2021年11月30日火曜日

20211129 一昨日の引用記事を巡り思い出されたこと

本日は帰宅が若干遅かったことから、記事作成を止め、早めに休もうと考えていましたが、 一昨日投稿のロバート・グレーヴスによる 「さらば古きものよ」からの引用記事が、思いのほかに多くの方々に読んで頂いていたことから、時刻が多少押しているものの、たとえ多少短いものであっても記事作成をした方が良いと考えをあらため、つい先ほど記事作成を始めました。

この「さらば古きものよ」は、以前にも何度か当ブログにて挙げた前出ロバート・グレーヴスによる作品ですが、これをはじめて読んだのは同著者による「この私クラウディウス」を読み終え、しばらく経った2004年であったと記憶しています。丁度当時は、南紀白浜から東京へ転勤となり、本格的に大学院への進学のための活動を始めた頃であり、出席させて頂いた大学院進学説明会にも持参して移動時に読んでいた記憶があります。移動時とは云っても、電車内のみならず、当時は活字に飢えていたこともあってか、現在の歩きスマホ、あるいは二宮金次郎のように、駅構内での徒歩移動の際にも読んでいました。

また、当著作を読了後またしばらく経ち、再度、和歌山県の今度は和歌山市に住むことになりましたが、この在住時には「この私クラウディウス」そしてロバート・グレーヴスを知るきっかけを与えてくださった文系師匠が何度かこちらまで足を運んでこられました。そして、その滞在中の会話で「さらば古きものよ」も出てきましたが、どうしたわけか師匠はこの作品は名前は知っているものの読んだことはないとのことであり、この時の会話にて当著作に大変興味を持たれたようでした。

それからまたしばらく経ち、私が鹿児島にて(どうにか)学位を取得し、実家に戻り警備員のアルバイトをしながら求職活動を行い、あるいは当ブログを始める少し前の頃、師匠にお目に掛かった折に師匠の方から「さらば古きものよ」についての話題が出ました。その内容は当時刊行されたエヴェレスト初登頂を目指す英国登山隊を題材とした翻訳作品に師匠が関与され、そして、その作品の背景や文脈を理解するためにロバート・グレーヴスの「さらば古きものよ」は大変役に立ち「これは以前、君がこの作品を教えてくれたからだ。」といったものでした。

しかしながら、私は同著者による「この私クラウディウス」は師匠が送ってくださった冊子や書籍から知るに至り、そこから同著者による他作品にも興味を持ち「さらば古きものよ」を手にして読んだと云えますので、その源流を辿りますと、師匠に返るとも云えそうです・・。

しかし、それでも5年前の投稿記事「もう一人の師匠について P51 兵器開発 武器貸与法」にて書かれている前世紀末頃の私と比べますと、あるいは多少進歩したとは云えるのかもしれません・・(笑)。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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2021年11月28日日曜日

20211127 株式会社岩波書店刊 ロバート・グレーヴス著 工藤 政司訳 「さらば古きものよ」上巻 pp.15-17より抜粋

株式会社岩波書店刊 ロバート・グレーヴス著 工藤 政司訳
「さらば古きものよ」上巻 pp.15-17より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003228618
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003228616

 パスポートの国籍欄には「イギリス国民」と書かれている。ここで私は、「黄金の書」の冒頭にローマ皇帝にふさわしい美徳を授かった先祖や親戚の名前を挙げたマルクス・アウレリウス王にならい、私がローマ皇帝はおろか、ときどきを除いてイギリス紳士でさえない理由を説明したいと思う。母の父方は苗字をフォン・ランケといい、代々ザクセン地方の牧師で、家柄の旧い貴族ではない。貴族を示す「フォン」がつくようになったのは最初の現代史家だった大伯父、レオポルド・フォン・ランケからで、私はある程度彼のおかげを被っている。彼は、「私はキリスト教徒であるまえに歴史家である。要するに私の目的はものごとが実際どのようにして起こったかを発見することに尽きる」と述べて同時代の歴史家の顰蹙を買った。彼らを怒らせたのはそれだけではない。フランスの歴史家ミシュレを論じたさいに、「彼は真実が語れない文体で歴史を書いた」と言ったこともそれに油を注いだ。トーマス・カーライルが彼を「無味乾燥」だと非難したのは決して不名誉なことではなかった。不体裁なまでに大柄な私の体、我慢強さ、エネルギー、生真面目さ、それにふさふさした髪、などは祖父のハインリッヒ・フォン・ランケ譲りである。彼は若い時分には反抗的で、無神論者でさえあった。プロイセンの大学で医学生であった彼は、大逆罪に問われたカール・マルクスを支持して学生デモが行われた1848年には反政府活動に参加した。マルクス同様、彼らは国外退去を余儀なくされた。祖父はロンドンに逃れ、そこで医学の修行を終えた。1854年、彼はイギリス陸軍の連隊所属軍医としてクリミア戦争に従軍した。祖父に関するこうした知識は、子供のころにたまたま彼が言った言葉に端を発していれる。彼はそのとき、「大男が丈夫だとはかぎらないものだよ。セバストポールの塹壕では、小さな工兵が平気な顔をしているのに雲を衝くような体をしたイギリス軍の近衛師団兵がやられて死んでいく、こういうのを何十人も見たもんじゃ」と言った。しかし、堂々として押し出しのいい祖父は長生きした。

 彼はロンドンで祖母と結婚した。祖母はシュレスヴィヒ生まれのデンマーク人でグリニッジ天文台の天文学者だったティアルクスの娘で、信心深く、おどおどした小柄な女だった。彼女の父親が天文学を専攻するまえには、ティアルクス一族はデンマークの田舎の習慣に従って父親と息子が交互に別の職業に就いた。偶数の世代は板金職になり、奇数世代は牧師になったわけだが、これはあながち悪い習慣ではない。穏やかな私の性格は祖母から受け継いだものだ。彼女には十人の子供がいたが、一番上の母はロンドンで生まれている。祖父の無神論と急進主義は年を経るにつれ穏健なものになった。彼は結局ドイツに帰ってミュンヘンで有名な小児科医になったが、子供の患者に新鮮な牛乳を飲ませるべきだと主張したヨーロッパで最初の医師はおそらく彼である。通常の手段では新鮮な牛乳を病院に確保することはできない、とみた祖父は模範的な酪農場を自ら開いた。彼の不可知論はルターの敬虔な信奉者だった祖母を悲しませた。彼女は祖父のために祈ることを決してやめなかった。けれども、彼女の祈りはとりわけ子供たちの魂の救済に注がれた。祖父は考え方をまったく改めずにこの世を去ったのではなかった。

