2016年2月29日月曜日

20160229 メガネはファッションか道具か両方か・・

A「一時期メガネにあこがれた時期がありましたが、最近はどうも黒縁のゴツめのメガネが流行しているようですね・・。
私もああいうのをかけると多少はカッコ良く見えるのでしょうか?」

B・・いや、それはないと思いますよ(苦笑)
私などは必要に迫られてメガネを用いていますが、それでも何というかファッション・アイテムとしては選んでいないと思いますから、そういったことはあまり気にしなくてもいいのではないですか?
それに加えて我々日本人とは何でも自然本来の持ち味を大事にするという美質を持っていると思いますので、特に必要でなければそういったものは用いる必要はないと思いますが・・。」

A「・・はあ、そうですか・・。
しかしBさんのメガネもこうして見ますと、なかなか様になっていますね・・。
またメガネといえば、どちらかといえば理系っぽいイメージがあります。
そして理系の方々のメガネとは、たしかにファッション・アイテムというよりも、道具としての意味合いが強いように思えます。
そして、それが私にとってカッコ良いものと映るのかもしれません・・()。」

B「ずいぶん大人気ない意見にも聞こえますね・・()
ともあれ、私は理系ではないですが、それでも出来ればメガネなどあまり使わない方が便利であると思いますので、Aさんのさきほどの意見は「隣の芝生は青い」に類するものではないでしょうか?
ですから、理系のメガネを用いている方々の多くも、私に近い意見を持っているのではないかとも思いますが・・。
その一方で、たしかに私も理系といえば、メガネに白衣といった印象があることもまた事実ですね()。」

A「・・白衣ですか・・それは分野によるのではないかと思います。
たとえば同じ理系学問分野であっても工学部などは白衣よりも作業ジャンパーの様なものがユニフォームとなっています。
教授から学生さんまで、そうした姿が多く見られる工学部近くの学食などはそれはそれでスゴイと思います。
その点、文系とは、そうしたユニフォームらしきものがありませんが、まあ、それは学問分野の性質上、自然、当然であるのかもしれません・・。」

B「ええ、それはたしかにそうかもしれませんが、文系も文系でよく見てみますと、何かしらそういった洋服の着方などにおいて特徴があるのではないかと思うこともありますね・・。」

A「・・ああ、たしかに洋服の着方などに関しては、大学あるいは学部、学科毎でそうした流行などを含めた何かしらの傾向はあるかもしれませんね。
それで私が不図思ったのは文系、理系を問わずですが、大学教員、研究者の方々は年齢層にあまり関係なく、ジーンズにシャツ、セーターといった格好を好まれるような感じを受けます・・。
これは一般的に見ると、あまり年相応でないのかもしれませんが、彼等が着ているのを見ると、どうもカッコ良く見えてしまうようなところがあるのです・・。
しかし、そうした洋服などの着方のカッコ良さ、センスとは、究極のところ、そういったところに真髄があるのではないかと思うのです・・(笑)。
そして、その究極を何も身に着けない実在としての肉体と見做すか、あるいは何か観念的、精神的なものと見做すかで、また考えが変わってくると思います。
私のこれまでの経験から、その究極とは多分、後者に本質があるのではないかと考えています。
しかし、同時に私自身がその本質を全て精確に判断できているとは思いませんが・・(苦笑)
とはいえ、やはりBさんも含めて大学教員、研究者の方々の多くは、うまく言葉ではいえませんが、緊張感のようなものがあり、それはさきほどのような格好をされていても、何かしら伝わってくるものがあるのではないかと思います。」

B「・・ううむ、それは単なるAさんの思い込みではないでしょうか?
私も一応そういった方々を多少見知っていると思いますが、そうした緊張感はあまり感じたことはありませせん・・。
・・あ!それでも確かに、昔お世話になった先生方には独特の雰囲気というか風格らしきものがある方が割合多くいたようにも思います・・。」

A「・・それでしたら、私も年齢の近い教員、研究者に対しては、さきほどのような感覚を覚えることはあまりありません・・。
それ故、多分こうした感覚とは、一般的に自身よりも年長の異なる世代文化に属する方に対して持つようなものではないでしょうか?」

B「・・はあ、なるほど・・。
しかし、そうした感覚を年少の方々に対して感じることが出来るようになりましたら、それはそれで面白くなるかもしれませんね・・()。」

A「・・ええ、それはあまり多くありませんが、私も時折感じることがあります。
しかし、私などはそうしたことは、もっと多く感じるはずなのですが(苦笑)
とはいえ、そう感じた原因、つまり何をスゴイと感じたのかは、さきほどの年長者に対するものと同様に未だによくわかりません・・。
また、そうではあるのですが、そうした感覚とは結構明瞭なものでして、今後その感覚を明瞭に言語化してみたいとは思いますが・・。」

B「ええ、メガネなどの小道具に頼るよりも、そうした感覚を磨いた方が色々と面白いと思いますよ()。」

A「メガネ型の「戦力測定装置」のようなものがあれば、それはそれで面白いかもしれませんが、とりあえずは自身の感覚について考えてみます()。」


「本日(2/29)全期間のページ・ビュー(PV)が40000を越えました。
一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。
また、現在公募、求人等に応募しております。
現在大変困難な状況でありますので、この状況から助けていただきたく思います。
どうぞよろしくお願いします。」

2016年2月28日日曜日

20160228 山登りとD2病・・

A「精確に数えたわけではありませんが、前回投稿した記事で自身の作成した記事のみで100記事となります。最近は風邪をひいたこともあり、あまりそうしたことを考えずに記事作成をしてきましたが、まあ、これはこれで一つの良い区切りとなりました・・。」

B「ほお、自作の記事のみで100を越えましたか・・。
たしかAさんの1記事の文字数は文量から大体2000字程度であると思いますから、これで概ね200000字程度書いたことになるのですか・・。それは中々の量になりましたね(笑)。
また、それはそうと閲覧者数は、その後どうなっていますか?」

