2019年7月21日日曜日

20190720 歴史の進行を左右するものについて

本日は22:30頃、東京から徳島に戻りました。帰りの飛行機は徳島上空が視界不良のため、上空にて待機した後、滑走路へ進入し着陸したため普段よりも到着が遅くなりました。
また、上記の理由により、飛行機に乗る時間が長くなり、気圧の違いのためか胃や耳が不調になり、着陸後しばらくはグッタリしていました・・。

とはいえ、今週についても週末くらいはブログ記事を作成しようと思い立ち、さきほどから記事作成をはじめた次第ですが、案の定特に記事主題を決めているわけではありません・・(苦笑)。

そういえば、現在読み進めているウンベルト・エーコ著「プラハの墓地」はその後450頁過ぎにまで至り、残り100頁に満たずして読了に到ります。この著作をはじめ欧州の近現代を舞台として史実に沿った内容の著作を読んでいますと、社会における個々人が持つ考え、思想の意味合いが、歴史の進展において無視できない程に重要なものであることが分かります。

その理由は、さまざまな考え、思想を持つ登場人物達が作中
にて会話、議論する、あるいは著者が作中にて独白するさまは、まさしく、著作舞台となっている時代の様相・時代精神を表すものであると同時に、ある程度巨視的に見た場合、それらの背景にある「生の枠組み」のようなものの普遍性をも見出すことが出来ると考えるためです。

そして、こうした様相・時代精神そして生の普遍的な枠組みを読者に対して的確・明瞭に伝える・訴える著作(それは論文、物語、詩と如何なる文章の形式であろうと)こそが、時代を通じて読み継がれるものであると考えます。

そうした視座から、古くから、そして多くの国々にて読まれている著作には、たとえ現時点の自分では理解できないにしても、やはり何らかの価値が少なからずあると考えることが出来ます。

また、ある程度読書習慣を持たれている方々は、概ね、上記のことは理解・体得されていると思われますが、恥ずかしながら、自身も含め我々の社会には、そのことを忘れ「(現在の)自分では理解出来ない、分からない著作には特に払うべき価値はなく、また、そうした意見が世間一般において多数を占めていると思われる場合は、尚更、そのように判断しても構わない」といった割合強い傾向・性質があるようにも思われるのです。

その一方で我々が併せ持つ「即視覚的な要素については、かなり感受性が鋭い」という傾向・性質は、今後の世界規模のパラダイム・潮流において、どのように作用するのであろうか、そして、その先にどのような展開が期待されるのかと考えることは、思いのほかに重要であり、また同時に、それはさきに述べた様々な社会の様相・時代精神そして生の普遍的な枠組みをあらわした諸著作を読むことによって為し得ると思われるのですが、どのような理由に因るものか、我が国の社会全般には、書籍を読む文化は根付いているものの、こうした読み方の習慣については、さきのものほど根付いていないように思われます。

そして、出来るだけ多くの人々が自然と、それを行うようになるためには、教育の仕組みや制度の改革などよりも、やはり「そうしたことを教える人」が重要であるのではないかと自身の経験は語るのですが、さて、いかがでしょうか・・。


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2019年7月15日月曜日

20190715 ホセ・オルテガ・イ・ガセット[著] 木庭 宏[著・訳] 松籟社刊「オルテガ 随想と翻訳」pp.42-45より抜粋引用

ホセ・オルテガ・イ・ガセット[著] 木庭 宏[著・訳]
松籟社刊「オルテガ 随想と翻訳」pp.42-45より抜粋引用
ISBN-10: 4879842761
ISBN-13: 978-4879842763

『オルテガの大学論の中心テーマの1つは、教養の意味の闡明と教養学部創設の提案にある。そこでまず、《一般教養》と真の教養の意味についてオルテガが述べるところを引いてみよう。以下の引用文中に「教養(文化)あるいは「文化(教養)という括弧つきの概念が出てくるが、それは、教養と文化の両義を持つスペイン語の語彙 cultura を表現し得る単語がドイツ語にも日本語にもないためである。

