2020年2月28日金曜日

20200227 大戦争による効果?

ここ最近は日照時間も以前に比べて長くなり、また、気温も徐々に上がっているように感じられますが、他方で、世界規模での新型コロナウィルスの感染拡大による、さまざまななイベント開催の延期・中止が相次ぐことから、現在の世情を表すコトバとしては「戦々恐々」が適切ではないかと思われます。

とはいえ、そうした中、私の方はよく移動しており、そこから、たしかに疲れが溜まっているのか普段とは違ったようなダルさがあると云えます。これはさきのウィルスと関係があるものか分かりませんが、いずれにしても今週末はゆっくり休もうと思います。

しかしながらブログの方は書き続けなければなりません・・(苦笑)。今月中に本投稿を含め、2記事作成する必要がありますので、これを出来るだけ早めに済ませたいと思うところです・・。

さて、先日来から読み進めていました岡義武による「国際政治史」は本日ようやく読了しました。第二次世界大戦が終結し、その後、資本主義・共産主義の二陣営による冷戦体制に至るところで当著作はむすびとなっていますが、この前段階である第二次世界大戦時においては、さきの記事にて述べたように、所謂、帝国主義の続きであると云え、その意味で、この終戦を境として、各国は帝国主義的な政策を少なくとも表立っては、とれなくなっていったと云えます・・。

そして、その主たる原因と思われるのが、それまで植民地であった主に東アジアの国々が第二次世界大戦時に一時的ではあれ解放され、戦後、植民地的な支配の継続が困難になったからであると思われます。

また、これと類似したことは、ナポレオン戦争時および、その後における南米大陸諸国にも云えるのではないかと思われます。これらの国々は、それまでは多くスペイン・ポルトガルの植民地でしたが、フランス革命からナポレオン戦争に至るまでのヨーロッパ全土における争乱の影響により、それまでの支配体制が不安定となり、こうした事態に至ったと云えますが、20世紀の第二次世界大戦は東アジアの国々において、同様あるいは類似した効果を持っていたのではないかと思われます。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
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2020年2月26日水曜日

20200226 時代精神・地域性と人工知能

今回の記事投稿により、総投稿記事数が1250に到達します。そして、今月中、新規にて2記事投稿出来れば、以前に述べた目標をクリアすることになります。そうしますと、残り3日の今月のうち、2日間投稿(1日1記事として)すれば良いということになりますが、果たしてコトはそこまで上手く運ぶのでしょうか・・。

さて、先日来から読み進めている岡義武著「国際政治史」は、その後頁が進まず今に至っておりますので、出来れば近日中に読了し、新たな著作を読み始めたいと考えています。

新たな著作として現在考えているのはユヴァル・ノア・ハラリによる「21lessons 21世紀の人類のための21の思考」ですが、ここに来て、折角であれば、もうしばらく近現代史について扱った著作を読んでみてはどうかとも考え始めています・・(苦笑)。

さきにも述べました通り、近現代史、特に我が国の昭和初期のそれは大変に痛ましいものがあり、おそらく、どの頁を開いてみても眉間に皴が寄るような感じがあると云えます・・。

しかしながら、これもさきに述べました通り、我が国のこの時期の歴史に対し、ある程度クリアな認識を持っておくことが、さきの時代を考える上で極めて重要であるように思われるのです・・。

これは、あまり云われることは少ないのですが、ある時代・地域に生み出されたさまざまな事物は、それを生んだ時代精神を象徴するものと云えます。その意味において、昭和初期、特に昭和6年(1931年)あたりからのそれは、全体的に不自然であり、何と云いますか、のびのびとしたところが少ないように見受けられます。異言しますと、桎梏に喘ぐ人々が、そこから逃れ得ず、また、そこで苦しんでいるということを外に云えないような状況にある時に表現されたものであるといった感じを受けるのです・・。

とはいえ、こうしたことは後知恵であると評されても仕方がありませんが、それでも、この時代の事物には、感覚的に何かしら嘔吐感を催すものがあると感じられます・・。

そして、それと同じような感覚を最近の広告やテレビ番組を見ていますと、不図、感じることがありますが、これは「私が疲れているからなのであろうか・・?」とも思うのですが、他方で「そこには何らかの共通性があるのではないか?」と考えてしまう私もまたいるのです・・(苦笑)。