A「ええ、そちらは特に大きな変動もなく、今現在1日大体300~500人程度で落ち着いております。とはいえ、これもわずか1ヵ月前と比べますと2倍以上に増えました。
国内外を問わず、どのような方々が私のブログを読んでくださっているのかわかりませんが、何れにせよ私としては大変ありがたいです・・。
そうした方々の存在がなければ、おそらく私は現在の求職活動のどこかで心が折れ、挫けていたのではないかと思います・・。また、つい先日も2件の不採用通知が相次いで届き、それなりにショックを受け、落ち込みましたが、ブログの記事を作成することによって、落ち込みはある程度軽減され、どうにか正気を保つことが出来ているのだと思います・・。
また、思い返してみますと、これは鹿児島在住時の週末の日課であった散歩においても同様のことがいえたのではないかと思います・・。この散歩は以前もブログにて記しましたが四季を通じ続けていましたが、そのはじまりを考えてみますと、当時のお師匠が山登りが趣味であり、よく弟子共数人でお供をして山に登っていたことではないかと思います・・。そして山に登った後は近場の温泉に行くのがお決まりのコースでしたが、この行動パターンは多少の変形はありましたが私の鹿児島在住時を通じ継続され、当時の私に根付いていたのではないかと思います。」

B「・・ああ、そういえばAさんが鹿児島在住時の帰郷の際に東急東横線の**駅近くのレストランにて会った時に見せてもらった山々の風景写真とは、そうした時に撮影したものだったのですね・・。その中で特に私が憶えているのは、たしか真中にすすきが生えていて左手に大隅半島の海岸線、右手に薩摩半島の海岸線そしてその奥の方にうっすらと開聞岳が見えているものでしたが、あれは桜島が入っていないことから、大隅半島でも鹿屋よりの場所から撮影したものでしょうね・・。」

A「・・ええ、よく憶えておいでですね・・。あの写真は仰る通り大隅半島でも鹿屋に近い山の中腹から撮影したものです。また、たしか学会発表のはじめにその写真を用いましたので、自分でもなかなか気に入っていて、それでBさんにもお見せしたのではないかと思います(笑)。」

B「うん、私もそうした地理の説明をAさんから聞かなければ、その写真の地理的な構成はわかりませんから、多分その時に説明を聞いたのだと思います。」

A「・・たしかに地元の人でなければ、そうした地理的な構成を予め示しておかないと、それがどこの景色であるかは分かりにくいと思いますので、やはりその時にBさんに御説明したのではないかと思います。とはいえ、あの当時の私はそうした写真を嬉々としてBさんに示していたのですか・・(苦笑)。そうしますと、やはり現在と比べますと、多少勢いがあったといいますか、まあD2病であったのだと思います・・(苦笑)。」

B「嬉々として説明していたかは憶えていませんが、あの当時の方が現在に比べて元気があったと思いますよ・・。また、そのD2病というのは何ですか・・?」

A「ああ・・D2病といいますのは、私も人から聞いたものですが、まあ巷でいわれている中2病の博士課程版でして、いうなれば一種の自意識過剰ですね・・。ちなみにM2病という修士課程版もありまして、症状は類似したものであるということです・・(笑)。」

B「・・ははあ、たしかにそういったのはあるかもしれないですね(笑)。
それで現在AさんはそのD2病は完治、寛解したのですか?」

A「・・いえ、それはよくわかりません・・。また、よくわかりませんので現在ブログ記事を書いているのかもしれません・・。あるいはブログを書いていると、何かしらわかるのではないかと思い、書き続けているのではないかとも思います・・(笑)。何れにしても、何かしら書き続けるということは、現今求職活動中の私にとって様々な意味において重要なのではないかと思います・・。」

B「ええ、さきほども、そう仰っていましたので、とにかく心が折れないように何かしら記事を書き続けてください。そして、今後Aさんに合った良い職を得られるといいですね・・。」

A「そうであることを願うばかりですが、こうしたことはまったく予想がつかないので何ともいえません・・。まあ、何かしら書き続けようと思いますので、今回のこの会話も個人特定の要素を除いてブログの記事にしてもいいですか?」
B「・・それはかまいませんが、まだ若干寒い日が続きますし、またAさんは病み上がりでもありますので、あまり無理をしないで続けてください。」

A「ええ、どうもありがとうございます。」

当ブログ記事を興味を持って読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。




2016年2月27日土曜日

20160227 ブログ記事を書く「意味」「意義」について

A「ここ最近は多少陽も長くなってきましたけれど、それでもやはりまだ寒いですね・・それで最近何か変わったことはありましたか?」

B「・・ええ、これといって大きな動きはありません。
また何かありましたら御連絡いたします。あとは、私のブログの閲覧者数は200記事を越えてから増えたのですが、それもここ最近300~500程度で落ち着いてきました。
しかし、ほんの少し前までは1日の閲覧者数が100~200程度でしたので、まあ大幅に増えたといっていいと思います・・。とはいえ、記事の内容も大きく変化しているとは思えませんし、また先日来の風邪のためか、あまりプレッシャーを感じることも今のところありません・・。そして、このように考えてみますと、実際に文筆、著述業にて生きている方々とは、かなり大きなプレッシャーを背負っているのではないかと思います・・。
その意味で、現在の様々なことをネット上で書くことが出来る社会、仕組みとは、なかなか怖い側面もまたあるのではないかと思います・・。」



A「ふうむ、舌禍、筆禍というようなことですね・・。口語であれ、文語であれ、言葉とは、なかなか難しいところがありますからね。ですからBさんの一連のブログにおいても、とらえ方によっては筆禍につながりかねない部分もまたあるのではないかと思います・・。とはいえ、今までのところ、私が見る限りにおいては、Bさんのブログにはそこまできわどいことは特に書いていないと思います・・。しかし一方、方広寺の釣鐘の碑文から天皇機関説にいたるまでの揚げ足取り的、あるいは別件逮捕的な「すり替え」「見立てる」というような性質とは、昨今のネット社会の進化発展に伴い、外国においてもリアルタイムに、ことのはじまりから経緯、終息まで把握、認識できるようになったのではないかと思います。そこで外国の方々は、そうした我々の社会での出来事を一体どのように見ているのでしょうか?また、こうした出来事に対する観察、指摘とは、日本滞在の長い外国の方々が著した記録などにおいても、時折見受けることができると思います。しかし、我が国はそうした記録を過去のものとして忘却の彼方に追いやり、また同様の行動をとっているということは、ノモンハン事件におけるソ連側の、そして太平洋戦争時の南太平洋戦線におけるアメリカ軍側の日本軍に対する観察内容と見事に符合するのではないかと思うことがあります・・(苦笑)。」