〈一般教養〉。この愚劣で俗物的な響きは、その不実さを示唆している。家畜や穀物ではなく、そもそも人間の精神に関わる教養は一般的でしかありえない。人は物理学や数学で〈教養〉を積むことはできない。せいぜいこの領域で知識を身に付けるくらいである。一般教養という言葉が用いられるとき、その意味するところは、学生に何がしかの装飾的知識を、彼の性格ないし精神に漠然とした教育的影響を及ぼしそうな知識を与えるべし、ということである。こうした漠然とした目論見のためなら、技術的要素が比較的少なく、厳密性の乏しい科目ならば、科学であれ歴史学であれ社会学であれ、何でも用いることができるのである。
 しかし私たちがいま一跳びして中世へ、つまり大学発祥の時代へと立ち返ってみると、現代まで存続するこの残存物が、実は、もっぱら当時の大学の本来の内実をなしていた物のささやかな名残であることに気付くだろう。
 中世の大学は研究を行わない、職業教育もほんのわずかしか携わらない、すべたがただ・・「一般教養」-神学、哲学、いわゆる人文科学なのである。
 それはしかし今日「一般教養」と呼ばれるようなものではなかった。決して精神の飾りでも、また人格修練でもなかった。いな、その逆である。それは、あの当時の人間が自らのものと呼んでいた、世界と人類に関する諸理念の体系であった。つまり実際に自らの存在の指針となる様々な確信のたくわえだったのである。生は混沌であり、原生林であり、錯乱である。人は生の森のなかで道に迷う。寄る辺のない世界での挫折感、この感情に対して人間精神が、生の森のなかに「小径」を、「道」を見出さんとする努力で応えるのである。「道」とはすなわち、宇宙についての明快かつ確たる理念のこと、世界とは何か、事物とは何かという問題についての積極的な確信のことである。これら理念の総体、その体系がしかし言葉の最も真なる意味での教養(文化)なのであり、それゆえ装飾物とは正反対のものである。教養とは、生という大海のなかで座礁せぬように我々を守ってくれるもの、無意味な悲劇に終わったり、汚辱にまみれたりするのない生の営みを可能にしてくれるものなのである(148頁)

「一般教養」という「愚劣的な響き」を表現するのに、日本の学生たちの間で用いられているジャルゴン、「パンキョウ」(般教)以上に露骨なものはない。ここから、学生たちが一般教養なるものをあってもなくても良い価値低きものとして、蔑視していることがよく見て取れよう。さて、右の引用文であるが、その第1節では、たとえば日本の大学の旧教養学部における一般教養の曖昧さが鋭く指摘されているといえる。そして、第2、第3節において中世の大学制度に遡及し、そのあと、最後の第4節で、教養とは「世界と人類に関する諸理念の体系であった。つまり実際に自らの存在の指針となる様々な確信の貯えだった」ことがきわめて明快かつ論争的に説明されている。教養は、上流社会の取り澄ました人々が上着にぶら下げるような装飾物などではない。かつて我が国で喧伝され、今ではすっかり廃れてしまった、あの(岩波)教養主義とか教養人とか言われる類のものではないのだ。そしてここで、オルテガが教養について敷衍する箇所をさらに2つ引いておこう。いくらか重複しているが、それぞれ違った表現で、違ったアスペクトから描かれているので、引用は不可欠である。

教養(文化)とは、それぞれの時代が所有する生きた理念の体系である。もっと適切に表現すれば、教養とはある時代がそれをもとにして生きる理念体系である。逃れるすべはない。人間はつねに特定の理念群をもとにして生き、そしてこれら理念が彼の存在に依拠する基礎となっているのだ。それらの理念ー私はこれを「生きた理念」もしくは「生の糧となる理念」と呼んでいる―は、世界とは何か、私たちの同胞とは何かという問と、そして、事物と行為に与えられる価値のヒエラルキー、すなわち、何が尊重さるべきか、何がさほどでないか、に関する、私たちの実際的な確信の蓄積であり、それ以上でも以下でもない。(160~170頁)

啓蒙と文化(教養)は幾人かの有閑人が自らの生の上着にぶらさげる装飾品に過ぎぬとする曖昧な考え方は、いかなる種類のものであれ、断固排除さるべきものである。これ以上ひどい曲解はないだろう。文化(教養)は生と切り離せない必然である。それはちょうど手が人間の一部であるように、私たちの存在の本質に属するものなのである。[中略]自らの時代の高みに生きない人間は、自分の実際の生に見合う水準以下にとどまっている。つまり、自らの生を偽り、歪めている、十全なる意味で生きていない、ということなのである。(173~174頁)

