2026年4月15日水曜日

20260415 日経BP社刊 黒川 清著「大学病院革命」 pp.179‐181より抜粋

日経BP社刊 黒川 清著「大学病院革命」
pp.179‐181より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 482224556X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4822245566

 現在の医療不信のベースにあるのは医療と患者の間のコミュニケーション不全にある、と申し上げました。そこから考えると、改革すべき重要な病院の機能があります。それは病院の広報システムです。
 現在、日本の病院の広報システムもあまりにお粗末です。医療事故がおき、テレビで記者会見が報道されますが、病院側は事実を隠蔽しようとするクセが抜けず、切羽詰まると今度は土下座。広報戦略としては、最悪のやり方をどこの病院もとっている、としかいえません。どんな情報をどう開示するのか、どうすれば病院のブランドを落とさず、患者や世間の信頼をかちとれるのか、それを考え、情報発信を実行できる広報専門の担当者が必要です。もちろん、最終的にはこうした広報戦略を束ねるのは病院の経営者である院長や理事長です。
 企業の場合、広報は社長直属になっており、先進的な企業の社長は自ら広報マンであることを自覚しています。それと同じような病院経営者の自覚とシステム作りが病院においても急務です。
 アメリカでは、医療事故があると、すぐに弁護士が飛んできます。夜中であろうが、経営者や関係スタッフが集まり、それぞれがやるべき仕事を分担します。取材を受ける人間を決めます。「対外的にどこまで話すべきか」「どういう観点で話すか」も議論します。同時に、院内委員会を調べ、事故について調査し、報告書をすぐにまとめます。それをもとに外部評価委員を集めて会議を開き、質問を受けます。
 東海大学で医療事故が起きたとき、私はアメリカの大学病院で学んだ広報体制をとってみました。でもこのような方法は日本の病院のあいだになかなか広まっていません。
 人の失敗から学ぶというのはとても大切です。ゆえに医療の安全についての講座や講義を医者や大学医学部の学生たちに対して行う必要があります。医療というのは100%確実ということがありません。だから「事故はある」という前提で、ふだんから備えておくべきなのです。病院でおきた過去のヒヤリハット事例を集めるとか、専門家を読んで話を聞く。無論、普段はもちろんいざというときの患者さんの家族との対応も欠かせません。患者さんの信頼を得るためには、何かあったときではなく、ふだんから情報発信をすることが大切です。
 医療事故は、いつだって起こりえる。ゼロにする努力を怠ってはいけませんが、ゼロになることはありえない、と考えるべきです。そういう教育をしながら、制度的なミスがどこにあるかという話を考え、分析し、改善し、透明性を保つ、広報する。病院側が意識と体制を変え、こうした対応がとれるようになれば、医療と社会の関係も改善し、医療不信を解消する方向に持っていくことは可能なはずです。

