2022年3月1日火曜日

20220301 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」 pp.229-231より抜粋

 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」

pp.229-231より抜粋
ISBN-10: 4309227880
ISBN-13: 978-4309227887

21世紀に主要国が行った侵略で、これまで唯一成功したのは、ロシアによるクリミア征服だ。2014年2月、ロシア軍は国境を接するウクライナに侵入してクリミア半島を占領し、その後、同半島を併合した。ロシアはほとんど戦火を交えることなく、戦略的に重要な領土を獲得し、近隣諸国を震え上がらせ、世界の大国としての地位に返り咲いた。とはいえ、この征服が成功したのは、並外れた巡り合わせに恵まれたからだ。ウクライナの軍隊も地元民もたいした抵抗を見せなかったし、他の大国もこの危機に直接介入することを控えた。こうした状況を世界の他の場所で再現するのは難しいだろう。もし、侵略者に抵抗する気のある敵がいないというのが、戦争で勝つための前提条件だとしたら、それが満たされる機会ははなはだ限られる。

 実際、ロシアがクリミアでの成功をウクライナの他の地方で再現しようとしたときには、はるかに頑強な抵抗に遭い、ウクライナ東部での戦争は不毛な行き詰まり状態に陥った。そればかりか、この戦争でウクライナの反ロシア感情に火がつき、ウクライナは盟友から不倶戴天の敵に変わってしまったから、(ロシア政府の視点からは)なお悪かった。第一次湾岸戦争での成功で図に乗ったアメリカがイラクで無謀な戦いを始めたのとちょうど同じで、クリミアでの成功で図に乗ったロシアも、ウクライナで無謀な戦いに手を染めてしまったのだ。

 21世紀の頭のカフカスとウクライナにおけるロシアの戦争を総合して考えれば、けっして大成功とは言えない。それらの戦争で大国としてのロシアの威信はたしかに高まったものの、同国に対する不信と敵意を募らせてしまったし、経済的にも損失を招いている。ウクライナでクリミアの観光地やルガンスクとドネツクにある旧ソ連時代の老朽化した工場を手に入れたところで、戦争にかかる費用はとうてい補填できないし、資本の逃避や、国際制裁の代価はまったく埋め合わせることができない。平和な中国が過去20年間に見せた途方もない経済発展と、同じ期間に「戦勝国」ロシアが陥った景気停滞とを比較しさえすれば、ロシアの政策の限界に否応なく気づかされる。

 政府は空威張りしているが、ロシアのエリート層自体は、おそらく自国の軍事的冒険の費用と便益を十分認識しているだろう。だからこそ、そうした冒険をエスカレートさせないよう、これまで細心の注意を払ってきたのだ。ロシアは学校のいじめっ子の原理を守ってきた。すなわち、「いちばん弱い子供をいじめろ。だが、やり過ぎるな。先生が割って入ってこないように」というわけだ。もしプーチンがスターリンやピョートル大帝やチンギス・ハーンのような意気込みで戦争を行っていたら、ロシアの戦車はとうの昔に、ワルシャワやベルリンとまでは言わないまでも、トビリシやキエフには突進していただろう。だが、プーチンはチンギス・ハーンでもスターリンでもない。彼は21世紀には軍事力があまり役に立たないことや、戦争を仕掛けて勝つには、限定戦争を行うにとどめておかなくてはならないことを、誰よりもよく知っているように見える。ロシアが情け容赦ない空爆を行ってきたシリアにおいてさえ、プーチンは用心を怠らず、ロシアが最小限の足跡した残さないようにし、本格的な戦闘はすべて他の国の人々に任せ、戦争が隣国にまで拡がるのを防いでいる。

