2023年10月3日火曜日

20231003 株式会社河出書房新社刊 ウンベルト・エーコ著 和田 忠彦監訳 石田 聖子・小久保 真理江・柴田 瑞枝・高田和弘・横田さやか 訳「ウンベルト・エーコの世界文明講義」 pp.91-94より抜粋

株式会社河出書房新社刊 ウンベルト・エーコ著 和田 忠彦監訳 石田 聖子・小久保 真理江・柴田 瑞枝・高田和弘・横田さやか 訳「ウンベルト・エーコの世界文明講義」
pp.91-94より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309207529
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309207520

当然ながら、没個性化した世界は、前衛主義のこの挑発に、キッチュをとおしてたちむかうことしかできない。キッチュとはすなわち、見せかけの芸術である。こうしてわたしたちは、童話的キッチュ、聖なるキッチュのほか、ファシズム期に出現した、キッチュと前衛芸術の合いの子が残された。

 キッチュは多種多様だ。キッチュを悪趣味ととらえることもできる。小人の庭飾りや、なかでオロパの聖母像に雪が降る、半円状のガラスの置物などがいい例だ。だが、グイド・ゴッツァーノの、悪趣味のいいものもまたキッチュである(「スペランツァばあさんの友達」、1911)。

オウムの剥製と、アルフィエーリとナポレオンの胸像

額縁に入った花々(悪趣味のいいもの!)

陰気な暖炉、砂糖菓子の入っていない空箱、

ガラスの覆いに守られた、大理石の果実、

ダゲレオタイプのなかの、おぼつかない夢想家、

(・・・)

ダマスク織の布を張った椅子

えんじ色(・・・)

 しかし、効果の追究としてのキッチュもある。つまり、「わたしたちがひとりの女を表現するならば、それは、わたしに一緒に寝たいと思わせるようあ女でなくてはならない」というような。キッチュの真髄は、倫理的カテゴリーと美学的カテゴリーの取り違えにあるのである。

 ヘルマン・ブロッホ(『キッチュ』1933)が言うように、キッチュは、「芸術家に「よい」仕事を課すのではなく、「美しい」仕事をするよう課す。キッチュにとっての重要なのは、美しい効果である」。

 舞台芸術では、効果は必要不可欠な構成要素、すなわち美的要素にまで格上げされる。他方で、芸術的ジャンル、ある明確なブルジョアジーのジャンルが存在する。つまりオペラのことだが、そこでは、効果がもっとも基礎的な構成要素となっている。

 だが、芸術をつくり上げる条件のひとつであるふりをして、実際には芸術レベルに到達しないものとしてのキッチュがありうる。キッチュという言葉が意味をもつとすれば、それは効果を生みだす傾向のある芸術だけを指すからではない。なぜなら多くの場合、偉大な芸術も同じ目的を志したからだ。キッチュはまた、フォルムの均衡がくずれた作品そのものを指すわけではない。それならば、その作品はただの醜い作品ということになるはずだ。ほかのコンテクストで登場したスタイルを踏襲している作品、という特徴をもっているわけでもない。それだけなら、なにも悪趣味に陥らなくともできることだ。キッチュは効果を促進するみずからの機能を正当化させるために、他人の経験という抜け殻を着て気取って歩き、それを芸術として売る作品を指すのだ。

2023年10月1日日曜日

20231001 中央公論新社刊 三島由紀夫著「文章読本」pp.17‐20より抜粋

中央公論新社刊 三島由紀夫著「文章読本」pp.17‐20より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4122024889
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4122024885

