2020年7月26日日曜日

20200726 株式会社文藝春秋刊 山本七平著「日本教徒」pp.255‐256

「日本の歴史や現況などを調べていて、私などが何より困るのは、この「虚構は虚構として尊ぶ」という徳川期の商人の行き方の現代版である。もう20年近い昔のことだが、その半生を日本で送ったさるアメリカ人は、「日本人とは何ぞや?一言にしていえば「勧進帳」である」という、まことに面白い言葉を述べた。けだし名言である。

 たとえば総理大臣ベンケイ氏が、霞が関と隣合せたアタカの関という国会で、野党トガシ党の前で、施政方針演説という「勧進帳」を読む。そして不磨の大典という六法を踏んで、大見得を切って赤ジュウタンの花道を引き揚げて行く。「かぶき」は元来町人のもの、従って「昭和元禄の田舎芝居」とやらも確かに虚構であっていい。だが、この芝居はただそれだけではなく、この主人公ベンケイ氏は、虚構の従者義経の家臣だから、虚構のなかの虚構の主人、読んでいる「勧進帳」は実は虚構で古い手紙、しかも聞き手のトガシ野党がだまされているのが、これまた虚構・・・となると、実に、虚構の舞台で虚構の主人公が、虚構の従者のため虚構の文書を読むと、相手が虚構に信ずる、という形になるという虚構が演じられていることになるので、一体全体「勧進帳」における「真実とは何か」少々気になる。さらに税金という入場料を払って国会座という立派な劇場でのこの演出を見ている観客やカンジン元の大町人たちは、この劇の中に何を見ているのだろうか、となると、だれでも少々わけがわからなくなるであろう。

 では一体「勧進帳」における真実とは何かと質問すると、たちまち「いやああれは、君臣父子夫婦を基本とする徳川封建制下の道徳を基礎にした・・」といった説明が出てくるのだが、よく聞いていると、どうもこの説明自体が「勧進帳」で、その人が聞いているのも反古に等しい古い手紙らしいのである。虚構の説明をまた虚構でやられるのでは、ただただ混乱はますばかり、では一体どうすればよいのであろう。」
株式会社文藝春秋刊 山本七平著「日本教徒」
ISBN-10: 4163647406ISBN-13: 978-4163647401

20200725 スマートフォンを紛失して思ったこと

おかげさまで、今回の記事投稿により、総投稿記事数が1350に到達します。また、ここ最近は、書籍からの抜粋引用を以て投稿記事としており、本日もまた、そのようにしようと考えていましたが、抜粋引用部を投稿記事とすることを続けていますと、どうしたわけか自身の文章による記事を作成してみたくなってくるのです。そこで、今回の投稿記事は、多少区切りが良い1350記事への到達回目ということもあり、自身の文章にて記事を作成することにしました。とはいえ、ここ数日間は、それ以前の自身の文章による記事を投稿していた時期と比べ、閲覧者数が伸びていました。

これは、自身の書籍および抜粋引用部の選択に帰するのか、あるいは、自身の作成する文章の面白くなさに起因するのか、はたまた双方共に関係があるのか、分かりませんが、何れにしましても、あまり喜ぶべき状態とは云えません・・(苦笑)。

他方、ここ数日間はスマートフォンを紛失していましたが、その数日で気が付いたことは、無論、使い方次第ではあるのでしょうが、スマートフォンは思いのほかに体に負荷をかけているということです・・。つい先日、無事にスマートフォンは見つかり、戻ってはきましたが、その後は、数日間のスマートフォンがなかった生活を思い出し、出来るだけ、その画面を見ることを避けています。この意識的な取り組みは一体、いつまで続くのでしょうか・・(苦笑)。【スマートフォンの画面を見なくなってから、書籍がより読み易くなり、肩凝りが大幅に軽減し、さらに少し視界が広くなったような感じさえあります。】

また、おそらく、それとは関係ないと思われますが、昨日、一昨日は、当ブロガーでの記事を多く共有しているツイッターでのインプレッションが、特定の記事が極端に「バスる」といった現象はなかったものの、これまでと比べ、かなり伸びました。これは自身でも驚きましたが、ツイッターは、ブロガーと比べ、インプレッション(閲覧者数)を決める因子が多く、そのうちの何かが、この昨日、一昨日は良い方に働いたのではないかと思われました。しかし、ツイッターであれ、ブロガーであれ、この先、さらに多くのインプレッション(閲覧者数)を(それのみに注力して)得たいとは、現時点では考えてはいませんので、今後もただ、続けるところまで続けてみようと考えています・・(笑)。

