2022年9月25日日曜日

20220925 碩学舎発行 中央経済社発売 クレイトン・M・クリステンセン ジェローム・H・グロスマン ジェイソン・ホワン 著 山本雄士 的場匡亮 訳「医療イノベーションの本質」 pp.394-396より抜粋

碩学舎発行 中央経済社発売 クレイトン・M・クリステンセン ジェローム・H・グロスマン ジェイソン・ホワン 著 山本雄士 的場匡亮 訳「医療イノベーションの本質」
pp.394-396より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4502125911
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4502125911

以下の記述についてよく考えてほしい。虫歯は予防可能だという事実があるにもかかわらず、歯を失う理由の一番に挙がる慢性疾患であり、2歳から5歳の子供の4分の1以上、12歳から15歳の子供の半数以上、40歳以上の成人の90%以上が虫歯を持つ。虫歯は全世界の50億人を苦しめ、特に低所得世帯に影響を与えている。世界の公衆衛生における関心事に対応する、破壊的イノベーションの機会が存在すべきである。

1つの事例がある。しかし、患者のためにやっているせいで、それを必要とする人々になかなか届けられないでいる。既存の提供者が直接攻撃を受けたときに、規制が患者保護から提供者保護へと、どのように形を変えるかを表した事例として、マサチューセッツ州で起きていることを良く考えてほしい。

 歯科衛生士が法律を制定しようと働きかけている。その法律では、特別に訓練された衛生士が歯科医師の直接の監督下になくても歯をきれいにし、フッ素塗布ができるようになる。マサチューセッツ歯科医師会は住民の安全を引き合いに出して、声高にこれに反対した。さらに、医師会は代替案を出したー歯科医の直接の監督下で、歯をきれいにし、詰め物さえできる特別に訓練された歯科補助者という異なる階級の創設である。マサチューセッツ歯科衛生士協会(MDHA)は、歯科補助者の誕生によって”資格のある歯科衛生士を締め出し”かねないと反対声明を出した。どう見ても、マサチューセッツ州は破壊的イノベーションからの直接的な攻撃を巡る長い闘いに向っている。予想通り、組織や専門家は自らの食い扶持を守るために闘うのである。

しかし、着目する人々が少ない場所では歯科診療は破壊されている。アラスカ先住民族保健コンソーシアム(ANTHC)は2000年に、郊外の歯科サービスの欠如に対応するため、州を説得し歯科保健補助療法士(DHAT)という新種の歯科職種を創設させた。モデルは90年以上前にニュージーランドで導入され、明白な成功を収めたもので、同様のプログラムはカナダやイギリスを含むその他42の国に存在している。実際、歯科治療の教育を受けた最初のアラスカの学生は、米国にそのようなプログラムがないためニュージーランドのオタゴ大学歯学部に通った。DHATの教育期間は歯科医教育の最低4年間に対して2年間であり、給与は年間6万ドルで一般的な歯科医の3分の1程度である。

 2003年以降、アラスカ農村地域のDHATは定期的な症例検討という間接的な監督のみでクリーニング、削る、詰める、抜歯などのサービスを提供している。現在、10人のDHATがアラスカの20の村で役目を果たしているー以前は訪問歯科医による歯科診療が毎年1週間か2週間のみ存在した地域である。ワシントン大学歯学部教授による2005年の質評価報告は以下のとおりである。
                                         

 私はベセル、バックランド、シャングナックの歯科診療所に対する4日間の査察で、2005年初頭からアラスカ原住民にプライマリケアを提供している4人の歯科保健補助療法士の臨床成績を評価した。彼らの成績はあらゆる点で私の定めた診療の基準に合致したものであった。基礎教育と、それに続く研修によって有能な医療提供者が生み出されている。各人が基本的な予防サービスだけでなく、詰め物や抜歯など不可逆の歯科処置を含む簡易な治療を提供する実力を備えている。彼らの患者マネジメントスキルは標準的な診療を上回っている。彼らは診療範囲の限界を熟知しており、それを越えようという素振りは見せなかった。彼らは患者の安全を脅かす可能性のある臨床状況を認識し、それを避ける能力があることを複数の場面で見せてくれた。私は現地調査を通じて、アラスカ原住民に有能で安全なプライマリケアを提供できるような歯科療法士を教育するのは不可能であるとした歯科医や歯科学会の主張は大げさだと確信した。
                                          
