2021年3月16日火曜日

20210316 旧日本陸軍の兵員輸送と戦後の人文社会科学分野でのマスプロ教育について思ったこと・・

数年前からでしょうか、我が国の所謂「官」がおかしくなっているように思われます。あるいはこの流れは、主に民間企業に付随する文化が「官」にも影響を及ぼすようになってきたことから生じているようにも思われるところですが、国の経済状況が停滞・退潮気味になってきますと国は、そうした状況下で、なおも好況である業種・企業を見つけ、そこから次の発展へと繋がる何かを見出そうとするのでしょうが、しかし、かつての自動車や電化製品のように、他国企業が既に製品を製造・販売していても、それよりも安価にて性能の良い製品を製造すれば、国際的販路を開拓・確保出来ていた時代はすでに過去のものとなり、現状は、製造業全般については我が国よりもはるかに安価で性能も問題ない製品を大量に製造できる国があり、また同時に、昨今のコンピューター、インターネットを用いる、各種産業についても我が国は他国から遅れを取り、右往左往している状況と云えます。

つまり端的に、次の時代において、どの産業がより多くの利益を得られるかについて、そして、その産業に、どのように我が国の企業が食い込んでいくかが、現在の我が国にとって大きな課題であるように思われます。(そうしないと国の税収が大きく減りますから。)

そしてまた、こうした大規模な潮目の変化においては、多少キツイ表現を用いますと、近代以降からこれまで、あたかも、さきに述べた自動車や電化製品の製造のように行ってきた高等教育機関での学生教育の手法あるいはそれを支える価値観もまた、大きく考え直す必要があるのではないかと思われるのです。

とりわけ人文社会科学系分野においては、60年代学生運動の一つの契機となった所謂「マスプロ教育」は、少子化によって改善されつつあると聞き及びますが、これは出来る限り早く止めた方が良いと考えます。乱暴な表現を用いさせて頂きますと、人文社会科学系分野における「マスプロ教育」によって現在の我が国の停滞は齎されたとも云えるのではないでしょうか?

元々あまり興味があるか、ないかも判然としない状態で、教え手側の熱意も伝わらない大講義室での講義を受けると、どのようになっていくか考えなかったのでしょうか?これは特に優秀な学生達にとってはあまり関係ないことであるかもしれませんが、ボクを含め、そうではない数多くの平均的な学生にとっては、極めて重要なことであると考えます。

そして、こうしたことから、先日投稿の山本七平著作からの抜粋記事に記載の旧日本軍の輸送船による兵員輸送と類似あるいは同一とも思われる精神構造が見出されるのです・・。(たしかにその間には20年程しか時間の隔たりはありません。)

そのように考えてみますと、現今の我が国の苦境もまた「仕方がない」とも思われてきますが、しかし、これを今後少しでも良い方向に流れを変えたいのであれば、人文社会科学分野全体の学生数を減らし、その代わりに医療・介護系分野の国家資格職種を養成する専門職大学を全国に新設し、あるいは、都市部の経済的に余裕のある比較的規模の大きい私立大学は、国家資格職種の養成を行う近隣の専門学校を吸収し、それを新たな学科・学部として改組するのが良いのではないかと考えますが、さて如何でしょうか?

そこで不図思ったのですが、歯科の単科大学が、歯学科および歯科衛生学科だけでなく、管理栄養学科や言語聴覚学科などを併設してみますと面白いのではないかと思われます。ちなみに歯科技工学科は、今後、歯科技工作業全般のデジタル化に伴い、歯科医師・歯科衛生士の一職分となり、学科的には歯科衛生学科に吸収されるのが妥当と思われることから、記載は省きました。

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2021年3月15日月曜日

20210315 継続的なブログ記事の作成があまりスゴくない理由について・・

以前にも記事題材として書きましたが「ブログ記事の作成は1000記事を過ぎてからが勝負」とのことですが、たしかに1000記事到達以前の頃と比べますと、1500記事への到達を間近に控えている現在は、記事作成時に感じる圧のようなものが、徐々に大きくなっている感じがあります。ここは、何も考えずに記事作成を行うことが出来れば良いのですが、他方で、そのように思えば思うほどに、記事作成時に感じる圧は大きくなるといった性質があるようにも思われます・・(苦笑)。