教養に備わっていた本来の生きた意味を人びとの記憶のなかに呼び起こし、それを活性化させんとするオルテガの目論見とその議論にはたしかに説得力がある。もしも教養、文化がそのようなものであるのなら、大学で教養を教えることは不可避のこととなり、またそうした思想は当然ながら学部創設の基本理念ともなりうるのである。』


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2019年7月14日日曜日

20190714 新たな考え・意見について【抽象的なものの重要性?】

これまで1200近くのブログ記事を作成してきましたが、それら記事の中で「これまでになかった新たな考え・意見はあったのか?」と考えてみますと、それはなかなか難しいものがあります。たとえば、投稿記事のなかで、自分では新たな考え・意見を述べたと思ったとしても、それらの大半は、たとえ無意識に近いものであったとしても、これまでに自分が読んだ複数著作に書かれている意見を自分なりに解釈し、そして、それらを組み合わせたものであると云えることから、それらは厳密には新たな考え、意見と評価することは出来ないと考えます。

これは当ブログに比較的多い、何かについて考え・意見を述べたような記事においては、特にその傾向が強く、また同時に、それは当ブログのみならず、刊行されている書籍大半に対しても当て嵌まるのと考えます。

そうしますと「では、どのような記事が新たな指摘・意見を述べている可能性があるのか?」と思うところであり、それに対して、これまでブログ記事を作成していて思うことは「これまでに何度かあった、パッと閃くように、ある意見が脳裏に現れ、それを表現、文章化することが出来たと思われる記事は、いくらか、そうした可能性があるのではないか。」といった感覚的な返答になります。

このパッと閃くように考え・意見が脳裏に現れることは意識による操作、制御可能なものではなく、まさしく「所構わず」であり、また同時に、人によってもその現れ方が異なると思われることから、普遍的な(万人に共通する)意味での効率化は困難であるように思われます。

とはいえ、そのさらに基層にあるものに関しては、ある程度共通して「意識が何かに集中、向かっている時」であると思われ、その中で意識が緩んだ際に「パッと閃く」ようにして考え、意見が浮かんでくるといったメカニズムがあるように思われます。

このようにして得られた考え、意見は、その背景が、さきに述べたように「意識が何かに集中、向かっている時期」であることが多く、この意識のフィルターを経て現れたものであることから、何と云いますか、意識上にあるものに対し、自由な解釈が為され、抽象度が高いものと云えます。

この抽象度が高いということは、異言しますと「新たな考え、意見」に結節し易い状態といえ、こうした言説の状態・様相から、他の何らかの具体的な事象が思い起こされることは、それはそれで一つの共通性、通底する何かを見出したことになり、さらに、その過程を文章化しますと、それはそれで価値があり、あるいは新たな考え・意見ということになるのかもしれません。

自身のこれまでのブログにて比較的明瞭に、そうした過程を経て作成された記事を考えてみますと、それは2年前の投稿記事「20170506 昨日の端午の節句にて思ったこと・・靫・矢屏風から」であると思われます。

また、確証はありませんが、ここで述べている「靫と矢屏風に共通する破邪あるいは境界性の強調といった呪術的な意味合いが、古墳時代から近世まで継続されてきたのではないか。」という考えは、これまで読んだ書籍になく、また、人から意見として聞いたこともありませんでしたので、新たな考え・意見である可能性があり、且つ、歴史を考える上で、そこまで荒唐無稽な意見でもなく、あるいは実存した(する)価値観、観念を示したものとして検討の余地があると思われますので、今後、機会があれば、さらに関連する書籍などを読み、深めてみたいと思います。

さて、現在読み進めているウンベルト・エーコ著「プラハの墓地」は、その後350頁を越え普仏戦争、パリ・コミューンの頃を描いていますが、当著作のように、舞台となる時代背景に入り込み、価値観等を含めて、その当時の人々になり切り、物語を進めていくスタイルは簡単なようでありながら、かなり難しいのではないかと思われます。こうした特徴は同著者による「薔薇の名前」も同様であり、またロバート・グレーヴスによる「この私クラウディウス」もまた、そうした名作であると考えます。

