2022年4月2日土曜日

20220401 書籍からの引用記事を継続していて変わったと思われること

ここしばらくは、書籍からの引用あるいは【架空の話】の続編をブログ記事として作成し、独白形式の記事は作成していなかったことから、本日は久しぶりに独白形式の記事を作成します。

この形式にて記事作成を行うにあたっては、前述二つの形式と比べて、何と云いますか、ある種の「勢い」が必要であると云えます。これを異言しますと、日常生活において、ボンヤリと違和感や疑問や興味を抱いていることを、さらに凝縮し、文章として顕在化させるためには「勢い」が必要であるということになります。

当然ではありますが、普段、私は、一連の当ブログ記事全ての内容を意識しているわけではありません。しかし他方で、それらの中から、何かしらの契機によって、関連すると思しきブログ記事が想起されることは度々あります。

こうした経験は以前からありましたが、それは、当ブログそしてツイッターを始めてからは、その頻度が以前と比べて、明らかに多くなったように思われます。これは年齢的なものに因るのか、あるいは、その他の要因によるものであるのかは今現在では分かりませんが、ただ、感覚的にではあれ、分かったことは、特に書籍からの引用記事の場合は、全て、引用文章をPCにて手入力しているしていることから、ある程度、身体化された記憶となり易く、そこから、それら引用文章内の特徴的な記述内容もまた、機に応じて想起し易くなるということです。

そうしますと、引用記事の増加により、想起の機会もまた増加すると思われますが、同時に、こうした外界からの刺激(契機)による想起については、その時の体調全般が大きく関与しているようであり、やはり、比較的多く睡眠を取っていたり、あるいは、体調がすぐれている時には、種々想起される頻度に、あまり変わりがなくとも、それらに対する自分の評価は、良くなる傾向があるように思われます。

とはいえ、別の視点からこれを眺めてみますと、そうした想起の頻度や、それらに対する評価に関しては、これまでに何度も伸び悩みやスランプのような期間を経て、それがどうにか過ぎると、また異なった視点からの想起なども出来るようになり、さらに、他の引用記事のみならず、自身の作成記事との間にある関連性についても同様に看取出来るようになるといった性質があるように思われます。

こうした関連性の看取・指摘をブログやSNSを用いて広く発信することは、2015年、当ブログをはじめる以前の私では困難なことであり、それ故、これはこれで、やはり進歩であると云え、また、その先には、多少の伸びしろも未だあると考えることから、今しばらくは続けたいと考えています。

また、おかげさまで、これまでの投稿記事が1745に到達しました。今後もあまり無理はせずに、来たる6月22日までに55記事を作成し、当面の目標である1800記事到達を目指します。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

順天堂大学保健医療学部


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ISBN978-4-263-46420-5

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2022年4月1日金曜日

20220401 株式会社岩波書店刊 加藤周一著「私にとっての20世紀 付 最後のメッセージ pp.219-222より抜粋

株式会社岩波書店刊 加藤周一著「私にとっての20世紀 付 最後のメッセージ
pp.219-222より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4006031807
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4006031800

日本人は日本語の中に閉じこもって、いちばん端的には「大和心」という言葉で、なんとなくわかったような感じを共有してしまいがちですが、よく考えるとわからない。まして、それを外に説明しようとしたときに、大きな困難が伴います。本居宣長は大和心ということをいきなりいった。このことを考える上では、ハンガリーの作曲家バルトークの研究が面白い。彼はハンガリー心とは何か、音楽にどうハンガリー心が反映しているかということを考えて、外国の影響がないハンガリーの民謡を収集した。それが音楽的にどういう特徴をもっているかを明らかにすれば、ハンガリー心がわかるだろうと彼は考えたわけです。

 それを分析して出てきた音楽的特徴はどういう言葉でいえるかといったら、それはハンガリー語でないといえないという話ではなかった。それは簡単な音楽用語です。拍子についていえば、どういう特徴を持っているかを構造的に、音楽を論じる人なら誰でもわかる概念を使って、ハンガリー心を突き止めた。

 そのあとで彼は、そういうものを関連のある作曲もしています。

 宣長はそういうことをしていない。大和心というものがもしあるとすれば、それは普遍的な言語で表現することができなければいけない。どこが中国心と違うか。どこが朝鮮・韓国心と違うか。

 私が「文学史」のときに使った方法は、中国大陸からの影響のない前の大和心というのは、どういうものだったろうかということです。ところが文献が限られていてあまりにも少ないので、はっきりしたことが掴めない。