ともあれ、そのように考えてみますと、弱小の当ブログであっても一応、5年間程継続していますと、総閲覧者数は47万以上となっており、これは現在の自身でも、あまり実感が湧かず、また、それは、さきに書いたツイッターでのインプレッションにおいても同様と云えます・・。また、それと同時にツイッターの場合、ツイートした内容に対しての反応が比較的多くありますので、これはこれで面白く、全く実感が湧かないということはありません。端的にブロガーと比較して、ツイッターの方が、よりダイナミックと云えるかもしれません・・。

くわえて、ここ最近の九州を中心とした大雨による被災状況を報道番組や動画サイトを通じて視ましたが、出来るだけ早期の被災からの復旧と、ケガをされた方々の回復と、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。そして、現今のコロナ禍が近い将来に過ぎ去り、また、さまざまな面で双方気兼ねすることなく、九州に訪問することが出来る日が来ることを切に願っています。

ここ首都圏に在住していると、共感されることは多くはないものの、私見としては、純粋に住む場所の環境としては、九州や瀬戸内地域などの方が、余程良いのではないかと思われます。そして近い将来、1年のうちの半分程度を九州や瀬戸内地域に住み、残りの半分をここ首都圏に住むといった生活スタイルが採ることが出来ればと考えています。また、ここまで、あまり意識していませんでしたが、当ブロガーであれ、ツイッターであれ、あるいはnoteであれ、それらが、その何らかの布石になるのではないかと少し思い始めてきました。さて、そのためには、今後、私は何をすれば良いのだろうか・・?

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

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2020年7月24日金曜日

20200723 日本経済新聞出版社刊 ジャレド・ダイアモンド著 小川敏子、川上純子訳「危機と人類」上巻pp.164‐170

明治時代のおもな選択的変化のうち、まだ考察していないものがひとつある。それは、西洋列強の領土的野心の対象になっていた日本が、海外への領土拡大と軍事的侵略をおこなう国に変貌を遂げたことである。これまでみてきたように、江戸時代の日本は鎖国政策をとり、海外の領土を占領しようという野望はもっていなかった。1853年の日本にははるかに強大な軍事力を備えた西洋列強からの脅威が迫っていた。

 しかし、1868年に明治時代に入って、陸海軍の改革と殖産興業が進展すると、差し迫った脅威が消えて、逆に段階的な領土拡大が可能になった、第一段階は、1869年の北海道併合だ。もともと日本人とは違う先住民族のアイヌ人が住んでいて幕府による部分的な支配を受けていたこの北の島を、正式に日本の領土としたのである。つづいて、台湾に漂着した宮古島の島民が台湾原住民によって何十人も殺されるという事件が起き、1874年には台湾に日本から征伐軍が派遣された。最終的に日本は軍を撤退させ、このときは台湾併合にはいたらなかった。1879年、今度は琉球王国が日本に併合された。そして1894年から95年にかけて日清戦争を戦った日本はこれに勝利し、下関条約で台湾を併合した。これが明治日本の最初の対外戦争だった。

 明治日本が最初に西洋列強相手に軍事力を試したのは、日露戦争(1904~05年)だった。日本の海軍と陸軍はそれぞれロシア軍を破った(口絵3・7・、3・8)。これは世界史上の画期的な出来事だった。西洋列強が総力戦で初めてアジアの国に負けたのである。戦後結ばれたポーツマス条約によって、日本はサハリン島の南半分を併合し、南満州鉄道の権利を獲得した。朝鮮半島では、1905年に大韓帝国を保護国化し、1910年には併合している。1914年、日本は中国の膠州湾にあったドイツの租借地を占領し、ドイツ領ミクロネシアを手に入れた(口絵3・9)。そして1919年にはついに、日本は中国に対し対華21箇条要求を突きつけた。
この要求がすべて通れば中国は事実上日本の属国となっていただろう。だが、中国は要求を一部しか呑まなかった。

