2021年8月23日月曜日

20210823 またしばらく記事作成を休んで思ったこと・・継続的な記事作成の効果?

 その後また、記事作成を行わない日がしばらく続きますと、何故であるのか、また作成してみたくなります。とはいえ、これまで6年以上にわたり、10日のうち7日は記事作成・投稿を行い、どうにか1600記事に到達出来たことから「少し休もう・・」と考えているなかで「作成してみたくなります。」とは、それぞれの反応しているところがおそらく異なり「休もう」と望んでいるのは「これまでのブログ継続期間で蓄積した慢性的な疲労を開放したい。」という、これまでの経験等を総合した「理性」から発せられるものであり、対して「作成してみたい。」の方は、さきに比べて、いわば瞬時の「反応」に近いものと云えます。

これまで数年間、継続的に記事作成を行ってきたのであるから、ここで1カ月、あるいは1年程度、記事作成を止めても特に問題はないと思われ、また実際に休みたいとも考えていますが、他方で、ここで、それを題材として記事を作成し、しかも、この程度まで文章を作成していることには、やはり矛盾するものがあると云え、ここですぐに作成を止めるべきではないかとも思われましたが、しかし、それでも、そこから数日経ってみますと、冒頭に述べたように「何やら文章を作成したい」といった心情がまた惹起されるのは、理性的なものとは云えず、より本能に近いところからの願望であるように思われるのです。

そうしますと、私はこれまで「本能に近いところの願望で文章を作成したい」と自覚したことはなかったため、あるいは、こうしたところに、どうにか記事作成を継続してきた軌跡のようなものがあるのではないかとも思われました。

つまり「ある程度の期間、継続的に文章を作成していると、いつの間にか、それが本能に近いところからの願望へと変化していくのではないか?」ということになりますが、他方においては、先日、1600記事に到達してから、特に内面での特段の変化はなく、また同様に、それに相応しい自信なども身に着いた自覚は皆無であると云えますが、しかし、より本能に近いところから、文章の作成を望むことが出来るようになったのであれば、たとえそれが毎日でなくとも、十二分な、あるいは望外の大きな成果であったと云え、また、40歳を過ぎても、まだ伸びしろは(どうにか)あることが認められ、さらに、そうした自己の発見から、現在読み進めているいくつかの著作への興味もまた更新されるように思われるのです・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
順天堂大学保健医療学部

順天堂大学医療科学部

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 


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~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

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連絡先につきましては以下の通りとなっています。

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2021年8月21日土曜日

20210820 記事作成休息期間に思ったこと・・

 1600記事への到達後は、書籍からの引用や既投稿記事に加筆修正したものを何度か投稿してきましが、気が付くと、早くも1606記事にまで至り、思いのほかに、次の目標となる1610記事も近いと感じられました。またそこから、新たな記事を作成してみようと思い立ち、さきほどより始めました。

とはいえ、以前にも述べましたが、現時点においては、継続的な記事作成を行うほどの意欲は未だ湧いておらず、また、これまでの区切り到達時と比べ、記事作成のための気力も枯渇気味であると云えます。しかし、おそらくそうしたことは、一カ月ほどの休息により回復が見込まれますので、ここは敢えて無理をしない方が良いのではないかと思われますが、同時に「記事を作成したい」と思い立った時は、それに乗じて作成することも悪いことではないと思われます。

ともあれ、こうした言訳や説得を自分自身に対して行いつつ、この程度まで書き進めることが出来たのであれば、それは既に上出来の部類と云え、あるいはまた、今後も生じるかもしれない、こうした状況(意欲と気力の枯渇)を改善する一手段にもなり得るのではないかとすら思われました。

さて、さきに「意欲と気力の枯渇」と述べましたが、それはあくまでも記事作成に対してであり、それら期間も書籍は何冊か読み続けていました。そして、先日どうにか読了に至った一冊は、現代ロシアの軍事について扱った新書でしたが、これは記述に出て来るタームの意味や背景となる歴史・文化的事情もよく分からないことが多かったために、苦労しながら読み進めましたが、記述自体は、深い知見に基づくものと思われ、大変興味深いものが多く、読み継がれる一冊になるのではないかとも思われました。

