2020年2月18日火曜日

新潮社刊 夢野久作著 『死後の恋』内 『いなか、の、じけん』 内『郵便局』 pp.211-217

『鎮守の森の入口に、村の共同浴場と、青年会の道場が並んで建っていた。夏になるとその辺で、撃剣の稽古を済ました青年たちが、歌を唄ったり、湯の中で騒ぎまわったりする声が、毎晩のように田圃越ごしの本村まで聞こえた。
 ところが或る晩の十時過の事。お面お籠手の声が止むと間もなく、道場の電燈がフッと消えて人声一つしなくなった。……と思うと、それから暫くして、提灯の光りが一つ森の奥からあらわれて、共同浴場の方に近づいて来た。

「来たぞ来たぞ」「シッシッ聞こえるぞ」「ナアニ大丈夫だ。相手は耳が遠いから……」
といったような囁きが浴場の周囲の物蔭から聞こえた。ピシャリと蚊をたたく音だの、ヒッヒッと忍び笑いをする声だのが続いて起って、また消えた。

提灯の主は元五郎といって、この道場と浴場の番人と、それから役場の使い番という三つの役目を村から受け持たせられて、森の奥の廃屋に住んでいる親爺で、年の頃はもう六十四・五であったろうか。それが天にも地にもたった一人の身よりである、お八重という白痴の娘を連れ、仕舞湯に入りに来たのであった。

親爺は湯殿に這入ると、天井からブラ下がっている針金を探って、今日買って来たばかりの五分心の石油ランプを吊して火を灯つけた。それから提灯を消して傍の壁にかけて、ボロボロ浴衣を脱ぐと、くの字なりに歪んだ右足に、黒い膏薬をベタベタと貼りつけたのを、さも痛そうにランプの下に突き出して撫でまわした。

その横で今年十八になったばかりのお八重も着物を脱いだが、村一等の別嬪という評判だけに美しいには美しかった。しかし、どうしたわけか、その下腹が、奇妙な恰好にムックリと膨らんでいるために、親爺の曲りくねった足と並んで、一種異様な対照を作っているのであった。

「ホントウダホントウダ」「ふくれとるふくれとる」「ドレドレ俺にも見せろよ」「フーン誰の子だろう」「わかるものか」「俺ア知らんぞ」「嘘こけ……お前の女だろうが」「馬鹿云えコン畜生」「シッシッ」

というようなボソボソ話が、又も浴場のまわりで起った。しかし親爺は耳が遠いので気がつかないらしく、黙って曲った右足を湯の中に突込んだ。お八重もそのあとから真似をするように右足をあげて這入りかけたが、フイと思い出したようにその足を引っこめると、流し湯へかがんでシャーシャーと小便を初めた。

元五郎親爺はその姿を、霞んだ眼で見下したまま、妙な顔をしていたが、やがてノッソリと湯から出て来て、小便を仕舞ったばかりの娘の首すじを掴むと、その膨れた腹をグッと押えつけた。
「これは何じゃえ」
「あたしの腹じゃがな」
 と娘は顔を上げてニコニコと笑った。

クスクスという笑い声が又、そこここから起った。
「それはわかっとる……けんどナ……この膨れとるのは何じゃエ……これは……」
「知らんがな……あたしは……」
「知らんちうことがあるものか……いつから膨れたのじゃエこの腹はコンゲニ……今夜初めて気が付いたが……」
と親爺は物凄い顔をしてランプをふりかえった。
「知らんがナ……」
「知らんちうて……お前だれかと寝やせんかな。おれが用達ようたしに行っとる留守の間に……エエコレ……」
「知らんがナ……」
 と云い云いふり仰ぐお八重の笑顔は、女神のように美しく無邪気であった。

親爺は困惑した顔になった。そこいらをオドオド見まわしては新らしいランプの光りと、娘の膨れた腹とを、さも恨めしげに何遍なんべんも何遍も見比べた。
「オラ知っとる……」「ヒッヒッヒッヒッ」という小さな笑い声がその時に入口の方から聞えた。その声が耳に這入ったかして、元五郎親爺はサッと血相をかえた。素裸体のまま曲った足を突張って、一足飛びに入口の近くまで来た。それと同時に、「ワ――ッ」「逃げろッ」という声が一時に浴場のまわりから起って、ガヤガヤガヤと笑いながら、八方に散った。