とはいえ、記事作成時の圧はどうであれ、記事作成自体は今しばらく続けませんと、当面の目標としている1500記事まで到達出来ないことから、本日については、比較的帰宅が遅かったにも関わらず、さきほどから記事作成を始めた次第です。ここで作成した記事が果たして本日(20210315)分として投稿できるかどうかも現時点では全く不明であるとは云えますが、何れにせよ、とりあえずは書き続ける以外ないようです・・(苦笑)。

さて、ボクが作成しているブログ記事を時々読んでいると直接聞いたことがあったのは、文系院時代からの友人のみであり、この方は時折電話にて話していますと、読まれたブログ記事についてのことを会話に交えたりしますが、その他の方々からは、どうしたわけか「ブログを読んでいるよ。」といった反応を聞くことはありません。

それでも、数人の方々からは、ボクが何か継続的に書いていることはご存知であるのか「そこまで継続的に文章を書けるのはスゴイよ。」といった主旨のことは云われたことがありました・・。

しかし、この「スゴイよ。」とは、書いているボクからしますとスゴいものではなく、むしろ、何か強迫観念のようなものによって記事作成を行っているようにさえ感じられ、そこから不図、トーマス・マンの「トニオ・クレエゲル」作中の「文学は天職ではなくて、ひとつの呪いです」という北杜夫のどくとるマンボウ」シリーズにも何度か登場するコトバが思い出されます。

もちろん、私は今現在、文学・著述によって生計を立てているわけではありませんが、それでも、文章を書き続けるということ行為自体に、何かしら、否応のない向き、不向きといったものがあるのではないかと思われるのです・・。それはスポーツでの才能のように。そして、文学の場合は、スポーツでのそれとはまた異なり、簡単には富やそれが齎す市民的幸福には結節し難いといった性質があるのではないかと思われるのです。そして、そうした事情を背景として、以前の投稿記事の「太平洋戦争について述べた著作を読んで思ったこと「シビュラの書」末尾にて「文系の師匠が仰っていた「歴史の女神様はとても嫉妬深くてね、この女神様に好かれると、他の女性はどうしても近寄って来れなくなるんだよ(苦笑)。」といった冗談めいたコトバですが、当時は「何をカッコ付けているのだろうか?」と割合冷やかにこれを眺めていましたが、現在になりますと、何となくその意味、そしてそれ以上に、その背景にある悲哀のようなもののが理解出来るように思われます・・(苦笑)。」にも共通したものがあるのではないかとも思われるのです。

ともあれ、以前であれば、さきの「トニオ・クレエゲル」内のコトバと、文系師匠のコトバを結び付けようとは思わなかったところを、こうして記事を書き進めて行くうちに、繋がったということは、もちろん、その繋がり・関連性自体には議論の余地が多いにありますが、それでも、こうした、いわば文章による抽象化を行ったところではじめて感知されるものとは、ボクとしては、それなりに大事なことであるように思われるのですが、さて如何でしょうか。

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2021年3月14日日曜日

20210313 2日間 記事作成を休んで思ったこと・・経験とアウト・プット?

 ここ2日間ほど、当ブログそしてツイッターからも離れていましたが、そこから、やはり、こうした時期も必要であることが分かりました。特に夕刻過ぎにおいて、ブログ、ツイッターから完全に離れますと、ボクの場合、読書が大変捗ると云えます。また、他方で、読書が進みませんと、新たな作成記事の題材も徐々に枯渇してきますので、それらに充てる時間の配分は、今後もし、記事作成を継続するのであれば、少し考えた方が良いのかもしれません。

また、今後首尾良く1500記事まで到達することが出来ましたら、その後1~2週間ほど、ブログ、ツイッターから離れてみようと思います。そして、その間に集中して読むことの出来なかった書籍を重点的に読んでみようと考えています。ともあれ、これまで5年以上にわたり、どうにかブログ記事の作成を継続してきましたが、その期間とは、明確に断定することは出来ませんが、少なからず、これまでのボクの読書を含めた全ての経験をもととして作成してきたとは云えるはずです。あるいは、人によって程度は異なるのかもしれませんが、さまざまな経験の文章化を可能にするためには、やはり、ある程度の読書経験や、文章を読むことが日常化されていないと困難であると思われますので、端的に現在とは、これまでの読書経験と、その他の経験をもとにして、どうにか5年以上ブログ記事の更新というアウト・プットに至り、そして、現在において、これまでにも何度か経験したスランプ状態にあり「記事作成が出来ないのではないか?」と怯えつつ、こうして新たな記事作成を行っている状態と云えます・・(苦笑)。