そしてまた、新たに購入を検討している著作が、これまた軍事を扱ったものとなりますが、こちらは太平洋戦争開戦に至るまでの経緯を多面的に分析した一冊とのことですが、こちらに関しては、その歴史的背景の概要をある程度は理解していると云えることから、さきの新書と比べ、いくらかは読み進め易いのではないかと思われます。

そして、上記のような状況を述べたところで文量も、丁度この程度にまで至りました。現在の記事作成休息期間においても、作成したいという意欲がある時は、今回のように作成しておいた方が、来る記事作成の再開においても、またスムーズにはじめることが出来るのではないかとも思われました。

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2021年8月17日火曜日

20210817 「20170419 具象よりも抽象の方が時としてより写実的・・観念的?【600記事到達】」の加筆修正

以前、当ブログに述べました通り、本格的に暖かくなる前に600記事に到達することができました。本日からしばらくの間、記事作成を休もうと考えていましたが、PCの前に座り、閲覧者数や読まれた記事などを眺めますと、不思議なことに、また何か書いてみたいと思い始めるのです・・(苦笑)。

さて、以前に何度かブログ記事の題材とした「銅鐸」に関してですが、和歌山県を主とする紀伊半島での銅鐸の出土傾向は、比較的大きな河川があり、水稲耕作の可耕面積が広く、人口が多かったと考えられる半島北部(紀北地域)に数が少なく、また、その様式は比較的古い、小・中型(~50㎝程度)のものが多いと云えます。それが半島を南下するに伴い、紀伊半島の地形からも想像出来るように、河川流域の可耕面積は狭小化し、人口も紀北地域ほどに多いとは考えにくい中・南紀地域においては、新様式の大型(100㎝前後)のものが数多く出土しています。

銅鐸をはじめ青銅器が我が国に齎された紀元前2~3世紀の弥生時代中期頃は、鋳造技術も発展途上にあり、初期に作成された銅鐸の鋳型は石を彫り、削ったものであり、そのため、大型のものは作成が困難でしたが、その後、鋳型材に砂を用いて作成するようになってからは随意に大型のものも鋳造することが可能になり、また、その作成数も多くなっていきました。

こうした技術発展の様相と、さきに述べた紀伊半島における地域毎の銅鐸出土傾向とを勘案してみますと、当地における銅鐸を祀る文化を持つ水稲耕作民集団の伝播(開拓・入植)様相の概要を理解出来るのではないかと思われます。また、さきにも述べましたが、初期の銅鐸は石製の鋳型を用いていたことから、同一の鋳型にて複数の銅鐸が作成されることが多々あり、そうした同一鋳型にて作成された銅鐸が出土した紀伊半島とは異なった地域にて出土していることなども加味して検討してみますと、その当時、いわば統一に向かう過程にある我が国様相の一面をも理解することが出来るのではないかとも思われます。

そして、これまでに述べたことを博物館や書籍掲載での写真がある、出土銅鐸全てについて、ある程度行って見慣れてきますと、大体は、あるいは間違っていても、その理由を説明できる程度には、個々銅鐸の出土地域および作成年代などに見当を付けることが出来るようにはなると思われます。

さらに、こうしたことは銅鐸のみならず石器、土器、墳墓、他の青銅製祭器(銅鏡、銅矛、銅剣、銅戈など)、古墳造営様式、あるいはその他の生活道具などにも同様に応用することが可能であると思われます。

そうした見方にある程度慣れてきますと、更なる興味対象へと意識の変化が生じ、具体的に存在する遺物から、その地域、国などの性質、特徴などといった観念的な要素への興味に至ることが少なからずあるのではないかと思われます。

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2021年8月16日月曜日

20210816 「20150722 対話形式の文章について・・」の加筆修正:後篇

 A「ああ、確かにそうした傾向はあるとは思いますが、しかしそれは、多分、近代以降であれば、どこでも同じようなことを行っているのではないでしょうか?それと、そうした認識が出来るようになった背景にはネット・インフラの発展があると思います。つまり、それにより一人が瞬時に集めることが可能な情報量が以前と比べて格段に増えたといった事情もあるのではないかと思いますね。」

