~勉強会の御案内~
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先日から読み進めています村上春樹著「羊をめぐる冒険」は上巻の110頁過ぎまで至りました。その描かれている世界観は前二作と比べ、著者に経済的余裕が出て来たのか、フランス料理や外国人夫人の経営する高級売春クラブなどが出てきて、自身としては多少読み進めるのに困難さを覚えてしまいます・・。
フランス料理店はさておき、高級売春クラブの描写は、これまで読んだ小説内になかったことから、単純に「まあ、そんな世界もあるのか・・。」といった感じに落ち着かず、何かしら、それを描く著者に対する否定したいと思う敵意のようなものが生じてきます・・(苦笑)。
しかし、それもあくまでも作中での描写であることから、ともかく読み進めていますが、その中で不図、引っ掛り、興味を惹く描写もありました。
それは登場人物の「耳専門のモデルを一つの生業としている女性」のについてであり、主人公の男性は、この「耳」を持つ女性に魅せられるのですが、そこで私が想起したのは、畑違いではありますが谷川健一著「青銅の神の足跡」という我が国古代の鋳物師集団について扱った著作です。その中に筑紫(九州)に降臨した皇祖および、初期の筑紫に縁のある頃の天皇諡号および皇族の名前に「耳」および「み」という音が入るものが多いことが記されており、また、九州南部の人々において特徴的な「大きな耳」また、同地域(大隅半島側の錦江町)にて出土した岩偶(軽石を加工して人型にした偶像)には、耳の描写が強調され、さらに、その耳たぶには穴があけられ、飾りなどを着けられるようになっていたことが記されていました。さらに、魏志倭人伝に、当時(3世紀)の倭人の文化・習俗などが儋耳朱崖(たんじしゅがい:現在の海南島)に似ていると記していますが、この「儋耳」とは、肩に届くほどの大きな耳環をさげていることから、耳を肩に担っているように見える様子(「担う」の古い表現が「儋」)に由来する地名(そういう習俗を持つ人々が住んでいる土地という意味)ですが、こうした古代の東アジア南方にあった耳にまつわる、あるいはこだわる文化が命脈を保ち、そして、この物語の描写に現れ出たのではないかと思われました。
さて、ここまで書いたことで衒学的な手法にて当該小説をやり込めようとしているのではないかと疑われるところですが、それはここに予め書いているだけに違います。むしろ、私は作中にある主人公の「耳に魅かれる」という描写について、耳については経験がありませんが、他の顔の部位については、実際にそうした経験を南九州にてしてしまったという自覚、もしくは記憶を有していることから、この部分はまさしく感覚的に共感できるものがあるのです。そしてまた、その共感に基づいて読み進めて行くと、物語の進行も何故だか自然と自身の中に入ってくるのです。その意味において、やはり村上春樹氏の小説には、どうも不思議な魅力があるようにも思われてきます・・。
あるいは、氏の小説全般、もしくは当小説に限っては、作中に描かれている、さまざまな欧米由来の文化的事物のアイコンを取り除いたその奥に、原初日本的な何らかの感性が隠されているのではないかとすら思われてきます・・。
そういえば、私の友人の一人(和歌山県のご出身)は、この作品(「羊をめぐる冒険」)が好きであると話されていましたが、その彼は何度かの和歌山県と北海道との往復的な在住期間を経て、現在、当初、決して好きではなかったという北海道に腰を据えて住んでいます・・。
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
昨日発表のあったノーベル文学賞の発表とは関係なく、先日読了した村上春樹著「風の歌を聴け」の続編とも云うべき「1973年のピンボール」を一昨日、仕事後に立寄った書店にて購入し読み始めました。当著作は、前作「風の歌を聴け」よりも文量的にも少なく、翌日の夕刻には読了に至りました。
読後の感想としては、あまり深い意味があるようには感じられませんでしたが、前作と同様、イメージ的には印象に残る作品であるということです。また、前作と比べ、曲名や作曲家、歌手あるいは衣服・靴などの名詞・固有名詞がやたら多く出てくるという点も特徴的であるように感じられました。
これは、おそらく初期の泉麻人のエッセイなどにも影響を与えているのではないかと思われました。また、その作品を包括する世界観については、弘兼憲史によるマンガ「課長 島耕作」の初期にも共通するものがあるように感じられました。
ともあれ、当著作は1980年に発表されたとのことであり、この作品を評価することになった、それより上の世代の所謂、戦前・戦中派作家の方々は、これら固有名詞の羅列そして、そこから醸し出される世界観を一体どのように感じたのだろうか・・。あるいは、迂闊なことを述べ、そして評価してしまうと、若い世代から無知いや悪くすると反動扱いされてしまうかもしれないといった恐れなどもあったのではないでしょうか・・。
私見としては、発表当時から40年経た現在においても、当作品(「1973年のピンボール」)に登場する曲名やその作曲家、歌手あるいは衣服・靴などの名詞・固有名詞について、それら全てを文脈を踏まえて正しく理解することは困難であるように思われます。
むしろ、文脈の代替要素として、それらが作中に散りばめられ、ある種の世界観らしきものを構成しているように感じられます。端的には1945年から急速にアメリカナイズされた若者世代の世界観ないし価値観の一種の見取図的なものではないでしょうか?