B「ああ、そうした記録は私もこれまでにいくつか読みました・・。また、それと同時に、たしか山本七平がどこかで書いていたと思うのですが、我々日本人とは臨在感を重視する傾向が極めて強く、これが「場の空気」の絶対的な支配を生み出すのではないかと指摘していましたが、その意味においてはおそらく古来より現在に至るまであまり変化していないのではないかと思います。また、それに加えて海外の観察者の多くもまた、そうしたことは先刻承知であるのかもしれません・・。また、そのような視点、視座から見ますと、現在の我が国における様々な出来事、事象も「相も変わらず同じようなことを繰り広げているなあ・・。」と認識されているのではないだろうか?といった感じも受けますね・・。しかし、それだからといって、どのようにすればそうした性質、傾向を良い方向に変化することが出来るのだろうか?と考えても、それは「情報リテラシーの向上」であるとか「教養教育の拡充」といってみたところで、実際そうしたことを行う段階になって、どうもさきほどの「すり替え」「見立てる」といった感じに本質から離れた方向にスライドしてゆき、結果的にどうも当初の目的とは違ったものとなってしまうのではないかと思います。あたかもホラー映画の「フランケンシュタイン」などのように・・。」

A「・・まあ、仰りたいことは概ね理解できます・・。その意味で我々日本人とは、何といいますか観念的、形而上的な発想をすることが極めて苦手な人々であると思います・・。
しかし一方、直接感覚的な事柄に対する感覚は極めて鋭敏であり、それこそが我が国の他の国々に引けをとらない美質であると考えます。そしてこれら観念的、形而上的な発想と直接感覚的な鋭敏さが両立しえないと直覚的に考えてしまうところに先ず大きな落とし穴があるのではないかとも思います・・。」

B「・・はあ、たしかにそれら二つの要素が両立し得ないものであると断言することはできません。しかしながら、そうしたことを考える際の材料となるものが、さきに示したノモンハン事件、太平洋戦争時におけるような様々な歴史的事柄であり、それらを持って類推してみると、どうも難しいのではないかと考えてしまうのです。」

A「まあ、それはそうだけれども、そこで悲観的になってしまうのもまた、どうかと思いますので、そこで様々な形で情報を発信して、より多くの人達と、そうしたことを一緒に考えてゆく姿勢が重要になってくるのではないでしょうか?」

B「・・それは建前的には非のつけどころがない、実に立派なものであると思うのですが、その結果が現在の我が国の状況であると思いますので「少なくとも楽観視することは出来ないのではないだろうか?」というのが正直なところですが・・。」

A「・・まあそうなりますと、考えている思想云々よりもスタンス的なことになりますので、また話が多少ややこしくなってくると思うのですが・・。しかし何れにせよ、そうしたことをBさんが現在書いているブログのようにして発信し続けることには何かしら意味があるのではないかと思いますが・・。」


B「・・ええ、それはたしかにそうであると思いますが、実際のところどうなのでしょうか・・(苦笑)。そうしたことの「意味」「意義」については時折よくわからなくなることがあります・・・。」

「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。」

2016年2月26日金曜日

20160226

A「先日来の風邪のため、ここ数日ほとんど書籍を読んでおりませんが、それによって不図思ったのですが、ある程度の期間、書籍を読んでいないと、自身の読書を含めた、言語により整理、制御されている様々な記憶の中に入ってゆくことがスムーズに行かなくなるのではないかと思いました・・。
そして、それは私としてはなかなか面白い発見であったと思います()。」


B「・・ええ、ひとことで記憶といいますと、何だか物理的な実在を占めるものを想像してしまいますが、そうではないですね・・。
とはいうものの学問、勉強などをして得られた情報とは、一体どのようにストックされているのでしょうかね?
また、それと関連して、何か大きな心理的ショックを受けると記憶が無くなると聞きますが、おそらくあれは記憶そのものがなくなるのではなくて、記憶にアクセスするための「何か」が機能しなくなるということではないかと思います。」


A「ええ、私も以前そのようなことを聞いたことがあります。
またそれと類似したことを異なる視点で描いたものが夏目漱石の「夢十夜」の第三夜ではないかと思います・・。
しかし、あの物語の視点にて「記憶」なるものをとらえてみますと「我々が古くからの記憶を蓄積していないことは幸せなことであるかもしれない。」とも考えさせますね・・。
また、その意味において、歴史を知る、学ぶということは、心の自然現象の一つの側面である「忘却」に敢えて抵抗する行為であるのかもしれません・・。
そしてそれ故、古来より歴史といった学問が主に男性のものであるとされてきた原因であるのかもしれません・・。」


B「・・うーん、そういったことは多分、国、地域などの文化によって大分偏差があるとは思いますが・・。
とはいえ、そうしたことを近現代史で考えてみますと19世紀あたりから列強と呼ばれ、そして現在もなお先進国とされる国々においては、やはり自国の歴史に対し何といいますか確固たるものを持っているように思えます。
たとえ何度か大きな敗戦を味わったとしても・・。
その意味において我が国は太平洋戦争に敗れはしましたが、歴史などにおいてはそうしたことを過度に引きずる必要はないと思うこともあるのですが・・。
あるいはまた、これは過度に敗戦を引きずっているのではなく、さきほど述べました太平洋戦争の敗戦という大きなショックによって国全体が過去の記憶にアクセスする「何か」が機能していない状態であるのかもしれません。
そして、この「何か」とは、おそらく戦後までは時代を通じ割合自然に社会に継承され続けたものであったと思うのですが、現在に近づくにつれ、急速に失われていったのではないかと思います・・。
またそれは、様々な科学技術の進化発展とも何かしらの関係があるのではないかと考えます・・。
まあ、そうであれば、これはある意味普遍的、世界的な現象であるのかもしれませんが・・。
ともあれ、そのような意見を述べると、アナクロニズム、反動復古主義者であるとかのレッテルを貼られるのが通例であるのですが、現在の様々な状況を見てみますと、どうもそれだけでは済まされないような感じを受けます・・。
また、たとえ少数ではあっても、そのような主張をする人間がいても良いのではないかと思います・・まあ、それも一種の多様性ではないでしょうか()?」