このような各時代・地域におけるさまざまな事物から、それぞれの時代精神や地域性を考えようとすることは、もっと広く行われても良さそうに思われるのですが、私の見聞きするところ、現今の我が国では、そうした試みは、あまり為されていないように見受けられます。

あるいはまた、こうした時代・地域毎のさまざまな事物と、それぞれの時代・地域に当て嵌まると思われる言語表現を、人工知能に学ばせていくことにより、ある程度の確率で、未だ評価が定まっていない時代・地域に対する時代精神・地域性の仮説のようなものを提示することが出来るのではないかとも思われます・・(笑)。

そして、今後、こうした人工知能ソフトが出来ましたら、現在の我が国社会に対しては、どのような評価の仮説が提示されるのでしょうか・・(笑)?

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。





2020年2月25日火曜日

20200224 戦間期末期についての記述を読んで・・

ここ数日は新規の記事投稿はしていませんでした。さて、先日来から読み進めている岡義武著「国際政治史」は、残り10頁程度となり、おそらく近日中に読了すると思われます。ここで描かれている時代は、さきのブログにもとり挙げた戦間期の末期、つまり、第二次世界大戦勃発直前の時代であり、それは丁度、4年前に読了した野上弥生子による「迷路」上下巻の背景とほぼ被り、また同時に、山本薩夫による長編映画「戦争と人間」とも被ると云えます。

この時代に関しては、他にもさまざまな作品があり、著名と思われるものを挙げますと、カズオイシグロによる「日の名残り」そして、それを原作としたジェームズ・アイボリーによる同名の映画作品がそうです。

そして現在、私が読み進めている箇所が、まさしく、この「日の名残り」の時代背景と被り、そこから、頁を進めてゆくなかで度々、当映画作品内の場面が想起せられます。

ともあれ、特にこの時代は、多くの国の人々にとって、後の第二次世界大戦による苦難の前兆とも云えることから、ここ焦点を当て、その歴史の推移・流れを認識していくことは、かなり辛いものがあると云えます。

自身の場合も、この時代に頁が差し掛かってきますと、必ずしも体調といった原因でなく、有意に読み進める速度が遅くなり、行間にある痛ましさや、国々の間に醸成・蓄積されつつある敵意、そして、その後の展開に考えが及び自然と眉間に皴が寄ってきます・・。

おそらく、この時代は、産業革命以降、洗練・先鋭化されていった諸々の帝国主義的な考えが、思想として体系化・結晶化され、そして、それが政治外交を行う際の背景思想となった、いわば、思想としての「帝国主義」が最も洗練された、最終段階の時代であると云えます。

あるいは、帝国主義をとる国々内部での先発組(イギリス・フランス)と後発組(ドイツ・日本・イタリア)との間の蓄積した軋轢が顕現化され、それに基づいて敵対する陣営が形成されてゆく経緯であるとも云えます。これは第一次世界大戦時においても、類似した様相が認められますが、第一次世界大戦を経ることにより、より国民国家としての色彩が強くなった諸国が、戦間期、そして大戦争の勃発に至るまで、どのような政治・外交上の選択を行ってきたかということが、帝国主義の先発・後発組諸国間にある相違を明瞭にし、さらにまた、それが「帝国主義」の最終段階とも評し得る所以とも云えます。

そして、そうした状況がさらに加速し、最終的に第二次世界大戦に至ったと云えますが、この第二次世界大戦は、特に我が国にとっては、今なお、いや、さきの見えない現在であるからこそ、かなり重要な意味を持つものであると云え、そしてまた、それ故に「何故、そのような事態に至ったのか?」と、そこに至るまでの歴史の流れ・経緯を認識することは、さきに述べた「痛ましさや、国々の間に醸成・蓄積されつつある敵意」などからも、辛いものがありますが、それでもやはり、この歴史の流れを、より多くの人々が、ピントの合った、血の通った歴史像として認識することが、重要ではないかと考えるのですが、さて如何でしょうか?