米国歯科医師会やアラスカ歯科学会は、DHATの侵入を阻止しようと2006年にアラスカ上級裁判所に差し止めを要求し、監督下にない歯科サービスを提供する許可を彼らに与えることに予想通り反対している。判事はANTHCを支持し、"アラスカ州試験委員が農村地域のアラスカ原住民を対象とした歯の健康を担当した場合、多数の健康目標で・・(中略)未達成が続くだろう”と評価した。歯科医師による十分なサービスを住民が享受していない残り48州の郊外でもDHATがすぐに許可されるようになるだろう。最終的に破壊的イノベーションはマサチューセッツ州にもたどり着くだろう。しかし、2つを結ぶ最短距離は直線ではないのだ。

2022年9月24日土曜日

20220924 碩学舎発行 中央経済社発売 クレイトン・M・クリステンセン/ジェローム・H・グロスマン/ジェイソンジェイソン・ホワン 著 山本雄士/的場匡亮 訳「医療イノベーションの本質」 pp.28-30より抜粋

碩学舎発行 中央経済社発売 クレイトン・M・クリステンセン ジェローム・H・グロスマン ジェイソン・ホワン 著 山本雄士 的場匡亮 訳「医療イノベーションの本質」
pp.28-30より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4502125911
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4502125911

今日の医学教育は、メディカルスクールのカリキュラムの骨子が制定された1900年代前半の3つの状況を反映したものとなっている。第1に、20世紀最初の数十年、医療は科学ではなく直感によるアートであったー医療の提供能力はルールやプロセス、設備ではなく医療従事者に依存していた。したがって、医学教育は直感に基づいて、個人で働く医師を育てる仕組みになっていた。第2に、学生は秋に農作業を終えてから集団で学習を開始した。第3に、現在のメディカルスクールのカリキュラムの骨子が固まった時代の疾患のほとんどは急性疾患であり、ほとんどの症例は教育病院で経験できた。
 今日の医学生が医療を実践する未来の世界は、メディカルスクールが用意したものとは全く異なるものである。相違点の1つは、直感的、または経験的医療の領域にある疾患のほとんどが、20年後の未来には精密医療の領域へと移行しているということである。その結果、多くの疾患が最終的にはナースプラクティショナーやフィジシャンアシスタントによって診断、治療されるようになる。彼らは組織し管理することが、ほとんどの医師の仕事の大部分となるだろう。
 もう一つの相違点は、属人的な専門性とプロセスにおける専門性との比較にみることができる。いつの時代でも、経験豊かで直感的な専門医にソリューションショップで働いてもらう必要がある。多くの疾患にはまだ精密医療が有効でなく、これまでになかった新しい疾患も生まれるであろうからである。医学生を個々人として働けるように訓練する現在の教育方法は、そうしたソリューションショップで働く医師を育てるには十分であろうーしかし、30年度にはそうした医師の必要性は今よりも少なくなっているはずである。未来の医師のほとんどは、個人の能力のみではなく、プロセスや設備に医療提供能力の大部分を頼るような環境で働くようになる。しかし、私たちの知る限り、ミスを防止するための自己改善プロセスのデザイン方法を学ぶことができるクラスを設けているメディカルスクールはない。
 第10章で説明するように、今日の償還制度ではプライマリ医より専門医のキャリアを選んだほうが高収入を得ることが出来るために、米国のメディカルスクール卒業生は専門医教育を受けることを選択し、躊躇なく、上位市場へと進んでいる。結果、現在米国で診療を開始するプライマリケア医のおよそ半数は海外のメディカルスクールー基本的にはカリブ海周辺やラテンアメリカ、インドーの卒業生である。これらの大学は評価を高めつつあり、在職者にとって経済的に全く魅力のないマーケットを手始めとして、米国のメディカルスクールを破壊しつつある。
 これが米国の医学教育機関にとって脅威となりうるのは、将来的に多くの牽引技術によってプライマリケア医が専門医を破壊することになるからである。加えて、そのような技術の進展によってナースプラクティショナーやフィジシャンアシスタントがプライマリケア医を破壊するだろう。そしてまた、米国では慢性的な看護師不足も続いているーこちらも基本的にはフィリピンなど海外で教育された移民看護師によって埋め合わせがされている。看護師不足は米国の看護学校が足りないことが根本にある。つまるところ、米国は将来必然性が増す可能性の高い専門職よりも、先細りになる可能性の高い者たちの育成に医学教育のリソースを向けていることになる。

2022年9月23日金曜日

20220923 過去の投稿記事を読み、生じた変化について(過去を参照して活力を得る?)