 しかし日本語の特質に帰ると、日本人は奇妙なことに男性的特質、論理および理知の特質をすべて外来の思想にまったのであります。平安朝時代の漢語および支那文学の教養は、武家時代になると、禅宗の影響下に、また儒教の影響下につぎつぎと新たに入ってくる外来文化の影響にすり替えられました。日本の男性的文化はほとんどすべて外から来たものであり、まだ外来文化に浴さないうちの日本の男性は、「古事記」時代のような原始的男性の素朴さを持ち、まだ感情を発見することなくひたすらに素朴な官能に生きていました。男性が感情を発見する前に、女性が感情を発見したのであります。そして男性はますます自分の感情を発見することよりも、古代の外来文化のもたらした諸概念に身を縛ることの方に、むしろ積極的な喜びを見出しました。男性はまずます頑なに感情から離反し、種々の哲学概念や宗教的概念でもって感情を殺そうと試みました。儒教の影響下にあった武士道のあの頑なさについては、皆さんはよくご存じであります。

 この影響は明治維新以後にもあいかわらず払拭されませんでした。ドイツ観念論哲学の用語が嵐のごとく日本の知識階級の用語になって流入し、あらゆる抽象概念はドイツ観念論の用語で代用されました。そうした日本には、日本独特の抽象概念というものがなかったので、平安朝の昔から男性は抽象概念を、すべて外来語によって処理してしまう習慣になっていました。そして日本語独特の抽象概念にあたるものは、いつも情緒の霧にまといつかれ、感情の湿度に浸潤されて、決して抽象概念すら自立性、独立性、明晰性を持つことはできませんでした。むしろこのような言葉の曖昧さへの性質は、男女の別なしに民衆のなかに浸透して、民衆の文学が生れる素地を作ることにはなったが、これはまたあとの問題であります。

 このように考えてくると日本の文学はというよりも、日本の根生(ねおい)の文学は、抽象概念の欠如からはじまったと言っていいのであります。そこで日本文学には抽象概念の有効な作用である構成力だとか、登場人物の精神的な形成とか、そういうものに対する配慮が長らく見失われていました。男性的な世界、つまり男性独特の理知と論理と抽象概念との精神的世界は、長らく見捨てられて来たのであります。平安朝がすぎて戦記物に時代になりますと、そこでは叙事詩的な語りものの文学、「平家物語」とか「太平記」が生れましたが、そこで描写される男性は、まったくただ行動的な戦士、人を斬ったり斬られたり、馬に乗って疾駆したり、敵陣におどり込んだり、扇の的を矢で射たりするような、ただ行動的な男性の一面が伝えられるにすぎませんでした。

 一方、平安朝の女流作家が開拓した男性描写、それはいわば女性の感情と情念から見た男性の姿であります。男性はひたすら恋愛のみに献身し、男性の関心はすべて女性を愛することに向けられました。そこでは男性すらが女性的理念に犯されて、すべて男女の情念の世界に生き、光源氏のような、絶妙な美男子ではあるが、ただ女から女へと渡って行く官能的人間を、理想的な姿として描いています。これはまた戦記物の行動的な男子と同様、男子の一面を描写するにすぎません。しかしこのほうの男性描写の伝統こそ、日本文学の最も長い最も深い伝統をなしもので、元禄時代の西鶴の「好色一代男」も「源氏物語」の影響を受けたものでありますが、これにもまた好色一辺倒に生きた男の生涯が語られて、それが武士道徳に対する民衆的理念を代表するものであったとしても、やはり男性の精神的世界は閑却され、この伝統はわれわれの意識しないところで、明治以後の近代文学にまで続いているのであります。

20230930 ブログ記事作成の当面の目標(伸びしろはあるのでしょうか・・?)

