「人類は前代未聞の革命に直面しており、私たちの昔ながらの物語はみな崩れかけ、その代わりとなる新しい物語は、今のところ一つも現れていない。このような史上空前の変化と根源的な不確実性を伴う世界に対して、私たちはどう備え、次の世代にはどんな準備をさせておけるのか?
今日生まれた赤ん坊は、2050年には30代に入っている。万事が順調にいけば、その子供は2100年にも生きていて、22世紀に入っても溌剌と暮らしてさえいるかもしれない。
2050年あるいは22世紀の世界で生き延び、活躍するのに役立ててもらうためには、その子供に何を教えるべきなのか?その子は、仕事を得たり、周りで起こってることを理解したり、人生の迷路をうまく通り抜けていったりするためには、どんな技能を必要とするのか?
あいにく、2100年は言うまでもなく、2050年の世界がどうなっているかは誰にもわからないので、このような疑問の答えを私たちは知らない。もちろん、これまでも人間は未来を正確に予測することはできなかった。だが今日、未来の予想はかつてないほど難しくなっている。なぜなら、テクノロジーのおかげでいったん体と脳と心を作り変えられるようになってしまえば、もう何一つ確かに思えるものがなくなるからで、それには、これまで不変で永遠のように見えていたものも含まれる。
今から1000年まえの1018年には、人々は未来についてわからないことはたくさんあったが、それでも人間社会の基本的特徴が変わることはないと確信していた。もしあなたが1018年に中国に住んでいたら、1050年までに宋王朝が崩壊したり、契丹が北から侵入してきたり、疫病で何百万もの人が亡くなったりしうることは承知していた。とはいえ、1050年にもほとんどの人が依然として農民や職工として働き、支配者たちが依然として軍隊や官僚制を人間で賄い、男性が依然として女性の上に立ち、平均寿命が依然としておよそ40年で、人間の体はまったく同じままであるだろうことは明白だった。したがって、1018年には中国の貧しい親は、子供たちに田植えの仕方や絹織物の織り方を教え、豊かな親は、息子たちに儒教の古典の読み方や書道、馬に乗っての戦い方を、娘たちには慎みのある従順な家庭婦人になることを教えた。こうした技能が1050年にも必要とされることは明らかだった。
それに対して、今日私たちは、2050年に中国や世界のその他の国々がどうなっているか、想像もつかない。人々が何をして暮らしを立てているかも、軍隊や官僚制がどのように機能するかも、ジェンダー関係がどうなっているかも、まったくわからない。今よりもはるかに長く生きる人もおそらくいるだろうし、生物工学や、脳とコンピューターを直接つなぐブレイン・コンピューター・インターフェイスのおかげで、人間の殻らそのものが空前の革命を経ているかもしれない。したがって、今日子供たちが学ぶことの多くは、2050年までに時代遅れになっている可能性が高い。
現在、情報を詰め込むことに重点を置いている学校が多過ぎる。過去にはそれは道理に適っていた。なぜなら、情報は乏しかったし、既存の情報の緩慢で、か細い流れさえ、検閲によって繰り返し堰き止められたからだ。たとえばあなたが1800年にメキシコの田舎の小さな町に住んでいたら、広い世界について多くを知ることは難しかっただろう。ラジオもテレビも日刊紙も公共図書館もなかったからだ。仮にあなたが字を読め、個人の書庫に出入りできたとしても、小説と宗教の小冊子以外には、ほとんど読むものなかっただろう。スペイン帝国は、各地で印刷される文書はすべて厳しく検閲し、外部からは念入りに検査した出版物がわずかに持ち込まれるのを許すだけだった。あなたがロシアやインド、トルコ、中国の田舎町に暮らしていても、状況はほとんど同じだった。近代的な学校が設立され、子供たち全員に読み書きを教え、チリや歴史た生物学の基本的事実を知らせるようになったのは、途方もない進化だった。
それに対して21世紀の今、私たちは膨大な量の情報にさらされ、検閲官たちでさえ、それを遮断しようとはしない。むしろ彼らは、せっせと偽情報を広げたり、無関係な情報で私たちの気を散らしたりしている。もしあなたがメキシコの田舎町に住んでいて、スマートフォンを持っていたら、一生かけてさえとても足りないほど、ウィキペディアを読んだり、TEDの講演を観たり、無料のオンライン講座を受講したりできる。どんな政府も、気に入らない情報すべて隠すことは望めない。その一方で、相容れない報道や、人の気を逸らす情報を世間に氾濫させるのは、驚くほど易しい。世界中の人が一回マウスをクリックするだけで、シリアのアレッポの爆撃や、北極圏の氷の融解について、最新情報を手に入れられるが、矛盾する話があまりにも多いため、何を信じていいか困ってしまう。そのうえ、たった一回クリックするだけでアクセスできるものは他にも無数にあるので、的を絞るのが難しく、政治や科学があまりにも複雑に見えるときには、愉快な猫の動画や、有名人のゴシップや、ポルノに、ついつい切り替えたくもなる。
そのような世界では、教師が生徒にさらに情報を与えることほど無用な行為はない。生徒はすでに、とんでもないほどの情報を持っているからだ。人々が必要としているのは、情報ではなく、情報の意味を理解したり、重要なものとそうでないものを見分けたりする能力、そして何より、大量の情報の断片を結びつけて、世の中の状況を幅広く捉える能力だ。」
株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」
ISBN-10: 4309227880
ISBN-13: 978-4309227887
2020年7月19日日曜日
20200718 株式会社講談社刊 谷川健一著「魔の系譜」pp.11‐14
「私は日本の歴史に触れて、しだいに一つの考えを抱くようになった。死者が生者を支配するーといった現象が、日本の歴史において、あまりにも多いように思うのだ。死者が生者を支配するーというのは、周知のようにオーギュスト・コントの有名な言葉だが、それは死者と生者の連帯を意味するのであろう。ヨーロッパでじゃ、伝統とは死者と生者の連帯というほかにない。
しかし日本では先祖とのつながりはあるにしても、普遍的な死者と生者の連帯はない。あるのは対立だ。しかも死者が生者を支配するのだ。
いったいこういう歴史がほかのどの国にあるのか、寡聞にして私はそれを知らない。死者が生者をうごかす。生者は死者のそうした力を信じ、おそれ、それをとりなすためのあらゆる努力を傾ける。こういえば、悪霊をしずめる未開社会の心理を連想するだろうが、日本のばあいは未開社会とちがう発展の歴史をもっている。
