岩波書店刊 ジョージ・オーウェル著 小野寺 健訳『オーウェル評論集』pp.307-311
『『ナショナリズム』というときわたしがまっさきの考えるのは、人間を昆虫と同じように分類できるものと考えて、何百万、何千万という集団をひとまとめに、平然と「善」「悪」のレッテルを貼れるときめてかかる考え方である。
だが、その次に考えるのはーそしてこの方がはるかに重要なのだがー自分を一つの国家あるいはこれに似た何らかの組織と同一視して、それを善悪を超えた次元に置き、その利益を推進すること以外はいっさいの義務をみとめない考え方である。ナショナリズムと愛国心ははっきり違うのだ。
二つの言葉はふつうきわめてあいまいに使われているから、どんな定義を下してみても異論が出るだろうが、ここには二つの異なったというより対立する概念が潜んでいるのであって、両者ははっきり区別しておかねばならない。わたしが「愛国心」と呼ぶのは、特定の場所と特定の生活様式に対する献身的愛情であって、その場所や生活様式が世界一だと信じてはいるが、それを他人にまで押しつけようとは考えないものである。愛国心は、軍事的にも文化的にも、本来防御的なのだ。
ところがナショナリズムのほうは権力志向と固く結びついている。ナショナリストたるものはつねに、より強大な権力、より強大な威信を獲得することを目指す。それも自分のためではなく、個人としての自分を捨て、その中に自分を埋没させる対象として選んだ国家とか、これに類する組織のためなのである。
この言葉の対象を、ドイツや日本をはじめとする悪評高い明白なナショナリズム運動に限るなら、こんなことはすべてわかりきっている。ナチズムのようにわれわれが外から観察できる現象をつきつけられれば、誰もが同じようなことを言うだろう。だが繰り返して言えば、ここで「ナショナリズム」という言葉を使うのは、ほかにうまい言葉がないからで、わたしの考えている広い意味のナショナリズムとは、共産主義、政治的カトリシズム、シオニズム、ユダヤ人差別、トロツキズム、平和主義(パシフィズム)といった運動ないし風潮まで含むのである。それは必ずしも一政府一国家への忠誠心であるとは限らず、まして自分の祖国への忠誠心である必要もない。それどころか、その対象になる組織が、かならずしも現実に存在する必要さえないのである。
具体的な例をいくつかあげるなら、ユダヤ世界、イスラム世界、キリスト教世界、プロレタリアート、白人種といったものも、すべて熱烈なナショナリスティックな感情の対象になりうるのであって、こういうものが実在するかどうかは大いに疑わしく、どれをとっても万人が認める定義など存在しないものばかりである。
ここでもう一度、ナショナリスティックな感情が純粋に消極的なものでもありうることを強調しておいてもいいだろう。たとえばトロツキストのばあいにしても、彼らは単にソヴィエト連邦の敵になっただけなのであって、これに類するそれ以外の組織に忠誠心を抱いたわけではない。ここ事実の意味を理解してもらえば、わたしがナショナリズムと呼ぶものの本質も、ずっと明確になる。
ナショナリストとは、威信競争という観点からしか考えない、すくなくともまずそれを考える人間なのである。積極的なばあいも消極的なばあいもあるーつまり後押しするために精神的エネルギーを使うこともあれば、引きずりおろすことに使うこともあるわけだが、いずれにしてもその考えはつねに勝利か敗北か、栄光か屈辱かといった思想を軸に回転する。ナショナリストは歴史を、それもとくに現代史を、大きな勢力の果てしない興亡としてとらえる。そして彼の目には、あらゆる事件が、自分の陣営は上り坂にあり憎むべき敵は下り坂にある証拠だと見えるのである。
だがさいごにもう一つ大切な点は、ナショナリズムを単なる成功礼賛と混同してはならないということである。ナショナリストは、いちばん強いものの味方をするという単純な原理は採らない。逆に、いったん自分の立場を決めたあとは、それが事実いちばん強いのだと言い聞かせて、客観的情勢がどれほど圧倒的に非であろうと、この信念を固守することが出来るのである。ナショナリズムとは自己欺瞞をふくむ権力願望なのだ。
ナショナリストたるものは例外なく、どんな目にあまる不誠実な行為でもやってのけるがー自分より大きなものに殉じているという意識があるためにー自分はぜったい正しいという不動の信念を持つことも出来るのである。』
2018年11月23日金曜日
2018年11月21日水曜日
20181121 1130記事を過ぎて思うこと、自分の才能、取り柄とは・・
当ブログの総投稿記事数はつい先日1130記事に到達し、年内の目標である1150記事も目前とまでは行きませんが視野に入ってきたとは云えます。そして、もしも、このまま1日1記事の投稿ペースを維持すれば、来月半ば前には1150記事に到達することも出来るように思われます。年内に無事1150記事に到達しましたら、いくらかは記事を作成、投稿しますが基本的には、しばらく記事作成を休もうと思います。
この時点においては未だ尚早であるのかもしれませんが『ブログは1000記事を越えてからが本番だ。』といった意見がありますが、これに関して自身は、その後100記事以上を越えていることから『ブログの本番とは何か?』については多少理解出来たのではないかとも思われるところですが、実際のところは何一つそうした感覚はなく、ただただ毎日何かしら書き続け、その中で時折、比較的多くの方々に読んで頂ける記事、あるいは、ある程度の期間にわたって読み続けて頂ける記事が出てくるといった感じです・・(笑)。