しかし、こうして作成した記事に何らかの「読むに値する何か」があるのかどうかについては現時点では全く分からず、ただ、ある人は、1500記事到達まで、あと数記事の投稿の状況に至っても、こうした記事を作成している(た)ということは、ブログ記事作成における典型的な模範とはなり得ないものの、まあ「そうしたものなのか・・。」といった記録の一つとしては、あっても良いのではないかと思われるのです・・(笑)。

そして、まさにそうしたところにこそ、たとえわずかではあれ「読むに値する何か」があるのではないかと書き手としては期待するところなのです・・。

こうした心情を「自分勝手」であると思われる方々もいらっしゃるかもしれませんが、しかし、もともと、こうしたブログなどは、そもそもが「自分勝手」な表現であり、そして、ここもあるいは少し大事なことであると思われるところですが、「自分勝手」でなく「他者への何らかの有益な情報の提供」を、その動機としているブログなどの発信は、往々にしてあまり長期にわたる継続には至らず、むしろ「自分勝手」で始めて、その自発性によって為されているブログの方が、長期にわたる継続に結び付きやすいのではないかと思われるのです。

そして、その「自分勝手」にて作成された記事や文章のなかに、時折何か「面白い」ものがあると思われるのですが、それでも、そうした「面白い」ものとは、書き手の、それまでの、読書を含めたさまざまな経験をもとにしているため、やはり、さきに述べたように新たな文章作成の資源としての読書が必要であり、重要であると思われるのです・・。

また、その意味で1000記事への到達までと、1000記事到達後の現在目指している1500までの期間では、明らかに後者の方が辛いとボクの経験は語ります・・。また、この感覚を認識しているのは、ボクの精神であると云えますが、その精神は何を根拠にそのような判断をしているのかと考えてみますと、もちろん、さきに述べました通り、明確に断定することは出来ませんが、それは「ボクの読書経験が、これまでのアウトプットによって少し目減りしている」からであるのではないかと思われるのですが、それでも、この程度まで自転車操業的ではあっても、継続出来ているのであれば、この先1500記事まで、すなわち、あと9記事程度は、今月内にて、どうにか作成出来るのではないかとも思われるのです・・。

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2021年3月10日水曜日

20210310 「凪」のような状態から発して思ったこと:「靴」から始まり・・

 この先、凡そ2日に1記事の投稿ペースにて、今月中に1500記事への到達が叶いますが、今後も休みは取りつつも、出来るだけ毎日の記事投稿を目指していきたいと思います。とはいえ、本日は「凪」と云って良いのか、PCの前に座りしばらく経ってもなかなか着想・アイデアが湧いてきません。これが調子の良い日であれば、既に記事あらすじが脳裏に浮かんだ状態でPCに向かい、単にそれを文章化していくといった流れになりますが、実際のところ、そこまで調子の良い日はあまりなく、それよりも、本日のような外出らしい外出をしなかった日の記事作成は、さきに述べたように「凪」に近い日が多く、これが地味ながら記事作成に困難さを覚えるのです・・(苦笑)。

そうしたことからも、昨日、一昨日の投稿記事にて述べましたが、ボクの場合「徒歩での移動」が記事作成に少なからぬ意味を持っていると云えます。また、その意味から徒歩を支える「靴」については「服飾品の一つ」と見做されがちですが、ボクにとっては「日常で用いる道具」といった認識の方が強く、また、そうした靴を選んでいると思っています。

そういえば、靴こそは衣服以上に性別によって異なり、男性の靴は、全般的に「道具」的なものが多く、対して女性のそれは「服飾品」に近いといった傾向があるのではないかと思われます。その意味でスポーツ・シューズはユニ・セックスと云えますが、あるいは男女共に同じ型のスポーツ・シューズを履き、そしてジーンズを穿くようになりますと、社会全体のユニ・セックス化の下準備が為されるのかもしれません。その意味で、双方の近現代での発祥地と云えるのがアメリカ合衆国であることは、当然と云えば当然であるのかもしれませんが、それなりに面白いことであるようにも思われます。

また、個人的には、アメリカ合衆国に対する思い入れは、そこまで強いものはありませんが、世代的なものであるのか、こと靴や洋服に関しましては、それとは別次元にて、どうも否応なく魅かれてしまうのです・・(苦笑)。たとえば輸入洋品店に置かれている、多少値が張る革製品の匂いやボタンダウンシャツやチノクロスパンツやジーンズなどの、あの独特の匂いが、おそらくは、それらと遭遇した高校生の頃から好きなのです・・(苦笑)。