そこから、果たして現代の我が国に、これら著作に匹敵するような(シェークスピアに対する木下順二のような意味でも)作品はあるのだろうかと考えてみますと、あるいは、丁度こうした史実の再現性と登場人物のリアリティー、同時代性を共存させるような世界の構築といった作業は、我が国の場合、マンガ・アニメといった即視覚の世界に集約化されていってしまったのではないかとも思われるのですが、さて、如何でしょうか。

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2019年7月7日日曜日

20190707 「プラハの墓地」を250頁程度まで読んで思うこと

引き続き、先日の九州南部を襲った大雨による被害が軽微であったこと、そして、その復旧が速やかに為されることを願います。

さて、驚くべきことに昨日、ブロガーにて投稿分の記事が、かなり多くの方々に読んで頂けていました。これを読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

とはいえ、この昨日投稿分の記事は、内容がどちらかというとマニアックであることから「この記事の閲覧者数はシケるだろう・・。」と考えていました・・(苦笑)。

そうしますと「この記事の何が、この閲覧者数に結びついたのだろうか?」と疑問に思うところですが、正直なところ、その理由はイマイチよくわかりません。しかし、おそらくこれまでの日本語で書かれたWeb上での言説にて「プラハの墓地」作中150頁周辺と映画「山猫」の同時代性を指摘したものは初めてであったと思われますので、これが多少効いたのではないかと推測するところですが、さて如何でしょうか?

さて、先日来の「プラハの墓地」は、今週末で漸う250頁程度まで読み進みました。ここに来てまた新たな展開となり、次の舞台は1860年代のパリになります。ともあれ、このように同一の主人公が同時代での各地の出来事に関与していくスタイルは、エルジェによる「タンタンの冒険」に近いものがあるのではないかと思われます。そういえば、この「タンタンの冒険」の1作品「ユニコーン号の秘密」は2011年にスティーヴン・スピルバーグ監督によって映画化されていますが、同様に「プラハの墓地」も、同監督によって映画化されると、大変興味深く、面白い映画作品になるように思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、こうして、ある著作を読み進めていく中で、それに関連すると思われる著作、映画作品等が半ば不随意的に思い起こされることは、自身としてもなかなか面白いものがあり、おそらく、こうした習慣のようなものは、その多くは、文系分野での師匠からの影響であると思われますが、同様に、まだまだこの師匠の足元にも及ばないとも思いますので、今後も引き続き、無理をしない程度に、こうした日常的な取り組みを続けて行きたいです。(いずれ何かの役に立つことがあるのだろうか・・?)

ちなみに昨日の記事投稿以来、ブロガーにて「20180108 岩波書店刊 トーマス・マン著『魔の山』上巻pp.264-268より抜粋引用」を読んで頂いていたことは大変興味深く、こうした反応があるからこそ、惰性にはなりつつも、記事作成を止めようとは思わないのかもしれません・・(笑)。

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2019年7月6日土曜日

時代の変革期を描いた作品について

先日の九州南部を襲った大雨による被害が軽微であったこと、そして、その復旧が速やかに為されることを願います。

 今回の記事投稿により、総投稿記事数が1195に到達します。そうしますと、残り5記事の投稿により1200記事へ到達することになります。以前にも述べましたが、この1200という数字も、そこまでキリの良いものではなく、今後、たとえ首尾よく到達することが出来たとしても、それは1つの通過点と見るべきであり、今後も記事作成を継続した方が良いのか、あるいは、キリが良くなくとも、このあたりで当ブログの更新は止めるべきであるのか少し考えさせられるところです。もちろん、こうしたことは最終的には自身で決めることではあるのですが、他方で、こうして、思ったことを文章化しておくことは、少なくともブログ記事数カサ増し以上の価値はあるのではないかとも考えています・・(笑)。

さて、先日から読み進めているウンベルト・エーコによる「プラハの墓地」は、今週、比較的読書に充てる時間が少なかったことから、その後、漸う200頁まで至りました。今週末は出来る限り読み進めようとは考えていますが、果たして、どの程度まで進めることが出来るでしょうか・・(苦笑)。