2026年4月12日日曜日

20260411 2440記事に到達して思ったこと:文章作成と記憶の励起

 直近の引用記事の投稿により、総投稿記事数が2440に到達しました。この数字からは、達成感よりも、これまでの継続期間をあらためて感じさせられます。また、これにより当記事を含め、残り60記事の更新により、現在目標としている2500記事に到達することが出来ます。60記事の更新は、毎日1記事の投稿であれば約2カ月間を要します。そして、2日に1記事の投稿であれば、約4カ月もの期間を要し、現在から起算しますと、夏真っ盛りの頃での到達となることが見込まれます。その頃、未だにブログ記事作成をしているのかと考えますと、正直なところ、少々滅入ってくるような感覚もありますが、元来、私にとってブログ記事の作成は、滅入るような性質のものではありませんでした。それにもかかわらず、ここに来て、そうした感覚があるということには、やはり10年以上にわたり、2400記事以上作成してきたことによる疲労のようなものが出てきているのだと思われます。そして、そうであるのならば、どこかで一度、当ブログのことを忘れるほどに休止することも、一つの選択肢であると考えられます。もっとも、そのためにも、現在掲げている2500記事という目標に、まずは速やかに到達しておくことが望ましいようにも思われます。そこから、本日も、先ほどより文章の作成を始めた次第ですが、先述の2440記事到達ということもあってか、ここまでは比較的速やかに書き進めることが出来ました。そういえば、今月に入ってからの投稿2記事「20260402 先日の久しぶりの紀伊田辺訪問から思ったこと」と「20260405 書籍の選択と文章作成とのバランスと、そこから生じるものについて」の投稿数日前に、2017年より毎年、些少ながらも支援させて頂いている医療系シンクタンクさまより、お礼と共に新年度分の支援額の領収書PDFファイルが添付されたメールを頂き、これに対する返信として、了解と領収書へのお礼を述べる文面に続き、前述の投稿2記事にて述べたように、書籍を複数分野のアカデミアの先生方にお送りし、その反応について簡潔にお伝えして結びました。これに対する返信はすぐにはありませんでしたが、その後、「20260405 書籍の選択と文章作成とのバランスと、そこから生じるものについて」の投稿翌日にお返事があり、書籍送付および反応についての情報を組織にて共有されたとのことでした。そこから「こちらのシンクタンクさまに当ブログを読まれている方がいらっしゃるのではないか?」と考え、勝手ながら少し緊張してしまいました(苦笑)。しかしながら、考えてみますと、これは特に驚くべきことでもなく、現時点での当ブログの閲覧者総数は115万人を超えていることから、そのようなことがあっても決して不思議ではないとも思われるのです。そうしますと、やはり今しばらくは、コンスタントなブログ更新を継続し、わずかではあれ、興味深く、我が国の社会に何かしら貢献し得る情報を発信していくことが良いのではないかとも思われるのです…。また、そのように考えますと、面白いことに、未だ文章化・発信出来ていない事が、まだまだ多くあるように思われてきます。あるいは、こうしてキーボードで文章を作成するという行為そのものが、過去の記憶を励起させ、それが最近での出来事や読書の記憶と化合することで、新たな文章の作成を可能にしているのかもしれません。換言しますと、文章作成という行為は、単に記録ではなく、記憶と経験を再編成する結節点として機能しているのだとも考えられます。今回、当初は2440記事到達の勢いで始めましたが、結果として、比較的自然に文章作成の流れに入ることが出来たように思われます。そして、おそらくは、この状態に入ることが、継続において、とても重要なことなのであるとあらためて思われました。ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

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2026年4月6日月曜日

20260405 書籍の選択と文章作成とのバランスと、そこから生じるものについて

 相変わらず現在も数冊の書籍を読み続けていますが、そのうちの一冊である人類学を題する著作は、難解と思われるところが少なからずありますが、興味の方が強いことから、比較的好調に読み進み、半分以上にまで至りました。年齢を重ねますと、読むことが出来る書籍が以前よりも少なくなっているように感じられ、あるいは、読書以前の興味や好奇心と云ったモチベーションが、以前よりも減衰したように感じられます。それでも、ある程度興味を持ちつつ読み進めることが出来る書籍があることには安心させられます。そして、そうした興味・好奇心は、書店での立ち読みと云う、身体性を伴う行為により、更新・昂進される性質があると考えます。このことは、2020年から1~2年間続いたコロナ禍の際に痛感しました。しかし、その一方で、同年1月から開始したエックス(旧ツイッター)で得られる新刊をはじめとする書籍の情報もまた、興味深く有益であり、私の場合、2020年以降の状況(コロナ禍・エックスの開始)により、書籍選択の様相が変化したと云い得ます。また、エックスでのポストをしばらくの期間、読み続けていますと「こちらの方は、この本を読まれると面白いのでは…?」と考えることが度々生じるようになり、また同様に、対面での会話においても、そのように考えることが増えるようになりました。そうしたことから、一月ほど前、ある歯学分野の先生に「おそらく、先生はこちらの本を興味深くお読み頂けると思います。」と申し添えて、ある著作をお渡ししたところ、つい先日「おお、あの本良かったぞ、良いことが書いてあった。」とのご感想を頂きました。こちらの先生は、人を褒めることは多くないことから「あるいは、私の読みが当たったのでは…?」と思われました。また、直近投稿の「先日の久しぶりの紀伊田辺訪問から思ったこと」内で述べました「(和歌山での勉強会を)主催されている先生が、今春より、同じ和歌山市内に立地する四年制大学看護学部の教養科目を担当(兼任)されるとのご報告を頂き」の先生より「何か事前の参考になりそうな書籍があれば教えて欲しい」とのご要望を受け、手持ちで参考になりそうな書籍を数冊まとめて、つい先日、レターパックにて投函したことも思い出され、そこから、いくつかの異なる分野のアカデミアの方々から、書籍選択についての評価を頂けたことは、我がことながら印象深かったです…。また、そこから、鹿児島での歯科理工学の師匠が退職された後、戻られた師匠のご自宅に度々、書籍などをお送りしていたことが思い出されました。当時の私は現在よりも、かなり多く書籍を読んでいました。しかし一方で、こうした文章を作成することは出来なかったとも思われます。あるいは、既にそうした資質はあったのかもしれませんが、実際にそうした内容を文章として表して(著して)公表するという、継続を要する身体性の獲得が為されていなかったため、やはり、作成することは出来なかったと云えます。その意味で、その十数年後に、書籍の選択について、複数分野の先生方から評価されたことは、その十数年のうちの多くの期間、当ブログを継続してきたことが、何かしら効いているのではないかとも思われるのです…。そしてまた、多少不遜ながらも、こうしたことは、金銭的価値は乏しいのかもしれませんが、他方で、そこまで簡単なことでもなく、また、誰にでも出来るわけではないようにも思われるのですが、実際のところはどうなのでしょうか?ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2026年4月2日木曜日