2021年11月25日木曜日

20211124 昨日投稿記事の続き『「文学」の持つ意味や価値』について・・

昨日投稿記事の最後にて「「文学」の持つ意味あいや価値」と述べましたが、私のこれまでの経験からは、認識の仕方、つまり、それまでの考え方を変えるような作品は、いくつかありました。

その一つがポーランドを出自とする英国の作家ジョゼフ・コンラッドによる「闇の奥」であり、そのハナシの筋は、全体的に暗く、また、その作中人物に託された筆者の思想や含蓄、あるいは当時の世界情勢、西欧社会一般での人々の考え方なども描かれていることから、現在であるからこそ、読み直すと面白い作品であるとも云えます。

ともあれ、私が当作品に惹かれたのは、主にその「書きぶり」であり、過日投稿のブログ記事にて、いくつか、その書きぶりを真似て作成したこともあります。

では、その「書きぶり」の「何に」惹かれたのかと考えてみますと、それは、著者の視座が、さまざまな時代や地域を行き来しながらハナシを進める「書きぶり」であり、具体的な箇所を挙げますと、当ブログでの引用記事にもある「僕は大昔のこと、1900年前、ローマ人が初めてここにやってきた頃のことを考えていたんだ―ついこの間のことのようにね。」からの記述です。

こうした、作中にて語り手がいる場所から、二千年近く遡った、大昔とも云える時代にて、あり得たであろう様相を、想像と史実とを織り交ぜて語り、そこから、本題とも云える語り手自身の経験・記憶に結び付け、さきに述べた時代や地域を行き来語りつつハナシを進めるといった、その「書きぶり」に、何かしらの「深み」を感じたと云えます。

そして、その「書きぶり」に「深み」を感じるように背景には、南紀での在住経験があると思われます。つまり、その在住期間に日常的であった場所に、古墳など大昔の遺構がありますと、次第に、そして自然と、それ(遺構)に付随する「深み」や、その背景についても興味を持つようになり、さらに、その次には、その興味に基づいて知った背景などを絡めて、その地域のことを語りたくなっていくのではないかと思われるのです。

これは、私の場合はそうであったと云えますが、こうした何と云いますか、自身の経験と、作中に描かれている様相が「あれ、この状況は**に似ているのでは・・?」と何らかのきっかけで不図、思い付くようなことが、意外と重要であると思われるのです。

また、南紀での在住経験からハナシを進めてきたことから追記しますと、こうした、いわば「自分の境遇との何らかの類似性」を認識することによって感情移入が可能となり、それは歌の歌詞などに対しても同様であり、それを契機として、その歌に対して「自然な感動」をおぼえることが出来るようになるのではないかと思われるのです・・。

これは南紀白浜在住時、退勤後、一人、夜の白良浜に出てみますと聞こえてくるのは波音ばかりであり、あとは海と星空と月と円月島が視界に入るといった状況にて、不図、童謡の「椰子の実」が思い出されて、そのメロディーを口笛でしばし吹いてみますと、その歌詞も思い出され「ああ、これは現在の私のことかもしれないな・・。」と思い、そして、ある種の感傷に浸るといったことがありましたが、おそらく、それ以前には、自分の境遇との類似性から、ある特定の歌に共感をおぼえるといったことはなかったと思われますので、現在考えてみますと、あれはあれでエポック・メイキングであったように思われるのです・・。

また、そうした視座は、歌詞と同様、小説、あるいは論文などに対しても有効であると思われ、あるいは、こうしたいわば情緒的とも云える要素とは、論理的に記述された文章を読み解く際においても重要であるのではないかと思われ、そして、それが昨日の投稿記事、および当記事冒頭にて述べました「「文学」の持つ意味あいや価値」の一面であるようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?

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2021年11月24日水曜日

20211123 経験を文章化することにより、それを対自的なものとする意味・・

一昨日の投稿記事にて「ブログ記事作成時の緊張感の減衰」と述べましたが、それでも現在に至るまでの6.5年程度、1週間程度の空白期間をも、あまり設けずに継続し、また、これまで10日のうち7日程度は、新規にブログ記事を投稿してきましたので、ここに至り多少意欲が減衰しても、いずれまた、意気軒昂とまでは行かなくとも、復旧することは出来るのではないかと、これまでの自身の経験は語ります。そこから、大事であるのは、何であれ「ともかく続けること」であるように思われます。

「続ける」と云いますと、あまり難しいことではないようにも思われ、実際、日中に仕事であれ、何らかの活動をしていますと、そのさ中に、ブログ記事の題材となりそうなことが、あたかも泡のように湧いてくることが度々あるのですが、それが、いざ記事作成に取り掛かる段になりますと、あたかも「逃げ水」のように消えてなくなっていることが多いのです・・(苦笑)。

これに関しては、以前にも言及し、またその後、どうにか、日中に着想を得た題材でのブログ記事作成をおぼえ、さらに、それを習慣化することも出来ましたが、それが2016年後半から2018年にかけてでした。この時期に作成した記事を読み返してみますと、その多くは、前述のとおり、日中での出来事を「題材のもと」としていることが思い出されますが、現在となっては、この記事作成に関する自分の機能、能力が退化してしまったようにも感じられます。

それ故、以前にメモランダムを持ち歩くことなども検討していましたが、しかし、それは習慣化し、定着したとは云えないのが現状と云えます・・。

他方で、人はその置かれた環境に満足してしまうと、ブログ記事の作成なども含む表現や発信の行為をしなくなる傾向があると聞き及びますので、このあたりにつきましては、より倍率を低く観察し、大雑把に、記事作成の継続をどこかで心掛けていれば、好調・不調はあるものの、まさに「自然に」どうにか継続することが出来るのではないかと思われるのです・・。

もとより、私は当ブログ記事の作成により、金銭などの報酬を受けておらず、ただ、自分の能動性に基づいて作成していますので、このあたりは「自然に」で良いのではないかと思われます・・。また、その割には、相対的に続いている方ではないかと思われます。