B「・・ええ、それは確かにあると思います。実際にタブレットPCやスマホなどを持っていますと、とても便利で憶えることが最小限で済みますし、カーナビとしても使うことが出来ますからね。」

A「そうですね。我々の身体と外界に介在させる、そうした道具の進化は、いつのまにか、我々の考えをも変えてしまうのかもしれませんね。・・・そこで思い出したのが養老孟司氏が著作にて述べていたことですが「外界と人間の脳のインターフェイスの技術が発達してくると、今度は、人間の脳の方が退化してくる」ということです。まあ、筋肉を使わないと筋力が低下してくるのと同様の理屈であると思いますが、間違いではないように思われますね。」

B「そうしますと、インターネットが普及する前後にて創作された物語・小説などの背景にある世界観なども変わってしまったのでしょうか?」

A「うーん、最近の小説はあまりよく分かりませんが、おそらく傾向としては細部の描写などの視覚的な部分に関しては、発達しているのかもしれませんが、他方で、時折垣間見える作品全体を包括する作者の世界観のようなものなどは、変わってきているようにも思われますが、こうしたことは時代が変われば当然であるのかもしれませんが・・
。
それと、ポーランドに出自を持つイギリスの小説家のコンラッドの何れかの著作にある「小説とは筆者の持つ哲学、思想を咀嚼し易くしたものである。」というコトバについて、現在の我が国の小説は、そうした視覚的とも云える描写の方により重点を置き、他方の世界観などの表現については、その度合いが小さくなっているようにも思われます。つまり、小説なども観念的というよりも写実的な方向に進化していると云えるのかもしれません。」

B「ええ、それはよくいえば、角が取れて情景が想起されて読み易い小説が増えていると云えますが、より均質・同質的な社会になっていけば、自然、そのような感じになってゆくのかもしれませんね・・。」

A「ええ、しかし気になるのは、後世にそうした歴史の推移を見た時に、それを進化・退化の何れに判断するのかよくわからないということです・・。司馬遼太郎は我が国の近現代史を書くに際して明治期は概ね良かったが、その後、太平洋戦争に至るあたりまでの昭和初期の日本はどうにもならなかったと述べており、またこれは同時代人の山本七平、会田雄次なども似たようなことを述べていますし、あるいは丸山真男、竹山道雄などももう少し複雑ではありましたが、似たようなことを述べていました。そして、その伝で行きますと、現在の我が国はこの先、戦争にまでは至らないにしても、色々なものが「何か大きなもの」に回帰的に収斂されていくのではないかといった感じを受けます・・。そして芥川龍之介がその晩年に云った「ぼんやりとした不安」とは、そうしたものではないかとも思われるのです・・。」

B「うーん、それは考えすぎだと思いますけれども、確かに現在の日本社会はどうもおかしいと思うことがありますね・・。しかしそれも自然な時代の流れであり、仕方がないようにも思われます・・・。」

A「はあ、そのようなものでしょうか・・。」

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2021年8月15日日曜日

20210815 「20150722 対話形式の文章について・・」の加筆修正:前篇

A「何かの概要を知るためには論文や説明形式の記述よりも、対話形式で書かれたものの方が読み易いと思いますね。それに、小説などでも、対話形式の記述が多い方が楽しみつつ、比較的スムーズに読み進めることが出来るのではないかと思います・・。」

B「うん、そうかもしれないね・・。多くの説明形式の文章は、基本的に、その内容に本当の興味がある場合でないと、読み進めていくのが段々と苦痛になってくるからね・・。しかし一方で、何らかの思想や概念などの説明を目的とした対話形式の著作もあるよね。たとえば中江兆民の「三酔人経綸問答」や、さらに昔では空海による「三教指帰」などが多分そうではないかな・・。」(何故か二人共四国人(土佐・讃岐))

A「ええ、現代では、それら著作は古典に分類されますが、それでも、たしかに対話形式の古典的著作は、相対的に同時代の他の様式の著作に比べて、読み易いと云えるのかもしれません。まあ、私もそこまで古典などを多く読んでいるわけではなく、あくまでも感覚的なハナシではありますけれども・・。」