 1894年以前から、日本はすでに中国や韓国に攻め込むことを考えていた。実行しなかった理由は、軍事力がまだ十分ではないと日本が考えていたことと、西洋列強に介入の口実を与えてしまうことを恐れていたことが挙げられる。明治日本が自身の戦力を過大評価して判断を誤ったのは、日清戦争末期の1895年の一度きりだ。日本が当時の清国から引き出した譲歩には、遼東半島の割譲も含まれていた。中国大陸と朝鮮半島を結ぶ陸路と水路の要衝だ。だがフランス、ロシア、ドイツの三国干渉によって、日本は遼東半島を手放さざるを得なかった。ちなみにロシアはその3年後、旅順を租借地としている。この屈辱的な失敗によって、日本は、西洋列強に単独で対抗するにはまだ力不足であることを認識した。そこで1902年に、日本はイギリスと日英同盟を結んだ。こうして後ろ盾と保険を用意してから、1904年にロシアとの戦争に臨んだのである。また対華21箇条要求も、第一次世界大戦がはじまって西洋列強が軍隊を自由に動かせなくなるのを待ってから突きつけた。日英同盟で安全は担保されていたものの、1895年の三国干渉のような介入を西洋列強ができないようにするためだった。

 明治日本の軍備増強と領土拡大は、成功に次ぐ成功をおさめた、それは、現実的かつ注意深く、確度の高い情報にもとづいて公正な自国評価がおこなわれ、日本と対象国との相対的な国力差を見極めていたからだ。日本は現実的に何が出来るのかを正しく判断しながら、少しずつ慎重に行動していた。この成功した明治時代の拡大政策を、1945年8月14日の状況と比較してみよう。このとき日本は、中国、アメリカ、イギリス、ロシア、オーストラリア、ニュージーランドと同時に戦線を構えていた(他にも対日宣戦布告をしていた国は多数あったが、実際に戦争をしていたののはこの6カ国だけだ)。対戦相手としては最悪の組み合わせだ。日本陸軍の大部分は、もう何年も前から中国で膠着状態に陥っていた。アメリカの爆撃機は、日本のほとんどの大都市を燃やし尽くしていた。ふたつの原子爆弾は、広島と長崎を潰滅させていた。米英艦隊は、日本の本土沿岸部に艦砲射撃を浴びせていた。ロシア軍は、弱弱しい日本の抵抗を蹴散らして満州とサハリンに進撃した。オーストラリアとニュージーランドの部隊は、太平洋上の島々に点在した日本軍の駐屯地を掃討していた。日本の大型戦艦と商船団はほぼすべて撃沈されたか、航行不能状態だった。すでに300万人以上の日本人が殺されていた。

 これらの国から同時に攻撃される原因が外交政策の失敗だったとしても、充分ひどい話なのだが、日本が犯した重大な失敗はもっとひどかった。日本のほうからこれらの国に戦争をしかけていったのだ。1937年、日本は中国と全面戦争に入った。1938年と39年には二度にわたってソ連と国境で戦った(張鼓峰とノモンハン)。ふたつとも戦闘期間は短かったが、死傷者が多数出た悲惨な戦いだった。1941年には、ソ連との戦いがまた起こる可能性があったにもかかわらず、日本は英米蘭を同時に奇襲する。イギリスに攻撃をしかけるということは、イギリス統治領のオーストラリアとニュージーランドを戦争に巻き込むことを意味した。日本はオーストラリアへの爆撃もはじめた。1945年、とうとうソ連も対日戦争に参戦した。1945年8月15日、遅きに失した感はあるものの、日本はついに不可避の帰結に屈服した。降伏したのだ。1868年以降の明治日本は、現実的な軍備増強と領土拡大を段階的かつ着実に成功させていった。だが、なぜ1937年以降の日本は、非現実的かつ最終的には失敗に終わる領土拡大を、一歩ずつ間違った方向に進んでいったのだろうか?
 
 理由は多数ある。日露戦争の成功、ヴェルサイユ条約への失望、1929年の世界恐慌を発端として輸出主導型で経済を成長させるもくろみが増えたことなどだ。しかし、本書のテーマと非常に関連の深い理由をもうひとつ挙げよう。明治日本の指導者と、1930年代、40年代の日本の指導者では、公正な自国評価を行うための知識や能力に違いがあったのである。明治時代には、軍幹部を含む多くの日本の指導者が海外に派遣された経験があった。そうして中国やアメリカ、ドイツ、ロシアの現状や陸海軍の実力を詳細に直接知ることができ、日本と各国の国力差を公正に評価できた。彼らの成功を確信した場合にだけ、攻撃をしかけた。対照的だったのは1930年代に中国大陸に展開していた日本陸軍だ。大陸の将校たちは若く急進的だったし、海外経験もなかった(ナチスドイツを除いて)。そして、東京の大本営にいた経験ある指導者層の命令を聞き入れなかった。若き急進派将校たちは、アメリカの工業力や軍事力を直接見聞きしたことがなかったし、日本の潜在的敵国についても無知だった、アメリカ人の国民心理も理解できず、アメリカというのは厭戦思想の蔓延する商人の国だと考えていた。