しかしまた、こうしたことにも満足を示し始めるようになりますと、さきの伝の如く、記事作成をしなくなり、まさに、元も子もなくなりますので、日常のなかで、記事作成の肥やしとなる読書などを含めた、さまざまな新たな経験を積み重ねてゆく「意味」があるように思われるのです・・。

また、ここまで書いていて思い出されたのは、2015年の当ブログを開始する以前の「読むこと」のみに重点を置き、自らで公表を前提とする文章を作成せずにいた頃のことであり、この時期は何故であるか、とても辛かったです・・。

それは、30代の終わり頃であり、あるいは私にとっては、インプットばかりをすることが出来た最後の時期であったのかもしれません・・。またおそらく、あのまま、何らかの表現や発信行為を初めていなかったならば、現在よりもかなり酷いことになっていたものと思われます。

そこからも、その時期の私にブログ記事の作成を勧めてくださった方々のある種の慧眼には未だ驚きを禁じ得ないと共に感謝もしていますが・・。とはいえ、そうした経緯にて始めた当ブログが、6年以上継続することに関してまでは、予測されていなかったのではないかとも思われます・・(笑)。

また、これまでどうにか続けることが出来た背景には、これまでの読書と同様、あるいはそれ以上に「いくつかの地域にて居住してきた経験」があると云えます、いや、より精確には地域在住の経験に読書の経験が化合したものこそが、当ブログの継続の根底にあると云えます。

私見としては、このことは重要であり、また、それぞれの在住当初の頃を想起してみますと、そこでの経験を文章化することにより「対自的」なものとすることは稀であり、そうした意味から、文章を読む読書と云う行為により、実際の経験を文字によって文章のように解釈し、そこからさらに、文章にて再構成するという習慣の基礎のようなものが醸成されたのではないかと思われるのですが、あるいは、そういったところに「文学」の持つ意味あいや価値のようなものがあるのではないかとも思われるのです。

そして、これもまた、私の経験に即しているのですが、その具体的な内容につきましては、また別の機会にブログ記事として作成しようと思います。

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2021年11月22日月曜日

20211121 今後の当ブログの方向性について・・【記事作成時の緊張感の減衰から】

今回の記事投稿により、総投稿記事数が1655に達します。そうしますと、あと45記事を新たに投稿することにより、1700記事へ到達しますが、これは年内では難しく、おそらく早くとも、来年の1月中になるものと思われます。

ともあれ、この程度までどうにか続けてみますと、1700記事への到達もまた、多少、現実味を帯びてきますが、それと同時に、これまでに蓄積した疲れからくるものであるのか、ある種の「ダルさ」のようなものも少なからず感じられてきます・・。

もとより、これらは私の感覚に基づくものではあるのですが、この「ダルさ」は、当ブログ開始当初には感じられなかったものであり、また、同様に1000記事への到達以前にもなかったと思われることから、やはり、この「ダルさ」は、当ブログが、ある程度の期間継続したことによって生じ、感じられるようになったものであるように思われます。

しかしまた、以前のことを思い出してみますと、当ブログ開始から1~2年程度の頃は、自分なりに生活の中で、効率的に記事作成が出来るようにと努力もしていました。つまり、記事作成が可能になる時間配分を、ほぼ毎日考えていたということになります。

たとえば、遅く帰宅した日は、早めに床に就いて、そして深夜、もしくは早朝に起床し、記事作成に取り組んだりしていましたが、こうした自己に対する配慮の努力は、どうしたわけか、現在ではあまり為されず、ただ「出来るだけブログ記事の作成をしよう・・」といった、まあ漠然としたものになったと云えます。

つまり、以前にあったブログ記事作成に対する「緊張感」のようなものは、皆無とは云えないものの、かなり少なくなったと云えますが、それはおそらく、当初、目標としていた1000記事、そして次の1500記事へと、どうにか到達し、また、以前ほどの記事作成への配慮をしなくとも、どうにか記事作成が出来るようになったという実感を得たことから、「緊張感」が緩み、そのようになったと云えるのでしょうが、あるいは、こうした状態は、たとえ現在でなくとも、いずれ引き締め直す必要があるのかもしれません・・。しかし、以前より投稿ペースは下がっているものの、それでも記事作成自体は(どうにか)継続していることから、現時点では特に考慮する必要はないように思われます。

また、つい先日読了した「ウンベルト・エーコの世界文明講義」は、おそらく、専門家向けの著作ではないと思われますが、そうした中では、ここ最近、私が読んだ書籍の中では出色の出来であるように思われます。そこからまた、当著作からの抜粋引用のブログ記事も作成したいと考えていますが、あるいは、現在のブログ記事作成への緊張が緩んでいる状態においては、こうした書籍からの引用記事を量産するのも悪くないと思われるところです。そして、これについては、かなり以前から検討しているものの、未だ継続的な実行にうつせず、行うのであれば、1700記事に到達することが出来た後に、たとえば、引用記事5:自作記事1程度の割合にて、実験的意味合いも兼ね、とりあえず数カ月程度続けてみるというのは、悪くない試みであるように思われます・・。

そして、ここでの最後に、書籍からの引用を充てようと思います・・。


「私は未来の自分の運命を考えることはやめよう。
あてのない問いをくりかえすことはやめよう。
結果を考えることはやめよう。
すべての今の刹那をみたしめよ。
今日を今日として迎え送り、明日のための今日とすることを断念せよ。
もちろん将来をめざして積み重ねてゆく現在ではあるけれども、その積みあげてゆくこと自体をもって結果としよう。
これまで私は社会からはとおく、いわゆる先物を買ったり便乗したりしたことはなかったが、これからも、あらゆる意味で先物を買うことはしまい。未来の自分の効果のために設計したり賭けたりすることはしまい。
「どうせ自分に何ができよう」「これこれのすることの意義が分かったらする。それまではやる気がしない」-こうした、私のこれまでの抜きがたかった性癖、それが私に行動を阻止し意力を麻痺させていたものを、できるだけ棄てるようにしよう。
このために私は過去に蒔いたものがすくなかったから、いまわが生の途のなかばに収穫するものとてもすくないが、すくないからとてとりいれずにおくことをやめよう。」