 それでは、どうやって大和心を普遍的な言語で掴むかです。大和心というのはなんだかわからないけれど、仮にそういうものであって、そこにはっきりしたもの、たとえば天台宗あるいは真言宗の仏教が入ってくると、仏教が変わる。変えた力は大和心が作用したからだろうと仮定するわけです。仏像が入ってくると、仏教建築が少し変わる。

 密教でもそうです。朱子学が入ってくると朱子学が日本化される。日本化する動力は大和心だろうと考える。日本に渡来する前の仏教とは何か、中国の寺院と仏教彫刻とは何か、朱子学が何かということは明瞭にわかる。

 それが日本でどう変わったかというと、これは観察できるわけです。そうすると、わかっていない大和心なるものがわかる。たとえば、朱子学プラス大和心が日本的朱子学になるから、日本的朱子学から原朱子学を引けば出てくる。実際はプラスというよりもヴェクトル合成みたいになっていると思いますけれども、とにかくそういう方法で、大和心が中国大陸思想をどう変えたかを観察すれば、かなりの程度までわかる。

 どういうふうに日本で変わったかは、時代が少し下がってくればいろいろな文献があります。きれいに出てくるのは、いわゆる説話集です。日本霊異記、今昔物語から沙石集にかけての説話集には、中国にものがかなりある。その中国の種本は残っていて読める。

 だからどこが違うかということは、比較検討すれば明白に出てくる。一回出てきても何もいえないけれども、変わり方に一種の方向性があれば、その方向性を生み出しているものが大和心だということで、そのイメージはかなりはっきりしてくる。説話集で確実につかまるのは、何が主要なメッセージかということをいうために、必要にして十分な手段を取るという傾向は中国のほうが強いということです。

 日本に入ってきて何が加わるかというと、趣旨は変わらないけれども細かい部分が変わる。ある男が山の中で狩りか何かの落とし穴に落っこった物語があります。長い間そこに一人でいたけれども、猟のために山に入った猟師たちが、その声を聞いて彼を引き上げて助かったという話です。その元の話が中国にあって、なぜそこで、そんなに長い間生きていられたかというと、穴の中で法華経を唱えていたから、その力で彼は助かったということになっている。日本人がその話に何を加えたかといったら、狩りの一行が男の法華経を唱える細い声を聞いて、発見して引き上げるときにどうやって引き上げたかという点です。どういう材料で網を作って、それを結びつけて滑車まで利用して引き上げたかという技術的説明を詳しく物語る。そんなことは中国では一行もない。日本で発明して付け加えたのです。それが実に面白い。説話の大筋は全然変わらないのだけれど、そういう部分だけ日本では無闇に詳しい。そういうことがほかにもあって、大和心の一つの特色がわかるということです。

2022年3月30日水曜日

20220329 中央公論新社刊 中公クラシックス 宮崎市定著「アジア史論」pp.18-21より抜粋

中央公論新社刊 中公クラシックス 宮崎市定著「アジア史論」pp.18-21より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121600274
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121600271

西アジア地域に対抗して絶えず反撥的に発展して来たヨーロッパ地域はもともと西アジア地域より分裂して発生したものである。この分離独立を完成した中心力は古代ギリシャの都市国家群であった。ヨーロッパの古代史的発展もまた、最初の国家形態として都市国家なるものを有し、しかしてこの都市国家は、その傍らに西アジア地域の先進文明を控えたる為めに、絶えずその刺激を蒙ること強く、都市国家的性格を比類なき高度にまで発揚するを得た。これギリシャ古典文明が他地域の古代に比して卓越せる所以であったのである。しかしてギリシャにおける都市国家的性格の強さは、一方においてその政治的大同団結を妨げる原因ともなった。ギリシャ都市国家群の指導者たるアテネもスパルタも遂にギリシャ民族の統一を完成してこれを大帝国に鎔鋳することが出来ず、ギリシャはその世界史的任務において、単にヨーロッパ地域を西アジア地域より分離せしめたるのみにして止まり、ヨーロッパの古代史的発展の完成は、更に西方に起りたるローマ民族の出現を待たねばならなかったのである。