20260402 先日の久しぶりの紀伊田辺訪問から思ったこと

  先週は3/28㈯午前に家を発ち、関空に午後2時頃到着し、そこから日根野駅で特急くろしお号に乗り換えて、紀伊田辺まで行きました。到着は16:30過ぎであり、そこから徒歩で闘鶏神社に向い、当初の予定通りに参拝や所用を行い、安心した心地で紀伊田辺駅まで徒歩で戻ることにしました。さて、以前から当ブログで述べたように、私は今世紀初年から3年間、紀伊田辺の南に隣接する西牟婁郡白浜町に在住しており、そこでの休日は、度々、自動車や自転車で、ここ紀伊田辺を訪れていたことから、その街並みは、鮮明に記憶に残っていますが、かなり久しぶりに訪問した紀伊田辺の駅前の街並みは、和歌山市のぶらくり丁のようにシャッター街化が進み、私が知る往時の「活気があるコンパクトな地方都市」といった趣は、かなり減衰していました。他方、南紀白浜在住当時から知っている、古くからのお店で、現在も元気に営業されているところも点々とありました。その一つが地域を代表する銘菓と云える「辨慶の釜」や「デラックスケーキ」で知られる「鈴屋」さまであり、駅への帰路の途中に立ち寄らせて頂き、翌日の和歌山市での勉強会の際に、出席される方々に供するお菓子として適切であると考え、こちらの店舗のみでしか購入出来ない、さきのデラックスケーキの切れ端を商品化した「はしっ子」を一人で購入可能なだけ購入させて頂きました。そして、翌日の勉強会の際に出しましたところ、好評であったことから、今回の足を延ばしての紀伊田辺訪問はわずか2時間ほどでしたが、充実したものになったと云い得ます。また、勉強会では、出席された、かつて院生であった先生方や、当時からの先生の研究の現況や課題などを共有させて頂き、こちらも充実したものになりました。この勉強会は、知る限り、2012年から毎年、半年毎に開催されており、私は概ね参加させて頂いていますが、その規模は大きくもならず、小さくもならずに継続しています。また、2015年に開始した当ブログにおいても、当勉強会について度々言及しており、私見としては、博士課程修了後の知的好奇心や自意識が干上がらず、あるいは破綻せずに、これまで、どうにか生き永らえることが出来た一つの要因であると考えています。そして、今回の勉強会においては、主催されている先生が、今春より、同じ和歌山市内に立地する四年制大学看護学部の教養科目を担当(兼任)されるとのご報告を頂き、それが、当ブログと連携しているエックス(旧ツイッター)での、つい数週間前(3/16)の私の投稿内容とも被るものであったことから、何とも不思議な感じを受けました。また、我田引水ながら、それとも関連して、和歌山市は、大都市である大阪府と隣接して、人口流出が続きながらも、独自の歴史的背景や文化を持つ地方都市であり、現代の都市的な悪影響が相対的に乏しい環境であり、それこそ、医療系の新大学・学部などの立地には適しているのではないかと思われるのです。このことは、ここ十年ほど、和歌山市での新大学・学部の設置の様子を観察して、あらためて理解出来たことであり、あるいはこの先も、こうした流れがしばらく続き、そしてその先には、現今、人文系主体である当地の国立大学法人運営の大学の学部構成にも変化が生じるのこともあると思われるのです。具体的には、口腔保健学科や管理栄養学科を擁する医療系の新学部の新設であったり、あるいは、他の老舗医療系大学との共同出資・運営にて、和歌山市内あるいは、それこそ、さきの田辺市内(臨床実習先となる医療機関は地域内に複数あります)に医療系の専門職大学が新設されると良いのではないかと思われるのです。そして、そうしたスタイル、つまり、欧米文化の真似ではない、我が国なりのSTEM教育を行い、そこにArtの要素を加えた、総合的なSTEAM教育が、今後の我が国に再び、盛運をもたらすのではないかとも思われるのですが、さて、実際のところはどうなるのでしょうか…。ともあれ、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。