しかも日本ほどたやすく死者の復活を信じている国民はすくないだろう。わずかこの一世紀ばかりの、あるいは戦後20年ばかりの歴史を尺度にして私はいっているのではない。何千年もの伝統をふまえて、そういっているのである。
普遍的な発展の法則にしたがっている日本歴史の裏側に、もう一つの奇怪至極な流れがある。それは死者の魔が支配する歴史だ。この死者の魔は、老ゲーテの信じた肯定的デーモン(地霊)とはちがって、否定的な魔である。
それは表側の歴史にたいしては挑戦し、妨害し、畏怖させ、支配することをあえて辞さない。死者は、生者が考えるほどに忘れっぽくないということを知らせるために、ことあるごとに、自己の存在を生者に思い出させようとするかのようだ。
この魔の伝承の歴史ーを抜きにして、私は日本の歴史は語れないと思うのだ。
しかも、このばあい、死者は敗者であり、生者は勝者なのだ。弱者が強者を、夜が昼を支配することがあっていいものか。弱肉強食が鉄則になっているヨーロッパの社会などでは考えられないことだが、敗者が勝者を支配し、死者が生者を支配することが、わが国の歴史では、れんめんとつづいている。この奇妙な倒錯をみとめないものは、日本の歴史の底流を理解することはできない。
死者の否定的な魔が歴史をうごかすーそれは史観と呼んでも差し支えないであろうが、私はそこまでいうつもりはない。ただ私は、日本人が忘れっぽくない民族であることを証明したいだけである。
戦後の日本人のそれぞれが体験した労苦は生やさしいものではない。この時期に日本人は敗者としての意識をいやというほどに味わった。しかも敗者が敗者のままでとどまるかぎり、それは所詮どうにもならぬことであることも痛切に体験した。
敗者として同情されることを日本人は嫌悪した。敗者の地位に立たされた日本人が、全力を尽くして考え抜いたことは、いかにして被害者が加害者になりうるかということであった。その証拠には残酷という言葉が、一時期を風靡したことでもわかる。
こうした情念は、日本人が占領者アメリカにたいして、あるいは政党の被除名者がその政党にたいして抱く感情の代表的なものである。私が戦後の日本人の心情をもち出したのはほかでもない。挫折者または敗者の心情体験をとおして、死者の生者にたいする関係が、あらかじめ理解できるとおもうからだ。
戦後の日本人が生きのびたという、それだけの理由のために勝利者づらするのを許さない死者たちがいる。彼らは、被害者から加害者への道おひらくことにおのれを賭けて、生者をゆさぶり、ひっぱたき、生者たちを眠りこませないようにしている。
もとよりそうした死者は戦死者だけではない。政治的事件や反乱に参加して処刑された死者たちも含まれるのである。彼らの企ては挫折し、彼らは敗者としての死を強制された。勝者にたいして一言の抗弁もゆるされないときに、彼らができることといえば何か。
「夜に入り陰雨猛雨交々として来る。雷電激して閃光気味悪し、遠く近く雷鳴続く、鬼哭啾啾タリ 村兄は読経をす 余は 寺内、石本等不臣の徒に復讐す可くノロヒの祈りをなす、ノロヒなり、ノロヒなり。」
これは二・二六事件の首謀者として死刑を宣告された磯部浅一が、処刑に先立って書いた獄中日記の一部である。一切の希望が絶たれたときに可能なことは、自分を理不尽な運命につき落とした神と生きた敵とをのろうほかにない。磯部は神々を叱咤し、罵倒し、それでなお神々がうごかないとみると
「余は祈りが日々に激しくなりつつある。余の祈りは成仏しない祈りだ。悪鬼になれるように祈っているのだ。優秀無敵なる悪鬼になるべく祈っているのだ。必ず志をつらぬいて見せる。余の所信は一分も一厘もまげないぞ。」
という境地にまで達する。生きながら死者の列にかぞえられている人間の再生するすがたがここにみられる。
「地獄堂通夜物語」によると、佐倉惣五郎(木内宗吾)は処刑のさいに眼をかっと見開いて「極楽往生に望みなし、念仏供養も頼み致さず」といいきった。このとき一天にわかにかき曇り、篠をたばねたような大雨がふりかかって、雷が鳴りわたり、処刑に立ち会った連中は、いっせいに逃げ去ったという。
成仏ーつまり死者の安らかな眠りを断乎として拒否し、悪鬼として復活をねがう瞬間に、私たちは立ち会っているのだ。二・二六事件の被告にかぎらず、怨恨と呪詛が、ついに「魔」の誕生を必然化させる過程をここにみることができる。」
株式会社講談社刊 谷川健一著「魔の系譜」
ISBN-10: 4061586610
ISBN-13: 978-4061586611
しかし日本では先祖とのつながりはあるにしても、普遍的な死者と生者の連帯はない。あるのは対立だ。しかも死者が生者を支配するのだ。
いったいこういう歴史がほかのどの国にあるのか、寡聞にして私はそれを知らない。死者が生者をうごかす。生者は死者のそうした力を信じ、おそれ、それをとりなすためのあらゆる努力を傾ける。こういえば、悪霊をしずめる未開社会の心理を連想するだろうが、日本のばあいは未開社会とちがう発展の歴史をもっている。
しかも日本ほどたやすく死者の復活を信じている国民はすくないだろう。わずかこの一世紀ばかりの、あるいは戦後20年ばかりの歴史を尺度にして私はいっているのではない。何千年もの伝統をふまえて、そういっているのである。
普遍的な発展の法則にしたがっている日本歴史の裏側に、もう一つの奇怪至極な流れがある。それは死者の魔が支配する歴史だ。この死者の魔は、老ゲーテの信じた肯定的デーモン(地霊)とはちがって、否定的な魔である。
それは表側の歴史にたいしては挑戦し、妨害し、畏怖させ、支配することをあえて辞さない。死者は、生者が考えるほどに忘れっぽくないということを知らせるために、ことあるごとに、自己の存在を生者に思い出させようとするかのようだ。
この魔の伝承の歴史ーを抜きにして、私は日本の歴史は語れないと思うのだ。
しかも、このばあい、死者は敗者であり、生者は勝者なのだ。弱者が強者を、夜が昼を支配することがあっていいものか。弱肉強食が鉄則になっているヨーロッパの社会などでは考えられないことだが、敗者が勝者を支配し、死者が生者を支配することが、わが国の歴史では、れんめんとつづいている。この奇妙な倒錯をみとめないものは、日本の歴史の底流を理解することはできない。
死者の否定的な魔が歴史をうごかすーそれは史観と呼んでも差し支えないであろうが、私はそこまでいうつもりはない。ただ私は、日本人が忘れっぽくない民族であることを証明したいだけである。
戦後の日本人のそれぞれが体験した労苦は生やさしいものではない。この時期に日本人は敗者としての意識をいやというほどに味わった。しかも敗者が敗者のままでとどまるかぎり、それは所詮どうにもならぬことであることも痛切に体験した。