現在読み進めているジョン・ト―ランド著「大日本帝国の興亡」第五巻(平和への道)は、そこまで快調に読み進んではいないものの、ポツダム宣言そして広島・長崎への原子爆弾投下に至るまでのくだりとなり、その先の展開が概ね分かっていることから、気が滅入ってきます。それ故、出来るならば、あまり読みたくないのですが、しかし、このあたりの歴史が、近代以降、現代に至るまでの、我が国の大きなターニング・ポイント、つまり、それ以前と以後では、同じ国ではあるものの、社会が異なるものになった基点と云えますので、多少気が滅入ることはあっても、このあたりの歴史を、自分なりに出来るだけ詳細に知っておいた方が良いと思われるのです。もちろん、それは、あまり変わらない「歴史好き」という私の性分に依拠するのでしょうが、しかし、そこでの歴史の流れを自分なりに理解して得られた意見や見解を、当ブログ、あるいは連携投稿でのツイッターなどのSNSを通じて、より多くの方々に読んで頂き、そして、わずかではあれ、何らかの反応や影響があれば、それは自分の性質の、より根源的なところから発信された意見・見解による効果であると思われますので、私としましては、そこに当ブログを継続してきた価値や意味合いといったものを感じ、カタルシスを得ることが出来るのです・・(笑)。

こうした雑記的なブログであれ、ある程度の期間続けていますと、こうしたカタルシスに麻痺してくるのでしょうか、当初にはあった熱意・情熱のようなものが薄れてきます。それでもブログは(どうにか)継続することが出来ていますので、そこには自分なりの、継続のための技術があったのでしょうが、しかし、我が事ながら面白いのですが、作成者側からしますと、継続のための技術をさらに模索するよりも、当初にあった熱意・情熱が甦ってくれることの方を強く願うのです・・。

そして、時折、何かしら書籍などを読んでいますと、その経緯は不明で、さらに未だ再現性を見出すことも出来ていないのですが、当初の熱意・情熱が一時的にではあれ、甦ったように感じることがあるのです。いえ、この感覚は「甦る」というよりも、精確には「思い出す」に近いと思われるのですが、この感覚を思い出し、さらに、それを所望の時に再現出来ればと思うのですが、これに関しては今現在叶っていません。しかし、本日に関しては、さきほど、自身によるいくつかのブログ記事を読んでいたところ、どうした経緯によるものか、さきに述べた感覚が多少思い出されたようで、現在は、その勢いにて記事作成を行っていると云えます・・(笑)。

ともあれ、たとえ以前に一度書いた内容であっても、再度、それを著す際には、おそらくあまり意識せずに、多少の文体の進化や洗練といったものはあるのではないかと思われます。そして、それを何度か繰り返すことによって、より深くからの自分の性質と、人に伝えるための文体が融合して、そして、さらに多くのことを文章にて著すことが出来るようになるのではないかと思われるのです。

たしかに、現在の私は読書も当ブログも停滞気味ではありますが、他方で、さきに述べたような感覚が訪れることも時々はありますので、また後日、そうした感覚を起点として、文章を作成する自分に相変態的な変化が生じるようにも思われますので、無理はあまりせずに、とりあえず当ブログを続けてみようと思います。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部


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ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

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どうぞよろしくお願い申し上げます。






2022年9月22日木曜日

20220922 昨日の投稿記事の閲覧状況から思ったこと

昨日の記事投稿により、総当記事数が1850に到達しました。そして、今後150記事、新規にて投稿することにより2000記事に到達しますが、これは年内に1900記事まで到達し、そして来年の春あたりでの達成を目指していますが、さて、ことは、そこまで上手く運ぶでしょうか・・。

そういえば、昨日の投稿記事はどうしたわけか、比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。やはり、ある程度の身なり・服装といったものも大事な要素であるのかもしれません。

しかし、最近の我が国の報道番組や、時折目にするバラエティ番組などに出演されている方々を拝見しますと、私見としては、やはり総じて、どうしても不自然に小ぎれいであると思われるのです。画面に映る外見は、伝達される情報としては、そこでの言説と同様、あるいはそれ以上に重要なものであるのかもしれませんが、過度に外見に重きを置かれているのが現在の我が国全般の傾向であるように思われます。

その背景には、地上デジタル放送の一般化やネット環境やスマホの普及といった周辺事情があったと思われますが、ともあれ、それにより、私を含めて我が国のリテラシー(読解記述力)は、やはり、以前と比べて低下したのではないかと思われるのです。

このような言説を述べますと「ネガティブな言説を吹聴して衆目を集めたいだけでは?」といった、ご意見が反応として出てきますが、しかし考えてみてください、太平洋戦争末期、我が国の軍隊が南の島々で玉砕、そして兵員装備を運ぶ輸送船も次々と撃沈されていた頃、時の我が国の政府(大本営)は、どのような内容の言説を国民に向けて流していたのでしょうか?