とはいえ、目標としていた1000記事の後に、さらに100記事以上作成し続けることが出来たことに関しては『まあ、そのくらいのことは出来るのだな・・。』といった感覚、そしてまた、体力と時間さえあれば2000記事くらいまでは続けることが出来るような感覚は自然に生じてくるようです・・。しかし、それでも自身にこうした文章を作成する才能があるとは、どうしても思われないのです・・(苦笑)。
そして、ここで『才能』というコトバが出てきましたが『では、私の才能あるいは取り柄は一体何であろうか?』と考えてみますと、他者評価による整合性を得ることが出来ていないため明言することは差し控えますが『やはり歴史や文学などをさまざまな手法を用い他者に対し口語ベースで語ること』ではないかと思われるのです・・。
これに関しては、おそらく、いくらかの素地のようなものはあり、そしてそれ以上に、その後の師匠筋が良かったのではないかと思われます。ともあれ、そのようなことから、私が自分の『才能』を生かしつつ努力し続けることの出来る職に就くことが出来るとすれば、その職は、何らかの医療専門職学科にて、その専門職領域と関連する歴史、文学などを複合させた教養科目を担当することではないかと思われます。くわえて、それと同時にさまざまな材料による試料の作成、そして就職支援などで、わずかではあるかもしれませんが寄与することが出来るようにも思われます。そして、こうした職をいくつかの大学にて(季節毎に)クロスアポイントメントで行うことが出来るようになれば、大変面白いのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?
しかし、何れにせよ社会の成立そしてその発展のためには、もちろん科学技術は極めて重要であるのですが、それと同程度に、こうした『歴史や文学』もまた重要であることを、本格的に忘れかけてきているのが現在の我が国社会であり、また、それをどこかで認めているからこそ、昨今、さまざまなモノガタリ・アニメなどでタイムループ・転生ものが流行するのでしょうが、しかし、それらモノガタリ・アニメは、本当の『歴史や文学』を面倒くさい、堅苦しいものとして踏みにじり続けてきた我が国の社会が、その代替として生み出し、興隆したものであることから、それらから『歴史や文学』のエッセンスを学ぶことはおそらく不可能ではないかと思われるのです・・。
また、そうした状況に対し開き直り、そして半ばヤキになっているのが、昨今の我が国に見受けられるさまざまな国粋風の文化・活動ではないでしょうか?・・・いや、しかし、そのように考えてみますと、こうしたことは幕末期、昭和初期からも、現在と類似・同様の構造が見えるのではないかとも思われてきますが、さて、如何でしょうか?
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
この時点においては未だ尚早であるのかもしれませんが『ブログは1000記事を越えてからが本番だ。』といった意見がありますが、これに関して自身は、その後100記事以上を越えていることから『ブログの本番とは何か?』については多少理解出来たのではないかとも思われるところですが、実際のところは何一つそうした感覚はなく、ただただ毎日何かしら書き続け、その中で時折、比較的多くの方々に読んで頂ける記事、あるいは、ある程度の期間にわたって読み続けて頂ける記事が出てくるといった感じです・・(笑)。
とはいえ、目標としていた1000記事の後に、さらに100記事以上作成し続けることが出来たことに関しては『まあ、そのくらいのことは出来るのだな・・。』といった感覚、そしてまた、体力と時間さえあれば2000記事くらいまでは続けることが出来るような感覚は自然に生じてくるようです・・。しかし、それでも自身にこうした文章を作成する才能があるとは、どうしても思われないのです・・(苦笑)。
そして、ここで『才能』というコトバが出てきましたが『では、私の才能あるいは取り柄は一体何であろうか?』と考えてみますと、他者評価による整合性を得ることが出来ていないため明言することは差し控えますが『やはり歴史や文学などをさまざまな手法を用い他者に対し口語ベースで語ること』ではないかと思われるのです・・。
これに関しては、おそらく、いくらかの素地のようなものはあり、そしてそれ以上に、その後の師匠筋が良かったのではないかと思われます。ともあれ、そのようなことから、私が自分の『才能』を生かしつつ努力し続けることの出来る職に就くことが出来るとすれば、その職は、何らかの医療専門職学科にて、その専門職領域と関連する歴史、文学などを複合させた教養科目を担当することではないかと思われます。くわえて、それと同時にさまざまな材料による試料の作成、そして就職支援などで、わずかではあるかもしれませんが寄与することが出来るようにも思われます。そして、こうした職をいくつかの大学にて(季節毎に)クロスアポイントメントで行うことが出来るようになれば、大変面白いのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?