敗者として同情されることを日本人は嫌悪した。敗者の地位に立たされた日本人が、全力を尽くして考え抜いたことは、いかにして被害者が加害者になりうるかということであった。その証拠には残酷という言葉が、一時期を風靡したことでもわかる。
こうした情念は、日本人が占領者アメリカにたいして、あるいは政党の被除名者がその政党にたいして抱く感情の代表的なものである。私が戦後の日本人の心情をもち出したのはほかでもない。挫折者または敗者の心情体験をとおして、死者の生者にたいする関係が、あらかじめ理解できるとおもうからだ。
戦後の日本人が生きのびたという、それだけの理由のために勝利者づらするのを許さない死者たちがいる。彼らは、被害者から加害者への道おひらくことにおのれを賭けて、生者をゆさぶり、ひっぱたき、生者たちを眠りこませないようにしている。
もとよりそうした死者は戦死者だけではない。政治的事件や反乱に参加して処刑された死者たちも含まれるのである。彼らの企ては挫折し、彼らは敗者としての死を強制された。勝者にたいして一言の抗弁もゆるされないときに、彼らができることといえば何か。
「夜に入り陰雨猛雨交々として来る。雷電激して閃光気味悪し、遠く近く雷鳴続く、鬼哭啾啾タリ 村兄は読経をす 余は 寺内、石本等不臣の徒に復讐す可くノロヒの祈りをなす、ノロヒなり、ノロヒなり。」
これは二・二六事件の首謀者として死刑を宣告された磯部浅一が、処刑に先立って書いた獄中日記の一部である。一切の希望が絶たれたときに可能なことは、自分を理不尽な運命につき落とした神と生きた敵とをのろうほかにない。磯部は神々を叱咤し、罵倒し、それでなお神々がうごかないとみると
「余は祈りが日々に激しくなりつつある。余の祈りは成仏しない祈りだ。悪鬼になれるように祈っているのだ。優秀無敵なる悪鬼になるべく祈っているのだ。必ず志をつらぬいて見せる。余の所信は一分も一厘もまげないぞ。」
という境地にまで達する。生きながら死者の列にかぞえられている人間の再生するすがたがここにみられる。
「地獄堂通夜物語」によると、佐倉惣五郎(木内宗吾)は処刑のさいに眼をかっと見開いて「極楽往生に望みなし、念仏供養も頼み致さず」といいきった。このとき一天にわかにかき曇り、篠をたばねたような大雨がふりかかって、雷が鳴りわたり、処刑に立ち会った連中は、いっせいに逃げ去ったという。
成仏ーつまり死者の安らかな眠りを断乎として拒否し、悪鬼として復活をねがう瞬間に、私たちは立ち会っているのだ。二・二六事件の被告にかぎらず、怨恨と呪詛が、ついに「魔」の誕生を必然化させる過程をここにみることができる。」
株式会社講談社刊 谷川健一著「魔の系譜」
ISBN-10: 4061586610
ISBN-13: 978-4061586611
2020年7月17日金曜日
20200717 潮書房光人社刊 エルンスト・ハスハーゲン著 並木 均訳 「Uボート、西へ!」pp.17‐20
「人間世界は変わるが自然は不変である。自然は永遠であり海もまた同じである。風は太古より西から東へ、東から西へ吹きすさぶ。世代は移りゆくが、海は人智を超えて悠久にして広漠である。
船乗りは幾千年前と同様、今日においてなお戦士である。
船は形を変えたが海は昔と変わらない。白い帆が消えても風は消えない。海岸には標識灯が置かれ、信号も発明された。海はなお相変わらず奔放で力強く、人間のあらゆる発明や技術を嗤い、無数の船を毎年のように浜辺に打ち上げる。それに勝つことはできない。海を渡ろうとする者は闘わねばならない。
歴史が教えるところによれば、陸戦は国家と民族の大変革を引き起こし得る。その影響は数千年を経てなお辿ることが可能である。海は征服というものを知らない。留置や横奪を許さない。海はあらゆる痕跡を消し去り、太初より日々新しく無垢である。
陸戦の本質は常に変わる。海戦の基礎は永久に不変である。海は断固として権利を要求する。今日は友だが明日は敵だ。何をしでかすか分からぬ気分屋で凶暴でもある。せいぜい中立的といったところだが、捉えどころがないことからして敵である。それゆえあらゆる海戦には昔からの共通項がある。武器とその使用法も変わった。だが、基本は変わらない。すなわち、海戦は「海と船、人間、民族の間の相互作用」であるということだ。
海は運命そのものである。
海の恒久的な法と「海の自由」に関する人間の概念が海の状態を決したのである。それが1914年に始まった世界大戦だ。「海の自由」は言論界においては有名な概念であり、それが真実だと本心から信じた者もいただろう。彼らは歴史書を紐解いたことがないのだろうか。海は平時においては自由だが、戦時においては強国にのみ自由である。一民族が自らの存亡を賭けて戦うのなら、自力で海を自由にせねばならない。
だからこそ英国は海上封鎖を宣言したのである。外国からドイツに到着する船はもはや一隻もなくなった。アルゼンチン産小麦もアゾレス諸島産バナナも「禁制品」だったからである。概念や規則に何の価値があろうか。これは戦争だ。そのために拿捕規定があるのだ。それを少しだけ拡張して適切に使用する必要があった。それからじきにドイツは飢餓に苦しんだ。要するに海上封鎖だ。だが、それは海戦法規が規定したほどの効果的な海上封鎖ではなかったため、敵はわれわれの港湾や沿岸を厳に監視し、これを封鎖したのである。これを実施することは危険であり、不可能ではないにせよ困難だった。それで英国は封鎖を宣言するだけで我慢し、ドーバー海峡を通過あるいはスコットランドの北を迂回してドイツに向かおうとする船を全て拿捕したのである。実際に戦時中、西から来る商船は一隻たりともドイツに辿り着けなかった。ドイツにとって状況は絶望的だった。わが国民はいつまでこのような飢餓状態に耐え得るだろうか。それへの効果的対策を知っている者など一人とていなかった。
答えを出したのは戦争自体だった。新兵器の潜水艦(Uボート)が登場したのである。U17は1914年10月20日、ノルウェー沖で英汽船グリトラ号を臨検してからこれを撃沈した。禁制品を運んでいたからである。戦争勃発直前に諸国で議論されてきたこと、つまり潜水艦による通商破壊戦が突如として現実のものとなったのだ。英国の海上封鎖に対抗するドイツ潜水艦!これぞ現実的な対抗措置であり、かくしてUボート戦が始まったのである。
英国が宣戦布告するや、Uボートはただちにフォース湾に潜入した。日中は潜望鏡で敵艦船の動向をうかがい、夜には吸気のため海面に浮上した。ドイツ海軍軍人は度肝を抜かれながらも英軍艦を見つめ、スコットランドの深く切り立った海岸を背にして自らの姿を隠し、無言の影のごとくそのそばを通過したのだった。それ以外の時間は海底に沈座し、乗組員が睡眠と休養を取った。敵地の真っ只中で信じがたいような静寂に包まれる。これは夢か現か?