そのあとから薪割用の古鉈をひっさげた元五郎親爺が、跛引き引き駆け出したが、これも森の中の闇に吸い込まれて、足音一つ聞こえなくなった。

その翌朝の事。元五郎親爺は素裸体に、鉈をしっかりと掴んだままの死体になって、鎮守さまのうしろの井戸から引き上げられた。又娘のお八重は、そんな騒ぎをちっとも知らずに廃屋の台所の板張りの上でグーグー睡っていたが、親爺の死体が担ぎ込まれても起き上る力も無いようす・・・そのうちにそこいらが変に臭いので、よく調べてみると、お八重は叱るものが居なくなったせいか、昨夜の残りの冷飯の全部と、糠味噌の中の大根やなっ葉を、糠ぬかだらけのまま残らず平らげたために、烈しい下痢を起して、腰を抜かしていることがわかった。

そのうちに警察から人が来て色々と取調べの結果、昨夜からの事が判明したので、元五郎親爺の死因は過失から来た急劇脳震盪ということに決定したが、一方にお八重の胎児の父はどうしてもわからなかった。

初めはみんな、撃剣を使いに行く青年たちのイタズラであろうと疑っていたが、八釜屋の区長さんが主任みたようになって、一々青年を呼びつけて手厳しく調べてみると、この村の青年ばかりでなく、近所の村々からもお八重をヒヤカシに来ていた者があるらしい。

それでお八重には郵便局という綽名がついていることまで判明したので、区長さんは開いた口が塞ふさがらなくなった。
すると、その区長さんの長男で医科大学に行っている駒吉というのが、ちょうどその時に帰省していて、この話をきくと恐ろしく同情してしまった。実地経験にもなるというので、すぐに学生服を着て、お八重の居る廃屋へやって来て、新しい聴診器をふりまわしながら親切に世話をし初めた。母親に頼んで三度三度お粥かゆを運ばせたり、自身に下痢止めの薬を買って来て飲ませたりしたので「サテは駒吉さんの種であったか」という噂がパッと立った。しかし駒吉はそんな事を耳にもかけずに、休暇中毎日のようにやって来て診察していると、今度はその駒吉が、お八重の裸体の写真を何枚も撮って、机の曳出に入れていることが、誰云うとなく評判になったので、流石の駒吉も閉口したらしく、休暇もそこそこに大学に逃げ返った。そうすると又、あとからこの事をきいた区長さんがカンカンに怒り出して、母親がお八重の処へ出入りするのを厳重にさし止めてしまった。

「お八重が子供を生みかけて死んでいる」という通知が、村長と、区長と、駐在巡査の家うちへ同時に来たのは、それから二三日経っての事であった。それは鎮守の森一パイに蝉の声の大波が打ち初めた朝の間の事であったが、その森蔭の廃屋へ馳けつけた人は皆、お八重の姿が別人のように変っていたのに驚いた。誰も喰い物を与えなかったせいか、美しかった肉付きがスッカリ落ちこけて、骸骨のようになって仰臥していたが、死んだ赤子の片足を半分ばかり生み出したまま、苦悶しいしい絶息したらしく、両手の爪をボロ畳に掘り立てて、全身を反り橋のように硬直させていた。その中うちでも取りわけて恐ろしかったのは、蓬々と乱れかかった髪毛かみのけの中から、真白くクワッと見開いていた両眼であったという。
「お八重の婿どん誰かいナア
 阿呆鴉か梟かア
 お宮の森のくら闇で
 ホ――イホ――イと啼いている。
 ホイ、ホイ、ホ――イヨ――」
 という子守唄が今でもそこいらの村々で唄われている。』

『死後の恋』 夢野久作傑作選 (新潮文庫)
ISBN-10: 4101206414
ISBN-13: 978-4101206417


2020年2月16日日曜日

20200216 最近の読書から「大掛かりな歴史の皮肉」

本日の徳島市は気温はそこまで低くなかったものの、終日風の強い一日でした。報道によりますと、今年の徳島での春一番は数日前に吹いたとのことであり、そこから、本日の強風についても、おそらく同様の気象状況から発生したのではないかと思われます。

また、当ブログにつきましては、その後、おかげさまで順調に記事の更新が為され、あと55記事の投稿により1300記事に到達する状況となりました。この55記事とは決して少ない数ではありませんが、これまでの記事作成経緯から考えてみますと、そこまで困難とは云えないことから、来る6月22日に迎えるブログ開始から丸5年までに、どうにか達成したいと考えています。

