2021年6月20日日曜日

20210620 株式会社岩波書店刊 中島岳志[編]「橋川文三セレクション」pp.379-381より抜粋

株式会社岩波書店刊 中島岳志[編]「橋川文三セレクション」pp.379-381より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4006002572
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4006002572

柳田の学問が日本の歴史的科学の中で示した比類のない長所にもかかわらず、それは究極のところ「国民共同の疑問」の提起と組織化とにおいて、やはり大きな弱点をあらわさねばならなかった。その反省は、何よりも敗戦に際して彼の記した幾つかの文章の中に明らかに示されている。

「始めて私が東北大学の講義に、民俗学の現代性ということを唱導したときには、時代は我々の生活上の疑問を抑え付け、極度にその提出を妨碍している際であった。大きな幾つかの国の問題には、予め堂々たる答えが準備せられ、人がどういうわけで是非とも殺し合わねばならぬか、何故に父母妻子を家に残して、死にに行かねばならぬかというような、人生の最も重大な実際問題までが、もう判りきっていることになっていた。

第一に自分はそうは考えられぬのだがということが言えない。誰もがそうだから是には背こうとする者が無い。寧ろ心の底から其気になってしまって、涙もこぼさずいさぎよく出て行く者が多かった。こう各自の自由な疑問を封じてしまわれてはかなわぬと、思うような事ばかりあの頃は周囲に多かった。

そういうまん中に於いて、なお民俗学は現代の科学でなければならぬ。実際生活から出発して、必ず其答えを求めるのが窮極の目的だと、憚らず説いたのは勇敢だったとも言われようが、白状するならば私はやや遠まわしに、寧ろ現世とは縁の薄い方面から、問いはいつかは答えになるものだという実例を引いていた。

従って又気楽な学問もあるものだというような印象ばかり与えて、国の政治上の是ぞという効果は挙げ得なかった。なんぼ年寄りでも、是は確かに臆病な態度であったが、しかし実際又あの頃は今とちがって、ただ片よった解決ばかり有って、国民共同の大きな疑いというものは、まだ一向に生まれてもいなかったのである。」

このとき柳田は73歳の老齢であった。この言葉の表面には、敗戦にともなう痛切な自己批判の調子といったものはみられない。むしろ戦中の己の姿勢を苦笑まじりに弁明しているという軽い調子さえ感じられる。人に己れの態度の弁明を迫られているものというより、その権威を追及されることのない長老的傍観者の自戒にすぎないようにも感じられる。しかし、それは表面だけの印象にほかならないのではないか。

 「日本人の予言力は既に試験せられ、全部が落第ということにもう決定したのである。是からは蝸牛の這うほどの速力を以て、まずその予言力を育てて行かねばならぬのだが、私などはただ学問より以外には、人を賢くする途は無いと思っている。即ち到底急場の間には合わないのである。」

「ところが私は年をとり、力やや衰え、志は有っても事業がそれに追付かず、おまけにこの時代の急転に面して、用意のまだ甚だ不足だったという弱点を暴露した。」

これはまず傷心の言葉として受取られる。これらの言葉の背景には、日本近代のほとんど半世紀に即して、その期間の根本的課題を自ら選びとることによって、前人未到の学問を築き上げたものの労苦と抱負とが横たわっている。しかもそのすべてが、敗戦による大転形期において、他の多くの学問とさして変わりばえのない無力さを暴露しなければならなかった。というよりも、柳田の努力のすべては、他の多くの文化諸科学が国民生活の実情に冷淡であり、しきりに演繹的な空中楼閣の建造のみに専心しているのにあきたらず、すべての社会改革のためには「予め知ってかからねばならぬ歴史が多く、それが今日はまだ荒野のままに置かれている」のだから、その「歴史の知られざる巻々」を明らめることにより、国民の「予言力」を培養することに集中されていた。

したがって、いまその予言力の喪失が嘆かれていることは、何よりもまず己れの民俗学についてでなかればならなかった。これはほとんど悲劇といってよいであろう。柳田は戦争中、ある青年の出征に際し、日章旗に「未来を愛すべきこと」と書いて与えている(昭和19年10月5日の記)。柳田が固陋な現状維持者でないことは幾度も述べたとおりだが、しかも彼は、その愛すべき未来に関して、その青年に、必ずしも明確な見通しを与えることはできなかった。その格率の実践的解決は、いわば青年たちの模索に委ねられざるをえなかったのである。