そういえば、かつて裏原宿に「プロペラ」という輸入洋品店、というよりも当時の語感でアメカジショップと云った方がスッキリとするお店がありましたが、このお店は、店の軒先にプロペラが掲げられているのが特徴であり、また、その店内が何と云いますか「海外の倉庫」といった雰囲気が強く、現在では分かりませんが、ほぼ同時代の渋谷の「バック・ドロップ」そして代官山の「ハリウッド・ランチ・マーケット」にも相通じるものがあったと記憶しています。

そして、その店内の匂いが、木材の防腐剤(クレオソート?)というのでしょうか、その匂いと、置かれている舶来の服や小物の匂いが混淆として、一種独特な匂いが充満していました。そのためプロペラで購入した商品は、しばらくの間、その匂いが取れずに、おそらくは分かる人には何処で購入したか分かっていたのだろうと思われます。

ともあれ、ボクはそうした中で、先日投稿の記事にて挙げましたダナー・ライトやラッセル・モカシンと遭遇し、双方共に高価であったため、長い間購入出来ませんでしたが、それから10年程経って、ようやく購入することが出来ました・・。

おそらく、前世紀90年代に青春を過ごされた世代の方々には、この嗜好様式をご理解頂けるのではないかと思われますが、しかしまた、現在になって思うことは、おそらく、そうしたモノに基ずく、即物的とも云える感性による価値観のみでは、何と云いますか不充分であり、そうした価値観から出発して更に構築された、他の観念的、抽象的な価値観あるいは思想を持つことにより、さまざまな事物の普遍的性質にまで達することが出来るのではないかと思われるのです・・。

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2021年3月9日火曜日

20210309 1490記事到達、達成感よりも欝々とした心情が勝る中で思ったこと・・

 以前の投稿記事にて「出来るだけブログ記事の文章は、形而上的である方が持続可能性がある。」といった主旨のことを述べましたが、それに対して昨日の投稿記事においては、ホテルフロント時代の経験から始まりましたが、全体としては主にモノについての意見を述べるといった感じの記事となりました。「これは矛盾ではないか?」と考えられる方々もあるいはいらっしゃるのではないかと思われます。しかしながら、多くの神経が集まる足を包むものとは、形而上的な作業を行うにさいしても大変重要な部位であり、ボクの実感からしますと、より多く歩き活動した日の方が、そうでない日と比べて、スムーズな文章作成が出来るといった傾向があるように思われます。

端的には、当ブログとは、主として散歩を含めた徒歩での移動と読書と日々の経験によって成立していると云えます。くわえて、現在もまた”緊急事態宣言下”にある首都圏ですが、昨年春のそれの時は、かつてないほどに人出が疎らであり、帰郷早々カルチャーショックを受けた記憶があります。また、そこから私も世間並に出来るだけ外出を控え、あまり靴を履かない自粛期間を過ごしましたが、同時に、その時のストレスによって悶々とした精神状態をバネとして一連の「架空の話」を書き始めたとも云えます。こちらも、今後、出来るだけ近いうちに続きを書き始めたいとは考えていますが、おそらく、それは当ブログが1500記事に到達した後になると思われます。

さて、1500記事と云えば、今回の記事投稿により総投稿記事数が1490に到達し、あと10記事の投稿にて当面の目標である1500記事に到達することが出来るわけですが、それでも、かねてよりの欝々とした精神状態は好転することなく、また、よく分からない圧のようなものは徐々に高くなり、記事作成を多少困難に感じさせるのですが、それと同時に、これまで記事作成によって得た経験や慣れから、どうにか毎回の記事作成を行っているのが現状と云えます。

おそらく、何であれ、あまり目標を意識し過ぎるのも良くないと云え、そうしたこともあり、以前の大きな到達地点であった1000記事の際は、あまり目標などと意識しないようにして、到達後もしばらくの期間は、何事もなかったかのようにして記事作成を続けた記憶があります・・。

しかし、その点において、今回の1500記事到達は多少事情が異なると云え、おそらく、その到達後は、しばらく書き続けることはせずに休息期間を設けたいと考えています。そして、その後また再度書き進めて行きたいと漠然とながら思ってはいますが、そこで果たして2000記事を目指すかどうかについては、現時点では全く考えていません・・。