また、さきに述べましたように、ブロガーでの記事投稿は、順調に為されていますが、それらのアメーバ・ブログへの再投稿は、あまり順調に行われておらず、今後、機会を見つけて徐々にそれら記事を移し替えていきたいと思います。

さて、現在読み進めている岡義武著「国際政治史」は、ようやく200頁過ぎにまで至り、第一次世界大戦が終結し、パリ講和会議の開催そして大戦中に生じたロシア革命による欧州全土における緊張、そして、その一応の安定化といった状況が描かれていますが、この大戦後の敗戦国ドイツへのフランスを主とした周辺諸国の戦後処理には、なかなか峻烈なものがあり、ある意味、こうした事情があったことから、その後のナチス党の台頭さらには政権掌握も為し得たと云えます。

こうした歴史の流れからも、ある種「大掛かりな歴史の皮肉」といったものを看取することが出来ますが、しかしながら同時に、当時の当事者達としては、どうしてもそのような選択しか採り得ない経緯・背景もまた、あったのだと云えます・・。

そして、そのように考えてみますと「たとえ過去の歴史を詳細に知ったとしても、未来は変えることが出来ない。」といった、ある種の無力感・絶望感を覚えるわけですが、そうであっても、そうした歴史を知る人々が社会で徐々に増え、そして、何らかのカタチで発信し続けることにより、わずかではあれ、未来の方向性に対して影響を与えることが出来るのではないかとも思われるのです・・。

その意味で、インター・ネットを基盤とする現代の情報社会は、悪いものであるとは考えません。ただ、ここで大事になると思われることは、金銭・経済的なもの以前にある「何に価値があるか」を各々で考え、そしてお仕着せでない、能動的な議論を通じ、その相違点や共通項を見出していくことであるように思われます・・。

ともあれ、今後も当著作を読み進めていこうと考えていますが、250頁あたりにまで至りましたら、過日投稿のブログ記事にも書きましたユヴァル・ノア・ハラリによる「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」を購入し、読んでみようと思います。












20200215 先日の投稿記事が再度ランク・インしたことから思ったこと

先日投稿の「ブログ掲載情報についての対話形式」がアメーバブログにて人気記事にランク・インしたことを記しましたが、その翌日もまた、再度、順位が上がってのランク・インとなりました。こうしたことは、これまでになかったことから少し驚かされました。また、以前にも書きましたが「当記事の閲覧者数はあまり伸びないのでは・・。」と考えていたことから、これもまた不思議に思われるところです・・(笑)。

とはいえ、これまた以前に幾度か書いたことではありますが、自信の作成したブログ記事として比較的多くの方々に読んで頂いている場合であっても、そこからの効果や影響といったものは、これまで感じられたことはなく、そこから「おそらく当ブログ記事による周囲への効果は、大体その程度なのだろう・・。」と思うに至るわけです・・(苦笑)。

しかし、他方で、当ブログ記事が「その程度」のものであるからこそ、あまり傍目を気にせずに、現在に至るまで(好き勝手に)記事作成を継続出来ているようにも思われます。そのため、ブログ記事による効果や影響といったことは、少なくとも自身の場合、あまり考えない方が、継続的な記事作成のためには好都合であるように思われます・・(笑)。

さて、先日の投稿記事にてモテない、ロスジェネ云々といった、どちらかと云えば自虐的とも受け取れることを(苦笑)を書きましたが、他方において、大変充実していたと感じられる時期もあり、とりわけ、和歌山在住の修士課程院生の頃は、それまでの人生で最も多くさまざまな分野の書籍を読み、議論をしていたと云えます。そして、特に、ここでの議論の経験があるからこそ、対話形式でのブログ記事が作成出来ていると云えます。また、この頃は、自身が変わっていてもイジられることもなく、いや、当時については、周囲にいた方々の方が自身などよりも変わっていたのかもしれません・・(笑)。ともあれ、ここで書籍を読む習慣が身体化され、そして必要であれば精読するような習性も、ある程度、身に付けたことから、現在に至るまで、その時々に必要とする文献、そして自身の興味に基づいた文献をも読み続けることが出来ているのではないかと思われるのです・・。