2021年6月18日金曜日

20210618 株式会社 光人社刊 光人社NF文庫 比留間弘著「地獄の戦場泣きむし士官物語」 pp.299-300より抜粋

株式会社 光人社刊 光人社NF文庫
比留間弘著「地獄の戦場泣きむし士官物語」
pp.299-300より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4769820631
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4769820635

 (復員)船にのって、はじめて味噌汁を配給された。内地の味であった。

野戦では塩汁がつづいた。そのときは、となりで醤油汁を飲んでいるのを、匂いだけをかいでうらやましくて仕方がなかった。病院では、醤油汁であった。現地人のつくった味噌は、似て非なるもので、ショーガを漬けて食うぐらいにしか使えなかった。

 味噌汁の身は、乾燥野菜ではあったが、なんともいえない美味であった。だから、元気なヤツは、もっともっと食いたかったであろう。

 それに金鵄(タバコの名、むかしのバット)をもらった。これが現地タバコに比較すると、とんでもなくニコチンが強く、一本吸っただけで、目がくらくらし、気持がわるくなった。

 便所は、舷の外に張り出してあり、その作り方も仮設であるので、なんともあぶなっかしい。連続した便所の床には、大きな樋のようなものが通っており、一方から海水がポンプでジャージャー流れていた。常続水洗便所である。

 嵐になって、大きく舟がゆれ、雨風がひどく、舷側にぶつかる波しぶきが、たたきつけるように上がるときには、便所ごと海に流されそうで、とてもこれに乗って用をたす気にはならなかった。

 台湾沖を通過するとき、その嵐にあった。さすがに、このときばかりは、蚊帳をかついで船倉に逃げこんだ。舟は大きくゆれて、大部分の者は船酔いになり、それでなくても衰弱した病院船の乗客には、相当こたえたと思う。航海は約十日であった。

 入港地は、神奈川県の久里浜であった。港について、一晩、碇泊した。検疫のためであったと思う。

 その夜、殺人事件が持ち上がった。人の話を聞いてみると、殺されたのは軍医で、殺したのは、鍼医であった。なんでも、その鍼医は下士官で、その軍医の下ではたらいてきたが、軍医からつねづね、鍼などで病気は治らない。鍼医は医者ではない、とばかにされたり、いじめられたのを恨み、寝ているところを、頸動脈を刃物で切って殺したのだそうだ。

 寝首をかかれるとは、まさにこのことで、内地の山を見ながら死んだ軍医も気の毒なはなしだが、それまでの階級をかさにきて、部下をいじめたのがタネだったのは、これも運命か、自業自得の結果だったが、船に警察官が上がってきて、犯人をつれていった光景を思い出す。

2021年6月17日木曜日

20210617 1555記事への到達 555回目の投稿記事を見て気が付いたこと

昨日のブロガーでの閲覧者数が、ここ1年で最高の1000人近く(969)となっていました。他方、連携しているツイッターにおいては、普段よりも少し少ない程度の閲覧者数でしたので、これは少し不思議なことであるように思われました。

さて、本日は先日の投稿記事に書いた半額以下で購入したダナー社のマウンテンライトを履いて外に出ました。帰宅後にスマホの万歩計を確認しますと7㎞弱の歩行距離であり、休日の散歩としては、そこまで長いものではなかったと云えます。

また、足の疲れの方も、これまで履き慣れた同社のライト(ダナー・ライト)とは若干異なり、現時点ではライトの方が身体に合っているといった感覚があります。とはいえ、前々回、前回の散歩と比較しますと、その履き心地は格段に良くなり、おそらく、次回の散歩では10㎞程度は歩くことが出来るのではないかと思われます。

さて、一昨日投稿の記事にて書きましたが、今回の記事投稿により、総投稿記事数が1555に到達します。これはあまりキリの良い数値とは云えませんが、他方、投稿記事数にて5が三つ並ぶという事態は、4年前(2017年)の3月1日以来の二度であり、珍しいと云えば珍しくもあり、あるいは、そこから1000記事追加したことにも、いくらかの感慨を覚えると云えます。

ともあれ、そうした経緯にて2017年3月1日に投稿した555回目の投稿記事を見たところ、そこに橋川文三の著作からの引用がありました。そこで大変面白かったのは、本日、この経緯を知る前に、調べもののため、かなり久しぶりに橋川文三の他の著作を書棚から引張り出し、しばらくこれを読んでいたことです・・。