 実際、ロシアの視点に立つと、近年ロシアがとってきた攻撃的な行動とされるものはみな、新しいグローバルな戦争の端緒を開くものではなく、手薄になった防備を補強する試みだった。ロシアは1980年代末から90年代初期にかけて、平和的に軍を引き揚げた後、打ち負かされた敵のように扱われた事実を指摘することができる。それはもっともな話だ。アメリカと北大西洋条約機構(NATO)はロシアの弱みにつけ込み、約束に反して、NATOを東ヨーロッパへ、さらには旧ソ連の共和国の一部にまで拡張した。そのうえ西側諸国は、中東におけるロシアの権益を無視し、怪しげな口実でセルビアとイラクに侵攻し、総じて、ロシアは西側諸国の侵略から自国の勢力圏を守るには、自らの軍事力に頼るしかないことを、はっきりと思い知らされた。この視点からは、最近のロシアの軍事的な動きは、ウラジミール・プーチンだけでなく、ビル・クリントンやジョージ・W・ブッシュのせいでもあると言える。

20220228 作文技術の向上と認識の強さについて・・【緩慢なる発達】

本日は2月の最終日であり、また同時に、本日新規にて記事投稿をしますと1720記事に到達することになります。そうしますと、残りあと80記事の投稿にて、新たな目標として定めた1800記事へと到達することになります。これは今後、概ね5日間に4記事の投稿頻度にて、来る6月20日まで記事作成を続けることにより、当ブログ開始から丁度丸7年の頃に1800記事へと到達出来る目途が立つことになりますが、これに関しては、現在の私の状態を鑑みるに困難であるように思われます・・。

とはいえ、であるからといって記事を作成しなければ、投稿頻度はもとより、記事数の増加さえも望めません・・。それ故、本日も2月内にキリの良い1720記事へと到達すべく、先ほど来より記事作成を行っている次第ですが、他方で、書籍からの引用記事となる題材は未だ少なからずあり、昨日の投稿記事にて述べた「自らの文章による記事を・・」がなければ、本日は迷うことなく、書籍からの引用記事を作成していたと云えます・・(苦笑)。

それでも、この程度までどうにか作成が進みますと、少しは興に入るのか、キーボード上の指の動きはいくらかは滑らかになってくるようです・・。そして、この状態にまで持っていくことが出来ますと、当初の、文章作成に対しての重苦しさのようなものは大分軽減されて、あたかも話すかのようにして、文章を作成することが出来るようになります・・。通常であれば、こうした文章作成に適した意識状態は貴重であるとも云えることから、この状態のことを、敢えて、対象として文章化しようとは思わないのかもしれませんが、これまでに何度も、自身のブログについて、さまざまなことを述べてきましたので、あるいは、忘れているだけであるかもしれませんが、それらの中には、これまで当記事にて述べた主旨の根本・種子となるものはあるのではないかと思われます。

これまで6年半以上にわたり、ブログ記事を作成してきましたが、自分の作文技術の向上のような感覚はかなり乏しいのですが、同時に、これまでの期間を通じて分かったことは、あくまでも感覚的にではありますが、当ブログでのオリジナルの記事の主旨には、いくつののパターンがあり、またそれは、自分の好みによるものであるということです。こうしたことは多少、内省的になって考えれば、分かることであるのかもしれませんが、他方で、ある程度の期間、行為を継続して「分かった!」といった感覚を得るに至るのでは、その「分かる」の強さが、主体に与える影響も異なり、そして、その強度を受容して、感覚として判断するのが身体性であるのではないかと思われるのです・・。

その意味において、さきに述べた当ブログ記事の主旨のパターン、およびその好みの認識・発見は自分にとってはそれなりに驚くべきことであったと云えます・・。そしてまた、自分のブログなどの作文技術もまた、今後、向上するのであれば、これと同程度の足並みにて向上していくのであろうと思われるところです・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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2022年2月28日月曜日

20220227 ここ最近での記事作成から思ったこと【ブロガーとツイッターとの連携に関連して】

 本日の首都圏は日中、気温は気温が上がり、この時季としては、かなり過ごし易かったと云えますが、日が暮れてからは、気温が下がり、この時季らしい寒さとなりました。また、去る2月14日以来のロシア軍によるウクライナへの侵略は、今なお続き、まさに予断を許さない状況であると云えます。

ツイッター界隈を見ていますと、この侵攻についてのさまざまな意見が見受けられて興味深いのですが、同時に、投稿可能文字数によるものか、ツイッターでは「簡潔に意見を述べる」といった傾向が強く、一方で、そうした発信があまり上手いとは云えない私としては、未だにどちらかと云えば、ぎこちなくツイッターを運用をしていると云えます・・(苦笑)。