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2026年3月29日日曜日

20260328 言葉の二重構造と記号接地問題

 昨今の世界情勢を俯瞰しますと、我々は一種の奇妙な二重性に直面しているように感じられます。表層においては、ポリティカル・コレクトネス(PC)の浸透により、言葉はかつてなく穏健で配慮に満ちたものとなりました。しかし、その言葉が示す現実の方は、暴力の行使が常態化し、社会的対立はむしろ悪化の一途を辿っているように思われます。この言語と実相との乖離は、単なる政治的修辞の問題ではなく、我々の精神構造の深刻な変容を示唆しているのではないかと思われます。そして、その核心にあるのが、言葉の「接地の喪失」という事態であると考えます。本来、言葉は、物理的現実や身体的経験に接地したものでした。「戦争」という語は具体的な死を、「動員」は身体の強制的な移動を、それぞれ直示的に含意していました。また、正義や信仰といった抽象的な理念語であっても、それは個人の実存を賭けた行為と不可分であり、そうした言葉を発することは、そのまま何らかの代償を伴う行為への入口を意味していました。しかし、近代化に伴う合理化と制度化の過程で、言葉は行為から切り離されていき、言葉が、現実を指し示すものではなく、制度内部で操作される「概念」へと変化すると、第一段階の浮遊が生じました。さらに、とりわけ現代において、かつての統合的な価値体系、いわゆる「大きな物語」が失効すると、理念語は依って立つべき実体を喪失します。歴史観や使命感に代わり、理念語は自らの立ち位置を表明するための「記号」へと変容しました。そして言葉は現実を動かす倫理ではなく、自己像を補完するための道具となったのです。この状況を理解する上で重要であるのが「記号接地問題」の視点であると考えます。本来、記号は物理的実体を示すことで意味を成しますが、現代社会における記号とは、往々にして他の記号のみを参照する自己完結的なループに陥っていると考えます。例えば「抑止力」や「安定化」といった言葉からは、もはや、具体的な破壊や個別の死を直接的には想起させません。それらは政策体系内部で機能する抽象語であり、身体的経験からは断絶しています。つまり、記号は現実の事象ではなく、記号体系の内部で完結されているのです。そして、この接地喪失は、暴力の不可視化とも密接に関連していると考えます。現代の暴力とは、当事者でない限りは、往々にして数値・言語化されたデータとして処理され、画面上で完結されてしまいます。そして、こうした事態に対応して言語も抽象化されて、むしろ暴力を隠蔽するための修辞として機能するようになります。ここで生じるのが、言葉の「無人称化」です。言葉が身体性から遊離しますと、そこには責任を負うべき主体としての「私」が不在となります。そして、ここで興味深い事実は、言葉が現実から遊離しているにもかかわらず、倫理的な語彙だけは増殖を続けている点です。平和や人権、多様性といった言葉が頻繁に語られることで、社会は一見すると道徳的に洗練されたかのように見えます。しかし、その多くは現実の困難さとは関係のない「空虚な理念の言葉」です。この状態こそ、言葉の接地喪失がもたらした現代的ニヒリズムの典型であると考えます。こうして接地をなくした言葉は、無害であると同時に無力です。それは誰も傷つけませんが、現実を変える力も持ち得ません。そこでは言葉は行為の起点ではなく、むしろ行為を遅延させる装置として機能します。つまり、現代社会とは、善に基づく良い言葉が氾濫する「表層」と、暴力が躊躇なく行使される「深層」という二重構造の上に成立しているのだと云えます。言葉が平和を語るその傍らで、現実では情け容赦のない闘争を遂行するという、この乖離こそが、現代社会の根源的な精神的緊張を形成しているのではないかと思われます。そこから、我々が直面している危機の本質とは、暴力そのもの以上に、言葉が、現実を指示する機能を失い、意味や重みを喪失している点にあると考えます。そして、もし、言葉に再び意味や重みを取り戻す方法があるのだとすれば、それは言葉を再度「交換不可能な身体」に結びつける試み以外にはないと考えます。統計上の数値ではなく「一人の死」を語ること、あるいはシステム内部での最適解ではなく、自らの存在に依拠した主張をすることです。言葉が再び現実に接地しますと、同時にそれは我々に痛みや責任を強いるものへと変貌します。しかし、その痛みこそが、我々が、この現実を記号としてではなく、身体を持つ人間である唯一の証であると思われるのですが、さて、実際のところはどうなのでしょうか?ともあれ、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。