おそらく、これは偶然であり、さらにまた「しょうもないこと」であるのかもしれませんが、同時にそれはブログの継続により発見できたことであり、また、さきに述べた調べものの内容とも関連があると思われることから、これはまた後日の記事題材として取っておきたいと思います。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 



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ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: tsurukiclinic2001@gmail.com 

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。





2021年6月15日火曜日

20210615 記事作成の中で徐々に明瞭になってくる流れについて

 何度か寝落ちしそうになりながら作成した昨日分の投稿記事ではありましたが、これまでに思いのほか多くの方々に読んで頂けました。こちらを読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。また、本日につきましては、さすがに休んでおこうと考えていましたが、当記事の投稿により総投稿記事が1554となり、さらに1記事の追加により1555と、少し珍しいゾロ目の投稿記事数に至るため、本日も記事作成を行い、出来るだけ早めに到達出来るようにしておこうと思い立ち、先ほどから記事作成を始めた次第です。

とはいえ、上記のような行為態度は、機会主義的であると見られますが、他方において、こうして新たな記事作成を行うための公開する理由付けを行わないと、記事作成を割合容易に断念しようとする自分もいるため、あくまでも自分内部での話ではあるのですが、こうして機会主義的に苦肉の策を弄しているのです・・(苦笑)。

また、そうしたことをも文章化することにより、文字数も稼げ、さらに、その文中に意図せぬものであっても、何かしらの含意が見つかれば、それはそれで意味はあるのではないかと思われるのです。

そういえば、この「含意」ですが、これは私にとっては面白いものであり、こうした散文的なブログの場合は特に、文章作成の当初から、その主題・題材が明確に決まっていることは少なく、記事作成が進むに随い、その流れが明確になってくることが多いと云えます。そしてまた、ある程度、記事作成を行ってきますと、自分にありがちな文章の流れというものも認識出来るようになってきます。

また同時に、記事作成を重ねることにより、さきの「ありがちな文章の流れ」に変化が生じてくることもあります。おそらくそれは、文章として書くことにより、明瞭に認識された自身の観念に対し、変更を加える必要性を感じ、それを行うために、源泉とも云える当初の文章の流れに変更を加えているのだと思われますが、面白いことにこちらも、あまり意識して行っているわけではないのです・・。

その意味においても昨日の投稿記事にて述べました「文章作成時の意識の相」とは、我がことでありながらも、同時に普遍的な部分もあるのではないかと思われ、興味深いものと云えます・・。

ともあれ、そうして文章として表出された自分なりの主題・題材と、同時期に世の中にて生じている出来事との間に相関性のようなものを何かの拍子に見出したりしますと、以前、当ブログにて書いた「時代精神」や「集合的無意識」といったものに思いが至るわけですが、これはインターネットの普及によって著しく感知し易くなったとは思われますが、それ以前から、そうした相関性を感知する感覚はあり、古代における骨や亀甲を用いる占いなども、そうした感覚が背景観念にあったのではないかと思われます。

そして、私にとってのブログ記事作成の一つの大きな楽しみとは、今現在では、あまり明確には認識出来ないものの、自身の作成した記事と、客観的に認識出来る同時期のさまざまな出来事との間に、何らかの関連や相関性を見つけようとすることにあると云えますが、これは今しばらく更に継続してみますと次の展開のようなものがあるのでしょうか。そしてまた、それももう一つの楽しみであると云えます。

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2021年6月14日月曜日

20210614 文章作成時の意識の相の継続によって生じる感覚・・人文社会科学分野の重要性

 以前にも書きましたが、ここ最近はスランプ気味であり、そのためもあり、書籍からの引用部を多く記事として投稿してきましたが、それでも、この状況は、あまり変わることはありません。

くわえて、つい先日、1550記事に到達したことから「しばらく記事作成を休止しても良いのでは・・」とも思いましたが、現在の私の場合、ここで記事作成を休みますと、再開が面倒になり、そのままブログから離れていく可能性もないとは云えず、また、スランプからの速やかな脱出とは、そうした状態において、なおも記事作成を続けることにより、達せられるとも思われたため、本日もまた、こうして作成しています・・(苦笑)。