 1930年代でも、政治家や軍幹部(とくに海軍)の長老の多くは、欧米の力を直接見聞きした経験があった。私が日本で経験した、非常に強く印象に残っている話をしよう。初めて日本を訪れた1998年のこと、日本の製鉄会社の元重役だった90代のご老人と一緒に夕食を囲む機会があった。彼は1930年代にアメリカの製鉄所を視察したときのことを私に話してくれた。アメリカの製鉄所の高級鋼生産能力が日本の50倍であることを知り、彼は衝撃を受けたそうだ。その事実ひとつだけで、対米開戦が狂気の沙汰であることを確信したという。

 だが、1930年代の日本では、海外経験のある長老級の指導者たちが、海外経験のない若い急進派に恫喝され、威圧され、何人かは暗殺された。幕末期の1850年代末から60年代にかけて過激な志士たちが当時の日本の指導者たちを恫喝したり暗殺したりしたのとそっくりだ。志士たちも1930年代の青年将校たち同様、外国の強さを直接的には知らなかった。違ったのは、志士が西洋人を襲ったことにより、西洋の強力な軍艦が鹿児島の城下町や馬関海峡の両岸を砲撃したことだった。これにより、志士たちですら、自分たちの戦略は非現実的だと納得させられた。だが1930年代には、海外に行ったこともない若い将校たちに現実をたたき込む外国による砲撃はなかったのだ。

 さらに、明治の日本人指導者と、1930年代の指導者たちが経験した歴史が正反対であったこともある。明治の指導者たちが成長したのは、弱い日本、いつか強力な敵国が現れ攻撃されるかわからない状態の日本だった。だが1930年代の日本の指導者にとって戦争といえば、痛快な勝利をおさめた日露戦争だった。旅順港のロシア太平洋艦隊を壊滅させた奇襲攻撃や、対馬沖でバルチック艦隊を完膚なきまでにたたきつぶした日本海海戦を思い浮かべるのだ。旅順港の奇襲攻撃は、真珠湾でアメリカの艦隊にしかけた奇襲攻撃のモデルとなった(口絵3・7)。このように一国のなかで世代によって経験した歴史が異なるためにまったく異質な政治観を持つことになった例は、第6章のドイツでもみられる。

 そういうわけで、勝算が絶望的にないにもかかわらず日本が第二次世界大戦をはじめた理由の一部(あくまで一部)は、1930年代の若い軍幹部に現実的かつ慎重で公正な自国評価をおこなうのに必要な知識と経験が欠けていたことだ。そしてそれが日本に破滅的な結末をもたらしたのである。

日本経済新聞出版社刊 ジャレド・ダイアモンド著 小川敏子、川上純子訳「危機と人類」上巻
ISBN-10: 4532176794ISBN-13: 978-4532176792

2020年7月22日水曜日

20200722 株式会社新思索社刊 L・ヴァン・デル・ポスト著 由良君美・富山太佳夫訳「影の獄にて」pp.12-14

「実際、ハラは恐るべき小男だった。イワン雷帝が恐ろしかったという意味で恐ろしかっただけではない。あの民族独特の、デーモニッシュな恐ろしさという意味でも、恐ろしかった。こんなに長いあいだ、こんなに背が小さかったということへの復讐や償いとして、何千年にわたる背の低さを、ひとつ実人生のうえで仕返ししてやろうとするものすごさに似たものが、ハラのなかにはあった。ハラは高さや長身に対する羨望のようなものを持っていた。それが裏返しになって表れると、高さや長身に対する情け容赦のない憎悪に変わった。ハラのなかのデーモンー大黄色人種の世界制覇心と、みずからの意志をもって、彼の内面ふかくに潜む、昔ながらの、飽くことを知らぬ、打ちかちがたい力をもった一面ーが、こころのなかで騒ぐとき、わたしはハラが、われわれのなかでいちばん背の高い男を、ただ彼よりも背が高いからという以外の何の理由もなしに、たたきのめすのをよく見た。ハラの肉体の外観からして、すでに正常の人間の姿態にたいする拒否であり、復讐であった。いわば、日本の男性の容姿の拡大諷刺がハラであり、カリカチュアであった。