しかし、何れにせよ社会の成立そしてその発展のためには、もちろん科学技術は極めて重要であるのですが、それと同程度に、こうした『歴史や文学』もまた重要であることを、本格的に忘れかけてきているのが現在の我が国社会であり、また、それをどこかで認めているからこそ、昨今、さまざまなモノガタリ・アニメなどでタイムループ・転生ものが流行するのでしょうが、しかし、それらモノガタリ・アニメは、本当の『歴史や文学』を面倒くさい、堅苦しいものとして踏みにじり続けてきた我が国の社会が、その代替として生み出し、興隆したものであることから、それらから『歴史や文学』のエッセンスを学ぶことはおそらく不可能ではないかと思われるのです・・。
また、そうした状況に対し開き直り、そして半ばヤキになっているのが、昨今の我が国に見受けられるさまざまな国粋風の文化・活動ではないでしょうか?・・・いや、しかし、そのように考えてみますと、こうしたことは幕末期、昭和初期からも、現在と類似・同様の構造が見えるのではないかとも思われてきますが、さて、如何でしょうか?
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祝増刷決定!
ISBN978-4-263-46420-5
医歯薬出版株式会社刊
~勉強会の御案内~
~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
~勉強会の御案内~
前掲書籍の筆頭著者である師匠による歯科材料全般、あるいはいくつかの歯科材料を主題とした勉強会・講演会の開催を検討されておりましたら、よろこんでご相談承ります。師匠はこれまで長年にわたり大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験より、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。
*上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談承ります。
conrad19762013@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!
数年前より現在までに日本列島各地・特に西日本において発生した、さまざまな大規模自然災害により被害を蒙った地域の速やかな復旧そして、その後の復興を祈念しています。

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20181121 徳島在住以降初めての新たな著作の読了から思ったこと・・
昨日乗っていた夜半の大阪発徳島行のバス車内にて、去る9月23日に徳島への転居以来はじめて購入し読み続けていた書籍(上巻)を読了しました。この著作は上下巻ものであり、本日より続きの下巻を読み進めていこうと思いますが、同時に徳島にて初めて新たな書籍を読了したことは、多少嬉しく感じます。
これは単なる個人的な偏見であるのかもしれませんが、書籍などを読みに際しては、あまり人口の多くないゆったりとした環境よりも、多少人口密度が高く、不快に思うか思わないかの瀬戸際あたりの環境の方が、集中して読むことが出来るように思われます。また、私はかねてより書籍を読むことは、どの地域に在住していても続けていたことから、読書時の環境については、それなりに考えてきたと云えますが、面白いことに、昔からあまり変わらない自分の習性として、首都圏に入ると書籍を読むスピードが有意に速くなります。
そして、この感覚あるいは現象をこれまで繰り返し感じてきたことから、さきに述べた『多少人口密度が高く、不快に思うか思わないかの瀬戸際あたりの環境の方が、集中して読むことが出来る』といった考えに至ったと云えますが、しかし他方で、自分の場合、より多くの書籍を読んだのは和歌山在住時であり、また(自分なりに)気合を入れてさまざまな書籍・論文等を読んだのは鹿児島在住時の頃でした。
そこから、あまり人口密度の高くない地方都市在住の時期であっても、それなりに多くの書籍を読んできたとは云えるのですが、ここで現在と異なることは、明確な目標の有無、そしてその目標への道程から、つかの間、自分を逃避させるための何かの存在といったことになります。つまり、当時の自身は目標を意識している時も、そこからの逃避をしている時も読書をしていたということになります。そして現在においては、自分で思い定めた学位の取得といったある程度重い目標はなく、それ故、そこからの逃避もまた必ずしも不可欠ではないことから、現今における読書は、見方によれば、自分のニュートラルな本質を示しているとも云えるのかもしれません・・。