そしてまた、その文章には、おそらく東京(の主に西南部)に未だ微熱的なものが残っていた1990年代に熱心に読んでいた記憶がある雑誌「ポパイ」や「ホットドッグ」の記事に近いものがあることが不図、思い起こされました・・。
おそらく、その文章はイメージを伝え、そして個々人内面の深層にあるものを活性化あるいは惹起させるには適したものであるのかもしれませんが、しかし、そこには作品自体が持つ伝えたいテーマといったものが不在であるように感じられ、あるいは実際にそうであるのかもしれません・・。そして、それはやはり、欧米社会を基準とした「文学」(多分、哲学・思想を物語形式にして咀嚼し易くしたもの)とは異なるものであると評価されるのかもしれません・・。
さて「1973年のピンボール」の読了後、さきほどから、その続編「羊をめぐる冒険」上下巻を読み進めています・・。他方で以前に何度か取り上げた「山椒魚戦争」の著者カレル・チャペックによる戯曲「白い病」も読みはじめました。
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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今年の1月からツイッターを始めましたが、当初は使い方もよく分からずに闇雲に行い、またそれは現在においても概ね同様と云えます。
そうした中、つい先日、ツイッターの投稿を閲覧していて不図、感動に値するほどのニュースを見つけました。それは某新聞社の記事であり「鹿児島中央駅前にある幕末の薩摩藩から英国への留学生等をモデルにした「若き薩摩の群像」という集団の銅像に、実際に留学生に加わっていた藩外出身者二名の像が新たに追加された。」といったニュースです。
この集団の銅像については、在住期初期(2009年)から知っており、また、さきに述べた藩外出身者二名が像の対象となっていなかったことも知っていました。
とはいえ、こうしたことは地元の方々に述べてみても、実際のところ関心は薄く、もしくは「それは当然であろう。」といった見解が自然であったと記憶しています。その意味で我が国の地方社会とは閉鎖的であることは、古来より変わらず、また、鹿児島の場合は、特に江戸期においても島津藩が藩独自で鎖国主義を採っていたことから、その時代からの文化的残渣とも云える性質は、相対的に濃厚であると云え、当時の自身としては割合早めに「まあ、そのようなものか・・。」と、その地域性を理解していました。
他方で、当時の先輩院生に「おーい!竜馬」という武田鉄矢原作、小山ゆう作画によるマンガを互いに読んでいたことにより、よく話す機会を持つようになった方がいました。この方は鹿児島市のご出身で、実際に部活動にて剣道をされており、私が「やはり鹿児島だけに示現流ですか?」と訊ねてみると「いや、部活では示現流はやらんよ。」との返事でしたが時折、示現流の真似はしてくださいました(笑)。この真似は、さきの「おーい!竜馬」の一場面からのものでしたが、そのセリフを聞いただけで、どの場面か理解出来ていた私も、それなりにこのマンガを読み込んでいたのだと云えます(笑)。
ともあれ、互いに読んでいた「おーい!竜馬」内に、土佐藩参政の吉田東洋の暗殺場面があるのですが「これがおそらく史実とは違う」と私が話し、司馬遼太郎著「幕末」という短編小説集内の「土佐の夜雨」という作品を示しますと、関心を持って頂けたようであり、続いて「おーい!竜馬」に登場する陸奥陽之助こと陸奥宗光による「蹇蹇録」を示しますと、これまた関心を持って頂きましたが、扱う時代が大分後であることから、それよりも、同マンガに脇役として少しだけ登場する田中顕助こと田中光顕による「維新風雲回顧録」を示しますと「これは面白そうだ。」とのことであり、これを休憩室で輪読した記憶があります。また、映像資料につきましては「長州ファイブ」をノートPCを用いてDVDにて観て頂きました。
これら小説「幕末」そして「維新風雲回顧録」に登場する吉田東洋暗殺の実行犯の一人が、さきの「若き薩摩の群像」に新たに追加された一名であることはあまり知られていませんでしたが、この輪読の際、先輩院生に「あの駅前の「若き薩摩の群像」の中にいた一人が吉田東洋暗殺犯の一人なのです。しかし、彼は薩摩藩出身ではないことから、この銅像には入っていませんが。」と話したことを記憶しています。
その時、彼は大いに感心された様子ではありましたが、あるいはまさか、その際に落とした知識のインクが、今回の新規像の追加にわずかではあれ、何らかの関係があったのでしょうか(笑)。
ともあれ、このハナシにつきましても、今後、機会を見つけ、もう少し詳しく書いてみたいと思います。
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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