 ハラの背丈は実に低く、ほとんど小人と間違えられるばかりであり、あまりに横に広いため、ほとんど正方形に近かった。頭はないに近く、後頭部のほとんどない絶壁頭が、その広い肩のうえに、ほぼ垂直に鎮座していた。頭髪は濃く、漆黒だった。極度に粗いガサガサの毛質の、坊主がりにされた毛は、雄豚の背中の剛毛のように、堅く、こわばって、空中に突きだしていた。両腕は異例なまでに長く、ほとんど膝にとどかんばかり。反対に足のほうは、ばかに短くて極端に太く、ひどいガニ股になっていたから、われわれといっしょに収容所に入れられていた水兵たちは、ハラのことを、〈旧式短剣足〉(「旧式短剣)は、短い弓形の護身用短剣で、昔の海軍水兵は、これを戦闘の際に使用した。今日では、海賊の絵などに、しばしば見られる)と呼んでいた。口のなかには、薄黄色い、巨大な、丹念に総金縁にした歯がズラリと雁首をならべていたが、顔のほうは、ほとんど真四角に近く、額は狭くて、どことなく類人猿を思わせた。ところが、ハラの両眼ばかりは、実にすばらしく美しく、容貌や容姿と、まるで何の関係もないようだった。彼の両眼は、日本人にはまれなほど大きな、つぶらな瞳で、光と光輝を帯び、ごく上等のシナの翡翠のような、暖かな、いきいきした、輝きをもっていた。美しい両眼のおかげで、この恐るべき男が、どれだけ滑稽に堕さずにすんでいたか、まことに驚くべきものがあった。その両眼をちょっとのぞきこんだだけで、からかう気持ちは消えてなくなってしまうのだった。この歪くれた男は、どことなくヨーロッパ人の理解を越えた、献身的な、完全に無私の人物なのだということが、その瞳をちょっとのぞいただけで納得がいくのだった。

 そのハラの両眼に、最初にわれわれの注意をむけさせてくれたのは、実に、ハラの手にかかって、いちばん酷い目にあったジョン・ロレンスなのだ。おそらくロレンスは、ハラのために殺された人をのぞけば、もっとも酷い目にあった男であろうが、ある日、獄内で、ものすごく撲たれたあと、彼がこう言ったのを、わたしは今でもはっきりと覚えている。
「いいかね、君がハラという男について忘れてはならないことはだ」と彼は言った。「彼は個人でもなければ、ほんとうの意味で人間でもないということなんだよ。」さらに言葉を続けて、彼はこう言ったのだった。ハラは生きた神話なんだ。神話が人間の形をとって現れたものなんだ。強烈な内面のヴィジョンが具現したものなんだ。日本人を一致団結させ、彼らの思考や行動を形づくり、強く左右する、彼らの無意識の奥深く潜む強烈な内的ヴィジョンの具現なんだ。2600年にわたるアマテラスという太陽の女神の支配の周期が、ハラの内面で燃えさかっていることを忘れてはいけない。古代日本の内に深く眠る民族の魂の、気づかれないほどひそやかなささやきに、自分ほど忠実で忠誠心ある者はないと、ハラは確信しているんだ。民族の魂の励ますようなささやきを、心のうちに受け入れるほど、ハラという男は、おのれを虚しくできる。単純な無教育な男であるハラは、高等教育などのつけ入る余地のない原始のままの高潔さをそなえた田舎者なんだ。昔の神話や伝説をすべて本気に信じこんでいればこそ、なんのためらいもなしに、人を殺すことができるんだ。つい前の被、ハラはロレンスにある体験を話して聞かせたばかりだった。それは、満州で、シナ軍が線路に仕掛けた地雷を知らずに、日本兵を満載した列車が驀進していったところ、突如、列車は宙につりあげられて、ふしぎや、地雷の届かぬとなりの線路にまた無事におろされたという話で、これもアマテラスという太陽の女神のご加護だったという。「とにかく、彼の両眼をちょっとのぞいてみることだ」とロレンスは言った。「あの瞳には一点の下劣さも不誠実さの影もさしていない。太古の光を宿しているだけだ。現代の油を補給され、光を増した、明るく輝く太古の光がね。あの男には、なんとなく好きになれる、尊敬したくなるなにかがあるな。」
 この最後の言葉は、当時のわれわれにとっては、あまりにも異端の考えだった。私は、すぐさま抗議を申し込んだ。ロレンスが何と言い、何と釈明しようとも、ハラという人物に関してわれわれの抱いていた〈白の野獣〉いや〈黄色の野獣〉という考えをぬぐいさるものではなかった。わたしはロレンスの言葉をうけつける気になれなかった。」
株式会社新思索社刊 L・ヴァン・デル・ポスト著 由良君美・富山太佳夫訳「影の獄にて」
ISBN-10: 4783511934ISBN-13: 978-4783511939