B「ええ、その感覚的なところについて私も理解出来ます。つまり、文章を読む体感的なところで、対話形式の記述は、その内容の世界観に入り込み易いのではないかと思いますね・・。そしてまた、内容を理解するためにはその世界観に入り込まないと分からないことが多いですからね・・。その意味で小説などは最たるものと云えるかもしれません。」

A「・・・確かに、対話形式の読み易さには「入り込み易い」といった要素が理由としてあるのかもしれませんね・・。また、そうしますと、ボケとツッコミで笑わせる漫才の面白さにも相通じるものがあるのかもしれませんね。」

B「ええ、漫才の面白さなどは、その対話のやり取りの中にあると思いますからね。ですから、対話形式の記述の入り込み易さと、漫才の対話の中にある面白さは、根っこは同じであるか、あるいは、共通した部分が少なからずあるのかもしれませんね・・。」

A「そして、そうしたものを観衆や読者が興味を惹き面白いかを判断し、それぞれの「価値」といったものが定まっていくのではないかと思いますね・・。」


B「そのように考えてみますと、会社や学校の面接なども、基本的には、それと同様のことをしているのではないかと思われてきますが、そうしますと、気になるのは「何を基準として判断しているのか?」になると思われます。」


A「仰る通り、会社や学校の面接も概ね同様であるとは思いますが、面接の場合、多くの場合、会社なり学校側の求める人間像というものが予めあり、それにどの程度適合、合致しているかを判断するといった明確な目的があるますよね。
他方で、漫才や小説の持つ面白さに対して、予め、求められる世界観といったものが出てきましたら、それらは徐々に形式化されてゆき、それに伴い、つくり手側の創造力や想像力が衰えていってしまうのではないかとも思いますね・・。
そのため、会社での面接などは予め、ある程度の求めるものがあっても良いと思いますが、一方で、創造を伴う分野においては「予め求めるもの」がありますと、作り手側の方が徐々にそれに縛られていってしまうといったこともあり得るのではないかと思われるのです・・。(男女間の関係においても似たような要素があるのでしょうか・・?)
しかし、創造を伴う分野のものであっても、それが一度、大量生産され商品化されてしまいますと、何であれ「予め求めるもの」に縛られていってしまうのではないかと思われますね・・。」

B「うん、商品化するなると、否が応でも多くの集客そして収益が望めるようなものにしなければならないからね。あと、特に悪くいうつもりではないけれども、それは近年よく作られているマンガを原作としたアニメ・実写映画などにも、何かしらそうしたメカニズムのようなものがあるように思われるね。」
(面倒且つ厄介な創造を最小限に抑えつつ、他方で利潤の最大化をはかること(コスパ)が常態化していると、長い視野においてはあまり良い事態には結びつかないのかもしれません)


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2021年8月13日金曜日

20210813 1600記事到達後5日間ほど記事作成を休んで思ったこと

 直近最後の投稿が8月8日であり、そこから5日経った現在においても特に、新たな記事作成を行おうという気持ちにはなりません。しかしそれでも、当記事を作成しているということの基層には、やはり「何かしら作成しておいた方が・・」と思っているのだとも云えます・・。

先日の1600記事への到達は、特にキリが良い数値でないのにも関わらず、それまでの区切りでの到達時と比べ「多少余裕を持って」といった状態ではなく、以前にも述べました通り、昨年からはじめた当ブロガーとSNSとの連携により、時には、思いのほかに多くの閲覧者数を得ることを先日認識してからは、作成する記事に対しての注意をはじめ、緊張する機会も度々あり、そこから、いくらか余分に消耗し、さきに述べた状態での到達に至ったものと云えます。

さて、そこから、次の目標を1700記事に定め、進めるにしても、現時点では「今回はもう少し休もう・・」といったところが真情です・・。

また「そのような状態で記事作成をしても・・」と思われるところですが、これまで6年間、5日程継続して記事作成を休んだことは稀であったことからか、ここにきて投稿・公表するかは別として、冒頭での言と同様、やはり「何かしら作成しておいた方が・・」の心情が勝り、さきほどから記事作成を始めた次第ですが、ここまで書いてみますと、久しぶりということもあってか「文章を作成するのは、一つに自分の考えを整理するためであるのかもしれない・・」と割合新鮮に感じられました。それは、書く以前においては何やら混沌としていた自分の思い・考えが、キーボード操作を通じて、文字としてPC画面に可視化されて顕われてくるのを見て湧いた心情であると云えますが、また、その後すぐに「そこに書かれたものだけが全ての思い・考えというわけではない」といった心情も湧いてきましたが、こちらに関しては、不思議なことに、おそらくこれまで、あるいはここ最近思い出せる範囲の過去にて思ったことはありませんでした・・。