それでも、仕事上での必要性以外で、毎日何らかの書籍は少なくとも何頁かは読んでいますが、徳島在住以降の全く新たな書籍の読了は、今回のこの著作であり、また、私見としてはこの著作は同著者前作の『サピエンス全史』と同様、かなり面白く感じられ、特に頁が進むにつれて、読み進む速度が増し、そして夜半いや真夜中といっても良い24時少し前の高速鳴門あたりのバス車内にて、この著作を読みおえた時は何やらよく分からない感慨が生じました(笑)。さらにそのすぐ後に、このバスが高速鳴門の停留所にとまり、ドアが開きますと、何やらベートーベンの第九交響曲のサビが聞こえてきました・・。書籍を読了した直後の余韻に耽っていた自分は、当初これを幻聴ではないかと思いましたが、よくよく考えてみますと、以前にもバスがこの停留所に停まった時も、同じ曲が流れていたことが思い出され、そこから、これは幻聴でなく、映画『バルトの楽園』で知られる坂東俘虜収容所がこの付近にあったことに因む選曲であることに気が付かされました・・。あまり知られていることではありませんが、我が国で最も著名と云っても過言ではないクラシックの楽曲ベートーベンの第九交響曲が日本で、いやアジアで初めて全曲演奏されたのは、ここ徳島県の鳴門市(かつては板野郡)であるのです・・。くわえて、それは今から丁度100年前、第一次世界大戦が終結した年(1918年)のことです。
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
これは単なる個人的な偏見であるのかもしれませんが、書籍などを読みに際しては、あまり人口の多くないゆったりとした環境よりも、多少人口密度が高く、不快に思うか思わないかの瀬戸際あたりの環境の方が、集中して読むことが出来るように思われます。また、私はかねてより書籍を読むことは、どの地域に在住していても続けていたことから、読書時の環境については、それなりに考えてきたと云えますが、面白いことに、昔からあまり変わらない自分の習性として、首都圏に入ると書籍を読むスピードが有意に速くなります。
そして、この感覚あるいは現象をこれまで繰り返し感じてきたことから、さきに述べた『多少人口密度が高く、不快に思うか思わないかの瀬戸際あたりの環境の方が、集中して読むことが出来る』といった考えに至ったと云えますが、しかし他方で、自分の場合、より多くの書籍を読んだのは和歌山在住時であり、また(自分なりに)気合を入れてさまざまな書籍・論文等を読んだのは鹿児島在住時の頃でした。
そこから、あまり人口密度の高くない地方都市在住の時期であっても、それなりに多くの書籍を読んできたとは云えるのですが、ここで現在と異なることは、明確な目標の有無、そしてその目標への道程から、つかの間、自分を逃避させるための何かの存在といったことになります。つまり、当時の自身は目標を意識している時も、そこからの逃避をしている時も読書をしていたということになります。そして現在においては、自分で思い定めた学位の取得といったある程度重い目標はなく、それ故、そこからの逃避もまた必ずしも不可欠ではないことから、現今における読書は、見方によれば、自分のニュートラルな本質を示しているとも云えるのかもしれません・・。
それでも、仕事上での必要性以外で、毎日何らかの書籍は少なくとも何頁かは読んでいますが、徳島在住以降の全く新たな書籍の読了は、今回のこの著作であり、また、私見としてはこの著作は同著者前作の『サピエンス全史』と同様、かなり面白く感じられ、特に頁が進むにつれて、読み進む速度が増し、そして夜半いや真夜中といっても良い24時少し前の高速鳴門あたりのバス車内にて、この著作を読みおえた時は何やらよく分からない感慨が生じました(笑)。さらにそのすぐ後に、このバスが高速鳴門の停留所にとまり、ドアが開きますと、何やらベートーベンの第九交響曲のサビが聞こえてきました・・。書籍を読了した直後の余韻に耽っていた自分は、当初これを幻聴ではないかと思いましたが、よくよく考えてみますと、以前にもバスがこの停留所に停まった時も、同じ曲が流れていたことが思い出され、そこから、これは幻聴でなく、映画『バルトの楽園』で知られる坂東俘虜収容所がこの付近にあったことに因む選曲であることに気が付かされました・・。あまり知られていることではありませんが、我が国で最も著名と云っても過言ではないクラシックの楽曲ベートーベンの第九交響曲が日本で、いやアジアで初めて全曲演奏されたのは、ここ徳島県の鳴門市(かつては板野郡)であるのです・・。くわえて、それは今から丁度100年前、第一次世界大戦が終結した年(1918年)のことです。
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2018年11月19日月曜日
20181118 照葉樹林文化の縄文、弥生時代の共通、連続性と銅鐸
一昨日投稿分の記事にて述べた『照葉樹林文化』の中に柑橘類の栽培といった特徴があり、それにより、一昨日、昨日投稿分記事はまとめることが出来ます。
さて、以前に当ブログにて述べたことですが『照葉樹林文化』は中国南部、東南アジア北部地域そして西日本、朝鮮半島南部にて多く見受けられる生活文化であり、さきの柑橘類の栽培の他にはすぐに思い付くものだけでも、養蚕、漆の利用、味噌・納豆など大豆を原料とした発酵食品、蒟蒻といったイモの中に含まれるマンナンという成分を固めた食品、芋・穀類と肉・魚などを交互に積層し発酵させた『なれずし』の存在、喫茶の習慣、餅など粘性の強い食品の愛好、小豆に邪霊を祓う力があるといった考え、鵜を用いて漁業を行うこと、などが挙げられます。