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
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2020年2月21日金曜日

20200220 歴史像をパズルのピースとして考えると

ここ数日間は、かなり移動が多く、さらに明日からもまた移動です。普段はあまりこのようなことはブログ記事として書きませんが、本日は、記事題材が速やかに浮かばないこと、そして、この移動のことが割合強く感じられることから、こうした書き出しとなりました・・(苦笑)。

いや、本来であれば本日は、新たな記事作成など行わず、明日のためのも休んでおこうとも考えていましたが、PCの前に座り、ブログ画面を開き、しばらく既投稿記事の再投稿操作などを行っていますと、このまま終えるのもどうもバツが悪くなり、こうして記事作成を行っている次第です。とはいえ、このまま作成したとしても2:00前には就寝としたいことから、今回作成の記事は、あまり手の込んだものにはならないと云えます・・(笑)。

さて、現時点でのブロガーでの総投稿記事数は1247記事であり、今回を含め3記事の新規投稿により、1300記事まで残り50記事となります。また、それは、これまでのペースにて行いますと、今月中には比較的余裕を持って達成可能であるように思われます。そのため、もう少し目標を高く定め、今月中での総投稿記事数は1252記事を目標とします。この程度でしたら、特に無理をすることなく、達成可能であると思われますので・・。

他方で、先日来から読み進めている岩波書店刊 岡義武著「国際政治史」は220頁を過ぎ、残り80頁を切り、また、そこで描かれている世界情勢は、第一次世界大戦の終結後、平穏な時代はあまり長く続かず、早くも1920年代から世界各地で新たな戦乱に向けて沸騰しつつある状況と云えます。

この時代については、多くの興味深い著作が刊行されており、また、そうした著作をいくらかは読んできたという自覚があることから、それなりに知っていると考えていましたが、当著作での記述は、これまで自身が読んだことがなかった、考えなかった視点にて歴史の流れが描かれていることが度々あり、大変興味深く読んでいると云えます。また、こうした歴史を扱った書籍を読む大きな楽しみの一つは、こうした新たな認識を、あたかも、パズルのピースのように獲得し、それを用いて、これまでとは違った歴史像がイメージ出来るようになることであると云えます。

また、これは、先日の投稿記事である『見える歴史像の倍率と分かり易さについて』とも大いに関連するところであり、今後、機会を見つけ、さらに書き連ねてみようと思います。しかし他方で、こうした歴史像に対して「倍率」や「パズル」などをたとえとして用い、述べた著作は、これまでに読んだ記憶がないことから(忘れているだけかもしれませんが・・(苦笑)。)このたとえを用いることにより、歴史像、あるいは歴史そのものに対する認識が、より理解出来るものになった方々がいらっしゃるのでしたら、それは眠気の中、ここまで当記事を作成した私にとって望外の僥倖と云えるのかもしれません・・(笑)。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。


2020年2月18日火曜日

新潮社刊 夢野久作著 『死後の恋』内 『いなか、の、じけん』 内『郵便局』 pp.211-217

『鎮守の森の入口に、村の共同浴場と、青年会の道場が並んで建っていた。夏になるとその辺で、撃剣の稽古を済ました青年たちが、歌を唄ったり、湯の中で騒ぎまわったりする声が、毎晩のように田圃越ごしの本村まで聞こえた。
 ところが或る晩の十時過の事。お面お籠手の声が止むと間もなく、道場の電燈がフッと消えて人声一つしなくなった。……と思うと、それから暫くして、提灯の光りが一つ森の奥からあらわれて、共同浴場の方に近づいて来た。

「来たぞ来たぞ」「シッシッ聞こえるぞ」「ナアニ大丈夫だ。相手は耳が遠いから……」
といったような囁きが浴場の周囲の物蔭から聞こえた。ピシャリと蚊をたたく音だの、ヒッヒッと忍び笑いをする声だのが続いて起って、また消えた。

提灯の主は元五郎といって、この道場と浴場の番人と、それから役場の使い番という三つの役目を村から受け持たせられて、森の奥の廃屋に住んでいる親爺で、年の頃はもう六十四・五であったろうか。それが天にも地にもたった一人の身よりである、お八重という白痴の娘を連れ、仕舞湯に入りに来たのであった。

親爺は湯殿に這入ると、天井からブラ下がっている針金を探って、今日買って来たばかりの五分心の石油ランプを吊して火を灯つけた。それから提灯を消して傍の壁にかけて、ボロボロ浴衣を脱ぐと、くの字なりに歪んだ右足に、黒い膏薬をベタベタと貼りつけたのを、さも痛そうにランプの下に突き出して撫でまわした。