そして、当ブログについて考えてみますと、どうにか、ここまで記事作成が為されている要因として、さきに述べた経験と共に歯科生体材料学分野にいた時の経験そして記憶が、かなり大きなウェイトを占めると云えます。それは換言しますと、鹿児島在住時の経験・記憶であると云えますが、これについては「この時期のことを書きたい!」と比較的強く思う反面で、未だに自身でも理由が分からないのですが、それにブレーキを掛ける力が発動され、今に至るまで思うように書けないでいます・・。しかし、今後、この時期のことををスムーズに書くことが出来るようになる内面での変化を待ち、これを題材として、新たなブログ記事を作成していきたいと考えています・・。

また、感覚的なハナシではありますが、さきの和歌山在住時の経験は、ブログ記事を継続的に作成するための、どちらかと云えば技術的要素としてのウェイトが多く、他方で、鹿児島在住時の経験や記憶は、もちろん、さきの和歌山と同様、技術的要素も少なからずあるのですが、それと同時に、当ブログ継続のための推進力となる内面・精神的要素については、かなり多く、ここでの経験や記憶に依拠しているように思われるのです・・。

そうしたこともあり、この時期のことを記事題材としたいと考えているのですが、さきに述べたように、どうもここで抑制がかかってしまうのです・・。しかし、今しばらく書き続けていますと、また何らかの変化が生じるとも思われますので、性懲りもなく、続けようと思います・・(笑)。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。










2020年2月13日木曜日

20200213 先日投稿の記事がランク・インして思ったこと・・

本日の徳島は気温が20℃まで上がり、春のような1日でした。また、この陽気は今週中は続くとのことですが、来週になりますと、また冬日に戻るとのことです。このようなことを書いていますと、不図「三寒四温」というコトバを思い出しましたが、このコトバはおそらく、丁度、今の時季を指すものであるように思われます・・。

くわせて、先日の投稿記事にも記しましたが、陽も以前に比べ長くなり、そうしたことから、季節が徐々に春へと推移していることがうかがわれます。

さて、おかげさまで、先日投稿の「ブログ掲載情報についての対話形式」がアメーバブログにて人気記事にランク・インとなりました。正直なところ「この記事の閲覧者数はあまり伸びないだろう。」と考えていたため、これには多少意外の感があります。そしてまた、「こうした内容の記事も寛容に受け入れて頂けるのであれば大変ありがたい。」というのが、このランク・インに対する率直な感想と云えます・・。

ともあれ、こうした内容の記事を書く自身ではありますが、子供の頃から変わっている、あるいは周囲から浮くことも少なからずあるためか、たびたびイジメられました・・(苦笑)。そしてまた、おそらく今後もそのような感じではないかと思われます・・。また、イジメられる悪影響としては、なかなか自然に自信を持てなくなることであるように思われます・・。

以前に比べますと、そうではなくなりましたが、それでも、権柄ずくな態度をされたり、こちらの意見を全く聞かずに勝手に罰ゲーム的に何かを押し付けてくるようなことをされますと、かなり腹立たしくなるのと同時に凹み、滅入ってきます・・。

また、それに加えて、イジメの後遺症によるものか、自然に自信があるように振舞えないことから、小中高から現在に至るまで異性にモテないことも、現在まで尾を引いていると云えます・・(苦笑)。

とはいえ、このようにモテなかったことから、いくつかの分野での知識や経験を積むことが出来たとも云えますので「自分にとってどちらが良かったのか?」と問うてみますと、「これはこれで良かったのではないか・・?」と思える時もしばしばあると云えます・・(苦笑)。

そしてまた、こうした「メゲない」のか「いいかげん」であるのか分からない(多分、これらはかなり親和性があるのではないかと思います・・(笑))自身が、ロスジェネ世代のど真ん中であることは、偶然であるのか、あるいは何らかの必然であるのか、これもまたイマイチよく分かりませんが、面白いところであるようにも思われます・・。

さらにここで、ロスジェネ世代と書いていて不図、岩波書店刊行の、だいぶ以前に読んだ記憶のある「きけわだつみのこえ」という著作が思い出され、少しだけ目頭が熱くなってきました・・(苦笑)。

20200213 創造や生産のジレンマについて・・

当記事を含めて、残り58記事の投稿により、総投稿記事数が1300に到達します。本日から毎日1記事の投稿を行いますと、来る4月の半ば前には達成出来る目算が立ちますが、さすがに毎日の投稿はキビしいと思われるため、出来るだけ毎日に近く続けていこうとは思いますが、それでも2日に1記事程度の更新となっても、そこまで悪くはないように思われます・・。