 かつてギリシャの盛時、アテネの海上勢力を背景としてその指導の下に所謂デロス同盟が成立し、宛然たる海上帝国の観を呈したが、その範囲は東地中海に限られ、かつ継続すること幾くもなくして、同じギリシャ国家スパルタの反撃に遭い、脆くも雲消霧散してしまった。然るにこのギリシャ文明の余波を受けて更に西方、地中海中央に突出せるイタリア半島に勃興したのがローマ帝国である。ローマは初めフェニキア植民地カルタゴと地中海を隔てて相争い、先ず西地中海岸を平定して後、東地中海に向い、ギリシャ諸国及びエジプトを征服し、更にシリアを併合して、ここに東西地中海の大統一を完成した。ヨーロッパ地域の古代史的発展はギリシャに始まり、ローマによって達成せられた。しかしてローマはこの大統一を完成せる暁、もはや古の都市国家でもなく、人民共和国でもなく、宛として西アジアの古代ペルシャ王朝に擬する大帝国に変形していた。実年代をもってはかるならばローマ帝国の完成者ケーザルの時代は、ペルシャのダリウス大王に後れること約500年である。

 ヨーロッパ地域が大統一に向って驀進する時は、あたかも西アジア地域が既に古代史的発展を終って中世に入り、分裂的傾向の顕著に現われいたる時代である。この相異なる二つの減少の間には、何かしら必然的な相互依存関係が存在することを推察せしめる。恐らくそれは、両地域の中間に位するシリア地方の向背が鍵となっているであろうと思われる。即ちヨーロッパ地域は西アジア地域に向ってその領域を拡大し、従来は西アジア地域であった小アジア、シリア地方からエジプトまで含めて、その傘下に収め、西方に大ローマ帝国が出現すると同時に、旧西アジア地域は著しくその領域を縮小されたのである。領域の拡大はいよいよその内部における交通貿易を旺盛ならしめる反面、領域の縮小された地域では景気の下降、生産の不振が起り、それが商業の衰微とあんり、地方の分裂を招き、いよいよ景気の下降を招来するという悪循環に陥るのである。

 ヨーロッパと西アジアとは、この時にはシリアを支点としたシーソーの形となり、ヨーロッパが上がれば上がるだけ、西アジアが下降するという関係におかれていた。さりながら、両者を比較した時、文化の伝統の深さは勿論、同日にして語ることは出来ない。シリア、小アジアはもちろん、これに隣接するギリシャ、エジプトもまた古い文明の栄えて社会の発展の進みたる地域である。さればローマ帝国の内部においては、文明の潮流は東地中海より西地中海に向って動いた。しかして更に大いなる文明の動きは、西アジアの政治様式のヨーロッパ地域への輸入であった。原来はローマ共和国の市民代表者に過ぎざる歴代のケーザルは、西アジア地域と接触する間に、次第にその外貌を改め、王衣を着け玉座に上り、その実質もまた純然たる東方流の専制帝王と化した。東方の経済もまた、ローマ的古代市民社会を変質させて行った。ローマが政治力と軍事力とによって搾取した地方の金銀貨は、いったんローマに運ばれたが、それはやがて東方の物資を購入するために流出を続けた。東方における組織された大農地経営の生産物に圧倒されて、イタリアの小農、自作農は次第に没落して行ったのである。所詮、人為的な好景気は永続きしない。ヨーロッパは先進地域たる西アジアがかつて辿った運命に追従しはじめ、ローマ帝国は大ケーザルの出現以後約300年にして東西分治のことあり、漸く遠心的分裂的傾向を示し、この傾向は更に100年を経て、北方よりするゲルマン民族の侵入によって決定的なものとなった。東ローマ帝国が僅かにバルカン半島東西近傍を保って、ローマ文明の命脈を維持するを除き、帝国の領土は挙げて侵入者の占領割拠する所となり、四分五裂して、ここにヨーロッパ地域古代史の終焉を見るのである。時に西紀375年、西アジアにおける古代史の終末に遅れること約700年である。

2022年3月28日月曜日

20220328 株式会社blueprint刊 宮台真司著「崩壊を加速せよ」「社会が沈んで「世界」が浮上する」pp.179-181より抜粋

株式会社blueprint刊 宮台真司著「崩壊を加速させよ 「社会」が沈んで「世界」が浮上する」pp.179-181より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4909852093
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4909852090

日本は、1970年代後半以降の製造業一人勝ちのラッキーによる右肩上がりの継続が、新自由主義的方向へのシフトを妨げて旧自民党的な再配分政治を継続させ、チェルノブイリ事故が他人事に思えたラッキーが、1990年代以降の「食とエネルギーの共同自治」を妨げた。
 
 むしろ欧米の動きとは対照的に、1980年代半ば以降の日本は、一方でコンビニ化&ファミレス化に象徴される「市場依存」が進み、他方で日米構造協議の末に日本政府が応じた430兆円の公共事業に象徴される「行政官僚制依存」が進んで、共同体が空洞化し続けた。