A「・・戦後日本社会とは、ショックによる記憶喪失状態ということですか・・。
そうした意見は三島由紀夫、会田雄次あるいは岸田秀あたりが書いていたように思いますが、今現在そういわれてみますと、分かるような気がしますね・・。
また敗戦により失われた歴史の記憶を代替するものが戦後日本社会において興隆し、今現在世界的な文化となったともいえる漫画、アニメであるのかもしれませんね・・。
そうしますと、これは名誉なことであるのか、皮肉なことであるのかイマイチ判然としませんね・・()。」


B「ああ、戦後日本の漫画、アニメに対するそうした考えは、以前私のブログに少し書いたことがありましたが、当時はたしか「現代の神話」と表現していたのではないかと思います・・。
しかし、今のAさんの表現の方がわかりやすく、的確であるかもしれません・・。
そうしますと我々戦後の日本人とは、実際にあった歴史に対し代替となる異なった文化を創造し、それが海外にも受けているということになるのですが、それもまた我が国においてよく見られる「換骨奪胎」「見立て」に通じるものがあるのかもしれません・・。
しかし、そのように考えてみますと、この根っことは思いの他に深く、近代以前にさかのぼるかもしれませんね・・。」


A「ええ、そのようなヒット・ポイントをずらして、ショック、ダメージなどを最小限にしようとする試みとは、長年に渡る文化的な営みの結果として形成されたのだと思います。それは、そうですね・・万葉集やそれ以前の歌垣の際の相聞歌などに淵源があるのかもしれません・・(笑)。
しかし残念なことは、そうした自身が属する文化の持つ特徴、特性に関しての歴史、文化的な背景を日常会話に近いレベルにて能動的に活発に本音で話し合う機会が少ないということです・・。
そして、そのようなことから、さきほどのBさんの発言が出てきたのではないかと思います・・。
あるいはこうしたことは「議論文化の成熟」といったことに因るものなのでしょうか?
まあ何れにしましても言語、コトバの問題ではあるのですが・・。」

「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。」

2016年2月25日木曜日

20160225 2・26事件について

A「最近投稿したブログ記事の内容を見てみますとどうも、自身のブログのことを題材にしたものが多いように思いました。これは、最近閲覧者数が増えたことに対しての私なりの無意識的な反応であるのかもしれません・・。
しかし、こうした記事内容とは以前の記事に比べてみると、どうも現実的過ぎて、あまり面白くないのではないかと思いました・・(苦笑)。」


B「はあ、そういわれてみますとたしかに最近はそうした記事内容が多いかもしれませんね。
しかし、それはそれで良いのではないでしょうか?
それよりもそうした変化によって閲覧者数などは変化したのですか?」


A「・・いえ、今のところ明瞭な変化はありませんが、私の作成したブログの面白い点とは、作成している私からすれば歴史、思想ネタなどがあることによるのではないかと考えます。それ故、現在のこのブログ記事内容の傾向とは、多少変化させた方が良いのではないかと思った次第です・・。」


B「まあ、それはあくまでもAさんが決めることですから、変化させるのであれば、それはそれでいいのではないかと思いますが・・(笑)。」


A「・・そうですか、それでしたら今後少しブログ記事内容を変化させてみようと思います・・。それで先日求職活動の帰りに書店に立ち寄り、まだ多少頭痛の残る状態にて特集されている書籍を見てみましたら2・26事件に参加し処刑された磯部浅一獄中日記が並んでおり、そこから「そういえばもうすぐ2・26事件の日だ。」と思い出しました。とはいえ、この獄中日記は私から見るとかなり過激な内容であり、これまであまり広く刊行されていなかったのではないかと思います・・。そして、そうした書籍が文庫にて刊行され普通に書店に並んでいることに多少驚きを禁じ得ませんでした・・。」


B「ああ、たしかにもうすぐ2・26事件から丁度80年ですね・・。あの事件のことについて書かれた書籍は私もこれまでに何冊か読みましたが、最近はあまり取上げられることも少ないかもしれないですね。とはいえ2・26事件が発生した時代背景などを考えてみますと、現在のこの時代とは、なかなか興味深く映るかもしれませんね・・。そういえば、これまでに2・26事件は何度か映画化されていますね・・。そうしたことから、多分あの事件とは、太平洋戦争に至るまでの戦間期における一つの大きな出来事であり、また同時に我が国の歴史における分水嶺であったのではないかと思います・・。しかし戦後直ぐの極東軍事裁判においてはあまり重要なものとして取上げられなかったようですが・・。それでも当時の社会においてはかなり衝撃的な事件であったのではないかと思います・・。」


A「ええ、私が2・26事件のことを知ったのは事件当時女学生であった祖母から聞いた話であり、その後「何故、国を護るはずの軍隊が叛乱を起したのだろう?」という疑問が生じ、当時家にあった近現代史の書籍を読み、また、同じく当時刊行された叛乱軍に参加された士官の書かれた「生きている2・26」を購入し、あまり分からないながらも熱心に読んでいた記憶があります・・。そのように、私の歴史に対する興味の中においても2・26事件とは、比較的早くから興味をおぼえたものであり、また同時に、その当時から2・26事件と西南戦争との間に漠然とした類似性を感じていたのではないかと思います・・。その後、様々な近現代史に関する書籍を読むうちに、そうした感情的な「思い」とは徐々に静的な公式のようなものに落ち着いてゆこうとするのですが、その一方で実際に歴史に参画した方々の生の声に近いものを書籍などで読みますと、また静的におさまっていたものがザワザワと動き出してくるのです・・。しかし、そのように考えてみますと、歴史上の事件、出来事とは大抵そういったものではないでしょうか?とはいえ、当時の生の声のみでも歴史とはいえませんし、また同時に反省的な視点に立った鳥瞰、俯瞰的な歴史のみでもそれは歴史とはいえないと思いますので、それら視点のバランスが案外と難しいところではないかと思います・・。」