その横で今年十八になったばかりのお八重も着物を脱いだが、村一等の別嬪という評判だけに美しいには美しかった。しかし、どうしたわけか、その下腹が、奇妙な恰好にムックリと膨らんでいるために、親爺の曲りくねった足と並んで、一種異様な対照を作っているのであった。

「ホントウダホントウダ」「ふくれとるふくれとる」「ドレドレ俺にも見せろよ」「フーン誰の子だろう」「わかるものか」「俺ア知らんぞ」「嘘こけ……お前の女だろうが」「馬鹿云えコン畜生」「シッシッ」

というようなボソボソ話が、又も浴場のまわりで起った。しかし親爺は耳が遠いので気がつかないらしく、黙って曲った右足を湯の中に突込んだ。お八重もそのあとから真似をするように右足をあげて這入りかけたが、フイと思い出したようにその足を引っこめると、流し湯へかがんでシャーシャーと小便を初めた。

元五郎親爺はその姿を、霞んだ眼で見下したまま、妙な顔をしていたが、やがてノッソリと湯から出て来て、小便を仕舞ったばかりの娘の首すじを掴むと、その膨れた腹をグッと押えつけた。
「これは何じゃえ」
「あたしの腹じゃがな」
 と娘は顔を上げてニコニコと笑った。

クスクスという笑い声が又、そこここから起った。
「それはわかっとる……けんどナ……この膨れとるのは何じゃエ……これは……」
「知らんがな……あたしは……」
「知らんちうことがあるものか……いつから膨れたのじゃエこの腹はコンゲニ……今夜初めて気が付いたが……」
と親爺は物凄い顔をしてランプをふりかえった。
「知らんがナ……」
「知らんちうて……お前だれかと寝やせんかな。おれが用達ようたしに行っとる留守の間に……エエコレ……」
「知らんがナ……」
 と云い云いふり仰ぐお八重の笑顔は、女神のように美しく無邪気であった。

親爺は困惑した顔になった。そこいらをオドオド見まわしては新らしいランプの光りと、娘の膨れた腹とを、さも恨めしげに何遍なんべんも何遍も見比べた。
「オラ知っとる……」「ヒッヒッヒッヒッ」という小さな笑い声がその時に入口の方から聞えた。その声が耳に這入ったかして、元五郎親爺はサッと血相をかえた。素裸体のまま曲った足を突張って、一足飛びに入口の近くまで来た。それと同時に、「ワ――ッ」「逃げろッ」という声が一時に浴場のまわりから起って、ガヤガヤガヤと笑いながら、八方に散った。

そのあとから薪割用の古鉈をひっさげた元五郎親爺が、跛引き引き駆け出したが、これも森の中の闇に吸い込まれて、足音一つ聞こえなくなった。

その翌朝の事。元五郎親爺は素裸体に、鉈をしっかりと掴んだままの死体になって、鎮守さまのうしろの井戸から引き上げられた。又娘のお八重は、そんな騒ぎをちっとも知らずに廃屋の台所の板張りの上でグーグー睡っていたが、親爺の死体が担ぎ込まれても起き上る力も無いようす・・・そのうちにそこいらが変に臭いので、よく調べてみると、お八重は叱るものが居なくなったせいか、昨夜の残りの冷飯の全部と、糠味噌の中の大根やなっ葉を、糠ぬかだらけのまま残らず平らげたために、烈しい下痢を起して、腰を抜かしていることがわかった。

そのうちに警察から人が来て色々と取調べの結果、昨夜からの事が判明したので、元五郎親爺の死因は過失から来た急劇脳震盪ということに決定したが、一方にお八重の胎児の父はどうしてもわからなかった。

初めはみんな、撃剣を使いに行く青年たちのイタズラであろうと疑っていたが、八釜屋の区長さんが主任みたようになって、一々青年を呼びつけて手厳しく調べてみると、この村の青年ばかりでなく、近所の村々からもお八重をヒヤカシに来ていた者があるらしい。