しかし、面白いことであるのか、作成開始後しばらく経ちますと、多少はその作業に集中するようになり、この集中に至るまでの割合短い時間にて、私の精神に生じている変化とは、未だ意識・言語化することは出来ませんが、同時にそれは、これまで6年近くの記事作成の継続により、あらわれるようになったものとも云え、あるいは私にとっては貴重なものと云えるのかもしれません・・。

この「文章作成時の意識の相」のようなものは、おそらく誰であれ、ある程度の期間の鍛錬によって、強化され、それが機に応じて発揮・顕現されるようになるとは思われるのですが、この「ある程度の期間の鍛錬」こそが、思いのほかに面倒であり、基本的にその行為が「好き」であるか「興味がある」でないと、継続することが困難であるように思われます。

もちろん、そこには所謂「文才」もあるとは思われますが、しかし、期間当初の頃における「文才」などは、多分に「行為を継続する面倒臭さ」をいくらか緩和させる程度のものであり、そしてまた、そこまで稀有なものではないように思われます。

それよりも、その行為を継続することにより、少しずつではあれ、自分なりに、作成する文章が研ぎ澄まされてく中で、言葉と、その意味が持つ、深さ、そして面白さのようなものが、これも自分なりに、感じ取ることが出来るようになっていくのではないかと思われるのです。

また、これは文章を扱う研究分野全般においても共通して云えることであるとも思われます。さらにまた、こうしたことは「記述された歴史の流れ全般」においても、少なからず関連するものがあり、それ故に、何と云いますか「歴史」というものには「この時代に、こうした出来事があった」の集積、および、それらの関連性だけでは済まされない「何か」があるのではないかと思われるのです。そしてまた、その感覚は、視覚によるものとは異なり、ある種、文字の修練を要する、まさに人間独自の感覚であり、また同時に、その民族、集団が辿ってきた「歴史」を精確に反映するものであるようにも思われるのです。

それ故、何度も繰り返し述べるようではありますが、人文社会科学分野を、実地に役立たないものとして軽んずることは控えた方が良いと思われるのです。おそらく、現在の我が国の苦境全般とは、太平洋戦争後の民主主義治下において根付いてきた、文脈を意識しない、いわば近視眼的な合理主義の結果であるとも思われますので、そこには何かしらの関連性があるように思われるのですが、さて如何でしょうか。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


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20210613 朝日新聞出版刊 木村誠著 「消える大学 生き残る大学」 pp.144-147より抜粋

 朝日新聞出版刊 木村誠著 「消える大学 生き残る大学」

pp.144-147より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 402273390X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4022733900

歯科医の数が社会需要をはるかに上回るといわれる状態をつくり出したのは、実は歯学部の責任ではなく、政府の責任があったのである。

 子供の虫歯が世間から注目され、ちょうど歯科医師が不足していた1970年代に、当時の厚生省(現厚生労働省)と文部省(現文部科学省)は、社会的需要を見すえて、どんどん歯科医を増やす方針をとった。歯学部120人の定員に300人を入学させる大幅定員超過状態でも、文部科学省は黙認したといわれた。今ならとても許されない。

 国立大学にも歯学部がどんどん生まれ、1975年には、現在の29学部に達した。そのため、当時の約10年間で歯学部の定員は3倍の3400人ほどに急増したのである。

 その結果、毎年、歯科医師は増加し続け、現在では10万人近くになっている。1970年代末期に比べ倍増し、過剰状態といわれるようになった。国は社会的需要を読み間違えたのだ。保護者の意識も向上して、子供が虫歯にかかる率も大幅に減ったうえに、少子化が加速し、患者は減った。歯科医師会も歯科医師過剰論を強く打ち出し始める。

 1980年代半ばには、歯科医が過剰になることを危惧した政府は、一転して歯科医師の新規参入20%削減方針を打ち出し、それ以来、歯学部入学定員はどんどん減らされることになった。

 歯学部は2011年、全国で27大学29学部あるが、そのうち私立大学が17学部で、入学定員の75%を占めている。私学は定員割れになると学生納付金が減少し、すぐに財政に響く。それだけに苦しい。定員割れの歯学部は経営的に限界に近づきつつある。

 歯科医そのものは、臨床研修を終わって歯科医として就職する場合、まだ7倍の求人件数がある。求人の初任給平均は25万円だが、40万円というケースもある。就職氷河期の再来といわれる現在、歯学部卒業生は今のところ恵まれた状況にあるといえるだろう。

