2023年11月25日土曜日

20231125 株式会社文藝春秋刊 山本七平著「山本七平ライブラリー11 これからの日本人」 pp.346‐349より抜粋

株式会社文藝春秋刊 山本七平著「山本七平ライブラリー11 これからの日本人」
pp.346‐349より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4163647104
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4163647104

「キリスト教はイエス・キリストに始まる」は一種の常識だが、「キリスト教はアレクサンドロス大王に始まる」という妙な言葉もあるといえば、驚く人もいるであろう。この言葉は字義どおりには正しくないが、キリスト教の母体となった新約聖書、その新約聖書へと結実した一つの時代の起点をアレクサンドロス大王とその時代に置くことは、むしろ通説といってよい。

 アレクサンドロスの東征とその文化政策はヘレニズム圏を拡大したが、このことは同時に、彼と彼の後継者の広大な支配地における東方文化が、逆にギリシャ語圏に浸透して行くルートを開拓することにもなった。さらに彼の帝国の主要部分がローマの勢力圏にはいると、地中海周辺の全文化圏を統合する広大な「コイネー・ギリシャ語圏」ができ上った。ローマ人はギリシャを征服したが、文化的には逆にギリシャに従属したため、この世界は一つの共通言語で総括できる文化圏になったわけである。コイネーは「共通」の意味、そして新約聖書の言語は基礎をこのコイネー・ギリシャ語に置いており、その基礎を置いたのがアレクサンドロス大王だったわけであるーといっても新約聖書は、各書によって非常に差はあるが、しかしもしこれがアレクサンドロス東征以前の共通語「アラム語」で記されていたら、ローマ圏への浸透は考えにくく、現代のようなキリスト教文化の成立はあり得なかったであろう。当時のローマ圏では新約聖書成立期にもそれ以後にも、著作はギリシャ語で行うのが普通であり、有名なローマ人プルタルコスの記した「英雄伝」もユダヤ人のヨセフスやフィローンの著作も、また初代キリスト教の多くの文書もみなローマ圏の国際語ギリシャ語で書かれ、その結果、広大な全地中海圏への浸透が可能だったわけである。

「七十人訳」の影響

ギリシャ語がイエスの時代にすでに深くパレスチナに浸透していたことは、その弟子に純然たるギリシャ名の者がおり、それを少しも不思議としなかったことでも明らかだが、同時にこのことは逆方向への浸透もすでに始まっていたことを物語っている。新約聖書がギリシャ語圏に浸透する前に、まず旧約聖書が浸透していなければ、旧・新約聖書を一体としてこれを正典としたキリスト教は成立し得ない。従って西欧におけるキリスト教文化の成立の基礎を提供したものは、イエスの生まれる200年以上前になされた旧約聖書のギリシャ語への翻訳であった。ヘブル語から訳されたこの旧約聖書のことを通常「七十人訳聖書」と言い、これまたアレクサンドロス大王に起因する西欧キリスト教文化発生の最も大きな出来事の一つである。

 この聖書が七十人訳と言われるのは、この翻訳がエジプトでプトレマイオス二世(アレクサンドロスの部将であったプトレマイオス・ソーテールの後継者。在位前283―前247年)のとき、王命によりイスラエル十二部族からそれぞれ六名ずつ選ばれた計七十二人の「最高の名声を持つへブル人」によってなされたと記す「アリステアスの手紙」という文書に基づく。だがこれは伝説の集録を基にした権威づけのための創作と思われ、現実には、アレクサンドリアに住むユダヤ人二世、三世のために、相当長期間にわたって徐々に訳されていったものと思われる。そしてこの翻訳が必要だったのは、当時すでに多くのユダヤ人が海外、特にエジプトに移住し、へブル語聖書が読めないユダヤ人二世、三世が生じてきたからであった。というのは、これの翻訳が始まったと思われる前三世紀より三百年も昔、すなわちエルサレムが陥落し、上層の人びとがバビロニアへ強制移住させられた、あの「バビロン捕囚」のときにも、多くのユダヤ人がエジプトの地にのがれたことが記されているからである。それらに関する記述は決して少なくないが、直接的な史料としては、ナイルのエレファンティン島のユダヤ人武装植民者―いわば一種の屯田兵として、川上からのスダン人の侵入を警戒し、同時にその地に植民者として住む―のアラム語の手紙「エレファンティネ・パピリ」が残っている。またある時期のアレクサンドリアは人口の半分以上がユダヤ人であったとも記されている。