また、水稲耕作も照葉樹林文化に含まれるのですが、水稲耕作は,この文化体系の中においては、さまざまな知識・技術が複合・集約化された高度なものであり、そこから、その年代的な起源は比較的新しいと云えます。
しかし、であるからといって日本列島に水稲耕作が縄文時代晩期頃より波状的にもたらされたのと同時期に照葉樹林文化もまた我が国にもたらされたというわけでもなく、それ以前より雑穀、イモ類などの栽培は広く行われており、その中でも特に植生、気候風土がその文化発祥の地に近く、且つまた当時、列島内にて人口密度が希薄であった西日本は、その文化を受容するに好適であったと考えられます。
つまり、水稲耕作の列島流入以前より、我が国の縄文時代文化に紐付けされる照葉樹林文化が既に存在し、また、それ故に、類似あるいは同一の生活文化に属する水稲耕作も比較的容易に受容そして融合することが出来たのではないかということになります。
そして、こうした事情を背景として据えることにより、弥生時代の西日本水稲耕作社会における青銅祭器である銅鐸に、縄文土器に見られるものと同じ紋様が認められることの意味合いといったものを理解することが出来るのではないかと思われます。
しかし、その後、弥生時代から古墳時代への移行は、このような比較的平和裏と思しき背景でなく、もう少し血腥いものであったことを、さまざまな遺跡・遺物は示し、また、さきの銅鐸も、そうした様相を示す遺物の一つであると云えます・・。
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
さて、以前に当ブログにて述べたことですが『照葉樹林文化』は中国南部、東南アジア北部地域そして西日本、朝鮮半島南部にて多く見受けられる生活文化であり、さきの柑橘類の栽培の他にはすぐに思い付くものだけでも、養蚕、漆の利用、味噌・納豆など大豆を原料とした発酵食品、蒟蒻といったイモの中に含まれるマンナンという成分を固めた食品、芋・穀類と肉・魚などを交互に積層し発酵させた『なれずし』の存在、喫茶の習慣、餅など粘性の強い食品の愛好、小豆に邪霊を祓う力があるといった考え、鵜を用いて漁業を行うこと、などが挙げられます。
また、水稲耕作も照葉樹林文化に含まれるのですが、水稲耕作は,この文化体系の中においては、さまざまな知識・技術が複合・集約化された高度なものであり、そこから、その年代的な起源は比較的新しいと云えます。
しかし、であるからといって日本列島に水稲耕作が縄文時代晩期頃より波状的にもたらされたのと同時期に照葉樹林文化もまた我が国にもたらされたというわけでもなく、それ以前より雑穀、イモ類などの栽培は広く行われており、その中でも特に植生、気候風土がその文化発祥の地に近く、且つまた当時、列島内にて人口密度が希薄であった西日本は、その文化を受容するに好適であったと考えられます。
つまり、水稲耕作の列島流入以前より、我が国の縄文時代文化に紐付けされる照葉樹林文化が既に存在し、また、それ故に、類似あるいは同一の生活文化に属する水稲耕作も比較的容易に受容そして融合することが出来たのではないかということになります。
そして、こうした事情を背景として据えることにより、弥生時代の西日本水稲耕作社会における青銅祭器である銅鐸に、縄文土器に見られるものと同じ紋様が認められることの意味合いといったものを理解することが出来るのではないかと思われます。
しかし、その後、弥生時代から古墳時代への移行は、このような比較的平和裏と思しき背景でなく、もう少し血腥いものであったことを、さまざまな遺跡・遺物は示し、また、さきの銅鐸も、そうした様相を示す遺物の一つであると云えます・・。
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2018年11月18日日曜日
20181117 柑橘類について思ったとりとめのないこと・・
以前在住していた和歌山では、この時季になりますとスーパーなどの野菜、果実売り場にて蜜柑が多く置かれるようになります。それは普段柑橘類をあまり購入しない私でも自然に手を伸ばし購入するほどです。また、和歌山における蜜柑については以前にもブログ記事にて取り上げましたが、現在在住している徳島もまた、全国的に知られている酢橘をはじめ、蜜柑や柚子などの柑橘類の栽培が盛んです。
おそらく和歌山と同様、徳島も柑橘類の栽培に適した自然風土であるのだと思われます。とはいえ、もう少し視野を広げてみますと、同じ四国内においては、これまた蜜柑、伊予柑で有名な愛媛県があり、また高知県は柚子の栽培で知られています。