日中はまだ暑い日が続いていますが、明日から10月になり、早くも今年の残りは3カ月となります。他方、当ブログは前回の投稿により総投稿記事数が2045となりました。そして今年の残りを3カ月≒90日程度と考えますと、2日間に1記事強の投稿頻度にて今年中に2100記事に到達することが出来ます。

しかしながら、以前にも何度か述べましたように、現在は去る5・6月の2000記事到達および8年間のブログ継続後の休息期間であり、記事作成に本腰を入れる必要はないと考えています。そこで、さきに述べた2日に1記事強の投稿頻度を検討しますと、それは「ほぼ本腰を入れている状態」と云えます・・。

このように状況を考えてみますと、悩ましいものがあり『いっそ棚上げしてまおうか・・』とも思われるところですが、当ブログを今後さらに3000記事まで継続するかどうかは別として、どのような投稿頻度であれ、おそらく今後、2100記事程度までは継続すると思われますので、そこに至るまでの投稿頻度は「出来るだけ早く済ませてしまう」ために、さきの2日に1記事強の投稿頻度でも良いと思われるのです・・。

また、実際にそれを行うに際しては、これまでも度々用いているChatGPTをさらに多用してみたいとも考えています。しかし、このChatGPTを用いたブログ記事作成は、このようなオリジナルでの文章作成と比較しますと、明らかに文章作成の「楽しみ」が少なく、かえって続けることが困難になってしまうではないかとも思われましたが、しかし、こうした独白形式の文章でのブログ記事作成も当初は難しく毎回辛吟しつつ作成していましたが、そこから8年程度(どうにか)継続していますと、当初ほど辛吟することはなくなり、どうにか自分の文章を作成することが出来るようにはなりましたが、他方で自分としては、もう少しは伸びしろのようなものがあるのではないかとも考えています・・。

そして、その伸びしろを活かすためにも、たとえ当初は楽しくなくともChatGPTを用いて記事作成を行うことにより、また何か良い変化が生じるのではないかと思われますが、いずれにせよ、今年残りの当ブログの目的は、年内に総投稿記事数が2100に到達すること、またその内容はオリジナルの記事、ChatGPTを用いて作成した記事、そして書籍からの引用記事のいずれであっても良いこととします。また、年末近くになってあわてて1日に3記事投稿などということにならないように、手近な目標として10月中に総投稿記事数が2060以上になるようにまた進めていきたいと思います。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。





2023年9月28日木曜日

20230928 一連の(試作文章)そして当ブログ作成の起点にあるものについて

今回の記事投稿により、総投稿記事数が2045に到達します。去る5月の2000記事到達、そして6月には丸8年のブログ継続となり、その後はかなり長期間ブログ記事の作成は休止する予定であり、実際そのように認識はしていますが、それでも、怠け過ぎない程度に記事作成を続けておかないと、その後の再開が困難になると思われますので、このように時々は、自らの文章による新規の記事作成を行っている次第と云えます・・。

とはいえ、昨日も一応、新規での記事投稿は行っていましたので、そこから考えますと「時々ではないのでは・・?」と思われる方々もいらっしゃるのではないかと思われます。この疑問はその通りであり、以前に投稿した記事にて述べましたが、ここ最近で新規投稿した記事で題名の後に(試作文章)と記しているものは、テーマが共通する複数の既投稿記事に書かれている内容を集めて、それらをChatGPTに放り込み、そこに指示をして生成された文章に手を加えたものであり、私としては、未だにこの作成方法には違和感がありますが、それでも、どうにかそれらしい文章は出来るようですので、今しばらく用い続けますと、あるいは、もう少し面白く読むことが出来る文章を作成することが出来るようになるのではないかと思われます。

とはいえ、現時点では、こうして自らの文章にて、はじめからブログ記事を作成する方に馴染みがあり、さきのChatGPTを用いた作成方法は、その「あっけさな」あるいは、なかば単純作業のようにしてブログ記事作成が出来てしまうことに強い違和感を覚え、さらに、そこで生成された文章に加筆修正したブログ記事は、どうしても、これまでの方法で作成したブログ記事と同じものとして認識することが難しく、これはこれで一つの実験として、これらの(試作文章)の投稿ブログは、後日、少しづつ、そして継続的に加筆修正を行うことにより、認識が徐々に変わり、ChatGPTを用いる以前に作成したブログ記事と、概ね同じものとして見ることが出来るのかを検討したいと考えています。