 意欲的な歯科医は、新たに取り組む分野を積極的に拡充している。よく知られているのが、インプラント歯科治療であろう。歯を失った場合に義歯が簡単に外れないように、骨に直接人工歯根を植えて支える治療である。原則、保険がきかないので、治療費は高額になる。

 ひとくちに過剰といっても、全国の人口10万人対比の歯科医数を調べると、地域によって違う。全国平均で比べると、比較的多い都市は、福岡市、新潟市、横須賀市、長崎市、郡山市などである。実は地元に大学歯学部がのある都市である。

 半面、県単位で見ると、歯学部のない北陸3県は、富山、石川、福井ともに全国最低クラスである。これらの地域では無歯科医地域も少なくなく、バスで隣の市町村の歯医者さんまで診療を受けに行くという高齢者もいる。

 新人歯科医師も医療人として、このような歯科過疎地域に飛び込んでいくべきだ。また、小学校の歯科検診時における育児放棄の発見や、要介護状態の高齢者の出張ケアなど、社会福祉における役割も広く考えていく必要がある。

 さらに地域においては単なる「虫歯医療」に限定せず、国民の健康生活に歯科の予防ケアや治療がどのような役割を持つか考えるべきだ。

 阪神・淡路大震災で被害を受けた高齢者が病死した原因に、体の抵抗力が落ちている時に口内の細菌や食物が肺に入り、細菌感染して発症する誤嚥性肺炎が多かった、と報告されている。これらの多くは、口内ケアによって防止できたのだ。今回の東北関東大震災に際しても、活動すべき場は数限りなくある。心から期待したい。

2021年6月12日土曜日

20210612 株式会社岩波書店刊 兼常清佐随筆集 杉本秀太郎編 「音楽と生活」pp.153-157より抜粋

 株式会社岩波書店刊 兼常清佐随筆集 杉本秀太郎編

「音楽と生活」pp.153-157より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 400331901X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003319017

ニッポンの流行唄はニッポン語で唄われる。ニッポン語の性質からひどく離れたものは私共になつかしみを感じさせにくい。例えば世界的に有名な流行唄「暗い日曜日」は私が確に一番美しい、一番おもしろいと思った曲の一つである。私はあの曲に気品さえ感じる。しかしそれをニッポン語で唄うと何となくおかしい。不自然である。フランス語で聞く美しさの半分以上はなくなる。やはりニッポンの流行唄はニッポンの言葉にあったニッポンのふしでなくては本当には成立しない。この事実が学校唱歌だの国民歌謡だのいうような西洋音楽の組織を基礎にした曲が、心底から私共大衆の感情になずまない理由の一つであろうと思う。

 ここで話が非常に面倒になる。一体何がニッポンのふしであるか?一体ニッポンのふしというような特別なものが存在するか?-それが話の中心になる。

 私はまず第一に声の質の事を考える。それに何かニッポン風なものがありはしないだろうか。そしてそれが私共にニッポン風な流行唄に、特に親しみを感じさせるのではあるまいか。殊に女の声はそうではないだろうか。今まで正式に西洋風な発声法を練習した女の唄で一世を風靡したというような例は割合に少ない。それよりも芸者の唄の方が段違いに一般から選ばれた。私もあのような声は一種の綺麗さをもっていると思う。表情は乏しいし、力がないし、音域が狭いが、しかし綺麗で、そして何よりもいい事は、唄の文句がよくわかる。発音が十分にニッポン語に適している。あれを正式のアルトやゾプラン風にやったとしたら、文句の意味はあれほど明瞭にわかるまい。国民歌謡を本当に流行させる必要があるならば、今はやりの「ああそれなのに」を唄った芸者に唄ってもらうのは確に一つの方法である。

私はこのような発音や唄い方の相違が、実際音波の上にどんな形になってあらわれているかを顕微鏡で見ようとした。しかし今私共はここでその数字やグラフを振回そうというのではない。またこのような事は現象が非常に複雑で、一朝一夕には真相はわからない。ただ私が今までおぼろげに知った事の一つはこうである。―西洋の発声法は咽喉を一種の楽器にする事である。性質がよほど楽器の音に似ている。ニッポンの唄は結局ニッポン語の朗読や談話の一種である。普通の話の声に近い。