それでお八重には郵便局という綽名がついていることまで判明したので、区長さんは開いた口が塞ふさがらなくなった。
すると、その区長さんの長男で医科大学に行っている駒吉というのが、ちょうどその時に帰省していて、この話をきくと恐ろしく同情してしまった。実地経験にもなるというので、すぐに学生服を着て、お八重の居る廃屋へやって来て、新しい聴診器をふりまわしながら親切に世話をし初めた。母親に頼んで三度三度お粥かゆを運ばせたり、自身に下痢止めの薬を買って来て飲ませたりしたので「サテは駒吉さんの種であったか」という噂がパッと立った。しかし駒吉はそんな事を耳にもかけずに、休暇中毎日のようにやって来て診察していると、今度はその駒吉が、お八重の裸体の写真を何枚も撮って、机の曳出に入れていることが、誰云うとなく評判になったので、流石の駒吉も閉口したらしく、休暇もそこそこに大学に逃げ返った。そうすると又、あとからこの事をきいた区長さんがカンカンに怒り出して、母親がお八重の処へ出入りするのを厳重にさし止めてしまった。

「お八重が子供を生みかけて死んでいる」という通知が、村長と、区長と、駐在巡査の家うちへ同時に来たのは、それから二三日経っての事であった。それは鎮守の森一パイに蝉の声の大波が打ち初めた朝の間の事であったが、その森蔭の廃屋へ馳けつけた人は皆、お八重の姿が別人のように変っていたのに驚いた。誰も喰い物を与えなかったせいか、美しかった肉付きがスッカリ落ちこけて、骸骨のようになって仰臥していたが、死んだ赤子の片足を半分ばかり生み出したまま、苦悶しいしい絶息したらしく、両手の爪をボロ畳に掘り立てて、全身を反り橋のように硬直させていた。その中うちでも取りわけて恐ろしかったのは、蓬々と乱れかかった髪毛かみのけの中から、真白くクワッと見開いていた両眼であったという。
「お八重の婿どん誰かいナア
 阿呆鴉か梟かア
 お宮の森のくら闇で
 ホ――イホ――イと啼いている。
 ホイ、ホイ、ホ――イヨ――」
 という子守唄が今でもそこいらの村々で唄われている。』

『死後の恋』 夢野久作傑作選 (新潮文庫)
ISBN-10: 4101206414
ISBN-13: 978-4101206417


2020年2月16日日曜日

20200216 最近の読書から「大掛かりな歴史の皮肉」

本日の徳島市は気温はそこまで低くなかったものの、終日風の強い一日でした。報道によりますと、今年の徳島での春一番は数日前に吹いたとのことであり、そこから、本日の強風についても、おそらく同様の気象状況から発生したのではないかと思われます。

また、当ブログにつきましては、その後、おかげさまで順調に記事の更新が為され、あと55記事の投稿により1300記事に到達する状況となりました。この55記事とは決して少ない数ではありませんが、これまでの記事作成経緯から考えてみますと、そこまで困難とは云えないことから、来る6月22日に迎えるブログ開始から丸5年までに、どうにか達成したいと考えています。

また、さきに述べましたように、ブロガーでの記事投稿は、順調に為されていますが、それらのアメーバ・ブログへの再投稿は、あまり順調に行われておらず、今後、機会を見つけて徐々にそれら記事を移し替えていきたいと思います。

さて、現在読み進めている岡義武著「国際政治史」は、ようやく200頁過ぎにまで至り、第一次世界大戦が終結し、パリ講和会議の開催そして大戦中に生じたロシア革命による欧州全土における緊張、そして、その一応の安定化といった状況が描かれていますが、この大戦後の敗戦国ドイツへのフランスを主とした周辺諸国の戦後処理には、なかなか峻烈なものがあり、ある意味、こうした事情があったことから、その後のナチス党の台頭さらには政権掌握も為し得たと云えます。

こうした歴史の流れからも、ある種「大掛かりな歴史の皮肉」といったものを看取することが出来ますが、しかしながら同時に、当時の当事者達としては、どうしてもそのような選択しか採り得ない経緯・背景もまた、あったのだと云えます・・。

そして、そのように考えてみますと「たとえ過去の歴史を詳細に知ったとしても、未来は変えることが出来ない。」といった、ある種の無力感・絶望感を覚えるわけですが、そうであっても、そうした歴史を知る人々が社会で徐々に増え、そして、何らかのカタチで発信し続けることにより、わずかではあれ、未来の方向性に対して影響を与えることが出来るのではないかとも思われるのです・・。