さて、昨日は文章が書けなかった時期のことについて書きましたが、この時期は現在思い返してもみても暗く、鬱々とした日々であり、またそれは、現在においてもなお、完全に晴れているわけではないのですが、いつか、これが晴れ渡る日は来るのでしょうか・・(苦笑)。

しかし、あるいはまた、こうして暗く、鬱々とした気分を現在に至るまで、いくらか引き摺っているからこそ、ブログ記事の作成を継続することが出来ているとも云えるのかもしれません・・(苦笑)。

何故ならば「人は完全に安楽・快適な状態になると、そこから逃れるための創造をしなくなるからだ。」とも云われるからであり、これに関しては多少悔しくはあるものの、全くの的外れではないように思われます・・(苦笑)。

しかしながら、他方で、より多くの創造をするように、外部からの働きかけ・圧力によって出来るだけ安楽・快適な状態にならないように仕向け続けていると、遅かれ早かれ、いつか内面に破綻が生じるのではないかと思われます・・。

そして、おそらく、こうした一種の創造性や生産性についてのジレンマのようなものは、古来から存在し、あるいは、こうした様相・メカニズムについて、より良い解決をはかるための仕組みが、宗教であったり、さまざまな思想であるようにも思われます。

また、こうした宗教や思想が、何処で、どのようにして発生し、その後どのように伝播・発展していったかについて考えてみますと、さまざまな国や地域における宗教や思想といった所謂、形而上的なものに対する親和性・相性のようなものが分かるのではないかと思われます。

そして、それに対して、さきの創造性や生産性についてのジレンマをより具現化したものと云える、国・地域における支配・被支配の構造、そして、それらの歴史についてを重ね合わせて考えてみますと、宗教や思想といったものが、どのような条件下において繁茂し、また逆に、衰弱・枯死してしまうのか、ということが、ある程度理解出来るのではないかと思われるのですが、さて、その意味で、現在の我が国は、いかなる状況と云えるのでしょうか・・(笑)?

いや、あるいは我が国は元来、宗教や思想といったものからは縁遠く、古くからのリジッドな支配・被支配の構造が現在に至るまで続いているのでしょうか?こうしたことは多少本を読んだ今になってもイマイチよく分かりません・・(苦笑)。とはいえ、であるからこそ、やはり歴史は面白いのだとも云えるのかもしれません。






2020年2月12日水曜日

20200212 文章が書けなかった時期について

現在読み進めている岡義武による「国際政治史」は、半ば過ぎまで至り、この調子にて読み進めれば、来月初旬あたりには読了することも出来るのではないかと思われます。

他方で、当ブログに関しては、先日、2月9日の投稿により、総投稿記事数が1240に到達し、来る6月22日のブログ開始から丸5年の日迄に50数記事を新たに投稿することにより、5年間で1300記事を投稿してきたことになります。

しかし、これを達成するためには、今後2~3日に1記事の新規投稿を要するため、現在の自身にとっては、そこまで簡単であるとは云えません・・(苦笑)。しかしそれでも、以前の全くといって良いほどに文章を書けなかった時期と比べますと随分良くはなっていると云えます・・。

この全く書けなかった時期のことについて、もう少し詳細に思い出してみますと、それ以前はSNSなどを通じて普通に書くことが出来ていたことから、このいわば断層のような時期に一体何があったのだろうかと思うに至ります・・。

具体的に、その時期は2015年後半あたりからであり、この時期のことは思い出してみますと、未だに喉を絞められるような感じになり、おそらく当時は精神的に危機的な状況にあったのではないかと思われます。そして、その同時期から当ブログをはじめたわけですが、このブログがなければ、さきの危機的状況をどうにか乗り越えることが困難であったのではないかとも思われます・・。

そしてまた、こうした、おそらく内面の葛藤から生じる危機的状況を乗り越えるためには、それまでの全ての経験といった内的資産を燃料として投入するという覚悟がなければ、乗り越えることは困難であったのではないかと思われるのです。しかし、そうであっても、自身の場合、この時期は精神的に衰弱しきった中で、どうにか書籍からの抜粋引用を主とした記事作成を行っていたといった状態でした・・。

また、自身の文章による記事を作成してみても、作成した記事は徒に嫌悪感を齎すのみであり、こうした自分の作成した記事を読み返したくない時期も、ブログをはじめて、ある程度安定して記事作成を行う頃になってもしばらく続き、具体的に2016・2017年は、そうした時期であったと記憶しています。