遠くの物音が鋼鉄の船殻を時たま叩く。艦が海底を静かに擦った。ここなら安全であり、敵に攻撃されることもない。翌朝、磨き込まれた小さな鏡が用心深く海面に上げられ、朝日を捕らえた・・。
少し考えてみれば、Uボートからのこの第一報が故国にいかなる影響を与えたかを想像することはさほど難しくないはずである。大胆な哨戒は今までのほかの戦争でもあった。だが、こんなことがあり得ただろうか。やすやすと敵中に入り込み、敵を丹念に監視し、空気がある限り留まり、再び跡形もなくその場から消え去る。今ではこれら全てが容易で当り前のように聞こえる。だが、当時の我々は驚きのあまり絶句したのだった。Uボートは死をもたらす兵器でありながら、自らは不死身であるように思えた。
かくして初の経験が得られたのである。Uボートの戦果は急上昇した。哨区はドーバー海峡とその北へと拡大された。英国は包囲された。ヘルズィング英巡洋艦パスファインダーを撃沈したが、これはUボートによって破壊された初の英軍艦だった。さらにヴェディゲンは装甲巡洋艦ホーグ、クレッシー及びアブキールを沈めた。ドイツは覚醒し、英国は括目した。乗組員2000人が乗った巨艦を一度に3隻も撃沈したのである。乗組員20人の小さな船がそれを成し遂げたのだった。」
潮書房光人社刊 エルンスト・ハスハーゲン著 並木 均訳
「Uボート、西へ!」
ISBN-10: 4769831390
ISBN-13: 978-4769831396
船乗りは幾千年前と同様、今日においてなお戦士である。
船は形を変えたが海は昔と変わらない。白い帆が消えても風は消えない。海岸には標識灯が置かれ、信号も発明された。海はなお相変わらず奔放で力強く、人間のあらゆる発明や技術を嗤い、無数の船を毎年のように浜辺に打ち上げる。それに勝つことはできない。海を渡ろうとする者は闘わねばならない。
歴史が教えるところによれば、陸戦は国家と民族の大変革を引き起こし得る。その影響は数千年を経てなお辿ることが可能である。海は征服というものを知らない。留置や横奪を許さない。海はあらゆる痕跡を消し去り、太初より日々新しく無垢である。
陸戦の本質は常に変わる。海戦の基礎は永久に不変である。海は断固として権利を要求する。今日は友だが明日は敵だ。何をしでかすか分からぬ気分屋で凶暴でもある。せいぜい中立的といったところだが、捉えどころがないことからして敵である。それゆえあらゆる海戦には昔からの共通項がある。武器とその使用法も変わった。だが、基本は変わらない。すなわち、海戦は「海と船、人間、民族の間の相互作用」であるということだ。
海は運命そのものである。
海の恒久的な法と「海の自由」に関する人間の概念が海の状態を決したのである。それが1914年に始まった世界大戦だ。「海の自由」は言論界においては有名な概念であり、それが真実だと本心から信じた者もいただろう。彼らは歴史書を紐解いたことがないのだろうか。海は平時においては自由だが、戦時においては強国にのみ自由である。一民族が自らの存亡を賭けて戦うのなら、自力で海を自由にせねばならない。
だからこそ英国は海上封鎖を宣言したのである。外国からドイツに到着する船はもはや一隻もなくなった。アルゼンチン産小麦もアゾレス諸島産バナナも「禁制品」だったからである。概念や規則に何の価値があろうか。これは戦争だ。そのために拿捕規定があるのだ。それを少しだけ拡張して適切に使用する必要があった。それからじきにドイツは飢餓に苦しんだ。要するに海上封鎖だ。だが、それは海戦法規が規定したほどの効果的な海上封鎖ではなかったため、敵はわれわれの港湾や沿岸を厳に監視し、これを封鎖したのである。これを実施することは危険であり、不可能ではないにせよ困難だった。それで英国は封鎖を宣言するだけで我慢し、ドーバー海峡を通過あるいはスコットランドの北を迂回してドイツに向かおうとする船を全て拿捕したのである。実際に戦時中、西から来る商船は一隻たりともドイツに辿り着けなかった。ドイツにとって状況は絶望的だった。わが国民はいつまでこのような飢餓状態に耐え得るだろうか。それへの効果的対策を知っている者など一人とていなかった。
答えを出したのは戦争自体だった。新兵器の潜水艦(Uボート)が登場したのである。U17は1914年10月20日、ノルウェー沖で英汽船グリトラ号を臨検してからこれを撃沈した。禁制品を運んでいたからである。戦争勃発直前に諸国で議論されてきたこと、つまり潜水艦による通商破壊戦が突如として現実のものとなったのだ。英国の海上封鎖に対抗するドイツ潜水艦!これぞ現実的な対抗措置であり、かくしてUボート戦が始まったのである。
英国が宣戦布告するや、Uボートはただちにフォース湾に潜入した。日中は潜望鏡で敵艦船の動向をうかがい、夜には吸気のため海面に浮上した。ドイツ海軍軍人は度肝を抜かれながらも英軍艦を見つめ、スコットランドの深く切り立った海岸を背にして自らの姿を隠し、無言の影のごとくそのそばを通過したのだった。それ以外の時間は海底に沈座し、乗組員が睡眠と休養を取った。敵地の真っ只中で信じがたいような静寂に包まれる。これは夢か現か?