また、私はツイッターを始める以前から、ブロガーにてブログ記事の作成を続けていますが、それら投稿記事をツイッターにて連携可能であることから、たとえ、ぎこちないツイッターの運用であっても、当ブロガーを基軸として、現在に至るまで、どうにか続けることが出来ています。

つまり、ブロガーを基軸としてツイッターを運用しているのですが、2020年1月にツイッターをはじめて以来、現在に至るまでの2年間は、以前にも述べましたが、ブログ記事作成に対する緊張感が明らかに上昇しました・・。

それは、ツイッターにてブログ記事を連携ツイートしますと、時折は直の反応があり、そうした反応により「ああ、本当に読まれていたのだ・・」といった実感が湧き、次いで「あまりいい加減な記事は作成できないな・・」となり、それにより緊張感が生じるのですが、では、この緊張感は、果たして記事作成において良いものであるのかと考えてみますと、未だに判然とせず、現在においても「ツイッターを始める前の方が自由に記事作成をしていたな・・」と思うことが度々あります。

また、ブロガーでの閲覧者数は、ツイッターとの連携によって著しく増えたということはありませんが、他方で、閲覧者数の推移を見て、平均的に閲覧者数は少し増え、また、その偏差は小さくなったように感覚的には思われます。

その意味においては、たしかに未だツイッターの運用に習熟はしていませんが、しかし同時に、以前と比べると、いくらかは慣れてきつつあるようにも思われるところです・・。

くわえて、当ブロガーでの、これまでの閲覧者数は約65万人となっていますが、これは今後1800記事まで投稿しますと、どのようになっていくのでしょうか・・?

ともあれ、ここまで作成して、やはり現在、自身による文章作成は鈍って、またスランプでるようにも感じられてきましたので、しばらくの間は、冒頭にとり上げた、ロシア軍によるウクライナへの侵攻に関連した引用記事を投稿しようと考えていましたが、少し方針をあらため、たとえ拙くとも、意識して、自らの文章による記事も作成していきます。

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2022年2月27日日曜日

20220226 投稿記事の閲覧者数から思ったこと

 ここ数日間はロシアのウクライナへの侵攻という世界規模の大きな出来事があり、当ブログにおいても、この出来事の考察に資するような書籍の記述を引用記事としてきましたが、おかげさまで、それらの記事はどれも、それなりに時宜を得ていたためか、比較的多くの方々に読んで頂けていました。そしてまた、本日に関しても、引用記事を以て充てようと考えていましたが、内からのよく分からない圧力によって、自らの文章にて作成することに考えを変えました。

たとえブログであっても、しばらくの期間、自らの文章を作成しないでいると、鈍ると云いますか、ある程度集中している状態での文章作成に至るまでに掛かる時間が長くなるようで、反対に、この時間が短い方が、より効率的な文章作成が出来ると思われ、実際にそれは間違いではないと云えますが、他方で、意識して効率的な文章作成を試みた方が良い文章をより多く作成出来るというわけではないようです・・。

これまでに(どうにか)ブログ記事の作成を続け、ある種の感覚が麻痺したためか、あまり気負いや気後れなどを感じることなく、公表する文章の作成が出来るようにはなった感覚はありますが、しかし未だに「自分の文体を獲得・確立した」といった認識はありません。では、そうした状態にて、良い文章の指標となるものを検討しますと、それは記事(文章)の閲覧者数により示されるのではないかと思われます・・。

それは「良い記事(文章)であれば、より多くの方々に読んで頂けるであろう」という単純な考えに基づきますが、ともあれ、そこから、比較的多くの閲覧者数を得ている当ブログの記事をいくつかあたり、各々作成していた頃を想起してみますと、概して効率的な文章作成を意識していた時期ではないものの、ほぼ毎日でのブログ記事の作成を日課としていた頃であり、具体的には2017~2018年の作成記事に集中していたと云えます。