柚子のような比較的酸味の強い柑橘類は、どちらかというと沿海部ではなく、内陸部のいくらか標高が高い場所の方がよく育つように思われます。また、ここまで書いて思い出されたことは、以前、当ブログにて和歌山県の飛び地として取り上げた和歌山県東牟婁郡の北山村では『じゃばら』という柑橘類が多く栽培されていることです。その果皮・果実には花粉症などアレルギーに対する抑制物質が多く含まれているとのことであり、これは私が和歌山在住の頃はあくまでもローカルなハナシであったのですが、現在では首都圏のスーパー(比較的高級な)においても、その加工品(ポン酢、飴、ジュース、果汁・・)が販売されており、これに関しては多少隔世の感があると云えます・・(笑)。
ともあれ、この北山村も内陸部の比較的標高の高い、中山間地域と称されるところであり、この地にて栽培される『じゃばら』もまた柚子と同様、酸味の強い柑橘類です・・。自身の味覚の記憶を頼って書きますと『じゃばら』の方が柚子よりも若干柑橘類特有の苦みのようなものが強かったように思われます・・。感覚的ではありますが、おそらく、この苦みのようなものの中に、さきのアレルギーに対する抑制物質が多く含まれているのではないかと感じられます。
また、さきに述べた愛媛県と豊予海峡・豊後水道を挟んだ対岸の大分県においては『かぼす』の栽培が盛んであり、さらに九州各県においては、それぞれ地域特有の柑橘類が存在すると云えます。
そして、ここまで書いていて不図思い出したことは、蝶の幼虫は、その種類毎に食べる葉の種類も異なり、揚羽蝶は柑橘類、特に蜜柑の枝に卵を産み付け、孵化した幼虫はその葉を食べるというということです。
そうしますと、柑橘類の栽培が盛んな西日本各地に揚羽蝶も多いということになり、またそこから平家の家紋が揚羽紋であったことが想起されます。
治承寿永の乱の頃において平家は勢力基盤の多くが西日本にあり、他方源氏は関東地方を主とする東国を地盤としていたことから、平家の揚羽紋の発想は自然であると云えます。
また、ここからは多少蛇足になりますが、平家の最盛期を築いた当時、氏の長者であった平清盛が安芸国(現在の広島県廿日市市)の厳島神社を氏神として崇敬しましたが、後世、この地の野球球団が平家と同じ赤色を基調として、また同じくこの地から出たロックバンドの2001年にリリースされたミリオンセラー楽曲の題名が『アゲハ蝶』であったことは、何かしら因縁めいているとも思われるのですが、さて如何でしょうか?
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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おそらく和歌山と同様、徳島も柑橘類の栽培に適した自然風土であるのだと思われます。とはいえ、もう少し視野を広げてみますと、同じ四国内においては、これまた蜜柑、伊予柑で有名な愛媛県があり、また高知県は柚子の栽培で知られています。
柚子のような比較的酸味の強い柑橘類は、どちらかというと沿海部ではなく、内陸部のいくらか標高が高い場所の方がよく育つように思われます。また、ここまで書いて思い出されたことは、以前、当ブログにて和歌山県の飛び地として取り上げた和歌山県東牟婁郡の北山村では『じゃばら』という柑橘類が多く栽培されていることです。その果皮・果実には花粉症などアレルギーに対する抑制物質が多く含まれているとのことであり、これは私が和歌山在住の頃はあくまでもローカルなハナシであったのですが、現在では首都圏のスーパー(比較的高級な)においても、その加工品(ポン酢、飴、ジュース、果汁・・)が販売されており、これに関しては多少隔世の感があると云えます・・(笑)。
ともあれ、この北山村も内陸部の比較的標高の高い、中山間地域と称されるところであり、この地にて栽培される『じゃばら』もまた柚子と同様、酸味の強い柑橘類です・・。自身の味覚の記憶を頼って書きますと『じゃばら』の方が柚子よりも若干柑橘類特有の苦みのようなものが強かったように思われます・・。感覚的ではありますが、おそらく、この苦みのようなものの中に、さきのアレルギーに対する抑制物質が多く含まれているのではないかと感じられます。
また、さきに述べた愛媛県と豊予海峡・豊後水道を挟んだ対岸の大分県においては『かぼす』の栽培が盛んであり、さらに九州各県においては、それぞれ地域特有の柑橘類が存在すると云えます。
そして、ここまで書いていて不図思い出したことは、蝶の幼虫は、その種類毎に食べる葉の種類も異なり、揚羽蝶は柑橘類、特に蜜柑の枝に卵を産み付け、孵化した幼虫はその葉を食べるというということです。
そうしますと、柑橘類の栽培が盛んな西日本各地に揚羽蝶も多いということになり、またそこから平家の家紋が揚羽紋であったことが想起されます。
治承寿永の乱の頃において平家は勢力基盤の多くが西日本にあり、他方源氏は関東地方を主とする東国を地盤としていたことから、平家の揚羽紋の発想は自然であると云えます。
また、ここからは多少蛇足になりますが、平家の最盛期を築いた当時、氏の長者であった平清盛が安芸国(現在の広島県廿日市市)の厳島神社を氏神として崇敬しましたが、後世、この地の野球球団が平家と同じ赤色を基調として、また同じくこの地から出たロックバンドの2001年にリリースされたミリオンセラー楽曲の題名が『アゲハ蝶』であったことは、何かしら因縁めいているとも思われるのですが、さて如何でしょうか?