 七十人訳は「人類最初の正典の翻訳」と言われ、文化史的には大きな意義をもつが、その目的はいわば「同胞のため」であり、決して他民族への伝道もしくは浸透を目的としたものでなく、またパレスチナでの使用を目的としたものでもなかった。とはいえ、ユダヤ人のローマ圏への移住が進むとともに七十人訳の伝播も広がり、同時にパレスチナの地の一般民衆の通常用語がアラム語になり、へブル語が「敷衍訳的解説つき」でないとわからなくなると、七十人訳が逆に「ギリシャ語化したパレスチナ」にまで影響を与えても不思議ではなかった。新約聖書の旧約聖書からの引用の多くが七十人訳によっていることを、学者は指摘している。
 移住したユダヤ人は会堂(シナゴーグ)を中心に生活していたが、彼らはこれを非ユダヤ人にも開放した。ギリシャ人からの改宗者も少なくなく、その人たちは改宗者として新約聖書にも登場するし、ルカ福音書を記した医者ルカはギリシャ人だと思われる。そしてこの人たちが正典としたのがこの七十人訳であった。いわば旧約聖書は、広いローマ圏のどこでも、そのローマ圏の共通語で読まれ、かつ説かれたわけである。そしてローマの帝政時代には、外来の新宗教へのローマ人、ギリシャ人の改宗は決して珍しくなく、ある時期のローマは、今の日本の新興宗教のようにあらゆる外来宗教が、それぞれ隆盛をきわめ、その中には後にキリスト教と宗教的覇権を争ったミトラス教もある。以上のような状態を背景として、パレスチナからローマ圏内の諸会堂へと巡回して講演・伝道旅行をする師(ラビ)たちも決して少なくなく、これも亦新約聖書に登場するし、イエス時代にはダマスクスの女性の半分がユダヤ教徒になったという記録もある。以上のように西欧への聖書の浸透は長い期間を経て徐々に行われたわけで、七十人訳からテオドシウス帝がキリスト教をローマ帝国の国教にするまでには、六百年以上の歳月が流れている。

2023年11月24日金曜日

20231123 株式会社講談社刊 養老孟司・茂木健一郎・東浩紀著「日本の歪み」pp.233‐236より抜粋

株式会社講談社刊 養老孟司・茂木健一郎・東浩紀著「日本の歪み」pp.233‐236より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4065314054
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4065314050

茂木 核の脅威といえば、キューバ危機(1962年)は覚えていますか。

養老 覚えていますよ。新聞が大きく書いているなっていう。

東 ネットがない時代の感覚ですね。いまならば毎日ニュースが出てSNSが大騒ぎになるはずです。

茂木 米ソの核戦争を描いたキューブリックの映画「博士の異常な愛情」は、翌年の63年に公開されているんですね。やっぱり天才だなあ。あのようなコメディが、日本のお笑いの文化からは全く欠けています。人類の存亡の危機こそを、笑いによってメタ認知しなければならない。そうしないと、いざというときにまともな判断ができません。日本のお笑いは、自分たちで重要なことを判断しなくてもいいと思いこんでいる人たちの文化だとおもうのです。それから時代が流れて、ベトナム戦争はどんな感じだったんですか。

養老 ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)がうるさかったという印象です。

茂木 三島由紀夫の割腹自殺事件(1970年)はどうご覧になりましたか。

養老 司馬遼太郎が、あの演説を見ていた自衛隊の反応に対して、日本の社会は健全と書いていましたが、同じような反応でした。僕も含め、いわゆる普通の人は「変な人だな」くらいに見ていたように思います。あれを大きな問題と捉えて騒いだのはインテリ層だけだったのではないでしょうか。