丁度この頃は1000記事への到達が現実味を帯び、勢いづいていた頃であり、また、その文章からは、あまり意識はされていないものの「自信」のようなものが感じられます。では、それに対して現在はと考えてみますと、何と云いますか、そうした「勢いや自信」はないものの、ブログ記事作成いや、文章作成での新たな段階に至ろうとして、右往左往しつつ、どうにか続けているといった感じがあります。

こうした時期は、さきの大きな目標(1000記事到達)を目指し、進めていた時期と比べますと現実味のある大きな目標はなく、ただ、これまでのブログ継続の経験によって何とか続けているといった感が強く、また、その「勢い」は、かなり減衰していると云えます・・。とはいえ、それでも(どうにか)続けることが出来ていることから、客観的には、あまり、それらの間に違いなどは認められないのかもしれませんが、作成者側からしますと、明らかに異なるように感じられ、また、それが閲覧者数にも関与しているのではないかと思われるのですが、このあたりのことに関しては、あるいは「何か」があるのかもしれませんが、今後、またしばらく作成を続けつつ、その「何か」を検討し続けてみようと思います。

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2022年2月25日金曜日

20220224 株式会社新潮社刊 新潮選書 池内恵著 「サイクス=ピコ協定 百年の呪縛」pp.56-59より抜粋

株式会社新潮社刊 新潮選書 池内恵著「サイクス=ピコ協定 百年の呪縛」 pp.56-59より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4106037866
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4106037863

ここで少し歴史を紐解いて、ロシアとトルコの戦略・地政学的な対立構図を整理してみよう。ロシアは帝国として台頭する際に、ポーランドなど西欧方面への支配領域の拡大と、ウラル山脈を越えてシベリアを支配下に置き太平洋岸にまで到達する「東漸」、そして黒海北岸地域や南北コーカサス、中央アジアに侵攻する「南下政策」の三方向で拡大していった。西欧への拡大が先進国の仲間入りをするためであったとすれば、東漸の目的は資源獲得であり、南下政策の目的は世界帝国に不可欠な不凍港を求め、地中海へのアクセスを確保することにあっただろう。オスマン帝国はロシアの南下政策の圧力を正面から受け、繰り返し露土戦争を戦っていくことになる。

 露土戦争は、歴史を遡れば16世紀に始まる。クリミア半島を中心とした黒海北岸地域は、かつてはタタール人という、トルコ人とも類縁性の深い、広い意味でのトルコ系の言語(チュルク系諸語)を話す諸民族が住んでおり、「タタールの軛」とも言われたように、スラブ系のロシア人を征服・支配し従属させる立場だった。オスマン帝国は15世紀のスルターン・メフメト2世紀以来、たびたびクリミアに軍事遠征を行なって、タタール人の現地の政権である「クリミア・ハン国」を服属させることで、黒海沿岸地域を間接的に支配し属領とした。これに対してロシアがたびたび遠征を行なってクリミア半島を支配下に置こうとした。これがロシアとトルコの間で数世紀にわたって続けられた、数え方によっては十数回に及ぶ「露土戦争」の発端である。もっとも古くまで遡れば、1568年にオスマン帝国がロシアの支配下にあったアストラ・ハン国に遠征を行なってロシアと戦い、敗れて、1570年にコンスタンチノープル条約を結んだが、これ以降ロシアはオスマン帝国の黒海沿岸地域を脅かすようになる。

 この時点でオスマン帝国とロシアの関係は拮抗していた。しかし17世紀末以降。オスマン帝国が緩やかに軍事的な衰退期に入るのに対して、ロシアは帝国として勃興し、「南下政策」を推進してオスマン帝国領土を蚕食していった。

 オスマン帝国は軍事的な最盛期に達する16世紀までは、西欧・ロシアとの国際関係を圧倒的に優位な立場から結ぶことができた。イスラーム法に基づいたオスマン帝国側のルールを適用して西欧諸国との外交も行い、西欧諸国はオスマン帝国と外交・通称関係を結びたければそれに従うしかなかった。オスマン帝国在住の西欧諸国民に領事裁判権などの特権を与えた「キャピチュレーション」も、元来はイスラーム法の下での異教徒支配の原則を準用して、外国人の異教徒に「恩恵」として与えたものであった。