 1989年から91年にかけて冷戦体制が終わり、グローバル化という資本移動自由化が進んだことで、91年のバブル崩壊以降の日本では、「社会の穴を辛うじて埋め合わせていた経済」が回らなくなり、社会の穴ー共同体空洞化ーが、ひたすら顕在化するはめになった。

 それが、英国の三倍、米国の二倍にも及ぶ高自殺率をもたらし、昨年(2010年)話題になった高齢所在不明問題や乳幼児虐待放置問題をもたらし、孤独死や無縁死をもたらすことになった。システム(市場と行政)がうまく回る「平時」を、永続するものだと自明視化したツケだ。

 丸山眞男の言葉を使えば、まさに「作為の契機の不在」だ。システムは自明ではない契機がたまたま噛み合うことで辛うじて回るに過ぎないのに、ここに川があり、あそこに山があるかの如く、また、太陽がいつも東から昇るが如く、単なる自然だと見做す傾向を意味する。

 システムは偶発的契機のセットが与える「ありそうもない秩序」であるがゆえに、システムが回らなくなった場合を想定して、「食の」「エネルギーの」「資源の」「技術の」「文化の」安全保障の観点から共同体自治を確保することが大切だが、日本には無縁な営みだった。

 震災は、被災者支援においても、市場と行政に依存し過ぎた社会の脆弱さを突きつけた。支援物資が集まっても配分に手間取る。義援金が集まっても支給開始が遅い。共同体自治に支えられた市町村や、市民自治に支えられたNPOが、欧米よりも圧倒的に脆弱なことが関係する。

 阪神淡路大震災後の仮設住宅では、極めて多数の自殺や孤独死が生じた。物資の配給や就労などの経済的自立だけでは、人は生きていけない。そのことを教訓として織り込んだ被災者の定住化政策ー共同体自治への包摂ーも、日本では全く議論の対象になっていない。

 共同体自治や市民自治の不在ゆえに困難な支援物資配分を、ツイッターでの交流が助けた。それもあって「空洞化した地域や家族の共同性をネットの共同性が埋める」という類の幻想が拡がっている。若手論者に多いこうした議論はそれ自体がシステムへの過剰依存ぶりを示す。

2022年3月27日日曜日

20220326【架空の話】・其の90 【モザイクのピースとなるもの】【東京訪問篇⑩】

医専大口腔保健工学科からの見学とのことから、結果的に、やはり技工室の見学により多くの時間が割かれ、その後、院内見学を一巡すると、時刻は17:00を過ぎていた。

CH院長は見学の途中で何度か診察や電話などの所用のために中座されたが、やがて戻って来ては、また設備や機器の説明を続けてくださった。おそらくは、元来が説明や話し好きの性分であるのだと思われたが、説明から続いた雑談で、国際情勢に関する話題やユヴァル・ノア・ハラリの著作などについても、ごく自然な感じで触れたため、人文系上がりの私としては、それらのハナシにかなり惹き付けられたが、今回の私の役回りは、あくまでもE先生の補助であることから、少なくとも、ここでは静かにしておいた方が良いと考え、黙っていた。

E先生の方は、技工室を含めた院内各所でさまざまな質問をされていたが、とりわけ、小児専用の治療スペースや、メンテナンス専用のマイクロスコープを備えたチェアが並んだスペースでは、いろいろと訊ねられていたが、おそらくこれらは、大学での職務であると同時に、御自身の開業などに備えてのことであったのかもしれない・・。また、さきの技工室にてE先生は技工士長のHDさんとも会話をされていたが、そこで共通して知っているHK教授の名前が挙がった。

こちらの教授は、E先生が学部に在籍されていた頃は歯学科におられて、後に口腔保健工学科が新設されると、そこに移り、教授になられた先生であり、また、専門分野が歯科生体材料学であり、研究、教育にくわえて、講演や執筆活動なども比較的活発にされていたことから、界隈では著名と云える先生であるが、この技工士長のHDさんの修士課程での指導教員が、こちらのHK先生であったということを聞いてE先生は驚いておられた。また、HDさんがこちらの医院に勤務するようになってからは、院内勉強会での講師としてHK先生を招いたとも聞き、こうした様子も、いかにも首都圏、東京といった感じを受けたが、ともあれ、こうした一民間医療機関が、先ほどのKA先生を顧問として招聘し、また、HK先生を院内勉強会での講師として招くといったCH院長の目的はよく分からなかったが、あとになり色々とお話を伺っていると、何となく繋がってきた。