ともあれ、ここまで読んでいて不図思い起こされたのはルキーノ・ヴィスコンティ監督の「山猫」という映画作品です。この作品の舞台、時代背景がおそらく「プラハの墓地」150頁あたりと同じであり、また、この映画作品は当時の時代精神、雰囲気がよく再現されていると思われますので、興味のある方は是非ご覧ください。こうした、まさしく「重厚」な映画作品は、ここ最近かなり少ないように思いますので、かえって楽しく観ることが出来るのではないかと考えます。
ルキーノ・ヴィスコンティ監督「山猫」

また映画「山猫」にて、すぐに思い起こされるのは、以前にも当ブログで取り上げました映画「大いなる幻影」(『La Grande Illusion』)・「日の名残り」(『The Remains of the Day』)であり、これら映画作品を起点として、あるいはそれぞれ作品内容の関係性から、近現代史あるいは国際関係論なども概説程度は学ぶことが出来るのではないかと思われますが、さて、如何でしょうか。

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2019年6月30日日曜日

20190630「4年間の記事作成を通じて思うこと」

ここ最近は、ほぼ毎日の記事投稿を行っていなかったことから、去る6月22日で当ブログをはじめてから4年経過していたことを忘れていました。4年間、毎日1記事づつ投稿し続けますと1460程度の記事が作成出来る計算になります。他方、これまでの作成、投稿記事の総数は1180程です。そのように考えてみますと、それでもこの記事数を4年間に均しますと、10日のうち8日は記事を作成してきたことになります。

また、あと数記事の投稿にて総投稿記事数が1200に到達しますが、1200記事まで到達しますと、果たして何か面白いことでもあるのでしょうか・・(苦笑)。

とはいえ、4年間であろうが1200記事であろうが、ある程度の期間、数量、ブログ記事作成に費やしてきましたが、未だに文章が上手くなったというような実感はありません・・。

ただ、少し実感として分かることは、公表する文章の作成に対する抵抗感がかなり少なくなったことです。これまで4年間で40万人以上の方々に当ブログを読んで頂きましたが、喜ぶべきことであるのか、所謂「炎上」のようなことは起きたことはありませんでした。また、当ブログをはじめた当初は、間接的にではありますが、当ブログのことをくさすようなご意見を聞くことも度々ありましたが、2年程度記事作成を続けていますと、あまりそういうことは聞かなくなり、むしろ抜粋引用している著作についての理解度を試すような質問を素知らぬ顔でされることが多くなったように思われます・・。

また、先日ブロガーにて投稿した『「翔ぶが如く」を読了し、次の著作を読みつつ思ったこと』の投稿直後から、当記事内容に関係あると思われる既投稿記事がいくつか読んで頂けていましたが、こうした反応を見て、それぞれの読んで頂いた記事内容の要点を関連付けることにより、さらに、もう少し大きな思想への関連付けることが出来るようになるのではないかと考えます。そして、まさに、この関連付け作業を行っている時に、私は、かつて読んだ書籍およびその著者から、これまでにある程度議論を重ねてきた方々のことが、おそらくほぼ無意識に脳裏に広がっています。

この作業は、その時に面白いと思われる考えが浮かんでも、後になりますと、あまり面白いとは思われなくなること、あるいは数日経て、さらに面白いと思われる考えが浮かんでくることなどもあり、規則性のようなものはありませんが、ブログ記事を作成していて面白いと思うことの1つと云えます。

また、先日来からいくつかの大学のことを当ブログにて掲示していますが、これは公募への応募活動を行っていた際、そして医療法人にて勤務のおり、求人関連などで問合せをさせて頂いた際に情報収集のためメルマガ登録を行ったのですが、メルマガ登録以降、現在に至るまで、たびたびそれら大学さまからメールマガジンを頂くのですが、これに対し何も反応しないのも悪いのではないと思ったことから、先日以来、これら大学のことを取り上げさせて頂いているのです。そして、ある時「このブログでわざわざ掲載してもしなくても、別にあまり変わりはないのではないか・・。」と思い、1大学の情報を掲載しなくしました。