東 三島由紀夫は日本近代の歪みを正そうとした作家だと言われます。しかし所詮はインテリのあいだのゲームでしかなかったと。

養老 そう思います。だから冷めていた。

茂木 前にも述べたように、僕は生物学的年齢に基づく世代論にはあまり与しませんが、何歳でそれを経験したかというのは大きいと思っていて、三島事件のとき養老さんは33歳で、僕は小学校2年生で8歳でした。東さんは生まれていないですね。

東 僕は71年生まれですから、生まれていません。

養老 三島事件より、むしろ連合赤軍のほうがひしひしと感じました。

茂木 あさま山荘事件が1972年ですね。テレビで立て籠もりの中継を見ていたのを覚えています。鉄球がんがんぶつかっているところを学校から帰ってきて見ていたなあ。養老先生は大学の医学部で教員をされていた頃ですよね。

養老 そうです。行くところまで行ったな、という感じでした。

茂木 テルアビブ空港乱射事件も1972年です。

養老 まだやっているのかという感じでしたが、医学部では教授会に入ってきて机をひっくり返すような赤軍派のやつが現にいましたから、それどころではなかった。

茂木 あの頃はよど号ハイジャック事件(1970年)も三菱重工ビル爆破事件(1974年)もあったし、いまから考えるとすごい時代ですよね。

東 丸の内で爆破事件が起こるなんて、いまではなかなか想像ができない。

養老 この国は暴力手段を持つと絶対にそれをコントロールできないで振り回しますから。今回の防衛費増額の話も大丈夫かよと思います。

茂木 本当にそうですよね。文官が軍人をコントロールできるとは思えない。

東 ウクライナ戦争以降、「平和が大切」と言うとバカ扱いされる空気が出来てしまいました。軍事評論家や国際政治学者の発言がリアリズムがあり、平和などと言うのはオールド左翼だという対決の構図が作られてしまいましたが、本当はいまこそみなで平和について考えるべきですよね。

養老 僕は「平和」ではなく「日常」と言っていますが、いちばん重要なのは日常だということが、この国では昔から通じていない気がします。

2023年11月23日木曜日

20231122 株式会社未來社刊 丸山眞男著 『後衛の位置から ー「現代政治の思想と行動」追補ー pp.120‐123より抜粋

株式会社未來社刊 丸山眞男著 『後衛の位置からー「現代政治の思想と行動」追補」ー pp.120‐123より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 462430036X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4624300364

これに関連して戦後に造語され、今日まで流通している「進歩的文化人」という言葉について注釈しておく必要があるのかもしれません。というのは、革命的知識人という言葉は世界中にありますが、「進歩的文化人」という呼称は日本独特だからです。本稿のはじめに「文化人」という範疇の登場にことに触れましたが、「進歩的」という形容詞は「文化人」のなかの小分けを示すものではないのです。その証拠に、「反動的文化人」とか「中道的文化人」という表現は一般に流通しないで、「進歩的文化人」という単一の呼称だけが存在するからです。「進歩的文化人」はもっぱら他称であり、しかも必ず罵倒や嘲笑の調子と結びついております。そこで対象とされているのは、主として護憲運動・反戦平和運動・アメリカ軍の基地問題・被差別部落問題、そうして最近は企業公害問題などで活潑に発言し、歴代の保守党政府を批判する論調を展開している知識人たちです。けれどもそれほどはっきりした特定グループを指示する言葉ではなくて、むしろヨリ大きく、彼等を攻撃する側のイメージの問題のように思われます。ここではただ、そうした「進歩的文化人」なるものへの攻撃ーそれはほとんどステロタイプ化しているのですがーにまつわる皮肉に言及するにとどめます。

 第一に進歩的文化人は、事実上そうであると否とにかかわりなく、社会党・共産党・総評等の現実の政治勢力と結びつき、こうした政府反対勢力をイデオロギー的に支援している者とみなされています。ところが現実の日本は、とくに1955年の保守合同の成立以来、引き続いて保守的(その一部は明確に反動的な)勢力が、政界・実業界・官界、そうして教育界にまで支配的位置を占め、その政治配置はほとんど固定しております。にもかかわらず、進歩的文化人は「時代の支配的潮流」に調子を合せ阿っている、といって告発されてきました。これは現実の政治的社会的な支配勢力が時代に逆行しているのか、そうでなければ、その告発がまったく実状から遊離しているか、どちらかでなければ辻褄の合わぬ論理です。