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2018年11月16日金曜日
20181116 ある地域の生活文化について述べようとして・・
以前に何度か当ブログにて述べたことではありますが、世界の様々な生活文化の中で、何らか・いくつかの要素が共通し、ある地域に見受けられることがあります。その卑近な例を一つ述べますと『箸を用いて食事を摂る文化は東アジア特有である。』といった感じです。
とはいえ、おそらくは蒸気・内燃機関の進化発展に端を発し、特に近代以降、国際的な人々の往来が盛んになり、その結果、人に付随するさきの生活文化も混淆し、そこから更に新たな生活文化の相が形成されているのが現代であると云えますが、それらの始原・オリジナルでは、ある地域においてのみ特有である生活文化が、まさしく土着のままで地域に根差していました。しかしあるいは、その状態もまた、さらに以前の時代における人々の往来による各種生活文化の混淆の結果、形成されたものであるのかもしれませんが、それでも、それは殆どの場合、蒸気・内燃機関の進化発展によりヒト・モノの輸送効率が急激に改善された後と比較しますと、より始原・オリジナルに近い状態を示していると云えます。
その意味において、我が国の近代化は19世紀後半以降であり、また、それ以前までの我が国の歴史、生活文化は始原からの有機的・緩徐的な文化の蓄積によって形成されており、対して19世紀後半から現在に至るまでの我が国の歴史そしてそれに付随する生活文化はジェット・コースターのように乱高下、あるいは活発に変化しているように思われます。また、そうであるからこそ、現在においてもなお、福沢諭吉、夏目漱石等からはじまり竹山道雄、丸山眞男、山本七平、大岡昇平、会田雄次、三島由紀夫、司馬遼太郎等の我が国社会に対する文章化された思想・思いなどを『生きたもの』として我々が知覚することが出来るのではないかと思われるのです・・。
しかし他方、彼等、近代以降の思想家・著述者等の文章を、まさに『生きたもの』として読むことが出来、さらに、それぞれの思想にピントを合わせて現在の我が国社会を眺めてみますと、そこから映ずるものは一体どのようなものであり、また、どのようにコトバにて表現され得るものなのでしょうか・・?
本来はこのようなペシミスティックな考えを述べるつもりではなく、この19世紀後半までの比較的ゆっくりとした歴史の積み重ねにより形成された我が国の地域における生活文化は、戦後しばらくまでは、おそらく地域に濃厚に残存しており、また、こうした身体感覚として認識出来る残存した生活文化と民俗学の書籍をある程度読み込むことを融合させることにより、その地域の生活文化そしてまた歴史をも深くまで知ることが出来るようになるのではないかと思われます・・。
もちろん、そのようなことは好きでなければ出来ませんし、いや、それ以前に、これまでの我が国のお家芸であった表層的な認識・真似による対外的な優等生ぶりが通用しなくなってきているのが(皮肉なことであるのか)各種機器の進化発展が著しい『現代』であるのかもしれません・・。
今回本当に述べたかったことは東アジア南部の主に内陸部を中心とした生活文化『照葉樹林文化』のことであり、不思議なことに、こうしたことは、首都圏在住時では感じることが出来なかったのですが、ここ徳島ではごく身近なものとして感じられるのです・・。こうした感覚は、読書の結果得たものなのでしょうか、それとも所与のものであるのでしょうか?
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
~書籍のご案内~
とはいえ、おそらくは蒸気・内燃機関の進化発展に端を発し、特に近代以降、国際的な人々の往来が盛んになり、その結果、人に付随するさきの生活文化も混淆し、そこから更に新たな生活文化の相が形成されているのが現代であると云えますが、それらの始原・オリジナルでは、ある地域においてのみ特有である生活文化が、まさしく土着のままで地域に根差していました。しかしあるいは、その状態もまた、さらに以前の時代における人々の往来による各種生活文化の混淆の結果、形成されたものであるのかもしれませんが、それでも、それは殆どの場合、蒸気・内燃機関の進化発展によりヒト・モノの輸送効率が急激に改善された後と比較しますと、より始原・オリジナルに近い状態を示していると云えます。
その意味において、我が国の近代化は19世紀後半以降であり、また、それ以前までの我が国の歴史、生活文化は始原からの有機的・緩徐的な文化の蓄積によって形成されており、対して19世紀後半から現在に至るまでの我が国の歴史そしてそれに付随する生活文化はジェット・コースターのように乱高下、あるいは活発に変化しているように思われます。また、そうであるからこそ、現在においてもなお、福沢諭吉、夏目漱石等からはじまり竹山道雄、丸山眞男、山本七平、大岡昇平、会田雄次、三島由紀夫、司馬遼太郎等の我が国社会に対する文章化された思想・思いなどを『生きたもの』として我々が知覚することが出来るのではないかと思われるのです・・。
しかし他方、彼等、近代以降の思想家・著述者等の文章を、まさに『生きたもの』として読むことが出来、さらに、それぞれの思想にピントを合わせて現在の我が国社会を眺めてみますと、そこから映ずるものは一体どのようなものであり、また、どのようにコトバにて表現され得るものなのでしょうか・・?