また、これまでに何度か記事題材として、当ブログ作成の来歴について扱ったいくつかの記事についてですが、この題材は、私にとってはそれなりに重要であり、これまで私が、まがりなりにもブログを継続することが出来た背景には、和歌山や鹿児島での経験があるのですが、それだけでは、たとえ、どれほど多くの経験や知見を得たとしても、ブログ記事の作成には結びつくことはないと云えます。これを自らの行動として始めた経緯には、ある種の焦燥感があり、それが日を追う毎に大きくなり、自分なりに悩んだ挙句「書いてみます・・。」といった態で始めた当ブログですが、この「ある種の焦燥感」は思い返してみますと2013年の学位取得を起点にしているように思われます・・。

つまり、私は2013年から焦燥感を抱くようになり、これが次第に大きくなり、2015年に(ようやく)当ブログを始めたということになりますが、では、そこから8年間以上ブログ記事の作成を継続して当初の焦燥感は感じなくなったのかと自問しますと、これは明らかに感じられなくなりましたが、他方で、それまでの期間、ブログ記事作成を継続したことにより、今度はブログ記事の作成が半ば習慣化してしまい、そこから現在のように自分で設定した2000記事到達後の休止期間であっても、このようにしばしば記事作成を始めてしまうのです・・(苦笑)。

ともあれ、そのおかげもあってか、どうにか、その起源あるいは源泉にあるものにブログ記事として文章で著し、以前よりかは、どうにか「にじり寄る」ことが出来ているのではないかと思われるのです・・。しかし「にじり寄る」は良いとして、そこに至るまでに8年以上の期間を要しているということは、適当な比較対象を知らないため判断は出来ませんが、一般的によくあることなのでしょうか・・?

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。



20230927 我が国の宗教について(試作文章)

 我が国の宗教は、西洋や中東の一神教であるキリスト教やイスラム教とは大きく異なる特徴を持っています。我が国の神道は多神教であり、神社では大抵複数の神を祀っています。

こうした多神教を視座として眺めますと、我が国の神道には同じ多神教ではありながらも、ギリシャの古代宗教やインドのヒンドゥ教などと共通点もあるものの独自の特徴を持っていると云えます。

その最も顕著な違いは、ギリシャの古代宗教やヒンドゥ教の神々が具体的な肉体を持ち、目に見える存在として祀られていたのに対し、我が国の神道では、神々の存在は概して抽象的であり、その具体性が相対的に希薄であることです。

確かに我が国の記紀神話には多くの個性を持った神々が登場しますが、それらの肉体的な実在性はギリシャ神話やイリアスやオデュッセイアなどに登場する神々と比較しますと希薄という印象を受けます。

また、19世紀から広まった進化論の視座からは、キリスト教以外の宗教、特に多神教などは原始的な段階に留まった宗教とされ、これが時間の経過とともに、一神教へと発展していくといった、いわば西欧中心的の見解が一般的なものでした。

しかし、この考えは後に徐々に否定され、現在では一神教のみが優越であり、多神教が未発達な原始的宗教であるという見解は精確ではないと云えます。

とはいえ他方で、我が国においては、宗教に関しては、特に知識階級の無関心が著しいことが、たびたび指摘されています。この無関心は実業界やジャーナリズムにおいても明らかであり、多くの人々が日常生活において宗教について、ほとんど関心を持っていないと云えます。

そして、この宗教に関する無関心は、我が国の宗教と一神教の宗教との間に大きな違いがあることが原因になっているのではないかと考えます。

我が国の土着的な多神教の伝統は、本質的に、西欧諸国が奉じる一神教とは異なった価値観や宗教観に根差しており、そのため知識階級や一般の人々が宗教についてあまり関心を持たない、あるいは持ち得ないといった傾向があるのではないかと考えます。しかしながら他方で、この宗教に対する我が国の知識階級の無関心は一神教と多神教を比較する際に重要な視点を提供するものと云えます。