2020年7月21日火曜日

20200721 株式会社文藝春秋刊 山本七平著「ある異常体験者の偏見」pp.307‐309

「それはいずれの時代でも同じかもしれぬ。渦中にいる者は不思議なほど、大局そのものはわからない。従って今なら「戦史」で一目瞭然のことを知らなくても不思議ではない。しかしそれは、前述のような微細な徴候から全貌の一部が判断できなかった、ということではない。

 昭和19年6月ーこれもまた6月だったがーといえば、ガダルカナルの撤退からすでに1年4カ月、アッツ玉砕から1年、マキン、タワラ両島も半年前に全滅し、クェゼリン、ルオット両島の守備隊も、4カ月前の2月1日に全滅していた。とはいえ一方では大陸打通作戦が開始され、インパールへの快進撃がはじまり、その陥落占領は「時間の問題」といわれ、報道される全般の戦局は何となく一進一退という印象でも、大日本帝国の無条件降伏が1ヵ年余の後に迫っていようとは、だれも予想しないのが実情だった。そして自転する中で、それが生活になっている一歯車には、この機構が永久機構の如くつづくように思われた。-ふっと「我に返る」ことが時々あっても。

 いま考えれば不思議かもしれぬ。しかし人間は習慣の動物、同時に習慣的思考の動物である。昨日の如く明日があると、破局の瞬間まで信じている。信じればすべてはそう見え、そう見えるための理屈はどうにでもつく。ガダルカナルやアッツ等の苦戦・撤退・全滅が暗い予兆であったとはいえ、その損害はノモンハン、台児荘、平型関等で受けた打撃と比べれば、確かに微々たるもの。少なくとも軍隊内にいる限り、一個大隊の大損害は、珍しい事件ではないことは知っている。しかも過去においては、そういう損害を受けつつも満州を保持し、中国の戦線も維持して、一応、優勢は保ち続けていた。多少の損害はあっても、占領した地域は保持し続けたのが、昭和6年以来すでに12年つづいていた実績であり、人びとは何となく、この過去の経験の延長線上に現在と未来を見ていた。それは戦後の人が、何回かの不況に見まわれながら急激に回復した過去の経験から将来を予測しているのと同じ状態であろう。そして私も、その例外ではなかった。

 ただ現場にいる者は、「これはおかしいぞ」といった微細な、しかし見方によっては破局的と思える徴候を、一種の感触でつかみうることも事実。私のみならず多くの人が、敗戦の感触をひやりと膚で感じたのは、19年5月29日、門司で輸送船に乗船したときであったろう。

 連隊の「自転する組織」の中で日常業務に埋没していれば、その機構の永久存続を信じうる。動員下令で新部隊が編成されて営庭に整列しても、観兵式や射撃演習のときとそう変わらない。ただ被服が全部新品の夏物だということだけの差である。整々と四列で営門を出、品川から汽車に乗るときも、別にこれといった変わったことは起こらない。門司に着き、旅館・学校・民家等に分宿しても、これまた秋期大演習のときなどと余り変わらない風景であり、久々の畳の感触を楽しむ方が先になる。

 船舶司令部に幹部集合を命ぜられ、そこで参謀から説明を受けたが、これまた今まで何回も聞かされた訓示と同じ発想、同じ趣旨のもので、何の新味もない。当日私といっしょに出席していた102師団の石塚中尉は、その日記に次のように記している、「5月27日(細雨)・・打合会に出席、海難に於ける損害減少等すべて指揮官、幹部の能力に左右せらるること多きは当然。然るに説明する者も聴く者も依然シナ大陸式に適当に表面を糊塗せんとするもの多きを知り遺憾なり・・」と。私もこれを聞いていたわけだが、内容は何も頭に残っていない。結局、実情は説明せずの精神訓話と訓示、聞く方も、大方そんな内容だろうと、実際は何も聞いていなかったということである。そうなるのも今までの経験で、聞き流しても一向に支障がない内容であることを、すべての人間が知っていたからであろう。こういう「お偉いさん」と自転は、元来、無関係だからである。

 だが、その日から2週間近くたった今日、6月11日の夕刻、魔のバシー海峡の真中で、西の水平線に落ちて行く真っ赤な太陽を眺めていると、この2週間の悪夢のような体験のすべては、一切が、恐ろしい勢いで破滅に突き進んでいることを、否応なしに突きつけ、見せつけているように見えてくるのであった。」
株式会社文藝春秋刊 山本七平著「ある異常体験者の偏見」
ISBN-10: 4163646701
ISBN-13: 978-4163646701