おそらくこれは、1600記事到達直前にて、しかも多くがスランプの時期であることから、端的に余裕がなかったのだと思われます。そうしますと、先日の1600記事への到達は、こうした意識・視座の変化を生じさせたとも思われるところですが、果たして実際のところはどうなのでしょうか。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2021年8月8日日曜日

20210808 株式会社光人社刊 村上兵衛著「桜と剣」 pp.599-601より抜粋

株式会社光人社刊 村上兵衛著「桜と剣」
pp.599-601より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4769820267
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4769820260

古びた近衛歩兵第一聯隊の、ピカピカに磨き込まれた大隊長室に、兄はいた。ドアをノックしてはいってきた私の姿を認めると、いくらかほっとしたように、

「おう、きみか。入れよ・・朝飯は食ったか」

「いや・・」

「じゃ、一緒に食うか」

もう一人前を当番に命じた。

二人だけで向かいあって、しばらくしてから、兄は少しおどけたような口調で、

「やれやれ、俺は命拾いしたらしいよ」と、言った。

私が、眼でその意味をたずねると、

「古賀さんたちが、師団長を殺ったとき・・そのことは知っているだろう?」

「うん、聞いた」

「俺は、司令部の前の植え込みのなかに潜んでいてな、銃声が聞こえたもんだから、こいつはいかん、とまた部隊に戻って来たんだ、もし憲兵が来て、引っぱられるなら、いっそのこと自分でやってしまおうと思ったりしてね」

そう言って、自分の額を指した。彼が抽出しを引くと、そこには剥き出しの拳銃が、ずっしりとよこたわっていた。

「しかし、もうどうやら、その必要もないらしい」

「兄はすべて遠く過ぎ去ったことのように、淡々と語った。

「同志」による師団長の説得がなかなかすすみそうに見えなかったとき、彼は古賀参謀から、「おまえ、殺ってくれんか」と頼まれた、という。

その剣道の腕を買われたらしい。しかし、兄は咄嗟に、

「直属上官ですから、それはやれません」とことわった。その返事は、軍隊ではきわめて筋が通った答えだったから、古賀参謀も、それ以上強いては押しつけるわけには行かなかったのだろう。

それが、兄の生死の訣れみちだった。

椎崎中佐、畑少佐ら、陸軍省の中堅将校たちの発する徹底抗戦の妖気は、近衛師団のわかい参謀たちを巻き込んでいた。

古賀参謀も、けっしてはじめから積極的だったわけではないが、「敗戦」への決定的なタイム・リミットがじりじりと迫ってくるにつれて、ついにクーデターにのめり込んだ。

近衛師団にあって、主動的な役割を果たしたのは、そのとき宮城守衛の上番にあたっていた近衛第二聯隊の大隊長たちであった。

兄も、加担すべきか、すべからざるか、かなり悩んだらしい。そのような雰囲気の中で断乎として反対するには、かなりの識見と勇気とを要することだった。

 そして、師団を挙げて終戦阻止に動くならば行動をともにするーというあたりで、計画を打ち明けられた士官学校の若手将校の大部分は、意思統一されていたらしい。

私は、兄から、この計画を暴走させた陸軍省の二人の将校が、宮城前で自決し、古賀参謀は、終戦の詔勅を聞いたのちに、師団長の柩の前で自決した。というニュースを聞いた。

前にも触れたように、古賀参謀は東条英機元首相の女婿で、柩は岳父の家から出たので、近所では東条自殺の噂が流れた、という。

 私は、古賀参謀とはかなり親しくしていたから、彼の自殺の報は、ちょっとショックであった。

 しかし、そのくらいの紛糾は、最後まで徹底抗戦を呼号していた陸軍の「面子」からいっても、あるいは必要だったのかも知れない、とも思った。