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2021年11月18日木曜日

20211117 ある文章や文体から感知される「陽なるもの」について・・

日来からの「ウンベルト・エーコの世界文明講義」は順調に読み進めば、おそらく、明日・明後日には読了に至るものと思われます。当著作には、より多くの方々にご理解頂けるであろう、普遍的とも思われる見解が少なからずあると思われますので、ご興味を持たれた方々、是非、書店にて手に取り頁を開いてみて頂ければと思います。私もまた、そのようにして当著作を知りました。くわえて、以前に読んだ同著者による「プラハの墓地」もまた、同様の出会いであったことが丁度、これを書いていて思い出されました。


もう少し詳説しますと「プラハの墓地」を見つけたのは、徳島のそごうデパート内の紀伊国屋書店であり、当時「何か面白い小説はないだろうか・・」と書店内にて文庫やハードカバーの小説が並んだ書棚を徘徊していましたが、そうした中で、何故かウンベルト・エーコの著作が並んでいるところに目が行き「ああ、大分前に読んだ「薔薇の名前」以外でウンベルト・エーコによる物語、小説は読んだことがないな・・」と思い、代わる代わる、その著作を手に取って立読みをしてみますと、この「プラハの墓地」がとても興味深く感じられて、これを購入した次第です。

また、当著作(「プラハの墓地」)を読み進めていた時も、そのことを題材としてブログ記事を作成していましたが、そこから、私個人の見解としては、どうもウンベルト・エーコの文章・文体には、読み手に対して文章作成を促す「何か」があるように思われるのです・・。

その「何か」とは、上手く言語化することに困難を覚えますが、それでも言語化してみますと、和訳文ではあっても、その文章・文体には、単に感情の表出、あるいは抒情的とは云えない、厖大な知識・見識に裏付けされた、背景文脈への深い理解があり、そして、それに基づいた作中の会話などは、たとえ文章であっても、読んでいて臨場感のようなものがあり、それは、ある種の「陽なるもの」であると云えます。

そして、それは「薔薇の名前」「プラハの墓地」においても同様であり、こうした書きぶり、つまり、著者自身が直接知っている時代とは遠く離れた時代の様子を、その当時の人々の会話といった倍率が高いと云える情景での「陽なる」書きぶりに何か強い説得力があるように思われるのです・・。

あるいは、それは端的に「時代考証」とも云えるのかもしれませんが、映画などの映像作品と異なり、文章における「時代考証」とは、特にそれが作中での会話などになりますと、たとえ、架空のものであっても、かなり難しいのではないかと思われるのです・・。

そして、それは時代を遡り、残存する資料が少なくなってきますと、さらに拍車が掛かると思われます。たとえば、平家物語をベースとした木下順二による戯曲に「子午線の祀り」という作品がありますが、こちらは作中がほぼ会話にて構成されており、そこでの日本語は現代の我々が読んでも理解出来るものであると同時に、源平時代当時の言い回しやコトバ使いなどについて考慮されており、また、そうしたことを含めて優れた興味深い作品であると思われるのですが、その他に、たとえば小説家ですと司馬遼太郎による短編にて「八咫烏」という題名のものがあり、これは神武東征の頃を時代背景としていますが、ここでも比較的多く作中に会話がありましたが、何故であるか、主人公の八咫烏が「ええですとも」と、よく云っていたことが思い出され、そこから「神武東征のあたり、つまり3世紀頃の日本では、そうしたコトバを使っていたのだろうか?」と疑問を持ったまま読了していたことが思い出されました・・。

ともあれ、そうしたこともあり、我が国では臨場感のある古代や中世を時代背景とした小説作品が少ないのではないかとも思われますが、また他方で、同じく司馬遼太郎による奈良時代末、平安時代初期(8~9世紀)の人物である弘法大師こと空海を描いた「空海の風景」は、大変面白く読んだ記憶がありますが、当著作での書きぶりは、概ね、主人公である空海になりきってハナシを進めるというよりも、著者が解説しつつ話を進めて行くといったスタンスであると云え、またそれは「空海の風景」という作品の題名にもあらわれているのかもしれません。

しかし、それはさておいて、さきに述べたウンベルト・エーコの著作にて、作中時代の人物になりきって話を進める、その文章・文体から感じられる「陽なるもの」とは、著者の作中背景時代に対する理解から生じているのではないかと思われ、また、そのように考えてみますと、それは、これまた過日の投稿記事にて挙げたロバート・グレーヴスによる「この私クラウディウス」が想起されます。

この作品もまた(読んだのは)和訳文ではあるのですが、全体を通じて、主人公になりきりハナシを進めるスタンスであり、また、その背景時代への深い理解がある文章・文体から、私は「陽なるもの」を感じさせられます。また、おそらく、それは当作品を初めて読んだ20年ほど前にも感じていたことであると思われるのですが、当時は、そうしたことをわざわざ文章化しようとは考えていなかったようですが、現在、こうして、偶然を起点としてブログ記事を作成してみますと、この「陽なるもの」は、なかなか重要であるように思われてきましたが、さて如何でしょうか・・。

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2021年11月17日水曜日

20211116 主題・テーマの払底や、文体の陳腐さを感じることなくブログを継続するためには・・

ある程度の期間、ブログ記事の作成を続けていますと、自分の文体の構築(最近、文体とは獲得すよりも、構築するものであると思うようになりました。)と同様に、記事の主題・テーマもまた大事であると思うようになりました。また、過去の投稿記事を読んでみますと、それは同一人物によるものであることから、やはり、当然と云えば当然ではあるのですが、類似した主題・テーマの記事が少なからず見出されます。

そこから、重複・近似している記事の主題・テーマが、かねてより私が興味を抱いている領域であることが理解されますが、またそれは、継続的な読書を通じて、新たな情報を入手し、さらに、新たな考えに接することにより、それ以降のブログ記事作成にも、何やら生きてくるのではないかと思われます。

とはいえ、このことは、昨日投稿の「「負の自覚」から生じる葛藤と、ブログの継続について」にて述べた「作成したブログ記事から抽出された感覚や考えを言語化することによって、より、それらの文章を作成した私自身にとって、分かり易いものになり、そしてまた、そうした記事は、相対的に多くの方々に読んで頂いていると思われるのです・・。」を抽象的に言い換えたものとも云えますが、ともあれ、ここで大事であると思われることは「読書を通じて、新たな情報や考えに接すること」であるように思われます。