2020年7月20日月曜日

株式会社文藝春秋刊 山本七平著「ある異常体験者の偏見」pp.198‐199

グアム島でまた日本兵が現れたらしいという記事が新聞に出ていた。こういうニュースは何となく気になる。何気なく読んでいると「兵隊はみな天皇の声を知っているから、天皇の声を録音して放送したら出てくるであろう」という意味の横井さんの談話が出ていた。一瞬「オヤ」と思う、同時に「これは戦前の人間の生き方そのものだなあ」とも思い、また「戦後も同じなのかな」とも思った。

 いうまでもなくこの横井さんの談話は一種の「嘘」である。兵隊は天皇の声など知らない。戦後すでに30年近くをすぎているから、「戦前そのもの」とは別の、戦後にそれを再構成した一種の「戦後神話」ともいうべきものが出来てしまっており、その「戦後神話」では「天皇の軍隊の兵隊は天皇の声を知っている」という言葉もしくは発想それ自体は必ずしも不自然ではないのかも知れぬ。

「戦後神話」しか知らず、「戦前」とは「戦後神話」だと思っている世代、「マック制」を「天皇制」だと思っている世代が、こういうことを言っても不思議ではないし、また戦前を経験している人々もいつしか「戦後神話」がしのびこんできており、この二つの自らの内に峻別することに、私自身が非常に神経質にならざるを得ないのが実情だから、戦後の日本に住みつづけた戦前の人が、そういうことを言っても、これまた必ずしも「嘘」とはいえない。が、しかし、横井さんはそうではなく、それが「戦後に創作された神話」にすぎないことを、最も正確に知っているはずの人なのである。ちょっと考えると、そういう人はこの「神話」を否定しそうに思うが、面白いことにそうならず、そういう人がまっさきに、その神話を事実だと証言するのである。私が「戦前の人間の生き方そのもの」といったのは、この点である。

 私はここで少し興味をおぼえて、横井さんの出て来て以来の、その談話乃至は談話として掲載された言動を、出来る限り詳細にたどってみた。そして一種の驚くべきことを、また見方によっては当然のことを発見した。この「戦後」も「戦後神話」も知らないはずの人が、一種の「見えざる触覚」のようなものを出して、あらゆる方法でこの「神話」を察知し、その神話が横井さんとの接触でかもし出す雰囲気を一種の「皮膚感覚」のようなもので捉えて、まるで「熱いものに触れたらサッと手をひくように」すばやくこれに反応し、それをもとにして、この神話との間に絶対に摩擦が生じないように、実に的確な、岸元首相も顔負けの、文字通り「ソツのない」応答をくりかえし、全くボロを出していない、という事実である。これは一種の「環境適応」の天才といえるだろうし、これだからこそ27年のジャングル生活を生き抜いたのであろうし、またこれが「すべての日本人」なるものの典型的な行き方かもしれないとも思い、同時に、それなるが故に全日本人が横井さん以上に巧みに戦後の大激動をくぐり抜けて今日の繁栄(?)に到着したのだとも思えた。

だが同時に「事実」を知っているはずのその人が、真先に神話を事実といえば、それは一人間を「現人神」にするのも、「南京大虐殺」を事実にしてしまうのも、実に簡単なことだろう、そしてこれが日本を破滅させたのであろうと思った。何しろ、それが事実でないことを確実に知っているその人が、真先に「事実だ」と証言するのだから、どうにもならない。
株式会社文藝春秋刊 山本七平著「ある異常体験者の偏見」
ISBN-10: 4163646701
ISBN-13: 978-4163646701

2020年7月19日日曜日

20200719 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」pp.335‐338

「人類は前代未聞の革命に直面しており、私たちの昔ながらの物語はみな崩れかけ、その代わりとなる新しい物語は、今のところ一つも現れていない。このような史上空前の変化と根源的な不確実性を伴う世界に対して、私たちはどう備え、次の世代にはどんな準備をさせておけるのか?

今日生まれた赤ん坊は、2050年には30代に入っている。万事が順調にいけば、その子供は2100年にも生きていて、22世紀に入っても溌剌と暮らしてさえいるかもしれない。

2050年あるいは22世紀の世界で生き延び、活躍するのに役立ててもらうためには、その子供に何を教えるべきなのか?その子は、仕事を得たり、周りで起こってることを理解したり、人生の迷路をうまく通り抜けていったりするためには、どんな技能を必要とするのか?