 第二の皮肉は、進歩的文化人に対する嘲弄が、ほとんどの場合、彼等の民主主義・平和主義についての言説が空虚な観念を弄んでいるだけで、現実を動かすのにまったく無力だということに向けられている点です。滑稽なことは、そうした嘲弄業者ー実際にそれはある種のテレビ番組や新聞雑誌で「職業化」しておりますーは、革新的知識人がヨリ有力になり、ヨリ現実への影響力を増すことを何より恐れているにもかかわらず、まさにその無力性と空虚性をあざけっているのです。それほど「進歩的文化人」に言説が無力なら放置しておいたらよさそうなものなのに、これら批判業者はまるで日本社会にはほかに批判の対象がないかのように、飽きもしないで今日まで「進歩的文化人」の攻撃をつづけております。ですから「進歩的文化人」の側はそうした攻撃をあまり気にせず、むしろ攻撃のヒステリックな激しさ自体が、攻撃者の論拠と反対のことーつまり自分たちが現実の状況になにがしかの影響を与えていることの証拠と受けとってもよいでしょう。

 第三に、「進歩的文化人」への非難は、戦時中は軍部・右翼勢力に迎合し、敗戦後にわかに「民主主義者」に鞍がえした、信用のおけないオポチュニストだというイメージと多かれ少かれ結びついております。もし「悔恨」をいうのなら、彼等の悔恨はにせものであり、自分の時局便乗を隠蔽するジェスチュアだ、ということになります。こういう非難や告発に値する知識人が、社会主義者やリベラルのなかに実際に存在することは、到底否定できません。私がここにも皮肉がある、というのは次の理由なのです。果してそういう思想的一貫性について非難されるに値するのは、いわゆる「進歩的文化人」だけでしょうか。そうでないことは、戦時中の記録を一べつしただけで分ります。戦後アメリカや「自由陣営」を守護神と仰ぐ政治家・実業家はいうに及ばず、反共主義者や保守的知識人のなかには、かつて大東亜共栄圏を祝福し、「鬼畜米英」を呼号した顔触れを見出すのに事欠きません。また現在「進歩的文化人」攻撃の斉唱に和している自称民主社会主義者のなかにも、かつてナチズムの組織力に讃嘆し、アングロサクソン的自由主義から訣別して全体主義への途を歩むのが、世界史的な必然を代表する我我の道程だとーいくらかマルクス主義的口調でー力説した知識人もおります。それなのに、どうして反戦平和運動や護憲運動に熱心な知識人だけが戦中の経歴を暴露されるのでしょうか。この点でも「進歩的文化人」たちは、自分たちへの非難の不正なことをこぼすよりむしろ、「中道的文化人」や「反動的文化人」―現実存在があるのにそういう言葉がないこと自体が象徴的なのですがーの場合よりは、自分たちに、思想的知的な整合性について、ヨリ道徳的に高い基準が適用さてていることを誇って然るべきではないでしょうか。

 イデオロギーの一貫性についての議論は、「一貫性」と「馬鹿の一つ覚え」との間に明瞭なけじめをつけることが困難であるかぎり、不毛な論争に堕しやすい。それよりは敗戦直後の悔恨や自己批判の原点を精神の内部に持続させている人々と、それを見事に忘却して変貌する今日の状況に適応している人々とを区別した方が、知識人の生き方の分岐としては、一層リアルな認識に導くように思われます。もちろん、まったく敗戦経験を持たない純粋に戦後派の知識人の場合は、また別の問題として論ずべき事柄です。

2023年11月21日火曜日

20231121 株式会社光文社刊 阪本浩著「古代ローマ帝国の謎」 pp.102‐105より抜粋

株式会社光文社刊 阪本浩著「古代ローマ帝国の謎」
pp.102‐105より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4334706363
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4334706364