とはいえ、現在になり、当時作成した記事を読み返してみますと、そこには文章表現としては稚拙と思われるものが多くあるものの、そこで述べられていることには、何と云いますか、現在にも繋がる「自身の考えの核」と云えるものがあるように感じられるのです。

そのように考えてみますと、この弱り切っていた時期にも、それなりの意味があったのかもしれません。またそれは、その時期から現在に至るまで、どうにか、このブログ記事の更新を通じ、前進しているという感覚を持ち続けることが出来たから、そのように考えることが出来るのかもしれません・・。

とはいえ、今後、何に導かれて当ブログを継続出来るのか分かりませんが、来る6月22日までは、どうにか続けて行きたいと思います。そして、その時の自分は当ブログの更なる継続について、どうのように思うのでしょうか・・。

現在の自身としては、とりあえず5年間継続することが出来たのであれば、そこで止めても問題はないようにも思えるのですが・・(笑)。














 

2020年2月11日火曜日

20200210 スランプの時にはどのような記事を作成すれば良いのか・・

ある程度の期間、継続的にブログ記事を作成していますと、滑らかに文章が出てくる時期と、そうでない時期があることに気が付かされます。おそらく、そこには何らかの原因があるとは考えますが、それが一体何であるかについては、未だによく分かりません・・(苦笑)。


以上のことを踏まえ、おそらく今現在の私は、そうでない時期、つまりはスランプに近い状態にあるのではないかと感じられています・・(苦笑)。

また、そうした状態であるならば、特に無理をして記事作成を行う必要もないと思われるのですが、他方において、以前と比べますと比較的容易にこうした文章を作成することは出来るようになり、また、こうしてある程度書き連ねて行きますと、興に乗ると云いますか、離陸滑走する飛行機のようにフワッとどこかで宙に浮かぶと云いますか、あるいは、何らかの主題らしきものを見出し、それに沿ってどうにか書き進めることが可能になるようであり、そしておそらく、その推進力の役割を果たしているのが、通常はあまり意識していない「文体」ではないかと思われます。

とはいえ、この「文体」についても、未だ現在「自分の文体を獲得した!」と十全に意識出来たことはなく、ただ、その進歩?については、かつて自分が作成した文章の加筆修正を行う際、以前と比べ、あまり考えずに比較的無造作な感じで出来ることが、その進歩らしきものを示しているのではないかとも思われるのです・・。

そして、面白いことに、この無造作に文章の加筆修正を行っている時に、何となく、自分が手作業で研磨などの仕上げ作業を行っているような感覚を持つのです・・(笑)。この感覚もまた、ここ半年程度の比較的最近のものであり、この感覚は未だ自身の中で普遍化し得るものであるかどうか不明ではありますが、文章として著しておけば、後になり、この感覚の自身にとっての普遍性を検討することも出来ますので、とりあえず、書いておくに越したことはないと思われる次第です・・(笑)。

とはいうものの、こうした感覚が、文体の確立に関係があるのか、もしくは文章力の向上を示しているのかについては、精確には分かりかねるところですが、そうであっても、文章の加筆修正が手研磨と同程度の感覚に至るということは「文章の身体化」とも評することが可能であることから、少なくともブログ開始当初の自身と比べますと、いくらかは進歩したのではないかと思われるのです。

そしてまた、今後のいくらか面白いであろうと思われることは「こうした作業を続けてゆくと、次はどのようなことが生じるのか?」ということであり、さらに続けて「その生じることは、これまでに読んだどの著作の記述に類似するのか?」ということです・・(笑)。

文体の獲得に関しての記述は、これまでに何度か読んだ記憶がありますが、概してそれらでは「比較的明瞭な経験」とのことでした。私は、自身を鋭敏な人間ではないと考えていますが、同時に、こうした「明瞭な経験」を見過ごすほどに鈍感でもないと考えています。そうしますと、今後、何かの拍子に「文体の獲得」という明瞭な経験をするのであろうと思われるのですが、果たしてそれは何時のことになるのでしょうか・・(笑)。

ともあれ、文章があまり滑らかに出てこない、こうしたいわばスランプの時期には、上記のような自身に対する懐疑・疑問といったものを書いてみますと、一ブログ記事程度の文章にはなり、また、そこに共感し得る何か、さらには普遍性らしきものがいくらかでもあれば、それはそれでブログ記事としては、そこまで悪くはないのかもしれませんが、同時にそこには、いくらかの記事作成者の甘えといったものもあると云えます・・(苦笑)。