遠くの物音が鋼鉄の船殻を時たま叩く。艦が海底を静かに擦った。ここなら安全であり、敵に攻撃されることもない。翌朝、磨き込まれた小さな鏡が用心深く海面に上げられ、朝日を捕らえた・・。
少し考えてみれば、Uボートからのこの第一報が故国にいかなる影響を与えたかを想像することはさほど難しくないはずである。大胆な哨戒は今までのほかの戦争でもあった。だが、こんなことがあり得ただろうか。やすやすと敵中に入り込み、敵を丹念に監視し、空気がある限り留まり、再び跡形もなくその場から消え去る。今ではこれら全てが容易で当り前のように聞こえる。だが、当時の我々は驚きのあまり絶句したのだった。Uボートは死をもたらす兵器でありながら、自らは不死身であるように思えた。
かくして初の経験が得られたのである。Uボートの戦果は急上昇した。哨区はドーバー海峡とその北へと拡大された。英国は包囲された。ヘルズィング英巡洋艦パスファインダーを撃沈したが、これはUボートによって破壊された初の英軍艦だった。さらにヴェディゲンは装甲巡洋艦ホーグ、クレッシー及びアブキールを沈めた。ドイツは覚醒し、英国は括目した。乗組員2000人が乗った巨艦を一度に3隻も撃沈したのである。乗組員20人の小さな船がそれを成し遂げたのだった。」
潮書房光人社刊 エルンスト・ハスハーゲン著 並木 均訳
「Uボート、西へ!」
ISBN-10: 4769831390
ISBN-13: 978-4769831396
2020年7月16日木曜日
20200716 対話形式:最近の状況について
A「最近はまた、新型コロナウィルス感染症の感染者数が、非常事態宣言解除後から増えてきているようですね。また、設備の充実によって、PCR検査を受ける人数が以前よりも大分多くなっているとも聞きますので、その陽性率も高くなってきているのではないでしょうか・・?」
B「うーん、先日の非常事態宣言解除によって、この新型コロナ禍も徐々に収束に向かうのではないかと少し楽観的に考えていましたが、現在の東京を中心とする首都圏の状況は、決して楽観視出来ませんね・・。こうして外に出るのも、また控えなければならなくなるかもしれません・・。しかし、そうした状況において、大雨による災害や領海や政界での贈収賄などの問題などが続々と出てくるのは、何だか痛ましい限りですね・・。」
A「ええ、どれも重要な問題であり、国として何らかの姿勢を示すか、あるいは介入しなければならないのでしょうが、その国の中心部が、こうした状況にあることは、たしかに痛ましく、楽観視どころか、暗澹たる気持ちにさせられますね・・。あるいは、この先に、全てを好変させるような「何か」でも生じるのでしょうか・・東京オリンピックも良くて延期ですし、また、こうした状況が来年まで続けば、延期でなくて開催中止になる可能性も十分にありますよね・・。」
B「うん、そうした感染症と共に生きなければならない生活を「withコロナ」と評していますが、イマイチ、それがどういったものであるのかが分かりませんね・・。そうしたコトバや標語も結構ですが、それよりも、明瞭な実地に沿ったビジョンを平易なコトバで提示して頂きたいと思いますね・・。いや、こうしたビジョンも、その文言についての責任問題などで、おいそれとは提示できないのかもしれませんが、それでも現在の特に首都圏では、そういったものが必要であるように思いますね・・。」
A「ええ、少し穿った見方かもしれませんが、最近はマスコミによる報道でも、いわばネタがベタになってしまい、新型コロナ禍についての報道も、メシのタネとして扱っているようにも見えますからね・・。しかし、それでも、たとえ紋切り型のようになってしまっても報道は続けなけれなならないのでしょうが・・。」
B「多分、総合的な視座を得ることが、競争が激しい我が国の社会では、困難であるように思われ、また他方で、そうした総合的な視座を持つと認められるような存在には、実質的な権力を付与されることは少ないのではないでしょうか・・?まあ、おそらく、これは戦前社会からの反動(反省)に由来しているのだと思いますが、それでも、何というのか、社会における伝統的な「父性」のようなものが、戦後以来徐々に減衰してきて、ここにきて完全に欠如に至り、その代用品のようなものとして、欧米人のような髪の色にした、身体の鍛錬を趣味とする大御所お笑い芸人が鎮座しているのではないでしょうか・・(苦笑)?」
A「・・ああ、たしかにそうかもしれませんが、しかし、そのお笑い芸人の方は、以前に日本の伝統的な「父性」のような存在を、ある種の共感できる滑稽さを加味して映画作品を撮っていましたし、また、さきの大戦での合衆国による原爆投下にも憤っていましたよね・・。つまり、根底には、おそらく「そうしたものを大事にしたい!」といった心情はあるのだと思いますが、ここで大事であると思うのは、インカーネーション、血肉化された歴史像であると思います・・。つまり、キレイごとやお為ごかしでない、本当の歴史像です・・。また、これこそが、現代において、多様化してしまい、そのクリアな像を得ることが著しく困難になってしまったものであると云えますが、これが、さきにBさんが仰っていた伝統的な「父性」と密接な関係があるのではないかと思うのです・・。」
B「・・伝統的な「父性」と歴史像ですか・・。ええ、たしかにそれらには関係があるかもしれません・・。いや、それこそが現在、全世界規模で、それらの評価が行われているのかもしれません・・。また、その意味において、近代以降、西欧諸国によって酷い目にあってきた我々の隣国が、明確に権益の拡張をはかっていることには、何らかの深い歴史的な意味あるいは、因果律といったものがあるのでしょうか・・?そして、我々はこの先、どのようにして国際社会にて振舞っていくべきなのでしょうか・・?おそらく、その精錬されていない答えも歴史の中にあるのだと考えます・・。父性的な権威が衰えて、価値観の多様性が広く社会にて許容されると、商品の製造やサービスの提供といった商業・経済活動には諸事都合が良くなるのかもしれませんが、その反面、個人レベルにおいて、自分なりのインカーネーション、血肉化された歴史像を得ることが出来ないままで感性の可塑性がある若い時期を過ごしてしまう方々が多くなっていくのではないでしょうか・・?そして「そうしたものは経済活動にとって有用ではなく、むしろ不要である。」と本音では考える方々が増えると、皮肉なことに、まさに現在のような世界状況になるのではないでしょうか・・?」