共和政期も末、ポンペイウスという男は「予がどこであろうとイタリアの土地を一踏み踏めば、たちどころに歩兵、騎兵の軍勢が躍り出るであろう」(プルタルコス)「ポンペイウス伝」57吉村忠典訳)と豪語したという。共和国の中でなぜこんなことがいえたのだろうか。ローマの共和政は一体どうなってしまったのだろう。

 第一にクリエンテラについて考えねばなるまい。ローマでは、古くから社会的に有力な者と非力な者の間を「信義」(フィデス)で結ぶ一種の親分・古文関係が存在していた。これが「庇護関係」(クリエンテラ)とよばれるものであり、親分はパトロヌス、子分たちはクリエンテスと呼ばれた。親分は経済的、政治的に子分たちを助け、保護してやる。一方子分たちはその見返りに選挙のときなど、民会で親分のために組織票を投じたりするのである。有力政治家とこれから世に出ようとする若手政治家の間でならば、親分は選挙の時子分をバック・アップするなどして政界での出世を助け、一方子分は親分の手先となって働く。子分が政務官にでもなれば、親分にとって役に立つような法案を民会に出したりするわけである。ローマ社会にはこのような関係が上から下まで網の目のように張り巡らされていた。とくに共和制後期にそうなる「帝国」の拡大とともに有力な政治家たちはこの関係をローマの外にも拡大していく。例えば、ある軍指揮官がどこかの町を落としたとする。彼にはその住民を殺すか奴隷にする権限がある。しかしまたそうせずに、命を救ってやる代わりに自分の子分にしてしまうこともできたといわれる。むろん住民たちは喜んで忠誠を尽くすわけである。戦争で負けたわけでなくとも、地中海世界での自己の立場を考えて、ローマの有力者に私的に従属し、子分となる独立国の王侯も少なくなかった。

 共和政後期にはこれらの網の目が統合されていき、いわば親分たちの上に立つ大親分、クリエンテラのピラミッドの頂点に立つ大パトロヌスが出現した。民会には彼の子分たちが群を成して出席し、元老院では彼の手先が活躍し、政務官の中にも彼の息のかかかった何人もいる。海外にも、彼のためなら一肌脱いでやろうという王侯たちがいる。共和制末期の内乱には、こうした大親分同士の戦いという側面があるのである。そしていわゆる「三頭政治」というのはこうした大親分たちの取り決めともいえるのである。例のポンペイウスはその大ボスの一人だった。

 第二に、これは第一のクリエンテラと直結するのだが、ローマ正規軍が半ば私兵化した点にも注目しなければならない。「帝国」の拡大はローマ市民共同体の分解をもたらし、一部の有力者が広大な土地を「占有」し、そこに戦争によってもたらされた安価な奴隷の労働力を大量に投下し、大規模な商品生産を展開するに至る。一方ローマ国家の、そして国軍の中核であったはずの土地所有農民はその圧迫や、長びく従軍などによって没落し、土地を失っていった。彼らは従軍能力のない貧困市民となってしまうのである。これでは正規軍が維持できない。それに対処するために取られた処置が有名なマリウスの兵制改革であった。すなわち、武装自弁の原則を捨て、土地所有農民をあてにするのをやめて、貧困市民の中から将軍が自らの判断と出費によって志願兵を集め、軍団を編成するという方式である。当然その将軍が兵士たちを養うのであり、さらに退役後はどこかにその将軍が自分の出費でもって植民市を建設して、退役兵たちに土地と家を与えてやるという約束もされた。マイホームの夢、いやそれどころか忠勤すれば一文無しから生産手段を所有する自作農にしてもらえるかもしれないのである。したがって彼らは「愛国心」や「国防意識」をもって戦う市民軍の兵士などではなく、自分を金持ちにしてくれる有能で頼りがいのある親分のために戦う、半ば私兵的存在であった。こうしてローマの軍隊は、将軍である、頼りがいのある親分たちの軍隊になってしまったのである。先に述べた大親分たちは、これによって正規のローマ軍をも自分のために動員できるようになったわけである。それに外国の王侯たちも地中海世界各地から手勢を率いて馳せ参じてくれるかもしれない。そして元老院や民会では、子分たちがなんとかやりくりして、この軍隊を指揮するための「法的権限」を引き出し、自分に正当性を与えてくれるだろう。こうした大親分の最大の者が例のポンペイウスであり、そしてユリウス・カエサルだった。親分同士の流血の闘い、それが共和制末期の「内乱」の一側面だったのである。