B「・・ええ、歴史上の登場人物における感情などの要素がなければ、学問としての歴史の面白さはかなり少なくなると思います・・。とはいえ、そういったもののみで描かれる歴史というのも、あまり深みがあるようには思えません・・。
しかし、私が最近面白いと思ったことは、日本の長編アニメ的なものにおいては、フィクションとして、そうした両方の視点が設定されてあることなのですが、それらが、どうもどこか世界史にあった(らしい)価値観、世界観から流用しているのではないかということです・・。そして、さらにそうしたアニメ世界の価値観、世界観をオリジナルのものとして認識している年代、層もまた少なからず存在し、またそれが日本のアニメブームにより世界に拡散されているというのは、面白いといえば面白いのですが、同時に「果たしてそれでいいのだろうか・・?」と多少深刻に考えてしまうこともあるのです・・(笑)。」


A「・・そうしたアニメの世界観における何といいますか文化的借景現象らしきものはあまり珍しいものではないと思いますが・・。それは江戸時代の歌舞伎においても事情は多少違うかもしれませんが類似のことはあったのではないかと思います。ですから、私が最近思うことは、それらアニメの世界観そのものよりも、その内容、物語の意図を考えることではないかと思います・・。また、そのように考えると、色々と見えてくることもあるのではないかと思います。
しかし、その見えてくるものの内容を明言することを出来るだけ避けようとするのがどうも我が国の社会の特徴なのではないでしょうか?そこには古来より我が国の文化的な伝統である「すり替え」「見立てる」といったものがあるように私は考えます・・。」

B「・・換骨奪胎ですか。何だか遠藤周作の「沈黙」の最後の章で書かれている棄教した神父の発言を彷彿とさせますが、しかし一方、見方によれば換骨奪胎そのものが、新たなものへの新陳代謝であるとも認識できますから、無限の再生は続くのでしょうが、確固たる伝統のようなものを築くことはなかなか難しくなるのかもしれません・・。ふうむ、そうすると今度は何だか会田雄次山本七平の発言を想起させますね・・(苦笑)。」


2016年2月24日水曜日

20160224 知恵熱、求職活動とブログ記事作成について

A「先日来の風邪の具合はその後どうなりましたか?」

B「ええ、つい先日、抗生物質を服用し、休みましたら大分よくなりました・・。
それでも今現在も特に額の辺りが重く、目を開けているのが若干辛い状態ですのでここ数日は書籍を一切読んでおりません・・。
こうした経験とは、もしかしたら、現在の私にとっては良いのかもしれません。」

A「書籍を読んでいないで何か変わったことはありましたか?」

B「・・それはまだよくわかりませんが、とりあえず現在の体調で無理に書籍を読もうとすると、すぐに額のあたりが痛くなってきます・・(苦笑)。
やはり、書籍、文書などを読むという、ごくごく日常的な行為もこうしたことから察するに、ある程度頭脳を働かせていることがわかりました・・(苦笑)。
そして、これはこれで良い勉強になりました。
しかし、それは別に構わないのですが、ここ数日ブログの記事を更新出来ていないことは若干心苦しいところです・・。」

B「・・それは別に構わないのではないでしょうか?
ブログ作成が現在のAさんの仕事、生業というわけではありませんし、また
たとえ生業であったとしても体調不良の際は休むのが常識ですから・・。
それでも、また体調が回復されたらブログ作成は続行するのですか?」

A「ええ、もちろん、また続けるつもりです。
現在は主に大学、研究所等に対し求職活動を続けていて、どうにか心が折れずにここまで続けることが出来ているのは、私のブログでも大体一日数百人の方々に閲覧して頂いているという事実に大きく因ると考えております・・。
こうしたことは「望外に、私の書く文章も多くの方々に読まれているものだ!」
という一種の鼓舞、奮起の要因となり、それが求職活動、ブログ記事作成継続の原動力となっているのですから・・(笑)。
また、これまで私がブログ記事の作成を継続していなければ、おそらくどこかで心が折れていたのではないかと思います・・(苦笑)。
それに加え、現在のように体調が万全でない状態であると、より一層何かしら記事を書いてみたくなりますね・・(苦笑)。」

B「・・なるほど、それはいいことであると思います。
Aさんはこれまでに様々な分野、業種にて研究、業務に従事してきたわけですから、そうした記憶、経験等から抽出される文章とは、たとえ全部でなくとも、有益なものも少なからずあると思いますので、まあ、体調を壊さない程度に今後も続けられた方がいいと思います・・(笑)。
それはそうと、Aさんは現在、大学、研究所等の公募、求人に主に応募されているのですか?」

A「・・ええ、そうです・・。
といいますのは、私の場合、様々な事情を考えると、その方が良いと思うからです。また、ここで初心を翻しては、自身の生甲斐、寿命などにも大きく影響するのではないかと思います・・。
そして、こうしたことは考えようによりますが、大変重要なことではないかと私は思うのです・・。
とはいえ、なかなかその内定がいただけないのが辛いところなのですが・・。
現在においても、不採用通知が届きますと、その日はやはり多少ブルーになり、悪い場合ですとかなり凹みます・・(苦笑)。
ですから、あれはなかなか慣れるものではありませんし、また同時に慣れてもいけないのではないかと思います・・(苦笑)。」

B「・・私も様々な公募に応募していた時期はありますが、Aさんの頃とはまた少し時代が違いましたから・・まだ多少牧歌的であったのかもしれません。
とはいえ、今回の風邪も、もしかすると、そうした不採用通知が直接的な原因になったのではないですか・・?」

A「・・いえ、どうでしょうか・・?
ううむ、それはおそらく違うと思います・・。
しかし、今後、体調が好ましくない時期に不採用通知が届きましたら、かなり落ち込み、そのようになることはあるかもしれません・・(苦笑)。
また、そうならないためにも、早期にブログ記事の作成が出来る程度までは回復したいものです・・。
さきほどBさんにお話しました通り、私のブログ記事の作成とは、現在の求職活動継続のための大きな原動力となっておりますので・・。」

B「その大学、研究所などでの業務で、ブログなどの記事を作成して情報を発信する業務があれば、それはそれで今後、直接的にこれまでの経験を生かすことができるかもしれませんね?」

A「・・これまで色々と見てきましたが、さきの業種の中では、あまりそういった業務はないようです・・(苦笑)。
また、今後もしも、そういったものが見つけましたら、応募してみようと思いますが(笑)。
ともあれ、そういった職務は今現在はあまり見当たりません・・。
しかし、それでもブログの記事作成とは、全体的に見れば文章作成の修行になっていると思いますし、また現在なお完治していないこの風邪において特に頭痛がひどいということは、良く解釈すれば、私の頭の中で何か大きな変化が生じた結果であるかもしれませんし・・(笑)。」