CH院長は、さきのKA先生の門下であり、同時に、今回の出張初日に実験打合せのために訪問した**歯科大学のOBでもあった。また、こちらの院長の大変興味深いと思われる点は、臨床を日常とする歯科医師であるにもかかわらず、自分の専門領域のみに拘泥することなく、さまざまな分野の方々と積極的に交わるようしていることであり、これは、これまでの一連の会話を聞いていた分かったが、また、そうした一つの顕われが、さきの国際情勢やハラリの著作についての言及になったのだろうと思われるが、ともあれ、そうした話題の中で特に興味深く思われた医専大に関するトピックは以下の通りであった。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
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2022年3月26日土曜日

20220325【架空の話】・其の89 【モザイクのピースとなるもの】【東京訪問篇⑨】

14時半過ぎに院長室を後にした我々は、まず、同じフロアにある技工室に案内された。技工室は概ね20畳ほどの広さがあり、部屋中央には技工机6つが置かれ、歯科技工士スタッフが4人、それぞれの机にて何らかの技工作業を行っていた。また、空いている2つの机の一つは空いているとのことで、もう一つの方はスタッフが休日とのことであった。

また、技工室では、これまでに実物を見たことがなかった新型のPCに接続する切削加工機器や、医療機器としての認可を受けた3-Dプリンターなどが設置され、それらの用途概要についてはCH院長から説明を受け、また、詳細な説明については技工士長にして頂いた。

また、ここで驚かされたのは技工士長が比較的若い女性であったことであり、一連の説明を受けた後にE先生が、技工士長に対して、こちらの医院に勤務するまでの経緯を訊ねると
以下のような返答であった。

「はい、私はTMD大学の口腔保健工学科の学部を出て、さらにマスター(修士課程)に進み、そして歯科系企業であるY社に入社しまして、主に納入機器のメンテナンスや、技術営業などといった業務に従事していましたが、入社2年目に、納入機器のちょっとした不具合のメンテナンスのため、こちらの医院に訪れることになったのですが、その際、事前に上司の更に上司である取締役に呼ばれ「あそこの医院は、先端的な取組みも色々と試みているし、また、我が社の新規開発途中の機器についての臨床的アドバイスも色々と頂いていることから、出来れば熱心に取組んで欲しい。それと、現場で何か問題が起きたら、すぐに私の携帯電話まで連絡をください。」とのことで、そこから、会社上層部とも繋がりのある医院さまであることは分かりましたが、実際に訪問してみますと、置いてあるさまざまな設備には驚かされました。さらに口腔保健学科に在籍していた同期が歯科衛生士として、こちらで勤務していることが分かり、久しぶりに会って話しをしたところ「ここの医院では、色々と先端的な取組みが出来て、研究や学会発表などの活動に対しての理解もあり、支援もしてくれるとのことでこちらに決めた。」とのことであり、その後もメンテナンスや機器の操作説明のために、こちらを訪問させて頂いていたある時、先ほどの同期の歯科衛生士から「最近、ウチの歯科技工士さんが何人か定年退職されたのだけれども、まだ補充が見つからずに、院長は「この機会に歯科用CAD/CAMシステムやミリング・マシンを導入し、さらに、そうした一連の機器について、ある程度詳しい、若手の歯科技工士さんに来てほしい。」と云っていたから、もし、あなたが応募して採用されたら、すぐに技工士長になれるかもしれないわよ。」とのことで、それで、先のことを色々と考えまして、こちらに勤務させて頂くことにしたのですが、入職後に分かったことですが、この時、同期の歯科衛生士は、CH院長から「Y社からメンテナンスで時々こちらに来られる、あの歯科技工士さん、知り合いだったら勧誘して頂きたいのですが・・。」と頼まれていたということでした・・。」とのことで、こうしたことも、何やら「首都圏、東京ならでは」といった感じを受けたが、ともあれ、この技工士長HDさんによる機器についての説明や、そのほかのハナシはもう少し続き、時刻は15:32となっていた。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2022年3月25日金曜日

20220324 岩波書店刊 岩波現代文庫 ウンベルト・エーコ 著 和田忠彦 訳「永遠のファシズム」pp.10-13より抜粋

岩波書店刊 岩波現代文庫ウンベルト・エーコ 著 和田忠彦 訳「永遠のファシズム」pp.10-13より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4006003889
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4006003883