2023年11月19日日曜日

20231119 「自分が比較的得意なこと」から思ったこと・・

昨日はオリジナルの文章によるブログ記事を投稿したため、本日は引用記事を作成しようと考えていましたが、昨日の投稿記事の閲覧者数が思いのほかに伸びていたため、少し気が大きくなったものか、さきほどから、本日分の投稿記事をオリジナルにて作成し始めました・・。

以前の投稿記事で述べたことではありますが、ここ最近は引用記事の作成が多かったものの、同時にオリジナルの文章作成自体も行っていたことから、昨日そして本日と、あまりブログ記事の作成に逡巡することはありません。しかし、肝心の記事テーマは未だ決まっておらず、先日来より「このことを書いてみたいな・・」とボンヤリ考えていたことをブログ記事にしてみたいと思います。

その「考えていたこと」は「自分が比較的得意なこと」です。私は幼い頃より兄弟と比較して成績全体としては多少低く、また科目毎での成績のバラツキも大きく、そして歴史系や現代文などは科目としてはとても好きでしたが、決して注目されるほどの良い成績でもなく、むしろ「好きではあるものの凡庸である」という評価が適切であったと云えます。

そしてまたおそらく、そうした性質とは、多くの場合、放置しておけば、そのまま自然に埋没していくのでしょうが、その時に「自分はその科目が得意である。」といった肯定的な認識があれば、自分なりに考えて自然に埋もれさせないように、意識した行動をとるのしょうが、私の場合、2013年に歯学分野(歯科生体材料学)にて、どうにか博士の学位取得にまで至りましたが、その後、その専門性はあまり活かされることなく、他方で、色々と生きるために活動をしていますと、次第にメッキが剥げて地金が出てくるものであるのか、歯学分野のことよりも、それまでの人生で、より長く興味を持ち続けてきたと云える人文社会科学分野の方に能動的な興味を憶えるようになり、そして現在に至っては、書店などで手に取って読む書籍の多くは、歴史や人文社会科学分野での書籍となりました・・(苦笑)。

こうした状況から「専門分野を忘れてしまったのか?」と思われ、あるいは非難される方々もいらっしゃるかもしれませんが、私の場合、指導教員不在の中でまさに薄氷を踏むような状況を経て(どうにか)学位取得に至り、またその後も学位を頂いた分野にて就職する機会は結果的になかったことから、おそらく学位取得から1~2年ほどで、先述のように人文系の地金が徐々にあらわれて、そしてまた、それによりブログ記事の文章も(どうにか)作成することが出来るようにもなり、2013年から2年後の2015年より当ブログが始まったのだと云えます・・。

しかしまた面白いもので、2015年から現在に至るまで、ブログ記事の作成を継続してはきましたが、それによって文章作成が上手になったかという自覚は皆無と云え、ただ、何かしらの文章を作成することは、以前と比べて出来るようになった実感はあるものの、それが自信などに結び付くといったことは残念ながらありません・・。

そのため、未だに当ブログのテーマなどを設けるようなことはなく、暗中模索の状況が続いているのですが、それでも8年間ほど続けていますと、当ブログに対して、ある種の思い入れも生じるものであり、現在となっては、当ブログそして、それを連携投稿するエックス(旧ツイッター)こそが、現時点での、私の主要な発信の場であるのではないかと考えるようになりました。しかし、それで「何かが変る」ということはなく、ただ、今しばらく続けようといった感じになります・・(苦笑)。年内での投稿記事数の目標は2100と以前に書きましたので、師走の来月になるまでに2080記事を越えるところまでは作成したいと願うところですが、さてどうなるでしょうか・・?