 オスマン帝国が軍事と外交面での優位性を失い、西欧の国際法秩序を受け入れることを余儀なくされた時期が、1699年にハプスブルグ帝国との間で締結したカルロヴィッツ条約とされる。1683年にオスマン帝国が、16世紀のスレイマン1世以来となる第二次ウィーン包囲でハプスブルグ帝国を脅かしたものの、失敗。逆に、ローマ教皇の呼びかけでカソリック諸国の「神聖同盟」が結成され、正教のロシアもこれに加わって、オスマン帝国の侵略に立ち向う同盟が結成されていた。それによって不利な条約の調印へ追い込まれたのである。

 ロシアがオスマン帝国との関係で決定的に優位に立つのが、1768-1774年の露土戦争の結果のキュチュク・カイナルジャ条約で、ここでオスマン帝国はクリミア・ハン国への宗主権を失うと共に、オスマン帝国領内のギリシャ正教徒にロシア皇帝が保護権を持つと認めさせられる。それ以来、ロシアは軍事的に領土を蚕食するだけでなく、正教信徒の保護を理由とした内政干渉を行うようになっていく。他の列強諸国も対抗して軍事介入を行うと共に、オスマン帝国内の少数派の保護を名目とした介入・内政干渉も競うようになる。ロシアはこの時、クリミア・ハン国をまず形式的にオスマン帝国から独立させた上で、1783年にクリミアを占領し、属国とした。軍事力を背景にした内政干渉により、外国の領土の中に親ロシア派の「自治」の領域を切り分け、のちに独立承認といった手続きを経てロシアに併合する、というロシアの拡張のパターンが定まってきた。

2022年2月24日木曜日

20220223 作成記事の書きぶりにより、体力消耗の様相が異なることから思ったこと

ここ数日間のブログへの投稿は、書籍からの引用としましたが、おかげさまで、どれも比較的多くの方々に読んで頂けました。くわえて、直近投稿の「【架空の話】・其の83」も自身作成の記事としては多い閲覧者数となっていました。これらを読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

また、本日に関しても、さきほどまでは書籍からの引用にて記事作成を行うつもりでしたが、考えをあらためて、自分の文章での作成としました。とはいえ、その主題は未だ決めておらず、見切り発車的に記事作成を始めたわけですが、こうして何やら作成していますと、それまでの印象的な出来事や書籍の記述などが思い出され「ああ、ここから、この展開で書き進めれば、またそれなりの文量を作成することが出来るかもしれない・・。」といった感じになることが多いのですが、スランプ状態にある場合では、この主題・テーマの飛び移りが上手く行かないといった感じがあると云えます。

あるいは、記事作成時の主題・テーマの飛び移りの際が、体力を多く消耗すると云えることから、端的にスランプ状態とは、何らかの理由により、体力が消耗している状態であるとも云えるのかもしれません・・。

また、それに加えて興味深く思われたことは【架空の話】の作成に際しては、その最中に主題・テーマの飛び移りをする必要はあまりなく、ある種、頭の中にあるストーリーを文章へと変換しているといった感があるのですが、このストーリーに関しては、大きな流れは既にありますが、その中の個々の話の展開については、ストーリーを文章へと変換をしているさ中に、作成した記述から、それに関連する記憶が想起されて、さらに先に繋がっていくといった感があると云えます。そして【架空の話】の作成においては、さきに述べた主題・テーマの飛び移りに際しての体力の消耗は少ないものの、一方で、記憶が励起され想起に至るまでの文章の作成において、体力が消耗するように思われるのです。

つまり、独白形式であれ【架空の話】であれ、作成時の体力の消耗の様相は若干異なるものの、消耗自体は少なからずあると云え、あるいは、それらにどうにか対応出来るようになったことも、私としては進化と評し得るのかもしれません・・。

また、であるからと云って、ここで更なる効率的な文章作成技術の向上を願うのではなく、多少緩慢ではあっても、ともかくも、何かしらの文章を作成し続けることの方が重要であるように思われるのです。

