律の根底にはこの原理がある。
ISBN-10 : 4309227376
ISBN-13 : 978-4309227375
物語る自己は、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編「問題」のスターだ。この小説は、ミゲル・デ・セルバンテスの有名な小説の題名の由来となったドン・キホーテにかかわる。ドン・キホーテは自分の空想の世界を創り出し、その中で世の中の不正を正す伝説の騎士となり、巨人たちと戦ってドゥルシネーア・デル・トボーソという姫を救うために出かけていく。現実には、ドン・キホーテはアロンソ・キハーノという年寄りの郷士で、高貴なドゥルシネーアは近くの村に住む粗野な農民の娘であり、巨人たちというのは風車だ。もしこうした空想を信じているせいでドン・キホーテが本物の人物を襲って殺してしまったらどうなるだろう、とボルヘスは考える。人間の境遇についての根本的な疑問をボルヘスは投げかける。私たちの物語る自己が紡ぐ作り話が自分自身あるいは周囲の人々に重大な害を与えるときには何が起こるのか?主な可能性は三つある、ボルヘスは言う。
たいしたことは起らないというのが第一の可能性だ。ドン・キホーテは本物の人間を殺してもまったく気にしない。妄想の力がまさに圧倒的で、彼は現実に殺人を犯すことと、空想の巨人『実は風車)と決闘することの違いがわからない。別の可能性もある。ドン・キホーテは人を殺めた後、途方もない戦慄を覚え、その衝撃で妄想から目覚める。これは若い新兵が祖国のために死ぬのは善いことだと信じて戦場に出たものの、けっきょく戦争の実情を目の当たりにしてすっかり幻滅するというのと同じ類だ。
だが、第三の、はるかに複雑で深刻な可能性もある。空想の巨人と戦っているかぎりは、ドン・キホーテは真似事をしているにすぎない。ところが彼は、誰かを本当に殺したら、自分の空想に必死にしがみつく、自分の悲惨な悪行に意味を与えられるのは、その空想だけだからだ。矛盾するようだが、私たちは空想の物語のために犠牲を払えば払うほど執拗にその物語にしがみつく。その犠牲と自分が引き起こした苦しみに、ぜがひでも意味を与えたいからだ。
これは政治の世界では、「我が国の若者たちは犬死はしなかった」症候群として知られている。イタリアは一九一五年、三国協商側について第一次世界大戦に参戦した。イタリアが掲げた目的は、トレントとトリエステという、オーストリア=ハンガリー帝国に「不当に」占拠された二つの「イタリア」領を「解放する」ことだった。イタリアの政治家たちは議会で熱弁を振るい、歴史的な不正を正すことを誓い、古代ローマの輝きを取り戻すことを約束した。何十万ものイタリア人新兵が「トレントとトリエステのために!」と叫びながら前線に出た。彼らは楽勝になるものとばかり思っていた。
だが、現実はそれに程遠かった。オーストリア=ハンガリー軍はイゾンツォ川に沿って強力な防御線を張っていた。イタリア兵たちは一一度の血なまぐさい戦いでその防御線に襲いかかったが、せいぜい数キロメートル前進しただけで、ついに突破できなかった。最初の戦いで約一万五〇〇〇のイタリア兵が死傷したり捕虜になったりした。二度目の戦いではイタリアは四万の兵を失った。三度目の戦いの損害は六万人にのぼった。こうして一一度目の交戦まで、恐ろしい月日が二年続いた。その後ついにオーストリア軍が反攻に転じ、カポレットの戦いという名でよく知られる一二度目の戦いでイタリア軍を完膚なきまでに打ちのめし、ヴェネツィアのすぐ手前まで押し戻した、輝かしい冒険は大虐殺に変った。戦争終結までに七〇万近いイタリア兵が戦死し、一〇〇万人以上が負傷した。
イゾンツォ川沿いの最初の戦いに敗れた後、イタリアの政治家たちには二つの選択肢があった。彼らは誤りえお認めて平和条約に調印すると申し出ることができた。オーストリア・ハンガリーはイタリアに何の賠償も請求していなかったし、喜んで講和したことだろう。はるかに強敵のロシアを相手に生き残るための戦いに忙殺されていたからだ。とはいえ政治家たちは、何千ものイタリア人戦死兵の親や妻や子供たちのもとを訪ねて、「申し訳ありません。手違いがありました。どうか、あまりひどく悲しまないでいただきたいのですが、お宅のジョヴァンニさんは犬死にしました。マルコさんも同様です」などとどうして言えるだろう?その代わりに、こう言うことができる。「ジョヴァンニさんもマルコさんも勇敢でした!二人はイタリアがトリエステを取り戻すために亡くなったのであり、私たちはけっして二人の死を無駄にしません。勝利を収めるまで、断固戦い続けます!」驚くまでもないが、政治家たちはまたしても、戦い続けるのが最善だと判断した。「我が国の若者たちは犬死はしなかった」からだ。
もっとも、政治家だけを責めることはできない。一般大衆も戦争を支持し続けた。そして戦後、イタリアが要求した領土すべてを獲得するわけにはいかなかったとき、この国民の民主主義はベニート・ムッソリーニとその配下のファシストたちに政権を委ねた。ムッソリーニらが、イタリア人が払ったあらゆる犠牲に対して適切な補償を獲得すると約束したからだ。政治家が親たちに、息子さんはろくな理由もなく犠牲になりましたと告げるのは難しいものの、我が子が無駄な犠牲を払ったと親自身が認めるのははるかにつらい。そして、犠牲者にとってはなおさら困難だ。両脚を失って体が不自由になった兵士は、「両脚を失ったのは、身勝手な政治家たちを信じるほど私が馬鹿だったからだ」と言うよりも、「イタリアという永遠の国家の栄光のために自分を犠牲にしたのだ」と自分に言い聞かせたいだろう。そのような幻想を抱いて生きるほうがずっと楽だ。その幻想が苦しみに意味を与えてくれるからだ。
聖職者たちはこの原理を何千年も前に発見した。無数の宗教的儀式や戒律の根底にはこの原理がある。
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