B「・・ふーん、それは一種の知恵熱であるということですか・・。
しかし、知恵熱であれば、随分遅い知恵熱ですね(笑)。」

A「いえ、ああいったものには特に年齢は関係ないのではないでしょうか?
これは私の経験ですが、何か新しいことをある程度継続して、その新しいことによって頭脳あるいは精神に何かしら変化が生じる時に、知恵熱ですとか何かしらの体調の変化が生じるのではないでしょうか?
その意味において、それは以前ブログの記事にて書きました転居の際に生じる体調の変化と何かしら通じるものがあるのではないかと思います・・。」

B「・・なろほど、そう考えると、たしかにものは考えようですね(笑)。
とはいえ、そうなるとAさんが今回の風邪から回復した後のブログ記事が若干たのしみになってきますね、少しバージョン・アップするのでしょうか?」

A「・・いえ、そうした変化、進歩とはあくまでも漸進的なものであると思いますので、おそらく、すぐにその変化がわかるものであるという可能性は低いと思います・・。
しかし、同時にここまで約八ヶ月ブログ記事を作成してきましたが、やはり記事を書くことが明らかに以前に比べ、自然に出来るようになってきたとは思いますので、それはそれである程度大きな進化であると私は考えています。」

B「・・なるほど、そうしますとまた、今後の記事に期待ということになるのでしょうか?」

A「・・まあ、あまり期待などしないで、何の気なしに眺めていただく方がありがたいのですが、とにかく回復しましたらまた書き続けようと思います(笑)。」


2016年2月21日日曜日

20160221 歴史認識と国民性について

A「先日過去に投稿したブログ記事を読んでみますと、あまり面白くないと感じるものも少なからずあり、これらの投稿を削除しようかと不図思いました・・(苦笑)。
しかし、ブログ記事の面白さとは、私が決めることではありません・・。
また、それに加えて、たとえ出来が拙いものであろうと、自身の作成した記事は残しておいた方が良いと思い、削除することを止めました。」

B「・・はあ、そうですか、まあ、たしかに自身が作成したいわゆる「かつてのやっつけ仕事」とは、後になって見てみると、かなり恥ずかしいものであることも多いですね・・(笑)。そして、それらに対して「こんな拙いものを人様に見せるわけにはいかない。」と考え、行動すれば、それらを削除することになるのでしょう・・。
その一方、「こんな拙いものでも自分が作成したものは、たとえ恥ずかしくても明示すべきである。」と考え、行動すれば、それらを残すことになるのでしょう。
そしてAさんは後者を選んだということになりますね。」



A「・・ええ、まあそのようなところですが、しかし、そこまで神妙な考えではなかったと思いますが・・(苦笑)。また、ただ今のBさんの発言から不図思ったのですが、こうした考え、行動とは国、地域などの歴史などに対する態度と何かしら通じる要素があるのではないかと思いましたが・・?」

B「・・ああ、それは特に意図しておりませんでしたが、たしかにそうした要素はあるかもしれません(笑)。そして、そのように考えると、我が国の場合、その主要な原因とは未だわかりませんが、特に近現代史などにおいては前者に近い考え、行動をとることが多いように思います・・。我々日本人の殆どは歴史の多くの時代を水稲耕作民として過ごしてきました。そうした社会とは、播種から収穫までの一連の行程が毎年繰り返され、それが日常生活における基調となるのではないかと思います・・。そしてそれは現代の我々であっても無意識の深い部分にそうしたことは記憶されているのではないでしょうか?
そういえば、英語には「Trait」というコトバがあります・・。
ともあれ、このような日常生活の基調がある社会においては歴史も繰り返し蓄積される類型化、定型化されたものとして認識され、一つ一つの事件、出来事が持つ特殊性などはあまり考慮されることはなかったのではないかと思います・・。
そして、そのような類型化、定型化された歴史観、物語的なものが日常生活における国、地域の通史的なものとして広く認識、定着すると、より俯瞰的、普遍的な視座から述べられる歴史観と反りが合わなくなり、同じ時代のことに関しても解釈が異なってくるのではないかと思います・・。」

A「・・はあ、それはたしかにそうですね・・。
昨今の周辺諸国との歴史認識についての食い違い、領土問題などについても根源には、そうしたことがいえるのではないでしょうか?
しかし、それらの歴史認識の普遍性とは、どのようにして得られるのでしょう?
あるいは、世界規模において共有され得る認識と為すことができるのでしょうか?
基本的にそうしたことは歴史研究者といった専門家の仕事ではあるのでしょうが、我が国の場合、あまり普遍化され得ない特殊、限定的な歴史観が変に時流に合わせて流行するといったような傾向があるのではないかと思います・・。
昨今、いくつかのテレビ番組、雑誌特集記事などを見てみますとそのように感じることが多くあります・・。つまり、我が国においては普遍的な歴史観を日常生活レベルに持ってきて考察するというクセが少ないのではないかと思います・・。
また、それがあったとしても、それはあくまでも経済的な側面のみであることが多いのではないでしょうか?そして、そうしたものの多くは定期的に巷に流布される様々な「陰謀史観」と結びつき易いのではないでしょうか?」


B「・・・ええ、昨今の我が国を巡る幾つかの国際的事案から歴史認識の重要性を国全体として気付いたというような感じも受けるのですが、これもさしずめ一過性のものであり、まあ5年程度経つとキレイに忘れているのではないでしょうか・・(苦笑)?
そして、これは以前に読んだ中井久夫の微分、積分回路についての記述を想起させます・・。そうしますと、つまり何というか、我々日本人とは良い悪い以前の特徴、傾向として、微分回路にのみ特化したような特徴、傾向を有しているのではないかと思います・・。しかし、こうした特徴、傾向とは、おそらく近代以前においては特に顕著に見られないものでした・・。もちろん、それは日本が主に西欧諸国によって編纂される国際的な歴史にあまり参画してこなかったことによるのですが・・。しかし、そうしますと西欧的な基準を採用する歴史に批准しないと、国際社会において通用しない、普遍的な意味での歴史観は得られないということになるのですが、そうしますと、今度はそれはそれで、何らかの事実、真実から離れた恣意性を感じてしまうのですが・・あたかも昨今締結された条約のように。」