A「ううむ、それはたしかに世界規模においても、ある意味、共通しているのかもしれませんが、あるいは、それらの根底にあるものは、スマートフォンの普及による知識やコトバの皮相化であり、その意味で、やはり原始的ではありますが、読書は大事であるのかもしれません・・。」
*その意味で、今後しばらくの間、書籍からの抜粋引用をもって記事としようと思います。
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
~勉強会の御案内~
B「うーん、先日の非常事態宣言解除によって、この新型コロナ禍も徐々に収束に向かうのではないかと少し楽観的に考えていましたが、現在の東京を中心とする首都圏の状況は、決して楽観視出来ませんね・・。こうして外に出るのも、また控えなければならなくなるかもしれません・・。しかし、そうした状況において、大雨による災害や領海や政界での贈収賄などの問題などが続々と出てくるのは、何だか痛ましい限りですね・・。」
A「ええ、どれも重要な問題であり、国として何らかの姿勢を示すか、あるいは介入しなければならないのでしょうが、その国の中心部が、こうした状況にあることは、たしかに痛ましく、楽観視どころか、暗澹たる気持ちにさせられますね・・。あるいは、この先に、全てを好変させるような「何か」でも生じるのでしょうか・・東京オリンピックも良くて延期ですし、また、こうした状況が来年まで続けば、延期でなくて開催中止になる可能性も十分にありますよね・・。」
B「うん、そうした感染症と共に生きなければならない生活を「withコロナ」と評していますが、イマイチ、それがどういったものであるのかが分かりませんね・・。そうしたコトバや標語も結構ですが、それよりも、明瞭な実地に沿ったビジョンを平易なコトバで提示して頂きたいと思いますね・・。いや、こうしたビジョンも、その文言についての責任問題などで、おいそれとは提示できないのかもしれませんが、それでも現在の特に首都圏では、そういったものが必要であるように思いますね・・。」
A「ええ、少し穿った見方かもしれませんが、最近はマスコミによる報道でも、いわばネタがベタになってしまい、新型コロナ禍についての報道も、メシのタネとして扱っているようにも見えますからね・・。しかし、それでも、たとえ紋切り型のようになってしまっても報道は続けなけれなならないのでしょうが・・。」
B「多分、総合的な視座を得ることが、競争が激しい我が国の社会では、困難であるように思われ、また他方で、そうした総合的な視座を持つと認められるような存在には、実質的な権力を付与されることは少ないのではないでしょうか・・?まあ、おそらく、これは戦前社会からの反動(反省)に由来しているのだと思いますが、それでも、何というのか、社会における伝統的な「父性」のようなものが、戦後以来徐々に減衰してきて、ここにきて完全に欠如に至り、その代用品のようなものとして、欧米人のような髪の色にした、身体の鍛錬を趣味とする大御所お笑い芸人が鎮座しているのではないでしょうか・・(苦笑)?」
A「・・ああ、たしかにそうかもしれませんが、しかし、そのお笑い芸人の方は、以前に日本の伝統的な「父性」のような存在を、ある種の共感できる滑稽さを加味して映画作品を撮っていましたし、また、さきの大戦での合衆国による原爆投下にも憤っていましたよね・・。つまり、根底には、おそらく「そうしたものを大事にしたい!」といった心情はあるのだと思いますが、ここで大事であると思うのは、インカーネーション、血肉化された歴史像であると思います・・。つまり、キレイごとやお為ごかしでない、本当の歴史像です・・。また、これこそが、現代において、多様化してしまい、そのクリアな像を得ることが著しく困難になってしまったものであると云えますが、これが、さきにBさんが仰っていた伝統的な「父性」と密接な関係があるのではないかと思うのです・・。」
B「・・伝統的な「父性」と歴史像ですか・・。ええ、たしかにそれらには関係があるかもしれません・・。いや、それこそが現在、全世界規模で、それらの評価が行われているのかもしれません・・。また、その意味において、近代以降、西欧諸国によって酷い目にあってきた我々の隣国が、明確に権益の拡張をはかっていることには、何らかの深い歴史的な意味あるいは、因果律といったものがあるのでしょうか・・?そして、我々はこの先、どのようにして国際社会にて振舞っていくべきなのでしょうか・・?おそらく、その精錬されていない答えも歴史の中にあるのだと考えます・・。父性的な権威が衰えて、価値観の多様性が広く社会にて許容されると、商品の製造やサービスの提供といった商業・経済活動には諸事都合が良くなるのかもしれませんが、その反面、個人レベルにおいて、自分なりのインカーネーション、血肉化された歴史像を得ることが出来ないままで感性の可塑性がある若い時期を過ごしてしまう方々が多くなっていくのではないでしょうか・・?そして「そうしたものは経済活動にとって有用ではなく、むしろ不要である。」と本音では考える方々が増えると、皮肉なことに、まさに現在のような世界状況になるのではないでしょうか・・?」
A「ううむ、それはたしかに世界規模においても、ある意味、共通しているのかもしれませんが、あるいは、それらの根底にあるものは、スマートフォンの普及による知識やコトバの皮相化であり、その意味で、やはり原始的ではありますが、読書は大事であるのかもしれません・・。」
*その意味で、今後しばらくの間、書籍からの抜粋引用をもって記事としようと思います。
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祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
~勉強会の御案内~
歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。
~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com
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2020年7月14日火曜日
20200714 内的な力の基底にあるもの・・経験・記憶?