いや、そうした状況下においては、政府見解へのカウンター(反対意見)としてのネガティブな言説などを流したり、また、それを受容出来るような社会的素地も、既になくなっていたのだとは思われますが・・。

そのように考えてみますと、さまざまな意見を受容出来る、寛容な社会的素地とは、おそらく簡単・短期間に醸成できるようなものではなく、しかしまた同時に、醸成されていたとしても、社会での圧力などにより、思いのほか容易に滅んでしまうものであるのではないかと思われるのです。

その意味において、戦後以来、現在に至るまでの社会は、そこまで悪いものであるとは思いませんが、しかし、昨今の我が国社会を眺めていますと、我が国の持つ多くの諸性質が、どうも裏目に出てしまうことが多く、それ故、欠点が目立って、社会全体として劣化しているように見られることが多いのではないかと思われるのです。

いや、実際に我が国は前世期末頃から衰退期に入っているのでしょうが、しかし、それでも、それを認識して、新たな回復・改善策を示して実行していれば、まだ十分に失地回復の可能性も、その当初にはあったのでしょうが、現在に至っては、それは困難であるように思われるのです・・。

また、そのことを異言しますと「付加価値の創造をしなかった」ということになると思われますが、ここで、昨日の投稿記事や、さきに述べたリテラシーの低下とも関連するのですが、付加価値とは、結果的に、製品やサービスの外見にあらわれるのでしょうが、その顕現に至るまでの過程の根源には、やはり議論の営みや、それを基礎とした思想があると思われるのです。そして、これについては、近代以降、いや、それ以前からの我が国は、捨象し続けて、何やら「それらしいもの」をつくってきたのではないかと思われるのです。そして、その意味で、現在の世界情勢では、目に見える外見以前の、抽象的な思想などの重要性が、相対的に大きくなってきたように思われますので、それが、さきに述べた「我が国の諸性質の多くが裏目に出ている」につながっているように思われるのです。

そして、その変革の可能性が乏しい性質に手を加えず、将来の国際社会で我が国が一定の地位を占めて、尊敬を受けるようになるためには、国際的に活動出来る、医療介護専門職の方々を、より多く養成することが一つの有効な打開策となるのではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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20220921 自分の服装・恰好に対する反応から思ったこと・・

私は電車などの乗物に乗った状態にてPCを使うと酔ってしまうことが多く、また、喫茶店などでPCを開いて何らかの業務を行っている方を見ますと、その真剣な様子に気圧されしてしまうのか、自分ではあまり積極的には行いたいとは思いません。つまり、私はPCを持って出て、外出先や移動中にて、出来るだけPCを用いた業務を行いたくありません。そして、それは基本的に現在でも同様ではあるのですが、本日は、インターネットの繋がる環境とPCがあれば出来る業務があったことから、リモートワークでこれを行おうと、ノートPCを持って外に出ました。

リモートワークが出来る喫茶店は都内某所にあり、以前から何度か訪問させて頂いていました。電車を乗り継いで店に着き、注文をして席に座り、PCを開き、アダプターやマウスを接続して電源を入れて立ち上げた丁度そのころ、スマホのラインにて連絡があったため、それに対しての返事をして、また別件にて電話をかけることを思い出し、喫茶店前の歩道に出て、通話を試みていた時、向う側から、ワイシャツにプレスのきいたスーツのパンツを着て、首からIDカードホルダーを下げた20~30代ほどの4人組の男性が、ほぼ横並びに会話をしながら、こちらの方に歩いて来ました。そして、スマホで電話を掛けている私の前を通り過ぎる時、何人かがこちらを一瞥し、そして通り過ぎた後「日雇い労働者Ww」「出稼ぎじゃないの?Ww」と笑っておられました。

さすがに、そうしたことを云われても激昂出する(出来る?)ような年齢ではなくなってしまいましたが、その時「ははあ、私の恰好はそのような感じに見られるのか・・。」と思いました。ちなみにその時の私の恰好は、かれこれ10年以上前、デッドストックにて購入し、現在では色褪せたODグリーンの米軍のジャングルファティーグジャケットの下に淡青色のキューバシャツ、そして、その下に白のクルーネックシャツを着て、リーバイスのデニムブッシュパンツにベージュスエードのダナーライトをはいていました。また、頭にはベージュのブーニーハットを被っていましたので、たしかに、小ぎれいな格好であったとは云えないかもしれません・・(苦笑)。