つまり、たとえ、内奥に深遠な思想や該博な知識があろうとも、それらを何らかの関連に沿わせ、組合せ、文章として表現し、そして、少なくとも、それを意味が通じる文章として理解してくださる方々がいないと、その記事から生じるものは乏しくなってしまい、ひいては記事作成の継続を困難にしてしまうこともあると思われます。

こうした事情から、継続的に新たな情報や考えに接し、(自分なりに)吸収することが重要になってくると思われるのです。つまり、他者の作成した文章を、理解を伴いつつ読み進めることにより、文脈を理解しつつ文章を読む訓練が為され、そして、脳の、そうしたことを司る部位が活性化されるのではないかと思われるのですが、この活性化される部位とは、おそらく、読解力と同時に文章作成についても少なからず関与しているのではないかと思われるのです。

そこから、統計をとったわけではありませんが、ある程度の期間ブログが続いている方々は、概ね、何らかのカタチで、継続的に文章を読んでいるのではないかと思われるのです。

そうでなければ、おそらく、文章の文体などよりも先に、その主題・テーマの方が払底してしまうのではないかと思われます。

他方、日常生活での具体的な出来事などを記したブログの場合は、その必要はないのかもしれませんが、そうした場合、今度は、文体などのいわば「言い回し」の方で次第に陳腐さを感じるようになり、そして、記事作成も困難になってくるのではないかとも思われるのです・・。

つまり、文章の読解と作成を司る脳の部位を継続的、日常的に働かせ、活性化しようと試みている方が、こうしたブログの継続には好都合であると思われるのですが、こうした継続的な読書、そして、多くの場合、明確には意識していないのでしょうが、その読書に基づき自らも文章を作成している方が、さきの主題・テーマの払底や、文体の陳腐さなどもあまり感じることなく、自然なカタチにて継続することが出来るのではないかと思われます。

そして、ここで重要であると思われることは、これら行為の基礎にある能動性であると思われるのですが、これにつきましては、また別の機会に記事作成をしたいと思います。

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2021年11月16日火曜日

20211115 「負の自覚」から生じる葛藤と、ブログの継続について

先日「負の自覚」を主題として記事を作成しましたが、私は、この「負の自覚」とは馴染みであると云え、また、以前の投稿記事にて述べましたが、この「負の自覚」から生じる「葛藤」こそが、当ブログがこれまで(どうにか)継続出来ている要因であるとも云えます。

しかしながら、この「葛藤」は、精神衛生上良いものではなく、私としても、この「葛藤」をどうにか解消し、そして、自然なカタチにてブログ記事の作成を止めた方が良いのではないかと思うことが度々あります・・。

もちろん、どの程度の期間継続していようと、あくまでも、当ブログは私の能動的活動の発露であり、止めるのであれ、続けるのであれ、何れにしても、私にかかっていると云えるのですが、しかし、他面からこうした様相を眺めますと、ある程度の期間、ブログ記事作成を継続していますと、その過程において、これまでにはなかった感覚や考えなどが思いつくことが、これまた度々あるりますが、これら自分にとっての新たな感覚や考えとは、さきに述べた通り、決して精神衛生上良いとは云えない「負の自覚」としての葛藤がありつつもなお、私としては大変面白く、興味深いものであることから、たとえ(はぼ慢性的とも云える)スランプ気味の期間が続きつつも、どうにか当ブログを続けることが出来ているのだとも云えるのです・・。

そしてまた、この時折思い付く、新たな感覚や考えは、それまでに自分が(多くは)無意識のうちに得た感覚に、何らかの外からの刺激を契機として、粗いとはいえ言語化されたものであり、それをもとに、また新たにブログ記事を作成し、そして後日、さらに、その作成したブログ記事から抽出された感覚や考えを言語化することによって、より、それらの文章を作成した私自身にとって、分かり易いものになり、そしてまた、そうした記事は、相対的に多くの方々に読んで頂いていると思われるのです・・。

つまり、類似した趣旨のブログ記事であっても、こうした過程を経て作成された文章は、我がことで恐縮ではありますが、やはり、それなりに洗練されてくると云え、また、それにより、おそらく、読んで頂いている方々にとっても分かり易いものとなり、そして、これまた、それなりに多くの方々に読んで頂けるようになるのではないかと思われるのです・・。

これは、これまでにいくつか投稿した「 既投稿記事をいくつかまとめたもの」により、ボンヤリとではありますが、認識出来るようになったことであり、また、さらにそうした過程を経ることによって、何と云いますか、より大きな、普遍的とも云える新たな感覚や考えに達することが出来るのではないかとも思われるのですが、これは、未だ感覚としては認識出来ていませんが、これもまた徐々に分かってくるのではないかと思われるのです・・。

そして、ここで冒頭に戻りますと「負の自覚」から生じる「葛藤」によってブログ記事作成をある程度の期間継続し、その過程で自分なりの何らかの楽しみ方を見つけますと、葛藤がありつつも記事作成を継続することに慣れてくると思われるのですが、さらに、その先にあるフェーズが未だよく分からず、現時点においては足踏みしているような感覚をおぼえるのです・・。

ともあれ、こうした(プラトーとも云える)期間も大事であるようにも思われますので、適度に、あるいは多すぎると思えるほどに休みを入れつつ、この期間もどうにか当ブログを続けていきたいと思うところです。

しかし、このあたりで1年間ほど記事作成を休止して、ブログのことを一度キレイに忘れた方が良いのかもしれません・・。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
順天堂大学保健医療学部


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ISBN978-4-263-46420-5

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2021年11月13日土曜日

20211112 先日のツイッターでの反応を見て思ったこと

ここ数日間は記事作成を休みましたがインプットの方の読書は進み、かねてより読み進めている「ウンベルト・エーコの世界文明講義」は残り50頁ほどとなり、おそらく来週中には読了に至るものと思われます・・。