また、さきに述べた「自分が比較的得意なこと」につきましては、まだ書きたいことがありますので、本日はこのくらいで一端書き止めて、次に繋ぎたいと思います。

*そして今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

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2023年11月18日土曜日

20231118 「必ずしも好転が見込めるとは云えない現実」について思ったこと・・・内憂外患のさきにあるもの

書籍からの引用記事でなく、自らの文章によるブログ記事の投稿は、大体2週間ぶりとなりますが、特に気負うことも、気圧されることもなく、さきほどから書き進めている次第です。これはたしかに、久しぶりと云えば久しぶりであるのですが、しかし同時に、ブログ記事以外の文章を作成する機会は度々あったことから、ここでも比較的スムーズに書き進めることが出来ているのだと思われます。

また、さる10月7日の地中海東岸、中東のパレスチナ・ガザ地区のイスラム教スンニ派の民族・原理主義組織ハマースによる隣接するイスラエルへの越境・奇襲攻撃に端を発する現今の世界情勢の緊張は変わらず、そして「また世界の何処かで新たな大規模な戦闘が始まってしまうのではないか・・?」という危惧を抱きつつ報道動画を視聴する日々が続いています。

そういえば先日、おそらくは急な陽気の変化により、風邪をひいてしまいましたが、その時はさすがに体調が悪く、PCもスマホを見ませんでしたが、その際に報道動画を見ない方が気分が軽くなることに気付き、風邪が治りかけてきた先日、久しぶりにウクライナ・中東関連の報道動画を視聴しますと「必ずしも好転が見込めるとは云えない現実」に引き戻されるような感覚を憶えました。

しかしこの「必ずしも好転が見込めるとは云えない現実」は国際情勢のみならず、国内においてもまた同様であり、たとえば昨今の芸能界でのスキャンダルは、今なお解決の糸口をも見出すことが困難であり、そして、それだけに、この問題の我が国社会での根の深さを示しているのではないかと思われるのです・・。

その意味において、以前にも当ブログにて述べたことがありますが、近年は「内憂外患」というコトバが、すぐには思いつかないほどにまで日常的になってきたように感じられます・・。おそらく、我が国が平和の中で経済的繁栄を誇っていた記憶は既に過去のものとなり、そして、今後の我が国は、その記憶を傍らに置きつつ、国際・国内共に、それまでの過加工によって、新たに改変することが難しくなってしまった社会や各種制度に対して、対症療法的に、騙し騙し、少しづつ手を加えて、どうにか機能して延命をはかるようになっていくのではないかと思われますが、おそらく、そうしたフェーズもあまり長くは続かず、その先にさらに大きな東アジア全体をも巻き込むような出来事が生じるのではないかと思われるのです・・。北朝鮮のミサイルによる威嚇、韓国による継続的な実効支配下にある竹島の領土問題、西太平洋南部にて中国との領土問題を抱える台湾、フィリピン、ベトナムそして我が国といった事情は、おそらく、すべての当事国が納得するカタチで解決に至ることは、きわめて少ないと思われますので、これらが全てではないにしても、流血の事態、すなわち国際間の紛争が生じてしまう蓋然性をも念頭に置きつつ、より流血の事態を避けた施策を検討するのが良いのではないかと思われます。

*そして今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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2023年11月16日木曜日

20231115 株式会社新潮社刊 新潮選書 池内恵著「サイクス=ピコ協定 百年の呪縛」pp.128‐131より抜粋

株式会社新潮社刊 新潮選書 池内恵著「サイクス=ピコ協定 百年の呪縛」pp.128‐131より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4106037866
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4106037863