先日来の大雨により、大きな被害を被った九州を主とする諸地域にて被害を受けたインフラの速やかな復旧と、被災された方々が以前の生活に戻られることを願っています。
さて、昨今、再び、首都圏にて新型コロナウィルス感染症の感染者数が増加傾向にあり、一時期は「収束に向かうのでは・・」との見通しもあったことから、その落胆の具合は、自身においても決して小さいものではありません・・。
また、去る6月22日に迎えた、丸5年のブログ継続期間後の安心感からか、ここ最近は、あまり積極的にはブログ記事作成を行いたいと思うこともありません・・。どちらかと云うと、6月22日以降の記事は、義務感のようなものにより作成されたと云えます。しかしまた、その後、10記事以上は作成していますので、さきに述べた内面の状態(安心感)からすれば、決して「不本意」というわけではありません。そして、出来れば、今月中に新たな10記事投稿投稿し、1350にまで到達出来れば良いと考えています・・。
さて、ここ最近、歯系・文系の以前お世話になった先生方からご連絡を頂きましたが、その中で文系の先生から「君が以前に研究した歯のことは、現在の役に立っているのか?」とのご質問を頂きました。
この質問は、現在の自身にとって悩ましいものであり、端的に述べますと「それはその後の現在までの自分にとって、なくてはならないものではありましたが、現時点においては、相対的に、その要素は軽く、希薄であるように思われます・・。」といった感じになります。
しかし「軽く、希薄」ではあるものの、それは同時に、これまで5年間にわたり、当ブログ記事の作成をどうにか継続することが出来た、いわば「内的な力」の基底にあるものとも云えます・・。それ故、その意味においては、少なからず「現在の役に立っている」とは云えるのではないかとも思われるのです・・。
また、去る4月末から作成をはじめた【架空の話】も、現段階ではあまり「歯のこと」に深入りしていませんが、今後の展開にて、ある程度、そうしたことにも触れて行くことが予想されます。くわえて、先の展開にて描くであろう歯科分野での研究については、その具体的な研究のハナシ以上に、さきと同様、そうした生活の「基底」にあった「精神構造」をどうにか描き出すことの方が文章の作成としては面白いのではないかと思われるのです・・。
また、この「精神構造」は、現在になり振り返ってみますと、文系時代においても類似したものがあり、多少、不穏当かもしれない表現にはなりますが「何人かの集団で、ある種の変性意識状態になっていたのではないかと思われるのです・・(苦笑)。」
さらに興味深いことに、こうしたことは、文系・歯系であれ、少し勘の良い方は気が付いていたようであり、そうした自らの変になっている様子を、共通して、マンガ「おーい!竜馬」内の血気盛んな若者たちが色々と無茶苦茶なことをしているシーンと結び付けて話されていたことが思い出されます・・(笑)。(小山ゆう氏作中の変になっている若者達の描写はセンスがあると思います・・。)
ともあれ、そうした「変になっている状態」で、何かしら自分の研究課題を追究してゆく中で、よく分かりませんが、ブログを5年程継続出来るような「何か」がインストールされ、そして内在化していくのではないかと思われるのです・・。また、それは自身のような変則的な経路を辿った人間であるならば、猶更であるようにも思われます・・。
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また、去る6月22日に迎えた、丸5年のブログ継続期間後の安心感からか、ここ最近は、あまり積極的にはブログ記事作成を行いたいと思うこともありません・・。どちらかと云うと、6月22日以降の記事は、義務感のようなものにより作成されたと云えます。しかしまた、その後、10記事以上は作成していますので、さきに述べた内面の状態(安心感)からすれば、決して「不本意」というわけではありません。そして、出来れば、今月中に新たな10記事投稿投稿し、1350にまで到達出来れば良いと考えています・・。
さて、ここ最近、歯系・文系の以前お世話になった先生方からご連絡を頂きましたが、その中で文系の先生から「君が以前に研究した歯のことは、現在の役に立っているのか?」とのご質問を頂きました。
この質問は、現在の自身にとって悩ましいものであり、端的に述べますと「それはその後の現在までの自分にとって、なくてはならないものではありましたが、現時点においては、相対的に、その要素は軽く、希薄であるように思われます・・。」といった感じになります。
しかし「軽く、希薄」ではあるものの、それは同時に、これまで5年間にわたり、当ブログ記事の作成をどうにか継続することが出来た、いわば「内的な力」の基底にあるものとも云えます・・。それ故、その意味においては、少なからず「現在の役に立っている」とは云えるのではないかとも思われるのです・・。
また、去る4月末から作成をはじめた【架空の話】も、現段階ではあまり「歯のこと」に深入りしていませんが、今後の展開にて、ある程度、そうしたことにも触れて行くことが予想されます。くわえて、先の展開にて描くであろう歯科分野での研究については、その具体的な研究のハナシ以上に、さきと同様、そうした生活の「基底」にあった「精神構造」をどうにか描き出すことの方が文章の作成としては面白いのではないかと思われるのです・・。
また、この「精神構造」は、現在になり振り返ってみますと、文系時代においても類似したものがあり、多少、不穏当かもしれない表現にはなりますが「何人かの集団で、ある種の変性意識状態になっていたのではないかと思われるのです・・(苦笑)。」
さらに興味深いことに、こうしたことは、文系・歯系であれ、少し勘の良い方は気が付いていたようであり、そうした自らの変になっている様子を、共通して、マンガ「おーい!竜馬」内の血気盛んな若者たちが色々と無茶苦茶なことをしているシーンと結び付けて話されていたことが思い出されます・・(笑)。(小山ゆう氏作中の変になっている若者達の描写はセンスがあると思います・・。)
ともあれ、そうした「変になっている状態」で、何かしら自分の研究課題を追究してゆく中で、よく分かりませんが、ブログを5年程継続出来るような「何か」がインストールされ、そして内在化していくのではないかと思われるのです・・。また、それは自身のような変則的な経路を辿った人間であるならば、猶更であるようにも思われます・・。
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2020年7月13日月曜日
20200712 ブロガーとツイッターの閲覧者数(インプレッション)について思ったこと
2015年6月から当ブログをはじめて、どうにか5年以上経過しました。この間の総閲覧者数は、丁度47万人程であり、これを1年に均しますと9万人程度になります。そして、それを更に1カ月に均してみますと7500人となり、さらに、それを1日に均しますと250人となります。
とはいえ、これはあくまでも平均値としたハナシであり、実際の1日での閲覧者数は、かなり偏差が大きいと云えます。そしてまた、ブログをはじめて5年で、この程度の閲覧者数というのは、そこまで多いものではありません。
他方、今年の1月あたりから、ツイッターを始めましたが、こちらの方では独自の投稿をすることはあまりなく、リツイート以外の自身からのツイートは、概ね、当ブログ記事からの共有となっています。そして、面白いことに、これまで、当ブログから共有したツイートの閲覧者数(インプレッション)が思いのほかに伸び、そのデータを信用するならば、この28日の期間で5万人の方々に閲覧して頂いたことになります・・。
冒頭にて、当ブログの1年間での平均閲覧者数が9万人程度であることを述べましたが、それと比較してみますと、この数値が現在の自身にとって、どれだけ大きいものとして認識されているかは、理解して頂けるのではないかと思われます・・(笑)。