 流行唄の文句は都会の若い生活の裏面をよく面白く歌っている。文句がなかなか巧みである。「怒るのがあたりまえでしょうが」だとか「×××素肌のはずかしさ」だとか、とにかく何となく人の気持に訴えるように、うまく出来ている。正に小唄を唄うのに適している。文句がよくわかることは絶対に必要である。ニッポンの流行唄が何も知らない芸者たちにニッポン語らしく唄われることには、十分意味があると私は思う。

 しかしまだ一つ難題が残っている。-ではニッポン風のふしというものがあるのか?もちろん、ただふしだけを取るならば、ニッポン風のふしというものがあるにきまっている。長唄のふし、清元のふし、謡曲のふし、ニッポン各地の民謡のふしというようなものである。そのようなものは西洋のどこにもないから、いうまでもなくニッポン特有のものである。今私共の問題は、それが何かの必然性を持つかどうかということである。つまりそのようなふしの根底は、ニッポン語そのものの性質のなかになって、ニッポンのふしとニッポン語とは、必然的に離れられない関係にあるかどうか、というのである。

 これは私の口癖でなく、実際難問である。それを考えるためには、まだまだ沢山の実験と沢山の観察とがいる。

 私はこれまでニッポンの言葉やニッポン語の文句を読んだ場合や、あるいは唄った場合をフィルムに記録した。そしてそれを高さだけについて測定して、いろいろのグラフをかいてみた。そしてニッポン語とニッポンの唄との何か離れられない関係があるかどうかを考えようとした。もちろんこのような実験は、そう急にはまとまらない。今私はそれについて何も断案を下すことは出来ない。ただこれまでに私はおぼろげに知った事は、前にニッポン風な唄の声の質について述べた事と非常によく一致している。それは次のような事である。-ニッポンのふしはニッポンの唄の文句を読んだ場合と性質がよく似ている。ニッポンのふしはニッポンの唄の文句の朗読の一種である。しかし西洋音楽による唄では、文句を読む時の語調Sprach-melodieは相当無視される。そしてふしはほとんど楽器と同じような約束で動く。この系統は別々な音楽の系統である。

 この事は私共の常識ともよく一致する。今までに大喝采を博した唄い手には多くの芸者があった。それには物珍しさも手伝ったであろうが、唄い方にも何か大いに人の心に訴える処があったであろう。しかし彼らは音階の練習どころでなく、「ド」と「レ」とどちらが高いか低いかどころでなく、初めからド・レ・ミという言葉さえも聞いた事はあるまい。本格的な音楽には全然素人であった。それであれほどの大成功をかち得ている。また作曲者にしても、和声学教科書の例題をピアノで弾かせたら、どれほど正確に弾ける自信があるか怪しいものだそうである。しかし彼らはそれで一世を動かす名流行唄を作っている。これを見ても本格的な音楽的訓練と流行唄とは相当物が違っている事がわかる。

 また私共が流行唄のレコードをかけて発売の楽譜を見ながら、その芸者の唄った声の通りをピアノで弾くとする。ピアノはレコードのふしと似るには似るが、しかし完全には一致しない。ただ似るというだけの事である。声そのものの高さにも、ふしの唄い方にも西洋の楽器では出来ない処がある。楽譜もそこまでは書く事が出来ない。レコードの中のふしを楽器でやる一節のあるものなら、その楽器の部分と声の部分とを比べて見てもすぐわかる。西洋の音楽や楽器の系統とニッポン人の唄のふしとは、物理的な約束の違う処がある。似てはいるが、一致しない。そこへ西洋音楽の長短の音階の構造などを不用意に持ち出して来ても、それは少々お門が違う。ニッポン人の唄はニッポン語の語調を基礎として、もう一度その性質を考えて見なくてはならないものである。私共一般の流行唄を好む大衆は、このニッポン風なものの方に親しみを感じている。

 それはニッポン語の唄として誠に当然な事である。そして西洋の系統の音楽を聞く時には、その時にはまた、そのような気持で聞く。それが本格的な、大仕掛けなものになれば、「冬の旅」の演奏になり、ちょっとした模倣ということになれば、学校唱歌だの国民歌謡だのいうようなものになる。その時には私共はニッポン語が明らかに西洋音楽の約束に従って鋳直されたものであるという感じを受ける。