そして、ここで想起されたのは、以前投稿のブログ記事にて引用したゲーテ著「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」内以下の記述です。

「小説でも戯曲でも、われわれが見るのは、人間の性質と行為とである。両者の差別は単に外形にあるのではない。即ち一方では、人物が話をし、他方では、通常その人物について語られるというような点に、差別があるのではない。だが、情けないかな、多くの戯曲は対話体の小説に過ぎない。これでは、戯曲を書簡体で書くこともできないことはない。小説では特に心情と事件とが現されねばならない。戯曲では性格と行為とが現されねばならない。小説は徐徐に進行し、主人公の心情が、どんな方法によるにせよ、全体の急速な進展を引き止めるのでなければならない。戯曲は急ぐべきもので、主人公の性格は終局に向かってまっしぐらに進むべきであって、ただそれが食い止められているのでなければならない。小説の主人公は受動的であるべく、少なくとも甚だしく能動的であってはならない。戯曲の主人公には活動と行為とが望ましい。小説では偶然の働きを許すことはできるが、それは常に人物の心情によって導かれねばならない。これに反し、人間の関与をまたず、独立した外的の事情によって不測の破局へ人間を駆って行く運命は戯曲にのみ存在する。偶然というものは愁嘆場をひき起こしはするが、悲劇的な情態を作り出すことはできない。これに反し、運命は常に恐ろしいものでなければならない。そして、罪のある、あるいは罪のない、互いに独立した行為を、不幸に結びつけるような場合には、運命は最も高い意味で悲劇的となる。こういう考察は再び、あの驚嘆すべきハムレットと、この作品の特性との考察にもどった。みんなは次のように言った。この主人公は元来心情を持つだけである。また彼に起こって来るものは事件だけである。したがってこの戯曲には小説のように間ののびたところがある。しかし全体の結構は運命の描くところであり、全曲は恐ろしい行為から出発している。また主人公はたえず恐ろしい行為に向かって駆り立てられている。したがってこの戯曲は最高の意味で悲劇的であり悲劇的結末に終わるほかないのである。」

さて、以上を読み思ったことは、小説と戯曲の間にある相違について、それは書きぶりのなかで小説は心情と事件に重点を置き、それに対して戯曲は性格と行為に重きを置くと述べていますが、これは、さきに述べた当ブログでの独白形式と【架空の話】それぞれの、記事作成時における体力消耗の様相とも何かしら関連があるように思われたということです。そしてまた、今後作成する【架空の話】の書きぶりについては、以上の点をもう少し踏まえて検討してみたいと思います。というのは、ここ最近作成した【架空の話】から、その書きぶりが当初の頃と比べ、随分変化したと感じられたからですが、こうした変化の基層には、何らかの法則やパターンそして普遍的な要素といったものはあるのでしょうか?

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2022年2月22日火曜日

20220222 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」 pp.299-302より抜粋

株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」
pp.299-302より抜粋
ISBN-10: 4309227880
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私たちはぞくっとするような「ポスト・トゥルース」の新時代に生きており、どちらを見ても嘘と作り事ばかりだと、近頃繰り返し言われている。例はいくらでも出に入る。たとえば2014年2月下旬、軍の徽章をつけていないロシアの特殊部隊がウクライナに侵入し、クリミア半島の主要な軍事基地を占領した。ロシア政府とプーチン大統領本人が、彼らをロシアの部隊であることを再三否定して、自発的に組織された「自警団」だとし、地元の店でロシア製のように見える装備を手に入れたかもしれないと主張した。この荒唐無稽な説明を口にしたとき、プーチンとその側近たちは、嘘をついていることを百も承知していた。