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2026年3月27日金曜日

20260327 2500記事到達に向けた出口戦略について

 あまり良い区切りではありませんが、前回の記事投稿により、総投稿記事数が2435に到達していました。そして、現在、目標としている2500記事到達まで、今回の投稿を含み、65記事の更新を要することになりますが、これは概ね2日に1記事の投稿頻度として考えますと、130日、つまり4カ月と10日近くとなり、現在からですと、8月初旬頃になることが見込まれます。しかし、今から盛夏まで、2日に1記事での更新を継続すると想像しますと、少し気が滅入ってきますが、他方で、目標までダラダラと継続するのも、あまり身が入らないと思われますので、やはり、目標までは、出来るだけ速やかに到達するように、どこかで意識することが重要であるように思われます。
 しかし、当ブログは開始から3年間ほどは、ほぼ毎日、記事更新を行っており、1000記事に到達したのは、開始から3年目の2018年でした。また、その当時の、ブログ記事作成が生活の多くを規定していたような熱量に比べますと、現在の私はどこか冷めてしまっているのかもしれません…。そして、その後もどうにか当ブログは続いて、冒頭にて述べましたように、直近で2435記事までの到達となりました。とはいえ、相変わらず記事作成への意欲は湧かず、むしろ「まだ休止期間中なのだから、更新しなくても良いのでは…」といった考えの方が先に出てきます…(苦笑)。
 そして、そうした内面でありつつも、新たに記事作成をしていることには矛盾も感じられますが、このような「分かっちゃいるけど止められない…。」と云った感覚は、理性での制御が困難になるほどに、ブログ記事の作成と云う行為が浸透している顕われであり、これはむしろ、これまでのブログ継続に伴う、ある種、健全な「業」であるとも云えますので、この調子を自然に維持しつつ、出来れば、本格的な夏に入る前に2500記事まで到達出来れば良いと思います。そして、2500記事まで到達出来ましたら、一度、当ブログからしばらくの期間離れたいと考えています。
 そうしたことから、これからの出口(2500記事到達)に向けた展望を少し具体的に考えてみますと、先ず、現在は3月下旬ですが、ここから盛夏を迎える前の7月上旬での目標到達と設定しますと、残り65記事を約100日間で作成することになります。まず来る4月では、更に20記事以上の更新を目指し、総投稿記事数では2455を目指します。続く5月では、GWなども利用しつつ、更に20記事以上の更新を目指し、2475~2480を目指します。そして続く6月では、そこからさらに20記事以上の更新を行い、出来るだけ6月内での2500記事を目指し、出来なければ、7月にまで延長します。そして2500記事まで(どうにか)到達出来ればと考えていますが、果たしてことは、そこまで上手く運ぶのでしょうか…?また、以前にも何度か述べたことではありますが、当ブログの下書きは、さまざまな状態・出来のものを合わせて300記事以上あります。それらは、作成途中の素材のようなものであると云えますが、それらのなかで、多少加筆をすれば、ブログ記事として投稿出来るようなものは60記事近くはあるのではないかと思われます…。そのため、今後、そちらの掘り出しと加筆にも注力したいところですが、あるいは、その中には、適度に忘れていて熟成しているのも少なからずあるのではないかとも思われます。そして、かつて作成したした断片の文章が、現在の視点と重なることで、何らかの面白い「化学反応」が生じることもあるかもしれません。そうしたことも一つの楽しみとして、今しばらく当ブログの更新を継続します。
ともあれ、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。