何故ならば、宗教への関心の有無や強弱は、その国や地域の文化や社会を考え、そして理解する上で大きな鍵となり得るからです。具体的には、宗教が個人や集団の価値観、行動、意思決定にどのような影響を与えるのか、宗教的な儀式や信仰が社会の構造や文化に、どのように組み込まれるのかといった問題は、現実の政策決定などに際して重要なことであるということになります。また、おそらく多くの海外の報道機関や調査機関などの組織は、我が国に対しても、こうした視座からも眺め、そして考えているものと思われます。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。


2023年9月26日火曜日

20230925 歯科衛生士の養成課程について思ったこと

現状での歯科衛生士の養成は、いまだその大半が3年制の専門学校および短期大学にて行われています。そして、その背景には「同じ歯科衛生士の国家試験受験資格を得るためであれば、修業年限がより短く、学費も抑えられる専門学校や短期大学の方が良いのではないか」といった考えも少なからずあるように思われます。

たしかに、この考えは経済合理性の観点から、現時点では妥当であると云えます。しかし同時に2001年まで遡りますと、歯科衛生士の修業年限は2年でした。そこから3年制への修業年限の延長、そして、その後の4年制大学化に至った背景には、主として歯科医療全般の高度化による、歯科衛生士として必要とされる教育内容の増加がありました。

この傾向は医療分野においてはさらに顕著であり、近年の医療現場においては、ごく普通に四年制大学卒の看護師や、その他の医療専門職の方々がいらっしゃり、現在も、そうした方々が増えつつあります。そして、その背景にある要因もまた、さきの歯科衛生士をめぐる状況と同様、必要とされる教育内容の増加があります。

また、別の視点からこの傾向(医療専門職の修業年限の延長、高学歴化)を観察しますと、今なお続いている経済的低迷のなかで、高等教育を受けるにしても、将来の職業に結び付きやすい国家資格の取得を目指した医療系大学に進むことが堅実であると判断されるご家庭が増えたからであるとも考えられます。

くわえて、この先の社会では、さらなる高齢者人口の増加が進むことから介護職はもとより、医療専門職の不足も懸念されています。そのため、さきほどの高齢者人口の増加とともに少子化も進んでいるなかであっても、歯科衛生士を含む医療専門職全般の養成課程の新設が続いているのだと推察されます。 こうした事情もあってか、以前と比較しますと、多少は関心を持って頂けるようになったと思われる歯科衛生士ではありますが、そうしますと今度は「歯科衛生士にはどのようにしてなるのか?」あるいは「歯科衛生士はどこで、どのように働いているのか?」といった、より具体的な疑問も自然に出てくるものと思われます。

専門学校や短期大学、大学を卒業して無事に歯科衛生士免許をしてからの勤務先は、大別しますと、比較的規模の大きい病院などの医療機関、企業や公的機関などでの関連部門、小規模な歯科医療機関の三種に分類出来ます。そして、それぞれで勤務する歯科衛生士の割合は、最も多くの歯科衛生士さんが勤務しているのは最後に挙げた 小規模な歯科医療機関です。 何故ならば、我が国の歯科衛生士さんが勤務する歯科医療機関の大半は、従業員数が10人以下の小規模な、個人による歯科医院であるからです。さて、この小規模な歯科医院は、一般的な事務職での大企業と比較しますと、やはり安定感は異なると云えます。

しかし、歯科医療を含む医療機関などは一般的な企業とは異なる価値観があり、それは、たとえ一零細企業とも云える医療機関であっても診療内容が、大学や学会などのアカデミアでの研究を基準として高水準であるならば、優れたものとされること、つまりは組織の規模よりも、その診療内容の方が重視されることであると云えます。