 ロシアのナショナリストたちは、より高い次元の真実のためになると言い張って、この嘘を大目にみることができるだろう。ロシアは正義の戦争を行っていたのであり、大義名分のためには人を殺すことが許されるなら、嘘をつくことも当然許されるのではないか?ウクライナ侵攻を正当化するとされる、このより高次の大義名分とは、ロシアという神聖な国家の維持だった。ロシアの国家神話によれば、ロシアは神聖な存在で、不埒な敵たちが侵略して分割しようと何度も試みたにもかかわらず、1000年にわたって持ちこたえてきたことになる。モンゴル人、ポーランド人、スウェーデン人、ナポレオンのグランダルメ(大陸軍)、ヒトラーのドイツ国防軍に続いて、1990年代にはNATOとアメリカとEUが、ロシアの一部を切り離してウクライナのような「似非国家」に仕立て上げて、ロシアを破壊しようと試みたという。ロシアの多くのナショナリストにとっては、ウクライナはロシアとは別個の国家であるという考え方のほうが、ロシアという国家を再統合する神聖な使命を果たす間にプーチン大統領が口にしたことのどれよりもはるかに大きな嘘となる。

 ウクライナ国民や傍から見ている人や専門の歴史学者がこの説明に呆れ返り、それをロシアの欺瞞の兵器庫から跳び出した「原爆級の嘘」と見なしたとしても当然だろう。ウクライナは一つの国民としても独立国としても存在しないと主張すれば、多くの歴史的事実を無視することになる。たとえば、ロシアが統合されていたはずの1000年間に、キエフとモスクワが同じ国に含まれていたのは約300年にすぎない。また、ロシアが以前は受け入れ、独立国ウクライナの主権と国境を保護してきた、非常に多くの法律や条約に違反することになる。そしてこれが最も重要なのだが、その主張は、自分はウクライナ人だと考えている何百万人もの人々の意見を無視している。彼らには、自分が何者かについて発言権がないというのだろうか?

 世界には似非国家がいくつかあることに関しては、ウクライナのナショナリストもロシアのナショナリストに間違いなく同意するだろう。だが、ウクライナはそのような似非国家ではない。むしろ、ロシアがいわれもなく行ったウクライナ侵攻を隠蔽するために打ち立てた「ルガンスク人民共和国」や「ドネツク人民共和国」こそが似非国家だ。

 どちらの側を支持するにしても、どうやら私たちは本当に、ポスト・トゥルースの恐ろしい時代に生きているらしい。今や、特定の軍事紛争だけでなく、歴史全体や国家全体が偽造されうるのだ。だが、もし今がポスト・トゥルースの時代ならば、いったいいつが、のどかな真実の時代だったのか?1980年代か?1950年代か?1930年代か?そして、何がきっかけで私たちはポスト・トゥルースの時代へと移行したのか?インターネットか?ソーシャルメディアか?プーチンとトランプの躍進か?

 歴史にざっと目を通すと、プロパガンダや偽情報は決して新しいものではないことがわかるし、ある国家や国民の存在をまるごと否定したり、似非国家を創り出したりする習慣さえ、はるか昔までさかのぼる。日本軍は1931年に自らに対して偽装攻撃を行って中国軍の犯行とし、中国侵略の口実とした後、翌32年に満州国という似非国家を設立して、征服行為を正当化した。その中国にしても、チベットが独立国として存在したことをずっと以前から否定してきた。オーストラリアのイギリスの植民は、無主の地(テラ・ヌリウス)という法原理によって正当化され、それによって五万年に及ぶ先住民の歴史が事実上消し去られた。

 20世紀初期には、シオニズムのお気に入りのスローガンは、「民なき土地[パレスティナ]への、土地なき民[ユダヤ人]の帰還を謳うものだった。地元のアラブ人住民の存在は、都合よく無視された。1969年、イスラエルのゴルダ・メイア首相は、パレスティナ人などというものは今も昔も存在したためしがないという、有名な言葉を残した。存在していないはずの人々を相手にした武力戦争が何十年も続いているというのに、そのような見方は今日でさえごく一般的だ。たとえば2016年、アナト・ベルコ議員はイスラエル議会で行った演説の中で、パレスティナの人々や彼らの歴史が現実に存在することを疑った。彼女が挙げた証拠は?アラビア語には「P」という文字が存在してさえいないのだから、どうしてパレスティナの人々など存在できるだろうか、というのだ(アラビア語では、「f」が「p」を表す。だからパレスティナのアラビア語名はファラスティンだ)。