本来はこのようなペシミスティックな考えを述べるつもりではなく、この19世紀後半までの比較的ゆっくりとした歴史の積み重ねにより形成された我が国の地域における生活文化は、戦後しばらくまでは、おそらく地域に濃厚に残存しており、また、こうした身体感覚として認識出来る残存した生活文化と民俗学の書籍をある程度読み込むことを融合させることにより、その地域の生活文化そしてまた歴史をも深くまで知ることが出来るようになるのではないかと思われます・・。
もちろん、そのようなことは好きでなければ出来ませんし、いや、それ以前に、これまでの我が国のお家芸であった表層的な認識・真似による対外的な優等生ぶりが通用しなくなってきているのが(皮肉なことであるのか)各種機器の進化発展が著しい『現代』であるのかもしれません・・。
今回本当に述べたかったことは東アジア南部の主に内陸部を中心とした生活文化『照葉樹林文化』のことであり、不思議なことに、こうしたことは、首都圏在住時では感じることが出来なかったのですが、ここ徳島ではごく身近なものとして感じられるのです・・。こうした感覚は、読書の結果得たものなのでしょうか、それとも所与のものであるのでしょうか?
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~書籍のご案内~
祝増刷決定!
ISBN978-4-263-46420-5
医歯薬出版株式会社刊
~勉強会の御案内~
~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
~勉強会の御案内~
前掲書籍の筆頭著者である師匠による歯科材料全般、あるいはいくつかの歯科材料に焦点を当てた勉強会・講演会の開催を検討されておりましたら、よろこんでご相談承ります。師匠はこれまで長年にわたり大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験より、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。
*上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談承ります。
conrad19762013@gmail.com
2018年11月15日木曜日
20181115 歯科衛生士・歯科技工士のダブルライセンスのスタンダード化【案】
昨今、少子高齢化が加速する我が国においては各業種、より知識および材料集約的と云える医療・介護系業界参入への試みが多く見受けられる。また同様の情勢を他面より観察すると、高等教育において将来の就職、安定した生活を考慮し、医療分野に進むことを希望する高校生が増加している。この状況を背景として特に国内都市部において看護をはじめ医療系大学・学部・学科の新設が目立ち、また、医療専門職としての看護師の地位は、数十年前と比較し、確固としたものになったと云い得る。くわえて昨今より、在宅医療の更なる拡充も試みられ、その流れから今後、医療・介護職の更なる連携強化が必須と云える。それは歯科医療においても同様であり、就中、健康寿命の延伸にも寄与する『口腔ケア』そして、その実施の担い手である歯科衛生士の役割、および他の医療・介護職種との連携は極めて重要であると云える。しかしながら他方、歯科衛生士は慢性的な人材不足であり、これは歯科衛生士免許取得後の就職先の殆どが、零細企業とも云える歯科医院であり、さらに雇用主の歯科医師との関係という不確実な要素により、そのキャリアが多く決まってしまうといった事情に基づいていると考えられる。それ故、歯科衛生士の人材不足は今後も継続するものと考えられる。加えて、もう一つの歯科医療専門職である歯科技工士は、その業務内容の辛さから、以前よりなり手が減少し続け、更に近年のさまざまな切削加工技術(CAD/CAM、3-Dプリンターなど)の進化発展により、その職務内容も大幅に変容し、既存のカリキュラムでは現在の歯科技工業務に対応することが困難になりつつあると云える。こうした背景により、近年においては少なからぬ歯科技工士養成校が閉鎖・廃校に追い込まれている。しかし同時に我が国では歯科技工士法が存在し、海外にて安価に作成された歯科技工物【義歯・金歯など】は違法である。こうした問題を抱える歯科医療業界の現状であるが、これをいくらか改良する施策として、同じ基礎科目を複数持つ歯科衛生士・歯科技工士の養成課程を融合し、四年制ないしは五年の修学年限にて歯科衛生士と歯科技工士双方免許の受験資格を取ることを目的とした新たな学校【おそらく大学組織が適切】を設置することが挙げられる。歯科衛生士・歯科技工士のダブルライセンス取得により、歯科治療を行う歯科医師にとっては新たな心強いパートナーとなり、また社会からは確固とした医療専門職として認知され、そして治療を受ける患者さんからは安心できる歯科医療従事者と認識され、さらには今後縮小していく労働力人口に対しても、いくらかは寄与するものと考えられる。とはいえ、こうした意見は既存諸組織においては日常業務の大幅な変更を余儀なくされることから未だ多くの賛同を得るには至っていない。ともあれ、以上の件、あまり表立って取り沙汰されることはないものの、我が国将来の歯科医療を考える際、それなりに変革を要することであると思われますが、さて如何でしょうか?
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祝増刷決定!
ISBN978-4-263-46420-5
医歯薬出版株式会社刊
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前掲書籍の筆頭著者である師匠による歯科材料全般、あるいはいくつかの歯科材料にポイントを絞った勉強会・講演会の開催を検討されておりましたら、よろこんでご相談承ります。師匠はこれまで長年にわたり大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験より、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。
*上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談承ります。
conrad19762013@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!
数年前から現在までに日本列島各地・特に西日本にて発生した、さまざまな大規模自然災害により被害を蒙った地域の速やかな復旧そして、その後の復興を祈念しています。

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