その意味で、インター・ネットを基盤とする現代の情報社会は、悪いものであるとは考えません。ただ、ここで大事になると思われることは、金銭・経済的なもの以前にある「何に価値があるか」を各々で考え、そしてお仕着せでない、能動的な議論を通じ、その相違点や共通項を見出していくことであるように思われます・・。

ともあれ、今後も当著作を読み進めていこうと考えていますが、250頁あたりにまで至りましたら、過日投稿のブログ記事にも書きましたユヴァル・ノア・ハラリによる「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」を購入し、読んでみようと思います。












20200215 先日の投稿記事が再度ランク・インしたことから思ったこと

先日投稿の「ブログ掲載情報についての対話形式」がアメーバブログにて人気記事にランク・インしたことを記しましたが、その翌日もまた、再度、順位が上がってのランク・インとなりました。こうしたことは、これまでになかったことから少し驚かされました。また、以前にも書きましたが「当記事の閲覧者数はあまり伸びないのでは・・。」と考えていたことから、これもまた不思議に思われるところです・・(笑)。

とはいえ、これまた以前に幾度か書いたことではありますが、自信の作成したブログ記事として比較的多くの方々に読んで頂いている場合であっても、そこからの効果や影響といったものは、これまで感じられたことはなく、そこから「おそらく当ブログ記事による周囲への効果は、大体その程度なのだろう・・。」と思うに至るわけです・・(苦笑)。

しかし、他方で、当ブログ記事が「その程度」のものであるからこそ、あまり傍目を気にせずに、現在に至るまで(好き勝手に)記事作成を継続出来ているようにも思われます。そのため、ブログ記事による効果や影響といったことは、少なくとも自身の場合、あまり考えない方が、継続的な記事作成のためには好都合であるように思われます・・(笑)。

さて、先日の投稿記事にてモテない、ロスジェネ云々といった、どちらかと云えば自虐的とも受け取れることを(苦笑)を書きましたが、他方において、大変充実していたと感じられる時期もあり、とりわけ、和歌山在住の修士課程院生の頃は、それまでの人生で最も多くさまざまな分野の書籍を読み、議論をしていたと云えます。そして、特に、ここでの議論の経験があるからこそ、対話形式でのブログ記事が作成出来ていると云えます。また、この頃は、自身が変わっていてもイジられることもなく、いや、当時については、周囲にいた方々の方が自身などよりも変わっていたのかもしれません・・(笑)。ともあれ、ここで書籍を読む習慣が身体化され、そして必要であれば精読するような習性も、ある程度、身に付けたことから、現在に至るまで、その時々に必要とする文献、そして自身の興味に基づいた文献をも読み続けることが出来ているのではないかと思われるのです・・。

そして、当ブログについて考えてみますと、どうにか、ここまで記事作成が為されている要因として、さきに述べた経験と共に歯科生体材料学分野にいた時の経験そして記憶が、かなり大きなウェイトを占めると云えます。それは換言しますと、鹿児島在住時の経験・記憶であると云えますが、これについては「この時期のことを書きたい!」と比較的強く思う反面で、未だに自身でも理由が分からないのですが、それにブレーキを掛ける力が発動され、今に至るまで思うように書けないでいます・・。しかし、今後、この時期のことををスムーズに書くことが出来るようになる内面での変化を待ち、これを題材として、新たなブログ記事を作成していきたいと考えています・・。

また、感覚的なハナシではありますが、さきの和歌山在住時の経験は、ブログ記事を継続的に作成するための、どちらかと云えば技術的要素としてのウェイトが多く、他方で、鹿児島在住時の経験や記憶は、もちろん、さきの和歌山と同様、技術的要素も少なからずあるのですが、それと同時に、当ブログ継続のための推進力となる内面・精神的要素については、かなり多く、ここでの経験や記憶に依拠しているように思われるのです・・。

そうしたこともあり、この時期のことを記事題材としたいと考えているのですが、さきに述べたように、どうもここで抑制がかかってしまうのです・・。しかし、今しばらく書き続けていますと、また何らかの変化が生じるとも思われますので、性懲りもなく、続けようと思います・・(笑)。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。