2018年5月3日木曜日

20180502 人文社会科学系学問は社会動向の判断・補正装置のようなものであるのか?

本日の首都圏は朝から曇り、そして夕刻前あたりから雨が降り始め、夜半の現在においては一先ず止んでいます。しかし、この天気の崩れは明後日まで続くとのことです。自身としては、本日内にもう少し動けるだけ動いておいた方が良かったとも思われましたが、よくよく考えてみますと、現在行っていることも特に急ぐ必要はなく、一つずつ片付けていくのが良いと思います。

さて、ハナシは変わり、昨日投稿分の記事もまた、ここ一連の『思想・観念』を題材とした記事につながるものであり、また、比較的多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

ともあれ、そこで述べた概要は、多くの学問的な知識・知見と同様、『思想・観念』においても『完コピ・複製』では『持続可能性』が乏しく、それを(出来るだけ能動的に)理解・咀嚼し、さらに自身のコトバにて表出可能な自己嚢中のものとすることにより、更なる新たな創造・進化発展につながり、また、その経緯が自然なカタチにて為されるためには、予め、そうした『思想・観念』を、ある程度日常的なものとする経験が重要であり、そして、そうした経験を知覚・認識するために、さまざまなモノガタリ・小説が、その核・マトリックスとなるのではないかということです。

とはいえ、それは有形無形を問わずオカミからの既成価値基準の押し付けであってはならないということが、特に(昨今の?)我が国においては難しいことであり、またそれが『思想・観念』などを扱う人文社会科学系学問全般において重要且つ難しい問題ではないかと思われるのです・・。

また、それ故にこうした問題に関しても、ある程度日常的なものとする経験、およびそれを知覚・認識するための文化コンテンツは、本来はこうした目的に沿うためのものではありませんが、重要であり、その意味において昨今流行している、さまざまな文化コンテンツ(マンガ・アニメ・ゲーム)などは、おそらく適度(どの程度か分かりませんが)に楽しむ分においては何かしら良いものもあるのかもしれませんが、ある程度の期間にて考えてみますと、それらはあまりもに世界観が規定されており、閉じた系であることから、新たな創造には寄与することが乏しいように思われるのですが、さて如何でしょうか?

とはいえ、こうしたことも社会における何かしらの空気といったものがあるにせよ、言論の自由が存在するからこそ、述べることが出来るわけであり、こうしたことを考えてみますと、時間はかかるのでしょうが、我が国における高等教育にて何らかの変革が為された方が良いのではないかと思われてきます・・。

そういえば、昨日のウィトゲンシュタイン著『論理哲学論考』の著者による序文と似たようなことをショーペンハウエル著『読書について』で述べていたことが思い出されましたが、たしかに方法論的に『思想・観念』を『完コピ・複製』した勢いのある世代が跋扈するようになりますと、我が国では、そうした勢力を自然に抑制出来るような仕組み・装置が乏しいのではないかと思われるのです。しかしながら、本来、人文社会科学系学問の重要さは、そうしたところにあるようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年より
現在までに列島各地において発生した、あるいは現在も継続して発生しているさまざまな大規模自然災害によって被害を被った、被っている諸地域の諸インフラの復旧そして復興を祈念します。


~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック
ISBN978-4-263-46420-5