過去数世紀において、戦争の目的とはなんだったのか?戦争は敵を打ちのめすために行われてきた。それは敵の敗北から利益を引き出し、こちらのー特定の結果を得るために特定の方法で行動するというー意図を、敵の意図を実現不可能にするような方法で戦術的・戦略的に実現するために行われてきた。その目的のためには、配置可能な兵力すべてを戦場に送ることができるようにしなければならなかった。最後には、こちらと敵のあいだで戦闘が行われた。他者の中立、つまりわが方の戦争が戦争が第三者に迷惑をかけない(しかもある程度かれらが利益を得ることができる)という事実は、こちらが自由に作戦を遂行するために必要なことだった。クラウゼヴィッツの「絶対戦争」でさえ、この制約からは逃れられなかった。

 「世界戦争」という概念が生まれたのは、ようやく今世紀のことである。それはポリネシアの諸部族のような、歴史のない社会をも巻き込むような戦争を指すものだった。原子力、テレビ、航空輸送の発明によって、そして多様な形態をもつ多国籍資本主義の誕生によって、戦争の不可能性をしめす条件がいくつか証明されることになったのである。

1 核兵器は、核による抗争に勝者は存在せず、あるとすれば地球という敗者だけであると万人に納得させるものだった。しかし、まず原子力戦争がエコロジーに反するものであると気づけば、ついで、あらゆる反エコロジカルな戦争は原子爆弾によるものと同じであり、結局いまやどんな戦争も反エコロジカル以外の何ものでもないと納得がいくはずだ。原子爆弾を投下する(あるいは海を汚染する)者は、中立の人びとにだけでなく、地球全体に宣戦布告することになる。

2 戦争はもはや敵対するふたつの戦線のあいだで起こるものではない。アメリカのジャーナリストたちのバグダッドでのスキャンダルは、規模の大きさからいえば、反イラク同盟諸国に生きる何百万というイラク・シンパのイスラム人のスキャンダルに等しい。かつての戦争では、潜在する敵対勢力は拘禁(あるいは抹殺)されたし、敵地にあって敵の利を説いた同胞は、戦後、絞首刑に処せられたものだ。しかし戦争はもはや、多国籍資本主義の本質そのものによって、正面衝突にはなりえない。イラクが複数の西欧企業によって武装したことは偶然ではない。これは成熟した資本主義の論理に適ったものであり、個々の国家による統制を免れるものだった。アメリカ政府は、テレビ取材班が敵の思惑に乗せられていると判っても、相も変わらず、共産主義シンパの頭でっかちの陰謀によるものだと信じていた。対照的にテレビ取材班のほうは、「新聞だ、おやじ、あんたには止められないさ」と言いつつ、裏切り者のギャングに輪転機の音を電話ごしに聞かせるハンフリー・ボガートよろしくヒーローを気取っていた。しかし情報産業の理論において、情報は商品であり、しかも劇的であるに越したことはない。メディアは戦争に笛を吹くことを拒絶したわけではない。メディアは単に、回転軸にまえもって転写されていた音楽を演奏している自動ピアノにすぎない。こうしていまや、補給路にはどんな敵が待ち構えていても不思議ではないという、あのクラウゼヴィッツでさえ受け入れられなかったであろう事態が戦争に生じている。

3 メディアが言論を抑圧されるときでも、さまざまな新しい通信技術が阻むことができない情報の流通を可能にするーそれは独裁者にも阻止できないものだ。このために活用される最小限の技術的基礎設備は、その独裁者にしても手放せないものだからだ。こうした情報流通は、伝統的な戦争においても諜報活動が果たしてきた機能を担っている。つまり奇襲攻撃をことごとく無効にする点においてであるーおよそ敵に奇襲をかけられない戦争などありえないはずだ。およそ戦争は敵に対して知恵をはたらかせるように仕向けるものだ。しかし情報はそれ以上のはたらきをする。絶えず敵に語りかけ(あらゆる軍事政権の目的は敵側のプロパガンダを阻止することにあるのだから)、自国政府に関して個別的に市民を意気阻喪させる(一方クラウゼヴィッツは、勝利の条件は全軍人の道徳的結果であると説いた)のである。過去の戦争はすべて、市民たちが戦争を正しいと信じ、敵を倒すことを願ってやまないという原理にものづくものだった。ところがいまでは、情報は市民の信頼をゆるがすだけでなく、敵の死よりもまず自分たちの心を痛ませるものとなっているーそれはもはや遠くのぶんやりした出来事ではなく、目に見える堪えがたい出来事なのだ。