そうしますと、その翌日か翌々日に当大学からのメールマガジンが届きました。おそらく偶然であるのでしょうが、そうしたことからも、今後、出来るだけ記事更新の際は、こうした情報も掲載させて頂こうと思います。

先日来のウンベルト・エーコ著「プラハの墓地」はその後150頁以上まで読み進み、また面白い展開を見せていますが、ここまで読んで思い起こされた著作は岩波文庫刊コンラッド著「コンラッド短編集」です。これら短編の中でも特に「無政府主義者」「密告者」「伯爵」などは前述「プラハの墓地」と時代背景、文化ともに共通するものが少なからずあるように思われますが、さて如何でしょうか。


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2019年6月24日月曜日

20190624 「翔ぶが如く」を読了し、次の著作を読みつつ思ったこと

先日ようやく「翔ぶが如く」全10巻を読了しました。これまで当作品に関して記したいくつかのブログ記事は、投稿直後から、ここ最近の投稿記事では珍しいほど、多くの方々に読んで頂きました。これらを読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。


この作品を読了し思ったことの1つは、我が国の「官」についてです。この作品では、現代に繋がる我が国の「官」の体制が、未だ盤石でなかった時代が描かれていると云えますが、おそらく、良くも悪くも、この作品にて描かれている西南戦争による「学び」から、我が国近代国家の統治の癖のようなものが定着したと思われます。

そして、それが時代を経るごとに、少しずつカタチを変えつつ、同時に根本的には大きな変化をすることはなく、太平洋戦争後の現代に至るまで継承され続けているように思われます。また、そうした「統治の癖」がインターネットによる情報化社会によって露わになり、その「統治の癖」と「社会全般での意識水準」の均衡を得るため、何と云いますか「時代精神の変革」を余儀なくされているのが現在であると云えます。

とはいえ、こうした時代精神の(特に内発的な)変革は、おそらく、我が国が不得意とするところであり、また、その変革のためには古今東西の事例、すなわち、
研究などにより、ある程度明瞭に抽象化された歴史像の存在および、その社会での定着が重要であると思われるのですが、これがさきの「時代精神の変革」から遡り、さらに不得手であるように思われるのです。

一概には云えませんが、我が国社会全般が持つ性質として、即物的に感知可能と云える 
表層的な要素に対しての感受性はかなり鋭い一方で、抽象的な意識の連合、あるいは思想に関しては、それらに基づいて他の考えを評価したり、新たに他の思想を組み立て、表明することを、敢えて避けるようなところがあると思われます。 

そして、その淵源について考えてみますと、近代社会以降に関しては、冒頭の「官」による西南戦争からの学びがあるのではないかと考えます・・。さらに、そうした「官」側の姿勢を批判したものが福沢諭吉や夏目漱石にはじまり丸山眞男に至るまでの近代日本について述べた思想家、著述家など人文社会科学分野の系譜であると云えるのではないでしょうか。


また、そのように考えてみますと、昨今、主に会社経営、医学など実学分野での学問研究に対しては「官」側からも積極的に支援する一方、歴史や思想といった即物的には実学とは (到底)云い難い学問研究は、以前に比べ、さらに避けられている、もしくは多少悪意的にとれば「エピゴーネンの生成」に腐心・注力しているようにも思われます。 

そして、そうした視座に基づき、先日から当ブログにてとりあげたウンベルト・エーコによる「プラハの墓地」を読んでみますと、なかなか考えさせられるものがあると思われます。


そういえば、「プラハの墓地」は、その後100頁以上にまで読み進み、また、現在そうした状況であることから、さきに読了した「翔ぶが如く」と、当著作を関連させようとするのかもしれませんが、以前も当ブログにて述べたことですが、面白いことに両著作の時代背景は20年程度しか変わらないのです・・。 

さらに、こうしたことを書いていますと不図、想起されるのは、さきの両著作時代背景の 中間期の我が国社会を背景とし、また、作中随所に当時の社会状況についての描写も見られ、そして饒舌とも云える独白形式の文体が作中多くを占めることにより「プラハの墓地」とも共通する要素があるように思われる夢野久作による作品「犬神博士」なのですが、さて、この指摘は面白いでしょうか・・(笑)。

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