ともあれ、そのような出来事に際して即座に怒ることが出来なかったことは現在となっては仕方がないのかもしれませんが、同時に、であるからと云って、あまり自分の服装の路線を変えようとは思わないことは、多少考えものであるのかもしれません・・(笑)。

しかしながら、今から、そうした服装の路線を変えて、もう少し小ぎれいにしてみたところで、何かが変わるものなのでしょうか?

そのように考えてみますと、たしかに今さら怒る気持ちは起きないのですが、しかし同時に絶望とは違うものの、何やらとてもイヤな、うすら寒い感覚が残りました。

まあ、生きていますと、時には、そのようなこともとありますね・・。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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2022年9月20日火曜日

20220919 書籍を読んでいて不図、発見・気が付くことについて

いくつかの読み進めている書籍以外で、書棚からある書籍を不図、取り出し立ったままでしばし読むことが度々ありますが、面白いもので、そうした機会に選び、読んだ書籍の記述から、突如として、これまで知ってはいたものの、記憶の片隅に追いやられていた、何らかの知識が想起させられることがあります。

それは、それらの間に認められる、何らかの共通性などの発見ですが、こうしたことは意図して狙ったものではないことから、比較的鮮烈に記憶に残るのだと思われます。直近でのそうした経験は、去る9月17日投稿分の「株式会社岩波書店刊 谷川健一著「日本の神々」pp.186-188より抜粋」の記述にある「元来、山陰地域を根拠とした名和水軍は、南北朝時代に加担した南朝方が敗れて、その残党は、味方である肥後の豪族菊池氏と、その根拠地である肥後国に遷り、そこからさらに南の琉球に進出した」という伝説から、自らの以前の投稿記事「20190323 対話形式2007年10月頃のこと」内、以下の記述が思い出されたことです。

「6世紀の継体天皇の御代に九州北部で生じた磐井の乱はご存じだと思いますが、それで、その筑紫君磐井の墳墓とされる岩戸山古墳周辺地域に特異的に見られる石人石馬もご存じであると思うのですが、この石人石馬が、何と!鳥取県の石馬谷古墳からも、一つだけですが出土しているのです・・。それで、この共通項から遡った地域を考えてみますと、それは古代朝鮮半島南東部にあった新羅ではないかと思われるのですが、これは未だ仮説、いや一応、歴史的背景などは考えてはいるのですが、現段階では空想と云えます・・(笑)。」

厳密には、岩戸山古墳は肥後国には属しませんが、古墳時代、6世紀頃においては、筑後と肥後の有明海をのぞむ地域一帯には、ある程度共通する文化があったものと思われます。そして、その地域での埋葬文化の一つの顕われとして、石人石馬があると云えますが、若干時代は先行するものの、これと同様とも云えるものが、山陰地域にて出土していることは大変に興味深く、おそらくこれら(有明海沿岸の筑後・肥後地域と、伯耆国の山陰地域)での共通する文化を育んだ故地のようなものがあるのではないかと思われますが、おそらくそれは、さきの引用部通り、朝鮮半島南半分の何処か(おそらく旧新羅地域)にあるのではないかと思われます。

また、さきの有明海沿岸と伯耆国について、その他の共通する要素を考えてみたところ、岩戸山古墳が有明海の近く(多少内陸ではありますが、そこに流れ込む矢部川の流域)そして石馬谷古墳が宍道湖・中海と、双方共に内海・潟湖近くの地域に立地していることが共通しており、ここからもまた、居住地域に対する共通した嗜好性のようなものが感じ取れます。

とはいえ、内海を控えた地域での居住を嗜好する生活文化自体は、古墳時代以前の弥生時代から続いており、面白いことに、内海や湖を控えた地域(宍道湖・中海がある出雲、琵琶湖がある近江、浜名湖がある遠江)に、銅鐸もまた集中して出土しているのです。このことは、さきの古墳時代での石馬発見事例とも文化的な連続性があるのか未だ不明ではありますが、他方で、そうした内海・潟湖や湖の近くに居住地を定めるのは、当然であるのかもしれませんが、水稲耕作を主たる生活手段とした集団であると云えます。