そして、そうした医院の診療内容の水準をはかる一つの簡単な方法として、勤務している歯科医師や歯科衛生士さんが、その専門性を示す指導医や専門医や認定医、認定歯科衛生士などの資格を確認することがあります。こうした資格は、ただ診療を続けていても取得できるものではなく、大学や学会などに所属して、ある程度の期間研究を続けて、論文執筆や学会発表などをして、さらに試験を受けて、はじめて取得出来るものですので、少なくとも、その歯科医師、歯科衛生士さんの勤勉さと臨床知識については問題なく、そこから臨床技術も同様であろうと推測されるわけです。

そして、こうした 一市井の機関でありながら、大学や学会などに属してアカデミックな活動を行うことは、おそらく、一般的な企業さまではまだ稀であると思われることから、これが、歯科医療を含む医療機関全般の持つ一つの大きな特徴であり、異なった価値観であると思われます。

そしてまた、この医療機関と大学や学会との連携が出来る体制から、大学などでの最新の研究からの知見が、市井の医療機関に速やかに伝達出来るのだとも云えます。そうした価値観に基づいて考えてみますと、歯科医院をはじめとする様々な医療機関の診療内容などについての評価は、やはり、ある程度余裕を持って勉強が出来た、また、異なった分野も学ぶ機会があった四年制大学での養成課程を卒業して、さらには修士課程も修了した方が、より精確に理解出来るのではないかと思われます。

その意味においても、我が国の歯科衛生士養成課程は今後、最終的には全面的に四年制大学化した方が、高齢化が進む我が国の社会状況、さらに先進諸国もそれに続くとされる世界情勢を鑑みて、より多くの人々に、高水準の歯科医療を提供できるようになるのではないかと思われるのです・・。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。


2023年9月19日火曜日

20230919 歯科材料の歴史について(試作文章)

我々の身の回りにあるものと同様、歯科治療で用いる材料もまた、主に以下の四種材料により構成されています。

①有機材料(高分子材料、例:プラスチック)
②無機材料(セラミックスなど)
③金属材料(金属や合金)
④複合材料(これらの材料の組み合わせ)

①の有機材料(例:プラスチック)は、歯科治療において、口の中の型取り(印象採得)に使用されたり、入れ歯(義歯)の材料として使用されます。これらの材料は比較的柔らかく、変色や着色が生じやすいといった特徴があります。

②の無機材料(セラミックスなど)は、焼成や焼結工程を経て加工されます。材料としての特徴は、高硬度であり、変色や着色も少なく審美性にも優れており、また体内での安定性に優れ、為害性が極めて低いことが挙げられます。

③の金属材料(金属や合金)は、概して機械的強度に優れていますが、透過性や透光性に乏しく、口腔内の色調とは異なる特有の金属光沢があります。近年は金属アレルギーのリスクや価格高騰と技術進化の影響により、歯科材料として用いる利点が減少しています。

④最後の複合材料は、有機材料、無機材料、金属材料の特性を組み合わせたものです。これらの特徴は、機械的強度は金属や無機材料と比べて、概して低いですが、審美性や価格などの点からは、多くの場合、金属材料よりも用いる利点があると云えます。

如上の各歯科材料の性質概要を念頭に置いて、各歯科材料の歴史について考えますと、当然であるのか、驚くべきことであるのか、世界各地において、紀元前の頃から原始的ながらも歯科治療は行われていました。そして、そこで用いられていた各種材料が、現在の歯科材料の起源・始祖ともいえるものであるといえます。

そして、紀元前のいわば、歯科医療草創期の時代から各地で共通して歯科材料として用いられていたのが金です。金は展延性に富み加工が容易であり、且つ化学的安定性に優れていることから、各種加工技術が未熟であった時代から、歯科の補綴装置に用いられてきました。

そして、現代においても一部の臨床家や材料研究者は、金を最高の歯科材料であると考えていますが、貴金属の価格高騰と加工技術の進歩により、その評価は変化しつつあります。端的にそこから、時代と技術の進化に伴い、歯科材料に対する見解も変化するということが理解出来ます。そして、こうした変化を柔軟に対応するためには、歯科治療は自然科学とアートの融合であり、常に変化して進化し続ける分野であることを知ることが重要であると思われます。