A「・・学問における普遍性とは極めて重要な要素であり、特に理系学問分野においては、それが国際性を保持するために欠かせないものであるのですが、一方、文系学問分野における普遍性とは、さきほどの歴史認識の食い違いのように、なかなかスムーズに行かないのではないかと思います・・。そして、そうしたことは国際的な問題であると同時に国内の地域間においてもある程度同様のことがいえることではないかと思います・・。」

B「・・なるほどねえ・・また、それに加えて、様々な歴史的出来事の真相そして深いほうの深層が、学問的な意味での普遍性と、決して安直に結び付くことがないというのが、何とも皮肉なことですね・・。」


A「ええ、そうした意味において過去を扱う学問とは、難しく、また昨今声高にその必要性が叫ばれている情報リテラシーとは、こうしたことに関心を持ち続けることにより、徐々に社会に定着してゆくものではないかと思いますが?」

一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている皆さま、どうもありがとうございます。

2016年2月20日土曜日

20160220 風邪をひいたハナシ

A「季節の変わり目であるためか、先日風邪をひいてしまいました。
私は、これまでにあまり風邪をひいたことはなかったのですが、今回ひいた風邪はなかなか強烈であり、特に頭痛がひどく、目を開けているのも辛かったです。
また、これは現在なお完治しているとはいえず、ブログ記事作成も困難な状態であると思います・・(苦笑)。」

B「・・はあ、風邪をひいていたのですか・・それは結構辛いですね。
しかし、それでも一応ブログの記事は作成していたようですが、大丈夫だったのですか・・?」

A「いえ、現在もなお完治していませんので、記事作成時もかなり面倒といいますか辛く、自身の記事を作成することは先ず無理であると思い、書籍からの抜粋をいくつかブログの記事として充てた次第です・・。
そして現在に至り、どうにか記事を作成できる程度にまでは回復してきたと思いましたので、現在のこのBさんとの会話を少し題材とさせていただき、次のブログ記事を作成してみようと考えております・・(笑)。」

B「そうですか・・しかし、そうした治りかけの頃が一番厄介であるとも聞きますので、あまり無理をしないで、ブログ記事を作成することもないと思いますがどうでしょうか?」

A「ええ、とりあえず「ブログ作成者体調不良につき、数日間ブログ連載を休止します。」と投稿しようと思いましたが、それであれば、何かしら書籍の抜粋が出来るのではないかと考え、まあ、そのようにした次第です。
加えて、ここ数日間は頭痛のため、一切書籍を読むことができなかったのですが、これは今考えてみますと、案外良いことであったかもしれません・・。
普段、その意味も特に考えず、何気なく行っている行為が、どのような意味を持っているのかを考えさせる良いキッカケとなったのではないかと思います。
また、その意味において、私の読書とは今後もう少し考えてみても良いのかもしれません・・。」

B「・・そうですか、しかし今になって、これまで続けてきた読書を考え直すというのは、難しいのではないかと思います。
つまりAさんは読書が好きであるから、いつそれが始まったのかわかりませんが、読書を続けてこられたのだと思います・・。
そして、それがAさんの作成するブログ記事に対して如何なる影響を与えてきたのかは分かりませんが、文章の作成において、参考として他の文章を読むということは、まあ、ごくごく一般的なことであると思いますので、今後のブログ記事作成のためにも、何かしらの読書は続けた方がいいのではないかと思いますが、どうでしょうか・・?」

A「ええ、まあそれは仰る通りなのですが、一方において「読書ばかりしていると自分で物事を考えられなくなる。」という意見もありますので、私の場合は今回の風邪を良い契機として、敢えてしばらく読書から離れてみるのも悪くないのではないでしょうか・・?
そして、後にこの読書をしない状態にて書かれた自身のブログ記事を見て「ああ、これよりも以前の読書をしていた時期に書いた記事の方が良かった。」と思いましたら、また、読書をしつつ記事の作成を試みようと思います・・()。」

B「・・それは、どうでしょうか?
私はAさんがここまでブログを書き続けることが出来たのは、ひとえに、これまで続けてきた読書の経験によるのではないかと思いますが・・?
また、これまでに投稿したブログ記事も、半分以上が書籍からの抜粋ですよね?
そうしたことは、何といいますかこれまでのAさんのブログの本質を成しているものであると思いますので、あまり変化させない方が良いのではないかと思いますが・・?」

A「・・はあ、なるほど、いわれてみると、たしかにそうであるかもしれませんね・・。
では、とりあえず、次に投稿するブログ記事は、事前数日間、書籍を読んでいない状態にて作成したということに留めておきます・・。
とはいえ、先日投稿した全ブログが200記事を越えたあたりから、よくわからないプレッシャーらしきものを感じるようにもなりましたので、そこからどうにか逃れ、且つブログ記事の作成を続けるためには、何かしら周囲の状況を変化させることは有効なのではないかと思います・・。」

B「そうですか、そうすると今回の風邪ももしかすると、そのプレッシャーによって生じたのかもしれませんね?
また、以前投稿した記事に書かれていたブログの閲覧者数が増えたということも、嬉しい反面、やはりプレッシャーを感じることもあるのではないでしょうか・・?
そのような中、風邪を引いたということは、それら周囲の状況に捉われている部分も少なからずあるのではないでしょうか?」

A「・・・たしかにそうした周囲の状況に捉われている可能性もあると思います・・。
しかし、それだからといって、今回引いた風邪もそうしたプレッシャーに因るものではないと思います・・。
これはやはり、季節の変わり目であることと、多少寒い環境にいたことが直接の原因ではないかと私は考えています。
またプレッシャーを風邪と安易に結び付けるのは、自身の精神衛生的にも、またそれ以前に、実際問題として事実とは異なるのではないかと思います・・。
聞く方々がどう解釈されるにせよ、やはり自分の認識した事物の内容を重視して、それを発信することが、現在私が継続するブログの本質であると思います。
また、それは安易に変えるべきものではないのではないでしょうか?
その上でこのブログを通じて発信した内容が多くの方々に共感を持って読んでいただき、そこから何かしら感じて、考えていただけるきっかけとなれば、それこそが意味のあることではないかと思いますが、どうでしょうか?」