また、去る11月6日に、ツイッターにて「かつて、そういうこと(専門職大学の新設)を企図されていた若手の先生方から聞いた耳学問でしたが、やはり、時勢を鑑みるに現実的であるのかもしれません・・ 学科は管理栄養・言語聴覚・口腔衛生・歯科技工にて、ダブルライセンス取得も(6年制にて)可能なカリキュラムにて・・」とツイートをしましたが、こちらについては「いいね」を頂くことはありませんでしたが閲覧数の方は比較的伸びました。おそらく興味を持って頂いた方々が多かったのだと思われます。また、そこから「若手で(専門職)大学の新設など可能なのだろうか?」と思いつつツイートをご覧になった方々も少なからずいらっしゃったのではないかと思われます・・。

私もこれを聞いた当初は「何だか雲を掴むようなハナシだなあ・・」と思いましたが、他方で、医療専門職の養成を目的とした専門学校は少なからずあります。そして、それらの中で全般的に苦境にあると云えるのが、歯科技工士の養成を行う専門学校であり、私の知る限りでも、既に複数校が募集停止、閉校となっています。

その背景にあるのは、昨今のCAD/CAM加工技術の進化発展により、これまでの技工作業を経ずに、以前と同様の歯科補綴装置を容易に作成することが可能となったことから、これまでの歯科技工に関する技術体系全体が大きく変化せざるを得なくなり、さらに、そうした変化のただ中にあって、歯科技工業界は、労働と、その全体的な経済(給与)条件のキビしさで知られていることから、その「なり手」が継続的に減少し、そして、さきに述べた「複数専門学校の募集停止、閉校」といった事態に至っていると云えます・・。

しかしながら、如上のような状態であっても、歯科医療に付随する歯科技工自体はなくならないことから、さきのツイートで述べたように、若手の先生方が協力し、閉校予定の歯科技工専門学校を買い取り、これからの歯科技工において一般化するであろう諸技術への対応を可能にする講義・実習をしようと考えるのは、そこまで大きなことではなく、また、雲を掴むようなハナシでもなくなってきます・・。

そしてまた、近年、専門職大学という新たな種類、枠組みの高等教育機関が設置されることを知りますと「自らが関与する専門学校を専門職大学に改組出来るのであれば試みよう。」と考えることもまた、特に不思議はなく、そしてまた、雲を掴むようなハナシでもなくなってきます・・。

こうした背景がありますと、おそらく、さきに述べました「若手による専門職大学の設置」も、現実的にありうる一つの流れであると、ご理解頂けるのではないかと思われます。

また、専門学校であれ専門職大学であれ、医療系などによくある国家資格の取得を目的とする、いわば「養成機関」とは、資格の職といった実社会との密接なつながりがあることから、その資格職での知識・技能を担保するために教育カリキュラム、養成課程はカッチリと組み立てられています。

そこから、既存養成機関の運営に携わり、そして新規諸技術に対応できるような教育カリキュラムを模索検討し、順次そちらに切り替えていくことは、少なくとも、今後の歯科技工士養成において必要となる過程であることから、速やかに、そうしたモデルとなる医療介護系の資格取得を目指した養成機関(専門職大学)を(取り急ぎ)設置するのが良いと思われます・・。

ともあれ、こうした経緯を知って思うことは、医療分野の先生方の多くは、医療を通じ実社会と密接に関与しており、そこから医療の受益者そして、その未来の様相を考えると「自らで大学を設置した方が良いのでは?」と考えることも、そこまで突拍子もないなことではなく、さらに、たしかに彼等には、そうした行動力や活性のようなものがあると思われます。

もちろん、そこには経済事情といったものも少なからずあるのでしょうが、そうであっても、こうした発想力や行動力は、自分にはないものと云えますので、今後の展開は楽しみであり、是非、いくつかは成就して頂きたいと願うばかりです。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
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2021年11月9日火曜日

20211108 「負の自覚」を持つ意味と変化について・・

ここ最近は投稿記事数のことを考えずにブログ記事の作成を行ってきましたが、つい先ほど、投稿記事数を確認したところ当作成記事の投稿により、それが1650に到達することに気が付きました。これは、あと50記事の投稿により、当面の目標としている1700記事に到達することを意味し、また、ほぼ毎日記事投稿を続けますと、年内のうちに1700記事到達への到達の目途も立つとも云えますが、しかし、それは現在の私にとっては多少難しいように思われ、現実的であると思われるのは、来年1月前半での到達と云えます。

さて、一昨日投稿の記事も、投稿後二日としては比較的多くの方々に読んで頂きましたが、これまでに述べた私の南紀、和歌山での経験の大本には、当初、首都圏から出たくないにもかかわらず赴任することになった北海道札幌から2年後、今度も首都圏に戻りたかったにもかかわらず、南紀白浜への転勤となった(なってしまった)という背景、経緯があります。

現在であれば、それはそれで「悪くはなかったのでは・・」と思われるのですが、当時の私としては、特にはじめの頃はなかなか辛く感じられ、日々、望郷の念を募らせていました。また他方で、以前の投稿記事にて述べたように、これまでに経験したことのない、当地の特徴的な何とも温暖な自然風土から、その歴史や文化などに関心を持つことにより、さきの「募る望郷の念」から徐々に解放され、そして、より「そこでの生活を楽しもう」と、それまでのことを肯定的に捉えるようになっていったのだと云えます・・。

もとより、こうした内面での変化の様相は、自分がその真っ只中にいる時では、あまり判然としないのでしょうが、しかし、それは当時の「願望に基づく計画」からは明らかに反するものであり、あるいは若い頃こそが、こうした、望まない居住地の移動などの経験をしても、あまりひずみを残さず、将来の自分に資するよう、柔軟に対応することが出来るのではないかとも思われるのです・・。

そして、まさしく、この過程にこそ、つまり、自分の生き方が当初の願望、計画に沿わないと思われる期間が続いていても、その周囲には、現実の世界があり、その中にある「何か」に興味を持つことにより、それを基点として、自分自身を変えていくことが可能となり、また、そうした変化の過程を通じて、その人なりに賢くなっていくのではないかと思われますが、ここでとても大事であると思われることは「当初の願望、計画に沿っていない」という、何と云いますか「負の自覚」であるように思われます。

こちらにつきましては、また後日、あらためて記事を作成したいと思います・・。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
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2021年11月7日日曜日