また、側聞するところによりますと、ブログを3~4年継続するのは、それなりに希少であり難しく、そして1000記事以上の投稿もまた、それなりに困難であるとのことから、当ブログは、これらの見方によりますと、それなりに頑張っている方であるとも思われるのですが、おかしなもので、そうした情報を認識したこの期に及んでも、その実感は皆無に近く、むしろ欝々とした心情が相変わらず奥に控えて、ただただ記事作成を促しているように感じられるのです・・。

こうした心情の様相をあるいは「強迫観念」と称するのかもしれませんが、私にとっては、この心情がさらに活動を続け、そして次なる文体の相に至ることが出来るのではないかとも思われるのです。

そういえば、ここで突然「文体」というコトバが出ましたが、口語であれ文語であれ、その人独自の文章のリズム、癖というものは、おそらく、その当人が思う以上に強いものであり、また、そうしたものの集合体、あるいは最大公約数的なコトバ・観念が、同時代の時代精神に強く影響を及ぼしているのではないかとも思われます。

そして、この視座から、ここ最近の我々の社会を見ていて思うことは、たとえ明るくない状況にあっても、嘘でもいいから、とにかく明るい、前向きなコトバを発しようとしていることですが、それがやはり嘘(コトバとその本来示す意味が乖離する)ですと、徐々にそのコトバの本来の意味から離れていってしまい、何であっても明晰に考えられなくなってしまうのではないかと思われるのです。

その意味で、ボクが考えるに、現在の社会状況とは、後年になり歴史として記される段階になりますと「平成時代から次の令和時代においては、徐々に進行する経済力の衰退に対応するように、言語とその指し示す意味が乖離してゆき、また、文化においては活字文化が更なる衰退を辿り、それに代わってマンガ・アニメなどが主要文化と見做されるようになっていった。それはあまり文字に依拠しない、視覚・感覚的なものであると云え、この一連の時代では、PCやそれを基礎とした情報技術の進化によって、より一般的な文化は、視覚優位の状況に進んでいった。」といった感じになるように思われます・・。

*最後に、やはり靴だけは、出来るだけ、身の丈より少し上の高品質のものを履いた方が良いと思われます。

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2021年3月8日月曜日

20210308 ホテル勤務の頃を思い出して・・「靴について」

 さきほど、靴について述べた記事をツイッターにて共有しましたところ、思いのほかにインプレッションが伸びていました。これを読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。とはいえ、ここ最近は、どうしたわけか、書籍からの抜粋記事や他サイト記事のリツイートだけでなく、ボクの作成したオリジナル記事が意外な伸びを示すことも何度かありましたので、今回の靴についての記事も、おそらくは、その範疇に含まれるものであるように思われます。

靴に関して思い出すことはいくつもありますが、以前、南紀白浜でのホテル勤務の際、おそらくは当時の総支配人から、何かの機会に「靴は出来るだけ良いのを履いておいた方がいい。」といった意味のことを云われましたが、この勤務ホテルは外観は洋風であるのに対し、殆どの客室は畳敷きの和室であり、また、さまざまな用事にて客室に入る機会が多いフロントスタッフは靴紐を解かなくとも、すぐに着脱可能なローファーを履いている方々が多かったです。

当時の勤務ホテルフロントスタッフは、自分が打合せ等の対応を行った団体宿泊客の宴会場には足を運び、その宴会裏側で、配膳の様子や宴会の流れなどを見て、時には旅行会社の添乗員と後席などの交渉をしつつ、下げ膳を手伝い、あるいは調理場への連絡係にもなり、それはまさに「何でも屋」と云って良い存在でした・・。

そして、こうした活動を毎日のように続けていますと、革靴はスグにボロボロになってくるものであり、2001年4月の着任後からおそらくは半年も経たずに職場用の革靴を買うことになった記憶があります。そして、そこで、さきの総支配人のコトバを思い出したのか、職場用の革靴としては高価とも云えるリーガルの黒ローファーを、当時一般化しつつあったネットショッピングにて購入しました。

さて、このリーガルのローファーは流石に履き心地が大変快適であったことから「スゴイ!」と感じられました。そこで、さきの総支配人のコトバの意味の一片を実感を以て理解したわけですが、他方、ボクは私用の靴については、かねてより多少こだわっており、当時、若者の間で流行していたレッドウィングのブラウンのチャッカブーツをはじめとして、いくつかの靴をローテーションにて履いていました。