とはいえ、さきの28日の期間においては、いわゆる「バズる」といった出来事もあったことから、今後、同等の閲覧者数(インプレッション)を得られるかどうかは、かなり疑問視されるところですが、他方で、先日の「バズり」後から、わずかではありますが、徐々に全体の閲覧者数(インプレッション)も増加していることから、今後、さらにこの活動を継続することにより、今しばらくの「伸びしろ」はあるのではないかと考えるところです・・。
また、ここ最近は、もう少し、書籍を精読しようと考え、色々と本棚から取り出し、頁を開いていたところ、一種、収拾のつき難い事態となり、そこから「ここから数日間は書籍からの抜粋引用を記事として投稿しようかな・・。」などと考えるに至りましたが、これも案外、原点回帰の良いアイデアであるのかもしれません・・(笑)。また、去る4月末から書き続けています【架空の話】も継続的に読んで頂いておりますので、こちらも折を見て、続きを作成したいと考えています。
おかげさまで本記事の投稿により、総投稿記事数が1340記事になります。そして今後は、今月内での1350記事への到達を目標にしたいと考えています。
とはいえ、これはあくまでも平均値としたハナシであり、実際の1日での閲覧者数は、かなり偏差が大きいと云えます。そしてまた、ブログをはじめて5年で、この程度の閲覧者数というのは、そこまで多いものではありません。
他方、今年の1月あたりから、ツイッターを始めましたが、こちらの方では独自の投稿をすることはあまりなく、リツイート以外の自身からのツイートは、概ね、当ブログ記事からの共有となっています。そして、面白いことに、これまで、当ブログから共有したツイートの閲覧者数(インプレッション)が思いのほかに伸び、そのデータを信用するならば、この28日の期間で5万人の方々に閲覧して頂いたことになります・・。
冒頭にて、当ブログの1年間での平均閲覧者数が9万人程度であることを述べましたが、それと比較してみますと、この数値が現在の自身にとって、どれだけ大きいものとして認識されているかは、理解して頂けるのではないかと思われます・・(笑)。
とはいえ、さきの28日の期間においては、いわゆる「バズる」といった出来事もあったことから、今後、同等の閲覧者数(インプレッション)を得られるかどうかは、かなり疑問視されるところですが、他方で、先日の「バズり」後から、わずかではありますが、徐々に全体の閲覧者数(インプレッション)も増加していることから、今後、さらにこの活動を継続することにより、今しばらくの「伸びしろ」はあるのではないかと考えるところです・・。
また、ここ最近は、もう少し、書籍を精読しようと考え、色々と本棚から取り出し、頁を開いていたところ、一種、収拾のつき難い事態となり、そこから「ここから数日間は書籍からの抜粋引用を記事として投稿しようかな・・。」などと考えるに至りましたが、これも案外、原点回帰の良いアイデアであるのかもしれません・・(笑)。また、去る4月末から書き続けています【架空の話】も継続的に読んで頂いておりますので、こちらも折を見て、続きを作成したいと考えています。
おかげさまで本記事の投稿により、総投稿記事数が1340記事になります。そして今後は、今月内での1350記事への到達を目標にしたいと考えています。
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2020年7月10日金曜日
20200710 現在読み進めている著作から思ったこと
ここ数日間は、新たな記事作成を行わずに過ごしました。また、その間に以前から読み進めていた複数著作も大分頁が進みました。
その中の一冊がジャレド・ダイアモンド著「危機と人類」上巻ですが、当著作にて述べられているさまざまな事例は、これまで、あまり知らなかったものが多く、興味深く読みましたが、同時に当著作の全体的なテーマは、同著者が編著にあたった「歴史は実験できるのか」とも通じるものであると思われました。
https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766425192/
とりわけ、後著作の第5章にて述べられいる「奴隷貿易はアフリカにどのような影響を与えたか」は、自身として初めて読む歴史上の出来事についての考察であり、また、こうした題材がそこまで学術的とも云えない、一般的な書店にて購入可能な著作にて扱われた意味や反響は思いのほかに大きく、あるいは、現今のコロナ禍最中、主に欧米にて生じている大きな動き、思想的な潮流にも影響を与えたのではないかと思われます・・。
とはいえ、こうした考え自体は決して新しいものではなく、特に同著者は、こうした問題(世界規模における文明の発展段階の地域毎の相違、およびその原因について)を著作の主題として多く扱ってきたと云えます。
それに加えて他の現在読み進めているユヴァル・ノア・ハラリ著「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」もまた、こうした歴史的な事例の考察の上に組み立てられた著作であると云え、その意味で、当著作は、同著者による前著の「サピエンス全史」や「ホモ・デウス」といった、歴史的事例が少なからず書かれている著作とは毛色が異なり、より抽象的あるいは観念的色彩と強いと云えます。
その中の一冊がジャレド・ダイアモンド著「危機と人類」上巻ですが、当著作にて述べられているさまざまな事例は、これまで、あまり知らなかったものが多く、興味深く読みましたが、同時に当著作の全体的なテーマは、同著者が編著にあたった「歴史は実験できるのか」とも通じるものであると思われました。
https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766425192/
とりわけ、後著作の第5章にて述べられいる「奴隷貿易はアフリカにどのような影響を与えたか」は、自身として初めて読む歴史上の出来事についての考察であり、また、こうした題材がそこまで学術的とも云えない、一般的な書店にて購入可能な著作にて扱われた意味や反響は思いのほかに大きく、あるいは、現今のコロナ禍最中、主に欧米にて生じている大きな動き、思想的な潮流にも影響を与えたのではないかと思われます・・。
とはいえ、こうした考え自体は決して新しいものではなく、特に同著者は、こうした問題(世界規模における文明の発展段階の地域毎の相違、およびその原因について)を著作の主題として多く扱ってきたと云えます。
それに加えて他の現在読み進めているユヴァル・ノア・ハラリ著「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」もまた、こうした歴史的な事例の考察の上に組み立てられた著作であると云え、その意味で、当著作は、同著者による前著の「サピエンス全史」や「ホモ・デウス」といった、歴史的事例が少なからず書かれている著作とは毛色が異なり、より抽象的あるいは観念的色彩と強いと云えます。
それ故、同著は読み進めるのに多少苦労するのでしょうが、また同時に、読書としては面白いと云えるのかもしれません・・。
ともあれ、こうしたことを書いていて、いささか不思議に思うことは「危機と人類」そして「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」などは、まさに現在の我々人類全体に生じている出来事、動きをある意味、予見しているとも考えられる著作でありながら、あまり、そうしたこと、そしてまた、その「意味」を、それぞれの著作を基軸として議論されていないということです。
こうしたことは他の国々においても同様であるのかもしれませんが、我が国においては、言語が違うということもあってか、そうした傾向がいくらか顕著であるように思われ、それが良くも悪くも我が国の通例である「ガラパゴス化」といった現象を生み出しているのかもしれませんが、さきのジャレド・ダイアモンド氏による我が国について扱った記述には「ガラパゴス化」というコトバは我が国に対しては用いられていなかったように記憶しています・・(笑)。
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