B「ええ、そうであるかもしれません・・。
しかし、意識する、しないに係らず、やはりAさんの場合、ブログ記事の作成と併行して、読書は継続した方が良いと思います。
しかし、実験的にある程度の期間、読書を止めてみるのも面白いかもしれません、そしてそれがブログ記事に対してどのような影響があるのかというのもまた面白い実験であるかもしれません()。」

A「ええ、それは追々試してみようと思います・・()。」


「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。
また、現在公募、求人等に応募しております。
現在大変困難な状況でありますので、この状況から助けていただきたく思います。
どうぞよろしくお願いします。」

2016年2月19日金曜日

ジョセフ・コンラッド著 藤永茂訳「闇の奥」三交社刊pp.19-21より抜粋20160219

「僕は大昔のこと、1900年前、ローマ人が初めてここにやってきた頃のことを考えていたんだ―ついこの間のことのようにね。
そのあと、この河から光明が流れ出て行くようになったんだ―騎士たちが出立して行ったと言うのかい?それでもいいさ。
だが、それはね、平原を妬いて突っ走る野火、雲間にひらめく稲妻のようなものだ。われわれ人間の生なんてはかないものだ―せいせいこの古ぼけた地球が回り続ける限り、それが続くことを祈ろうじゃないか。
しかし、暗黒はついこの間までこのあたりを覆っていたんだ。まあ想像してごらんよ。地中海に浮かぶ―ああ、なんて言ったっけな―そうそう、トライトリームという立派なガレー船の副長だった男が、突然、北辺に行けと命令された時の気持をね。
急いでゴール人の地の陸路横切って北海に出て、古代ローマの軍団の船の一艘の司令を任されるわけだ。
物の本にあるところを信用すれば、彼らはそうした船を、一月か二月のうちに、何百と造ったものだそうだ―ずいぶんと器用な連中だったに違いないね。
さて、世界の最果て、鉛色の海、煙色の空、六角アコーディオンと同じくらいの堅牢さしかない船―その船に兵糧、兵士、その他あれこれを積んで、その船長がこのテムズを遡ってくるところを想像して見たまえ。砂州、沼沢、森林、蛮民、―文明人の口に合うものなどほとんどなく、陸に上がっての楽しみもない。あちらで、またこちらで、まるで干し草の大束のなかの針みたいに、荒野のなかで消息を絶つ野営隊もあった。
―寒さ、霧、嵐、疫病、流浪、そして死、―空気のなかにも、水のなかにも、薮のなかにも、死がそっと潜んでいるのだ。
兵士たちは蠅のように死んでいったに違いない。だが、もちろん、船長は任務完遂、それも、あれこれ思い惑うこともなく見事にやってのけたのかもしれない。
彼らこそが暗黒に立ち向かうに十分な強さを備えた男たちだった。
もし、ローマにいくらかのよいコネがあり、このひどい気候風土を生き抜いたあかつきには、やがてラベンナの艦隊への昇進もあろうという思いに元気づけられることもあっただろうよ。
あるいはだな、トーガを身にまとった人品いやしからぬ少壮のローマ市民が―さいころ遊びでもやり過ぎた挙句ににさ―一旗揚げ直してみるともりで、知事とか、収税吏とか、はたまた商人などに混じる一行に加わって、この土地にやって来たところを想像してみよう。
まず沼地に上陸し、森や林を抜けて、やがてどこか内陸の駐屯地にたどり着く。そこで、彼は未開地の荒涼さ、全くの荒涼さがすっぽりと彼を包み込んでしまったと感じるのだ、森のなか、ジャングルのなか、そして野蛮人の胸の奥にうごめいている荒野の神秘な生命のようなもの全体が、ひしひしと身に迫ってくる。
そうした神秘に参入する儀式や手ほどきなどありはしない。彼はその理解を絶したもののただ中で生きてゆかねばならず、それはまた、嫌悪すべきことでもある。
ところが、その神秘はある魅惑も備えていて、それが彼の心にじわりじわりと作用を及ぼしてくる。
嫌悪感の蠱惑とでも言えようか。思っても見たまえ。日々につのる後悔、逃げ出したいとあせる気持、それができない腹立たしさ、結局は屈服し、ただ憎悪が残るのだ」
闇の奥
ISBN-10: 4879191620
ISBN-13: 978-4879191625
ジョセフ・コンラッド


2016年2月18日木曜日

Laurence Van Der Post著 「The seed and the sower」Vintage classics刊 pp.33-34より抜粋 20160218

Even when I have had to punish you, I felt you understood it was not I, Hara, who wanted it, but that it had to be, and you never hated me for it.
Please tell me now: you English I have always been told are fair and just people: whatever other faults we all think you have; we have always looked upon you as a just people.
You know I am not afraid to die.
You know that after what has happened to my country I shall be glad to die tomorrow.
Look, I have shaved the hair off my head, I have taken a bath of purification, rinsed my mouth and throat, washed my hands and drunk the last cupful of water for the long journey.
 I have emptied the world from my head, washed it off my body, and I am ready for my body to die, as I have died in my mind long since.
Truly you must know, I do not mind dying only, only, only, why must I die for the reason you give?
I don’t know what I have done wrong that other soldiers who are not to die have not done.
We have all killed one another and I know it is not good, but it is war.
I have punished you and killed your people, but I punished you no more and killed no more than I would have done if you were Japanese in my charge who had behaved in the same way.
I was kinder to you, in fact, that I would have been to my own people, believe it or not, than army rules and rulers demanded.
 If I had not been so severe and strict you would all have collapsed in your spirit and died because your way of thinking was so wrong and your disgrace so great.
If it were not for me, Hicksley-Ellis and all his men would have died on the island out of despair.
It was not my that the ships with food and medicine did not come.
I could only beat may prisoners alive and save those that had it in them to live by beating them to greater effort. And now I am being killed for it.
I do not understand where I went wrong, except in the general wrong of us all.
 If I did another wrong please tell me how and why and I shall die happy.

The Seed and the Sower

ASIN: B005F3GKTC

Laurence Van Der Post