その後会社を辞め、大学院生として和歌山市在住の際も、それらアイテムに若干の変化はありましたが、それなりに手入れをして、履き心地の違いなどを楽しんでいました。靴の履き心地は、比較的長時間履いた後の疲労感によってはかることが出来ると思われますが、その意味で、やはりそれなりに高価が靴は、相対的に疲労感が少ない傾向があると云えます。

この認識は年齢を重ねていきますと、更に強くなるものであり、現在に至っては体質に合わない靴を履いた後の疲労感はそれなりに大変なものであると云え、その意味からも、さきにあげた総支配人の「靴は出来るだけ良いのを履いておいた方がいい。」のまた別の一片を意味を実感し得たと云えます。

そして、その後歯科技工専門学校に通うために戻った首都圏にて、さきの記事にて述べましたラッセルモカシンのチャッカブーツを購入したわけですが、この靴は全体的に柔らかな質感で大変履き心地が良く、その後、ダナー・ライトを購入するまでは「最高」と考えていました。

さて、未だこうした御経験のない皆様、時計などの装飾品に凝るのも面白いのかもしれませんが、御自身の健康にも密接な関係があると云える「靴」についてもう少し考えてみますと、まさに足元から何かが変わってくることもあるのではないかと思われますが、如何でしょうか?

とはいえ、現時点でのボクはダナー・ライトで充分であると思っているのですが、果たしてその先には何か新しい靴に関しての価値感が生じるのでしょうか?

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2021年3月7日日曜日

20210306 乗気でなく始めた記事作成でも(それなりに)重要な理由

 今回の記事投稿は、早朝に起きて書き始めることにしました。特に、これといった理由はありませんが、こうした試みにより、何らかの発見が見つかれば、それはそれで貴重であるとも思われますので。

また、ここ数日間は毎日1記事ずつ投稿してきましたが、これも徐々に慣れてきますと、また2018年半ば以前のようなペースにて投稿出来るようになるかもしれません。とはいえ、当ブログは現在、当面の目標としている1500記事まで残り20記事を切っていますので、ここでペースを上げて書き続けるというよりも、ある種ラスト・スパートのようなものと考えた方が後々気が楽であるように思われます・・(笑)。

そして、今後、順調に1500記事まで到達することが出来ましたら、その後、少なくとも1~2週間程度は記事作成を完全に止めても良いのではないかと考えていますが、これもまた先のハナシであり、実際にそうした状態に至った場合、そこで生じる感興とは、ここで述べた考えとは異なるということも充分にあり得るとも思われます。

何れにせよ「獲らぬ狸の皮算用」をするよるは、とりあえず、それを題材にしてでも、新たに1記事作成して投稿する方が、現在の私にとっては重要なことであるとは云えますが(笑)。

しかし「そのような一種打算的あるいは、いい加減とも云える心境にて作成した記事にどれだけの価値があるのか?」と問われますと、それに対しての明確な返答は困難ですが、しかしながら、どのような心境であっても、一端書き始めてみますと、また別の心境が生じ、さらにそこから、また別の心境へと変化していき、ある程度記事作成が進んだ頃に至っては、その書き始めて当初の心境そのままであるということは珍しく、これは何と云いますか、ある程度の集中や没頭を要する作業全般に当て嵌まることであるのかもしれませんが、ある種「意識の変容」が生じているのだと思われます。

そして、あまり意見として聞くことはありませんが、こうした作業に伴う意識の変容の蓄積が、その更に奥あるいは基層にある精神に対しても徐々に作用してゆき、その次の何かしらの変化・変態が生じるのだと思われるのです。(ここに普遍性があるのか分かりませんが)

異言しますと「記事作成毎に生じている意識の変容が蓄積してゆくと、次第に、その基にあるさらに大きな意識・精神に対しても何らかの変化が生じる」といったところですが、これはボクの場合、ブログ記事の継続的な作成を通じ、自分自身を用いて実験を行っているところであり、たしかに2015年あたりと比べますと、文章作成については「何となく変わったかな?」とは思いますが、それでも覚醒や強い実感のようなものは全くありません。(ここにも普遍性があるのか分かりませんが)

あるいは、この期間における自分の意識の変容を高速度カメラのようなもので可視化することが出来ましたら、それはそれで面白いのかもしれませんが、それは文章による記事という性質から、やはり文章を読むことによる認識や理解の方が、何らかの媒介的技術を用いるよりも善いのではないかと思われます・・。

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