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2026年3月24日火曜日

20260324 読んでいる書籍からはじまり、2020年以来の伏線

 以前から引き続き、現在も何冊か書籍を読み進めていますが、そのうちの一冊は、新書であるのですが、これまであまり読む機会がなかった人類学分野の著作であり、さらに、当著作内では、さまざまな分野からの事例の提示や言及などが為されていることから、述べられている内容を速やかに理解しつつ、読む進めることは困難であり、そのため、読む進める速度は、普段よりも有意に遅いのですが、それと同時に、出て来る用語の意味などをネット検索や検討をしつつ読み進めることは、それなりに楽しいとも云えます…。未だ全体の三分の一程度までしか読み進めていませんが、今週末にまた、少し集中的に読み進めたいと考えています。そういえば、今回のように、適当に書き始めたブログ記事の場合、当初から伝えたいと考えていた内容から離れていってしまい、次第にそれを忘れてしまうおそれがあると以前の投稿記事にて述べましたが、今回においても同様であり、書き出しにて、現在読み進めている書籍について述べましたが、その次には、昨年末そして今年初旬での経験から考えていたことについて述べたいと思います。そして、それを述べる前に、去る2023年3月の投稿記事にて「将来のビジョン」として、当ブログを含めた文章の作成を継続しつつ、西南日本(中・四国・九州)の医療系を主とする大学に定期的に訪問、取材させて頂き、月に数本の記事を作成する、おそらくは広報に分類されるようなパートの仕事に就きつつ、さらに先方大学さまの要望をお聞きして、特別講義の講師となる先生の選定や、当初の交渉などを行ったり、あるいは東京・首都圏での就職を希望される学生さんが、さらに能力を伸ばすことが出来そうな就職先医療機関などの選定や見学の交渉なども出来るのではないかとも思われます。こうした仕事は、首都圏に戻った2020年から検討はしていましたが、当時は新型コロナ禍の真っ只中であったことから、そのことを現実に行動に移すことは非常に困難な状況でした。そして、それが徐々にボンヤリとしてしまっていたところ、昨年末に歯科理工学の師匠から「お前はこの先何になりたいんや?」と尋ねられ、さらに人文系の師匠には、今年に入ってから、さきの希望する仕事内容を会話の中でお伝えしたところ「うーん…」といった感じで良いとも悪いとも仰らずに何やら考えられていました。察するに、そうした仕事とは「JREC-IN」にもないことから「どうなのだろうか…?」となったのではないかと思われますが、たしかに、そうした求人は、おそらく、これまではなかったのでしょうが、昨今、時代は大きく変化しつつあります。そして、そのなかで首都圏と立地地域の双方から大学についての情報を発信することは、おそらく当初は、特に金銭的利益は生じないかもしれませんが、そうしたことをある程度の期間継続していますと、また何らかの新たな・悪くない変化が生じる契機になることもあると考えます。そして、このことは2020年から考えておりながらも、あまり明瞭に言語化することは出来ていませんでしたが、ここで、そのことをまた以前よりも多少明晰に、言語化することが出来ました。ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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