「サイクス=ピコ協定」がここまで人口に膾炙しているのも、実は世界史の教科書よりも、映画「アラビアのロレンス」で描かれたことが大きいのではないか。この映画が終盤に差し掛かる頃、ロレンスはカイロ駐在のドライデンという役名のイギリス植民地行政官から、サイクス=ピコ協定の存在を知らされる。ドライデンは、「サイクス=ピコ協定はイギリスの行政官であるサイクス氏と、フランスの行政官であるピコ氏が、イギリスとフランスが戦後にオスマン帝国の領土を分け合うことで合意した。そこにはアラビア半島も含まれる。二人は合意に署名した「協定」であって「条約」ではない」と嘯く。もちろん結果として戦後の現実はそのようなものになると分かっていながら、それは決して船中に結んだ正式な条約ではないのだから、それ以前にハーシム家のフサインに与えていた約束を破ったことにはならないのだ・・という帝国主義の詭弁を、この映画は実にいやらしく再現している。

 ドライデンは架空の人物だが、ケンブリッジ出の植民地行政官でアフリカや中東で要職を歴任したロナルド・ストーズや、フサイン=マクマホン書簡でハーシム家のフサインにアラブ人の独立王国を約束したエジプト高等弁務官のヘンリー・マクマホン、ロレンスと同様にオックスフォード大学の中東学者・考古学者で戦時にカイロで諜報部門を率いた、ロレンスの上司・先輩格であるデイヴィッド・G・ホガースなどがモデルになっていると言われる。

2 メディアと国際政治

 脚本の作り込みの精緻さに賛嘆させられるのは、主人公のロレンスを決して高潔な英雄として描かず、むしろ虚像を纏った人物としていることだ。時にはロレンス自身がその虚像を演じることを楽しんだ面があったとも示唆している。そのようなロレンスの心の揺れはそれ自体興味深いが、しかしより重要なのは「アラビアのロレンス」は当時の国際政治の中で求められた虚像であって、ロレンスはそれを演じるしかなかった、というところである。そのこともこの映画では描いている。

 第一次世界大戦では総力戦が戦われ、一般市民の士気を高め、内外の世論を味方につけることがより重要になった。世論を方向づけるメディアの役割は高まった。大戦中にロシアでは革命が生じ、新世界でアメリカが台頭し、英・仏の政府間の合意だけでは物事が決められなくなっていた。大戦中の報道で、「アラブの反乱」とその背後で暗躍したイギリス人連絡将校ロレンスに関心が高まったのも、イギリス市民の士気を維持し、アメリカ参戦を支持する世論を喚起する、格好の素材となったからといえよう。このことも映画「アラビアのロレンス」は冷静に見つめている。

 映画のハイライトはアラビア半島やシリアでの戦闘の場面である。しかし同時に、「アラブの反乱」はまさに「幕間の余興」に過ぎなかった、とイギリスの植民地行政官が語る。これは客観的には正しい。第一次世界大戦の主戦場はドイツとフランスの間の西部戦線であり、ドイツとロシアの間の東部戦線だった。イギリスは主戦場から敵の勢力を分散させるために、ドイツと同盟したオスマン帝国のアラブ地域を攪乱する戦法を採った。そしてアラブ地域での戦線も、より重要なのは、インド植民地から派遣されたイギリス軍がバスラからバグダードに攻め上がったイラクでの戦闘だった。アラビア半島の紅海沿岸での「アラブの反乱」は、作戦上それほど大きな意味を持たなかっただろう。

 アラブの世界のその後を決定づけたのは、アラビア半島やシリアでの戦闘よりもむしろ、カイロの植民地統治の指導部の密室の協議であり、ロンドンやパリの列強の首都の閣議や会議であった。

 ロレンスには、そのような重要な会議で決定を行う権限はなかった。しかしロレンスは「アラビアのロレンス」として、別の重要な役割を負わされることになった。ロレンスそのものよりも、そしてアラビア半島での戦闘そのものよりも重要だったのは、「アラビアのロレンス」というイメージであり、それによって喚起された国際世論である。民族の独立が大国間の秘密外交に左右されざるを得ない状況への批判や、しかしその現実を受け入れざるを得ない諦めなど、複雑な、相互に矛盾する多くのものを集約したシンボルとして、「アラビアのロレンス」が、当時の主要媒体である新聞やニュース映画といったメディア上で作られていった。ロレンスの性格の「複雑さ」とは、彼個人に由来するよりも、ロレンスが体現した国際社会の複雑さを読み込んで、反映した部分が大きいのではないだろうか。