20211106 頂いたご連絡から、紀州 和歌山の食文化について・・

おかげさまで、一昨日の投稿記事も、比較的多くの方々に読んで頂けました。こちらを読んでくださった皆さまどうもありがとうございます。しかし他方で、こちらの閲覧者数は、それ以前に投稿した数記事と比べますと、投稿後2日目としては、わずかに少なくもありました。これは、一昨日の投稿記事では、自分の実体験のようなものはあまり書かずに、全体を通じて多少観念的であったからではないかとも思われましたが、また同時に、当記事にて述べていたことと類似することを以前投稿した記事にて述べ、また、そこでは比較的多くの方々に閲覧して頂いていたことから、あるいはツイッターとの連動以前と以後では、当ブログを見てくださっている方々が変わったのではないかとも思われました。

以前にも述べたことがありましたが、当ブログはツイッターとの連携により、閲覧してくださっている方々が具体的存在として分かるようになり、あるいは何かしらの反応を頂くことも度々あり、こうしたことは、作成記事に対しての反応が薄いなかで6年以上ブログを続けてきた私にとっては、驚くべきことであり、また、そうしたことから生じるプレッシャーによりスランプとなり、そこから多少、記事作成が困難になっていた時期があり、そしてまた現在も、多少は自分のペースを取り戻しつつあるように感じられますが、とはいえども、そうした「見られること」によって生じるプレッシャーをおぼえつつ毎回の記事作成を行っていると云えます・・。

さて、そうしたなか、つい先日、人文系の師匠よりご連絡を頂きました。こちらは在和歌山時代の師匠であり、修了の後も色々とお世話になっておりますが、とりわけ、これまでの当ブログ全体の文脈から考えてみますと、紀州 和歌山の食文化に関しては、おそらく、こちらの師匠に並ぶ方はあまりいらっしゃらないのではないかと思われます。また、そのような方であるからこそ、大学にて教鞭を執られていたのだとも云えますが、そこからも分かるように、私が当ブログにて述べた紀州 和歌山の食文化に関しての記事の元ネタの多くは、こちらの師匠からご教示を受けたものであり、それらに自分なりの解釈、見解等を加えたものが一連の当ブログにて述べていることであると云えます。

とはいえ、私の紀州 和歌山の食文化に対しての興味の淵源とは何であったのかと、もう少し検討してみますと、それはかつて、南紀白浜にて勤務していた業種がホテルであり、食べ物に関係していたことであると思われました。

勤務していたホテルは、おそらく現在もそうであると思われますが、その料理にて少し名前が知られており、私もまた、何度か、その料理を食べる機会がありましたが、たしかに、とても美味しかったと云えます。

そして、こうした経験からさらに遡り、個人の記憶ではないところをあたりますと、あまり周知されていないことであるかもしれませんが、紀州 和歌山は、和食に欠かせない醤油や鰹節の発祥地とされており、さらに、これまた、日常的な和食に欠かせない食品の一つと云える梅干しの生産量もダントツの一位であることから、さらに別の視座からは、紀州 熊野本宮大社の主祭神とされる家都御子神または家都美御子神(けつみ(み)このかみ)は実は出雲系の神である素戔嗚尊であり、また、この神は、木の国だけに樹木の神であると同時に穀物の神でもあり、そこから食の神とされていたことなどから、紀州 和歌山と我が国の古くからの食文化との繋がりを見出すことが出来るのではないかと思われますが、しかし、こうしたことを書いていて、そして、さきの師匠を思い出しますと、多少書き進める勢いが落ちてくることに気が付くのです・・。

とはいえ、それは特に恥ずべきことではなく、また、こうしたブログなどを通じて紀州 和歌山の食文化に興味を持って頂ける方々が少しでも増えましたら、それはそれで私としては僥倖であり、また師匠にとりましても、そこまで悪いことではないようにも思われます。

また、この紀州 和歌山の文化や歴史については、今後も機会を見つけて記事を作成していきたいと思います。

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2021年11月5日金曜日

20211104 書籍を読み進める中で思ったこと「傾向や特徴」

おかげさまで、去る11月1日の投稿記事もまた、投稿後3、4日としては多くの方々に読んで頂きました。そして、ここ数日は新規の記事作成は行いませんでしたが、読書の方は順調に進み、先日来より読み進めている「ウンベルト・エーコの世界文明講義」は300頁近くにまで至りました。こちらは、ここ最近で読んだ著作の中では、かなり興味深く、また印象的であると云えます。

ここまで読み進み、今更ながらの感はありますが、当著作は、これまでに読んだユヴァル・ノア・ハラリによる「サピエンス全史」や、ジャレド・ダイアモンドによる「銃・病原菌・鉄」などのテーマとも、相通じるものがあるように思われました。

それは、人類の歴史全体の中から抽出された、何かしらの傾向や特徴などを、具体体を示しつつ、比較などをしながら論じていくといった「スタイル」のことであり、私見になりますが、こうした「スタイル」による著作は、著者独自の「特徴」のようなものが如実に顕われることから、類似する要素もまた、それぞれ著者で互いにありつつも、他方で、それらの特徴が強く出ており、著作全体としては、あまり類似性は感じられないのかもしれません・・。くわえて、それらは、日本語にしますと「史観」と称するには、それぞれ具体例が多く示されており、全体としての抽象度は浅いように思われるのですが、しかし、この段階こそが歴史を学ぶ上で最も重要なところであるように思われます。

つまり、それは実験で云うところの、標準偏差を下げるために、分析試料のNを増やすことであり、あるいはまた、帰納法による推論の精度を上げるために、新たな事実を記録として積み重ねることであると云えます・・。

そして、この「積み重ね」の段階を経る、継続することにより、以前、当ブログにて扱った柳田國男の云う「国民の予言力の培養」もまた為されていくのではないかとも思われるのです・・。

さらに、それは歴史の進展において、少なからず意味を持つものであると思われるにも関わらず、これまで、こうした視座から歴史の重要性があまり説かれてこなかったこと、あるいは説かれたとしても、そうしたことが速やかに形式化、形骸化してしまうことは、やはり我が国全体としての何かしらの特徴を示すものであるように思われるのです・・。

そして、そうした特徴が何に由来しているのか、また、何時の時代に始まったのかなどと考えてみますと、どうしたものか、今度は加藤周一による「日本文学史序説」という以前に読んだ著作が思い起こされるわけですが、当著作は博士課程の修了後にはじめて読んだ、ある程度文量がある人文系著作であり、また、一連の当ブログにも複数の引用記事があることから、2013年後半あたりから2016年にかけて継続的に機を見て読み続けていたようです。