あいにく、2100年は言うまでもなく、2050年の世界がどうなっているかは誰にもわからないので、このような疑問の答えを私たちは知らない。もちろん、これまでも人間は未来を正確に予測することはできなかった。だが今日、未来の予想はかつてないほど難しくなっている。なぜなら、テクノロジーのおかげでいったん体と脳と心を作り変えられるようになってしまえば、もう何一つ確かに思えるものがなくなるからで、それには、これまで不変で永遠のように見えていたものも含まれる。

 今から1000年まえの1018年には、人々は未来についてわからないことはたくさんあったが、それでも人間社会の基本的特徴が変わることはないと確信していた。もしあなたが1018年に中国に住んでいたら、1050年までに宋王朝が崩壊したり、契丹が北から侵入してきたり、疫病で何百万もの人が亡くなったりしうることは承知していた。とはいえ、1050年にもほとんどの人が依然として農民や職工として働き、支配者たちが依然として軍隊や官僚制を人間で賄い、男性が依然として女性の上に立ち、平均寿命が依然としておよそ40年で、人間の体はまったく同じままであるだろうことは明白だった。したがって、1018年には中国の貧しい親は、子供たちに田植えの仕方や絹織物の織り方を教え、豊かな親は、息子たちに儒教の古典の読み方や書道、馬に乗っての戦い方を、娘たちには慎みのある従順な家庭婦人になることを教えた。こうした技能が1050年にも必要とされることは明らかだった。

 それに対して、今日私たちは、2050年に中国や世界のその他の国々がどうなっているか、想像もつかない。人々が何をして暮らしを立てているかも、軍隊や官僚制がどのように機能するかも、ジェンダー関係がどうなっているかも、まったくわからない。今よりもはるかに長く生きる人もおそらくいるだろうし、生物工学や、脳とコンピューターを直接つなぐブレイン・コンピューター・インターフェイスのおかげで、人間の殻らそのものが空前の革命を経ているかもしれない。したがって、今日子供たちが学ぶことの多くは、2050年までに時代遅れになっている可能性が高い。

 現在、情報を詰め込むことに重点を置いている学校が多過ぎる。過去にはそれは道理に適っていた。なぜなら、情報は乏しかったし、既存の情報の緩慢で、か細い流れさえ、検閲によって繰り返し堰き止められたからだ。たとえばあなたが1800年にメキシコの田舎の小さな町に住んでいたら、広い世界について多くを知ることは難しかっただろう。ラジオもテレビも日刊紙も公共図書館もなかったからだ。仮にあなたが字を読め、個人の書庫に出入りできたとしても、小説と宗教の小冊子以外には、ほとんど読むものなかっただろう。スペイン帝国は、各地で印刷される文書はすべて厳しく検閲し、外部からは念入りに検査した出版物がわずかに持ち込まれるのを許すだけだった。あなたがロシアやインド、トルコ、中国の田舎町に暮らしていても、状況はほとんど同じだった。近代的な学校が設立され、子供たち全員に読み書きを教え、チリや歴史た生物学の基本的事実を知らせるようになったのは、途方もない進化だった。

 それに対して21世紀の今、私たちは膨大な量の情報にさらされ、検閲官たちでさえ、それを遮断しようとはしない。むしろ彼らは、せっせと偽情報を広げたり、無関係な情報で私たちの気を散らしたりしている。もしあなたがメキシコの田舎町に住んでいて、スマートフォンを持っていたら、一生かけてさえとても足りないほど、ウィキペディアを読んだり、TEDの講演を観たり、無料のオンライン講座を受講したりできる。どんな政府も、気に入らない情報すべて隠すことは望めない。その一方で、相容れない報道や、人の気を逸らす情報を世間に氾濫させるのは、驚くほど易しい。世界中の人が一回マウスをクリックするだけで、シリアのアレッポの爆撃や、北極圏の氷の融解について、最新情報を手に入れられるが、矛盾する話があまりにも多いため、何を信じていいか困ってしまう。そのうえ、たった一回クリックするだけでアクセスできるものは他にも無数にあるので、的を絞るのが難しく、政治や科学があまりにも複雑に見えるときには、愉快な猫の動画や、有名人のゴシップや、ポルノに、ついつい切り替えたくもなる。

 そのような世界では、教師が生徒にさらに情報を与えることほど無用な行為はない。生徒はすでに、とんでもないほどの情報を持っているからだ。人々が必要としているのは、情報ではなく、情報の意味を理解したり、重要なものとそうでないものを見分けたりする能力、そして何より、大量の情報の断片を結びつけて、世の中の状況を幅広く捉える能力だ。」
株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」
ISBN-10: 4309227880
ISBN-13: 978-4309227887