さて、さきにアートと述べましたが、アート(芸術・技芸など)と親和性のある歯科材料として、たびたび取り上げられるのは磁器です。西欧において磁器生産が始まった18世紀以降、さらなる技術の進化発展に伴い、磁器の作製技術は当時の歯科材料にも応用されるようになりました。

18世紀に西欧での磁器生産が始まり、その技術が歯科医療へと波及する一方で、ポール・ケネディによる「大国の興亡」やジャレド・ダイアモンドによる「銃・病原菌・鉄」などでも述べられているように、16世紀以降から、西欧諸国が世界各地からさまざまな植物やその加工品を供給するために新大陸へ進出していました。

西欧が磁器を知ったのも、そうした大陸進出を通じてであるのすが、その中でも特筆すべき産品はサトウキビを材料とする砂糖です。砂糖の普及に伴い、さきの18世紀頃の西欧社会では虫歯の増加が顕著となりました。現在では西欧は虫歯予防や歯科医療において先進的な国々となっていますが、18世紀当時には虫歯と砂糖の因果関係は理解されておらず、虫歯治療は未発達な原初的なものであり、その多くは抜歯を行っていました。抜歯には専門の「歯抜き師」という職業があり、この職業は、17世紀初頭の文学作品「ドン・キホーテ」にも伝説の兜を被っていると誤解されるキャラクターとして登場しています。

ともあれ、18世紀の西欧社会には砂糖の普及に伴い、虫歯が増加し、「歯抜き師」が一般的な職業となりました。やがて、抜歯のみならず、口腔内全般の治療を行う「歯の治療者」と呼ばれる職業も登場し、これが現代の歯科医師の直接的な起源とされています。ただし、この時代の治療は、現代の歯科医療と比較すると、知見不足の原初的なものであり、決して適切とは云えないものでした。

他方で「歯の治療者」が歯科医療に大きな貢献を果たしたのは、歯科補綴装置の分野でした。これと関連して、18世紀に錬金術師によって開発された中国由来の磁器の作成法が歯科医療において重要な役割を果たしました。まとめますと、18世紀には、砂糖の普及による虫歯増加から、歯抜き師が登場し、やがて「歯の治療者」が誕生しました。この変化には同時代に西欧ではじまった磁器製造も関連しており、歯科医療の進化に寄与したということになります。

この18世紀での砂糖の普及と虫歯の増加は、歯科医療に大きな変化をもたらし、それまでの「歯抜き師」による虫歯の抜歯から、「歯の治療者」が抜歯後の外観や機能の改善、修復を行う職業として認知されました。この変化には、お口を含む人体の構造や材料に関する幅広い知識が背後にあり、これは錬金術師からの系譜であると云えます。

ヨハン・ベトガーなどの錬金術師が18世紀、西欧で初めて磁器の製造に成功し、歯科医療にも影響を与えました。例えば、英国のウェッジウッド社は陶磁器の技術を用いて陶歯を製造し、その美しさで人々を引き寄せました。しかし、当時の入れ歯は不完全で、食いしばることができない仕様でした。

ジョージ・ワシントンの描かれた1ドル紙幣にもその影響が見られます。一方、日本では木製の入れ歯が15世紀末から16世紀初頭に作成されました。これらの木製入れ歯は柘植から作成され、熟練の職人によって個別に作られました。この技術は、室町時代末期から戦国時代にかけての社会変化により、職人たちが新しい職業を模索する中で発展しました。

しかし、西洋の歯科医学の導入と共に、木製入れ歯の技術は衰退し、20世紀初頭には西洋式の歯科医療が主流となりました。現代でも、我が国の歯科技工は高い技術水準を維持しており、そのルーツには古来からの技術と職人のこだわりが息づいています。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。