その意味で、さきの「ウンベルト・エーコの世界文明講義」もまた、未だ読み進めている途中ではありますが、後日、そうした著作になるものと思われます・・。

そして後日、こうした人類史から抽出された傾向や特徴などについて扱った著作を集中的に再読してみますと、また何か面白い発見があるようにも思われるところです・・。

最後に、つい先日「ウンベルト・エーコの世界文明講義」を読んでいて驚いたことは、著者のウンベルト・エーコは、谷崎潤一郎による「鍵」を読んでいたことです・・。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。



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2021年11月2日火曜日

20211101 南紀での興味関心の変化の経緯について・・

おかげさまで、一昨日投稿の記事もまた、比較的多くの方々に読んで頂けました。当記事にて述べたことは、記憶に残っていることであり、現在においても、その記憶を思い返してみますと、当時、五感にて感じていた感覚もまた思い出され、特に「大気のかおり」のようなものはそれぞれ地域によって異なるため、まさしく特徴的であると云えます・・。

そして、その中でも特に強く印象に残っているのは南紀白浜の「それ」であり、その勤務地は白良浜のすぐ近くであり、また、住んでいたアパートは自転車を5分も走らせずに、海の近くに辿り着けるような場所に立地し、住んでいると次第に分からなくなっていくのでしょうが、そこでは、始終、大気に少し潮のかおりが混ざっていたのではないかと思われます。そして、これに当地で幾つか湧き出ている温泉のかおりが加わって、この土地の大気の特徴的な部分の多くは形成されているものと思われます。

また、それは同じ温泉地であり、それまでにいくらか馴染みがあった静岡県伊東市の城ヶ崎海岸あたりの大気にも近いものもありましたが、やはり異なり、何といいますか、南紀白浜の方がより南方的であり、あるいは当初、そこでの雨の降り方には、それまで経験のない、何やら異国的な感じを受けたことが思い出されます。

しかしまた、この地域は、大都市圏からははなれているにも関わらず、かなり昔から人が住んでおり、仕事のためもあり、近隣の名所旧跡などを休日を利用して訪れていましたが、それを通じて南方熊楠が名前だけ知っている偉人ではなくなり、また、勤務地からすぐの神社の境内には、古墳時代後期を特徴付ける横穴式石室の構造を持ち、玄門が開口して、内部石室には、板石による組み合わせ式石棺が置かれている火雨塚古墳があり、これを初めて見た時は何やら衝撃的でした。つまり、それまで首都圏、札幌といった都市部に住んでおり、そのなかでは、日常生活の中で、いわゆる「大昔のお墓」といったものが身近に存在しなかったからであると思われますが、ともあれ、そうした具体的な存在を通じて何かしらの感覚をおぼえ、そして、そこを基点として徐々に深まって行ったのであると思われますが、その際にまた、他の「大昔」の要素、ここ南紀では弥生時代の青銅製祭器である銅鐸などにも関心を持つようになり、そして、そこからさらに、古墳時代の説話も収録され、また紀伊国を舞台とした説話が多く収録された「日本霊異記」などにも関心を持つようになるわけですが、このような進展の具合は、文章にしてみますと、この通りではあるのですが、しかし、それはかなり遅いものであり、また、その意味においては、南紀在住時にアマゾンにて書籍を購入することが出来るような環境が成立していたことはありがたいことであったと云えます。もちろん、白浜町のすぐ隣にある田辺市は、古くから栄え、そこには立派な書店がいくつかありましたが、そうであっても、アマゾンのすごいところは、自宅を出ずに不図思い立った時に書籍を購入出来るようになったことであり、これは他のネットショッピングサイトにおいても同様であるかもしれませんが、やはり、たしかにスゴイことであり、また、地方都市の商店街などの多くは、こうしたネットショッピングサイトと郊外型の大型ショッピングモールの出現により、それまで保持していたシェアが大きく減ったものと思われます・・。

ともあれ、こうした環境のなかで漸進的にではあれ、何やら感覚が変わって行った私に、さきの投稿記事にて述べた時折届く師匠からのいわば「都会の文物」は、良い刺激あるいは何かしらのフックになっていたのだと云えます。つまり、そこから「今、ここからは出ることが出来ないが、この現在住んでいる場所のことを、これまでにまで読んで来た書籍での視座を用いて眺めてみると何だかオリジナリティーがあって面白いのかもしれない・・。」と、ハッキリ思ったのか分かりませんが、結局、そのような流れとなりました・・。

つまり、それまでに愛好していた(つもりの)ヨーロッパ的な文化全般から日本土着のものに興味関心の対象が変化していったということです・・。また、過日の投稿記事にて述べましたが、私は南紀白浜在住以前には、考古学や我が国の古代史等に興味関心を持ったことはなく、まさに空白の分野でしたが、これが面白くなってきますと、さらにエスカレートして、書籍によって記載があったりなかったりする古墳を、あまり整備などされていない野山にて足で見つけた時などは、あのハリウッド名作映画の遺跡発見シーンでのBGMが脳内を流れ、また、それなりに充実感も得られましたが、しかし、考えてみますと、ここ最近は我が国の古代史関連、就中古墳に関しての書籍を進んで読んだという記憶がなく、以前と比べますと、明らかに興味が減退していると云えます・・。

これについては、実は以前から少し気にしていたことでもあり、近いうちにまた、その興味を甦らすためにも、実地に訪問する必要があるのではないかと思われるところです。

そういえば、先日、渋谷の東急ハンズを訪れた際、たしか1階に古墳をキャラクターとした商品を特集したコーナーがありましたが、私の場合、あのキーホール様(前方後円)の墳形などにはあまり興味はなく、むしろ、その玄室の構造あるいはその壁面の装飾などの方に興味があり、そちらの方が人の手の痕跡、すなわち「精神の顕われ」をより高倍率にて観察することが出来るように思われるのです・・。

どこか、近くに古墳がたくさんある西日本の大学さまにて、月に何度か訪問して、その大学さまの特徴的な取組みを取材して記事を作成するようなパートの職があれば良いと思うのですが、そうしたことにつきましては、また後日、検討してみたいと考えています・・。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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