ともあれ、このような、一見あまり関係がないように思われる離れた地域から、共通すると思われるものが、時代が変わりつつも、いくつか見出すことが出来る背景には、やはり何かしらの要因があると思われます。そして、この場合であれば、その主たるものは、案外単純であり、列島沿岸を流れる「海流」であったのではないかとも思われます。

こうした事例は、その他にも国内外に多々あるとは思われますが、その着想を、書籍などを読んでいて不図、思い付いた時は、やはり現在でも多少ワクワクしますが、そうした着想は、発見と云うよりも、むしろ(ハッと)気が付くといった感覚の方が、より適切と云えるのかもしれません。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2022年9月18日日曜日

20220918 早川書房刊 ジョン・ト―ランド著「大日本帝国の興亡」 2: 昇る太陽 pp.150‐152より抜粋

早川書房刊 ジョン・ト―ランド著「大日本帝国の興亡」
2: 昇る太陽 pp.150‐152より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4150504350
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4150504359

午後零時三十三分、〈レパルス〉は転覆し、ゆるやかな荘厳さで、まず艦尾を先に、艦首を「教会の尖塔」のように突き上げ、恐ろしい紅色の艦底をみせた。千五百メートル上空から壱岐大尉は、艦首がまっすぐ自分に向いていたのを信じられないように見守った。〈レパルス〉は視界から消えた。これはありえないことだ。飛行機はこんなに容易に戦艦を沈められるものか。「万歳、万歳」壱岐は大声を出し、両手をあげた。乗機は舵輪をつっ放されて、前のめりになった。

 搭乗員も狂喜して万歳を叫び、救急箱のブドウ酒で乾杯した。壱岐が下を見ると、海面に何百と点が見えた。二隻の駆逐艦が生存者を救い上げていた。壱岐には機銃掃射を浴びせる気は起らなかった。イギリス人は武士道の伝統の下に勇敢に戦った。しかし今日助命した敵は明日は自分を殺すかもしれぬことを彼は知らねばならなかった。

 〈プリンス・オブ・ウェールズ〉が五発の魚雷で致命傷を受け、ほとんど停止状態にあるとき、九機の水平爆撃機が迫って来た。午前零時四十四分、爆弾が斜めに降って来た。命中弾は一発だったが、三万五千トンの戦艦はよろめき、沈み始めた。原則は水面下にあった。リーチ艦長は総員退去を命じ、フィリップス提督と彼は艦橋に立ち、去って行く部下に手を振った。「グッドバイ」リーチ艦長は呼びかけた、「ありがとう。幸運を祈る。」神の祝福を」午後一時十九分、〈プリンス・オブ・ウェールズ〉-国王陛下の不沈艦と呼ばれたーは撃たれた河馬のように左へ転覆、一分足らずで視界から消えた。小男の提督とリーチ艦長とともに・・・。

 六機のおそまつなバッファロー戦闘機がシンガポールから現れたときには日本機は空のどこにも見えなかった。T・Aビゴーズ大尉は海中でもがく将兵を見おろして、茫然とした。彼らは手を振り、なお親指を突き上げて意気を示した。

 魚雷を投下できなかった高橋大尉は帰投の途中だった。〈プリンス・オブ・ウェールズ〉と〈レパルス〉の運命が極まったことを知り、不思議な同情の気持に襲われた。イギリス海軍は兄貴ではないか。彼はその衝動と戦った。しかし涙がこみ上げてきた。壱岐大尉は悲しみをもって桃井と田上のことを思った。彼は自分の魚雷が最初に〈レパルス〉に命中したことを知っていた。しかし報告には戦死した二人の戦友が最初の二発を命中させたとした。それは彼らのために為しうる最小の、そして最後のことであった。壱岐の隊が着陸すると、喜びに沸く整備員たちが、機を囲んだ。搭乗員は引っ張り出され、胴上げされた。壱岐が、胴上げから脱出すると、パイロットの一人が言った。「突っ込んでいったとき、魚雷を撃ちたくなかった。あまりにも美しい艦だったからなあ」

 東京の軍令部では海軍の高官たちは、戦艦が大海原で航空機に撃沈されたことをとうてい信じられなかった。それは彼らの海戦の概念の終局を意味した。航空隊員は歓喜していた。過去十年彼らが説いて来たことが実証されたのである。東南アジアへの勝利の第三の、そして最後の障害が、わずか飛行機四機の犠牲で除かれたのである。

 翌朝、壱岐は〈レパルス〉と〈プリンス・オブ・ウェールズ〉の墓場を飛んだ。海上低く、沈没地点を通ると、花束を投下した。