2016年10月9日日曜日

20161009 445記事 偽らざる内心との調和、融和

A「おかげさまで昨日のブログ記事閲覧者数もまた1000人に到達しました。

また投稿記事数も本日の記事投稿により445記事となり、とりあえずの一区切りともいえる450記事まで、あともう一歩となります・・。
そして、現在、目標とする投稿記事数は500と設定しておりますが、450記事に到達しますと、以前よりも、この目標が一層現実味を帯びてきます・・。

これまで一連の記事を興味を持って読んで頂いている皆様、どうもありがとうございます。

とはいえ、実際のところ、500記事に到達したならば、何か良い出来事が生じるというわけでもなさそうです・・(苦笑)。

そうしますと「これまで(何となく)目標を定め、それに向かい、一つ一つ記事を作成し投稿してゆくといった作業、行為とは一体どのような影響を私に及ぼしているのであろうか?」という疑問が不図、頭をよぎることがあります・・。

そしてまた、その影響とは、果たして500記事という具体的な目標とする数値に到達した場合においてのみ、発揮、及ぼされるのであろうか?とも思うに至ります。

他方、ブログ記事の作成、投稿という作業、行為によって生じる何らかの影響とは、これまでに投稿した400記事程度により(十分)得られているのであるとすれば、今後のそれはいわば蛇足というものであり、必要ないものとして認識することも出来るのかもしれません・・。

しかしながら、感覚的なことではありますが、こうしたものは、ある数値目標を達成、到達することにより、何かが生じるというものでも、ある一定の適当な量をこなしたから何かが生じるというものでもないと思われます・・。

それは、ただ偽らざる自らの内心(無意識に近いものであろうか?)との調和、融和によって内面において何かが生じるのではないかと思われます・・。

そして、それ(内面での変化)が自身の行動、言動に変化をもたらし、結果的に外部からの要因により、何かしらの出来事が生じたように思われる、感じられるのではないでしょうか・・?
(あるいはそうしたものとして認識した時点で何かが大きく変わるのかもしれない・・。)

もちろん断言はできませんが、これまでブログ記事の作成投稿を行っておりますと、少なくとも私の場合、そうではなかろうかと思われるということです・・(あくまでも一つの仮説です・・。)。

その意味において、容易に自らの内心との調和、融和を図ることが出来る方の方が相対的にこの世間を生きていく上においては有利であるのかもしれません・・(結局それはコトバ、そしてコトバの定義の問題なのであろうか・・?)。

また、それと同時に、この主題、テーマとは以前作成投稿したブログ記事「なかなか大事なことであるかもしれませんが・・」と関連があるのではないかとも思われます・・。

そして、それをさらに長期間、数世代にわたるモノガタリとして考えてみますと、今度は「素戔嗚から菅原道真まで・・」と題した以前に投稿したブログ記事の主題、テーマとも関連が見出せるのかもしれません・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

先日来の熊本、阿蘇山の噴火による、四月に同地域を中心として発生した大地震での被災された地域の復旧、復興作業に支障がないことを祈念します。」


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